文香に強引な呼び出しをくらい、速攻でマンションまで来た。しかし、なんかまた不機嫌そうにしてたなぁ、あの子。何か怒らせるような事……したな。正確に言えば、俺がじゃなくて莉嘉が、だが。
まぁ、気持ちは嬉しかったし、別に良いんだけどね。それに、文香に怒られるのも決して悪くないし。や、マゾじゃないけど。
とにかく、遅くなればなるほど怖くなるし、さっさと部屋番号を押さないと。
ピンポーンと音がした直後、自動ドアが開いた。無言の圧力を感じて怖いんだけど。
エレベーターに乗り、文香の部屋の階へ。インターホンを押すと、鍵の開く音がした。恐る恐る部屋を開けると、中は真っ暗だった。
あれ? 文香の部屋ってここだよな? てか、鍵の開いた後がしたはずなのに……。
一応、表札を確認したが、やはり「鷺沢」と書かれている。
「えーっと、文香? 来たけど……」
入って良い、のかな? 恐る恐る部屋の中を進むと、パッと電気がついた。なんだ? 地雷でも踏んで死んだのか? と思ったが、違った。まぁ違うわな。
部屋の中は「誕生日おめでとう」と書かれている垂れ幕が下がっていて、テレビの前の机にはケーキが置かれていた。
その中央では、何故か鼻眼鏡をかけて三角帽子を被った文香がクラッカーを鳴らした。
「誕生日おめでとうございます!」
「……え?」
「……」
「……」
……な、何だ急に?
「えーっと……」
「もう過ぎてるのは分かっています。……ですが、祝わせて下さい。私も祝ってもらいましたし……」
「……あ、うん」
まぁ、気持ちは嬉しいし……良いか。
「じゃあ、来年からは遅れたら罰金な」
「ええっ⁉︎ そ、そんな……!」
「冗談だよ」
そんな話をしながら、とりあえずソファーに座った。
「ケーキは手作り?」
「……誰もかれもが、あんなクオリティの高いケーキをお手頃に買えると思わないでください」
「あ、うん。まぁ、文香が作ってくれるんなら、味とか関係ないけど」
「……馬鹿」
あれ、なんか怒られた。そっちだって同じ立場なら同じこと言ったくせに。
「……と、とにかく、良いから早くお祝いしましょう」
「はいはい」
「はい、は一回です」
「はいはい」
「……」
あー、頬を膨らませて肩をポカポカ叩くふみふみ可愛いんじゃ〜。これで二十歳なのが尚更可愛い。
「……では、ケーキを切り分けますね」
「今更だけど、二人なのに丸々一個買ってきたのか」
「はい。千秋くんも丸々一個作って下さりましたから」
「や、そんな気負わなくても良いのに……」
今まで、友達にも彼女にも祝ってもらったことなんかないからなぁ。たとえ日にちが遅れてようが嬉しいものは嬉しい。
「……ちなみに、全部千秋くんのですから」
「え? 拷問? それとも新手の糖尿計画?」
「……違います。言ったはずです、今日は私がもてなすって」
「あ、うん。あれ? 言われたっけ……」
なんか、いつになく強引だな。やっぱり、なんかあったのかな。まぁ、彼氏の誕生日パーティー忘れてたわけだし、気負うのはわかるが。
「……では、まずはケーキを切り分けてあげます」
「や、一緒に食べようよ」
「……ダメです。その……リバウンドが……」
「……」
俺が一人で食うしかないのかよ……。かなりキツイんですけど……。このケーキ結構大きいよ?
「任されよ……!」
「あ、食べる時は私の膝の上にどうぞ」
「え?」
「おもてなしですから」
「どういう店?」
「……お金はいりませんよ?」
そういう意味じゃないんだが……というか、なんという贅沢なシチュエーション。ファンが見たら埋められそう。
まぁ、でも文香が良いと言うのならお言葉に甘えよう。ありがたく膝の上を頂戴し、座らせてもらった。
……ああ、お尻の下が柔らかい……。
「文香の太もも柔らかい……」
「……それはまだ、私が太っていると言いたいのですか?」
「あ、いや違います。程よい柔らかさとむっちり加減ということで……」
「……」
……あ、ダメなパターンだこれ。多分、何を言っても泥沼になり、俺のお腹の前に回してる両腕で締め付けられるパターン……かと思ったが、いつまで経っても圧迫感が来なかった。
どうしたのかと思ったら、文香は俺の背中に胸を当てて、頭を撫でてくれた。
「……そ、そうですか……。千秋くんが、心地良いのでしたら、それで……」
「……?」
あれ? この子、ほんとにどうしたんだ? 声に照れが混ざってるが……まぁ、許してくれたというのなら、それはそれで……。
それより、ケーキを食べよう。文香がせっかく買ってきてくれたものだ。
「えーっと……ほんとに丸ごと俺に?」
「……はい。どうぞ」
「……」
まぁ、仕方ないな。文香だって太りたくはないだろうし。
切り分けた8分の1をいただいた。チョコレートケーキの先端をフォークで割いて、口に運ぶ。
「んっ……美味あ! 甘過ぎなくて良い! これ高かったんじゃねーの?」
「……はい。とにかく高いのを」
「ふ、文香……」
俺なんかのために……。なんか本当、申し訳ないくらい幸せだ。それと共に、本当に専業主夫になりそうな気がして怖いというのも少し。
「っ、あ、そ、そうだ。千秋くん」
「? な、何?」
「……お姉さんが、食べさせて差し上げましょうか?」
「ボフッ!」
な……本当どうした⁉︎ そういうのは……いや、割といつも通りな感じするが、俺の方から言わないとしてくれないじゃん。
……いや、落ち着け俺。理由なんか考えても分からないし、後ろを向いてても分かるくらい、文香は顔を真っ赤にしている。
そんな女の子に「どうしたの? デレ期か?」なんて聞けない。むしろ、この状況を堪能する事が礼儀であり、男としての使命だッ‼︎
「お、お願いします……でも、どうやって?」
「……ふふっ♪ 千秋くんのためなら、お姉さんに不可能はありません」
……そのお姉さんキャラは何? ここなんてお店?
