僕は、人が傷つくのが嫌いだ。厳密には、人が目の前で傷つくのが。その傷口を見るのが。
父も、嫌いだった。よく僕に『俺は人が傷つくのが嫌いだ、傷を見るのも嫌だ、だから、傷をみたらすぐ治したくなる。その為にわざわざ軍医になったんだ』と言っていた。僕にも、その考え方が移った。のだと、思う。
因みにその父は、もういない。死んだ。
父は、軍医だった。その中でも、最前線に出張って最前線の兵の応急処置をする、そういうタイプの軍医だった。この国では『戦闘軍医』と呼ばれている。普通軍医と言えば、司令官なんかと一緒に軍の後方の司令部とかにいて、そこに運ばれてきた負傷兵を治療する。ただ、それじゃ間に合わない時もある。
例えば、最前線で戦っている間にアキレス腱を切ったら?足の骨を折って、その場から動けなくなったら?
勿論、右も左も自分の命を懸けて相手の命を奪っている最中だから、その兵1人の為に手を休めて遥か後ろの軍医の所まで運ぶ暇はない。負傷兵は、その場で目の前の敵に殺されるだろう。
『戦闘軍医』は、そういう時の為にいる。他の兵と共に最前線まで出て、自分も身にかかる火の粉を払いながら仲間の負傷を見つけてその場凌ぎの回復
をーー骨折の治癒、腱の修繕ーーなどなど、その兵が前線を撤退するのに最低限必要な回復をする。『身にかかる火の粉を払いながら』というくらいだから、『戦闘軍医』自身も戦いに参加する。そこが一般の軍医と大きく違う所だ。
敵兵を殺しながら味方を救う。それが『戦闘軍医』の職務。
父はその『戦闘軍医』で、職務中に、つまり戦闘しながら仲間を回復しようとしてる内に殺された。
大体、無理のある話だったのだ。
『戦いながら』、『味方を回復する』というのは、かなりの綱渡り仕事だ。
敵兵と剣を交わしながら、あろうことかその目の前の敵兵から目を逸らして味方の回復をする。
正直、論外だと思う。
正面から、真剣に渡りあっても怪我人、死者が出る。なのに、他のことに気を配りながら、注意力を分散させながら戦おうなんて。
早晩死ぬに決まってる。父は、軍歴十五年で死んだ。
でも、必要だから、ある程度の戦果を挙げているから、毎年20人程が『戦闘軍医』として就役する。
僕も、今年度23人就役した『戦闘軍医』の中の1人だ。
自慢じゃないが、職務柄医療技術と戦闘技術の両方が要求される『戦闘軍医』に抜擢された23人の中でも、僕はかなり成績の良い方だと自負している。
その自負が軍上層部に伝わったのか。
『戦闘軍医』は各部隊に最低でも1人ずつ配備される。僕は数多ある部隊の中でも、とびきり色んな意味でハード、様々な意味でシビア、諸々な意味でグロテスクな部隊に配備された。
本当、えげつなくてグロテスクで、残酷な部隊だ。
僕はそこで、色んな人と会った。
色んな否定と会った。
色んな肯定と会った。
色んな葛藤と会った。
色んな苦悩と会った。
色んな絶望と会った。
色んな希望と会った。
色んな泥沼と会った。
色んな凄絶と会った。
色んな光明を見出して。
色んな陰影を見出して。
色んな考えを持って。
色んな考えを聞いて。
色んな行動を取って。
色んな行動を取られて。
色んな感情を渡して。
色んな感情を受け取った。
でも、渡しても受け取っても、考えても考えさせられても、
ただ、僕の目の前で人が傷ついてダメージを受けて半狂乱になって泣いて叫んで喚いて暴れて助けを求めて救いを求めて助けられなくて救われない。
神なんていなくて仏なんていなくて聖人君子なんていなくて救済者なんていなくているのは出撃命令だけで、暴走命令だけ。
そんな、遍く僕の嫌いな、僕の苦手な光景だけは、細かい経緯も紆余曲折も抜きで目の前に迫って来た。バッドエンドを引き連れて。
だから、これだけは、細かい経緯も紆余曲折も抜きに、先に決めた。
僕はこの話を、ハッピーエンドにする。
僕の望む、僕の考えるハッピーエンドに、してみせる。
スモル央國は、もとは大陸全土を手中に収めんばかりの大国だったらしい。少なくとも父が少年だった頃は、そうだった。と、父は言っていた。毎日王宮の門をくぐる他国の王。毎日監獄の門をくぐる他国の兵。そんな光景が当たり前だったらしい。
『この大陸』のほぼ全土を掌握したスモル央國の次なる敵は、『東の大陸』だった。
全兵力の三分のニに当たる、150万の兵を送った。結果としては、惨敗だった。
スモル央國の繁栄を支えてきたのは、陸海空ある軍隊の内、専ら陸軍だったという。歩兵が、騎馬隊が、一番の強みだった。
彼らは、『この大陸』の覇者として『東の大陸』に送られてーー壊滅した。
所詮は、井の中の蛙だった、ってことなのだろう。
『この大陸』には平野が多い。だから騎馬隊も、跳梁跋扈できる。歩兵も、行軍に使う体力を減らして、戦闘に全力を尽くせる。
『東の大陸』には山や谷が多い。だから平野気分で跳梁跋扈しようとした騎馬隊は自ら谷底へ落ちた。戦闘気分で山を勇んで昇降した歩兵はいざ戦闘になる頃には体力を使い切り、戦う体力も無いまま死んだ。
海軍、空軍はそこまで地形の影響を受けなかったという。でも、主力たる陸軍の壊滅により、結果としてスモル央國は惨敗した。
敗走する味方。追撃する敵兵。
凱旋どころか命からがら逃げ帰ってきた海軍空軍を追いかけるように、スモル央國が戦争を仕掛けた相手国、『右隣の大陸』のビガー大国が『この大陸』に侵攻を開始した。その他大小諸々の国々を引き連れて。
元々、スモル央國は広大な国土を全兵力の半数をもって守備していた。それを、3分の1の兵力で全方位から攻撃を仕掛ける敵国から守り抜くことなんて出来るわけもなく。
現在、スモル央國の国土は全盛期の12分の1。人口は20分の1。東にはビガー大国、西にはスモル央國から独立したペンデンツ王国。北はヴィガー大国について来たテンダント台国。南はスモル央國もとうとう征服成し得なかった『猛獣地区』と呼ばれる原生林。
それぞれがスモル央國の倍以上の国力を持っていて、それぞれが積年の恨みを晴らすべくスモル央國に圧力をかけている。僅かに残っていた兵力の、更に10分の1を失った現スモル央國は、もう風前の灯火。後はどの大国に頭を下げるか決めるだけ。
そんな時、一筋の光明が差した。
圧倒的な戦力差、それを覆すに足るかも知れない、そんな光明が、スモル央國にもたらされた。
きっかけは、城下町で起きた、一種の暴動だった。
通報を受け、取り押さえに行った憲兵は、そこで暴れ回る1人の少女と、彼女の腰にしがみついたまま振り回されている少年を見た。少年は、時々地面に頭をぶつけたり、少女に殴られたりしていた。
少年の身の安全の為にもと、憲兵は急いで走り寄った。走り寄って、少女の腕を掴んでーー吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた憲兵も、なにがなんだか分からなかっただろう。間違っても、訓練を受けた大の男が、年端もいかない少女に力で負ける訳もない。はずだ。
もう1人の憲兵が、同僚に起きた事態に困惑しつつ、取り敢えず押さえようとする。
今度は、もう少し分かり易かった。
少女に向けて伸ばされた手。その手に向かいその少女は牙を剥いたーー歯を剥いた。
「う……うぐわぁぁぁぁ!?」
切り飛ばされた憲兵の指が宙を舞う。
のたうちまわる憲兵の声が宙を舞う。
暴動は、少女自身が力尽きるまで続いた。
「ーーで、その時暴れまくってたウォーアさんに、ずっとしがみついてたのが、僕です」
「そ、そうなの、イズリィ君が……。あ、いや、なんかホント、ごめんなさい」
「あー、まぁあれは僕が好きでやったことだから別にいいんですけど」
以上は、スモル國陸軍第13部隊の部隊室での自己紹介タイムより抜粋。まさかの再会だった。
僕は、このスモル國陸軍の『戦闘軍医』として志願して、見事合格、この第13部隊に配属された。配属されて、今日で2ヶ月目になる。
第13部隊。隊員数は6。男女比1:1。
ウォーア、ピースペア。
ペスィミス、アプティミスペア。
ペイン、イズリィペア。
の、6人構成。ウォーアさんが一番の古株で、初代虎の子。僕にとって馴染み深い人でもあった。
更に言うなら、風前のともし火だったスモル央國に注がれた、一滴の油。突如として現れた光明を預かる、スモル央國陸軍の虎の子。
そう称される部隊に、僕は配属された。
ただ、何故第13部隊が虎の子なのか、僕は全く知らない。何故なら、僕が配属されてこの方2ヶ月間、第13部隊は戦闘を一切していないから。敵国が襲ってくることもなかったし、国内の暴動は憲兵の管轄だし。つまり第13部隊の出番もなく、じゃあ何をしていたかと言うとーー
「あー!イズリィ、キミまた私のおやつ盗ったでしょー!」
「ん?なんの話?」
「だ、か、らっ!私がとっといたクッキーの話!惚けないで!」
「知らんね」
「ダウト!」
「証拠を出し給え証拠を」
「その、口元についてる、全粒粉らしき、粉は、な、ん、で、す、か!」
「これはまぁあれだよ、自分へのご褒美だよ」
「誤魔化さないで!それ、私のでしょ?!」
「そもそも、これは僕が買ってきたものだよ?」
「キミが、私の誕生日に買ってくれたものでしょうが!」
「じゃあいいじゃん。どうせ払いは僕持ちだ」
「そーゆー問題じゃないの!」
ーーとまあこんな具合で、ほのぼのした生活を送っていた。軍隊なのに訓練することもない。最初は僕もそれが不思議で上官に尋ねたのだけど、『お前らは訓練をすると実戦で使えなくなる』と言われた。意味が分からない。
ただ僕は、この部隊に於いて〈パートナー〉となる人と仲良くなって置けばいいらしい。先輩に当たる(そして初代スモル央國の光明にも当たる)ウォーアさんがそう言っていた。
