船員たちの声と朝日が、船の朝を告げる。見えるのは青い空、白い雲ばかり。どこまでも高い空が、幻想的な景色を作り上げている。
「アルビオンが見えたぞー!」
鐘楼に立った見張りの声が響き渡る。ジェヴォーダンは、舷側から下の景色を覗き見た。が、広がるのは白い雲ばかりで、どこにも陸地などは見えない。
眠っていたルイズが起き上がり、寝ぼけ眼をこすって大あくびをした。
「どこにも見えないようだが……」
「あっちよ」
ルイズが空中を指差すので、ジェヴォーダンはまさかと空を仰ぐ。
雲の切れ間から、大地が覗いている。山岳がそびえ、川が流れ、滝となった飛沫が落ちていく。ジェヴォーダンは息を飲み、しばしその光景に目を奪われた。
「驚いた?」
「あぁ……この宇宙に来てからというもの、驚かされっぱなしだったが……」
「浮遊大陸アルビオン。ああやって空中を浮かんで、主に大洋の上をさまよっているわ。でも月に何度か、ハルケギニアの上にやってくる。大きさはトリステインの国土ほどもあるわ。通称は『白の国』」
大河から溢れた水は滝となり、空に落ちる。その飛沫が白い霧となり、大陸の下半分を覆い隠していた。霧は雲となり、ハルケギニアに雨を降らすのだという。
「素晴らしいな……」
「綺麗でしょ」
二人は、しばし壮大な風景に見とれていた。
そのとき、鐘楼の見張りの大声が響き渡った。
「右舷上方! 雲中より船が接近してきます!」
言われた通りの方を見ると、船が一隻近づいてくる。ジェヴォーダンたちが乗る船よりも一回りも大きく、舷側からは大砲まで突き出している。どうやら、強力な船のようだ。
「いやだわ。反乱軍……貴族派の軍艦かしら」
黒くタールの塗られた船体は、まさに戦闘用の船。ジェヴォーダンは目を凝らし、船の様子を伺った。
「いや、違うだろうな。あの船は旗を掲げていない」
「え? じゃあ、あれは……」
「あらかた海賊か。いや、今は空賊というべきか?」
そんなことを話していると、船体がガクンと大きく揺れ、旋回を始めた。よろけたルイズをジェヴォーダンがかばう。
船は軍艦から逃れようとしているようだが、すでに遅い。軍艦はすでに並走しはじめており、速度もあちらが上。
ドゴン! と重たい音が響き、脅しの砲弾が船の進路めがけて消えていった。
黒船のマストに、四色の旗流信号が登る。おそらく、停船命令だろう。
「じぇ、ジェヴォーダン……」
「下がっていろ、ルイズ」
怯えるルイズを自分の影に隠し、ジェヴォーダンは相手の様子を伺う。軍艦から、メガホンを持った男が大声で怒鳴るのが見えた。
「空賊だ! 抵抗するな!」
舷側には弓や銃を持った男たちが並び、狙いを定めている。やがてロープが放たれ、武器を持った男たちが伝ってくる。その数、およそ数十人。
ジェヴォーダンはじっくりと相手を見やる。どこに隙があるか、攻撃のタイミングがあるかどうかを見定めていく。しかし、いつのまにか背後に現れたワルドに、肩を叩かれた。
「やめておけ。敵は武器を持った水兵だけじゃない。あれだけの門数の大砲が、こちらに狙いをつけているんだぞ。おまけに、向こうにはメイジがいるかもしれない」
前甲板に繋ぎとめられていたワルドのグリフォンが、乗り移ろうとする空賊たちに驚いて喚き始める。直後、グリフォンの頭が青白い雲で覆われる。たちまちグリフォンは甲板に倒れ、寝息を立て始めた。
「眠りの雲……確実にメイジがいるようだな」
次々と甲板に空賊たちが降り立ってくる。派手な格好の1人の空賊が、ぐるりとあたりを見渡した。
汗とグリースで汚れて真っ黒になったシャツの胸をはだけ、真っ赤に日焼けしたたくましい胸をのぞかせている。ぼさぼさの黒い長髪を赤い布でまとめ、無精髭の生え散らかした顔には、左目を隠す眼帯が巻かれていた。いかにも、空賊のボスといった風体だ。
