・永夢×ポッピー(明日那)
・オリジナル要素
があります。
あと軽い性描写があります。
あくまでR-15レベルですが、苦手な方は注意してください。
とあるゲーマー医師のカルテ『√A』
優しさが負を招く事は、特別珍しい事じゃない。
「キミは、アホだな」
だから受け入れるしかなかった。
小さな手に抜きとられたそれを、取り戻そうとしたときには全てが遅かった。
何もかもが深淵に沈んでいく。
そして、世界の真理がそこにあった。
自分が今までどれだけバカらしいものに縋っていたのかがよく分かった。
千里の道も一歩から。
光もあれば闇もある。
努力は一日にしてならず。
そういうものは、全部下らないものなのだと理解した。
なぜならば、そんなものは全てウソだからだ。
いや、ウソですらない。
無い。無かった。ゼロだ。いや、ゼロですら『ゼロ』と言う"存在"がある。
そんなものじゃなかった。
なにも、なかったのだ。
「チャーシューもらい」
「あッ!」
止めようとした時には既に遅し。たった一枚の宝物は、友人の口に吸い込まれていく。
「うまうま」
「なんて事するんですか……!」
「悪いな名人。自分、肉食わないと具合悪くなるんだよ」
「え? そうなんですか? じゃあ、まあ、仕方ないか……」
「あれ? ノセられちゃった?」
「……あなたは最低です」
病院の食堂。
カウンター席で肩を並べて食事をするのは毎日のことだが、それでも
毎度毎度、何かしら食材を奪っていく。しかも悪びれる様子はない。
友達付き合いは選んだほうがいいと、
「ハハハ。悪かったって。ほら、これ、お礼」
貴利矢のお礼。いつもなら食後のコーヒー代130円なのだが、今日は違っていた。
何やらいろいろな情報が記載された紙が永夢の前に出てくる。
「患者だ。お前のな」
「……久しぶりですね」
「確かに。でもまあいいだろ? 最近食ってはゲームして帰るって言う、医者にあるまじき生活スタイルだったんだから」
「ボクがヒマなのは良い事じゃないですか。どこがお礼なんだか……」
「結構美人じゃないの。まあ、俺の好みじゃないけど」
「患者さんをそういう目でみるのは良くないですよ」
とは言え、付属されていた写真を見ると、なるほど確かに美人だった。
歳は永夢の一つ上らしい。先日、患者の母親が、永夢と貴利矢が所属している『CR』に娘の様子がおかしいと相談にやって来たのだ。
問診を行った貴利矢は、母親が語る娘の症状を聞き、永夢の出番だと確信したワケだった。
「じゃあボク、もう行きますね」
「え? ラーメンくわねーの?」
「あげますよ。患者さんのところにはやく行ってあげたいんです」
「ラッキー。じゃ、ま、頑張ってな」
昼食時に言って正解だった。
貴利矢は親子丼とラーメンをぱくつきながら、友人の背中を見送っていた。
CR職員(と言っても所属しているのは永夢と貴利矢の二名だけだが)に与えられたスクーターを走らせること10分程度。
永夢は閑静な住宅街のなかにある、患者の家にやってきていた。三階建ての立派なお家である。
インターホンを鳴らすと、すぐに母親が姿を見せた。
「先生、あぁ、ありがとうございます」
まるで藁にもすがる――、そんな様子である。
母親の表情は疲労しきっており、酷くやつれていた。
貴利矢が渡してくれた情報におおまかなことは説明されていたが、永夢は改めて患者の状況を聞くことに。
「あの子がおかしくなったのは、わたしの旦那が死んで、しばらくしてからでした」
リビングにはフォトフレームが飾ってあり、中には家族で撮った写真が見える。
母、父、娘。良い笑顔だ。なんでも、温泉に行ったときの物らしいが、当時の患者はどうやら高校生のようだった。
女の子は成長すると家族に嫌悪感を示したりするものだとはよく言われているが、仲が良くて微笑ましい限りである
尤も、この旅行の二ヶ月後に父親が事故死し、そこから娘の様子がおかしくなったらしい。
症状を聞く永夢。何度か頷き、白衣を翻して立ち上がる。
「わかりました。すぐに治療します」
「え? い、今からですか?」
「はい。大丈夫、ボクに任せてください」
永夢は患者である娘の部屋を目指す事に。
階段を上がると違和感がすぐに飛び込んでくる。壁のいたる所に穴が開いており、壁紙も剥がれていた。
廊下には花瓶が飾ってあったのだろうが、今は粉々に砕け散っており、花は枯れていた。
「ッ、お母さんは下がっていてください」
「え? は、はい……!」
娘の部屋に近づき、永夢はノックをしてみる。
返事はない。もう一度ノックをしてみる。
「うるさい! なにッッ! なんなの!?」
怒号が聞こえてきた。母親は怯え、肩を奮わせる。
一方で永夢は咳払いを行うと、軽く自己紹介を。
「CRの宝生永夢です。明日那さんの治療をしに来ました」
「治療――ッ!?」
「はい、すみません。入らせてもらいますね」
鍵が既に壊れているらしい。
部屋を開けると、想像以上に酷い光景が広がっていた。
可愛らしい部屋だった筈だ。しかし今、カーテンは破かれ、壁紙は剥がれ、拳で開けた穴は廊下以上に広がっている。
部屋も足の踏み場もないほどに散らかっており、ベッドの上では一人の女性が体育座りをしていた。
髪はボサボサで目が据わっている。
鋭い眼光に、思わず永夢も怯んで目を逸らしてしまう。
そこで気づいた。部屋のあちこちに塩の袋がある。
食塩だ。話によると『異常に塩分を欲するようになった』らしく、食事を出すと大量の塩をふりかける様になったという。
今になっては『塩だけ』を口にしているらしい。
「出てって!!」
患者、
「医者なんて嫌い! 医者なんて大嫌い! 帰って、出てってよ! はやく!!」
「ッ、落ち着いてください明日那さん」
「黙れ! 今までだって適当なこと言われて終わったの! なんにもならないくせに! 口ばっかりで!!」
叫ぶ明日那の目尻に涙が溜まっていく。
そうとう苦労したらしい。その事を想像してしまい、永夢は思わず泣きそうになる。
しかし医者の仕事は同情ではない。完治を目指す事だ。永夢は迷わず足を進め、明日那のもとに歩いていく。
「来るなァア!」
明日那は叫び、既にディスプレイが粉々になって使い物にならなくなった目覚まし時計を投げた。
それは永夢の額にぶつかると、床の上に落ちる。
「あ……」
目を見開く明日那。永夢の額から血が流れる。
罪悪感はあるのか、明日那は真っ青になると、涙を流しながら俯いた。
「あの――、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。明日那さん」
「え?」
その時、どこからか、永夢は、ソレを取り出した。
蛍光グリーンにピンクのレバー。ド派手なソレの名は、『ゲーマドライバー』。
腰にかざすと、ベルトが自動で伸長して腰に巻きついていく。こうして一瞬で腰に装着されたドライバー。
さらに永夢は懐から『ガシャット』と呼ばれるアイテムを取り出し、起動させる。
『マイティアクションエーックス!!』
永夢の背後にゲームのタイトル画面が出現し、そこからレンガブロックが飛び出していく。
まあまあ広い部屋だが、言うても室内、大きなレンガブロックはすぐに明日那の目の前に飛んでくる。
「ぐあぁぁあ!」
レンガブロックが明日那に当たった。
しかし叫んだのは明日那ではなかった。正確には、明日那の中にいたウイルスが叫んだのである。
"ソルティ・バグスター"。スタンガンのようなパワーアームを持った化け物だ。
ハットにマントを身に着けており、その化け物は『先程まで明日那が座っていた場所に、座っていた』。
つまり、明日那にブロックが命中した瞬間、明日那の姿がソルティに変わったのだ。
人が、化け物になったのだ。
「私が、引きずり出された!?」
それにはソルティ本人が一番驚いているようである。
一方で永夢はニヤリと笑う。なんだか雰囲気が変わった。目を細め、ソルティを睨む彼に、先程までの『優しさ』はない。
「ソルティ! お前の野望もココまでだ!」
「なに……!?」
「患者の運命は――」
右手に持ったガシャットを左前に突き出す永夢。
「オレが変えるッッ!!」
さらにそのまま両腕を大きく旋回。
左手を開いて前に、その後ろにガシャットを構える。
「変身ッ!」
チャキっと音がした。
一瞬でガシャットの向きを変え、左手に持ちかえると、一気に下にあるドライバーへ装填する。
「変身!」『ガシャット!』
ガシャットをドライバーにセットすると、永夢を中心にキャラクターアイコンが出現して回転する。
『レッツゲーム! メッチャゲーム! ムッチャゲーム! ワッチャネーム!?』
永夢は手を前に突き出すと、前方にあったアイコンを弾いた。
『アイム ア カメンライダー!』
そこには三頭身のドクターライダーが立っていた。
「ウォオオオオ!!」
窓ガラスが破壊される。
組み合ったエグゼイドとソルティ。空中に出現したレンガブロックを一度踏みつけ、二人は公園に墜落していった。
木々の葉を巻き込みながら地面に落ちた二人。
だが双方すぐに立ち上がると、ソルティはアームに大量の電撃を纏わせて大きく振るった。
