【凍結】麻賀禮(まがれ)   作:あらやだ

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三廻り 夢の影/現の光
一捻り


   

 五月下旬。試験が終わって数日後の朝。一部の学生にとっては今後の進路を左右する中間考査の結果が廊下に張り出されていた。藤乃とその友人の成績と順位はこうだった。

 

   1位 浅神藤乃 500点

 

   6位 星宮金星(ゆうづつ) 479点

 

   28位 橘佳織 406点

 

   66位 鹿羽(ほむら) 231点

 

 予定調和というか藤乃が当たり前のように満点を叩き出していた。本人は予想通りといった表情で掲示物を眺めている。だが実際のところ満点を取れるとは思っていなかったので心中では両手を挙げて喜んでいた。

 

 金星は思っていた点数よりも低かったのか地団駄を踏んで悔しがっていたがそれに付き添う炎はそんな金星を宥めていて成績なんて関係ないとばかりに掲示物を見ようともしていなかった。いや、一科目50点以下は不味いので少し危機感を持った方がいいと思うが。

 

「ふふふふじ、ふじ、ふじのちゃ、ちゃちゃちゃん」

 

「どうしたんですか佳織さん。そんなに揺すらないでください」

 

 佳織は興奮状態といった具合に後ろから藤乃の肩を掴んで全力で前後に揺すっている。頭がぐわんぐわんと激しく振るわれて首が痛そうだ。それと同時に胸がたぷんたぷんと上下して苦しそうだった。

 

 何人かの生徒が自分の胸と見比べてひどく落胆している。試験の良し悪しよりも体型の良し悪しの方が気になる年頃らしい。金星もこの光景を見て平坦な胸をぺたぺたと触ってひとり傷ついていた

 

「私いままで五十位以内に入ったことなんてなかったよ! これも藤乃ちゃんのおかげだよ! ありがとう!」

 

「いえいえ、これは佳織さんが努力した結果ですよ。わたしはそれの手助けをしたに過ぎません。あの地獄のような問題を前によくぞ逃げ出さずに戦ったと褒めたいくらいです。わたしはもう勘弁ですが」

 

「えっ。藤乃ちゃんでもきついことを私にさせたの!?」

 

「はい。荒療治というやつです。というかもう揺するのやめていただいてよろしいでしょうか」

 

 肩から手を離してもらいようやく静止する藤乃。首をゆっくりと回してストレッチする。ヘッドバンギングしたみたいに僧帽筋が痛い。入念に首回りをほぐす。

 

「ふぅ。いい成績を修められたと喜ぶのは構いませんがこれで満足してはいけません。期末考査に向けての勉強をしなければ───」

 

「あー! そろそろホームルーム始まっちゃうね。教室に戻ろう」

 

 無理矢理な話題転換。でもたしかに教室に戻った方がいい時間帯だ。言いたいことはあるがまた今度でいいだろう。金星と炎たちも引き連れ教室に向けて歩く。

 

 すると。ばったり迦南(かなん)先生と鉢合わせた。普段通り口にスティックシュガーを咥えながら。先頭を歩いていた佳織が代表して挨拶をする。

 

「おはようございます。迦南先生」

 

「おはよ。四人とも。試験結果は確認した?」

 

「はい」

 

「そ。ならいいや。あー、向上心を持って頑張りましょう、と」

 

「棒読みじゃないですか……」

 

「いいんだって。勉強も大事だけどもっと大事なことだってあるんだからさ」

 

「大事なこと? それは───」

 

「それは自分で見つけるものだよ。さ。教室に入りな」

 

 迦南先生に続いて教室に入る。

 

 教室の生徒はまだ全員はいなかったが半数以上が席に着いていた。まあいいか、と迦南先生は手を叩いてみんなを注目させる。

 

「はい注目。先週から礼園に新しい教員が入ったんだが」

 

 ……この時期に新しい教員? と藤乃は(いぶか)しむ。

 

「そこでみんなに守ってもらいたいことがあるんだが」

 

 ……守ってもらいたいこと? 佳織は首を傾げた。

 

 

「そいつには───近づくな」

 

 

 え、と教室の誰もが口から溢した。

 

「うまく説明できないけどヤバいやつだ。私と美沙夜は反対したんだが理事長の鶴の一声で採用されることになった。他のみんなにも伝えてあげてほしい」

 

 ……………………………………………………。

 

 理事長の鶴の一声で採用される?