なんでも、この部隊では、〈パートナー〉同士の仲が、とても大事らしい。
〈パートナー〉というのは、この部隊に配属されたその日のうちに決められた、戦場でも日常でも行動を共にする2人組のこと。僕の場合、ペインという18歳の少女と〈パートナー〉になった。『同い年同士、仲良くしましょう』なんて言って手を差し出してきた辺り、かなり明るいタイプの人だ。
まぁ確かに、明るい人だし、接しやすいのも確かだけど……。
「あーもう、今日という今度こそは絶対に許さない!」
「それをいうなら、『今日という今日こそは』の方が自然じゃない?又は、『今度という今度こそは』とか」
「そこ!揚げ足取らない!ほんっとイズリィ、性格悪い!」
「そういうペインは?確かに僕は性格が悪いかも知れない。でも悪さ繋がりで言うなら、君の寝相は、どうなのさ?」
「う……、それはまぁ、認めるけどさ……」
「なにを?」
「う……だから、そのぉ……」
「『だから』だけじゃ分からないよ」
「……その……、寝相が、悪いってこと、を……」
「ん?なんて?聞こえない」
「あーもうっ!すいませんでした!私の寝相も悪いですー!」
「よしよし、それでよし」
「……ん?ていうかイズリィ、論点ズラしてない?」
「あ、バレた?」
………普段はこんなことしてるだけだからなぁ……。
仲が良いのか悪いのか。
因みに、さっき寝相の話が槍玉に上がったのは、僕とペインが、同じ部屋で寝泊まりしてるから。〈パートナー〉同士は常に一緒。それは部屋分けにも適応される。僕としても、妙齢の女性と同じ部屋というのは避けたかったのだけど、2ヶ月もすれば流石に慣れた。それに、ペイン自身が余りそういうのを意識させない人だし。
この辺は、かなり平和だ。軍隊なのに。
でも、僕は今ひとつ、安心出来ない。
そもそも、軍隊に18歳の少女がいる段階で、もうおかしい。同じ部隊の一年上の先輩も女性だし、というか暴れてたのを僕がしがみついて止めようとした人だし。
それに、1番の懸案事項は、他にある。
なんで、軍隊なのに訓練がないのか。
戦闘に参加するんじゃないのか。
上官は『訓練すると実戦で使えなくなる』といっていたけど、そもそも実戦で使えるようにする為の訓練じゃないのか?どうにも、おかしい。
一応、この疑問を〈パートナー〉であるところのペインにもいってみたけど、『んー?』とか『そうなの?へー、初耳』とか、そんな能天気な返答しか返ってこなかった。聞いた僕が馬鹿だった。
実戦経験があるらしいウォーアさん(さっきからウォーアさんの名前しか出てこないのは、ウォーアさんが一番声をかけやすいから)に聞いても、
「んー、君はまだ、知らない方が良いかな。というか、その時になって知るだけで充分だと思うよ」
と返されるだけだった。
「……やっぱり、おかしいんだよなぁ……」
「ん?キミ、まだそのこと気にしてるの?」
気が付いたら、隣のベッドの上で跳ねてたはずのペインが僕のベッドに腰掛けていた。口に出してたらしい。
「んー、まぁね」
ペインは、あはっと笑う。そういう表情だけは、かなり可愛らしい。
「まー確かに気になるけどさー、私だって多分戦うんだし。でも、軍の命令としてこんな感じでのんびりしろっていわれてるんだし。なんだかんだ悩んだってしょうがないんだし、今は、気ままにやろうよ」
「それもそうだよなぁ」
確かに、今ここで何を考えても仕方ない。せいぜい、この束の間の安息を、楽しむことぐらいしか、僕に出来ることはない。
「………よし、ペイン」
「ん?」
「枕投げでもしようか」
出撃命令が下った。
配属されて3ヶ月半にして、とうとう第13部隊に出撃命令が下った。
スモル央國の南に位置する、鬱蒼な原生林、通称『猛獣地区』。
そこには、文字通り桁違いの殺傷能力と殺意を備えた獣と呼ばれる生物が住んでいる。国土の北端に住んでいる人でさえその名前を知っている程、スモル央國はその獣達に被害を被っている。
襲ってくる理由はよく分かっていない。ただ、獣にとってスモル央國は生息範囲拡大の障害となっているから、それで襲ってくるのだろうという説が有力だ。僕も、軍での研修中そう教わった。
その獣が、再びスモル央國に牙を剥いた。既に南部の村2つが壊滅状態らしい。その村を警護していた憲兵隊はそもそも安否不明、怪我人の人数も計測不可能、送り込んだ陸軍300人も今ではすっかり音信不通。そんな状況らしい。
陸軍上層部は一般兵での撃退は不可能と判断、虎の子部隊であるところの第13部隊に討伐隊として白羽の矢が立った。
これが、僕とペインの初陣になる。
初陣がこんなデタラメな状況を作り出している犯人というのは、正直物凄いぞっとしない。
しかも、まともな戦略要綱さえも知らされていない。
僕はペインの側にいて、死なないようただひたすら回復するだけ。ペインに至っては、『最前線にいろ』としか言われていない。
流石のペインも不安を覚えているらしい。件の村に向かう馬車の中、ずっと僕に引っ付いたままだった(文字通り、僕の左腕にずっとしがみついていた)。
本来なら『大丈夫だよ』の一言でも掛けるのが筋なのかも知れないけど、その獣がどれだけの破壊力を持つのか、どれだけ獰猛なのか、それすらも知らない。支給されたスタンダードなタイプな鎧と剣でどこまで戦えるのか、全く分からない今、迂闊なことは言いたくなかった。
スタンダードな鎧と剣と言えば、ペインは確かに鎧と片手剣だけの装備だけど、僕はもう1つ支給されている。
僕は研修段階で、片手剣術、砲術、棒術の3つを習得した。と言うより、入隊する以前から、その3つは得意分野だった。だから、僕には片手剣に加え、小型銃も支給されている。弾数は8だから、そこそこ高性能のタイプ。
頭と胴、籠手に脛に合金製の簡易防具、左腰に片手剣、右腰に拳銃。左腕には小型の盾。鉄製の棒も渡されたけど、流石に嵩張るので宿舎に置いてきた。
これが、僕の装備。後は、お守りとして小型のダガーナイフを盾の裏側に仕込んでいる。これは、父が昔使っていたもので、父が戦死した時遺骨や軍服と一緒に送られてきたものを、僕が入隊する時に貰った。
「……まあ、側にウォーアさんとかペスィミスさんとかもいるんだし、大丈夫じゃないかな。君が死なないようにする為に、僕が回復役としているんだし」
今現在確定していることを根拠に、申し訳程度に励ましてみた。それだけでもそれなりに応えたようで、しがみついたままのペインが二回、かくかくと頷いた。……ところで、戦場にいったらちゃんと左腕解放してくれるんだろうね。このままだと小型銃と盾の2つが使えない。
そこの所ちゃんと言っておいた方がいいか、ああでも今言うと不安を増長させるだけになるかと悩んでいるうちに、馬車が止まった。荷台の扉が開けられる。
「着きました」
御者の言葉に合わせて、1番扉寄りに座っていたウォーアさんとピースさん、続いてペスィミスさんとアプティミスさんが降りる。僕らは1番扉から遠いところにいるから、降りるのは1番後になる。
「…………………っ」
すぐ側でペインが息を吸った。
僕も吸った。
扉の外、僅かに見えた地面は、一面灰色だった。
ウォーアさん達は見慣れているのか、特にリアクションを取ることもなく淡々と馬車を降りて行く。僕らもいつまでも硬直している訳にもいかない。後に続いて降りる。ペインが腕を解放してくれた。代わりに、抱き枕を失ったその両腕は、口を塞ぐ為の蓋と化した。
「………………え?」
ま、そうなるよね。
僕も正直、かなり驚いてる。
さっき一面灰色に見えたのは、白っぽいものが地面を覆っていたからだった。足を少しすり動かせば、下から雑草が覗く。
地面を覆う白いものは、いまいち正体の掴みにくいものだった。ざっと見る限りでは。
ただ、よーくよーくみて見ると、その正体にも推測がつきやすい。
1つ1つを、かなり細かくなって、砂よりちょっと大きいくらいのサイズになったものをよく見ると、赤い斑点だったり、ペラペラの布らしきものが混じっていたりした。
「………………」
ペインには、この段階じゃあなにも分からないだろう。多分、分からない方がいい。僕は、職業柄、父の職業柄、もう大体察しがついてる。
もう少し歩くと、決定的証拠が見つかった。ペインにバレないように、そっと拾い上げて、鎧の下に着ている服のポケットに多少強引に捩じ込む。
ペインの気を地面から逸らす為、決定的証拠の裏付けを取る為、ウォーアさんに声をかける。
「ウォーアさん」
「ん?なに?」
ウォーアさんは、見慣れてでもいるのか地面を観察することもなくさっさと歩いていた。
「ここって、戦場だった所ですか?」
先輩は足を止めて、ぐるっと辺りを見回す。
引っ掻いたような痕を無数に残す、住居らしきもの。
えらく荒々しい断面の、切り株らしきもの。
不揃いに砕けて、散らばって、地面を覆う無数のーー人骨らしきもの。
それらを全部、一通り見回す。
「そうね、多分、ここが1番始めに襲われた所じゃないかしら。確か、憲兵隊の駐屯所も有ったはずよ」
「そうですか」道理で金属片が混ざってるわけだ。
じゃあ、今足元に敷き詰められてる白い物は、人骨の、更に打ち砕かれた破片なわけだ。さっき拾った歯は、ペインが訝しげに覗き込んでる金属片は、村人の、憲兵の、一部なわけだ。
「陸軍は、ここには来ましたか?」
「いいえ。もう少し先の村に行ってたはずよ」
ならそこでは、陸軍軍旗の切れ端が拝めることだろう。
「ねぇ、イズリィ、これ……なに?」
訝しげに眺めるだけじゃ飽き足らず、恐る恐る、拾い上げた金属片を差し出して来た。怯えるくらいなら拾わなければいいのに。
それに、知らない方がいいだろうな。
軍人だからって。
こんな所でノイローゼ起こしてもいいことはない。死亡確率が上がるだけだ。