雷撃が迸り、エグゼイドの方へと向かっていく。
しかしエグゼイドは地面を蹴ると跳躍。エグゼイドの軌道に合わせ、空中にレンガブロックが出現していき、それを足場とすることでエグゼイドはどんどん空高く昇っていく。
電撃もエグゼイドを捉えられず、一方でエグゼイドはソルティに向かって降っていった。
「ぐあぁあ!」【HIT!!】
頭を踏みつけると、エフェクトが出現してダメージが入ったと一目で理解できた。
怯むソルティと、その背後に着地するエグゼイド。手には専用武器、ガシャコンブレイカーが握られていた。
「おらぁあ!!」
フルスイング。
ハンマーがソルティに命中すると、ソルティの体が大きく後ろへ吹き飛んだ。
もちろんただ吹き飛んだわけじゃない。明日那の体から引き剥がされるようにだ。
明日那は地面に倒れ、ソルティもまた芝生の上を転がっていく。
エグゼイド、レベル1。
その能力は患者の体からバグスターウイルスを引き剥がす事である。
そしてレバーに手をかけ、引くようにして展開する。
「大変身!」『ガッチャーン! レベルアーップ!』
ゲーマドライバーからゲートが発射され、そこを通り抜けるエグゼイド。
するとゲームエリアが展開し、周囲の景色がまるまま変わっていく。そこで、エグゼイドは地面を蹴って飛び上がった。
周囲は青い空に平原のステージ。道中にはドーナッツやらマカロンやらがアイテムとして浮かんでいる。
『マイティジャンプ!』
突き出した拳に宿るエネルギーエフェクト。
『マイティキック!』
突き出した足がエネルギーを拡散する。
『マイティマイティアクション!』
装甲が弾け飛び、レベルワンの頭部からニュッと手足が生えるように出てくる。
両手両足を広げているエグゼイドは、一度体をちぢこめて、直後大きく伸びを行った。
『エーックス!!』
突き出す右手を天に突き上げ、右ひざを曲げてポーズ。
消失するゲームエリア。エグゼイドはそのまま地面に着地する。
そこに立っていたのはエグゼイド・アクションゲーマーレベル2。
ガシャコンブレイカーを再び出現させると、ボタンを押して剣を伸ばした。
「ソルティ! オレがお前を攻略してやるぜ!!」
「エグゼイド! おのれ、しょっぱいヤツめ!」
ぶつかり合う剣とアーム。
雷撃やカラフルなエネルギーが周囲に拡散し、二人は広場を駆け回るように斬り合い、殴りあう。
何をおかしな話をと思うかもしれないが、それはまるで、遊んでいるようにも見えた。
現に、ソルティは楽しそうに笑い、攻撃を仕掛けていく。受けていく。
一方でエグゼイドは患者を救うためだ。ソルティの肩を蹴り、跳躍で背後に回ると、マントを掴んで思いきり投げ飛ばす。
「ウォオオォオ!」
ソルティは空中に浮遊するレンガブロックに叩きつけられ、破片と共に地面に墜落した。
追撃を仕掛けようと走り出すエグゼイドだが、ソルティの体が発光し、その姿が僅かな変化を遂げる。
ハットのデザインが変わったのだ。黒いハットから、白くて塩の結晶が埋め込まれたようなものに変わる。
そして立ち上がったソルティはエグゼイドの剣を受け止めると、容赦なく胴体にアームを打ち込み、電撃を流し込んでいく。
「ぐッ! ぐあぁあ!」
地面を転がるエグゼイド。立ち上がろうとしたところで、地を這う電撃が直撃する。
「ぐあぁぁあ!!」
「レベルアップした私に勝てるか! エグゼイド!!」
ソルティは飛び上がり、アームを叩きつけようと迫る。
しかしエグゼイドはホルダーに装備されていたガシャットを引き抜くと、素早くそれを起動させる。
『ゲキトツ! ルォボッツ!!』
エグゼイドの前に広がるタイトル画面。
それがシールドとなり、突き出されたソルティの拳は遮断される。
それだけでなく画面から赤いロボットが出現、突進でソルティを弾き飛ばすと、大きく旋回してエグゼイドのもとへ迫る。
『ガッチョーン』『ガシャット!』
エグゼイドは一度レバーを戻すと、ガシャットを装填して再びレバーを開く。
「大ッ、大! 大変身!」『レベルアーップ!』
『マイティマイティアクション! エーックス!』
『
『ブットばせぇーッ! 突撃ィ!』『ゲ・キ・ト・ツ・パンチぃーッ!』
ロボットがエグゼイドを食べるようにして装着された。
『ゲ! キ! ト! ツ! ロボッツ!』
メタリックレッドの装甲がエグゼイドに追加される。額に輝く黄金のV字アンテナ。
一番の変化は左腕。大きな強化アーム、ゲキトツスマッシャーが装備され、その腕力を跳ね上げる。
「――うッ」
目を開ける明日那。
体を起こすと、そこには信じられない光景が広がっていた。そのあまりの異質さに目を丸くし、自嘲気味に笑ってみせる。
「なにこれ……?」
殴りあうエグゼイドとソルティ。
巨大なアーム同士がかち合い、両者は地面を滑りながらにらみ合う。
「久しいな! エグゼイド!」
「あ? 何がだよ!」
「この時! この時間! 当たり前のようで――ッ、実に長かった!」
エグゼイドは左アームを発射し、ロケットパンチとしてソルティに向かわせる。
一方でアームを前に出すソルティ。塩の結晶型バリアが展開され、ロケットパンチを弾き返す。
だが既にエグゼイドは走っていた。手にはハンマーモードにしたガシャコンブレイカーを持っており、それで戻って来たアームを思い切り打ち返した。
勢いが戻り、体勢を整えて再び飛んでいくパンチ。それは塩の結晶を破壊すると、ソルティに直撃して大きく吹き飛ばす。
「思えば――、お前と私は同じゲーム! 同じ世界の住人だった!」
雷が落ちた。ソルティに直撃したそれは偶然ではない。
電気を纏いながら立ち上がるソルティ。その姿が変わっている。
ハットは中折れハットになっており、スタンガンのようなアームは片手だけでなく両手に変わっていた。
「だがそれは――、もう!」
両手のアームから凄まじい量の雷撃が発射された。
青白い光の中にエグゼイドが消えていく。思わず目を覆う明日那。しかしその時、再び衝撃が迸った。
\ウィーアー!/
「何言ってやがる! さっさと終わりにしてやる!」『マイティマイティブラザーズ!』
\ヘイ!/『ダブルエーックス!』
肩にある分割された『頭部』をあわせる事でバリアが発生し、エグゼイドは雷撃を防ぎきった。
一人だったエグゼイドは二人に。ダブルアクションゲーマー、オレンジと青緑のエグゼイドは同時に走り出し、ソルティに距離を詰めていく。
「永遠は一瞬だ! そして一瞬は永遠だ!」
ガシャコンキースラッシャーとアームがぶつかり合う。
「お前には矛盾している様に聞こえるのだろうな! だが私は知っているぞ! 永遠も一瞬も、全ては同じなのだ!」
青緑に雷撃を飛ばすソルティ。
しかしオレンジがアックスモードで雷撃を切裂くと無効化。
さらにそこでキースラッシャーを青緑にパスして走り出し、ソルティに殴りかかる。
拳が交差する。
次々に浮かび上がるHITの文字。そこでソルティの足に衝撃が走った。
オレンジの背後にいる青緑がガンモードで銃弾を発射し、ソルティの足を撃って怯ませたのだ。
その隙にオレンジが回し蹴りでソルティを地面に倒した。
地面を二度転がったところで立ち上がるソルティだが、既に青緑がオレンジの肩を蹴って飛び上がっており、再び飛び蹴りがソルティの胴体に突き刺さる。
「グッッ!!」
マントを翻しながら後退していくソルティ。
しかしやはりどこか彼は楽しそうだった。
「いつまでも永遠に、お前とお菓子に塗れて戦うことでも良かったのだ。今になって、その楽しさに気づく!」
「何が言いたい!」
「私は気づいた! そしてお前は気づかない! それだけだ!!」
再び殴りかかるオレンジ。
しかし拳がソルティを捉えることは無かった。というのも、エグゼイドの拳がソルティの胴体に『沈んだ』のだ。
液状化。
ソルティはレベルアップして海水になった。
そして攻撃を無効化すると、エグゼイドの背後で実体化して両手のアームをオレンジの背に強く押し付けた。
「ぐあぁぁあ!!」
一瞬、悲鳴。だがそこでオレンジは粒子となって消え去る。
ソルティがその行方を目で追うと、同じく粒子となっていた青緑と交わりあい、明日那の目の前でレベル2の姿となって実体化する。
どうやらガシャットを抜いたらしい。一方でエグゼイドはマイティアクションのガシャットを引き抜くと、大きなガシャットを取り出してゲーマドライバーへ装填した。
「いいのか?」
「あ?」
「本当にお前は、それでいいのか?」
「どういう意味だよ」
「文字通りだ。お前は私を倒すのか? 先に進むというのか? 未来は地獄だ。なぜか? 決まっている。未来とは、即ち、無限の可能性」
「なんだか知らないけど、オレは患者の笑顔と自由を守る。それだけだ!」『レベルマーックス!!』
巨大なパワードアーマーが空に浮かび上がる。
そこへ入るエグゼイド。降って来たのはマキシマムゲーマー・レベル99。
エグゼイドはガシャットをキースラッシャーに装填すると、銃口をソルティに向ける。
「……?」
ソルティは動かない。液状化があるから安心しているのか?
