ゼロの狩人   作:テアテマ

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18:闇

 暗い音が、重たく響き渡る。

 閉じていた眼を開けると、どうやら悪夢の中に入ったようだ。

 どこか町の中にいるらしく、建物に挟まれた道の真ん中に立っている。だが悪夢らしく、建物は全て複雑に隆起した地形に押しつぶされ、もとの姿を見る事は叶わないほどの吹き溜まりを形成していた。

 

「……おい、『導き』。悪夢に着いたのだから説明してもらおうか」

 

 ジェヴォーダンが手に持ったデルフリンガーに声をかける。鍔がカチカチと鳴り、どうにも懐かしい声が聞こえてきた。

 

「あー、相棒。その、悪いんだがー……」

 

 ジェヴォーダンはガクッと肩を落とす。その気の抜けた語り口、声。どれも、ジェヴォーダンの期待したものではなかったのだ。

 

「戻っちまったのか、デルフ」

「時間切れだったみてえだな。俺に『悪夢の奥へ』とだけ言って、引っ込んじまったよあいつ」

 

 深いため息が漏れる。この世界に来てからというものこういう事を何度経験したものか。ようやく手がかりを見つけたと思えば、するりと手の間をすり抜けていく。まるで、馬鹿にでもされているようだ。

 

「まぁ仕方ない。この悪夢の中に何があるのか、それを見てやろう」

「あぁ、何にせよ奥へ行けって言ってたんだからな。あと、もう一個伝言だ」

「なんだ?」

「『タルブの村へ行け』だそうだ」

「……そうか」

 

 もはや、気になることをいちいち追求する気にもならなかった。タルブというのは、確かトリステインからそう遠くない平原の名前だったはず。そこに何があるというのか。

 どちらにせよ悪夢を抜けることがこの場は先決だった。ジェヴォーダンは周囲を見回し、道の奥へ進む。

 奇妙な町だった。ジェヴォーダンがこれまでどこでも見たことがないような奇妙な意匠にまみれている。

 どうにも建物は直線的で、道路はタイルではなく黒い岩石のようなもので成っているようだ。

 道のはじに立つ看板のようなもの。妙に平べったい馬車のようなもの。4つ付いたタイヤはゴム質で出来た妙な形。異質な風景であり、妙な不安感に駆られる。

 だが、悪夢の中とはいえ人の姿が見られない。狩人も、それに仇なす獣も。深い静寂が、ここに何者もいないことを音なく物語っているようだ。

 

「静かだな……ん?」

 

 そしてその奥、瓦礫に囲まれた道の最中にそれはあった。

 道の真ん中に浮かぶそれは、どうやら鏡であるらしかった。

 物理法則を無視してふわふわと浮かぶそれに、ジェヴォーダンは見覚えがあった。自分が召喚される時、目にした鏡だ。

 

「入れ、ということか」

 

 ためらいなくその鏡に近づき、手を伸ばす。指先が光の中に沈み、やがて吸い込まれるように鏡の中へと溶けていく。

 ぐるりと景色が暗転したかと思えば、またすぐに何処かの空間へと飛び出した。

 

「………」

 

 そして、言葉を失った。様々な意味で予想外の展開だった。

 

「なんでぇ、娘っこの部屋じゃねぇか?」

 

 デルフリンガーの言葉通り……荒れ果ててこそいるが、それはトリステイン魔法学校の、ルイズの部屋そのもの。見覚えのある家具類、間取りなど、物語るものはいくつもある。

 暗い奇妙な街を抜け、鏡をくぐるとルイズの部屋へ。奇妙な感覚に思わず眉をひそめる。

 

「ここがルイズの部屋ということは、当然外へ出れば廊下だろうが……」

 

 足に絡む藁束を蹴飛ばしながら、扉へと向かう。外へ出ると、これまた荒れ果てた瓦礫の山。だが見覚えのあるそこは、ヴェストリの広場の前だった。

 

「なんだぁ、こりゃ? 間取りも場所もめちゃくちゃじゃねぇか」

「悪夢、こういうものだ。ここでは物理法則が通用しない。さて、そろそろお出ましのようだな」

 

