【凍結】麻賀禮(まがれ) 作:あらやだ
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───人間には、誰も救えない。
男は、かつては人を救わんとあちこちの戦場を駆け回っていた。やがて自分には誰も救えないということに行き当たり、救えないならばせめてその死を明確に記録しようと死の蒐集を始めた。
それは自らの未練であり絶望だ。
人の一生の意味を検分するために人の一生の魂を通して根源の渦を目指した。「 」には人間の価値を記したものがあると信じて疑いもせずに。
根源へ到達するためにありとあらゆる障害を排除する。
歩みを止める気など毛頭無かった。
───あの女童と出会うまでは。
「根源と幽かに繋がっている娘を見つけたときは天運と欣幸を感じたが、全くあれは懸念だったか」
一人、男は語りだす。
深く刻まれた眉間の皺の数が増える。
「蒼崎に辿り着くとは奇妙な縁があったものだ。ゴドーワード───否、玄霧皐月。奴の手にも余るとは慮外だ。結界が完成するまでは淑やかであってほしいが」
まあ無理だろう。嘆かわしいことに。
藤乃という少女は手弱女のようでその実は女傑。清楚で美しいその見た目とは裏腹に天真爛漫天衣無縫といった不整合なあり方をしている。
根源に到るための駒。そのための拾い物。それが藤乃だ。
しかし、なかなかどうして一筋縄ではいかない。
まさか。
「情が移ったか」
くつと嗤う。有り得ない。
どんな犠牲も厭わないとかつて誓った。何者でもない自分自身に。二百年もの歳月を費やしてでも。
事は慎重に進めなくてはならない。霊長の抑止力に阻まれぬよう緻密に、綿密に、細密に。
───結界名「奉納殿六十四層」を。
「む」
着信音が鳴った。コートから携帯電話を取り出しつまらげに応える。
相手は玄霧皐月。十中八九悩みの種だ。
「私だ」
『やあ荒耶。そちらは順調かい』
「ふん。場所と供物の当ては見つけた。あとは闇々の内に運ぶだけだ」
『それはそれは』
「御託は不要。何かあったか」
『はは。相変わらずそうでなによりです。いえ。一つ貴方に確認しておきたいことがありまして』
「なんだ」
『もう一人、お子さんは如何ですか』
「────────────────────は?」
荒耶宗蓮は静止した。
☆
午刻、観布子市、巫条ビルXXX号室。
そこの一室。以前はふじのんと書かれたプレートが掛けられていたが現在は加筆されきりえの名前も入っていた。理由は単純明快。今日から霧絵もここで暮らすからだ。
帰宅後、両名はリビングで本を読んでいた玄霧先生に打ち合わせ通りに頼み込んだ。それはそれはあの手この手を酷使して。結果は玄霧先生の根負けであり荒耶さんに電話で聞いてもらった。
電話の後にいつになくげっそりとした姿を見て罪悪感を覚えたため食事のリクエストを聞いた。胃に優しいものがいいです、と答えられ申し訳がなくなった。猛省してます。
翌日。さっそく書類は浅上家に頼んで用意してもらい玄霧先生はその手続きのため市役所に出かけている。そこで藤乃は霧絵と買出しをすることにした。同居するにあたって衣服も何も持っていないからだ。
ここは一肌脱ごう。お金の余裕もある。
専ら藤乃は荷物持ちだ。初めのうちは奢ることに対してとんでもないと断っていた霧絵だったが、藤乃が自説を曲げなかったため不満ながら受け入れた。とはいったものの終盤にはあれも可愛いこれも可愛いと購入していき、藤乃はエルヴィス・プレスリーのフリンジ袖のように買い物袋を抱えることになったのだが、霧絵の喜ぶ顔を見ることができて満足だった。
もともと部屋には必要最低限の荷物しか置いてなかったので霧絵の買い物のおかげで年相応の女の子の部屋が完成した気がする。流石にベッド二つは部屋が狭くなるため元々のものだけ。ならばベッドは霧絵に譲って布団を購入しようと思ったのだが霧絵に阻止される。俗に言う同衾というやつだ。