「へッ! 余裕だな! 後悔させてやる!!」
エグゼイドは構わず引き金を引いて光の銃弾をソルティに撃ち込んだ。
「ッ、これは……?」
ダメージはない。が、ソルティは異変に気づいた。
「そうだ、お前をリプログラミングして、液状化を封じた!」
「なるほど。お手上げのようだな」
降参と言わんばかりにソルティは両手を広げ、やれやれと首を振る。
一方でエグゼイドはレバーを閉じ、再び開くことで必殺技を発動した。
「やめておけ。エグゼイド。先に進むな。これは忠告だ」
「患者の運命はオレが変える。だから、お前の運命はッ、オレが決める!」
飛び上がるエグゼイド。
「全ては無だ。だが同時に有るとも言える。私は気づいたぞ、エグゼイド」
ソルティは帽子を脱ぎ、それを地面に落とす。
「いや……、マイティ」
ソルティは逃げない、動かない、ただジッと、迫るエグゼイドの足裏を見つめていた。
「ッ」
ゲームクリアの音を聞いたのは明日那も同じだった。
へたり込む彼女の前には変身を解除した永夢が立っている。
「大丈夫ですか?」
ふにゃんとした笑顔が見える。
明日那は、それに釣られて反射的に手をだした。
「バグスターウイルス?」
「はい、明日那さんはそれに感染してしまったんです」
公園のベンチで肩を並べ、永夢と明日那は病気のことを話していた。
「そんなッ、でも……! 他の病院じゃそんなことッ」
「新種のウイルスなんです。簡単に言えば、人に感染するコンピューターウイルスみたいなもので」
「そんなッ、そんなの……、信じられ――」
そこで明日那は口を閉じた。今見た光景を嘘などと、どの口が言えるのだろうか。
事実、明日那を取り巻いていた異常はすっかり消えている。体の調子は健康そのものだった。
「明日那さんが感染したのはバグスターウイルスの中でもソルティと呼ばれるタイプです。倦怠感や嫌悪感に包まれ、嫌な事があると暴力的になります。それは他のウイルスも同じですが、ソルティの場合一番の特徴は塩を異常なほど摂取するようになります。塩分中毒で、明日那さんの部屋にあった塩がそれを物語っています」
「そんな……、じゃあ私は――ッッ」
明日那は頭を抱え、ボロボロと涙を流し始めた。
「ッ、明日那さん――?」
「何を食べても、おいしくなくなりました……! ううん、それだけじゃない、友達付き合いも性格が乱暴になったせいで……!」
高校生の途中で父が事故死し、明日那は同時期に発症した。
バグスターウイルスはストレスが強いと進行が早くなっていく。
いろんな病院を回ったが、どの医者もバグスターウイルスを診断しきれず、精神の問題だと口を揃えてきた。
高校生活が不安だから。みなそれで納得し、なんとか平然を装うとしてもイライラしやすくなり、他者に攻撃的になる。
それで友達はいなくなり、明日那は自分に対する自虐と怖さから不登校になった。
そうしている内に留年が決定し、周りの目に耐えられなくなった彼女は学校をやめてずっと引きこもっていったのだ。
気づけば、5年以上が経過していた。
父が残してくれたお金もそろそろ尽きる。
その中で母親は必死に明日那の治療法を探し、CRの存在までたどり着いたのだ。
「どうして……、どうしてもっとバグスターウイルスの事を広めてくれなかったの!!」
当然最寄の病院である『永夢達の病院』にも足を運んでいた。
しかしそこでもCRまでは案内されず、心の問題として処理された。
「それは――、ごめんなさい。まだバグスターウイルスは未知の部分も多く。治療法が確立されてきませんでした。このゲーマドライバーが開発されたものつい最近で」
ましてや明日那もはじめは塩辛いものが好きになってきたと言うだけだった。
本格的に塩だけを摂取しはじめたのはココ最近だ。
「ううぅうぅッ! ううぅぅぅ!!」
ボロボロと明日那は涙を零す。
治ったことは嬉しいが、失った時間や絆は戻ってこない。いろいろな人を傷つけた。
その中には親友もいる。母に対しても、今は懺悔の気持ちしか湧いてこない。
「………」
永夢は複雑そうな表情でそれを聞いている。彼が目指す医療は患者が笑顔になる事だ。
今は、あまりにもかけ離れている。だから永夢は強く頷くと、明日那に向き合った。
「明日那さん。もし良かったら、ボクとお友達になってくれませんか?」
「え……?」
「ゲーム病はストレスで進行が強まる病気です。ストレスを抱えたままだと、再発の可能性もあります」
「そんなッ!」
「ですから、今後も週に何度か明日那さんの様子を確かめさせてください」
「………」
意味は分かる。明日那は、一度は頷いた。
しかし、ジロリと永夢を睨んだ。
「同情、ですか?」
「え?」
「かわいそうですもんね、私」
「………」
永夢は、しっかりと首を振った。
「それはボクには分かりません。けれど明日那さんは、まだ笑顔じゃない」
「笑顔、ですか?」
「はい。明日那さんがもし今の自分を可哀想と思っているなら、可哀想なんでしょう」
「………」
少なくとも、そこからは変えたい。
それが永夢の医療だ。だから明日那を笑顔に変える。その時、明日那が今の自分を再評価すればいい。
「どうせなら、かわいそうより、かわいそうじゃない方がいいでしょ?」
「う、うん……」
「じゃあ、行きましょうか。帰りにケーキでも買っていきましょう!」
勢いよく立ち上がり、走り出した永夢。しかし足がもつれたのか、思いきりスッ転んで見せる。
「だ、大丈夫ですか? え、えぇっと」
「宝生永夢です。いててッ、あ、すいません。これ結構クセで」
「こ、転ぶのが癖なんですか?」
「え、ええまあ。変ですか?」
「かなり」