 デルフリンガーを構える。目線の先、ヴェストリの広場の瓦礫に動くものがあった。

 ガチャガチャと、こすれあう青銅。鎧のように見えるそれは、しかしバラバラに寸断されている。

 にもかかわらずそれは浮かび上がり、やがてうつろに人型を形成した。まるで幽体が鎧を着込んでいるかのよう。

 ジェヴォーダンを見つけたのだろう。鎧たちはフワフワと浮かびながら、向かってきた。

 

「歩かねぇんなら、人型になる意味はねぇわな」

「……だな」

 

 ジェヴォーダンの目が、鋭く光る。

 そして、あっというまだった。足元に転がる青銅の兜を見て、デルフリンガーが鍔を鳴らす。

 

「なんでぇ、随分弱っちいじゃねぇか」

「ギーシュのワルキューレだ、中身が何であれ元が元だ」

「ギーシュって、あの鼻っ面の青いガキだろ? なんでそんな奴のワルキューレが、こんなとこにいるのさ?」

 

 デルフリンガーは、ギーシュとジェヴォーダンの間に起きた一悶着を知らない。そのためこれがギーシュの魔法で生まれたものだと知らなかった。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。ジェヴォーダンには、もっと別の疑問があった。すなわち、『これは誰の悪夢なのか?』。

 悪夢の世界と言うからには、誰かがこの世界を見ていたはず。だが、鏡をくぐりルイズと出会ったのも、ここでギーシュと戦ったのも、自分であるはずだ。

 ならば自分の悪夢であるのかと言えば、それも違う。それは、このワルキューレを見ればわかることだった。

 バラバラに切り裂かれていたワルキューレたち。その切り口は、鋭い剣によるものだった。ジェヴォーダンはこの時、ノコギリ鉈で応戦した。その切り口は、ノコ刃によって切り裂かれたような切り口になるはずだ。

 

「相棒、どうした?」

「……なんでもない。先へ進もう」

 

 ヴェストリの広場の向こう、既にそこに歪んだ景色が見て取れる。ぐちゃぐちゃに絡み合った街並みは、ほのかに既視感のあるもの。そこに踏み込むと、デルフリンガーが驚きの声を上げた。

 

「ブルドンネじゃねーか! なんだ、なんでこんなところに通じてるんだ!」

「お前を買った店のある通りだったか。だが、純粋なブルドンネ通りでもないな。トリステイン魔法学院と融合しているようだ」

 

 ブルドンネ通りの吹き溜まりを抜け、その先には学校の裏手にあるはずの、宝物庫の塔が見えていた。

 ジェヴォーダンにとっては、ある意味で曰く付きの場所。ここでルイズとキュルケが自分を争って戦い、そしてあの土くれが現れたのだ。取り逃がした雪辱は、忘れえるはずもない。

 だからこそ、目の前の地面がもこりと膨らんだ時、ジェヴォーダンは身体中の血が叫ぶのを感じた。

 

「これは!」

 

 一瞬にして立ち上がった、見上げるほどの巨大なゴーレム。しかしその姿はどうにもおぼつかず、グズグズの状態で胴には穴さえ空いている。しかし、明らかに異様なことが起きた。その体から炎が上がったのだ。

 

「『土くれ』のゴーレム、なのか……!?」

 

 炎に巻かれたゴーレムが拳を振り上げる。とっさにデルフリンガーで弾き、剣を地面に突き立てて勢いを殺す。

 皮膚にジリジリと迫る熱気。燃え盛る炎に巻かれたゴーレムが、うなりを上げて襲いかかってくる。

 

「っ!」

 

 とっさに、膝だけで体勢を落とす。掠める熱気に目を細めながら、その腕とすれ違うように斬り付ける。と、ゴーレムの腕からは血が吹き出し、悲鳴が上がる。

 やはりそうだ。悪夢で暮石の内に肉が詰まっていたのと同じ、これも生きている。

 であれば、殺せる。

 

「どうやら、何度解体されても足りないようだな!」

 