 

(っ!)

 

 藤乃はまさか、と最悪の予想をした。

 

(そんな莫迦なこと。だってそれは佳織たちが高校生になってからのはず……いくらなんでも早すぎる)

 

 『忘却録音』での諸悪の根元。

 

 礼園女学院始まって以来の不祥事を仕出かした男。

 

 理事長の弟でありヤクザそのもののクズ人間。

 

 ───葉山英雄が礼園に来たのだと。

 

 

               ☆   

 

 

「……」

 

「藤乃ちゃん?」

 

「……」

 

「ふーじーのーちゃーんー」

 

 何度目かの呼び掛けでようやく意識を現実に戻す。時間はもうすぐで正午になってしまう。午前中の記憶が一切ない。それほどまでに切羽詰まっている。

 

 ……囮捜査として、わたしを餌に手を出したところを正当防衛という形で完膚無きまでに捩じ伏せるのが手っ取り早いのですがそう簡単にことが運ぶのでしょうか。

 

「大丈夫? そろそろ食堂に向かわない?」

 

「ええ。行きましょうか」

 

 兎に角。被害が出る前に手を打たなくてはならない。もしも誰かが被害に遭ってしまったら───

 

(わたしはわたしを止められなくなってしまう)

 

 武術を学び、魔術を学んだ。藤乃が本気を出さずとも並大抵の人間なんて簡単に殺すことができる。だが殺さない。廃墟での出来事もそうだが藤乃は絶妙な手加減により全員生かしている。

 

 道徳的観念から殺人はいけないというのも理由はであるが、それが一番の理由ではなかった。本当の理由は。

 

(『人は一生に一度しか人を殺せない』か……)

 

 劇中で出てきた言葉。人は一人分の死しか背負えない。だから誰かを殺してしまったら自分の死は背負えないのだ。永遠に、人間として死ぬことができない。

 

 たったひとつの殺人(いのち)を大切にしなければならない。

 

 藤乃はたったひとつ与えられたいのちのために誰も殺さない。自分の死のためにずっと守り続けるのだ。

 

「ごちそうさまでした」

 

「え?」

 

 ふと我に返るとすでに食堂に到着していて、昼食のカルボナーラを食べ終わっていた。

 

 ……しまった。また無意識。まったく味わって食べてませんでした。今日のカルボナーラを楽しみにしてたのに……。

 

 肩を落として落ち込む藤乃。パスタ料理のレパートリーを増やすいい機会だったのに。とぼとぼと返却口まで進んでいく。

 

 

 食堂から午後一の国史学科がある視聴覚室に向かっている二人。教室に戻らずそのまま直行しているため周りの生徒はほとんどいない。まだお昼休みを満喫しているだろう。

 

「全然大丈夫じゃなさそうだよ? 具合悪いの?」

 

「いえ、そういうわけではないのですが……。なんというか、考え事をしてまして」

 

「考え事?」

 

「今朝、迦南先生の言っていた」

 

「ああ、新人教員に近づかないようにって言う?」

 

「はい……」

 

 ホームルームの前に藤乃のクラスでは認識の統一が行われ全員が件の教師に近づかないようにしていた。そして他のクラスの子たちにも情報提供している。

 

 おかげでまだ被害報告は出てこないが時間の問題だろう。持ち堪えている今のうちに作戦を実行しないと。

 

(まあ、短慮にならず熟慮して行動しませんと、あとで痛いしっぺ返しを食らうのは嫌ですし───)

 

 

「ちょっと離してください!」

 

 

 ───ああ、フラグ回収がはやい。

 

「今の声って……」

 

「あっちからです。行きましょう」

 

 人気のない西階段の方から生徒の声がした。藤乃は走った。脇目も振らずに全力で。途中、佳織が転んでしまったのを気づかずに。

 

 階段を二階分駆け上がり人影を前に立ち止まった。

 

「何をなさっているのですか?」

 

「!?」

 

「よ、よかったあ……」

 

 葉山英雄。生徒に手を出すのみならず援助交際させて金を稼いでいた外道。悪い人類に決定、死刑。

 

 その葉山に腕を掴まれてまん丸の目に涙を溜めている生徒。ちょっとぼさぼさ髪の子犬系の少女。

 

(あれ、この子どこかで───)

