ゼロの狩人   作:テアテマ

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19:夜

 アンリエッタの居間。小さいながらも精巧なレリーフの施された椅子に腰掛け、アンリエッタはルイズの言葉をじっくりと紐解くように耳を傾けていた。

 道中、キュルケたちと合流したこと。

 アルビオンに向かう船で、空賊に襲われたこと。

 ジェヴォーダンの機転で、その空賊がウェールズ皇太子だったとわかったこと。

 ウェールズ皇太子に亡命を勧めたが、断られたこと。

 そして、ワルドと結婚式をあげるため、脱出船に乗らなかったこと。

 結婚式の最中、ワルドが豹変し……ウェールズを殺害し、ルイズが持つ手紙を奪い取ろうとしたこと。

 しかし、実際には手紙は取り返してきた。『レコン・キスタ』の野望のため、トリステインとゲルマニアの同盟を挫くという企みは未然に防がれたのだ。

 にも関わらず、その報告を聞き遂げたアンリエッタは……悲嘆の表情を浮かべた。

 

「あの子爵が、裏切りもの……まさか、魔法衛士隊に裏切り者がいた、なんて……」

 

 アンリエッタは、ボロボロになった手紙を見つめ、俯いた。はらはらと、その頬に大粒の涙がつたう。

 ルイズは黙って、アンリエッタの手を握った。

 

「姫さま……」

「わたくしが、ウェールズさまのお命を奪ったようなものだわ。裏切りものを、使者に選んでしまった……なんて、わたくしはなんということを……」

「姫さま、皇太子は亡命のお誘いを断られました。もとより、アルビオンに残るおつもりだったのでしょう」

「……ならば、ウェールズさまは……わたくしを愛して、おられなかったのね」

「……姫さま、やはり、手紙で皇太子に亡命をお勧めになったのですね?」

 

 悲しげに手紙を見つめ、アンリエッタは頷いた。

 ルイズはウェールズの言葉を思い出す。彼は「アンリエッタは亡命など勧めていない」と否定していた。やはりそれは、嘘だったのだ。

 

「えぇ。死んでほしくなかったんだもの。愛していたのよ、わたくし」

 

 それからアンリエッタは、呆けた様子でつぶやいた。

 

「わたくしより、名誉のほうが大事だったのかしら」

 

 ルイズは、あまりにもいたたまれない気持ちでいっぱいになった。愛するものを失った悲しみ、それは果たしていかほどのものか。

 ウェールズは名誉を守ろうなどと、アルビオンに残ったのではない。ルイズにはそれがわかっていた。それでも、それをどうアンリエッタに告げたらいいのか。ルイズには、正しい言葉など思いつかなかった。だから、ただただいたたまれなくて、切なくて、胸が張り裂けそうなほどだった。

 

「姫さま……わたしがもっと強く、ウェールズ皇太子を説得していれば……」

「いいのよ、ルイズ。あなたは立派にお役目どおり、手紙を取り戻してきたのです。あなたが気にする必要はどこにもないのよ。それにわたくしは、亡命を勧めてほしいなんて、あなたに言ったわけではないのですから」

 

 それからアンリエッタは、にっこりと笑った。

 

「わたくしの婚姻を妨げようとする暗躍は、未然に防がれたのです。わが国はゲルマニアと無事同盟を結ぶことができるでしょう、そうすればアルビオンも簡単に攻めてくるわけにはいきません。危機は去ったのですよ、ルイズ・フランソワーズ」

 

 アンリエッタが努めて明るい声を出しているのを、ルイズは感じ取っていた。

 せめて、何かできないのか。あいつなら、こんな時どうするだろうか。

 そう思って、預かりものの存在を思い出した。

 

「姫さま、これをお返しいたします」

 

 そう言って、ポケットからアンリエッタにもらった水のルビーを取り出す。しかし、アンリエッタは首を振った。

 

「それはあなたが持っていなさいな。せめてものお礼です」

「こ、こんな高価な品をいただくわけにはいきませんわ!」

「忠義には、報いるところがなければなりません。いいから、とっておきなさいな」

 

 ルイズは頷いて、そして恭しくそれを指にはめた。

 そして、預かりものはこれだけではなかった。ルイズは今度は、ポケットから風のルビーを取り出した。

 

「姫さま、これ……その、皇太子さまから、預かったものですわ」

 

 本当は、いつのまにか自分のポケットに手紙と一緒に入っていたものだ。誰がこれを自分に託したのか。それは容易に想像がつく。

 アンリエッタはその指輪を受け取ると、大きく目を見開いた。

 