「んー、僕にもよく分からないな。それより、早く行くよペイン。置いてかれるよ」
ペインの手からさりげなく金属片をはたき落として、2度となにかを拾い上げないようにその手を掴む。
先を歩くウォーアさん達に追いつくように、早足で歩く。
暫く無言で歩いていると、騒めきが聞こえてくるようになった。金属を打ち鳴らすような耳障りな音も聞こえて来た。
音信不通、安否不明の憲兵、陸軍がいるのかとも思ったけど、ちょっと回り道して小高い丘の上から音源を覗いてみたら、全然違った。
騒めきはただの喚き声だったし、金属音はただの破壊音だった。
どうやら、被害を受けた第3の村らしい。そして、援軍に出向いた300の陸軍の断末魔の場所でもあったらしい。
陸軍の軍旗が風塵と化す様を生で拝めた。
僕らが最初に降り立った、白骨世界の製造現場。ペインの目を塞ぐべきかと思ったときには、もう遅かった。ペインの口から、吐瀉物が、勢いなく垂れ流れる。
「………う………?」
呻き声をあげるくらいには状況を把握してるだろうに、それでも疑問形にしてしまう様が生々しい。
ペインを介抱する前に、僕も背後を流れる小川にこっそり吐いた。
殺戮シーン。丘の、すぐ下で。
骨が砕ける、人が砕ける。
肉が千切れる、人が千切れる。
血が飛び散る、人が飛び散る。
血が舞う。
骨の欠片が舞う。
肉片が舞う。
人の声は、人の息吹は、感じられない。
この光景、食後に見るのと食前に見るの、どっちが良いんだろ。
食後に見たら、普通に吐く。
食後に見たら、食欲消滅。
せめてもの救いは、好き嫌いは兎も角、こういう血とか肉とか骨とかを見慣れてたことか。
よかった、軍医の子供で。
ただ、ペインの方はそうもいかない。
訊けば、ペインはスモル央國北部の町工場の次女らしい。町工場の実態は知らないけど、精々が機械に巻き込まれて吹き飛んだ作業員の腕ぐらいしかみていないだろう。それすらも見ていないかもしれない。
どちらにせよ、そんな経験値じゃこの光景のダメージを受けきれない。軍医の子供の僕でも、かなり堪えるくらいなんだから。
今迄通ってきた白に覆われた地面。それは、今眼下で繰り広げられている光景に端を発しているらしい。
下で蠢く獣達が、人を、物を、ぶち壊して打ち砕いて蹴散らして食い散らかして、人が死体になって肉塊になって肉片になって骨格になって骨片になって風塵になるまで砕いた。
その砕かれた風塵達が敷かれた場所を、僕達は歩いてきた訳だ。
吐きそう。もう一度吐いてるのに、また吐きそう。
作業済みの灰色世界では目立たなかったけど、やはり製造過程ともなると、それなりに血が飛ぶものらしい。さっきそれが目立たなかったのは、乾いたり他のものになすりつけられたからに違いない。至る所から間欠泉宜しく血が噴き上がる。これで悲鳴なんてものが聞こえた日には気絶する自信があるけど、あそこにある声帯の中で機能を保っているのは襲撃した側のだけらしい。少し、救われた気分。
ただ、ひっきりなしにバキバキベリベリ音が響くものだから、ああ、あれは骨を砕いているんだな、さっきまでの光景もそうやって作られたものなんだなと一発で分かってしまう。ペインが
隣でクタッと膝を折った。再度左腕を抱き枕として提供する。
暫く、そんな調子で、第13部隊総出で破壊されゆく第3の村を眺めていた。
村の惨状を、ゆっくり噛み締めて、よく噛んで吟味するように。
骨の折れる様が、骨髄にまで浸透するように。
血の吹き上がる様を、身体中の血液に撹拌するように。
ウォーアさんは、無表情で眼下を見つめている。けど、心なし、眉の辺りが引きつっているようにも見える。
そのすぐ横では、ピースさんが眼下の惨状に眼もくれずウォーアさんの耳元でなにか囁いている。状況が状況じゃなかったら、愛を囁いてるんじゃないかと思うところだ。
僕のすぐ後ろにはペスィミスさん、アプティミスさんペアがいる筈で、なにしてるか見えないけど時々ペスィミスさんらしき悲鳴が、細切れに聞こえてくる。
ペインはというと、顔どころか手まで真っ白、全身真っ青。僕の腕に絡む両手は震えているし、へたり込んだまま立ち上がれそうにない。口の端から泡がのぞいている。
「…………………………」
これ、かなりヤバイんじゃない?
ハンカチで、取り敢えず口元の泡を拭う。全くの無反応。
ヤバイな………。
僕だって震えたり縋ったりしたいのに、震えられたり縋られたりする側になっちゃって、迂闊にそんなこと出来そうにない。
揃ってバテればいいんじゃないかと思い始めた辺りで、第13部隊の中で唯一〈パートナー〉を持たない隊員、まあ要するに部隊長、上官が、
『これ以上被害を拡大する訳にもいかん。スモル央國陸軍の虎の子として、直ちにあの悍ましき獣どもを殲滅する!総員、突撃!』
と高らかに威勢よく宣言した。
上官の台詞の途中で『これ以上の被害の拡大防止もなにも、すでに全滅じゃん、被害頭打ちじゃん』と内心突っ込んでしまう。謎のハイ状態だ。
当たり前だけど、威風堂々部隊旗を振るった上官はこの丘の上から動かない。動くのは、僕らと、先輩達だけ。
このままペインと一緒にへたり込んでても上官の叱責を受けるのは自明で、今更体調不良を理由に退避することはできないのも明白なので、半ば以上引き摺るようにして丘を下る。
そろそろ獣の姿がよく見えるようになってきた。獣がこちらに気付いて振り向いたのもあるけど。
人型だった。
獣とか呼称しているから、四足歩行だったり羽毛もちだったりしてるんじゃないかと思っていたけど、そうでもない。
普通に、人間似。
犬歯がやたら伸びていたり、髪の毛を引き摺っていたり、表情筋がピンピンに吊っていたり、爪が針と化していたり、羽毛も生えていない身体を泥と血でコーティングしていたり、呻いていたり口と思しき部位から透明な体液垂れ流していたりする以外は、そこら辺の街を歩いてる人と同じ。少なくともシルエットは。
あ、あともう1つ、相違点が。
異常に早い。
異常に強い。
異常に異常。
脚力が、腕力が、咀嚼力が。
殺意が、害意が、犯意が。
狂気が、瘴気が、殺気が。
襲い来る。僕に。ペインに。
「………………うっ!」
正面から、獣の中の一人が爪を突き入れてきた。
右手を空けていてよかった。
左腰の剣を抜いて防ぐ。刃こぼれなんて気にしていられない。若干、押し込まれる。足も繰り出して、なんとか押しのける。
「ーーぐっ!?」
ペインが不意に仰け反った。
左を見てみれば、背中から血を吹き出したペインが。
くっそ、後ろにも!
腰から小瓶を取り出す。剣を握ったままの右手だと、かなりやり難かった。
蓋を弾き飛ばして、中の液体をペインの背中に出来た傷口にぶちまける。
國内有数の再生能力を持った植物の細胞を、大陸内有数の活性化能力を持った動物の体液に混ぜ込んだ液体。傷口を塞ぐ為の応急薬。
かけた所から傷が塞がっていく。
一旦でてしまった血はどうしようもないが、それ以上の出血は防げた。
背中に回した右手を、目一杯振り抜く。飛び掛かってきた獣が二体、纏めて吹き飛ぶ。
代償として、剣が折れた。
「は!?」
叫んじゃった。
獣の爪に当たったのかどうしたのか知らないが、三体斬っただけで剣の方が折れるとは。どんな粗悪品だ。
仕方ない。
ペインを抱えたまま、力尽くで飛び退く。背後にいた獣を巻き込んだ。その爪が背中に食い込む感触。
知ったことか。
三歩ほど飛び退くと、背中に岩の感触が伝わった。ペインを背後の岩に寄りかからせるように下ろした。取りづらいけど、同時に右手で右腰の小型銃を抜いた。
ぶっ放す。リロードはしない。ただただ、8発、立て続けに。
獣8体の、それぞれの片目を潰す。なんなら脳にも到達してたかも知れない。五体程動かなくなった。
大分隙が出来た。
盾の中のダガーナイフを抜く。
お守りどころか、開始10分で実戦投入とは。頑張れ、お父さん。
ペインに向けられ開けられた口にナイフを突っ込む。そのまま切り上げて一体排除。
真上なら爪が振り下ろされた。
ナイフの峰でそれを受ける。最後の刃物だから、刃こぼれには気を付けないと。
あ。
爪を受けたはいいけど、押し返せない。
その間に右から三体目の犬歯が迫る。間に合わない。
間に合わなーー
綺麗な手が、代わりに受けた。真っ白な手の平を、歯が押し潰そうとする。
「ひぐっ!」
左隣から悲鳴が聞こえた。
ペインだ。
ペインの手の平だ。
正気に返ったのはいいけど、その結果がこれじゃあ、その結果が自己犠牲じゃ、どうしようもないな。
「ーーくそがっ!」
ナイフを退かして、出来た隙間に頭を突っ込む。間違いなく頭皮が破れた。
退かしたナイフは、そのまま右の獣に。
ナイフの切れ味が良くてよかった。
一切りで鎮圧出来た。
「悠長にしてる暇はないかーー!」
使いたくなかったけど。
人道支援の為に、環境破壊。
背中に手を回して、1番取りにくい位置にある瓶をとる。小瓶どころか、大瓶サイズ。
栓を弾き飛ばす暇もない。地面に叩きつけてその代わりにする。
煙が満ちた。
大陸内有数の荒野を覆う大陸内有数の有害煙。荒野の源。死の源。
人も等しく死んでしまうので、ペインの鼻と口、あと目を塞ぐ。僕自身のはまぁ、後で解毒薬でも飲めばいいや。
目を閉じて呼吸を閉じること10秒。
二、三回攻撃を受けた。その感触も、すぐに消える。
目を開けてみる。
軒並み倒れていた。
獣どころかさっき間違えて踏み潰した野花も、真っ茶色。
「………ふぅ」
ちゃんと効いたらしい。
でも、かなり遠くの方に、ちゃんと残りの獣の姿が見える。すぐにこっちにくる。
でも、かなりの隙だ。
小型銃をリロードして、頭皮と背中の傷治して。ペインの全身にいつの間にか出来てた傷も治して。
あー、忙しい忙しい。
そう言えば。
ウォーアさん達、どこ行った?