 

「はあ、はあ……。藤乃ちゃん、待って……はあ、はあ」

 

 遅れて佳織がやって来た。急に走り出したため追い付けずに歩いてきたようだ。藤乃はそんな佳織に気が緩みそうになるが雑念を払って葉山を睨み付ける。

 

「何でもねえよ。こいつに音楽室の備品の整理を手伝ってもらおうとしただけだ」

 

「ち、違います! この人がむりやり音楽室に連れ込もうとしたんです!」

 

 汝、罪あり(YE GUILTY)。拳に力が入る。

 

 ……まだです。正当防衛になるには向こうから先に手を出してこなければ。もう少しだけ我慢しないと。

 

「───お手伝いならその子じゃなくても構いませんよね。わたしが代わりに備品の整理をします」

 

「ちょっ、藤乃ちゃん!?」

 

 手を出してこないなら出しやすい状況を作り出すしかない。葉山のことだ。暴力に物を言わせて脅迫するに違いないと藤乃は予想した。どう出る───?

 

 葉山はにやりと笑うと生徒の手を離して音楽室の扉を開けた。

 

「ああ、構わない。備品の数が多いからなぁ、早いとこ片付けちまいたいんだ」

 

 ばたん。葉山が音楽室の中に消えた。

 

 それに続こうと音楽室のドアノブに手を掛ける。

 

「だめっ!」

 

 先ほどの生徒が通せん坊する。藤乃のことを心配してくれているのだろう。わたわたと落ち着きがない様子。

 

「あ、あのですねっ……! 音楽室に入ったらあなた、襲われちゃう! 男はみんな狼だっていうけどそんなんじゃなくてもっと野蛮というか、昼ドラの犯人くらい悪辣というか!」

 

「───瀬尾、静音さん?」

 

 ……思い出した。この子犬っぽい感じはきっとそうだ。

 

 予測系の未来視能力者であり無意識に未来を予測演算する。限定的な「ラプラスの悪魔」の体現者。

 

 アトラス院の錬金術師が行っている思考分割・高速思考の究極といっていいほど高度な情報処理能力。なお本人ははっきりと理解していないため宝の持ち腐れだが。

 

「えっ。なんで浅神さんが私の名前を知ってるの?」

 

「そういう瀬尾さんこそ」

 

「だって、浅神さんって有名人じゃないですか。勉強も運動もできる淑女って感じで───って、だから入ったらだめなんですってば!」

 

「ですが、葉山先生を待たせていますし」

 

「大丈夫! むしろ中から開けられないように鎖かなんかで閉じ込めちゃいましょう! あとは寮監さんに連絡を───」

 

 ……なるほど。瀬尾さんはわたしが葉山に襲われる未来を視たみたいですね。だから何としてでもわたしを音楽室に入れないように説得している。とても優しい子。でもごめんなさい。

 

「でしたら瀬尾さん。待っていますので寮監を呼びに行ってもらえますか?」

 

「う、うん。わかった。絶対中に入っちゃだめだから、絶対だから───!」

 

 どたどたと走り去っていく静音。ふりかな?

 

 さて、と今度こそ開けようとドアノブに手を掛ける。

 

「え!? 開けちゃうの?! 待っててって言ってたよ?!」

 

「戻ってくる前に()()()てしまうので大丈夫です。お昼休みが終わっても出てこない時は迦南先生に報告してください」

 

「でも……」

 

「では、いってきます」

 

 何か言いたげな佳織だが小さく頷いてくれた。待ってくれるようだ。理解はするけど納得はしてないといった様子だが。

 

 ぎい。今度こそ本当に扉を開けた。

 

 

「遅かったな。帰ったと思ったぜ」

 

「まさか、少しお話していただけですよ」

 

「それにしては長かったが?」

 

「うふふ。女の子のお話はとても長いんですよ」

 

 葉山はピアノに腰かけていた。藤乃が入ったことを確認すると側にあった段ボールを抱えて入り口近くまで運び出した。

 

 音楽室にはたしかに楽譜やらメトロノームやらが詰まった段ボールがいくつもあった。だけど整理するほどでもない。納入されたばかりの備品だが予備と書かれているのでそのまま倉庫に仕舞うものだろう。

 

 がちゃり。鍵のかかる音で振り向いた。

 