「これは……ウェールズさまが、わたしに?」

「はい。最後に、これを姫さまに、託されました」

 

 精一杯の嘘。それでも、慰めになるのなら。

 アンリエッタは、風のルビーを指に通した。男手のものだったのでゆるゆるだったが……小さく呪文を呟くと、指輪のリングがすぼまり、薬指にピタリとおさまった。

 アンリエッタは、その指輪を愛おしそうに撫でた。そしてルイズを見て、悲しく、寂しく、はにかんだ笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、優しいルイズ……わたしは、生きようと試みなければならないわね。あの人の分まで」

 

 それでもアンリエッタの表情に、ほんの少しだけ光が戻ったような気がして、ルイズも小さく笑みを浮かべた。

 そして、少し余裕ができたからだろうか……アンリエッタも、気にかかっていたことを口にした。

 

「そういえば……あなたの、使い魔さんだけれど」

 

 アンリエッタは、ルイズの抱える剣を見つめる。アンリエッタの脳裏には、最悪の構図が浮かんでいた。

 

「その、ルイズ……わたくしも、励ましてもらってばかりではいられないの。どうか、わたしには打ち明けてはくださらない?」

「……え、あ、姫さま? 何か、勘違いされています。あいつは生きています、たぶん……」

「たぶん?」

 

 ルイズはなんと説明したらいいものか、返答に困った。なにぶん自分も、使い魔がいったいどういう状況にあるのか、把握しきれていないのだ。

 

「そもそもどうやらワルドを倒したあと、何かあったみたいで。あいつは今、剣の中にいるらしいんです」

「剣の、中? ルイズが持ってる、その剣の?」

「はい、あの礼拝堂でワルドを倒して、それで……」

 

 ルイズの脳裏に、ピリッと何かが思い浮かぶ。

 

「……?」

 

 礼拝堂で、自分は気絶して。それでそのあと……どうなったんだったか。

 ずっと気を失っていて、そこで確か、何か……何かが、いたような気がするのだ。ジェヴォーダンでもない、ワルドでもない。何か、誰かと話をした。そんな夢を見たような……。

 しかし、どうしても思い出せない。どうして、思い出せないんだろう。

 固まったルイズを、アンリエッタが心配そうに覗き込んだ。

 

「ルイズ……あなたにも、何か大変なことが起きたのね」

「……私にも、わからないんです……」

 

 ルイズは、その胸に物言わぬ剣を抱いて、か細い声でそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 かつて名城と謳われたニューカッスルの城は、惨状を呈していた。城壁は度重なる砲撃と魔法攻撃で、瓦礫の山となり、無残に焼け焦げた死体は地面を埋め尽くして山と積まれている。

 攻城に要した時間はわずかであった。が、反乱軍『レコン・キスタ』の損害は、さまざまな想像の範囲を超える結果となった。

 三百の王軍に対して、損害は二千。けが人も合わせれば、四千。戦死者数だけみれば、どちらが勝者なのかもわからないほどだ。

 アルビオンの革命戦争の最終決戦、ニューカッスルの攻城戦は、100倍以上の敵軍に対して、自軍の10倍にも登る損害を与えた戦い……伝説となったのであった。

 

 だがこれは、戦での損害のみだ。

 今や、アルビオンには人の影はない。ニューカッスルの城の跡地ですら、積み上がるのは死体の山ばかり。

 王軍に対して受けた損害は、四千。だが、その「後」に受けた損害は、およそ四千……これは、負傷者を含まない死者の数だ。

 アルビオンに突如出現した、巨大な獣……それが、ニューカッスルを占拠した反乱軍の兵士たちに襲いかかったのだ。

 『黒風の獣』と名付けられたその獣によって、王軍は壊滅的な出血を強いられることとなった。まるでそれは、攻城によって打ち倒された王軍の怒りが、似姿となって現れたようだと、兵士たちの間でまことしやかに囁かれるほど。

 だが、結果として『黒風の獣』は打ち倒された。獣を倒したのは、結局のところ兵士の「数」であった。四千もの死者を出し、それでもなおその分手傷を負わせ、なんとか追い込んでいき……そしてとどめに、ニューカッスルから船で渡ってきて合流したフーケも加勢して、獣を『撃退』するに至ったのだった。

 『撃退』とは要するに、殺すにまでは至らなかったということ。風を巻き起こす青黒い獣は、フーケの巨大なゴーレムに怯み、退いた。そして城からそう離れていない森の中へと姿を消していったのだ。