「船長はどこでえ」
「わたしだ」
荒っぽい声に、精一杯の威厳を保とうと努力しながら船長が手をあげる。頭は大股で船長に近づき、青ざめた顔をぴたぴたと曲剣で叩いた。
「船の名前と、積荷は?」
「トリステインの『マリー・ガラント』号。積荷は硫黄だ」
空賊たちの間からため息が漏れる。頭の男はにやっと笑い、船長の帽子を取り上げて自分の頭に乗せた。
「船ごと全部買った。料金はてめえらの命だ」
船長が屈辱で震えるが、頭はそれを気にした様子もなく、やがて甲板に佇むワルドとルイズを見つけた。
「おや、貴族の客まで乗せてるのか」
ルイズに近づき、顎を手で持ち上げる。
「こりゃあ別嬪だ。お前、俺の船で皿洗いをやらねえか?」
空賊たちが下卑た笑い声をあげる。ルイズはその手をはねのけ、屈辱に怒りを燃やして男を睨みつけた。
「下がりなさい、下郎」
「驚いた! 下郎ときたもんだ!」
男が大声で笑う。ルイズはさらに言い返そうとしたのだが、その前にジェヴォーダンが手で遮った。
「ジェヴォーダン?」
「………」
ジェヴォーダンは、無言で首を振る。ルイズは悔しさを噛み締め、それでもジェヴォーダンに促される通りに押し黙った。
「ほう、お前は船員でも貴族でもないようだな」
頭は今度はジェヴォーダンを見やる。トリコーン帽子と防疫マスクでほとんど見えない顔の、その目をぎらりの覗き込む。
ジェヴォーダンは確信した。この男……
「はっ、すげぇ銃だな。不恰好だがなかなかよくできてるじゃねぇか。気に入った、こいつは俺がもらっておくぜ」
ジェヴォーダンの獣狩りの散弾銃を強引に引き抜き、まじまじと眺める頭の男。ルイズはさらに怒りを浮かべるが、当のジェヴォーダンは眉ひとつ動かさない。
「……だんまりか? へっ、まぁいい。てめえら、こいつらも運びな。身代金がたんまり貰えるだろうぜ」
空賊に捕らえられ、ジェヴォーダンたちは船倉に閉じ込められた。『マリー・ガラント』号の乗組員たちは、自分たちのものだった船の曳航を無理やり手伝わされているようだ。
ジェヴォーダンは剣を取り上げられ、ワルドとルイズは杖を取り上げられた。
杖を取り上げられたメイジほど無力なものもない。鍵をかけられただけでもう手足も出ず、大人しくしているほかなかった。
周囲には、酒樽やら穀物の詰まった袋やら、火薬樽が雑然と置かれている。重たい砲弾も、部屋の隅にうずたかく積まれている。ワルドはそんな積荷を興味深そうに見て回っていた。
ルイズは、先ほどから黙ったままのジェヴォーダンを見て、申し訳なさそうに俯いた。
「ジェヴォーダン。その、私、さっき」
「気にすることではない」
「でも……」
ルイズは続く言葉が出て来ず、再び俯いてしまう。ジェヴォーダンはといえば、何か考え込んだ様子で、口を開こうとしない。
どうしようか考え込んでいると、ワルドが近づいてきた。
「ルイズ、大丈夫かい?」
「えぇ、私は大丈夫」
「そうか……? 使い魔くん、君の方が様子がおかしいんじゃないか?」
「……子爵、1つ提案が」
すると、それまで押し黙っていたジェヴォーダンが口を開いた。扉のほうにいる見張りに気を配りながら、姿勢を低くして声を細める。
「……俺はタイミングを見て、この部屋を脱出します」
「どこに脱出するつもりだね? ここは空の上だよ」
「何も船から脱出するわけではありません。あの空賊の頭、すこし気になることがありまして、それを確かめます。そのついで、2人の杖も回収できればいい」
「そんなこと言ってもあんた、武器の1つもないじゃない!」