 葉山が入口の鍵をかけて更には重量物の段ボールを積み重ねて出られないように細工していた。

 

「───何のつもりですか」

 

「くく、決まってるだろ」

 

 後ずさる藤乃に対して葉山は早足で近寄った。

 

 どん。突き飛ばされた藤乃は長机の上に倒れた。すかさず葉山は藤乃に覆い被さり顔を近づける。両腕を掴んで拘束する。

 

「おまえが余所でべらべら喋らないようにしてやる!」

 

 下卑た表情で奴は告げる。

 

 服の上から藤乃の豊かな胸を乱暴に掴む。自分が有利であると信じて疑わないのか開き直ったのかあるいは考えなしの阿呆なのか。葉山は藤乃を犯そうとしている。

 

 視線をずらすと股間の膨らみから勃起しているのが見えた。下衆ここに極まれり。いくら発育がいいからといって中学生に劣情を抱くなんて嘆かわしい。

 

 長机の上に押し倒されている藤乃は眉ひとつ動かさずただただ冷やかな視線を向けた。

 

「退いてください。こんなことをしたら本当に取り返しがつきませんよ。逮捕されてもいいのですか?」

 

「そんなのおまえたちがバラさないように首輪を付けとけばいいだけだろうが。お前の次はあのノロマだ」

 

「……ノロマ。わたしの大切な友人に酷いことをするつもりなんですか」

 

「ああそうだ。まずはおまえから───」

 

 

(まが)れ」

 

 

 ぼとり。葉山の首が捻り切れる。

 

「ぁ───ぇ───?」

 

 ことはなく。その隣の譜面台が鉄屑になった。

 

 何が起きたのか分からない葉山は口をパクパクと開閉している。

 

(まが)れ」

 

 葉山の後ろのホワイトボードが粗大ゴミになった。飛び散った破片が葉山の耳を掠め血が流れた。

 

「な、、え、、、は?!」

 

 藤乃から距離を取り後退る葉山。

 

 次々と自分の周りの物が壊れることに恐怖する。分かっていることは目の前にいる少女───藤乃が何かをしているということだけだった。

 

 得体の知れない少女にたじろぐ。

 

 飛び退くようにして藤乃から距離を取った。次に壊されるのは自分かもしれないという懸念があるからだ。

 

 ゆらり。藤乃は起き上がり机から下りて地に足を着く。そしてその目は葉山の全貌を捉えていた。

 

 ───歪曲の魔眼が。

 

「できることなら穏便に済ませたかったのですが。やむを得ません。少しばかり痛い目をみてもらいます───ああご心配なさらず。()()()()()()()ので」

 

「、、ひ、ひ、、ひぃぃいいい……!!」

 

 いくら叫ぼうが完全防音の音楽室では外部に音など漏れはしない。吹奏楽部の演奏は今まで一度たりとも騒音被害を出していないことからも吸音、防音、遮音の性能が高いことを証明している。

 

 ご丁寧に自分から鍵までしっかりと掛けた葉山は逃げることなどできるはずもなかった。

 

 

「──────────!?」

 

 

 断末魔の叫び。だが死んではいない。死ぬほど痛い目に遭ってはいるが死んではいない。たぶん。男性器を千切れない程度にねじ曲げただけであって命に別状はないはずだ。

 

 男であれば思わず股間を押さえてしまう。睾丸が縮こまるだろう。もっとも藤乃も手加減はしっかりしたし宣言通り殺す気など更々なかったので罰はこれでお仕舞いだ。

 

 確かに、原作では佳織をはじめとした礼園の生徒たちに売春行為をさせて佳織を自殺に追いやった人物だがその事件はいま、未然に防ぐことができた。故にこれ以上はただの私怨になる。

 

 藤乃は頑なに理性を律していた。本音をいえば二度と立ち上がらぬように脊椎をねじ曲げようと思っていた。物理的に。拳で。

 

 それをしなかったのは藤乃の持つ善性か。必要以上の罰を与えられるほど立派な人間ではないし神様でもない。そう考えてのことだった。

 

 軽蔑した目で見下す。顔面を歪めて涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。ズボンから湯気が出ているので失禁したのだろう。藤乃は葉山を一瞥すると鍵を開けた。

 

 