 それでも、虐殺の限りを繰り返した獣を退けたフーケの存在は、兵士たちの士気を湧き上がらせた。歓声の中で、フーケは面白くなさげに返り血を拭った。口にまで飛び散った血が妙に甘ったるくて吐き気を催す。

 

「ったく……なんだって、私がバケモノ退治なんかに付き合わされなければいけないんだい」

 

 だが確かに、凶悪なまでに恐ろしい獣であった。

 様々な魔法生物を相手にしたことがあるが、こんなものは初めてだ。凄まじい速さで動き回り、疾風のようなものを起こして人を軽々と弾き飛ばす。聞くに耐えない醜い雄叫びをあげたかと思うと、今度は悪鬼のごとく荒れ狂う。

 負傷していたのか左腕を欠いていたのだけが救いというもので、それがなければ今だってどうなっていたかわからない。それほどの、凶悪な獣だった。

 

『……獣め』

 

 脳裏に、嫌な奴の顔が思い浮かぶ。

 人を獣呼ばわりしてくれた、あのいけ好かない青年。そもそも奴を殺すことが、このアルビオンにおいてフーケの最大目標だったというのに、どうやらそれも叶わずとなってしまったようだ。

 ワルドの協力あってすれば、はたしてどうとでもなったはずなのに……そういえば、ワルドの姿を見ていない。まさかあんな獣にやられちゃいないだろうが……。

 そんな風に考えていたおり、突然後ろから、快活な、澄んだ声が響き渡った。

 

「おぉ! ついにあの醜悪な獣を退けてくれたのかね! かねてから聞いていた噂通りの実力だよ、ミス・サウスゴータ!」

 

 それは、かつて捨てた貴族の名。冷えた表情を精一杯の笑みでごまかし、フーケは振り返った。

 

「ワルドに、わたしのその名前を教えたのは、あなたなのね?」

 

 

 

 

 

 

 ルイズたちが魔法学園に帰還した3日後、正式にトリステイン王国王女アンリエッタと、帝政ゲルマニア皇帝ログエリウス3世との婚姻が発表された。式は一ヶ月後に行われるはこびとなり、それに先立ち、軍事同盟が締結されることとなった。

 同盟の結婚式はゲルマニアの首都、ヴィンドボナで行われ、トリステインからは宰相のマザリーニ枢機卿が出席し、条約文に署名した。

 アルビオンの新政府樹立の公布が為されたのは、同盟締結式の翌日。両国にすぐに緊張が走ったが、アルビオン帝国初代皇帝、クロムウェルはすぐに特使をトリステインとゲルマニアに派遣し、不可侵条約の締結を打診してきた。

 両国は協議の結果、これを受けた。両国の軍事力を合わせてもアルビオンの艦隊には対抗しきれない。未だ軍備の整わぬ両国にとってこの申し出は願ったりであった。

 ハルケギニアに、表面上の平和が訪れた。普通の貴族や平民たちにとっては、いつもと変わらぬ日々が待っていた。それは、トリステイン魔法学院でも例外ではない。

 だがこの時まさに、濁り水はゆっくりと流れていた。まさに魔法学園、ルイズの教室の、その剣の中で。

 

 そんなことなどつゆ知らず、アルビオンから帰ってきたルイズたちが教室に入っていくと、すぐにクラスメイトたちに囲まれた。ルイズたちは学園を数日間開けていた間に、なにか危険な冒険をして、とんでもない手柄を立てたらしいともっぱらの噂だった。

 実際、魔法衛士隊の隊長と出発する姿を何人かの生徒たちが見ていたのである。クラスメイトたちは、それを聞きたくてうずうずしていたのだった。

 

「ねぇルイズ、あなたたち、授業を休んでいったいどこ行っていたの?」

 

 腕を組んで、そう話しかけたのは香水のモンモランシー。

 クラスメイトたちは、押しても引いても自分のペースを崩さないキュルケに業を煮やし、ギーシュとルイズに矛先を向けたのである。

 ギーシュは取り囲まれてちやほやされ、調子に乗ったらしい。あっはっはと笑って足を組み、人差し指を立てたので、ルイズに頭をひっぱたかれた。

 

「なにをするんだね!」

「口が軽いと魔法を失敗させて吹っ飛ばすわよ、ギーシュ」

 

