翌日、文香のマンションの屋上。ダイエット一行は剣道をすることになった。まぁ、素振りだけだが。
俺としてはうちに竹刀あるし別に良いんだけど、これダイエットになるの?っていう不安はある。
まぁ、それもこれもうちにある竹刀を文香に見られたのが原因なんだけどな。キリト大好き文香さんが「キリトさんのような強さは剣道から学ぶべきだと思います」とか抜かしてた。あいつ、かじった程度しかやってねぇからな。
で、まぁ剣道の素振りもちゃんと振方があるため、今は俺が説明しているのを、三人が体育座りして聞いてきた。
「まず、竹刀は左手で持つように。柄は横からではなく上から握る。肘は変に張らずにあくまでリラックスさせるように軽く曲げる。振る時は、この腕の形を保ったまま振り上げ、相手の頭部に向かって手首の返しを効かせて振り下ろす」
まずは基本的な振り方に、文香と三村さんは頷く。橘さんだけ、不服そうな顔をしていた。まぁ、文香を取られた上に太らせた張本人だから、俺に物を教わるのは癪なのだろう。
でも、ちゃんと聞いてくださいね。一応、武器を振るわけだし。
「足は、右足の踵のあたりに左足の爪先が合うようにして、左足の踵は下敷きが一枚、入るくらい分だけ浮かせる。振る時は左足で地面を蹴って右足を大きく前方に摺り足で一歩出る。その時に竹刀を振り上げ、左足が追いついた時に竹刀を振り下ろす」
実演しながら説明すると、文香と三村さんから「おお〜……」と声が上がった。橘さんも口にはしないものの、目を輝かせている。前まではこういうので照れることもあったが、今は割とそうでもない。だってもう剣道やめたし。
「……すごいです、千秋くん」
「剣道やってたってホントだったんだ……。なんかそれっぽい」
「初めて鷹宮さんをカッコ良いと思いました」
……こいつら全員、頭叩き割ってやろうか、と思う程度にはイラっとした。まぁ、それで実行に移したり、本気で怒ったりするほど馬鹿ではないが。
「二発目は左脚を退げると同時に振りかぶり、右脚がさがると同時に振り下ろす……というのを繰り返す。質問は?」
「はいっ」
橘さんが元気よく手を挙げた。
「何?」
「とてもカッコ良いですが……ダイエットになるんですかこれ? あまり激しく動いていないように見えたのですが」
「一振りはそうでもないかもな。でも、これが何本も続くとキツイんだよ」
「そうですか?」
「マラソンだって一歩走るのは楽だけど、それが何歩も重なるからきついんだろ。そういうことだ」
「なるほど!」
あ、今ので納得しちゃうんだ。相変わらず、橘さんはアホの子かわいい。
「まぁ、とにかくやってみ」
その一言で、三人とも竹刀を振った。まぁ、形だけならそれなりになってる。
「あ、振りかぶった時に剣先が落ちないようにな。あくまで立てておいて」
「は、はい……!」
じゃないとキツさが足りないと思うし、実際、剣道でも剣先は下げない。
「……結構、難しいですね……!」
「でも、慣れればそうでもないよ」
「はい。鷹宮さん、何回振れば良いですか?」
「いや、橘さんはやらなくて良いけど」
「いえ、私は文香さんのダイエットのお付き合いですから」
「……あの、ありすちゃん? あまり大きな声で言わないで……ここ、外だから……」
俺よりもデリカシーないのね、橘さん。
しかし、何回、か……。まぁ、ダイエットとはいえ何回もやってると両腕と脹脛パンパンになるからな。
「……そうだな……。300回にしようか」
「……はっ?」
「……えっ?」
「……んっ?」
うお、なんだ三人揃って間抜けな声出して。
動きを止めた三人がキョトンとした顔のまま聞いてきた。