 音楽室から出ると盛大なハグで迎えられた。役得である。そこに寮監を連れてきた静音がやって来た。あらかじめ用意していたでっち上げ話を伝えて警察に通報してもらった。このことはすぐに黄路家の耳に入り葉山を非正規に雇用した理事長は事実上の退任、近々新しい理事長が就くこととなる。

 

 音楽室については問題なし。ラトナにお願いして壊れてしまった譜面台とホワイトボードは元に戻してもらった。余談だが音楽室に入った瞬間に失禁の臭いで吐きそうになったのだとか。吐かなくて本当によかった。

 

 葉山は無事に警察に引き渡された。調べれば調べるほど犯罪への関与が出てきたとかでそのまま逮捕となったらしい。風の噂で聞いた話によると女性不信になったとかで怯えているという。特に───黒い長髪の少女に対して。

 

 そして何処からともなく都市伝説「ねじ曲げ女」に罪を犯した男性の局部をねじ切って去勢するという詳細が付け加えられた。

 

 静音は音楽室に入ったことに対してかなり怒っていたが藤乃が無事撃退したと聞いて安心していた。その後、しばしば遊びに行くほどの仲になったという。

 

 

 ───かくして『忘却録音』の物語を丸っと潰した藤乃だが、新たな問題が浮上していた。

 

 

「あ。美沙夜さん」

 

「っ!」

 

 廊下で美沙夜とばったり会ったがこちらに気づくとそそくさと逃げるように去ってしまった。一度だけではない。次の日も次の日も、そのまた次の日も美沙夜は藤乃を避け続けていた。

 

 どうしたというのだろう。避けられる心当たりがまったくない。美沙夜の性格上、真っ先に心配して駆けつけるものだと思ったがどうやら違ったみたいだ。まあ、身内の理事長が責任を取って退任することになったから忙しいだけかもしれないが。

 

 等と考えているうちに時が流れた。

 

「……どうして?」

 

「げ、元気だして藤乃ちゃん。黄路先輩は何か事情があるんだよ。うん。きっとそうだよっ」

 

「……ここ数週間ずっとなのですが?」

 

「そ、それは」

 

「うう」

 

 膝から崩れ落ちる藤乃を宥める佳織。今朝、佳織と美沙夜がお話しているところに遭遇して交ざろうとしたのだが用事を思い出しましたわ、と足早に去ってしまった。

 

 ……おかしい。自分は何か嫌われることをしてしまっただろうか。自分の胸に聞いてみるが柔らかいだけで答えは得られなかった。このまま訳も分からず無視されるのは性に合わないし気に入らない。よろしい。ならば強硬手段だ。

 

(なんとしてでも()()してみせる!)

 

 こうなってしまった以上、止めようがない。佳織はふんすと息巻いている藤乃に不安を抱かずにはいられなかった。

 

 

               ☆   

 

 

「何なんですの何なんですの何なんですの!?」

 

「……!」

 

 翌日のお昼休み。美沙夜を見つけた瞬間にスタンディングスタートで走り出す藤乃。それに気づいて逃げ出す美沙夜。追うものと追われるもの。まるでトムとジェリーや銭形とルパンのような鬼ごっこだ。二人とも優等生という仮面を忘れて廊下を激走している。

 

 教師陣やシスターからの制止を振り切って窓から飛び降り、階段を滑り降り、教室を突っ切り、礼拝堂を駆け抜け、森を突破した。

 

 ───かれこれ三十分ほど経った。

 

 辿り着いたのは木造の旧校舎。やはりというか美沙夜の体力の方が限界になり息も絶え絶えといった様子で呼吸を整えている。美沙夜がごほごほと咳き込んでいるのに対し、流石山育ちといったところか藤乃は呼吸を乱しもせずけろりとしている。

 

 校舎の壁に手を付けている美沙夜。労るように背中をさする藤乃だが美沙夜は差し伸べられた手を振り向き様に払い除けた。きょとんとする藤乃とバツが悪そうに顔をしかめる美沙夜。

 

「放してもらえるかしら、浅神さん」

 

「いやです。わたしの話を聞いてくださるまで放しません」

 

 再び逃げようとする美沙夜の手を掴んで逃げられないようにしている。振りほどこうと抵抗するが指の力だけで胡桃を割ることができる藤乃から逃げることは不可能だった。

 

 見つめ合う二人。藤乃は目をそらさずにいるが美沙夜は後ろめたいように目を背けてしまう。そして観念したようにはあ、とため息を吐くと困り顔で笑った。

 