 凄まじい剣幕である。ギーシュは黙る他なかった。そんな様子を見ていたクラスメイトたちはますます「なにかある」と確信したらしい。ルイズを取り囲んで質問ぜめに合わせた。

 

「ルイズ! いったい何があったんだよ!」

「何もどうもないわよ。ちょっとオスマン氏に頼まれて、王宮にお使いにいっていただけ。ギーシュ、キュルケ、タバサ。そうよね?」

 

 キュルケは意味深に微笑を浮かべ、ギーシュは頷き、タバサは本を読んでいた。

 取りつく島もないため、クラスメイトたちはつまらなさそうにため息をつき……そして今度は、また別の話題でルイズに詰め寄った。使い魔の不在である。

 

「おいルイズ、お前の使い魔はどこにいったんだ?」

「……! そ、それは……」

 

 何やらお忍びで学院を出て行き、帰ってきてみれば、ルイズの使い魔の姿が見えない。普段ルイズをバカにしている生徒たちにとってこれほどの話題は存在しなかった。

 

「おいゼロのルイズ! お前さては、あの平民に逃げられたんだろ!」

「やっぱりあの木こり、召喚できなかった代わりに呼んできただけだったんだな?」

「お忍びで出てったのは、もしかしてお役御免ってわけ?」

 

 教室で口々に浴びせかけられる、様々な嘲笑や嘲りの言葉。当然、わめき散らして否定するのを期待してのことだったが……ルイズは、全くの無反応だった。

 ルイズの同級生たちは、これまた不思議がった。皆の知るルイズというのは、魔法の使えない劣等生だというのにプライドばかり高くて、こういう侮辱を無視できるような性格ではなかったはずだった。

 実際には、ルイズは使い魔がどこへ行っているのか、それはわかっていてもどうすることもできずにいる。だがそんな事情などクラスメイトたちが知りうるはずもない。

 

「ねぇルイズ、聞いてるの? ちょっとー、ゼロのルイズー、お耳までゼロになっちゃったのかしら?」

 

 他の生徒たちが様子を見る中、見事な巻き毛を揺らして、モンモランシーが嫌味ったらしく言った。

 

「まさか、本当に使い魔に逃げられちゃったわけ? あっはははは! まぁでも、魔法のできないあなたですもの、使い魔を呼べなくたって仕方ないわよね! それとももしかして、あの平民の方から愛想尽かされちゃった!? それはちょっと可愛そうだけど、でもまぁ仕方ないわよねー! なんてったってあんたは、魔法成功率ゼロ、の……」

 

 だが、その嫌味は最後まで続かなかった。モンモランシーの沈黙に、他の生徒たちはなんだなんだとルイズを覗き込む。そして、驚愕した。

 俯いたルイズの目元からこぼれ落ちる、大粒の涙。これまでどれ程バカにされようと、嘲りをうけようと、決して見せたことのない涙。

 声を押し殺して泣くその姿に、モンモランシー含め全員が、とてつもない過ちを犯したのだと確信した。

 続くように、教室中にバァンと、誰かがテーブルに手を叩きつける音が響き渡る。驚いてそちらを見やった生徒から、「ひっ」と小さな悲鳴が上がる。

 モンモランシーは、恐るおそる振り返る。髪の毛が逆立つほどの怒りのオーラを身にまとったキュルケが、モンモランシーを睨んだ。キュルケがあの平民にも惚れ込んだらしいという噂がずいぶん前に立っていたのを、今更になって思い出した。

 

「……香水のモンモランシー」

 

 焚き木が鳴るような声が静まった教室にこだまする。「はぃっ」とモンモランシーが、声にならない音で返事をした。

 

「それ以上ジェヴォーダンと、それとルイズを侮辱して御覧なさい……私の炎なら、香水なんて雫1つ残さず蒸発させてやるわよ」

「……は、ひ」

 

 もはや涙を浮かべて震えるモンモランシー。だが、一番驚いているのは、涙で顔を濡らしたルイズだった。

 あのキュルケが、自分をかばってあんなことを言うだなんて。涙を忘れて、キュルケを見つめた。

 そして怒れるキュルケの隣に腰掛けるタバサが、「どうどう」と彼女の顎を撫でる。キュルケはボソッと「誰が牛よ」と呟くと、何事もなかったかのように爪をいじりだした。

 緊張から解放されたモンモランシー、およびルイズをバカにした生徒たち。しかし、さらに意外な方面から追撃が飛んできた。

 

「私も、香水なら一瞬で凍りつかせる」

 