断ろうにも涙目になられては断れない。礼園に入学するまでの期間は悶々とした夜になりそうだと先見した。
「これでよしっと。模様替えはこんな感じでよさそうですね」
「そうね。ほとんどわたし好みのものだけれど」
宅配業者に届けてもらったクローゼットとドレッサーの配置をしてベッドに腰かける二人。
「まあ、もともと殺風景でしたからね。巫浄さんのおかげで女の子らしい部屋になりました」
「それね。部屋にお邪魔したときに何もないから断捨離でもしたのかと思ったわ。あれは物が無さすぎよ」
「ベッドと机、椅子あと箪笥があれば事足りたので」
「女の子なんだからこれくらいしないと」
「……前向きに検討します」
「それやらないやつでしょう」
まったくもう、と困り顔で咎める。
うふふ、とあやふやにあしらう。
……………………………………………………。
しばらく会話が途切れると、前触れなくもたれかかる霧絵。藤乃は身を引いてしまったのでそのままベッドに押し倒される形になった。霧絵の頭が真横にあるため表情は読めないが、どことなく雰囲気が違った。
そっと腰に手を回して抱きしめる。か細い華奢な体躯はいまにも崩れそうなくらい脆く見えた。頭を撫でる。
「何も聞かないのね」
「巫浄さんが言いたくないならそれでいいです。わたしはいつまでも待ってますから」
「ううん。大丈夫、言うわ───わたし、怖いの」
「こわい?」
「しあわせになることが」
「……………………………………………………」
「浅神さんと出会ってなかったら、きっとあのまま外の世界を呪って死んでいたわ。自暴自棄になって自ら命を断っていたかもしれない。だから───」
「それは違いますよ、霧絵さん」
「え?」
肩を掴んで向かい合い、目を見て話す。
「それはもしもの話です。現実とは異なります。霧絵さんは何にも悪いことはしていないじゃないですか」
「でも……でも! わたしが、わたしだけしあわせになるだなんて……そんなの、そんなのって」
「一人が怖いなら二人ならどうでしょう」
「ふたり……」
「はい。二人でしあわせになれば問題ないのでは。一人が無理でも二人なら。二人三脚というやつです」
「優しい、優しすぎよ……。わたし、浅神さんのこともっと頼ってしまいそう。わたしの方がお姉さんなのに……」
「はいはい。巫浄さんはお姉さんですよ」
「───あ。どうしてまた巫浄さん呼びに戻すの? この前も名前で読んでくれたのに」
「それは、その」
しまった。そういえば切羽詰まったときや咄嗟に名前呼びにしていた気がする。
「わたしも藤乃ちゃんって呼ぶから。藤乃ちゃんも霧絵さんでいいわよ」
「は、はい。霧絵、さん」
「なあに、藤乃ちゃん」
「霧絵さん」
「藤乃ちゃん」
「霧絵さんっ」
「藤乃ちゃんっ」
ああ、百合の花が───
こほん。
ぎぎぎ、と油を注していないブリキの玩具のような動作で首を扉の方に向ける。
玄霧先生が困ったようにこちらを見ていた。
「すいません。一応ノックもお声かけもしたのですが返事がなかったもので。手続きの方は終わりましたのでその報告を」
ではごゆっくり、と玄霧先生は退出する。
……………………………………………………。
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「誤解ですから!?」
二人の声が部屋に反響した。
どうにか誤解を解いた二人はキッチンで仲良く昼食の準備だ。藤乃は蝸牛のエプロンを霧絵はフリルの付いたお洒落なエプロンを身につけている。髪は邪魔になるので二人とも後方で結んだポニーテールだ。
霧絵は料理経験皆無なのだが藤乃の手伝いをしたいと申し出たので参加している。意気込みはいいのだがベタに洗剤で野菜を洗おうとしたので少し手間取っていた。
「藤乃先生。今日はどんな料理をお作りになるんでしょうか」
「はい。今日はナポリタンを作っていきたいと思います」
「おお、ナポリタンですか」
「ではさっそく作っていきましょう」