 小さなトニトルスを、懐から引き抜く。ルーンが熱を持つと同時に、ゴーレムが動いた。

 凄まじい勢いで振り下ろされる拳。だが、唸りを上げる拳も渦巻く炎も、今のジェヴォーダンには『止まって見える』。

 身をかすめて拳を躱しながら、雷撃が放たれる。稲光がゴーレムを打ち砕き、土くれが辺りに撒き散らされた。

 上半身を失ったゴーレムがよろける。その断面からは、血と炎が吹きこぼれた。

 あっけない。そう思っていたジェヴォーダンの身体を、衝撃が襲う。

 

「っ……!」

 

 ゴーレムの残った下半身が放った蹴りを受け、ジェヴォーダンの身体は宝物庫の壁に叩きつけられた。全身の骨が軋み、激痛に視界がゆらぐ。

 だがそれだけの事。一瞬で気を取り戻し、そして跳ねた。

 ゴーレムの脚が応戦しようとその脚を振り上げると、燃え盛る血と土が撒き散らされる。だがそれら全てを躱しながら、一気に距離を詰めていく。

 その脚の間を、スライディングで抜けながら脚に斬撃を。血が噴き出すが、構わず何度も斬り付ける。

 たまらずゴーレムは脚を上げる。そしてそのまま狩人を踏みつけ……しかし、次の瞬間には縦に深い切れ込みが走る。

 ゴーレムは重心を崩したのだろう、ぐらりとよろけた。狩人の血走った目は、それを見逃さなかった。

 すかさず反対の脚に、目にも留まらぬ連撃が加えられる。残ったゴーレムの重心が失われるまで、何度も何度も。

 ゴーレムはあっさりと、その体勢を崩した。尻餅をつくように倒れれば、吹き飛んだ上半身の断面が地面からでも届く位置に降りてくる。そこにジェヴォーダンは、すでに待っていた。

 

「……中身を晒せ、醜いゴーレム」

 

 その手が、ゴーレムの断面に突き込まれる。炎に包まれる事など、意にも介さず。

 手を、引き抜く。それだけでゴーレムの燃えたぎる血も、その中身も、なにもかも辺りに撒き散らされた。

 ゴーレムは、停止した。完膚なきまで粉々に打ち砕かれて。

 

「……はぁ」

 

 あとには積もる土くれと、血みどろの狩人だけ。ジェヴォーダンは雫をパンパンと払い、狩りの余韻に浸っている。

 だが、所詮はまがい物。フーケそのものを倒したわけではないし、悪夢にフーケがいようはずもない。これも、ただ悪夢が見せるだけのもの。

 まだ、この悪夢には何かがあるはずだ。こんなものを見せる為だけにあるような空間とは思えない。まだ、先があるはずだ。

 悪夢には、様々な見覚えのあるものが吹き溜まる。それが自分の知りうる姿であれば、ある程度歪んだ形をしていても察しはつく。

 しかし、崩れた宝物庫の塔の中に別の景色が見えて、流石にその認識を変えることになった。

 

「本当にとんでもねぇな、悪夢ってのは……アルビオン城、だよな?」

「そのようだ。なるほど、次はそこか」

 

 崩れた宝物庫のがれきを登り、中に入る。間取りの大きさも、外から見た塔の大きさでさえもめちゃくちゃ。周囲はまさに、アルビオンの城そのもの。だが当然そこに、人の姿などありはしない。

 そして、すでになんとなくどこを目指すべきなのかは察しがついていた。この悪夢は、そもそもそこから始まっているのだ。

 

「んで、どこへ行くんだ?」

「礼拝堂、ワルドを倒したあの場所だ」

 

 

 

 崩れた瓦礫をかき分け、ようやく姿を現した礼拝堂の扉をゆっくりと開け放つ。

 ついさっきまでいたはずの、礼拝堂。だがそこにはルイズも、斃れたウェールズもいない。

 だが、先客があった。それはつい先ほど打ち倒したばかりの、醜い獣の姿。

 

「ワルド……いや、その偏在か」

 