「くっ……、やっぱり数が多い…!」
ダガーナイフを振るう。時々隙間を縫うように5発目の弾丸を放つ。
ダガーはリーチがないし、遠心力を使った威力の増加も望めないから、的確に相手の弱点に当てないとだし、立て続けに来るから銃をリロードする暇もない。8発しか撃てない。
どう考えてもジリ貧だ。
場所は変わらず、大岩の側。
後ろにある程度回復させたペインを寝かせて、ペインに襲いかかる獣と戦っている。もう何体目だろう。
倒せど斃せど獣はやってくる。時々背後からもやってくる。
ペインはまだ辛うじて無傷だけど、僕の方はと言えば、失血量は知れず、折れた骨の数は計測不可、疲労は計測放棄。
「……どーすっか、な!」
正面の獣の首を横殴りに斬りつける。
刃が首を半分くらい断ち切った所で強引に引き抜く。悠長に切断してる暇はない。
人間と同じ赤い血が噴き出すことに謎の感慨を覚えつつ、状況打破の算段を寝る
「………………………」
そんなの、ある訳なかった。
算段を寝る筈の思考回路が横滑りする。
そもそも、こんなところに女性を、戦闘訓練さえも未経験の女性を派遣する時点でもうおかしい。男性にも戦闘訓練はしていないし。現にペインは戦闘開始前から戦闘不能、ウォーアさんとかピースさんとか、他の13部隊隊員は安否不明。僕も早晩死ぬときてる。
でも今迄にウォーアさん達が戦闘に参加する機会はあった筈だし、そうだとしたらあの人達は生き残る術を知ってるのかも知れない。死ぬのは新米隊員の僕達だけか。
……いや、それすらも違うかも知れない。
ウォーアさん達は、運良く今迄生き延びていただけかも知れない。
なんの訓練もしていない素人が、最前線に飛び込んで生還する確率。恐ろしく低い筈のその確率を、偶々潜り抜けてきた人が、ウォーアさん達であるというだけかも知れない。
……いや、それも違うな。
そんな素人団体が、國の虎の子になる訳がない。
訳が分からない。分からないけど、少なくとも僕は、ここで死ぬな。死ぬ間際に見た光景が、ペインの血じゃないことを祈ろう。善処しよう。
「ぐあっ!」
やっぱり、戦いながらながら考え事するのは良くないな。
気が付いたら、左手が獣の口の中にすっぽり収まっていた。
痛みが脳に伝わる前にその獣を切り捨てる。
視界にこそ入らなかったけど、なんとなく頭上に獣がいるなと思ったから、左下から右上へ、後先考えずに思いっきり切り上げた。案の定手応えが。
と。
そのタイミングで、痛みを痛感する。
「ぐうっ、うっ……!い、痛え!痛えぇぇぇ!」
涙が止まらない。視界が揺らぐ。不味い。敵も味方も分からなくなる。
ゴシゴシ目を拭う。拭っても、後から後から湧いてくる。余り効果ない。
でも。
ほんのすこし覗いた視界の中に。
駆け寄って飛び寄って忍び寄る獣が、ざっと20体。
「………ははっ」終わりだな、もう。
初陣で戦士。ありがちなパターンだ。
でも。でもさ。
「なんなんだよ!こんな無茶苦茶な戦闘は!誰なんだよ!こんな無謀な采配した奴は!訓練なしでこんな所にほっぽり出すなんて、なんなんだよっ!」
来る。獣が。来る来る、速い疾い。
「………ホント、なんだよ、これ」
「………教えて上げようか?……」
「はっ?!」
耳元で、声が。
右を振り向いても、誰もいない。左に振り向くと、ペスィミスさんがいた。
いつの間に。
振り向いた時、視界の隅にペインが入った。久々に見た気がする。後、アプティミスさんも。
「ペスィミスさん、なんでここに……?教えるってーーって、アプティミスさん?」
僕の質問にペスィミスさんが答える前に、アプティミスさんが動いた。
目を閉じているペインの襟首を片手で掴んで、持ち上げて。
「ちょ、ちょっと何をーー」
聴きながらも、どこかで察していた。
アプティミスさんがなにをするつもりなのか。
片手で持ち上げて、振りかぶって、そしてきっとーー
「ーーアプティミスさん!?」
ペインを、空高く放り投げる。
集団を成してやってくる獣、その集団の真っ只中に、ペインが落ちる。
「くそっ!」
取り敢えず走りだす。態勢は、走りながら整える。
走るのに邪魔だから、剣と銃は破棄。
腰の鞄から大瓶を2つ取り出す。
ペインはもう半ば以上獣の中に突っ込んでいる。獣も、それに気付いている。蹴散らすよりも回復を優先しないと、ペインが死ぬ………!
どすっ。
ペインの着地音が聞こえた。
同時に。
「あっ!あっ、うっ、うぎいっ!ひっ、ひっ、ひぃ痛い!痛い!痛い!痛い!痛っんぎぃっ!ぁっ!ひっ、ひぐっ、ぎっ!んがっ、あっ、あぎぎいっ!はっ、ひっ、痛、痛!痛い、痛い、いっ、いぎんっ!痛いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」
ペインが傷付くのは、痛い。
ペインが苦痛を浴びるのは、辛い。
ペインが苦しむのは、苦しい。
ペインが絶望するのは、怖い。
ペインが悶絶するのは、悲しい。
ペインが死ぬのは、恐い。
痛い苦しい辛い怖い悲しい恐い辛い痛い苦しい悲しい怖い痛い恐い辛い苦しい悲しい辛い痛い怖い恐い痛い苦しい怖い悲しい辛い苦しい怖い痛い悲しい恐い苦しい悲しい辛い痛い怖い恐い痛い悲しい辛い怖い苦しい恐い痛い悲しい痛い辛い苦しい怖い悲しい辛い痛い恐い痛い苦しい辛い怖い悲しい怖い。
「んぁぁぁぁぁぁぁぉぁぁぁぁぁ!まぁぁてぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
早く!早く!早くペインの所に!手遅れに!なる前に!
獣の集団が近くなると、足を動かすのもまだるっこしくなった。
最後の大股5歩分は、膝へのダメージを考えずに踏み切った。跳ぶ。足を前に突き出して、獣数体をそれで文字通り蹴散らして、そこから脱出してーー
「ーーんがらっ!」
足を引かれた。
姿勢が崩れた。
顔から地面にダイブした。
急いで起き上がる。顔とか全身の痛みとか、そんなのは知らない。走り出そうまたつんのめる。
流石に振り向くと、ペスィミスさんが僕の右足首を掴んでいた。
「離して下さい!」
蹴り出した左足は、ペスィミスさんの左手が止めた。
「……依頼と同時に実力行使か……」
それがどうした。
「離して下さい!」
「……まぁまぁ、少し待ちな……」
左の拳は躱された。
「離して下さい!」
突き出した右手は、赤茶色の手がキャッチして捻り上げられて背負い投げされて地面に叩きつけられて絶息した所に鳩尾殴打。
「………………つぅ……」
なにも見えなくなる。
明らかにペスィミスのやったことじゃない。
獣だろう。その割には、武術に通じ過ぎてる気もするけど。
取り敢えず手を伸ばして、覆い被さる獣を殴りつける。全く効果が感じられなかった。
「……アプティミスの奴、こっちに来やがったか……!」
目は回復していない。ペスィミスさんの呟きと、迫り来る拳しか、五感が得られる情報がない。
疼痛の残る右手を拳の形にして、僕自身の顔の、すぐ上を横断させる。途中、いい感じに迫り来る拳とぶつかった。そのまま押し退ける。
背中を不自然に引きずりながら獣の下から這い出して、ペインの存在を思い出した。
悲鳴が聞こえないから、頭から抜けていた。
まさかーー。
さっきまでの記憶を辿りに足を踏み出飛んで来た赤茶色の塊に押し戻された。起き上げた体が、また横たわる。
吹っ飛んできた獣に押し倒されたらしい。その獣を放ってきたのは、「ペイン……生きてたか……」
倒れ臥す獣の群れ、その中央。
ペインは、ちゃんとそこに、自前の足で、立っていた。生きていた。
良かった。
ペインは、生きていた。五体満足だった。目が潰れていたり、指がかけたりもしていない。
よかった。
でも、ペインは真っ赤だ。あれだけリンチにされてたんだから当たり前だけど、血が。傷口が。
治さないと。
コケたりなんだり、結構僕の方も暴れてたけど、回復薬は死守してたから、まだ残ってる。ギリギリ足りるかな。
「ペイン、こっち来い。傷治そう」
周りに獣もいないし、落ち着いて回復出来そう……って、ん?
さっきの獣の群れは?
足を一歩踏み出したタイミングで、疑問が芽生えた。
芽生えた時には、足を踏み出していた。
もう、引き戻せない。
「!!!!、!!!!!」
「………………え?」
全身の感覚が消えた。
感覚が。感覚がない。
視界が。視界がない。
真っ暗だ。光が欲しい。
なにか固形物、縋れる物を掴みたくて、手を動かしてみる。見えないとはいえ手はある筈なのに、動かせてるのか、動かせてないのか、分からない。
あ、そうだ。目、目だ。目を開けてみよう。光が、入るかも知れない。手のあり方が分かるかも。
開けてみた。
あれだけ心配してたのに、あんなに恐れてたのに、案外呆気なく開いた。
ぶわっと、欲しかった光が入って来た。ちょ、流石にそこまでは要らない。眩しい。
一旦閉じて、また開く。
ペインの目があった。
「うおっ……とぉ」
びっくりしたー。
「大丈夫?」
ペインの声音の方が大丈夫じゃなさそうなんだけど。
「んー、と……」
どうにも見慣れない天井だと思ったら、医務室だったらしい。
僕達の部屋の壁は茶色。この部屋は白。
見慣れない訳だ。
怪我人が多く発生するからなのか、医務室とはいえペッドの数が多い。
ずらーっと部屋いっぱいに20台くらいのベッドが並んでいて、僕が寝てたのは一番端のベッドで、右を見れば墓地みたいにベッドが均一間隔で並んでいる。これもこれで壮観な気がするな。
「ねぇ、大丈夫?体、痛くない?」
「おっと、ごめんごめん」
ここがどこか確認するのにかまけてペインの事忘れてた。
取り敢えずは体を起こしてみる。手はちゃんと上半身を持ち上げるのを手伝ってくれて、少し安心した。さっきまで手があるのかどうか不安だったからね。
手でペタペタ触ったりして、自分で自分を診察する。
腰を痛めたりはしていない……指もちゃんと動く……足がちょっと引き攣る気がするけど、動くのに問題はない……五感もちゃんと機能してるし、「大体大丈夫そうかな」
「そう……本当?」
「疑ぐり深いなぁ。大丈夫だって。強いて言うなら足だけど……」
改めて足を揉んだり叩いたりしてみる。時々妙にピクピク痙攣してるのが気掛かりだけど、そのうち治りそうな気もする。厄介な感じが全然しない。
「足?足がどうしたの?」
なにもそこまで勢いこまなくてもいいのに。
「大丈夫だって。そのうち治るよ」
「そう……」
多少力で押し込んだ感はあるけど、納得はしてくれたようでなによりだ。
「というか、そういうペインの方はどうなんだ?結構傷負ってただろ?」
「うん……、私の方は、大丈夫だったけど……」
「どうかした?」
「え?」
「なんか、顔色悪いし。それに、」やけに後ろめたそうだし。
「いや、なんでもない。イズリィは気にしないでいいから。それよりほら、もう少し寝てた方がいいんじゃない?」
笑いながらもさりげなく話を打ち切りにかかるとは、実に怪しい。不自然に切れた僕の言葉にまるで反応しないあたりもそうだし。
まぁいいや。ペイン自体は大丈夫なんだし。死んでないんだし。
それに、戦闘疲れが溜まってる所に追い打ちをかけるのもよくない。
ここは素直に従っとこう。
「そうだね、もう少し寝とくよ。ペインも寝た方がいいんじゃない?くまできてるよ」
「え。え、そう?本当?」
慌てた感じで目をごしごし擦り出す。
そういうのを気にするあたり、やっぱりペインは女の子だなぁ。
「あはは、私もちょっと疲れちゃったのかも。少し寝かせてもらうね」
目を擦りながら立ち上がる。そうすると、服の所々が破けているのがよく見えた。ここに戻って来てから、着替えもしないでここに居てくれたのかも知れない。寝るように言って正解だった。
「お休み、イズリィ」
「お休み」
手を振りながらドアに向かって、でも出てはいかずにその直ぐ手前で立ち止まった。
「………ねぇ」
「なに?忘れ物?」
「ううん。違う」
「じゃあ、どうしたの?」
「今日、ここで寝ていい?」
「は?どうして?」
部屋の慣れたベッドの方が寝やすいと思うんだけど。
「ちょっと、怖いの。1人になるのが」
ほら、もう夜だしさ、お化けとか出そうで、怖いじゃん?