「子爵、あの宿屋で話した通りです。俺たちの戦いは、相手の虚をつくもの。素手でもできることはあります。ただし脱出するのは俺だけにさせてほしい、これも少し、考えのあることです」
「………」
ワルドは少しの間考えたが、やがて小さく頷いた。
「ジェヴォーダン……」
「ルイズ」
心配そうな様子のルイズ。突然ジェヴォーダンは、そのルイズの手をとると、マスクをおろしてその甲に口づけをした。
「……!? な! な……!?」
あまりに突然のことにルイズは目を白黒させ、続いて顔を真っ赤にさせる。しかしジェヴォーダンは当然のことというように拝謁の姿勢をとり、ルイズに頭を垂れた。
「我が血に賭けて誓う。無事に戻る、信じていてくれ」
「………」
彼なりにこちらを案じて、こうしてくれたのだ。ルイズはゆっくり時間をかけて理解できた。ルイズは、「わかった」と呟いて、頷いた。
ジェヴォーダンはワルドに「ルイズを頼みます」と一声をかけ、懐から、小さな青い瓶を取り出した。
ルイズはそれに見覚えがあった。確か、神経を麻痺させる秘薬とかなんとかだったはずだ。
そう思ったとき、扉が開いた。太った男がスープの入った皿を持って入ってくるのと、ジェヴォーダンが小瓶の中身を呷るのはほぼ同時だった。
「飯だ。ただし、質問に答えてからだ」
男は腰掛けたままのルイズの前に立ちはだかる。
「お前たち、アルビオンになんの用なんだ?」
「………」
ルイズは答えない。ただぽかんと口を開け、虚空を眺めていた。
「……? おい、聞いてんのか?」
「旅行だ」
返す質問にワルドが代わりに答える。ルイズははっとして、それから皿を持った男の顔を睨んだ。
「トリステイン貴族が、今時のアルビオンに旅行? 一体何を見物するつもりだい?」
「そんなこと、あなたに言う必要はないわ」
「たった今ぼけっとしてたくせに、随分強がるじゃねぇか」
「そ、それは……」
ルイズは眉をひそめる。だってそりゃあ、呆然もする。突然隣にいた使い魔の姿が見えなくなったのだから。
「へっ、まぁ好きにしろよ」
男は皿を置き、部屋を出て言った。しばらくしてルイズは、ようやく信じられないという顔でワルドと目を合わせた。
「ワルド、ジェヴォーダンが……」
「わかっている、何かしたのだろう。僕にも彼の気配がうっすらとしか見えなくなっていた、あれは一体……」
ワルドも驚いた様子で、それから2人は一緒に扉の方を見た。まさか2人とも、ジェヴォーダンが見張りの男と一緒に部屋を出て行ったとは、夢にも思っていなかった。
さて、飛び出したはいいがどうしたものか。
青い秘薬の効果も切れ、ジェヴォーダンは物陰で息を殺していた。目先の通路では、未だ空賊と思わしき男たちが行き来している。
ジェヴォーダンは目を細めた。その空賊たち、1人1人の気配をじっくりと感じ取る。その体に、細い、青白い光が見えないかどうか確認する。
結果は先ほどの頭の男と同じ通り。月光の導きは、見えない。彼らは殺すべき敵ではないという判断だ。
そんな風にしていると、2人の空賊がばたばたと走ってきた。
「とにかく、皇太子に……」
ジェヴォーダンはそれを聴き漏らさなかった。その空賊が走っていくのを確認し、その背後を音もなくついていく。細い通路を通り、階段を登り、やがて2人の空賊は1つの部屋に入って行った。
おそらくは、船長室だろう。ジェヴォーダンは躊躇なく、その扉を開け放った。
「な、なんだお前!?」
突然の来客に、2人の空賊と、ディナーテーブルの上座に腰掛ける海賊の頭は驚きの声を上げた。テーブルの上には、先ほどジェヴォーダンから奪った散弾銃や剣、杖が。
空賊の頭の傍には大きな水晶のついた杖が。こんななりで、どうやらメイジらしい。ジェヴォーダンの予想は確信に変わった。