「え、何? てか、剣先を地面に着けるな」
「……今、何回と?」
「300」
「ほ、本気じゃないよね? 鷹宮くん……」
「え、やっぱ少ない?」
「……逆です。そんなに、ですか?」
「割と減らしたと思うんだけど……俺は全盛期はこれ500本と早素振り500本振ってたし」
「待って下さい、鷹宮さん」
さっきまでとは違って、ジト目で俺を睨む橘さん。
「それは剣道をやっていた鷹宮さんの話であって、私達には厳しいと思います」
「んー……じゃあ、150本にして20本ずつとか分割して良いから」
「あ、それなら……」
「うん、やれそう」
「……フォームを崩すなよ。少しでも崩せば楽になる。ダイエットにならんから」
その一言に、二人はビクッとする。唯一、反応がなかった橘さんは、無言で俺の隣に歩いてきて、竹刀を手渡して来た。
「……あ、ありすちゃんはやらないんですか?」
「私はダイエットの必要ありませんので」
「……」
無言で二人は素振りを始めた。それをぼんやり眺めてると、隣の橘さんがくいっくいっと袖を引いてきた。
「何?」
「あの、剣道にはこれしかないんですか?」
「どゆこと?」
「例えば、横切りとか……」
「ああ、相手の胴を打つ技もあるけど」
「知りたいです! カッコ良いです!」
「……カッコ良いの好きなの?」
「はい! クールなアイドルが私の目指す理想形ですから!」
……うーん、剣道はクールさからかけ離れてるんだけどな……。イヤーって奇声上げるんだぜ。
まぁ、でも橘さんが学びたいと思うのなら別に悪いことではないんだろう。教えてあげようかな。
「……相手の横腹を、面と同じように振りかぶって、斜めから当て、隣を通り過ぎながら振り抜くんだけど……俺も正直、胴はあんま使わんからなぁ……」
「じゃあ、何が得意だったんですか?」
「小手」
「こて?」
「そう」
「……なんか、鷹宮さんらしくて地味ですね」
「バッカお前、むしろロマンだぞ。小手は胴や面と違って相手は死なない、つまり不殺の魂の上に敵の動きを先読みし、武器を持つ手を切り落とすんだから」
「……た、たしかに……!」
「カッコ良いだろ」
「カッコ良いです!」
うお、尊敬の眼差しが……。や、まぁこれはカッコ良いからね。尊敬されても仕方ないね。
「教えて下さい!」
「ダメ」
「なんでですか⁉︎」
「剣道はまず面からだから。面打たなかったら他の技も打てないよ」
「うう〜……さ、流石に一から剣道を習うつもりは……」
「それに、クールかどうかは結局、個人個人の性格次第だから」
「……な、なるほど」
「今、竹刀振ってる大学生の方見ろよ。大人しそうでクールな雰囲気、出してはいるけどアニメオタクに成り代わり、歪んだ性癖をぶごっ」
「……すみません、手が滑りました」
竹刀が眉間に飛んできた。
「……今のは鷹宮さんが悪いです」
「知ってる……」
素振りを再開する文香と三村さんをみながら、眉間を抑えて立ち上がった。
「じゃ、俺ちょっと買い物行ってくる……」
「え、私達素振りしたまま?」
「や、湿布買いに」
三村さんの問いに切り返すと、橘さんが俺の隣で顔を見上げて来た。
「私も行きます」
「は?」
「この前の鷹宮さんのように、お二人に飲み物を買ってあげたいです」
「ああ、なら一緒に行こうか」
「はい」
そう言って、二人で屋上を後にした。
……あ、文香は怒ってないかな。あの人、俺が女の子と仲良くしてると直ぐに機嫌を悪くするから……。
恐る恐る後ろを見ると、意外にもニコニコしていた。あれはー……自分が仲良くしてる子同士が仲良くしてくれて嬉しい、ってとこか?