呆気にとられてる間に、文香は俺のお腹の前に回してる右手でフォークを取り、ケーキを刺し、口元に運んできた。両手を伸ばす度に胸が背中に押し付けられる。鼻血出そう。
咀嚼してみたものの、味なんか感じない。照れだけだ。
「……美味しいですか?」
「ほっぺたがマントルまで減り込む」
「……わかりにくいです」
……すみませんね。学が足りないもので。
「……もう一口どうですか?」
「全部食べるよ」
「……そうですか……」
「……一口いる?」
「……いえ、これは……」
「一人じゃ食べきれないなあ」
「…………いただきます」
うん、そんな物欲しそうな顔と声で言われてもな……。まぁ、どんなに気合い入れてもケーキ丸ごと一つは無理。
フォークを受け取り、今度は俺が文香の口に差し出した。
「はい」
「んっ……おいひいれふ……。もう一口」
「はいはい……」
意思が弱くて可愛い子だ。意地悪のし甲斐があるというものだ。
しばらく二人で交互に食べさせ合い。本当は文香の体系のためにも途中でやめさせてあげたかったが、こんだけ幸せそうに食べられたら、俺に止める術などない。
「はい、あーん……」
「あ、あーん……」
こういう甘やかしが良くないんだろうな……なんて、ちょうど思ってた時、俺が差し出してるフォークを目の前に、文香の顔が止まった。
「……どした?」
「……だ、ダメです! ですから、これは千秋くんのケーキで……!」
「や、だから」
「はい、100歩譲って千秋くんのものだから千秋くんの好きにする、というのも分かりますが、太ってしまいます!」
「俺は文香がデブになってもずっと好きでいられるから」
「……ち、千秋く……い、いえ! 騙されません! 騙されませんから!」
もー! と、俺の背中をぽこぽこ叩く文香はそれは可愛かった。今日だけで「文香百面相」が作れそうなくらいだ。全部可愛いが。
ま、もうケーキも残り半分切ってるし、体重なんて今更感あるけどね。
「……千秋くん、もしかしてわざとやっていませんか?」
「そんな事ないから」
「……ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとに」
文香の文句を聞きながら、とりあえずケーキを食べ終えた。
皿を片付けようと、文香の上から退こうとすると、文香は両腕に力を入れた。
「ふふ、ダメです」
「え?」
「……後片付けは、後ほど私がやっておきますから。それより、もう少し私に甘えてください」
「あ、そ、そう。でも、どうやって? ずっと膝の上?」
「そうですね……例えば、膝枕なんてどうでしょうか?」
「……え、良いの?」
「……はい。千秋くんが、望まれるのであれば」
「……」
マジか。何そのふみふみらしからぬ提案。どうやら、本気で俺を労ってくれるつもりのようだ。
……なら、ならば! 俺も自分の要望を言わないと申し訳ないだろう!
「顔をおっぱいと太ももで挟んで下さい!」
「……怒りますよ?」
ダメだった。うん、流石に今のはないな。
「じ、冗談だから。まぁ、くつろぐのは良いけど、とりあえず片付けと歯磨きだけしちゃおうよ」
「……そ、そうですね。で、では、私が片付けをしますので、千秋くんは歯ブラシを持ってソファーで待っていて下さい」
「え、ま、待ってるの?」
「は、はい……!」
あ、そ、そう……。歯ブラシは流石に特に何も無いと思うんだけど……。しかし、待ってろと言われたら待ってるべきだよな。
洗面所で俺のと、ついでに文香ので二人分の歯ブラシを用意すると、ソファーに座ってのんびりした。
机の上のものを流しに戻した文香が戻ってきて、隣に座った。
「……お待たせしました」
「はい、文香の歯ブラシ」
「え? ……あ、ありがとう、ございます……いえ、ではなく! 私が千秋くんに歯磨きして差し上げるんです! 私の分の歯ブラシは結構です!」
「ええ……また偽物語みたいな……てか、いいよそれは」
「……いえ、おもてなしですから」
それはおもてなしというのか……。しかし、今は歯ブラシしてもらいたくない。チョコケーキ食って口の中は真っ茶色だし。
「や、今はいつもより口の中汚いし……」
「……大丈夫です。私は千秋くんのどんな汚いところでも舐められるくらい千秋くんが好きですから」
「お、おう……」
嬉しいけど重たいな……。なんか表現が少しエロいし。というか、そういう問題じゃないから。
「俺が恥ずかしいって言ってんの。そっちが良くても、こっちがね……」
「……でしたら、千秋くんも私の口の中を磨いてくれませんか?」
「……はえ?」
何言ってんのこの子。そんな考えが顔に出てたのか、文香は少し顔を赤らめながら、俯きつつ言った。
「……い、いえ……ですから、その……ふ、二人で……お互いの、口内を磨くというのは……」
「……何それ? どんなプレイ?」
「ち、違います! やらしい気持ちなんてなくて……! ただ、私は……お、おもてなし、したくて……」
「……」
うーむ、どうしよう。お互いに歯を磨き合うってすごいよな……。なんかもう、側から見てもすごい絵になりそうだし。口を開けて向かい合って歯ブラシを持った右手をクロスさせて口に突っ込んでる絵になるわけだろ?