「お前、どうやって出やがった。まぁいい、わざわざ乗り込んでくるとはとんだ間抜けだったようだな」
空賊が杖を構える。ジェヴォーダンの瞳が、ギラリと光った。
それからしばらくして。船倉の2人は、することもなく座っていた。
ワルドは壁にもたれ、何か考え込んでいる様子。ルイズは、出て行ったジェヴォーダンのことで気が気じゃなかった。
その時、再びドアが開かれた。ジェヴォーダンかと思い、ルイズは顔をあげる。が、入ってきたのは痩せすぎた空賊の男だった。2人を見渡し、楽しそうに笑う。
「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派かい?」
ルイズは答えない。ワルドも黙ったままだ。
「おいおい、だんまりじゃわからねえよ。でも、そうだったら失礼したな。俺たちは貴族派の連中のおかげで商売させてもらってるんだ。王党派に味方しようとする酔狂な連中がいて、そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」
「じゃあこの船はやっぱり、反乱軍の軍艦なのね」
「いやいや、俺達は雇われているわけじゃあねぇ、あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。で、どうなんだ? 貴族派なのか? そうだったらきちんと港まで送ってやるよ」
ルイズはきっと目を尖らせ、真っ向からその空賊を睨みつけた。
「誰が薄汚いアルビオンの貴族派なものですか。バカ言っちゃいけないわ、わたしは王党派への使いよ。まだ、あんた達が勝ったわけじゃないんだから。アルビオンは王国だし、正当なる政府はアルビオンの王室よ。わたしはトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使ね。だから、大使としての扱いをあんたたちに要求するわ」
まっすぐにそう行ってのけるルイズを見て、空賊は笑った。
「正直なのは確かに美徳だが、あんたらただじゃ済まないぞ」
「あんたたちに嘘ついて頭下げるくらいなら、死んだほうがマシよ」
「……頭に報告してくる。その間にゆっくり考えるんだな」
空賊は去っていく。ルイズはふぅーっと息をつき、それからワルドが肩を叩いた。
「いいぞルイズ、さすがは僕の花嫁だ」
「……最後の最後まで、わたしは諦めないわ。地面に叩きつけられる瞬間まで、ロープが伸びると信じるわ」
それでもルイズは、複雑な思いだった。果たして、これで良かったんだろうか。
そういえば、あいつなんでジェヴォーダンがいないことに何も言わなかったんだろう。そんなことを考えていると、再び扉が開く、先ほどの痩せすぎた空賊が、険しい顔で言った。
「出ろ、頭がお呼びだ」
狭い通路を通り、細い階段を登る。連れて行かれた先は、船長室だった。
豪華なディナーテーブルの上座、先ほどの派手な格好の空賊が腰掛けている。その手に握られた水晶のついた杖を見て、ルイズは顔をしかめた。
空賊の男たちも、頭の男も、何も言わない。ただじっくりと、ルイズたちを見つめている。見定められているのだろうか。
「……大使としての扱いを要求するわ」
ルイズは、何かを言われる前にと先回りしてそう繰り返した。
「そうじゃなかったら、一言だってあんたたちなんかに口をきくもんですか」
頭はそれを聞き、ふむぅと声を漏らした。
「王党派と言ったな?」
「えぇ、言ったわ」
「何をしにいく?」
「あんたらに言うことじゃないわ」
頭はそれを見て、いっそう鋭い目でルイズを睨んだ。