付け加えられたその台詞は、明らかに誤魔化しだった。でも、そこまでする程怖いっていうなら、追い返すのもよくない。
「いいけど、どこで寝るつもり?」
「いいの?やった、ありがと。私はそこのベッドで寝るから」
急に生き生きしだした動きで、僕の右手にずらずらーっと並んだベッドの1つを移動させ出した。
ずりずりずりずり、がつっ。
人2人分くらい離れてたベッドが、一回寝返れば移れそうな距離まで近づいた。
普段は部屋いっばいを使って距離をとってたのに、随分と近づいたな。
「えへへ、じゃあ、ちょっと寝かせてもらうね」
いそいそ潜り込みながら、照れ笑い。
………………………。
なんか、照れるな……。向こうもそれなりに照れてるみたいだけど。
体を布団にすっぽり入れると、ペインは向こう側を向いて丸くなった。前々から思ってたけど、ペインは体を丸めて寝るタイプらしい。
「お休み」
布団に遮られたらしい若干くぐもり気味の声が届いた。
「お休み」
まだ寝るつもりもないから上体を起こしたまま返しておく。
暫く眺めてるうちに、ペインは寝たっぽかった。
向けられた背中が規則正しく動く。
近くでペインの体を眺めてみると、色々目につく所があった。
まず目につくのは、髪。長いから全体は見れないけど、見える範囲だけでも、ペインの髪の毛がボロボロなのがよく分かる。土はついてるし葉は絡まってるし、所々赤とか緑の汚れもついている。後で洗わせないとな。女の子なんだし。
服は、やっぱり所々破けていて、その下には必ずと言っていいほど傷跡があった。一際でかいのが、僕の方に向けられた背中に入っていた。背中を横切るように、ざっくりいっている。こうも豪快に傷跡が残ってると、出血してる訳じゃないのにみてるこっちの心が痛む。なまじペインの肌が白くて綺麗だから、こういうちょっと茶色味がかかった傷跡はよく目立つ。
ペインが陵辱されてる気分だ。本当に最低限の応急処置しかしてないみたい。
「……確か傷跡を消す用の薬もあったはずだよな…部屋にあるんだろうけど」
後で探しておこう。
折角こんか綺麗な肌してるんだし。
軍隊に来ていうことでもないのかも知れないけど、やっぱりこういうのは大事にした方がいいだろうし。
軍隊。
戦闘と。
傷と。
血と。
苦痛と。
悲鳴の。
オンパレード。
そうだ、思い出した。僕達は、戦闘してきた筈なんだ。あの獣の群れと。ペインに纏わり付いてるこの傷も、その時付けられたものの筈なんだ。
あの時。獣に囲まれて。
血を吹き出しながら。苦痛に苛まれて。
僕は助けに行こうとして。でも確かペスィミスさんに止められて。それでも行こうとして。
ただ、僕が行く前に、ペインは自分の足で立った。自分を取り囲んでいた獣の群れを吹き飛ばして。最初は一方的に襲われてただけだったのに。
僕は当然驚いた。驚いた半歩後に傷を治さないとなと思った。
すぐに治さないと死んじゃうレベルの出血量だったから。
なのに僕は助けてない。
瓶を空けた記憶がない。
傷口を塞いだ実感がない。
死を防いだ確信がない。
どころか、立ち上がったペインに歩み寄った記憶も、ない。
一歩くらいは踏み出した気がするんだけど、二歩目はどうだったっけ。踏み出せた気がしない。
気が付いたらここにいた。
………………………。
後でウォーアさんにでも訊いてみるか。
あの妙に後ろめたげな雰囲気を見る限り、ペインもなにか知ってるんだろうとは思うけど、今問いただすのは気がひける。言いにくいから、気まずいから、あんな後ろめたそうにしてるんだろうし。
「ふわぁぁ……」
キリのいいところまで考えたな、と思った途端眠くなった。
僕もそろそろ寝るかな。
明日になったら、ウォーアさんとかペスィミスさんとかにでも訊いてみればいいや。
起こしっぱなしだった上半身も完全に布団にいれて、ペインに背を向けるように寝返る。
勝手に目が閉じて、自動で意識が飛ぶ。
「………ねぇ、イズリィ、起きてる?」
ん、起きてたのか。寝てたと思ったんだけど。
返事をしようにも、ペインの声が聞こえたのは意識が完全に消える間際で、意識を呼び戻そうとするにはちょっと遅かった。
なにか話したそうにしてるのは分かるんだけど。
………おやすみ。
朝起きた時にはもうペインは起きていた。
ベッドの縁に座って、タオルをごしごし動かしている。髪でも拭いてるのかな。
「お。イズリィ、おはよう」
「おはよう。よく寝れた?」
「あはは、それ私の台詞」
よく寝れた?と。
お茶を渡してくれた。しばらく前に用意してくれてたみたいで、ちょっと冷めてる。
お茶を渡してるくれる時に、いい匂いがした。風呂に入ったらしい。服も破れてない綺麗なのに変わっている。いつものペインに戻った感じだ。
あ、でも、まだいつもと違う。
「ちょっと失礼」
「え、え、なに、どうしたの?」
右腕をお借りして、袖をまくる。手首に1つ、二の腕に3つ、傷跡があった。
「やっぱり、こっちはやってないか」
「え?なんの話?」
「ちょっと待ってて」
足で布団を蹴り除けて、ベッドから降りる。素足で歩くというのも違和感あるけど、履き物を探すのも面倒だし、このまま行こう。
「あー、もう、なにしてるのよイズリィ。布団ずり落ちちゃったじゃん」
後ろでペインが布団を片してくれてるので、ご好意に甘えてそのまま行かしてもらう。
昨日あった足の引き攣りも治ってるし、走るのは兎も角歩くくらいなら問題ない。
医務室から出た。出たはいいけどさぁどうしよう。
医務室なんて来たことがないから、どこになにがあるのか、全く分からない。
「どーすっかなー。しょうがないからぺ、」
「ねぇ、どうしたのよ本当」
ペインに道聞いてみるかなーと言いかけた所でタイミングよくご本人登場。
丁度いいや。
「ペイン、こっから僕達の部屋って、どう行けばいい?」
「え?そうなの?なら先に言ってよ。道案内くらいしたのに」
「いやぁごめんごめん」
「えっと、部屋ならこっち。ついて来て」
僕が半歩踏み出しかけてた方向と真逆の方向に歩き出した。
くっ。
方向音痴を暴かれた気分だ。
しかも気遣いなのかなんなのか、手を掴んで誘導してくれるという大サービス。お陰で歩きやすいのは確かなんだけどなぁ……。
子供扱いされてる気分。
「でも、なんで部屋に行きたいの?」
しばらく歩いてるうちに疑問が生じたようで、首だけ振り向いて訊いてきた。生じるタイミングが遅過ぎるような気もするけど、真っ当な疑問だな。
「ちょっと、薬を取りに行きたくてね」
「へぇー。なんの薬?」
「それはまぁ、」
言いかけた所で部屋についた。思ったより近かったみたいだ。
「まぁ、すぐに分かるよ。もう部屋だし」
「そうだね」
御丁寧にドアまで開けてくれる。至れり尽くせりだな、もう。
「ありがとう」
敷居を跨いで部屋にはいる。随分久し振りな気がするな。そのせいか、若干薬のありかを思い出すのに時間がかかった。
あ。思い出した。
僕の記憶が正しければ、部屋の右側にある僕のベッドの、その下にトランクを入れておいた筈で、多分そこに傷跡を消す薬も入ってた筈でーー。
「お。あった」
トランクを開ければ、軍隊暮らしをすると見越して持ってきた大量の薬が入っていた。城下町で開いていた診療所を閉じてまで持って来ただけあって、尋常じゃない量だ。他にももう2つ、薬だけが詰まったトランクを持って来ている。これに入ってるのは、主に傷を塞ぐための、応急薬的な薬。この前獣を一斉鎮圧した時に使った毒煙みたいな、使用頻度が低かったり危なっかしい薬は別のトランクに入れてある。
ただ、傷跡を消す薬は、かなり底の方にあるらしい。姿が全然見えない。こりゃあ上の方にあるの全部引っ張り出さないとかな。
瓶を割らないように、トランクごとベッドの上に持ち上げる。布団の上に並べてけば滅多に割れないだろうし。
「お?なにしてるの?」
「ちょいと探し物」
ポンポン目についた所から瓶を引っ張りだして、そこら辺に並べる。
おいた側からペインがつまみ上げて、「へー、こんな薬使ってたんだ」「うえっ、ちょっとこれヌルヌルしてそう、気持ち悪っ!イズリィ、これ私には使わないでよね」とか感想をいちいち並べて立てていた。後、それは自然治癒力を高める為のだから、多分そのうち使うと思う。
そうこうしてるうちに、見つかった。やっぱり1番底の方にあった。
「よし、ペイン、腕だして」
「へ?なんで?」
「その傷跡、全部消そう」
「出来るの?」
「勿論。これを使えば、ね。ペインも、傷跡がいつまでも残っても嫌だろ?」
「まぁ、確かに気になるけど……」
「だから、これさ。ちょっと腕貸して。どっちでもいいから」
「うん……こう」
まくられた左腕が突き出される。右腕よりは傷が少なくて、二の腕に1つ。
「このくらいなら……こんなものかな」
瓶を開けて、手に少し垂らす。結構粘り気があるから、指先で適当に掬い取る。それを、傷口をなぞる要領で塗った。
応急薬とは違って、すぐに傷跡が消えたりはしない。ただ、塗った側から肌に染み込んでいくだけ。
「これでいいの?」
「うん。明日には治ってると思う。じゃ、後は自分でやっといて」
「え?」
「多分それだけあれば足りるから。どうせお腹とかにも傷跡あるんでしょ?流石にそれは僕がやる訳にも行かないから、自分でやっといて」
「え……あ、うん」
意味を察したらしいペインがかぁっと赤くなった。
こっちも照れそうだよ。
「じゃ、終わったらいってね」
こういう時には、そうそうに撤退するに限る。
バタンとドアを閉めて、もたれかかる。外開きだから、開かれた時にコケる心配は要らない。
さて………。
自分で引き起こしたとはいっても、やっぱりさっきの会話は恥ずかしい。
ペインは当年取って19歳。
僕も当年取って19歳。
僕はともかく、ペインは女性、19歳の女性ともなれば身体つきも女性らしくなる。特に栄養状態が悪かった訳じゃない、というかむしろ発育に関してはいい方だ。
下世話な話、21歳のペインさんよりもいいくらいだと思う。
「………うっわぁ……」
なにいってんだ僕。
照れ隠しで照れてどうする。隠せてないしむしろ増長してるし。
ペインの発育がどうとかウォーアさんよりどうとか、なんてこと言ってるんだよ。ふざけんな僕。殴るぞ。
「うわわぁぁぁ……」
恥ずかしい恥ずかしい、我ながら恥ずかしい。
ドアとか壁だとペインに伝わるから、適当に髪をむしっといた。頭皮の痛みが心地いい。もう少しむしれば頭皮に風が入って冷えるかな。どんくらい抜こう。10本じゃ足りない気もする。30本くらい?