 他でもない、キュルケをなだめたタバサだった。いつも本を読み、あるいは黙って教室を出てサボっているばかりのタバサが、滅多に発することのない言葉。それは二つ名の「雪風」に恥じない、凍えるような殺気をたたえた脅しかけの言葉だった。モンモランシーはもはや、意識すら失いそうなほどである。

 キュルケもルイズも驚いてタバサを見やる。タバサは言うことは言ったとばかりに、読書を再開した。

 モンモランシーは震える声で、ギーシュに縋り付いていった。

 

「ぎーしゅぅぅぅ……」

「も、モンモランシー、怖かったろう。僕がついているさ。ただ、その……」

 

 ギーシュは非常に罰が悪そうに、もごもごと呟く。

 

「あのー、あまり彼を悪く言わないでほしいというのは、実は僕も同意見でだね。その、彼をただの木こりだったと言うことにしてしまうとだね、僕は木こりに負けたメイジってことに、なってしまうんだがね……」

 

 無念、モンモランシーは発狂した。見事に真後ろにばったりと倒れて気絶した彼女にギーシュがすがりつき、「ごめんよぉぉ目を開けてくれモンモランシぃぃぃ」などと叫んでいる。

 ギーシュは放っておいて、ルイズはキュルケとタバサを見た。二人ともすっかり自分の世界に入り込んで、こちらの視線にも気づかない。だが少なくともルイズは、胸に熱いものがこみ上げるのを感じていた。

 

 

 

 だが、この日の騒動はこれで終わっていなかった。授業も終わってすっかり夜も更けた頃、ルイズは自室で着替えを済ませながら物憂げにため息をついていた。

 今までであれば、脱いだ着替えをテキパキと片付け翌朝の洗濯に備える使い魔の姿がそこにあるはずだった。奴は眠りもせず机に伏して、朝まで黙々と何かを学ぼうとしていた。そして、ルイズが目覚めるまでには朝の準備を完璧にこなして、ルイズの寝るベッドのシーツを引っぺがすのだ。

 だがその姿は、今やこの部屋にはない。

 かつて、ジェヴォーダンが壁にノコギリを突き刺してできた穴。今となっては、使い魔がこの部屋に残した痕跡はこれぐらいになってしまった。

 

「……………」

 

 一体どうして、あいつは行ってしまったのだろう。そりゃあ、キュルケから聞いた話だけでも何かが起きたことはわかる。自分が気を失っている間に、どれだけのことが起きたのだろう。思いをはせても、わかることは1つとしてない。

 壁についた傷を指でゆっくりと撫でる。あいつが使い魔として召喚される前は当たり前だった静寂が、何故か今は恐ろしく寂しく感じられた。

 

「……ジェヴォーダン」

 

 思わずそう呟くのと、ルイズの部屋の扉がバターンと開かれるのとは同時だった。

 

「ひゃあっ!?」

「ルイズ、邪魔するわよー」

 

 そこにいたのは、昼間自分をかばってくれたキュルケ……と、その小脇に抱きかかえられたタバサ。タバサは抱えられたままでも分厚い本に目を落としている。そしてキュルケがもう片方の腕に抱えたバスケットからは、ワインの瓶が頭を出していた。

 

「きゅ、キュルケ!? 何よ突然!」

「何よとはなによ、遊びに来てあげたんじゃない。相変わらず色気のない部屋ねぇ、ダーリンが帰ってきた時のこと考えて少しくらい綺麗にしておきなさいよ」

 

 そもそも鍵をかけていたはずなのに……というルイズの疑問をよそに、キュルケはルイズの部屋にバスケットをぽんと置くと、タバサと共に当たり前のようにくつろぎはじめた。

 

「はぁー、最近やっとちょっと涼しくなってきたわね。あ、ルイズ、あんたの部屋余分に皿置いてたりしない? クックベリーパイくすねてきたんだけど取り皿忘れちゃったわ」

「えっ……あ、うん、多分あると思うけど……その、なんで?」

「はい、ワイン。ゲルマニア産よ。ワインはゲルマニアに限るわぁ、トリステインのワインはダメだもの、酸っぱいばかりで品がないからね」

 

 キュルケはルイズの言葉に答えず、バスケットからどんどんといろんなものを取り出していく。ワインにパイ、いくつか果物にクッキー、チョコレートまである。

 ルイズは思わず喉を鳴らした。重ねて言うが、夜中である。年頃の、それも貴族である少女からすれば、あまりにも悪いことである。

 