「貴族派の優勢は誰が見ても明らかだ。王党派など、明日には消えてしまう。それでもお前たちは王党派につく大使だと。そう言い切るのだな?」
「そうよ。何度も言わせないで。私たちにはやるべきことがあるの、たとえどんなに不利な状況でも、決して心折れず、挑み続けてやるわ」
「……そうか、よかった。ジェヴォーダン、どうやら本当に君の言う通りなんだな」
部屋の影から、すっと長身の男が出てくる。ルイズはそれが自分の使い魔の姿であるとわかって目を疑った。
「信じていただけたでしょうか。トリステインの貴族は気ばかり強くてどうしようもない連中ですが、彼女はこれだけ芯もある人物なのですよ」
「あぁ、どこぞの国の恥知らずと同じように思うなど、失礼というものだな」
頭はそう言って、大笑いしながら立ち上がる。ルイズは呆然とした様子で、2人を見ていた。
「じぇ、ジェヴォーダン? 何、これ? どういうこと?」
「すまんなルイズ。騙して悪いが、どうしても確かめたいことがあってこいつを借りたぞ」
ジェヴォーダンがそう言って、手に持った小さな指輪を掲げた。ルイズはハッと息を飲み、自分の手をまさぐった。
「そっ、それ! 姫殿下の、『水のルビー』! いつの間に!」
「殿下、1つ忘れておりました。確かに彼女は芯のある貴族ですが、特に扱いやすい主人でもあるのですよ」
「わっははは! 使い魔が主人に言うことではないな! 君、ひどい目にあわされるんじゃあないのかね?」
ルイズは自分の顔に血が登っていくのを感じた。あいつ、部屋を出る前に妙なことをしやがった。いきなり手の甲にキスをして……あの時だ!
怒りがマグマのように込み上げてきていたが、それと同時に、とても気になることがあった。
「……『殿下』?」
ジェヴォーダンは、確かにそう言った。海賊の頭が「おっと」と漏らす。と同時に、周りに控えた空賊たちがニヤニヤ笑いをおさめ、一斉に直立した。
「失礼した。貴族に名乗らせるなら、こちらから名乗らなくてはな」
頭は縮れた黒髪のカツラをはいだ。眼帯を外し、髭ををびりっとはがす。あっというまに、凛々しい金髪の若者が現れた。
「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令官……本国艦隊といっても、すでに本艦『イーグル』号しか存在しない、無力な艦隊だがね。まぁ、その肩書きよりこちらのほうが通りがいいだろう」
そして、若者は居住まいをただし、威風堂々と言い切った。
「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
ルイズは口をあんぐりとあけ、ワルドは興味深そうに皇太子を見つめた。空賊の頭だと思っていた人物が、いきなり若き皇太子に様変わりしてしまったのだから当然だ。
ウェールズはにっこりと魅力的な笑みを浮かべると、ルイズたちに席を進めた。
「アルビオン王国へようこそ、大使殿。さて、御用の向きをうかがおうか」
あまりのことに、ルイズはぼうっと呆けて立ち尽くした。
「その顔は、どうして空賊風情に身を”やつし”ているのだ、といった顔だね。いや、金持ちの反乱軍には続々と補給物資が送り込まれる。敵の補給路を断つのは戦の基本、しかしながら堂々と王軍の軍艦旗を掲げたのではあっというまに反乱軍の船に囲まれてしまう。空賊を装うのもいたしかたなかったのだが……」
そう言って、ウェールズはジェヴォーダンを見る。
「どうやら、彼には通用しなかったようだな。私の変装をすっかり見破られていたようだ」
「じぇ、ジェヴォーダン! そうなの!?」
「……確証はなかった。だからこそ確かめる必要があったのさ」