「せーの、せーでっ、」
「ねぇイズリィ、ちょっといい?」
ブチブチッとは言わなかった。僕を押しのけながらドアが半分開いて、そこから顔をだしたペインの声で遮られた。
「ん?なんでしゃがんでるの?」
「なんでもないよ」
いつの間に座ってたんだろ。
「あれ、なんで髪掴んでるの?抜けちゃうよ?」
いやこれはね、アレですよ、髪の毛を整えようとしてただけですよ。ほら、櫛がなかったから手櫛で。
まさかペインの身体に悩殺されてたなんて言えない。いつ何時変態の後ろ指をさされるか分からない御時世なんだから。
「で、どうした?終わった?」
「いや、あのさ……」
「ん?」
急にどもる。顔も赤くなる。俯いてプルプル震える。
どうみても挙動不審。
「どうしたのさ。薬足りなかった?」
「いや、薬は足りると思うんだけど……」
「足りると思うんだけど?」
なんでそんな言い方なんだ?まだ終わってないのか?
「あのさ、考えてみたらさ、私…、自分で自分の背中に薬、塗れないんだけど…」
「あ」
あ。
ああ。
忘れてたね、ごめんごめん。
じゃあ、「背中はそのままでいっか。仕方ないしね」
「仕方なくないよ!」
怒られた。
なんでそんな急に怒るのさ。だって仕方ないじゃないか、届かないんだから。
「ここまでしてくれたのになんでそこで諦めるのよ!このチキン!ヘタレ!ヒドイ、サイテー!」
「チキンとはなにさチキンとは。なんでそこまで言われなきゃいけないのさ」
そもそもチキンの誹りを受ける謂れが、「キミが塗ってくれればいい話じゃない!」
さようなら。
廊下にいるアドバンテージを最大限生かして街に買い物にでも行こうとしたら襟を掴まれて部屋に引き摺りこまれた。遠慮なく全力で両腕を振り回した筈だけど、惜しくも当たらなかった。
僕の目の前でドアが閉まる。もう逃げられない。
…………………………。
どうも、チキンです。
さっきのペインの台詞は、僕に薬を塗らせるという提案を僕が全力で拒否るとうのを見越してのものだったか。
よく分かってるじゃないか。僕という鶏のことを。
観念して立ち上がった時にはペインはもう布団に隠れていた。
因みに、さっきちらっと見えたけどドアを開けたり僕を部屋に引き摺り込んだときのペインは布団のシーツかなんかで体の前半分だけを隠してた。左手でシーツを押さえてたみたいだから、右手だけで人を部屋に引き摺り込んだりしたというのは賞賛に値するかも知れない。
「おい」
「………………」
「おーい?」
「………………」
ふむ。ノーコメか。
なら僕もペインを見習うとしよう。
部屋の反対側にあるベッドに並べてある薬類を手早く除けて、布団を被っておやす「まちなさい」また引き摺り出された。寒っ。主にペインの目が。
どうやってペインが部屋を横断したのかと思えば、布団にくるまったまま転げ落ちてきたらしい。そこまでしてくるのかよ。
「往生際悪いな……」
「それは私の台詞よ」
さっさとしてよ恥ずかしいんだから。とも続けた。
諸手を上げて降参の意思を示すと、満足したようでゴロンと一回転していい感じに背中を晒してくれる。薬を塗れ、ということか。
仕方ない、か……。
「じゃ、塗るよ」
「お願い」
ん、と瓶を差し出してきた。有り難く享受して、ペインの脇にしゃがむ。流石に跨がる訳にはいかないし。
「ここ、床だけどいいの?冷たくない?」
「別に。結構暑いし、大丈夫」
「………………」
外、曇ってるんだけどなぁ。
「じゃ、失礼するよ」
ちょっと薬をつけて、一際大きい傷跡をなぞる。傷が大きいから、一応もう一回くらい塗って「ひゃっ」……。次はこれかな。これも結構でかいし、それなりに量使いそうで「くぅっ……」………。さて、大きい順でいくなら次はこれ……肩甲骨の辺りって塗り難いんだけど「あひゃっ!?」…………。結構傷あるな。脇腹のこれなんかかなり深手っぽくて「あっ」「いちいち変な声出すのやめてくれないかな?!」
あひゃっ、とペインが仰け反る。いつまでも妖しい動きをしやがる。
「だ、だってしょうがないじゃない!くすぐったいんだから!大体キミ、手付きがいちいちいやらしいのよ!」
「だからやりたくなかったんだ!」
僕だって、暫くはお父さんの診察を手伝ってたんだから、女性の肌に触れることは多かった。でも、なんでか知らないけど触れる人がみんなやたらと官能的な声を出した。口を揃えて「手付きがくすぐったい」だとか「指の動きが気持ちいい」とか感想をくれた。とある女の子には「マッサージ屋さんになるのがいいと思う!」なんて言われる始末。
あれ、結構傷ついたんだよ……。
医師としてのプライドがどうとかじゃなくて、純粋に恥ずかしかった。
ペインだって若い、妙齢の女性。
どうせ妙な反応するだろうなって思って避けてたのに……!
「もう2度とやるか!」
「ちょっと、そこでやめないでよ!最後までやってよ!」
「いちいちそんな声出されたら身がもたない!」
「童貞!」
「うるせぇ!」
「チキンチキンー!」
「ああそうさ、僕はチキンで童貞だともさ!さぁこれでどうだ!認めたぞ僕は!もう絶対2度とやるもんか!」
「……ねぇ、大丈夫?」
結局、醜い言い争いを聞きつけてやってきたウォーアさんに残りの治療は一任した。
一緒にドアから顔を出したペスィミスさんには凄い微妙な顔をされたので、会釈で誤魔化しつつ部屋から出た。まだペインの背中はむき出しだしね。ペスィミスさんも色々察してくれたみたいで、部屋から出て来た。廊下の壁に、向き合うようにもたれかかる。
あ、そうだ。
ここら辺で聞いとこう。
「ペスィミスさん、1つ教えて貰いたいことがあるんですが」
「なんだ?」
「なにがあったんでしょうか?」僕に。ペインに。
「この前の戦闘のことか」
「そうです」
そうか、お前ぶっ倒れたんだっけな。
ボソッと呟くと、ペスィミスさんは壁に持たれていた体を起こして歩き出した。
「どこ行くんですか?」
「静かな所だ。気分の悪い話になるからな」
それだけ言うと、質問する暇もないスピードで歩いて行ってしまった。
走りたくないんだけどなぁ……。
なんてことを思ってるうちにあっという間に姿を見失って、もう今更走ってもしょうがないんじゃ?と思い始めてきたので取り敢えず適当に歩き回ることにした。
進んで、ペスィミスさんの曲がった角を右に曲がって、その先の十字路はテキトーに左に曲がって。
そんな感じで適当に歩いていると、奇跡的に見つかった。
コの字型の宿舎の中庭。大きな木が一本あって、その根元にベンチが一脚。
そのベンチの真ん中に、ペスィミスさんは座っていた。
足を組んで、両腕を背もたれに沿わす感じで伸ばして。
煙草でもふかしかねないポーズだ。
「おお、よくついてこれたな」
「確信犯でしたか」
怪我人相手になんてえげつないことを。
「それにしても、なんでわざわざこんな所まで来たんですか?」
静かな所なら、今歩いて来た所にいくらでもあったと思うけど。
「俺がここが好きだからな」
「へぇ」
そんなにいい所かな、ここ。
確かに地面に生えた雑草とかのお陰で緑は多いけど、逆に言えば緑しかない。緑とかもう見慣れてるから、特に感慨も湧かないし。
「で、だ。どこから聞きたい?」
「あ、えぇと、まずは……あの村とかは、どうなりました?獣は?人は?」
脳内で話が逸れてたから、突然の本題に若干慌てた。そのせいでそこまで重要視してない質問が真っ先に飛び出す。
「被害状況で言うと、村3つと、陸軍、駐屯憲兵が壊滅。村の住人280人と、憲兵120人、援護に向かった陸軍293人が死亡。怪我人は10人。陸軍将校が7人、残る3人が、お前と、ペインと、アプティミスだ」
「そうですか」
まぁ、村人とか陸軍とか憲兵とかは、大体予測ついてたけど。
「で、獣は?」
「襲来した獣は、約50体と推測されている。そいつらは、無事全滅したようだ」
「そう、ですか……」
こっちの方が余程反応に苦しい。
勝った、ってことで、いいのかな。
「分かりました。有難うございます」
「これでいいのか?」
「ええ。後は、もう1つ、教えて下さい」
さっさと本題の本題に入ろう。いつペインが来るとも分からないし。
なんとなくだけど、ペインには聞かれない方がいいような気がする。
「僕達は、どうやって戻って来たんですか?ペインは、獣にリンチにされてました。僕は、そのペインを助けに行けませんでした」何故かあなたに止められて。
「でも、ペインは生きていた。五体満足だった。あれだけ集中砲火を浴びてたんだから、あの時すぐに回復しなければ死んでてもおかしくなかったのに、です。正直、あなたに足を掴まれた時点でもう、僕はペインの生還を諦めてました」
そう、それに。
死ぬどころか、ペインは。
「どころか、ペインは獣を返り討ちにしていました。少し前までは一方的に襲われてたのに、自力で立ち上がったんです。何故ですか。何故なんですか」
起き上がった僕を再び押し倒した獣は、ペインが投げたものだった。
立ち上がったペインの周りにいた獣は、1人残らず斃れていた。
明らかにあれは、返り討ちだった。
あり得ない逆転だった。
なにか裏があると思うのが普通だろ?