 その目から赤い光をこぼしながら、偏在は剣を振り上げる。

 全部で4体。だが、すでにこんなものはジェヴォーダンの敵ですらない。

 散弾銃が火を噴き、飛び上がっていた偏在を撃ち落とす。その偏在が地面に落ちるよりも早く、2体の偏在が斬り裂かれる。

 残った一体は、ジェヴォーダンの背後から迫っていた。その姿が偏在の視界から消えた。

 偏在は狩人を探して振り返るが、その視界には誰もいない。直後、その背中に衝撃を受けて、膝をつく。

 背後に回ったジェヴォーダンが、偏在の背中にその手を突き入れていた。腕を振りかぶり引き抜けば、偏在は血を撒き散らしながらゴロゴロと転がっていく。

 その手に握られた一本の背骨が、偏在と共に消えていった。

 

「さすがだな、相棒。あっさりしたもんだ」

「一度倒した相手だ。遅れをとるはずもない。さて……」

 

 静まり返る礼拝堂。続く道は、どうやらここで終わっている。

 

「一体、俺に何を見せたいんだ……?」

 

 悪夢の果て、ジェヴォーダンは次の呼びかけを待つばかりだった。

 

 

 

 

 

 トリステインの王宮はブルドンネ街の突き当たりにある。王宮の前には、当直の魔法衛士隊の隊員たちが幻獣に跨り闊歩している。戦争の噂は2、3日前から流れ始めていた。アルビオンを制圧した貴族派『レコン・キスタ』が、トリステインに侵攻してくるというものだった。

 そのせいで衛士隊の空気もピリピリしたものになっていた。王宮の上空は、幻獣、船問わず飛行を禁じられ、門をくぐる人物のチェックも厳しかった。

 それ故、王宮の上に1匹の風竜が現れたとき、警備の魔法衛士隊は色めきだった。

 マンティコアに騎乗したメイジたちが風竜めがけていっせいに飛び上がる。風竜には5人の人影があり、しかも竜は巨大モグラまでくわえている。

 隊員たちが飛行禁止区域であることを大声で告げてもそれを無視し、風竜は王宮の中庭へと着地した。

 マンティコアにまたがった隊員たちが一斉に周囲を取り囲んだ。腰からレイピア状の杖を引き抜き、いつでも呪文を詠唱できる臨戦態勢に入る。

 

「杖を捨てろ!」

 

 ごつい体にいかめしい髭面の隊長が、大声で侵入者たちに告げる。

 ルイズたちは一瞬むっとした表情を浮かべたが、タバサが首を降って「宮廷」と告げると、しかたないとばかりにうなづいて杖を地面に捨てた。

 キュルケが胸の谷間から杖を引き抜く動作で隊員たちを釘付けにしながら、小声で愚痴をこぼす。

 

 

「随分な扱いねぇ……お姫様の極秘任務とやらなんでしょ? もうちょっと扱い良くてもいいんじゃない?」

「………」

「ちょっとル〜イ〜ズ〜、あなたまだぶすくれてるの? ダーリンは確かに『すぐ戻る』って言ってたのよ。絶対大丈夫よ」

 

 ルイズは杖を捨てても、デルフリンガーはぎゅっと抱きしめて離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 ルイズたちが乗った風竜が王宮に着く少し前。

 

 揺れる風竜の背の上、ルイズは目を覚ました。

 ルイズは自分が、キュルケに抱きかかえられていることに気づいた。風竜の尻尾の付け根のあたりに、自分を抱えたキュルケは座っている。物憂げな表情でどこか空を見つめていたが、やがて目を覚ましたルイズに気が付いた。

 

「あら、起きたのね。大丈夫? どこか怪我してないかしら」

「キュルケ……? 私、何か……」

 

 何か、大事な夢を見ていた気がする。

 頬に風があたり、もうこれが夢ではないことを告げている。してみると、自分は助かったのだ。

 ルイズの心の中を、熱い何かが満ちていく。

 あの裏切り者の、ワルドに殺されそうになった時何かが起きた。自分は失神して、それから、それから……。

 とてもとても大事な夢を見ていた気がするのに、それがなんであったかどうしても思い出せない。思い出そうと思考をぐるぐると巡らせているうちに、そこにあるべきはずの影が1つ、足りないことに気がついた。

 

