――――水面に揺れる木の葉のように。薄暗く、温かな"何か"に包まれて揺蕩い、
『愛しい子』
柔らかな、女性のものとおぼしき声が響いた。さわりさわりと、"何か"を隔てた向こう側で動いた気配がする。それに答えるように未熟な足のようなものでとん、と"何か"を蹴る真似をしてやれば、喜色ばんだ声音で女性が笑う。
『元気な子だねぇ』
きゃらきゃらという幼い少女のような笑い声。その声を聞きながら
『あなたは私と私の旦那様、どちらに似るんだろうね』
ここが、母の腹の
それから半年が経とうとする頃、第4次聖杯戦争の終結間もなく、
「生まれてきてくれてありがとう、貴方の名前は――――」
■■という。
― ― ― ― ―
「キリツグー、置いてっちゃうよー」
そんな声が屋敷の中に響き渡る。冬の様相をまだ残す町に駆り出すために、コートを羽織った少女が玄関先で父親を待っていた。
「今行くよ、イリヤ」
小さな姫君の声に答えるように、奥から草臥れたトレンチコートを着た男が現れる。その横に、赤銅色の髪と琥珀色の瞳を持った少年が、表情を削ぎ落とした顔で寄り添っていた。
「シロウも行くの?」
「ああ、そうだよ。アイリは、舞弥と留守番をしているってさ」
「そっかー、じゃあお土産買ってこないと!ねー、シロウ?」
「……ん、ねぇちゃん」
「――――!」
少年はほんの小さな笑みを浮かべ、少女は心の底から嬉しいと言わんばかりに破願一笑し、その様子を目にした男は人知れずこの幸せを噛み締める。
――――こんな日が、来るなんて。
助けを求める
――――世界の恒久的平和を願っていた。
そんな願いが霞んで見えるほど、今の生活が輝いている。この輝きを失うことは出来ず、自らの手で壊す決断力も、勇気も、冷徹さも、今の男の中には既に存在していなかった。……魔術師殺しは既に、その牙を折られてしまっていた。
「行ってらっしゃい、お気を付けて」
「子供たちをよろしくね、キリツグ」
「ああ、行ってくるよ」
二人の女性に見送られ、両手を子供達の手と繋ぐ。慎ましいこの幸せが、これからもずっと続いてほしい。そう願う男の顔は穏やかだった。
― ― ― ― ―
「――――まさか、とは思いましたが」
顎に手を当てそう呟いた現当主は、孫に当たる赤子を抱いた息子に視線を投げる。その視線に含まれた意図を図りかねた息子は首を傾げ、眉間に深いシワを刻んだ己の父親を見つめた。魔術の副作用で色が抜けたという白い髪、代々家系的に浅黒い肌、そして抜き身の刀を思わせる鋭い眼差しを持つ。それが結木家当主、結木時貞である。
「薄々感じていたことでしたが、こう現実になると、存外動揺するものですね。私の代で
眉間にシワこそ刻まれど、言葉とは裏腹にあまり動揺しているようには見えない。しかし、息子の貞雪も時貞の言葉で漸く事態を把握したようだった。
「それでは、この子は」
「ええ、間違いなく。優秀な
赤子を抱く腕が強張り、貞雪は大きく目を見開く。魔術師の家に在りながら、その才を一切持たずにいた自分の子が、よもや魔術師の業を背負って生まれてくるなどと。誰が予想できただろう、妙に勘の鋭い父ですら、生まれた赤子の姿を見るまで、想像すらしていなかったというのに。
「そ、れは……」
「心穏やかではいられないでしょうが、これは事実です。この子の身には、私をも越える魔力が宿っている……他の者の手に渡れば悪用されかねない」
それほど危険なのだと、時貞は言う。けれど貞雪はそれを信じることが出来なかった。魔術回路を持たぬ身ゆえ、腕の中にある温もりが、ただ平凡なものとしか思えない。だが、時貞の言葉に偽りはないのだろう。今までこんなにも深刻な表情をした父を見たことがなかった。ただ茫然と腕の中の我が子を見つめ、貞雪は呟く。
「神はこの子に、何を望んでいるだ……」
― ―
――――それから4年が経つ。利発な子供は、歳不相応な成長をもって周囲を驚かせた。特に根源に至ることに熱心な一族の者にすわ天才だ、すわ神童だなどと持て囃されながらも、子供は決して驕らずただ淡々と魔術を研鑽した。それが己に出来る唯一だとでも言うように。
「――――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
そして、運命の
「
水銀で描かれた魔法陣の中央に立ち、拙いながらも朗々と詠唱する子供がいる。それを見守る祖父時貞の目は厳しく、父貞雪は内心穏やかでなく、しかしそれを顔に出さずにいた。
「―――――
カチリ、と時計の長針が真上を示す。時は逢魔が時、子供の魔力が最も高まる瞬間だ。日が差し込むべき窓の類いは一切無く、壁に飾られた燭台に点された僅かな灯りのみが彼らを照らしていた。
「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
淡い色合いの魔力の奔流が子供の周囲を渦巻き、それに呼応して魔法陣が赤い光を灯す。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
顔を覆いたくなるような、鋭い光が迸る。暴風にも似た風が、怒涛の勢いで吹き抜けていった。そして、静寂が満ちる。かつり、と何かが地下室の石畳を叩く音が大きく響いた。
「ふ……ふふははははは!!」
そこにいたのは、神代に生きた人類最古の王。豪奢な鎧を纏い、高らかに笑いながら彼は言う。
「相性などと言う目にも見えぬ曖昧なもので、よくもまあこの
否、と子供は言う。圧倒的な存在を前にして臆することなく、
「――――自分自身だ。自分自身の可能性に挑むため、僕は貴方を喚び寄せた」
そう宣った。
これは、7組のマスターとサーヴァントが聖杯を求め戦う物語ではない。
これは、14組のマスターとサーヴァント達が集う大戦の物語でもない。
――――これは、異端な少年とその導き手たる王、
そして、少年に絶対の忠誠を誓い、溢れ返るほどの愛を捧げた一人の赤枝の騎士の物語である。
物語はzeroから始まり、Grand Orderで事結ぶ。