「もう逃げないわ。だから放して頂戴」

 

 結構痛いんですのよ、と涙目で掴まれた腕をさする美沙夜。

 

 ……どうやら力加減を間違えてしまったようだ。ごめんなさい、と深々とお辞儀をする。きっと痣になってしまうだろうから。

 

 ……………………………………………………。

 

 冗談はさて置いて。本題に入る。

 

「───浅神さん」

 

「はい」

 

 今度は美沙夜が深々とお辞儀をした。そして藤乃の目を真っ直ぐに受け止めて語り出す。

 

「この度は黄路の不手際によって浅神さんに多大なるご迷惑と不行儀をお掛けしてしまったことを深くお詫び申し上げます。本当にすみませんでした」

 

「あー……」

 

 黄路家の耳に入った、つまり黄路家の後継者たる黄路美沙夜が知らない道理などなかったのだ。もう一度深々と頭を垂れている美沙夜を前にどうしたものかと唸る藤乃。

 

(困ります……)

 

 美沙夜に詫び言を述べられても断罪は終わっているのでもう気にはしていないのだが何と言えば納得してくれるだろうか。

 

「美沙夜さん。面を上げてください」

 

 恐る恐るといった様子で顔を上げる美沙夜。その表情は不安。赦されないのではないかという危惧があるのだろう。葉山が悪いのであって美沙夜はちっとも悪くないというのに。

 

「大丈夫ですよ。わたしは気にしてませんから」

 

「そんな嘘よ。無理矢理に乱暴されそうになったと聞きました。本当は恐かったでしょう。自分よりも一回り大きな男性に組み伏せられたのですから」

 

「え、ええ」

 

 ……いいえ。まったく恐くありませんでした。

 

「理事長の独断で採用された葉山先生───いえ、葉山英雄は生徒たちを使って援助交際をさせようと計画していたとの供述がありました。それで手始めに浅神さんを襲った、と」

 

「……」

 

「教員になる前にも色々とやっていたようで罪状は更に増えるとのことです。もう私たちの前に現れることはないでしょう」

 

「……」

 

 こちらを安心させようと事の顛末を語る美沙夜だが、本人はどこか落ち着きのない様子だ。まるで伝えたいことが別にあるような。

 

 自嘲そして決意。黄路の養女としての仮面を取り払った。

 

「───佳織から連絡を受けたときは言葉が出なかったわ。浅神さんが葉山に襲われたと聞いて耳を疑ったもの。そして心配したわ。もし浅神さんに万が一のことがあったら、と。私は自分を赦せなかったでしょう」

 

「美沙夜さんは悪くないじゃないですか」

 

「いいえ。理事長が葉山を採用すると言ったときにもっと強く反対していればこのようなことにはならなかったでしょう。あんな碌でなしを礼園に入れさせることも」

 

「そんなことは」

 

 あのときああしていればこうやれてたなら。もしもの話をしたら堂々巡りだ。永遠に自分を罰し続けてしまう。真面目も過ぎてしまえばただの頑固。石頭だ。

 

(美沙夜さんは黄路家の責任を感じて謝罪している。ならばこの話を終わらせるためには───これしかない!)

 

「美沙夜さんっ」

 

 きゃあ、と可愛らしい声で驚く美沙夜。それもそのはず。藤乃は美沙夜を抱擁しているのだから。不意打ちを食らって目が点になる彼女をお構いなしにぎゅうと力を強める。

 

「大丈夫。わたしは無事です。美沙夜さんは自分を傷つける必要なんてないんです。たらればの話なんて言い出したら切りがないでしょう? だからもういいんです。わたしといるときくらいはこのまま黄路の次女としてではなくあざとく女の子らしい先輩でいてくれませんか?」

 

 しっとりとした声色。耳元で囁くように告げる。

 

 優しくてとっても甘い。癒しの声で。

 

「───はあ。これではどちらが慰めているのか分からないでしょう。ここは嘘でもいいからか弱い乙女らしく恐がる演技をしなさいな。まったく。貴女っていつもこうなのね。本当に困った後輩を持ったものだわ」

 

「美沙夜さんっ」

 

「あっこらどこを触っていますの! そこは脇腹ですっ。何を残念そうな顔をしてっ。嫌味なのね! そうなのね! これ見よがしに胸を押し付けるんじゃなくてよ───自重なさい!」