「……! ジェヴォーダンは、あいつはどこ!?」

「ちょっとルイズ、落ち着いて。ダーリンは遠くには行ってないわ」

「ど、どこ!? どこいったの!?」

「ここさ」

 

 答えたのはギーシュだった。彼が手に持っていたのは、外でもないデルフリンガー。だが、ルイズの知っているその姿とはすでに大きく違っていた。錆びついてボロボロだったはずの剣は新品のようにピカピカで、うっすらと青白い光を帯びている。

 

「ど、どういうこと? あいつが、ここって?」

「彼は、どういうわけか知らないけど剣の中に消えちゃったの。預かっていて欲しいって言われたわ、すぐに戻るとも言ってた。しなければいけないことが、できたそうよ」

「……………」

 

 わけが、わからなかった。

 当然と言えば当然だ。剣の中に消えたとはどういうことなのか。そも、あいつがしなければいけないことなんて、一体?

 ルイズはギーシュから剣をぶんどると、その柄の部分を引き抜く。デルフリンガーはいつもこうやって、話すことができるようになったはずだ。

 

「デルフリンガー、答えなさい。あいつはどこにいったの」

「だめさ。僕たちも話しかけてみたんだが、何も答えてくれない。何も言わないんだよ」

「何よ、なによ、それ」

 

 ルイズは剣を掴んだまま、わなわなと震える。いろんな気持ちがいっぺんに湧き上がってきていた。

 自分が気を失っている間に、少なくともあいつに、何かがあったらしい。

 どうしても思い出せない、大切な夢。自分たちは助かった。でも王軍は、おそらく負けたのだろう。

 ウェールズも、死んでしまった。

 助かった喜びと悲しみと、そしてそれを最も分かち合いたい、使い魔の不在。ルイズは不安ではちきれそうになった。

 裏切り者のワルド。死んでしまった皇太子。勝利を収めた貴族派『レコン・キスタ』。

 王女に、伝えなければならないこと。ルイズは胸元の手紙に手を当てて、そこにある別のものの感触に、ポケットの中を探った。

 出てきたのは、大粒のルビーの指輪だった。忘れようはずもない、それが誰のものであったのか。

 

「………バカ」

 

 ジェヴォーダンは、行けと言っているのだ。少なくとも彼が戻ってくるまでの間、わずかとはいえ、1人で。

 

「ルイズ、あなた……」

「バカ……バカ……バ、カ……」

 

 ルイズの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ出した。不安も恐怖も寂しさも、何もかもひっくるめたような熱い涙だった。

 あいつはまた、1人で行ってしまった。ワルドとの結婚式の時だって、あいつは自分になんの言葉もなく行ってしまった。もう最後に顔を見たのがいつだったのか、それすら思い出せないほどだ。

 

「なんで、どうして……1人で行っちゃうのよ……」

 

 ルイズの涙が、風のルビーに落ちる。ルイズの指にはめられた水のルビーとの間に、涙で小さく虹の光がかかった。

 

 

 

 

 

「今現在、王宮の上空は飛行禁止だ。ふれを知らんのか?」

 

 隊長の大声が響き渡る。ルイズは少しの間悩んだが、どうやら自分が行かなければ話にならない様子だった。

 桃色がかったブロンドの髪を大きくたなびかせ、とんっと軽やかに竜の上から飛び降りる。そしてマンティコア隊へ向けて、毅然とした声で名乗った。

 

「わたしはラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズです。怪しいものではありません。姫殿下に取り次ぎ願いたいわ」

 

 隊長は口ひげをひねり、ルイズを見つめた。ラ・ヴァリエール公爵夫妻といえば、高名な貴族だ。隊長は掲げた杖を下ろした。

 

「ラ・ヴァリエール公爵さまの三女とな」

「いかにも」

「……なるほど、見れば目元が母君そっくりだ。して、要件を伺おうか?」

「それは言えません。密命なのです」

「では、殿下に取り次ぐわけにはいかぬ。要件も尋ねずに取り付いだ日にはこちらの首が飛ぶからな」

 

