【凍結】麻賀禮(まがれ) 作:あらやだ
不定期更新
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「えっ。荒耶さんに会って来たんですか?」
「はい。実は藤乃さんが仮眠している際に玄霧さんという方からお電話がありまして尼僧服を手直しするから持ってきてほしい、と。ですので規則上外に出ることのできない藤乃さんの代わりに私が行っておきました」
「ああ……尼僧服が見当たらないと思ったらそういうことだったんですか。でも助かりました。今のサイズだと少し窮屈に感じていたので」
「それは腰回りりりりりりりりりり」
「失礼ですね。胸囲がきつくなったんです」
藤乃はアヒル座りで膝の上に乗せていたラトナの頬袋を摘まんで横に伸ばす。わたわたと前足を動かして抵抗しているが子犬形態のため為すがままにされている。まるで餅のように伸縮性のある頬袋に和んでしまう。
漸く解放されたラトナは前足で顔をぐしぐしと掻きながら恨めしそうに藤乃を見上げる。見上げられた藤乃にとってその動作は軽く涙ぐみながらの上目遣いはこの上ない可愛らしさのため逆効果だった。再びラトナの頬袋が餅になる。
「それで尼僧服の修繕はいつ頃になるんでしょうか?」
「うう、来月には渡せると言ってました、いたたた……」
来月。五月には中間考査が控えているが現在の学力を以てすれば解らない問題は無かった。伊達に缶詰めにされていた訳ではない。藤乃は勉強会を懐かしんだ。
だというのに消灯延期してまで自習をしてしまうのはいやはや日々の習慣というのは恐ろしいもので、勉強をしないと落ち着かなくなる体になってしまった。もしかして勉強中毒かな。
「そうですか。でしたら何も問題ありませんね。当分のトレーニングは基礎鍛練でいきます」
「ああ。回転の技術と螺子巻拳でしたっけ? とんでもない代物ですよね。魔術師でもないただの人間が生み出した技術とは思えません」
めちゃくちゃ痛かったですし、と訴えるラトナに聞こえないふりをする藤乃。それに痛かったとは言ってもダメージというダメージを与えられていないのでラトナの異常性を再認識する。彼女が本気を出したなら勝てる見込みはあるのだろうか?
ルゥ=ベオウルフと同等とはいかないだろうが。下手なサーヴァントならひとりで御せるだろう。それも完封というかたちで。
膝の上の毛玉を見下ろすと涎を垂らして寝落ちしていた。ちょっとちょっと誇り高き森の人よ、即堕ちですか。飼い慣らされたイエイヌのようにだらけた表情のラトナはとても幸せそうだ。
……パジャマ洗わなきゃ。
ラトナをベッドに移して新しいパジャマに着替えて寝た。
礼園での生活も早一週間。ここでの生活もだいぶ慣れたもので佳織たちだけでなくクラスメイトたちとも交流を深めていた。勉学に対しても運動に対しても群を抜きそつなくこなす藤乃。藤乃はあっという間に礼園の人気者になり部活動の勧誘をひっきりなしに受けていて辟易していた。
才色兼備、眉目秀麗、秀外恵中、容姿端麗。
これらが藤乃に対する世間の評価である。スタートダッシュをロケットスタートで切り出した藤乃は瞬く間に礼園女学院のトップカーストに君臨した。後の中間考査は全教科満点。成績として学年一位を取ることになる。
やるならば徹底的に。藤乃は結果オーライと言わんばかりに好成績を叩きだし不動の頂点として永劫、礼園に語り継がれることになる。
「もう五月だねー。はあ、中間考査いやだなー」
「まだ二週間もありますし諦めるのは早計ですよ。試験範囲が終わるのが考査の前日の教科があるので厳しいところもあるかもしれませんが」
「うわあ……数学苦手なんだよね」
「公式を理解できれば大丈夫ですよ。でしたら自習時間のときに予習しましょう。お手伝いします」
「ほんとに? 藤乃ちゃんが教えてくれるならできる気がしてきたよっ」
……気がしただけで終わらないでほしい。
ホームルーム後の休み時間。藤乃は佳織と談笑していた。次の授業は移動教室がないので時間の余裕がある。藤乃にとって礼園の授業は主に以前習ったことの復習なので気持ち的に楽だが、周囲の人間はかなり切羽詰まっていた。
橘佳織もそのうちのひとりである。理数系がやや不得意な傾向にある佳織にとって新しい公式とは巨大な壁であり険しい道だった。ようやく覚えた公式も試験では応用問題が出たため通用せず、新しい公式が出てきたら匙を投げるくらいだ。
問題を解きながら授業を受けることが一番効率がいいのだが、佳織の苦手意識をどうにかしないことにはなんともいえない。数学は公式を覚えるだけでは応用問題で躓いてしまうものだからだ。