思わず吹き出してしまう。しかしなんだか永夢が一生懸命に見えて、少し安心した。
二人は帰りにケーキを買って分かれた。イチゴショートは不味くて食べられたものじゃないと思っていたが、久しぶりに食べるととても甘くて美味しかった。
美味しくて美味しくて、明日那はまた泣いてしまった。
翌日。
インターホンが鳴って、明日那が扉を開くと、そこにはケーキの箱を持った永夢が立っていた。
「宝生先生。来てくれたんですか……?」
「はい。だって約束しましたから」
永夢の笑顔に釣られて明日那も笑みを浮かべる。
リビングに招かれる永夢。母親は仕事に行っているらしく。今は明日那一人が家にいた。
「ケーキ、買ってきてくれたんですね」
「はい。チョコレートなんですけど、大丈夫ですか?」
「もちろんです。甘いの大好きなんで! あ、コーヒー淹れますね」
一日経って明日那もだいぶ落ち着いていたようだった。
健康な体では、健康な精神が養われる。明日那は永夢の前にカップを置くと、向かいに座る。
「昨日はごめんなさい。宝生先生は私の事を気遣ってくれたのに、私、同情だとか酷いこと」
「いえ。仕方ありません。ボクも明日那さんの苦しみを分かってあげられればと思うんですけど、こればっかりは」
「でも、先生は私を助けてくれた。今はそれで十分です」
明日那はコーヒーを一口飲むと、微笑んだ。
これが彼女の本当の表情なんだろう。と、永夢は思う。
「今は元の生活に戻るためにいろいろやってます。高校は夜間とかもあるし。資格とかも勉強しようかなって」
「へえ。じゃあ今は勉強を?」
「あ、いやッ! 今はちょっと料理を……」
母親に教えてもらっているのだという。今までは塩味以外ろくに感じられなかったため、味覚を取り戻すという意味でも料理を中心にやっているらしい。
もちろん料理と言うスキルはあって困るものでもない。と言うことで明日那はインターネットのレシピサイトを参考にいろいろやっているワケだ。
「今も肉じゃが作ってて」
「へえ。食べてみてもいいですか?」
永夢としては何気なく言った言葉だが、明日那は顔を真っ赤にして手を振り始めた。
「い、いやッ! その! まだ全然感覚とか戻ってなくて! さっき味見したけどしょっぱくて! と、とても人に食べさせるものでは――ッ!」
「でも明日那さんが前に進もうとしている証拠でしょ? はじめに食べてみたいですボク」
「え? あッ、その……!」
「料理は人に食べさせるものですから! だから、お願いします」
永夢の笑顔を見ると断るのが申し訳なくなってしまう。
だから明日那はしぶしぶ頷き、永夢の前に肉じゃがを持っていった。
「あの、おいしくなかったら残してもいいですから。食べなくてもいいですから」
「………」
自信なさげに目線を落とす明日那。
永夢は牛肉とじゃがいもを一緒に口にすると、咀嚼していた。
「確かに、ちょっとしょっぱいですね」
「やっぱり……」
「でも塩の量だけですよ」
「え?」
「だって肉とかジャガイモとかしっかり味ついてるし。切り方だって完璧じゃないですか。ボク、じゃがいもの皮うまく剥けないのに、明日那さんは完璧だ。それにほら、彩りも綺麗だし盛り付けだって考えてるし」
「あ、あ、あ」
「なにより具の大きさが食べやすくていいですよね。ちゃんと相手の事を考えてくれてる。とても素敵な料理だと思います」
「ありがとうございます……!」
頬を桜色に染めて俯く明日那。しかしその口は確かに釣りあがり、嬉しそうだった。
それを見て永夢は微笑む。どうやらこの調子で行けば、明日那が過去を過去として割り切れる日はきっと来るだろう。
その日はそれで別れた二人だが、永夢はすぐにまた明日那のところへ顔を見せた。お土産はいつもケーキだ。
「宝生先生。あの、今日は、シチューを……」
「本当ですか! もし良かったら――!」
「は、はい。あのッ、不味かったら――」
「大丈夫ですよ。この間の肉じゃがだって美味しかったし」
「は、はい! ありがとうございます。すぐ持ってきますね!」
気づけば明日那は笑顔を浮かべていた。
シチューを口に運ぶ永夢。すると目を輝かせて思わず立ち上がる。
「おいしい! すっごく美味しいですよ明日那さん!」
「ほ、本当ですか? 嬉しいです……!」
「本当です本当です。おかわりもらっても良いですか!」
「わぁ、はやいですね! おなか空いてたんですか?」
「そうなんですよ。ボクの友人がいつもお昼奪ってきて」
サイクルはいつも永夢がケーキを持ってくる。
明日那が料理を作る。それを食べながら世間話や近況を報告する流れだった。
「じゃあボクはこれで」
「はい。さようなら……」
一通り会話が終わると、永夢は明日那と別れる。
扉が閉まると、明日那は頬を桜色に染めたまま胸に手を当てる。
そのサイクルは次も、その次も続いた。永夢には毒がない。
明日那も警戒をとき、永夢の前でよく笑顔を見せるようになっていった。
(宝生先生優しいな……。料理褒めてくれるし、嬉しい)
しかしハッとして首を大きく振る。
(って何考えてるのよ。お世辞に決まってるでしょ。まったく、もう)
しかし沈黙。たとえお世辞であったとしても、嬉しい事にはかわりない。
気づけばもっと言ってほしいだとか、もっと褒めてほしい、もっと笑ってほしい。そんな感情ばかりが明日那の脳にチラついてきた。
「ふ――、ふひひッ」
気持ちわるい笑い声が出ててきて、明日那は思わず自己嫌悪にうな垂れた。
しかし考えてみれば、それだけ笑い方を忘れていたという事ではないだろうか。そうだ、取り戻してくれたんだ、永夢が。
「……宝生先生」
次はいつ会えるんだろう?