 

 こつん。軽いチョップをもらった藤乃。抱擁から逃れた美沙夜はまったくと独りごちて制服の乱れを直している。

 

「……困った後輩だわ」

 

「褒め言葉と受け取っておきます。それに美沙夜さんとは上級生と下級生の関係だけでは嫌なので」

 

「あら。姉妹の約束でも交わすのかしら? それなら先約がいるからお断りさせてもらうわ。あの子、怒らせるとすごいのよ」

 

「残念です。でしたらお友だちからお願いします」

 

「私たち───もうお友だちでしょう?」

 

 うふふ、と笑い合う二人。

 

 取り越し苦労だったのか和解はすぐにできた。

 

 

 ───問題なのは後始末だ。

 

 

「もう午後の部が始まっている時間ね」

 

「というかもう二部目の科目に移っていますね」

 

「私、いままで淑女として振る舞ってきましたの」

 

「奇遇ですね。わたしも蝶よ花よと育てられました」

 

「嘘仰い。こんなお転婆娘がいるものですか」

 

「失礼ですよ。たしかにちょっぴりお茶目かもしれませんが」

 

「これ、ちょっぴりで済ませていい程度なのかしら?」

 

 哀愁。空を見上げて現実逃避気味に話す二人。

 

 縦横無尽に暴れ回ったのだ。事後処理もそうだが何よりも風評が気になって仕方がない。礼園女学院の有名人二人が起こした授業放棄(ボイコット)は大問題だろう。言い訳を考えなくては。

 

 いや───後のことはその時に考えよう。

 

 反省はしているけど後悔はしていない。

 

 この行動は間違いなんかじゃないと言い切れるからだ。隣にいる美沙夜を見てそう思った藤乃。あのままずっとすれ違いをしていたらどっちとも辛い思いをしていたはずだ。他の人にはたくさん迷惑をかけただろうけど。

 

 ふと目があって笑ってしまう二人。

 

「さて、そろそろ戻るとしましょう」

 

「そうですね。帰りましょうか」

 

 

 旧校舎を後にして学舎に向かう。無断欠課した二人はきっとお叱りを受けるだろう。それは確実で当たり前のことだ。でも二人は恐くなんてなかった。やっては駄目なことだけどこれはやって良かったことでもあるからだ。

 

 矛盾している。理屈ではない。あのまま追いかけていなければ仲直りできなかった。だからこの選択肢は正しかったと思う。そう胸を張って思えるから。

 

(……ありがとう、浅神さん。この埋め合わせはきっちりお返ししますわ。黄路としてではなく私個人として、友人として)

 

 美沙夜は隣を歩く藤乃に心から感謝した。時々先輩を先輩と思わない言動が目立つが大切な後輩だ。そして友人だ。

 

 なんて恥ずかしくて本人に直接伝えられないが美沙夜は本心からそう思っていた。呑気に鼻唄を歌いながら歩く藤乃には聞かせられない台詞だ。

 

(まったく、本当に困った子だわ……)

 

 

 当然、教師陣とシスターからお叱りを受けた二人。

 

 礼園の模範となるべき黄路の娘と優等生の代表格といえる浅上家のご令嬢はそれはそれは怒られたという。

 

 停学措置とまではいかなかったものの罰則としてしばらくの間シスターの手伝いをすることに。もともと敬虔なクリスチャンである美沙夜は特に問題はなかったが荒耶の影響で密教かぶれの藤乃は見よう見まねで行っていた。

 

 藤乃は覚束ない様子だったが見ていられなくなった美沙夜に手取り足取り教えられてなんとか上手くいっていた。

 

 佳織をはじめとした友人たちはその光景を遠くから見守っていた。鬼ごっこを開始したときはどうなることかと思ったが、結果としていい方向に向かったのだと知ることができた。

 

 これからもあの二人はお互いに切磋琢磨しあい礼園の双璧として語り継がれるだろう。

 

 ……いい意味でも、悪い意味でも。

 

 

               ☆   

 

 

 丑三つ時。二人が去った旧校舎。

 

 その中からぽうと青白い光が灯っている。

 

 でも誰も気づいてはいなかった。

 

 その光はまるでウィルオウィスプ。

 

 古くから伝わる魔物のようだった。

 

 




 
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