「お前は、どう思うんだ」
少しだけ、ペスィミスさんの声音が変わったような気がした。ガクッと首を後ろに倒してるから、表情までは分からないけど。
「分かりません。立ち上がったペインを確認した所で、僕の記憶は途切れてますから」
はぁー、と。
ペスィミスさんが盛大にため息らしきものを吐いた。気がした。ガクッと以外同文。
「お前、6歳の時、暴動に巻き込まれたことがあったろ。暴走にかち合ったことがあったろ」
「8歳の時です」
思わず赤を入れたけど、なんでここでその話が出て来るんだろう。
「……そうか。まぁいい。で、お前はその暴動を止めようとしてたな。暴動を引き起こしてた少女にしがみついて、止めようとした」
「そうですね。でも、それが僕とペインの生還になんの関係があるんですか?」
「まぁ聞けよ。大分遠回りをすることにはなるが、これでもちゃんと繋がってんだよ」
「そうなんですか?」なら、いくらでも黙って静聴してるけど。
「話を戻すぞ。その時お前が止めようとしてた、暴れ回ってた少女ってのがウォーアさんだってことは知ってるな?」
「ええ、知ってます。知った時は驚きましたけど」
「俺だって驚いたさ。スモル央國の希望の発見に立ち会った奴が、その希望を集めた部隊に来るなんてな」
「前々から思ってたんですが、その希望って、なんのことなんですか?希望希望って、みんなはやし立ててますけど、どこが希望なんです?」
「それも含めて説明してやるよ。お前は、ウォーアさんがなんで暴れてたのか、知ってるか?」
「え?いや、知りません」
なんとなく立ち入らない方がいい気がして、聞く権利はあるんだろうけど、聞かずじまいだった。
「あの時ウォーアさんが暴れてたのはな、怖かったから、なんだそうだ。本人が言うにはな」
「怖かった?」
「恐れてた、とも言ってたな。怖くて恐ろしくて、どうにもならなくなって、気がついたら手が出てた。足が出てた。絶叫が出てた。狂気が出てた。んだそうだ」
「はぁ……」
なんだそれは。
暴れてた理由として、妥当なのかそうじゃないのか。
なんとも反応に困る。
「でも、それがどうかしたんですか?そもそも、なにを恐れてたり、怖がってたりしたんですか?」
「分からん。その当時ウォーアさんの家でなにやら揉め事が起きてたらしいが、それが直接の原因なのかは分からない。あの人の家も、家族も、みんないなくなってたらしいしな」
「それは……」それは、どういう意味なんだろう。
「とにかく、ウォーアさんは、恐怖に駆り立てられて暴れた。暴動を起こしたんだ」
「そうだった、んですか」
始めて知った。
確かに僕は、父さんの仕事の手伝いとして往診に行った城下町で、1人の少女が喚きながら暴れているのに出くわした。手を地面に叩きつけたり、頭を家屋の壁に突っ込んだり、歯で石に噛み付いたり、それはもう大変なことになっていた。
最初は、感染症を疑った。
時々、流行病に侵されて暴れる人がいたから。
もしそうなんだとしたら、ひとまず診てなんの病気なのかを判断しなくちゃならない。父さんは歩いて2日くらい離れた村にいるけど、僕だって多少の心得はあるし、薬も持ってる。
最終的にはこの町の医者に頼るんだろうけど、今この場にいない人をあてにしてもしょうがない。応急処置でもなんでもしなくちゃ。
それに、なにより。
その少女は、打ちつけたり突っ込んだり叩きつけたりしてるせいで、血塗れだった。絶えず吐き出されている声も、枯れ果てていた。
この上なく、痛々しかった。
少女が、痛みを感じさせない動きを続けていることが信じられないくらいに。
だから、要するに。
僕の方が見ていられなくなったから、少女を止めようと飛び掛った。
………あんなこともあったっけなぁ……。
いやはは、僕も若さに任せて随分と危ないことをしたもんだ。
今となっては、同じ動きが出来るものか、自信がない。
僕が回想してる間にも、ペスィミスさんの話は続く。
「ウォーアさんの暴走を止めるのに、どれだけの兵が派遣されたのか、知ってるか?」
「いえ、知りません」
「最初は、巡警の憲兵2人が派遣されただけだった。だが、その2人はあえなく返り討ちにあった。1人は背骨を折って、もう1人は指を二本失った」
「え?そんなことになってたんですか?」
憲兵が来てたのは知ってたけど、詳しい被害状況までは見る余裕がなかった。
「2人で駄目なら、5人派遣しようという話になった。5人で駄目なら、10人。10人で駄目なら、20人。そうして何人も何回も憲兵が出動した。した度に、怪我人と死人が増えていった」
「そんなに被害が………」
「最終的には、城の警備部隊全員が出張ることになった。防具武具完全装備で、だ。それでもーー部隊の3分の2が死傷した。出動して一時間も経たずに、全滅が秒読みで迫った。ただ、ウォーアさんの体も、かなり疲弊してたし、相討ちの匂いが濃厚だった。そうはならなかったがな」
そこの所は、朧げにだけど覚えてる。
ウォーアさんがコケて鼻っ柱折られて終わったんじゃなかったか。
「終わらせたのはお前だよ。お前は、警備部隊が出て来た頃に吹っ飛ばされてたんだが、警備部隊が最後の突撃をかます直前に、麻酔用の睡眠煙をばら撒いたんだ。それで、憲兵の生き残りとウォーアさんが全員寝落ちして終わった」
ああ、思い出した。
しばらくはしがみついてたんだけど、体力と気力が切れて振りほどかれた。
腕とか指も傷だらけで、力仕事に耐えられなくなったのもある。で、振りほどかれた勢いで近くの家の壁に激突して、多分その時に気絶したんだと思う。次に見た時は情景が大分変わってたから。
憲兵の数はいつの間にかかなり増えて、50人くらいになっていた。そこら辺に同じ格好の人が何人も倒れてたから、最初はもっといたのかも知れない。それが、みんな悲痛な顔で銃を構えていた。50丁の銃は口を揃えてウォーアさんーーといってもその時は少女としか認識してなかったけどーーの方を向いていて、ウォーアさんを蜂の巣にする気満々だった。ウォーアさんも、50の口に強制お口チャックをしようとしてるのが見え見えで、要するに互いに互いを殺す気なのがバレバレだった。
このままだと、また、死人がでるな。
それは、嫌だな。
止めされたいな。
そもそもその暴れている少女だって、病に侵されて暴れているだけかも知れないのに。
病人を銃殺するなんて、いい訳ないじゃないか。
そう思ったから、悠長なことをしてる暇はないと思ったから、強硬手段に出ることにした。往診で使う予定のあった麻酔煙。
痛み止めとして使うつもりだったから、とっておいたけど。
優先順位でいうと、今使っちゃうべきだ。
使わなければ、関節痛で苦しむ人が1人、いなくなる。
使えば、蜂の巣になって死ぬ人が1人、いなくなる。
どう考えても、今使うべきだろう?
