【凍結】麻賀禮(まがれ)   作:あらやだ

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十余り一捻り

   

『礼園での生活はどう? もう慣れたのかしら?』

 

「それがですね。編入生は珍しいみたいで周囲の視線が気になって、まるで動物園のパンダのような気分です」

 

『うふふ。大変なのね───でも元気そうでよかった』

 

「はい。霧絵さんもお元気そうで。玄霧先生とは仲良くしていますか?」

 

『ええもちろん。あ。そういえば荒耶さんからお使いを頼まれたって言っていたわね』

 

「お使い、ですか」

 

『なんでも招かれざる客がきた、とか』

 

「招かれざる客?」

 

『礼園にいる藤乃ちゃんには直接は関係ないと思うけど、玄霧先生の様子が変だったから一応伝えておこうと思って』

 

「ありがとうございます」

 

 ───浅神さん。そろそろお時間ですよ。

 

 気づかぬ内に二十分近く通話していたようで、寮監がこっそり耳打ちする。

 

「あ。ごめんなさい。お時間がきてしまいました……」

 

『ううん。時間が経つのは早いわね。じゃあまた明日───あ。こほん。ごきげんよう』

 

「はい。また明日。ごきげんよう……」

 

 名残惜しみながら静かに受話器を置いた。

 

 

 終わりました、と寮監に報告してから自室に帰る。

 

 ……招かれざる客というのが気になる。どうも胸騒ぎがしてしょうがない。一波瀾ありそうな気がする。

 

 部屋の住人は藤乃だけの一人部屋で、藤乃は広い部屋を伸び伸びと使用していた。鉄球の回転の錬成だ。回転させた鉄球を手の甲に乗せて腕を伝わせて背中から反対の手まで移動させる。鉄球の操作はかなりの集中力が必要なので毎日の錬成は欠かせないのだ。

 

 もう一つ鉄球を取り出して両方の手から移動させる。二つの鉄球を操作するため緊張する藤乃。落としてしまえば大きな物音がなってしまうという危険性があるため神経を研ぎ澄ませる。肩まで伝った鉄球は背中の中央に差し掛かる。右は上に、左は下に───慎重に慎重に移動させて鉄球は見事反対の手に移動することができた。

 

 ふう、と一息入れて回転を止める。ぼふん。ベッドに倒れる藤乃。現在時は午後六時。寄宿舎から出ることは禁じられているので特にすることがない。同室の者がいればお喋りができて退屈しないのだろうけど、暇だ。

 

 校則によると部活動に参加しているものは申請をあげて顧問の教師が同伴なら午後八時まで部室及び活動場所にいてもいいらしい。もっともほとんどの教師は帰宅していて残っている教師はごくわずかなので申請自体珍しいという。

 

 あとクレー射撃部は休日のみの活動であり、森の外れにあるという射撃場まで徒歩十分程度かかるという。なお案内板などがないため部員でも頻繁に道に迷ってしまうとか。

 

 ……迦南先生は道に迷ったことがないようですが。

 

 大沢迦南。あの人はいったい───

 

「───よし。考えるのは後回し。勉強しよう」

 

 ベッドから起き上がると勉強道具を抱えて学習室に向かう。扉を開けるとすでに何人もの生徒が自習に励んでいる。橘佳織もその中の一人だった。

 

 佳織は藤乃と目が合うとほほえんで会釈した。藤乃も会釈を返し空いている席に着く。さて。とりあえず英語から手をつけよう。

 

 テキストを取り出して長文読解の頁を開く。文章を読む前に問題を読む。そうしてどういった内容の英文なのか予想することで内容を把握してから本文を読み進められる。重要そうな文にはチェックを付けるのも忘れない。

 

 ……いくら浅上家のコネでどうにでもなるとはいえ、勉強はきちんとやる。これは曲げてはいけない信条だ。がんばろう。

 

 ……えっと『次の格言を残した人物の名前を答えなさい』 “The course of true love never did run smooth.(真の恋の道は、茨の道である)” 答えは『ウィリアム・ シェイクスピア』だったかな?

 

 時間が経つにつれて人が少なくなっていく中、藤乃は消灯時間ぎりぎりまで勉強を続けていた。

 

 

               ☆   

 

 

 礼園女学院、編入二日目。

 

 空が白みがかり雲の隙間から光が射し込む。

 

 四時三十分。眠りから目覚めて掛け時計を確認した。寄宿舎の起床時間は午前五時だからまだ三十分もある。ゆったりとした挙動でベッドから下りると手を組んで上に引っ張る。頭上でしっかりと伸ばす。

 

「んっんん───」

 

 呼吸を止めずに二十秒くらい伸ばしたらそのまま右に倒して、また二十秒くらい経ったら次は左に倒す。伸ばし終えたところで腕を下げ深呼吸を一回。

 

 寝起き特有の気だるさがなくなると寝具を整頓して制服に着替える。これで準備万端。あとは点呼の後に歯磨きと洗顔を済ませて朝食に向かうだけ。なんと模範的だろう。

 

