レッスンが終わり、鷺沢文香は汗だくの身体をタオルで拭き、着替えてから事務所の椅子に座って鞄から本を取り出して、鼻歌を歌いながら読み始めた。読んでるのは、なんか最近知り合った子が、「とある魔術の禁書目録」を明日持ってくるまでの繋ぎで貸してくれた「ソードアート・オンライン」という本だ。もう、3巻まで読んだ。
その様子を、速水奏と橘ありすは遠目から眺めていた。
「…………」
「…………」
「ありす、どう思う?」
「明らかに上機嫌、ですね」
「………最近、いつもアレよね」
「………なんだと思いますか」
「………分からないわ」
「………」
二人は顔を見合わせた。そして、頷き合うと、小走りで文香の方へ走った。
「文香ー。また本読んでるの?」
まずは奏が切り開いた。二人に気付いた文香は、本に指を挟んで閉じて、二人を見上げた。
「……あ、奏さんと……ありすちゃん。はい♪とっても面白いですよ?」
「なんて本なの?見せてくれない?」
「……どうぞ」
差し出すと、二人は物珍しそうな顔でライトノベルを眺めた。
「………これ、ライトノベル?」
「…奏さん、知ってるんですか⁉︎」
「え、ええ。名前だけは」
「あ、私も知ってます。学校の図書室にありました」
「! ホントですか⁉︎」
知ってる、と言ってしまったがために、すごく食いついて来た文香を見て二人は即後悔したが、もう遅かった。文香は嬉しそうに語り始めた。
「……私、アスナさんが好きなんですよ。好きな人のためにゲームのシステムを超えて体を張るなんて、素敵じゃないですか?」
「え?あ、いや私は別に」
「……今、アスナさん須郷とかいう変態さんに閉じ込められちゃってるんですよ………。4巻、すごく気になります。あっ、ありすちゃん。ネタバレはやめてくださいね」
「や、図書室にあるってだけで読んでな」
「…あ、お二人は誰が一番好きですか?私はまだ全巻読んでませんけど、今はアスナさんです!」
「…………」
「…………」
奏もありすも困惑した表情で向き合った。え、これどうすんの?みたいな。で、奏が咳払いしてから言った。
「……あの、文香?ごめんなさいね、私もありすもその本を読んだわけじゃないのよ」
「……大丈夫です!アニメ化もコミック化もされてますから!」
「いや、そういう問題じゃなくて」
奏はため息をついてから説明を始めた。
「私もありすも、ライトノベルって言葉を知ってるだけで、そのソード……なんとか?っていうのは知らないのよ」
「ソードアート・オンラインです!」
「え?あ、ご、ごめん」
文香の気迫に押され、何故か奏が謝った後、ありすがボソッとつぶやいた。
「私、こういうオタクっぽい小説、苦手ですし……」
「…………えっ?」
狼狽えたように文香が声を漏らした。
「……お、オタクっぽい、ですか……?」
「私はそう思います。奏さんはどう思います?」
「あー……そうね。オタクっぽいわね確かに。なんていうか、男の人が好きそうな………。ていうか、文香はどうやって知ったのよ。私はそっちに驚いてるわよ」
「……え?えーっと………」
文香は言おうか迷った。オタクっぽい本、と言われた本を勧めてくれた人の事を二人に言えば、間違いなく千秋もオタク扱いされるだろう。いや、アイドルである奏とありすと、一高校生の千秋が知り合う事なんてまず無いと思うから問題はないのだが、文香はなんかテンパっていた。
「…………な、なんか、落ちてたので拾いました……なんて……」
「「嘘ね(ですね)」」
「……はぁ…………」
ばれた。ノータイムで。文香が冷や汗を流しながら目を二人から逸らすと、二人はジト目になって文香を睨んだ。
「何があったんですか文香さん!」
「そうよ、嘘ついたって事は隠すような事って事なんでしょ⁉︎」
「………い、いえ……特に、何も………」
問い詰めれ、目を逸らしたまましばらく止まった。5秒くらい止まった後、ふと二人を見た。ジッと自分を見つめていた。
それを見て、諦めたようにため息をつくと、心の中で千秋に謝って言った。
「………本屋のお客さんに教えてもらったんです。面白いって言われて」
「本屋が、本を教えてもらったの……?」
「……そこは良いんです。その……その、お客さんの男の子に教えていただいたんです。本を貸してくれただけじゃなく、オススメの本とか教えてくれて……」
「「男⁉︎」」
奏とありすの声が1オクターブ跳ね上がり、ビクッと肩を震わせる文香。それに構わず、ありすが文香に問い詰めた。
「文香さん恋人が出来たんですか⁉︎」
「⁉︎こ、恋人⁉︎ち、違います違います!お店のお客さんです!」
「嘘です!文香さんにお店のお客さんと仲良くなれる社交性はないです!」
「…………」
あんまりな言い方に、思わず黙り込む文香。すると、まぁまぁと奏が二人の間に入った。それに、助かった、と文香が息をつくと、奏が聞いた。
「で、その男の子とはどんな関係なの?」
「……! か、奏さん⁉︎裏切りましたね⁉︎」
「あらぁ?私がいつ文香の味方になったのかしら?」
微笑んでいるが、目が笑っていない。本気で追い詰めるつもりなんだろう。だが、本当に何でもない関係の文香は、どう言い逃れるべきかを考えるのでいっぱいだった。まぁ、焦れば焦るほど人の思考は残念になるわけで。