まぁ、怒ってないなら何よりだ。そのまま二人で出掛けた。マンションを出て、のんびり歩く俺の横をひょこひょことついてくる橘さん。そういえば、橘さんと二人で出掛けるのは初めてだな……。
「橘さん、近くのドラッグストアで良いか?」
「はい。元々は鷹宮さんの湿布を買いに行くんですから」
自らクールを自称してるだけあって、その辺はしっかりしていた。ドラッグストアはジュースとか安いしな。
まぁ、流石に買ってもお茶だと思うけどね。ジュースは太るだろうし。
目的地に到着し、まずは入店。
「湿布探してくるから、ジュースとか持ってきて良いぞ」
「いえ、あくまで鷹宮さんのお買い物のお手伝いです。勝手な行動はしません」
うーん……そんなに堅くならなくても良いんだけどな……。まぁ、学生のうちから集団行動は学んでおいた方が良いし、ここはあえて黙ってるが。
湿布を探してキョロキョロ辺りを見回してると、冷蔵食品の場所に来てしまった。これなら、先に飲み物から確保した方が良さそうだな。
「橘さん、先にジュー……あれ?」
隣を見たが、橘さんの姿は無い。少し離れた場所で、プリンをじっと見ていた。
……勝手な行動をしないとはなんだったのか。まぁ、まだ子供ってことだな。仕方なくそっちを優先した。
「なんか食べたいのか?」
「っ、い、いりませんっ」
「プリンくらい良いよ。……その代わり、文香と三村さんの前で食べるのはやめてやれよ」
「うっ……で、ですから……!」
「食べたいものは食べたいって言え。子供……いや、未成年のうちから我慢しても良いことないよ」
「バカにしないでください。子供と未成年がほとんど同じであることくらいわかります」
チッ、半端に賢いやつはこれだから……。
「……ですが、お心遣いを頂いた時、断るのも失礼だと聞きました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
お、おう……じゃあ、なんでさっき断ったのん? あ、今思い出したのか。じゃなきゃただの情緒不安定。
「で、どのプリン?」
「キャラメルです」
「ミルクとか抹茶もあるけど」
「あ、ほんとだ。むむむ……悩みます」
「もしアレなら、全部でも良いよ」
マジで⁉︎ みたいに目を輝かせてこっちを見たが、すぐにハッとしていつものクール(笑)な表情に戻し、わざとらしい咳払いをした。
「い、いえ、そんな……私までダイエットの必要が出てきてしまうので……」
「あ、それもそうか……。じゃあやめとく?」
「うう……で、ですが……」
……まぁ、そこは自分で決めるところだ。と、言いたい所だが、橘さんはまだ子供だし、自分で決められないだろう。
なので、ここはひとつ助言をしてあげることにした。
「二つまで選べよ。両方食べてみて、気に入らなかった方を俺が食べるから」
「ええっ⁉︎ い、良いのですか? そんな贅沢な……!」
「文香が可愛がってる子なら、俺も可愛がってあげたいし、好きなだけ贅沢しろよ」
「……うう〜、さ、流石文香さんが選び、太らされた人……。甘やかすのが上手い……」
人聞きの悪いこと言うな。
むむむっ、と悩み、唸った橘さんは、抹茶と普通のを選んだ。そこで抹茶を選ぶのがまた子供っぽい。最近は抹茶味の食品が増えて、デザートみたいな扱いを受けるようになったからなぁ。俺はミルクプリンのが好きだ。
続いて、飲み物も購入しなければならない。まぁ、それは余り考えずにお茶を二本と、橘さんの分のミルクティー、俺のサイダーをカゴに入れ、最後に湿布を見に行った。
打撲とか打ち身よりも、筋肉痛とかに効く方だ。
「鷹宮さん、打撲とかはこっちですよ?」
「や、別に俺のはいらんし」
「へ?」
「文香と三村さんの分」
「なんでですか?」
「や、橘さんが言ってた通り、素人が竹刀を百本単位で振ると腕が死ぬから」
「な、なるほど……」
俺も素振りしまくってた時の最初の頃は腕死んだなぁ。サイタマよろしく根性で頑張った。
でも、あの二人は俺と違って剣道が強くなりたいわけではないし、そこまでやる気力は無いだろう。
湿布もカゴに入れると、レジに並んだ。すると、隣の橘さんが言った。
「……鷹宮さん、すごいです」
「? 何が?」
「優しくて、気が利いて、それでいてクールで……大人の男性って感じがします」
「え、そうでもないよ。速水さんからガキっぽいとか言われるし、ゲームとかだと負けず嫌いで、フ○ートナイトは一度始めたらビクロイ取るまでやめないし」
「いえ、私にとっては素晴らしい方だと思います。甘やかし過ぎる面がないとは言えませんが、私は見直しました」
「いや、そんな見直したとか言われても……」
な、なんか評価がうなぎ登りなんだけど……。この子、チョロすぎない? 大丈夫?