そんな事ばかり考えて、それが希望になった。
永夢が来てくれると分かった日には、一日中鏡の前で自分の姿がおかしくないかを確認したりもしていた。
三十分くらい前髪を整えていたのは客観的に見てもバカらしいと分かっている。しかしそれでも、少しでも永夢の前で綺麗な自分でいたかった。
「あ! はい!」
インタホーンがなった。明日那はせっかく整えた前髪が乱れるほどのスピードで玄関まで走り、永夢を迎えに行く。
しかし嬉しいことばかりではない。明日那には一つ、大きな焦りと不安があった。
と言うのも、永夢の前で笑顔を見せれば見せるほど、永夢はしきりに同じ言葉を口にしはじめた。
『このままなら大丈夫ですね』
『もう再発の可能性はないと思います』
『そろそろ大丈夫ですね』
そう、健康なのは良い事だ。だからこそ明日那は少し悩んでいるのである。
だからだろう。こんな事を言ってしまったのは。
「あの、宝生先生ってお昼はいつもどうしてるんですか?」
「え? ボクですか? 病院に食堂があるんです」
「………」
「明日那さん? どうかしましたか?」
「あ、あの、あの、あ、あの、あの……」
「ッ?」
「――ふひひ」
緊張しすぎて笑ってしまった。若干死にたくなったが、引きこもり生活が原因なので仕方ないと明日那は割り切ることに。
そして意を決したのか、顔を真っ赤にしながらも永夢を見た。
「も、もし良かったら――、あの、お弁当とか。私、作りますよ……」
「えッ?」
永夢も理解したのか、顔を赤くして思わず立ち上がる。
とは言え、立ち上がったところでどうにかなるワケでもなく、頭をかいて謝りながら再び椅子に座った。
「あのッ、えと、変な意味じゃなくてッ、だから、私今ヒマですし……! あははっ! だから、それで、なんて言えばいいのか。お、お弁当はいろんな料理を入れるから勉強になるし、見栄えも気をつけないと……って、あの、ごめんなさい、迷惑ですよね」
早口に言葉を並べていく明日那。
永夢は一度コーヒーを飲むと、首と手を振ってみせる。
「そんな迷惑だなんて。でもそこまでしてもらうのは――ッ」
「そうですよね。いやですよね」
「いやッ、だから、イヤじゃないですけど……!」
「ほ、本当ですか! だったら!!」
翌日。
食堂で貴利矢は目を丸くして、永夢が持ってきた弁当を見つめていた。
「おい名人。なんだよそれ。コンビニで買った……、ワケじゃないよな」
「まあ、うん。そりゃあ」
「誰かに作ってもらった? 母ちゃんが帰って来たのか?」
「いやッ、じゃないんですけど」
「まさか……、女!?」
「そ、そんな言いかた! あの人ですよ、ほら、仮野明日那さん」
「あぁ、ソルティの。なんだよ、名人もちゃっかりしてるな」
「そんなつもりじゃ……!」
「ふぅん。まあいいけど。どれどれ、じゃあ自分はこのタマゴ焼きを――」
「ダメですよ。食べないでください!」
「ッ、なんで!」
「人の物を勝手に食べるのはダメです!」
「じゃあ許可があればいいってか? 食わせてくれよ名人」
「やですよ!」
「なんでだよ!!」
「どうしてもです! 触るなハイエナ!」
「ケチだぞチベットスナギツネ!!」
ワーワー言い合いながら暴れまわる二人。
必死に弁当をハンティングしようとする貴利矢と、それから逃げ回る永夢。
結局次の日も、その次の日も似たような光景が続いた。
そんなある日のこと。貴利矢が帰ろうとした時だ。病院の前に明日那が立っているのが見えた。
「あれ? アンタ、たしか……」
「え?」
「そうだ、仮野明日那さん?」
「は、はい。そうですけど」
「なんだってこんな所に? もしかしてまた具合悪くなった?」
「あ、あの、貴方は――?」
訝しげな視線を送る明日那。
当然だ。仕事終わりの貴利矢はアロハシャツにジャケットを羽織り、丸いレンズのサングラスという医者には見えない服装である。
それに気づいたか、貴利矢はサングラスを取ると、ニヘラと笑った。
「こりゃ失敬。自分は九条貴利矢。宝生永夢と同じCR所属のドクターさ」
「あ! 貴方が!」
「まあと言っても自分は監察医なんで。主にバグスターウイルスにより死亡した患者さんを調べる役目ってわけ。あんたを調べず済んで良かったよ」
「は、はぁ」
「あぁ、悪い悪い。で? なんでココに?」
「あ、はい! 宝生先生を待ってたんです。たまたま通りかかって。もしかしたら会えるかなって」
貴利矢はポカンとした表情を浮べる。
どうやらアポは取っていないらしい。本当にただ純粋に永夢を待っていたのだ。
とは言え、もちろん病院の入り口は一つではなく、ここから永夢が出てくる保障など無かった。
にも関わらず明日那はずっと待っていたのだ。なぜか? 決まっている。永夢に会いたかったからだ。それを理解すると、貴利矢はニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「ははあ、アンタもしかして永夢に惚れてんのか」
「えッ! ち、ちがいます! そんなッ、私はただ!」
「あれ? 違うの?」
「は、はい! も、ももももちろんッ!」
「まあ、そりゃそうか。アイツ彼女いるしな」
「え……? そ、そうなんですか」
青ざめ、眉を八の字に変える明日那。
それを見ると、貴利矢は笑い声を上げる。
「嘘だよ。ノセられちゃった?」
「え、えぇ!?」
「分かりやすいねお嬢さん。嘘をついたのはお互い様ってワケだ」
「う、うぅぅ!」
「ただこれはマジな話。期待しないほうがいいぜ」
「え? ど、どういうことですか?」
「永夢のヤツ、そういうの全然疎いんだ。アイツまじで童貞だぜ。賭けてもいい」
「ど、どどどどどッ!」
「なに照れてんだよ。んな歳でもないだろ。だからさ、もし本当に付き合いたいなら自分から言ったほうがいいな。告白なんて待ってたら一生ムリだね。うん」
「そ、そう……、なん、ですか。でもッ、うぅぅ」
「ああ、そうだ。ちょっと待ってな」
「?」
そう言うと貴利矢は一度病院に戻っていった。
なんだろうか? 明日那がしばらく待っていると、一分ほどで貴利矢が戻って来た。手には茶色い小さな瓶が。
貴利矢はそれを明日那に手渡した。
「これは?」
「告白薬」
「……はい?」
「自分、薬学も齧っててね。それを飲むと告白する勇気が湧いてくるし、成功もしやすくなる」
「そんな。またからかってるんですか!」
「マジだって。あのさ、なんで嘘だって思うわけ」
「だってそんな薬! あるわけないじゃないですか!」
「常識がそういう答えを出すわけだ。でもさ、あんたも知ってるっしょ? 常識なんて、常識じゃないんだよ」
それは明日那にも分かる話だった。
バグスターウイルスだとか、常識的に考えて存在するわけのない存在だったのに、存在した。
その意味が分からぬわけじゃない。明日那が信じていたものは、結局と『嘘』であった。まだ何も知らない。だからそういう薬があるのかもしれない。
明日那はすぐに引き込まれ、貴利矢からそれを確かに受け取った。なにより、裏に大きな焦りがあったからだ。
「ギアははやめにトップにしたほうがいい」
「え?」
「医者は、患者だから関わるんだ。健康になったやつは患者じゃない。当然だよな」
「……それは」
貴利矢は携帯を取り出し、画面をタップする。
「あ、もしもし? 名人? 今ちょっとさ――」
貴利矢が連絡してくれたおかげで、明日那は永夢に会う事ができた。
どうやら永夢が出て行ったのは別の出口らしく、このままならば明日那は病院の前で立ち尽くしていた事だろう。
「明日那さん!」
「宝生先生!」
二人が再会するのを見ると、貴利矢は笑みを浮かべたまま消えていった。
一方で永夢と明日那は肩を並べて帰路につく。永夢はスクーターを押しており、他愛ない会話を交わしていく。
「今日もお弁当ありがとうございました。とっても美味しかったです」
「ほ、本当ですか。ありがとうございます、うれしい……!」
微笑む明日那を見て、永夢はふと足を止める。
「明日、予定は大丈夫ですか?」
「えッ!」
「検査を行おうと思うんです。それでもしも異常が無ければ、明日那さんはもう大丈夫」
「え……?」
期待からの落胆。
なにかに誘われるかと期待しては見たが、思い出されるのは貴利矢の忠告だ。
そうだ、分かっている。永夢にとって自分はただの患者でしかない。それ以上でも以下でもない。分かっている。分かっているんだ。
「それが終わればもうボクの役目は――」