そう判断して、口に咥えて保持していた瓶を少女に向けて放り投げた。
いち早く飛んでくる瓶に気づいた少女は、頭突きで空中の瓶を捉えて。
道一杯に、緑の煙が充満した。
でも、それはそれだけの話のはずだ。
「それがどうしたんですか?それが、ペインの再起となんの関係があるんですか?」
話が逸れてるようにしか見えない。
確かに、遠回りをするとは言ってたけど。
戻る目処が見当たらなすぎて、はぐらかされてるんじゃないかと疑いたくなる。
「まぁ最後まで聞け。俺だってすぐには話たくないから、こうやって前座にいらん時間をかけてるんだから」
「はぁ………」さっさとして欲しい。
「結果として、ウォーアさんは憲兵263人を死傷させた。なんの訓練も受けていない、なんの武装もしてない少女が、だ。当時の陸軍上層部は、それを疑問に感じてウォーアさんを調べた。その結果がーー」
そこまで喋って、言葉を切った。
グダッともたれていたベンチから、なんの前触れもなく跳ねるように起き上がる。そのままの勢いで15歩分くらいあった距離を一気に詰めて、僕の目の前に現れる。グダッと
した姿を見たと思ったらこの距離だ。動きなんて全然見えなかった。
後ずさって距離を取ろうとするより早く、腕を持ち上げるまでもなく互いの手が触れ合う距離から、紙を手渡された。なにやらぎっしりと文字が書いてある。
表題は、『研究報告 暴走について』。
『研究の結果、若い女の一部に、過度の死の恐怖やストレスを与える事で自我を一時的に失い、目に付くもの全てを破壊するという特性を持つ者がいることが判明した。この現象を引き起こす者は僅かであり、以降この者を「暴走者」と称する。
「暴走者」は、自らの体についた傷を見、痛みを感じることに、通常よりも過度のストレスを受ける性質がある。この為、傷を受け続けたり痛みを感じ続けることで常軌を逸した恐怖、
ストレスが蓄積されることになる。このストレスが一定値に達すると、自制心を失い体力の尽きるまで暴れ続けることになる。尚、暴走状態にある時、暴走者は自身の受ける傷を考慮しないばかりでなく、筋力なども上昇する。
また、暴走者は基本どのようなストレスに対しても暴走するが、どのようなストレスがより多く暴走状態への移行に関わるかは、個人差がある。
現在確認された暴走を頻発させるストレスには、「痛みによるストレス」、「悲鳴を聞くことによるストレス」が確認されている。これらは基本的に感覚神経を刺激されて生じるストレスであるが、例外として「他人のストレスを想像することによるストレス」があることも確認された。
先述の通り、暴走状態にある暴走者は、自身が傷付くことに一切頓着しない。ただ目の前の物を破壊する為だけに動く為、結果として凄まじき破壊力と戦闘力を有することになる。これはスモル央國軍にとって、非常に有力な兵器となる可能性を秘めている。戦場で暴走者個人個人にあったストレスを掛け続け、暴走させることが出来れば、昨今の戦力差を覆すに足るものであると推測される。
しかし、暴走状態にある暴走者は敵味方の見境なく襲う為、軍の兵器として扱うにはまだ実用性に欠ける部分もある。
我々研究団は、以降この暴走者を被験体に、軍用兵器としての実用性を研究していく。
以下、現段階において発見された暴走者の氏名。
スモル央國西部 ヴァルガリア市、ウォーア・ロース。
スモル央國中央部 アルコ市 アプティミス・カモール。
スモル央國東部 マイセア市 ペイン・リーフ。』
ペインの名前は、並んだ活字の下、場違いにも手書きで書かれていた。このレポートが発行された後に見つかったってことなんだろう。
まぁそれはどうでもいいとして。
「……なんですか、これ」
「さっきも言ったろ。俺はそれに関しちゃ口を開けたくねぇんだ。なんだかんだと遠回りして時間を稼いでみたが、やっぱり無理だな。言えねぇわ。詳細はその報告書を読んで確認しといてくれ。後はまぁ、上官にでも聞いとけ。ただ、これだけは必要そうだから説明しとくとだな、この隊にいる女3人、ウォーアさん、アプティミス、ペインは、暴走者だ。更に言うなら、13部隊は去年正体の判明した暴走者を軍事転用する為の実験用部隊。3人を暴走者として前線に投入して、どれだけ戦果をあげられるかを計る為の部隊。俺たちがパートナーとしてそれぞれ3人について戦場に行くのは、3人を暴走させるに足るストレスを与えるためだ。
ウォーアさんは悲鳴を聞き続けると暴走するし、アプティミスは他人の痛みを想像して暴走する。ペインは、痛みを感じ続けると暴走するタイプだな。だから、ウォーアさんのパートナーのピースさんは、戦場に出た時ウォーアさんに悲鳴に似せた悲痛な音を聞かせる。俺は他人の痛みをよりはっきり想起させるような言葉を掛け続ける。お前の場合は、ペインが死なない程度に傷付くまで守るのが役目だから、ちょっと例外な気もするけどな」
「 ?」
「それがこの部隊の実態で、この前ペインが立ち上がったのはある程度傷ついて暴走したから。ついでに言っとくと、お前はペインに一歩踏み込んだ瞬間にペインに全身殴打されたんだよ。だから気を失って、なんで自分らが助かったのか、把握出来なかったんだ」
言葉が切れる。
足音がする。遠のいていく。
ちょっと、ちょっと待って。待て。
「ちっ、気分が悪くなった。こんなこと話させるんじゃねぇよ、全く。おいイズリィ、俺はもう寝るから、まだなんか聞きたいことがあるんなら他の人に聞いてくれよ。俺はもうこの話は金輪際しないからな」
ガリガリ、音がする。ザリザリ、かな?草を踏みしめる音のような、頭皮の引っ掻かれる音のような。
個人的には前者であることを希望する。
このタイミングで掻かれる頭皮なんて、1つしかなさそうだし。
足音が消えた。
ガリガリなのかザリザリなのか判断に困る音も消えた。
僕1人だ。
いくらでも思考がオーバーヒートの末脱線出来る。
暴走。暴走者。
傷付くのを厭わない、っていったか。躊躇なく敵に踏み込んでいけると。
それがどんなものなのか、僕にも想像はつく。戦場に出た事はなくても、戦場に出た父さんから、色々話は聞いてるから。
いくら勇敢でも、どれだけ勇猛でも、死を持っている以上、人の動きには限界がある。痛みは死への接近を示すものな訳で、痛みを忌避するのは当然の反応な訳で。だから、どうしても戦場にいる人の動きには遠慮が出る。僕だって、この前の獣との戦闘の時、死を恐れて遠慮した。そもそも、あの岩の前に止まって丁々発止する必要はなかった。同じ所にずっといたら、そこに獣が集まってきて身動きが取れなくなるのは分かりきったことだったのに。別にずっとペインの隣にいなくても、獣がペインに手を伸ばす前に全滅させれば良かった。決死覚悟で飛び込めば、それが出来たんだと思う。でも、そうはしなかった。出来なかった。
決死の覚悟は出来なかった。
視界一面に群れる獣の群れに飛び込むのが、怖かったから。
でもあの時暴走したペインには、暴走者には、それがないってことで、それがないってことは。
確かに、強い。
僕が全力で切りつけて、ハイリスクな毒煙まで使ってようやく倒した数の獣を、僕よりもあっさりと、倍の数倒せるってことなんだろ?
それが強さでなくて、なんだと言うんだってくらい、強い。あからさまに強い。千人力か、万人力か。
軍が軍事転用を目論むのも頷ける。頷けるけど、「巫山戯んな」
今のスモル央國は、凄まじく弱体化した。勝ち戦気分で征服しに行った国に、負けるどころか逆に攻められて囲まれて。プライドはズタズタ。
新発見の最強兵器で一気に返り討ちにして、かつての繁栄と栄光を取り戻したいと思うのは当然だろう。
そりゃあ、こんなに強い兵器があったら、飛び付きたくもなるだろうさ。多少人道を踏み外すことになってでも、プライドを回復したい。威張り散らしたいって。
なぁ?
そういうことなんだろう?軍上層部の皆さん。
知ってるか、いや知らないだろうね。でも僕は知っている。見ている。暴走の実態を。少しではあるけど、覗き見の範疇かも知れないけど、上層部連中よりは見てるんじゃないかな。
ペインの苦しそうな顔とか。
本気で傷とその先の死を恐れてた。じゃあなんで軍なんか来たんだよってくらい取り乱して。これを立案した上層部は、このことをちゃんと認識してたのか?
それに、思うに、ペインは、自分の意思で軍に来たんじゃないのかもしれない。
研究報告には、もう暴走者としてペインの名前が出ていた。ペインが暴走者だと分かってたから、本人の意思じゃなくて軍の意向で強制的に軍に入隊させたんじゃないのか。多分、
その可能性は高い。
戦闘とか戦場とかに対していやに呑気だったのも。
戦闘のなんたるか、戦場のなんたるかを知らなかったから、覚悟のしようもなかったから、ああいう反応しか出来なかったのかも知れない。事実ペインは、戦おうとはしなかった。
僕が引きずっていったんだ。
あの時、引き摺られてた時のペインの顔を、僕は見ていない。
ある程度覚悟を決めていて、それでも漏れてしまった恐怖が直前の嘔吐とかに表れてたんだろうと思ったから。
もしあそこでペインの顔を見てたら。
ペインは本当に本心から拒絶していたのかも知れない。
………だとしたら。
益々腹が立つ。
気付かなかった僕に。無理矢理戦場に放り込んだ軍に。
強引に本人の嫌がる場所に説明もせず叩き込んで、あまつさえ傷を負わせて。
恐怖に耐えかねて暴れるさまをみて「わーすごい、これは強い、使える!」とでも言うつもりか。と言うかもう言ってんだろうな。なんだその鑑賞会は。悪趣味が過ぎる。
「あー、殴り込みにでもいくかなー」
このままだと必要以上にヒートアップしそうだ。
最終兵器。
傷と痛みを活かす兵器。
恐怖とストレスを喰う兵器。
ペインが、ウォーアさんが、アプティミスさんが、その兵器。
「軍人」じゃなくて、「兵器」と表記されてる所にも、ペイン達の扱いが仄めかされてる気がする。
本当、巫山戯んなよ。
でもまぁ、さっきはああ言ったけど、ペイン達がどれだけ恐怖したかは、上層部のみなさんもある程度分かってるんだと思う。
書類の上で、机の上で。ただ、恐怖だとかストレスだとか書かれてはいても、実感としては秘密兵器の発動条件として、捉えてるんだろうな。
つまり、なにも分かってない。大事なことを。死活問題を。
「………くっそ」
かと言って、苛立ち混じりに退役することも出来ない。
放り出した、その先が怖い。
誰がペインを回復するんだろう。
でも、なぁ。
残り続けて、戦場でペインを生かさず殺さず状態にし続けるのも、嫌だ。
軍御自慢の秘密兵器を使用する側に立つってことだから。
どうすればいい?どっちにすればいい?
まぁ、分かりきってはいるんだけどね。
ここでいもしない上層部に毒を吐き続けても、いずれ出撃命令はでる。ペインは傷と恐怖を負う。なにも変わらない。無意味だ。
だから。
ペインに、ウォーアさんに、アプティミスさんに。
暴走者としての役割を止めてもらうしかない。
こんなこと、してていい事じゃないんだから。人道的に。医学的に。
別に兵器として暴れなくとも、スモル央國の縮みきった国境ぐらい守れる。
それに、軍は敗戦の経験を生かして、海軍、空軍の強化に力を入れている筈だ。
無理に暴れる必要なんて、ない。
だからまずはペインに、「あっ、イズリィここにいたんだ」
ペインが木の向こう側から顔を出した。
幾つかあった顔の傷は消えている。
「もう終わったの?」
「うん。イズリィはなにしてるの?」
「グリーン・ヒーリング」
「なにそれ?」
「なんでもないよ」
実際、即興で作った言葉だし。
「そのグリーン、ヒーリング?もいいけどさ、そろそろ部屋に戻ったら?イズリィもほら、あの、傷消ししないとでしょ?」
傷消しのくだりでペインの顔が赤くなる。
止めてほしい。
「傷消し?」
「ほら、イズリィにも結構傷残ってたじゃない。背中とか」
「ふぅん、そうだっ………え?」
今、背中って言ったか?こいつ。
「なんでペインが僕の背中に傷があるって知ってるんだ?」
「え」固まった。
「え」固まった。
ペインの顔が木の向こうに引っ込む。
「いや、別に、あれよ、あれ、イズリィの怪我を治して貰ってる時に見たのよ」
「ほほぅ」立ち会ったのか貴様。
「ほら、早く戻るよ!背中のは私がやってあげるから」
「いや、要らないから」
本気で拒絶した。
と、今更ながらここで気になる。
僕達、こんな風に当たり前みたいにのほほんとした会話してるけど、ペインは、どう思ってるんだろう。
さっきの医務室での挙動不審を見るに、ある程度はペインも察してる筈だ。
なら、それを、ペインはどう思ってるんだろう?
止めたいと思っているのか。
特になんとも思ってないのか。
嫌なことだと嫌悪しているのか。
仕方ないことだと覚悟しているのか。
取り敢えず、中庭から出るべく歩き出しながら。
後で訊いてみようと、覚悟した。