 困った声で、隊長が言った。そしてそのまま、目線はルイズの手元に移る。

 そこには、無骨な巨大な剣。どう考えても貴族の持ち物とは言えないだろう。更に言えば、杖は命令通り捨ててもこの剣は捨てずにその手に持ったままだ。その妙な姿を見て、隊長が目配せをする。一行を取り囲んだ魔法衛士隊たちが、再び杖を構えた。

 

「申し訳ないが、ひとまずあなた方を捕縛させてもらおう。貴公が本当にラ・ヴァリエール公爵さまの子女であるかどうかも、確かめねばならないからな」

「っ!」

 

 ルイズが顔をしかめる。隊長の一言で隊員たちが一斉に呪文を唱えようとした、その時だった。

 宮殿の入り口から、鮮やかな紫のマントとローブを羽織った人物が、ひょっこりと顔を出した。そして魔法衛士隊に囲まれたルイズの姿を見て、慌てて駆け寄ってくる。

 

「ルイズ!」

 

 駆け寄るアンリエッタの姿を見て、ルイズの顔がぱぁっと輝いた。

 

「姫さま!」

 

 2人は一行と魔法衛士隊が見守る中、ひっしと抱き合った。

 

「あぁ、無事に帰ってきたのね。うれしいわ。ルイズ、ルイズ・フランソワーズ……」

「姫さま……」

 

 ルイズの目から、こらえていた涙が再びぽろりとこぼれた。

 

「件の手紙は、無事、このとおりでございます」

 

 ルイズはシャツの胸ポケットから、そっと手紙を見せた。アンリエッタは小さく息を飲み、そして頷いて、ルイズの手をかたく握りしめた。

 

「やはり、あなたはわたくしの一番のおともだちですわ」

「もったいないお言葉です、姫さま」

 

 しかし、一行の中にウェールズの姿が見えないことに気づいたアンリエッタは、たちまち表情を曇らせた。

 

「……ウェールズさまは、やはり父王に殉じたのですね」

 

 ルイズは目をつむり、神妙に頷いた。

 

「……して、ワルド子爵は? それに、あなたの使い魔さんも。姿が見えませんが、別行動を取っているのかしら? それとも、まさか……敵の手にかかって? そんな、お2人に限って、そんなはずは……」

 

 ルイズは表情を曇らせる。そして、言いにくそうにアンリエッタに告げた。

 

「ワルド子爵は、裏切り者でした、姫さま。ジェヴォーダンは……」

「裏切り者?」

 

 アンリエッタの顔に陰がさす。そして、そんな自分たちを興味深そうに見つめる魔法衛士隊に気がつき、アンリエッタは説明した。

 

「彼らはわたくしめの客人ですわ、隊長どの」

「さようですか」

 

 アンリエッタの言葉に隊長は杖を納め、隊員たちを促しふたたび持ち場へと戻っていった。

 それを見届けると、アンリエッタは再びルイズに向き直った。

 

「道中、何があったのですか? ……とにかく、わたくしの部屋でお話しましょう。他のかたがたは別室を用意します。そこでお休みになってください」

 

 そうしてルイズたちは、王宮へと入っていく。ルイズはデルフリンガーをきゅっと抱きしめた。切なさを乗り越える覚悟が、勇気が少しでも欲しかった。

 

 

 

 

 

 礼拝堂のジェヴォーダンが異変に気づいたのは、背筋を冷たい気配がサーっと駆け巡ったからだった。

 

「……?」

「相棒、どうした?」

「いや、なんでもない。それよりも、だ」

 

 行き止まりとなっていた礼拝堂。床に空いていた、ヴェルダンテが開けた穴も見当たらない。どうやら本当に道が終わっているようだ。

 

「デルフ。お前の『導き』もなしか」

「あぁ、特に何も言ってこねぇなぁ。なぁ相棒、あんたはここが、悪夢の世界だって言ったかい?」

「そうだ。どうやらお前の中に眠っていたらしい、何者かの悪夢の記録だ」

「俺の中? どうしてそんなものが俺っちの中にあるってんだ」

「そんなこと、俺が聞きたい」

 

 変化を待つしかないジェヴォーダン。しかし、デルフリンガーはどうやら腑に落ちないらしい。ふーむと唸り、再び鍔をガチガチと鳴らした。

 