永夢は気づいた。明日那がなにやらゴクゴクと何かを飲んでいる。
茶色い小瓶に入った何かを。
「ぷはぁっ!」
「明日那さん?」
「あ、あの! 宝生先生!!」
「え? あ、はい。なんでしょう」
「も、もし! もしよければですよ! あ、あのッ、もし、本当に――」
「ッ」
「――違う」
「へ?」
「ち、違う。違う、うん。違う。うん、うん、違う。絶対、ダメ」
「な、何がですか?」
明日那は頭を抱えて呻き始める。
違う。この緊張。この感情。違う。そうじゃない。そんな綺麗なことを期待しちゃいけない。
明日那は理解してしまった。己の求めているのはキラキラして、青くて甘酸っぱいようなものじゃない。
もっとドロドロして汚くて、でも、それでも喉から手が出るほどに欲しいものなのだ。
「先生、聞いて」
「は、はい」
「私は、友達がいました。夢とかもありました。学校にいたらもしかしたら恋人もできたかもしれません」
「………」
「で、でも、そういうの全部無くなっちゃった。親友だったのに酷いことして、酷いこと言って。だから酷いこと言われて、いなくなって。でもそれは仕方ないんです。だって、私は分からなかったんだもん。私が悪いんだもん」
「明日那さんは悪くないです。悪いのは全部、あなたの体を蝕んでいた病だ」
「それ、それなんですッ」
「え?」
「あなたのそういう言葉が私を安心させる。私ね、きっとただ治されただけだったら何も変わってなかったかも。だ、だって、そうでしょ? 私は治っても私の病気を誰が理解してくれるの? 誰が元に戻った私に接してくれるの? そもそもどうやって生きていけばいいのかとか、全然ッ、分からなくて」
「大丈夫。ボクが――」
「だからそれ! それがイヤなんです」
「え? あッ、ご、ごめんなさい。何か気に障る様なことを?」
「ち、違う。違くて。だからね宝生先生が友達みたいな事してくれるのとか、本当に辛いんです。だってまた消えちゃうかもしれない。またいなくなっちゃうかもしれない。そしたらもう私耐えられない。だって私にはお母さんがいるけど、年上だから先に死んじゃうし、そしたら私は一人ぼっち。友達? ううん、作れないよ、怖くて怖くて」
「明日那さん……」
「だからもうイヤなんです。怖いんです。辛いんです。生きていくのが。だって失うかもしれない。今もほら、宝生先生がいなくなりそう」
「で、でもボクは――」
「そう。だから、これは私のエゴ。どうせいなくなるならその前にせめて――ッッ!!」
それはいきなりだった。
明日那は永夢の襟首を掴むと、唇を永夢の唇に押し当てた。
「!??!??!!?!?!?」
真っ赤になって固まる永夢。
すぐに明日那を引き剥がそうとするが、明日那は永夢を掴んで離さない。一方で明日那の目からボロボロと涙が零れていく。
明日那は唇を離すと、泣きながら笑っていた。
「ご、ごめんなさい。本当にこんな最低な事。ごめんなさい。許して。でも、お願いだから許してください。私は貴方が好きなんです。好きになっちゃったんです。ボロボロの私に優しくしてくれたから。でもね、あなたはきっと皆に優しいんでしょうね。だからせめて、最後に、最後でいいから……!」
何も得られずに別れるなんて耐えられなかった。
だから最後にどんなに嫌われても、愛の証明が欲しかった。
無理やりだったとしても、記憶を湾曲していつまでも大切に胸にしまっておける事実が欲しかった。
明日那は踵を返し、走り出そうとする。
だがその時、永夢に腕を掴まれた。
「い、いかないで!!」
「えッ!」
永夢は明日那を強く抱きしめる。スクーターが倒れたが気にしない。
永夢はただ強く、明日那を抱きしめた。
「ぼ、ぼ、ボクも――ッ! あ、あ、あなたが好きです!!」
「え?」
しばし沈黙。
「嘘」
「ほ、本当です!」
「だ、だって! そんな素振り!」
「見せられませんよ! だ、だってボクはあくまでも医者でッ、明日那さんは患者さんなんだから!」
「で、で、でも! え? じゃあどうしてッ、なんで私なんかを――」
「なんかって! 明日那さんはとても素敵な人です!」
それはあまりにも普通の理由過ぎて、なんの飾り気も派手さ面白みもない理由だった。
永夢は医者になるために青春を捨てて勉強をした。そして小児科研修を終え、しばらくしてからCRに選ばれた。
女性と知り合うこともなく、そんな時に明日那と出会った。
はじめは本当にただの患者だったが、長く接しているうちに特別な感情が心の中にチラついたとしても何ら不思議じゃない。
もちろんそれを自覚し、育む事を永夢は望んでいたかといわれれば微妙なラインだ。
患者は患者。その線引きはしっかりとするべきだと、永夢は自制していた。
が、しかし、現在、明日那のアクションを受けて永夢の感情も暴走ぎみである。
気になっている女性がこう言ってくれているのだから、心のうちを晒さなければと迫られた。
なによりも先程のキスは、決して褒められたものではない。しかし永夢は、それを嬉しいと思ってしまった。
だから明日那の手を掴んだ。それだけの理由なのである。
「………」「………」
困ったように立ち尽くす二人。
永夢は夕日に負けないくらい顔を赤くしながらも、もう一度自分の気持ちを口にしてみる。
「ぼ、ボクも、明日那さんが好きです」
「……ッ」
明日那も赤くして目を逸らした。しかし再び沈黙する二人。
「え、えぇと。ボクは明日那さんが好きで」
「わ、私は宝生先生が好き」
「じゃあ、えっと、どうすればいいんでしょうか」
「ど、どうしましょう……」
「………」「………」
携帯が震動した。
ロコモコを食べていた貴利矢はスプーンをおくと、携帯を手にする。
「はい。もしもし。あぁ、名人、どうした? え……? え? 明日那が? お前を好きで、お前は、明日那を好きで――? ウィァ……、え? 違う? だからどうすればいいかって? いやッ、え? しらねぇよ。付き合えよ」
こうして二人は恋人になった。
翌日、永夢と明日那は肩を並べて歩いていた。
いつものように明日那の家に弁当をもらいに行った後、普通ならばスクーターで病院まで行くのだが、今は歩きである。まあ元々それほど遠くない距離だ。
「ごめんね宝生先生。少しでも一緒にいたくて、ついてきちゃった」
要は病院まで明日那が歩き、永夢を見送ってからまた自宅に戻るというブーメランである。
「永夢でいいですよ」
「え? どうして?」
「え? だって、あの、その……、明日那さんの方が年上ですし」
「ちょっと……!」
「あ、ごめんなさい。じゃなくて、その、ほら、ボク達はもうそういう関係でもないでしょう?」
「そ、そっか。うん、そうだね……、永夢」
はにかみ、明日那は微笑む。
それだけでは終わらず、手を出した。
「だったら、ほら、これもいいでしょ?」
「あ……」
二人は手を繋ぎ、歩き始める。
「やっぱりこっち」
明日那は意地悪そうに笑うと、指と指を絡ませあう。
「こ、これって、確か」
「うん。恋人繋ぎ。でもいいでしょ? 私たち、恋人だもん」
「そ、そうですね……。ははは」
照れからなのか、二人は無言で歩く。
しかしそれでも、心の中にある充実感は満たされていく一方だった。
二人は時々視線を交わし、笑みを浮かべる。そうしている内に病院が目の前にあった。
「じゃあ、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい。あッ、やっぱりちょっと待って」
「?」
振り返った永夢を抱きしめ、明日那は唇に唇を重ねる。
「こういうの、ね、いいでしょ? だって私たち恋人同士だもんね」
「は、はぃ」
真っ赤になってフラフラと歩いていく永夢を、明日那は穏やかな目で見つめていた。
「ひゅー、やるねぇ」
「!!」
しかしビクッと肩を振るわせる。
後ろを見ると、ヘラヘラと貴利矢が笑っているのが見えた。
「公衆の面前では控えたほうがいいぜぇ」
「ご、ごめんなさい。ちょっと浮かれちゃって。こういうの、はじめてだから」
「そりゃいい、永夢の野郎もはじめてだろうから。いい練習になる」
貴利矢は明日那を通り抜け、ヒラヒラと手を振って歩いていく。
「あ、あの!」
「ん?」
「お薬、ありがとうございました」
「薬?」
「ほら、告白薬。あれが効いて……」
「ああ、あれね。あれ、ただのオロナミンC」
「へ?」
「ラベル剥がしただけ」
「え? え……? えぇッ!?」
「自分、頑張ってるあの子を応援したいんで」