……でも、文香のもてなしたいとかいう気持ちは嬉しいし……女性に恥をかかせるわけにも……。
「……わかったよ」
「! で、では……!」
そう言って左手でお互いの頬に手を添え、右手で歯ブラシを口の中に入れた。
そのまま、お互いに顔を見合わせて右手をシャカシャカと動かす。
……あ、ああああ! これ思ってた以上に恥ずかしい! なんだこれ⁉︎ 何このなんかしちゃいけないことしてる感じ! 新世界の扉のドアノブに手をかけるってこんな感じなのか?
しかも、歯磨きしてもらっているから、言葉を発せないのがまたツライ。
「……ぃ、ひあひふん……」
「……?」
今、名前を呼ばれた?
「ふぁぃ?」
「……や、やふぇふぁへんは……?」
やめませんか、かな? うん、そうだね。やめよう。
頷いて返すと、お互いに歯ブラシを持ち替え、各々で歯磨きした。口をゆすぎ終え、ソファーに戻ってきたときには気まずい空気が流れていた。
正直、噛んだり匂いを嗅いだり、かなりレベル高いことをしてきたつもりだった。しかし、やはり新世界というのは過去にどんな経験をしていても恥ずかしいものだ。
すると、文香の方が声をかけてきた。
「……ち、千秋くん」
「何?」
「……その、一緒にお風呂に……」
「待って。待て待て待て待って。や、入るけど待って」
流石に。流石に待ってってば。何度か一緒に入ってるが、今日はちょっと待ってほしい。多分、襲っちゃう。毎日毎日エッチしてる猿カップルみたいになりたくないから。まぁ、そんな奴らが本当にいるとは思えないが。
とにかく、今日はやばい。しかし、文香に恥をかかせるわけにもいかないのはマジだ。だって、文香だって俺のことを考えてこういった行動をしてくれてるわけだから。その努力の方向がぶっ飛んでるだけで。
ならば、俺の取るべき行動は一つだ。文香の頭に手を置き、微笑みながら言った。
「……別に、遅れたとか、忘れてたとか、そんなの気にしなくて良いよ。文香に祝ってもらえるってだけで、俺は嬉しいから」
「……千秋くん……」
「だから、別に頑張らなくても良いよ。一緒にいてくれれば、それで」
そう言いながら、頭を撫でてあげる。すると、文香は俺の方に体重を預け、肩に頭を置いた。
「……もう、千秋くんはずるいです。結局、私の方が満たされてしまいました」
「はいはい」
……ふぅ、良かった。これで何とかなった、よな? まぁ、こういった明後日の方向への暴走も、文香の可愛いとこの一つなんだけどな。
「……あ、そうだ。千秋くん」
「何?」
「……プレゼントがあります」
「ああ、別にいいのに」
「……そうはいきません」
そう言いつつ、プレゼントを用意しに行く文香。まぁ、どうせ何もらったって、受験生だし活用する機会はあまりなさそうな気もするが。
戻ってきた文香が、綺麗な包みを渡してくれた。
「……あの、あまり高いものでもないですし、もしかしたら喜んでいただけないかもしれませんが……」
「いやいや、そんなことないよ」
「……こちらです」
手渡しされた袋の中に入っていたのは、本とブックカバーと栞だった。難しそうな本、おそらくミステリーだろうか? ブックカバーは革製で、濃い緑色だった。栞には、綺麗な柄の葉っぱがあって「鷺沢文香」とサインが書いてあった。
「……い、一応……その、栞は、私の手作りです……」
「へえ……そういや、俺って文香をアニメ好きにさせたけど、文香の好きな読書には付き合ってやれてなかったな……」
せっかくだ。今のシーズンにはもってこいのものだし、ありがたく受け取ろう。
「ありがと、文香」
「! は、はい……! あ、表現でわからないところがあれば、いつでもご相談してください!」
「うん。早速、読んでも良いか?」
「は、はい……! あ、わ、私もご一緒して良いですか?」
「勿論」
そう言って、朝まで二人で本を読んだ。