「……た、鷹宮さんはっ、こ……恋人とかじゃなくて……!」
「へー鷹宮さんって言うんだ」
「………ほ、ほんの一週間くらい前に会ったばかりの人でっ、ちょっと数回会って本の感想を語り合っただけで……!」
「一週間のうちに数回って、結構会ってますよね」
「…………た、確かに過去に会った男性の中ではプロデューサーさんの次にお話ししてますけど………‼︎」
「出会って一週間しか経ってないのに?それはそれで問題な気がするけど……」
「………………」
一々、茶々を入れてくる二人に、最早諦めとも言えるため息をつきながらも、めげずに説明を続けた。
「…………と、とにかくそんなんじゃないんですってばぁ……」
「…………」
「…………」
泣きそうにも見える文香の表情を見て、少し悪いと思った奏とありすは、お互いに顔を見合わせた。この辺にしておこっか?みたいな感じのやり取りを視線でした後、奏が口を開いた。
「分かったわよ……。何でもないのね?その子とは」
「…はい……」
「すみません、文香さん……」
ありすも素直に謝り、文香は顔を横に振ってありすの頭を撫でた。
「……いえ、大丈夫ですよ」
「あ、あのっ……子供扱いされてるみたいなので、頭は撫でないで下さい」
「………あっ、すみません……」
「あっ………」
文香が手を離すと、切なそうな声を上げるありす。それに全く気付かずに、文香は奏に言った。
「………それに、鷹宮さんは確かに良い人だと思いますし」
「あら、どんな子なの?」
「………なんていうか、優しい人です。純粋というんでしょうか……初対面の私のために、本を貸してくれたり…古本屋ではお目当ての本が見つからない私に声を掛けてくれたり……」
「確かに優しい子ね」
「………でも、たまに顔を赤くしたりするのは可愛いです。この前、私の部屋に来た時なんか、来ただけで顔を赤らめてたんですよ?何でか分かりませんけど………」
「待ちなさい」
「………な、なんですか?」
突然、ピリッとした声を出されて、文香は少しビビってしまった。
「あなた、付き合ってもない男の子を自分の部屋に入れたの?」
「………え、はい」
「だめよ、そんな事したら!誰だって、そんな事されたら少しは照れるわよ」
「…………なんでですか?」
「なんでって……!あのね、もしその場であなたが、その鷹宮君に襲われたとしても、文句は言えないのよ?」
「……お、襲………⁉︎」
「そうよ!普通は付き合ってもない異性を自分と二人きりのプライベート空間に入れちゃダメ!アイドルなら尚更だからね⁉︎」
「………ご、ごめんなさい……」
まぁ、しゅんっ……と肩を落として反省する文香を見れば、奏はそれ以上は強く言えなかった。呆れたようにため息をついてから、改めて聞いた。
「で、部屋に呼んでどうだったの?」
「………あ、はい。本を返すついでに、その続きを借りる為に来ていただいたんですけど、お茶を淹れてあげて、飲んだ後にすぐに帰っちゃいました………」
「なら良かったわ……。まったく、そういう所は疎いんだから……。ていうか、その子が良い子で良かったわ」
「…………けど、ちょっと……その……」
「どうかしたの?」
文香は俯いて、ボソッと呟いた。
「……私の事、知らないみたいで」
「………へっ?」
「………いえ、そんな自惚れてるつもりはないんですが……。最初に会ったときから、私の事をアイドルとも思ってくれてないみたいで……。少しショックでした」
「ああ、そういう意味ね……。まぁ、最近の子はあまりテレビ見ないみたいだからね」
「確かに、あまり私も見ませんけど……。でも、やっぱりすこしショックでした………」
「仕方ないわよ。興味ない子は興味ないんでしょうし。それに、アイドルだって知られて気を使われるよりマシじゃない?」
「………そう言われれば、そうですね」
「なら、良いじゃない別に」
結論めいた事を奏が言った時だった。ありすが自分のスマホの画面を見た。
「………あっ、もう9時です。お二人共、お先に失礼しますね」
「……えっ、もうそんな時間ですかっ?か、帰らなきゃ……!」
ありすから時間を聞いた直後、本に栞を挟んで鞄を持って立ち上がる文香を見て、ありすがジト目で聞いた。
「…………何か予定があるんですか?」
「……えっ?」
鷹宮さんに本を借りる予定があるんです、とは言えなかった。ありすはともかく、奏は絶対付いてくるから。何とか言い訳しないといけない。だが、慌てればさっきの二の舞だ。何と言おうか悩んだ挙句、誤魔化すようにつぶやいた。
「………じ、実はこのあと……ば、バイトが……」
バイト、というのは本屋である。嘘は言ってない、バイト先で本を借りるのだから。
すると、奏は暫く考えた後、ため息をついて言った。
「鷹宮君に会いに行くのね……」
「…なっ………⁉︎ち、違いま」
「違わないから。別について行かないわよ。じゃ、私も帰るわ。またね、二人とも」
奏はそう言うと、鞄を持って出て行った。その後に、ありすも文香に挨拶してから帰宅していった。その背中を見て、ホッと息をつくと、文香も帰宅した。