貴利矢はニヤリと笑うと病院の中に消えていった。
明日那は真っ赤になって顔を抑えると、複雑な思いに叫んでいた。
「あ、あの、明日那さん?」
「ん?」
「ちょっと歩きにくいんですけど」
帰り、迎えに来た明日那は永夢の腕を組み、ずっとくっ付いている。
「もうね、我慢するのやめようかなって」
「え?」
「オロナミンC」
「はい?」
「我慢するのやめる」
何もおかしな話じゃない。
自分の欲望に従うだけ、それが明日那の選んだ道だ。だから毎日キスをする事にした。
タイミングはいつでもいい。ただしたくなったらするだけ。永夢もはじめは戸惑っていたが、押しに弱い性格で助かった。
そして愛も徐々にもっと大きなものがほしいとエスカレートしていく。
明日那はそれを望んだし、永夢もそれを否定する事は無かった。
だから初めて永夢の家に遊びに行ったとき、ゲームだけで終わらなかったのは必然とも言える。
そう、その『行為』は必然だった。
そのためのケージ。それは役割だ。必然は必然であるから必然と呼ばれる。
例えば人間がカイロを買うのは、温かくなりたいからだ。それはカイロが人を温めることを役割としているからで、温かくないカイロはカイロではない。
だからコレも同じだ。愛し合うから行為がある。愛が欲しいから性を望む。
おかしな話じゃない。愛の檻だ。だがそれは悪いものではなく、酷く心地いい。
それは、まるで、神が与えた、たったひとつの――。
「ご、ごめんなさい。ボク、こういうの初めてで」
「あ、謝る必要なんてないよ。私も――、その、初めてだったし。一緒だね!」
「そ、そういうものですか」
「そういうものだよ! た、たぶん」
「あっ、えっと、痛くなかったですか?」
「えぇっと、ちょっとは――、ごめん、けっこう」
「ご、ごめんなさい」
「ううん! 謝らないで! だって、こういう事ができるって事は、凄く嬉しいし。そういうの考えたら、ほら、き――」
「ッ」
「き、気持ちよかった……、です」
恥ずかしそうに目を逸らす二人。
「と、とりあえずシャワー浴びて服着ましょうか」
「そ、そだね。あ、ごめん永夢。シーツ血で汚しちゃった」
「ああ、大丈夫ですよ。明日那さんのですから、汚くありません」
「なんか、ちょっと変態っぽいよ今の発言」
「気をつけます……」
ベッドを出ようとする永夢。すると明日那が手を掴む。
なんだろうか? 振り返ると、微笑みながら手を引かれた。
「永夢。最後にキスは絶対」
「ッ」
「返事は?」
「は、はい」
日々のサイクルにキスと性行為が増えた。
それは愛を確かめる行為だ。心地いい好意は必然であればいい。
永夢もソレは拒まなかったし、むしろ望んでいるようにも思えた。
二人は惜しげもなく愛を確かめ合った。
キスも、性行為も、なるべく毎日行うように心がけた。その中にあるのは自己の証明。
明日那は嬉しかった。永夢が自分を求めてくれる事を。それは家族以外、全ての交流を失った明日那にとって何よりも喜ばしいものだ。
他人が自分を必要としてくれる。長年味わえなかった感覚だけに、快楽は凄まじい。
「ああいうの、憧れちゃう」
ある日。デート中に明日那はそんな事を呟いた。
ココは海辺のレストラン。明日那が見ていたのは食事中の家族である。
お父さんはステーキを食べていたし、お母さんはイクラ丼を食べていた。お兄ちゃんと妹はからあげを奪い合っており、それを注意されていた。
さらにココでは海老の踊り食いもできるらしく、網では新鮮な魚や肉を直接焼いて楽しめるらしい。
カニの甲羅の中で味噌が沸騰していたり、見た目で楽しませる料理が多い。
だからだろうか、先程から楽しそうな声が周囲から頻繁に聞こえてくる。
「あ、おいしいコレ。ぷちぷちしてて」
かずのこのお寿司を口に運ぶ明日那。
「こっちの熟成マグロも美味しいよ。永夢も食べて。はい、あーん」
「は、恥ずかしいよ」
「いいじゃん。私たちも見せつけようよ。ね? あーん」
「あ、あーん」
「はい、よくできました」
モグモグ咀嚼している永夢を見つめて明日那は微笑んだ。
しかしふと思う。ああ言う家族に憧れるというのは、まあある種、『夢』みたいなものだ。だからふとチラつく、夢と言う単語。
「ねえ、永夢ってさ、夢とかあった?」
「小さいときに事故で手術したんです。それで助けてくれたお医者さんに憧れて、ずっと医者になるのが夢でした」
「で、目指してなっちゃうんだもんね。永夢は凄いよ」
「いろんな事を犠牲にして勉強してたからね」
「そうじゃない道とかも考えた?」
「それはもちろん。プロゲーマーとかもいいかなって」
「永夢ゲーム大好きだモンね」
「うん。やっぱり好きな事を仕事に出来るのもいいよね」
「そっか……」
「明日那さん? どうしたの?」
「うん。あのね、私も実はちょっとした夢があってさ」
「へえ、どんな?」
「歌――がね、好きなんだ。音ゲーとかも好き。でも一番は歌うのが好き」
「へえ、初耳かも」
「うぅん、言ってなかったし」
「どうして? 言ってくれれば良かったのに」
明日那は目を逸らし、ストローを噛む。
「は、恥ずかしいかなって」
「えぇ? 夢なんだから良いと思うけど?」
「そう、そこがね。やっぱり今さら歌手とかおこがましいと思うし、そこまでの実力も無いし。あと、えと、その」
「?」
「歌手って言うか……、アイドル?」
「へえ、女の子っぽいね!」
「もう、馬鹿にしないでよ!」
「し、してるつもりはなかったけど……! ごめんなさい」
そこで永夢はハッとして表情を変える。
「だったらさ、歌ってみたとかは?」
「え? なんだっけそれ」
「ほら、ネットで――」
今日日、さまざまなコンテンツが発展し、エンターテイメントはより広い形態を見せている。
歌や絵に自信があるものは、昔よりもよほど簡単に自尊心を満たせるし、そこから大きな可能性を生み出すことだってできる。
歌ってみた、とは、文字通りインターネットに自分の歌声を投稿することである。
プロと一番違う点は、歌が既存のものである場合が多い。そこで歌唱力を披露し、運が良ければ曲を提供してくれる人間に出会えるのだ。
たかが素人の歌声と侮るなかれ。現在は、そこからCDを出す者も少なくはないし、さらに有名になれれば本物の歌手になる事も可能である。
「ね、やってみようよ」
「え? で、でも……」
「大丈夫。ボクがついてるから」
「永夢――ッ」
「もちろん、イヤなら止めてもいいし。やりたくないならやらないよ」
「………」
せっかく健康になったんだ。
病気の時はあれもやりたい、これもやりたいだったのに、今さら怖いからやらないなんてふざけた選択肢は取りたくなかった。
だから明日那は強く頷くと、永夢の手を握り締める。
「協力してくれる? 永夢」
「もちろん!」
とは言え、さっそく問題が一つ。
明日那はアイドルに憧れている。とは言えど、その本質は人にチヤホヤされたいというよりは歌って踊りたいという面が強い。
とは言えその二つを両立させるためには当然人前に姿を晒さなければならない。だがしかし、今の明日那にはそれは非常に抵抗のある話だった。
「うーん、だったら姿を晒さなければいいんじゃないでしょうか」
「簡単に言うけど、そんなのできる?」
「たとえば、別人になるとか」
「え? 別人……?」
「ねえ、永夢……、これッ、どうかな?」
「いいと思うよ! うん! すっごい似合ってる!」
「本当……?」
ピンクのウィッグ、カラフルな衣装、音符をモチーフにした髪飾り。
家に帰った二人はお土産に大量のコスプレグッズを選んだ。そして着替えた明日那、鏡の前にはなるほど確かに『別人』が立っているではないか。
「明日那さんアニメ声上手いですから。声を変えれば明日那さんだって気づきませんよ」
「確かに、私も今ビックリしてるもん」
「うんうん。それで、名前は何にします?」
「うーん、ポッピーポポパポ」
「由来は?」
「なんとなく」
「ピポパポの方がかわいくないですか?」
「たしかに! じゃあポッピーピポパポにしよ」
「よし。あとはキャラ付けですかね。もっとほら、明るい感じで。なんなら決め台詞とか作ります?」
「ぽっぴぽっぴぽー! とか?」
「それパクリですよ明日那さん」
「明日那じゃなくてポッピー! ピポ……、よ!」
「うーん、ちょっとあざといから語尾は無しにしましょう」
なんだかんだ明日那――、もといポッピーもノッてきたのか。