「きゅ、キュルケ、いくらなんでもダメよ。今何時だと思ってるの」

「明日は虚無の曜日よ。あとついでに言うなら、長旅で少しひもじい思いもしたじゃないの。これくらいはいいのよ、これくらいは。それともこのクックベリーパイ、あなたはいらないのぉ?」

「うっ……わ、悪い! 悪い子よキュルケ! あ、あ、あんまりよ、こんな悪いことして、ゆゆゆゆゆ、許されないわよ!」

 

 口でそう言いながらも、ルイズはすっと席に着いた。完全にパイとワインの誘惑が優っている。

 

「はい、これで共犯。さ、ワイン開けましょ」

「開いてる」

 

 驚いてタバサを見れば、ワイングラス片手にとっくにクッキーに手をつけている。キュルケがその頭を小突いて「ほどほどにね」と囁いた。そしてルイズにグラスを差し出すと、そこにとくとくとワインを注いでいく。

 

「……あの、キュルケ? どうして私の部屋に?」

「タバサ、あんた結構いったわね」

「2人の分は残してある」

「2杯分の間違いじゃなくって……? まだまだあるからいいけどね」

「きゅ、キュルケ?」

 

 正直、ルイズはかなり困惑していた。そりゃそうである。確かにここ最近妙に付き合いが増えた感じがしていたとはいえ、相手はあのツェルプストー。ヴァリエール家とは因縁の家系であり、お互いそれは熟知した上でいがみ合っていた関係である。

 今日の教室でのことといい、今のことといい、何かおかしい。一体どう言うつもりでこんなことをしているのか。

 怪訝に何度も繰り返すルイズの質問を、キュルケがその度にはぐらかす。ルイズは妙に不安な気持ちのまま、とはいえ部屋の静寂が2人の……主にキュルケのではあるが……騒ぎ声にかき消されることに、妙な安心感も覚えていた。

 

「それでね、あの男ったらひどいわけ。私を相手に待ち合わせに30分も遅れて来たのよ? それでも堂々とするならまだしも、情けない声で平謝りしてくるもんだからもうたまんなくて、私置いて帰ってきちゃったわ。それでね、その次の男が……」

「あの……ねぇ! キュルケ、タバサ」

 

 しかし、どうしても黙ってはおけない。ルイズが声を張り上げると、ようやくキュルケはマシンガントークを止めた。タバサも、本からルイズへと視線を移す。

 

「その、今日、きょ、教室で、わ、わた、わたしをかかかかか、庇ってくれたのは、その……な、なんで?」

「………」

「………」

 

 キュルケもタバサも、ぽかんと口を開けた。そして2人とも……ふっと、微笑んでみせた。

 

「ま、これはあれね。腐れ縁って事でいいんじゃないかしら? ダーリンをあんまり酷く言われると私だって腹たっちゃうものね」

「貸し借り1」

 

 タバサのひと言にキュルケがズルッと机に額をぶつける。そして「そういうことは言うもんじゃないのよぉぉ」と、その頭をぐしゃぐしゃに撫で回した。タバサは気分良さげに目を細めていて……なんか、猫みたいだ。

 

「まぁ、何、あれよ。気にしたらダメよあんなの。これだけ色々あればあんたの事も分かってくるってもんだわ。だからあんたはいつも通り、ない胸はっていなさいな」

「だだ、誰が、胸ゼロかぁ……」

 言い返しながらもルイズは自分の顔が真っ赤になっているのを、かっかとした熱で感じる。今まで感じたことのないような、くすぐったいような不思議な気持ちが胸を満たして……自然と涙が、溢れていた。

 

「さーて、まぁそれは確かに気を使ってってのは1つ。でもそれじゃ半分よ。いい加減私たちくらいには教えなさいよ、ダーリンの事とか、何が起きてたのかとか、全部ね」

「あいつの、事?」

「ただの人間なんかじゃないんでしょ、彼は。初めて彼を部屋に呼んで、瞳の中を見せられた時からわかってたことよ。彼が普通じゃないってことくらいね」

「………うん。そうね。あいつは……」

 

 タバサが本を閉じて傍に置く。そして、ルイズの長い長い話が始まった。

 

 夜は更けていく。それぞれの夜の中、アルビオンの森には名状しがたい不気味な雄叫びが響き渡った。

 

 

 




クックベリーパイ

甘いクックベリーのグラッセが
ふんだんに使われたフルーツパイ
ルイズの大好物でもある

いつ食べたって甘かった思い出のパイ
彼女がくれたこのパイも、きっと甘い


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