「千秋さん、とお呼びしてもよろしいですかっ?」
「え? いや、まぁ良いけど……」
「では、改めて文香さんをよろしくお願いします、千秋さん」
「ん、お、おう……」
……なんか、改まってんな……。しかし、小学生くらいの女の子に慕われるのは悪い気はしない。
なので、調子に乗ってみることにした。
「肩車してあげようか?」
「本当ですかっ?」
あ、思いの外、乗ってきた。冗談のつもりだったんだけど……。
「え、良いの?」
「はい」
「じ、じゃあ、失礼して……」
抱え上げて肩車した。
うーむ……自分で言っておいてあれだけど、非常に恥ずかしい。幼女を肩車しているような犯罪感が……。
「……千秋さん、身長は何センチですか?」
「へ? えーっと……この前少し伸びて170ちょいくらい」
「なるほど……お兄さんっぽいですね」
文香という彼女が出来てからは三食作るようになったから健康や発育に良いんだよな。高三にもなって発育かよ感はあるけど。
「橘さんも焦ることなんかないぞ。身長なんて普段、食べてるもんと睡眠と遺伝だから。それさえキチンとしてれば、20歳までの間にいつか伸びるから」
「……そ、そうですか?」
「そう。だから、今のうちによく食べてよく運動してよく眠りなさい。あ、ただし過度の筋トレは控えるように。成長止まるから」
「は、はい! 分かりました!」
うん、素直で可愛い。俺にもこんな妹が欲しいぜ……。
……にしても、あれだな。小学生でも太ももは柔らかいんだな……。なんか、こう……短パンを履いてきてるからか、顔の両サイドが異様にフニフニしてて……。
って、いかんいかんいかん! 俺はロリコンか! 文香の太ももを思い出せ。あの真っ白でお淑やかなのに、何処かエロさと色っぽさを兼ね備えている太ももを……ふぅ、うん。落ち着いた。
マンションに到着し、屋上へ。扉を開けると、二人はこっちに背中を向けて、のんびり座って温かいお茶を飲んでいた。
「……そうですか、学校では真面目に勉強してますか」
「はい。文香さんのために頑張ってますよ。意外と、ノートとか綺麗にとってましたし」
「……良かったです、それを聞けて安心しました。千秋くん、成績はあまり良くなかったから。かな子さんはどうですか?」
「私は、まぁボチボチです。指定校推薦狙っているので」
「……なるほど。成績、良いんですね?」
「普通ですよ。まぁ、鷹宮くんがまじめに授業を受けていてくれるから、見張る必要も無くて気が散ることは……」
まるで親と先生の二者面談みたくなっていた。多分、インターバルで話し込んじゃったんだろうなぁ。
何はともあれ、ダイエットしてないのと、竹刀を壁に立てかけてあるというのはいただけない。竹刀は床なり地面に置くものだ。この湿布は必要なかったわけだ。
「オイ」
声を掛けると、二人揃ってビクッと肩を震え上がらせる。ギギギッと壊れたロボットみたく振り返ると、橘さんを肩車した俺が立っていて、文香は一瞬だけ眉間にしわを寄せたが、俺の冷たい視線に負けて目を逸らした。
「た、鷹宮、くん……? ち、違うからね? ……その、まだ30本しか振ってないのは……!」
「あ、か、かな子さん……!」
「あっ……」
……なるほど、半分も振ってないのね。まぁ、俺のダイエットじゃないし、やるやらないは本人次第だもんな。俺が怒るのはお門違いだ。
「橘さん、やっぱりプリン目の前で食べちゃって良いよ」
「「プリン⁉︎」」
「分かりました」
橘さんは少しイラっとしてるようで、容赦なくプリンを開け、店員さんにもらったプラスチックのスプーンで掬った。
その様子を羨ましそうに眺める二人。目を輝かせて、三村さんはヨダレを垂らしそうにしていて、文香は「千秋くんの上でプリン……」とか呟いていた。
そんな餌を前にしてお預け食らってる犬状態の二人に、とりあえず言ってやった。
「先に500本振り終えた方に一つ買ってきてやるよ」
大慌てで竹刀を振り始めた。
「橘さん」
「なんですか?」
「部屋に戻ろうか」
「はい」
部屋でのんびりプリンを食べた。