「彼は、もし本当に僕たちがただの空賊なら武器を奪い、僕を仕留めるつもりでいたらしい。確かにこういう集団は、頭を押さえられればどうにも動けなくなる。しかし、一瞬でそれだけの判断をし、実際にここまでたどり着いてしまうなんてな……恐れ入ったよ」
ルイズは思わず気を失いそうになるのを必死で抑えた。いったいどこまで周到に考えていたのだろう、この男は。まして、その一環で自分まで騙されるとは。
「いや、大使殿には誠に失礼をした。きみたちが王党派かどうか、確かめる必要があってね。外国に我々の味方の貴族がいるなどとは夢にも思わなかった。だが確かめるよりも早く、彼が来て証明をしてくれたのでなおさら助かったというものだ」
ルイズは心の準備が一切できておらず、まして自分の使い魔がとんでもない働きをしたという事実もなかなか理解できず、口をぽかんと開くばかりだった。その様子を見かねて、ワルドが優雅に頭を下げて言った。
「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」
「ふむ、姫殿下とな。きみは?」
「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵」
そしてワルドは、ルイズたちを指して2人を紹介した。
「そしてこちらが姫殿下より大使の大任を仰せつかった、ラ・ヴァリエール嬢とその使い魔の青年でございます、殿下」
「なるほど! 君の様に立派な貴族が私の親衛隊にあと十人ばかりいたら、このような惨めな今日は迎えていなかっただろうに! では、その密書とやらは?」
それを聞いて、ルイズがようやく我に帰る。慌てて胸のポケットから、アンリエッタの手紙を取り出した。
恭しくウェールズに近づいたが、途中で立ち止まり、少しためらうように口を開いた。
「あ、あの……失礼ですが、本当に、皇太子さま?」
ウェールズはそれを聞いて大笑いした。
「まぁ、さっきまでの顔を見れば、無理もない。僕はウェールズだよ、正真正銘、皇太子さ。どれ、証拠をお見せしよう。ジェヴォーダン君、それをかしておくれ」
水のルビーを受け取ると、自分の薬指に光る指輪に近づけた。2つの宝石は共鳴しあい、虹色の光を振りまいた。
「この指輪は、アルビオン王家に伝わる『風のルビー』だ。きみが持っていたのは、アンリエッタが嵌めていた『水のルビー』。水と風は、虹を作る。王家の間にかかる虹さ」
「……大変、失礼をいたしました」
ルイズは一礼し、手紙をウェールズに手渡した。
ウェールズは、愛おしそうに目を細め、その手紙を見つめる。花押に軽く接吻すると、それから慎重に封を開き、中の便箋へ目を落とした。
しばらくの間、真剣な眼差しで手紙を読んでいたが、ふっと顔をあげ、どこか遠くを見るように呟いた。
「姫は、結婚するのか? あの愛しいアンリエッタが。私の可愛い……従妹は」
ワルドは無言で頷いた。再びウェールズは手紙に視線を落とし……やがて最後の1行を読むと、微笑んだ。
「了解した。姫は、あの手紙を返して欲しいとこの私に告げている。何より大切な、姫から貰った手紙だが、姫の望むことだ、私もそれを望もう」
ルイズの顔がぱっと輝いた。
「しかし、今、手元にはない。ニューカッスルの城にあるんだ。姫の手紙を、空賊船に連れてくるわけにはいかぬのでね」
そしてウェールズは、また笑顔を浮かべた。
「多少面倒だが、ニューカッスルまでご足労願いたい」
青い秘薬
医療教会の上位医療者が怪しげな実験に用いる飲み薬
それは脳を麻痺させる、神経麻酔の類である
狩人はこれを用い、その存在を薄れさせる
時に身を隠し、時に不意の一撃を狙う
それはとても狩人らしい使い方と言えよう