ましてや永夢もしばらく前にアイドルをプロデュースするゲームで遊んでいたため、二人は盛り上がっていろいろ設定を追加していった。
そして特訓する事、一週間。
「えむー!」
「わ、ポッピー! どうしたの?」
いつものように一緒に病院に向かった二人。
そこで永夢の背中にしがみ付いたのは、明日那――ではなく、ポッピーだった。
「離れたくないー! 今日はお仕事休もうよぉ」
「ダメだよ。お留守番してて、すぐ帰ってくるから」
「さみしぃ。じゃあね、行ってきますのギューは強めにね!」
「うん、行ってきますポッピー」
「行ってらっしゃい永夢。浮気しちゃダメだよ。なるべく他の女の子を見ちゃダメだよ」
「大丈夫だよポッピー。心配しないで」
「帰ってきたら――、ギュッてしながらチュッチュだよ?」
「ちょ、ちょっと言い方が古いよ?」
「え、えへへッ! ちょっと恥ずかしかったね! じゃあ行ってらっしゃい永夢、大好きだよっ!」
「ボクもだよポッピー!」
「えへへぇ! 永夢ぅ!」
「ポッピぃ!」「永夢ゥ!」「ポッピー!」「エムゥゥ!」
「………」「………」
「「じゃ!」」
こうして二人は別れた。
それを、貴利矢が引きつった表情で見ていたのは言うまでも無い。
「誰……?」
永夢の狙いは正しかった。
もともと明日那、つまりポッピーは歌唱力もあり、踊りのキレも十分だった。
さらにそこから顔出し&奇抜な格好が注目され、ダメ押しにと永夢がオリジナル曲、『PEOPLE GAME』を作ってポッピーに歌わせ、躍らせたのだ。
歌ってみたと踊ってみたを合わせた動画は再生回数も伸び、好意的なコメントも沢山寄せられた。
「たのしいーっ!」
「良かったねポッピー」
「うん! ぜんぶ永夢のおかげだよっ!」
ポッピーは幸せそうに笑っていた。永夢も幸せだった。
ポッピーは仮の姿なので、日常生活に支障は出ない。むしろ二面性を演じることに明日那は楽しんでいたようだ。
まして最近はポッピーの方に侵食されいていると言っても過言ではない。家にいる時は常に明日那だったのが、徐々にポッピーでいるときの方が増えてきた。
それはもちろん、キスも、性行為のときも同じだ。
「永夢ぅ、どうしたの? 今日は凄いねぇ」
「あ、ごめん……。そろそろやめよっか」
「ううん。もっとしたい。永夢からこんなに求めてくれるって、すごく嬉しいよ?」
「じ、実は――、貴利矢さんに、あの、その、おかしなのもらって」
「おかしなの?」
「せ、精力剤」
永夢はベッドの上にある瓶を指差す。
茶色い瓶。ポッピーは目を細めると、それを手に取ってみる。
僅かに中身が入っているようだ。ポッピーはそれを口に含むと、中身を確かめる。
「オロナミンC」
「え?」
「えむぅ。これ、ただのオロナミンCだよ」
「………」
「乗せられちゃったんだ!」
声を出して笑い始めるポッピー。永夢は恥ずかしそうに目を逸らしていた。
だがポッピーは意地悪な笑みを浮かべると、永夢にしがみ付いてジッと見つめてみる。
問題はなんでそんなものを口にしたのかだ。どういう経緯でもらったにせよ、飲んだのは永夢。つまりは自分の意思である事にはかわりない。
「そ、それは――、あの、だから、つまり」
「つまり? あ、ちゃんと言ってくれないとポパピプペナルティだよ! 一週間キスも手も握ってあげないからね! もちろんエッチもなし!!」
「えぇッ!? い、いやだからさ! ちょっと嫉妬しちゃって」
「嫉妬?」
「うん。ほら、最近ポッピー、ネットで活躍してるでしょ? それはボクにとっても嬉しいことだけど、ファンがつくと、その、ポッピーが遠くにいっちゃう気がして」
「う゛ッッ!」
「ポッピー? どうしたの!?」
「キュンときた……! ときめきクライシスッ!」
「は?」
「永夢ーッッ!!」
ポッピーは永夢に飛びつくと、力いっぱい抱きしめる。
「だいじょうぶだよ。えむ」
わたしは、貴方を愛してるから。
わたしは、貴方だけの味方だから。
わたしは、ずっと傍にいるから。
わたしは――、貴方だけの『物』だから。
「永夢が望むなら今すぐわたしをグチャグチャにして殺してもいいよ」
「そんな事、するわけないよ」
「優しいね永夢。大好きだよ永夢。わたしは、あなたの人形」
永遠に愛し、愛される。
愛、ドール。
「永夢、ずっと一緒だよ」
「うん。好きだよ、ポッピー」
二人は指を絡ませあい、手を繋ぐと、口付けを交わして笑い合う。
間違いなく幸せだった。世界で一番幸せだった。
なんの苦しみも無い、優しい世界だった。
明日那と、ポッピーと過す世界は、永夢にとってなによりも優しく、愛に溢れた世界だった。
海に行った。映画に行った。遊園地に行った。夕日を見た。イルミネーションの下でキスをした。
旅行に行った。温泉で一緒にお風呂に入った。夜は一緒にご飯を食べて、お酒を飲んだ。
「えむー! これおいしーね!」
「明日那さん。ポッピー出てるよ」
「じゃあポッピーになるー!」
バッグからウィッグを取り出すと、それを被ってニヘラと笑う。
「こっちにきなさい! 宝生くん!」
「もう、飲みすぎだよ。おじさんみたいになってる!」
「にゃんらとー!? ぽこったぞぉ!」
ポッピーとも明日那とも分からぬ状態の彼女は永夢に飛びつくと、自分の唇で永夢の上唇を挟んで甘噛みを始める。
「これでもまだ、おじさんって言うの?」
「ご、ごめん。で、でも恥ずかしいよポッピー」
「これからもっと恥ずかしい事するんだから、これくらい我慢しなさい!」
そう言うとポッピーは永夢の浴衣を剥ぎ取っていく。
恥ずかしそうに表情を歪めながらも、永夢は拒否せずに、むしろされるがままである。
永夢は明日那(ポッピー)を否定しなかったし、明日那もまた同じだった。全てを受け入れ、肯定する。
それは無関心だからではない。溢れんばかりの愛がそうさせているのだ。どんな事でもプラスに肯定できる。
愛があるから全てを赦し、受け入れる事ができる。それを、少なくとも明日那はずっと欲していたし、もしかしたら永夢もそうだったのかもしれない。
だから二人は愛し合うことができた。
「ねえ、永夢」
「ん?」
明日那は笑う。
「好き」
「うん、あ、ありがとう」
「大好き」
ただひたすらに愛を求める。
「みんなを笑顔にしてくれる貴方が、本当に好きだよ」
愛を証明する事をいくつもして、満たされていくことを実感するのが幸せだった。
二人は、間違いなく世界で一番幸福で、気持ちよかっただろう。
「………」
ある日、明日那はアイスを食べながらネットニュースをチェックしていた。
なになに? ゲームセンターで遊んでいた青年が襲われて、お金を取られたらしい。怖い怖い、酷いヤツがいるものだ。
「同じゲーマーでも、ここまで違うなんてね」
「え? う、うん……」
永夢は隣で忙しなく視線を移動させている。右へ、左へ、まあなんとも落ち着きがない。
「どうしたの永夢、そわそわして」
「いやッ、な、なんでもないよ。それより食べ過ぎじゃない? アイス」
「だって大好きなんだもん。永夢も食べる?」
「う、うん。あーん」
すると明日那はアイスを永夢の口ではなく、己の口に運び、そのままキスを行う。
所謂クチウツシ。永夢はジットリとした目で明日那を見ていた。
「汚いよ。普通に食べさせてくれればいいのに」
「ごめん。めっちゃ下品だね。ふふふ。あ、やば、ツボに入っちゃったかも。ふふふふ!」
「もう、いいけど」
「誤解しないで。うふふ、永夢だからできるんだよ。あははは」
唇についたクリームを舐め取る永夢。
明日那は落ち着いたのか、永夢の肩に顎を乗せて笑みを浮かべる。
「ねえ、なにか飲む?」
「じゃ、じゃあコーヒー」
「分かった。ちょっと待ってて。淹れてくるね」
立ち上がり、キッチンへ向かう明日那。
永夢はポケットから小さな箱――、リングケースを取り出すと、ギュッと強く握り締める。
「あ、あの、明日那さん」
「ん?」
「ちゅおッ、ちょっといいですか?」
噛んだ。恥ずかしそうに俯く永夢と、笑い始める明日那。
「いいけど。あ、ごめん。その前にちょっと会って欲しい人がいるんだ。その後に話聞くよ」
タイミングが少し悪かった。
しかしまあいいだろう。誰と会っても関係ない。隣に明日那が、ポッピーがいて微笑んでくれていたら何もいらない。
リングケースを渡すのだ。自分の気持ちを伝えるのだ。そうしたら彼女はきっと、太陽のような笑顔を浮かべて頷いてくれるだろう。
緊張感を抑え、永夢は婚約指輪が入ったケースをもう一度強く握り締めた。