 部屋に一人しかいないというのが若干寂しいけど、あとしばらくすれば週末の外出許可が得られるだろう。霧絵さんと会える。

 

 キーンコーンカーンコーン、と起床時間を知らせるチャイムが鳴った。今日も一日頑張ろう。わたしは外に出た。

 

 

 点呼を終えて食堂に向かう。大半の生徒は眠そうでまだ自室に残っている生徒もいるようだった。朝食はトーストと目玉焼き、サラダ、スープ、牛乳そしてヨーグルトとシンプルなもので朝食はがっつり食べる派である藤乃は足りないのでは、と感じていた。

 

「お。藤乃ーこっちこっちー」

 

 どこで食べようか迷っていると、四人掛けのテーブルで炎が手を振って呼んでいた。佳織と金星もいる。金星はそうとう眠いのかうとうとしていてそのままトーストに顔を突っ伏しそうで心配だ。

 

 佳織の隣に座る。目の前の金星は顔を突っ伏しこそしなかったが、炎の肩に寄りかかってすやすやと寝息を立てている。

 

「おはようございます。皆さん」

 

「おはようさん。昨日はよく眠れたか?」

 

「はい。ぐっすり眠れました。金星さんは眠れなかったのですか?」

 

「あーユヅは朝弱いんだ。毎朝こんなかんじであたしが連れてきてる。ほら、ユヅそろそろ起きろ」

 

「むにゃむにゃ……」

 

「あはは。今回もダメそうだね」

 

「───少しよろしいですか?」

 

 金星の左手を掴んで手のひらを触る。ぷにぷにしていて触り心地がいい。このまま感触に浸りそうになるので本題に入る。

 

 中衝(ちゅうしょう)合谷(ごうこく)労宮(ろうきゅう)と呼ばれる眠気覚ましのツボをやや強めに押す。個人差もあるがだいたい三十秒ほど刺激すれば睡魔は退散するはず。どうだ?

 

「ふわぁ……。なんだもう朝か……」

 

「おおおお!? ユヅが起きるなんて滅多にないっつうのに……やるじゃねえか藤乃。ほらユヅ。めしだぞー」

 

「うむ。小麦と卵と牛乳と野菜を、征服した者たちに感謝を捧げながら───いただきます」

 

「いただきますっ」

 

 ……金星と炎のお祈りは独特だ。見たところクリスチャンではないと思っていたがどこの宗教だろうか。ううん。分からない。

 

 わたしは佳織に倣ってクリスチャンのお祈りをして十字を切る。スープは塩と胡椒のみの優しい味付けで細かく切った野菜の味を存分に味わえる。しっかり煮込んであるのか玉ねぎと人参が柔らかくて美味しい。あちっ。火傷に注意。

 

 トーストにはマーガリンが軽く塗ってあるがその上に目玉焼きを乗せてかぶりつく。巷でラピュタパンと呼ばれている食べ方だ。目玉焼きの塩気がトーストの美味しさを引き立ててくれる。おいし。

 

「そういえば。藤乃ちゃんは夏休みの予定はあるの?」

 

「えっ。夏休み、ですか?」

 

 不意に佳織がそんなことを聞いた。

 

「そう。夏休みの間は家に帰ってもいいことになってるの。と言っても一週間だけなんだけど」

 

「しかも休みのスケジュール書いて提出しなきゃなんねーから面倒だよな。それ通りに動かなきゃなんねーし」

 

「それも仕方ないだろう。徹底した管理体制を謳っているのだからな。生徒たちに羽目を外しすぎないように釘を刺しているのだ」

 

「それな。夜遊びとかで補導されると一発で退学させられるらしいぜ。先々代の生徒がやらかしたって噂聞いたことがある」

 

 ……夏休み! そういうのもあるのか。霧絵さんと何処か旅行に行こうか、お母さんの家にお泊まりに行こうか、あるいは久しぶりに荒耶さんのところに行くのもいいだろう。さて、どうしたものか。

 

「わたしはまだ考えていません。皆さんは?」

 

「私は家に帰って家族と過ごすよ。あと買い物に行くくらいかな。お洋服の資料とか流行のファッション雑誌とか欲しいものがいっぱいあるから」

 

「ユヅはあたしン家でお泊まりだ。親父とおふくろの許可は取ってあるし毎年そうしてる。今回はユヅとロボ執事の映画を観に行くんだ」

 

「うむ。『劇場版 ロボ執事 Hard of the Pacific』が公開するのだぞ! 楽しみ過ぎてしょうがない!」

 

「そ、そうなんですか」

 

 ……ロボットで執事? いったいどんな作品なのでしょう。ちょっぴり興味があります。

 

 

 そうこうしているうちに朝食を食べ終わってみんなと別れ、食堂を後にする。頭にあるのは夏休みというビッグイベントだ。どう過ごそうかと妄想する。

 

 ───また今夜、霧絵さんとお話しよう。

 

 わたしは軽い足取りで教室に向かった。

 