「なぁ相棒、悪夢ってのは『誰かが見たもの』だって? だったらこの世界は、俺を持ってた誰かが見たものだっていうのかい?」

「……あるいは、お前が見たものってことも考えたんだがな。どうやらそれもアテが外れた。お前はギーシュのゴーレムを知らないからな」

「だったらやっぱり、俺を握ってた奴の悪夢かい? でもよ、それって変だろう。ここまで辿ってきた道は、まるでおめぇの記憶みたいじゃないか」

「……そう、だな」

 

 薄々、ジェヴォーダンはこれが自分の悪夢なのではないかと思い始めていた。

 だが、違う。ところどころ相違点がありすぎる。はじめに目にした、あの奇妙な街並みは一体なんだったのか。ギーシュのワルキューレが、ノコギリではなく剣で切り裂かれたような壊れ方をしていたのは何故なのか。フーケのゴーレムは何故、炎に巻かれていたのか。

 様々な点で自分の記憶と、似ているが違う。一体これが、誰の悪夢なのか。何故デルフリンガーの導きは、自分にこれを見せたいのか。

 

「……なぁ、相棒」

「あぁ、わかっている」

 

 だが、考えてる暇がなくなったのが早かった。

 先ほど感じた、冷たい気配。それがより色濃くなって近づいてきた。迎え撃つためにデルフリンガーを抜く。だが、当のデルフがガチガチと震えた。

 

「相棒、ちょっと待ってくれ。この気配は、なんか妙じゃないか」

「確かに、大物の気配だ。これまでのようには……」

「違う、そういうこと言ってるんじゃない。これはなんか……とんでもないもののような……」

 

 その時だった。重たく、冷たい音が彼方から響き渡る。その出どころはどうやら礼拝堂の外のようだ。

 何者かがやってきた。自分たちのいる、この礼拝堂に近づいてきているようだ。

 

「……相棒、なぁ」

「なんだ、デル公」

「逃げよう」

「なんだと?」

「逃げたほうがいい。何か、まずい予感がするんだ。何か思い出しそうなんだよ、でもすごく、まずい気がするんだ」

 

 気配がどんどん近づいてくるのがわかる。散弾銃を左手に構え、迎撃の準備は整っている。デルフリンガーだけが、いつまでたってもガチガチと震えたままだった。

 

「相棒、相棒よう」

「うるさいぞ! 敵なら倒せばいい、大抵のものは俺にはどうにかなる!」

「違う、そういうものじゃないんだ。あぁ、あぁ、あれは……」

 

 そして、衝撃は突然だった。

 礼拝堂の壁が轟音と共に崩れ、外から烈風が飛び込んできた。

 

「!?」

 

 その強烈な風と共に、ジェヴォーダンに飛びかかってきた『影』。

 強烈な突進を間一髪で受け止める。が、あまりの衝撃に弾き飛ばされた。着地と同時に受け身を取り、飛び込んできた影を見据える。と同時に、デルフリンガーがひときわ大きくガチリと震えた。

 

「思い出した、あぁ、思い出した!」

「デル、フ?」

「相棒だめだ、あれには近づいちゃならねぇ。逃げるんだ、相棒」

 

 その異様な影は、全てが『赤』だった。

 身にまとうものも、皮膚も、髪の1本に到るまでも血みどろのような『赤』。その気配ですら、赤くオーラを纏って見えるほどの『赤』。

 その姿は、まだ少年のように見えた。赤黒い影に纏われてその表情までは窺い知れないが、片手には長剣を持ち、ゆっくりと体を起こしてこちらを向いた。

 ジェヴォーダンは、絶句した。少年の姿にではない。その手に握られた、これまた真っ赤に染まった長剣。

 

「あれは『闇霊』だ。あれに関わっちゃならねぇ、相棒。近づいちゃだめなんだ」

 

 それは血にまみれたような赤の、デルフリンガーそのものだった。

 

 

 

 




風のルビー

アルビオン王家に代々伝わるという大粒のルビーの指輪
対となる水のルビーとの間に、王家の虹をかけるという

アルビオンは白の国。大空に浮かぶ風の国である
王家に伝わるこのルビーもまた、風の名を冠している
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