……玄霧先生の受け売りですけど。
事実その通りである。そのまま解らないままにしておくのは論外。苦手なものは克服しなければならない。後悔したくないなら尚のこと。
(ちょっとスパルタ式でいこうかな)
楽しみだなあ、と佳織はにこにこしているが自習時間には笑顔なんて消え失せることになることをまだ知らない。藤乃の云う「ちょっと」とは
なお藤乃に悪気はこれっぽっちもなく、玄霧皐月を基準で考えているためである。憐れなり佳織。
「とりあえず百問くらいでいいですよね?」
「えっ」
☆
「佳織さん」
「──────────」
「かーおーりーさーんー」
「──────────」
「へんじがない……ただのしかばねのようだ……」
「いきてるよお」
自習時間。予告通りに藤乃のスパルタ式数学講習が開かれたのだが案の定というか、佳織は感情の抜け落ちた顔でノートに突っ伏していた。解かれた問題の数は百問中の二十問。五分の一しかできていない。
しかも正解している数は十問もない。藤乃は佳織の数学嫌いを軽くみていたが予想以上に酷かった。しかし途中式をみる限りでは惜しい箇所があるので地頭の良さが伺える。
……これなら間に合いそうですね。
「分かりました。中間考査までにその数学嫌いを治しましょう」
「えっ」
「もう一ヶ月もありませんが、自習時間はわたしが責任を持って数学を教えましょう」
「いや、えっ?」
「ご心配なく。佳織さんが数学で平均点以上を取れるよう全力で教鞭を振るわせてもらいます。ふふふ、スパルタ教師ってやつですね」
「……………………………………………………」
「がんばりましょうね」
「アッハイ」
そのやり取りを聞いていた他の生徒たちは心の中で佳織にお祈りを捧げていた。なぜなら藤乃は新たにもう百問もの問題用紙を用意していたからである。佳織は助けを求めて周囲を見渡すがみんなさっと顔を背ける。
どうか、あの子に幸あらんことを───アーメン。
自習室で藤乃と佳織以外、同じことを思っていた。
───時を同じくして、荒耶パパもとい荒耶宗蓮はというと。
「これは、派手にやりましたね」
「……」
玄霧皐月の手当てを受けていた。手当てといっても統一言語により怪我そのものを治すという方法だ。ゴドーワード様々である。
あとは凄惨なことになっている地形の手入れだが肉体労働に向いていない玄霧は見学して荒耶に任せていた。適材適所というやつである。
「焼失してしまった仏舎利についてはどうしようもありませんが、それ以外でお身体に異状は?」
「皆無。片鱗もない」
それはよかった、と玄霧は笑った。
急な呼び出しに驚いた玄霧だったが思いの外元気そうな荒耶をみて安心していた。死徒と殺し合って無事で済むとは思っていなかったからだ。荒れ果てた公園で仏頂面で胡座を組んでいた荒耶を見つけてすぐに認識を改めたが。
───それにしても。
「まさかラィカオン───いえ、ラトナでしたね。彼───ああ、彼女でしたか。浅神君のところにいるとは」
「……」
「死徒としての衝動を克服しているとはいえ、些か危険なのではありませんか? もしも浅神君に万が一のことがあったなら」
「……」
「名を与えた───つまりは浅神君は知ってか知らずか主従の契約を交わしてしまったということ。それを礼園という魔術師ではない人間の多い場所に居させるのは」
「問題ない」
「はい?」
荒耶は結界術で地面を均しながら答える。
「あそこは奴を封じこめる檻だ。魔術協会や聖堂教会の手の届かない礼園は奴にとっては身を隠す絶好の隠れ家だろう。それと同時に逃げることのできない監獄でもあるがな」
「それは……」
「それに忌々しい話だが私では奴を討滅することは出来ん。無論。藤乃でもだ」
「……」
浅神藤乃でも倒すことのできない化物。
それだけでラトナの異常性が分かる。
「私としても不安要素である奴を排したいところではあるが手札がない以上、どうも仕様がない」
「黙認、ですか」
重々しく頷く荒耶。彼にとっても苦い決断だったのだろう。計画に支障が出ることを良しとしない荒耶の最良の英断だろう。
少なくとも藤乃と共にいる間は今回のように外には出ない……はずだ。未だ埋葬機関に動きがないとはいえ愚を犯す彼女ではないだろう。しばらくは大人しくしていると信じたい。
主君の藤乃、従者のラトナ。
片や花園、片や虫籠。
……どうして厄介事に自ら飛び込んでいくのでしょう。
胃痛の要因が倍になったことで胃薬を服用する回数が増えた玄霧だった。
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