 

               ☆   

 

 

 町外れの寺院。かつて荒耶と玄霧が待ち合わせをしていた、凡そ人の気配がない寂れた土地で二人は久方ぶりに顔を合わせていた。

 

 その理由は(くだん)の招かれざる客についてだ。

 

 玄霧は荒耶が寄越した資料に目を通す。

 

「ラィカオン=オーマ。人狼の混血であり獣性魔術の最上位として君臨していた魔術師。幻想種の血を濃くしようと魔術協会が保有していた〝森の人〟の臓腑を喰らって死徒と化した」

 

「左様。もはや人間性を失い理性など蒸発していた奴を葬ったはずだったのだが───」

 

「彼は生きていた」

 

「……ああ。どうやらあの臓腑は本物だったようだ。結果として奴は生き永らえ、私に復讐するために日本に来訪したようだ」

 

 混血。人ならざるものと交わって血と力を得た人間の末裔。ラィカオンは濃すぎた血に呑まれて反転してしまったらしい。そして、人狼ときたものだ。ランクとしては魔獣だが、荒耶が殺し損ねたとなれば彼の一族が交わったのは───最高位の血統である幻獣種の可能性がある。

 

 事が魔術協会に知られる前に、後顧の憂いを無くすためにも今度こそ確実に葬りたいところだが、どうやら荒耶の考えは違うらしい。

 

「放っておくので?」

 

「問題なかろう。三重結界により下界との繋がりは断っている。奴に荒耶宗蓮の所在を識られることはない。往く先々で人間(えもの)殺さ(くわ)れようが些事だ」

 

「───そうですか。ところでラィカオンはどうやって貴方の場所を突き止めたのでしょうか。人狼の嗅覚でも限度があると思うのですが……」

 

「どうやら奴は魔力の匂いを嗅ぎ分けられるらしい」

 

 魔力の匂い。魔術師はそれぞれ魔術回路を用いて魔力を術式に変換して行使している。ラィカオンはその匂いを頼りに遙々日本までやって来たというのだ。執念深いを超越して尊敬さえする。

 

 それほどまでに憎くて堪らないのだろう、自身に恐怖を植え付けた荒耶宗蓮という存在が。決して諦めはしないだろう。彼を放置すれば尋常ではない被害が出る。それは防がなくてはならない。

 

 玄霧は心の内で苦笑う。つくづく甘くなったものだ、と。浅神藤乃という少女に影響を受けたのか無関係のものに被害が及ぶのを許容しない。玄霧が魔術師としてではなく人間として過ごしていたからだろう。昔の自分ではあり得ない。

 

「なるほど。では彼は荒耶の痕跡を見つけることができないというわけですね。ならばどうして私を?」

 

「念の為だ。おまえの統一言語で私の存在を隠してもらう」

 

 ───ああ、なるほど。統一言語ならばいかに幻獣種といえど見つけることは不可能だ。実に合理的だ。電話越しの言霊では確実性に欠けるというものだ。

 

【あなた」「は」「みつからない】

 

 そう唱えた瞬間。荒耶はいなくなった。

 

 否、見えなくなっただけで実際は目の前にいるのだろう。しかし彼を見つけることはできなかった。

 

「ふむ。感謝する。ことが済めば解除を頼む。また此処で落ち合おう」

 

「分かりました。では荒耶も───!」

 

「む。どうした」

 

 玄霧は気づいてしまった。盲点に。

 

「───確認しますが、荒耶。ラィカオンは荒耶の魔力の匂いを追っているのですね?」

 

「そうだ。故に結界を───!」

 

 どうやら荒耶も気づいたようだ。

 

 

「……貴方が浅神君に贈った金剛の尼僧服は?」

 

 

 金剛の尼僧服。荒耶が藤乃に贈った魔術礼装。三重結界の一つ金剛結界を施している防御面に優れた戦闘服である。藤乃は事もあろうに尼僧服を礼園に持っていってしまった。

 

 ラィカオンは尼僧服の匂いを探し当て、礼園へ向かうだろう。

 

 そこに荒耶宗蓮はいないとは知らず。

 

 荒耶の顔に初めて焦燥が浮かぶ。玄霧には見えておらず、恐らく本人も気づいていないだろう。まさか己が人間らしい顔をするなんて。

 

「荒耶。これは火急の問題です。一刻も早くラィカオンを葬らなければ浅神君が危険です」

 

「いや、もう遅い……」

 

 荒耶は苦々しく言った。

 

「ラィカオンは既に首都に侵入している」

 

「なっ」

 

 ───絶句。戦慄が走る。

 

 ───浅神藤乃に危機が迫る。

 

 

               ☆   

 

 

 死徒ラィカオン=オーマ。「撃刎(げきふん)」の名を持つ魔術師。人狼の混血であり幻想種の残り香。

 

 ミツケタ。

 

 彼は耳元まで大きく広がった口で獰猛に嗤った。

 

 礼園女学院に災厄が訪れる。

   




   
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