「はい」
───料理番組のような進行で調理がはじまった。
まずは具材を切っていく。玉ねぎを半分にして芯を取り除き、ピーマンはヘタと種を捨てて五、六ミリ幅にする。そしてウインナーを適当な大きさに斜め切っておく。
「あれ? 玉ねぎを切っても涙が出ない」
「電子レンジで温めたので原因である硫化アリルが弱まっているからです。玉ねぎの甘みも増すので一石二鳥です」
続いてソース作り。ボールを取り出しケチャップを大さじ六、トマトペーストを大さじ一、水を大さじ二を合わせて混ぜておく。炒める前にソースを作っておくことで作業がスムーズに行える。
「ナポリタンの美味しさはケチャップの甘さです。しっかり炒めないと酸味が取れないのでしっかりと炒めましょう」
「ぺろ。うわ、酸っぱい」
───肝心のパスタには少し工夫を。
「え。パスタを水に浸けていたの!?」
「今回のパスタはリングイネ。こうすることによって生パスタ風のコシのある食感になるんですよ。一時間も浸ければ水を吸って白くなるのでそれが合図です」
「あむ……。本当だ。柔らかい」
「茹で時間の短縮でガス代の節約にもなります。ってまだ茹でてないから食べちゃ駄目ですっ」
準備ができたのでフライパンにオリーブオイルとおろしニンニクを入れて中火にかけ、ふつふつしてきたら玉ねぎを入れて二分ほど炒める。そしてウィンナーを入れて炒め合わせさらに二分。途中、玉ねぎに焼き色がついてきたら火を少し弱め、二分後にピーマンを入れて炒め合わせさらに三分。
具材にしっかり焼き色がついていることを確認して一度火を止めて塩コショウを少々を加える。
「すっかりお腹が空いてきました」
「空腹は最高のスパイスなのでがまんがまん」
事前に合わせておいたケチャップソースを加えて混ぜしっかり炒める。コクを出すために生クリームや牛乳を入れてもいいだろう。味見をして酸味が取れたことを確認して弱火で温めておく。
あらかじめ沸かしておいた鍋に先ほどのパスタを投入し二分ほど茹でる。しっかりと水気をきりフライパンに移して絡める。満遍なく絡めたら皿に盛り付ける。
「いけない、よだれが」
「あと少しの辛抱ですから。盛り付けたらお好みで乾燥パセリと粉チーズをかけて───完成です」
ダイニングにナポリタンを運んでいく。飲み物は牛乳。フォークを人数分配って昼食の支度は整った。
玄霧先生を呼びに行こうとしたのだが、香ばしい匂いに誘われてダイニングに顔を出した。なんと間の良い。
「おお」
目を輝かせる玄霧先生。腹部を撫でているあたり先生も空腹なのだろう。いただくとしよう。
「いただきます」
食事の挨拶は必須。三人は手を合わせて食材に感謝する。
「これは美味しい。乾麺とは思えないくらい弾力がある。トマトの酸味がなくてとても食べやすいです」
「先生のリクエスト通りのものなんですよ。パスタは消化に悪い食べ物ではないので、油とニンニクを抑えて胃に優しい調理法で作ってみました」
「ありがとうございます。しかし浅神君は物識りですね。次々と新しい料理が出てくる」
「ふふん。識ってますか。生きているというのは体にものを入れてくということなんですよ」
初めて荒耶と食事をしたときの言葉。
あの時、荒耶は真理だと微かに笑ったのだ。
「───なるほど。さぞかし荒耶も面食らったことでしょう」
玄霧先生も笑った。
「藤乃ちゃんもはやく食べないとナポリタン冷めちゃう」
「はい───って、霧絵さん口の周りソースでべとべとになってるじゃないですか」
「だって凄く美味しいのだもの。羨ましいな。玄霧先生は毎日藤乃ちゃんの手料理が食べれて」
「霧絵さんも一緒に作ったから美味しいんですよ。それに食べてくれる人のことを想って愛情を込めたからですかね」
「──────────はわ」
愛情を込めた、という言葉を反芻する霧絵。
口の周りだけでなく顔まで真っ赤になっていることを藤乃は、そして霧絵自身も気づいていなかった。
お読みいただき有難うございます。