ゼロの狩人   作:テアテマ

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09:悪夢

 ルイズは、夢を見ていた。

 生まれ故郷のラ・ヴァリエールの領地にある屋敷。夢の中の幼いルイズは、屋敷の中庭を逃げ回っていた。

 

「ルイズ、どこに行ったの? まだお説教は終わっていませんよ!」

 

 そう行って騒ぐ母。出来のいい姉たちと魔法の成績を比べられ、説教をされる毎日。

 ルイズは歯嚙みをして、逃げ出した。そして、彼女自身が『秘密の場所』と呼んでいる、中庭の池へと向かった。

 あまり人の寄り付かない、うらぶれた中庭の池。真ん中には小さな島があり、白い石造りの東屋が建っている。

 島のほとりには小舟が一艘浮いていた。今やもう、この池で舟遊びを楽しむものはいない。ルイズは叱られると、決まってこの小舟の中に逃げ込むのだった。

 夢の中の幼いルイズは、小舟の中に用意してあった毛布に潜り込む。そんなふうにしていると、中庭の島にかかる霧の中から、一人のマントを羽織った立派な貴族が現れた。

 

「泣いているのかい? ルイズ」

 

 つばの広い、羽根つき帽子に隠れて顔は見えない。だがルイズにはそれが子爵だとすぐにわかった。最近、近所の領地を相続した歳上の貴族。夢の中のルイズにとっての、憧れの子爵。父と彼の間で交わされた約束……。

 

「子爵さま、いらしてたの?」

「今日はきみのお父上に呼ばれたのさ。あのお話のことでね」

「まあ!」

 

 ルイズは恥ずかしさに顔を隠してうつむいた。

 

「いけない人ですわ、子爵さまは……」

「ルイズ、僕の小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」

 

 おどけた調子で、子爵が言った。

 

「いえ、そんなことはありませんわ。でも……わたし、まだ小さいし、よくわかりませんわ」

 

 ルイズがはにかんで言うと、帽子で顔が隠れたまま、子爵は手をそっと差し伸べてくる。上質な革手袋に包まれた、大きな手。

 

「子爵さま……」

 

 ルイズが手を取ると、子爵は顔を上げ……ルイズは、その姿を見て青ざめた。

 そこに、子爵の姿はなかった。文字通り「姿がなかった」。

 まるで透明人間が子爵の服と帽子を着ているかのよう。帽子と襟口の内側の布地が見える。

 

「ひっ……!?」

 

 思わずその手を振り払う。すると、まるで初めから中身などなかったかのように服がぺしゃりと潰れ、ルイズに覆いかぶさってきた。

 慌てて空っぽの子爵の服を払いのける。中から出てきたルイズは、幼い姿のルイズではなく、トリステイン魔法学校に通う今の姿のルイズだ。

 

「え……? どこ、ここ」

 

 周囲の景色も様変わりしていた。一面の白い花畑。そよ風に揺れる可愛らしい花びらが一面に広がり、不思議な香りが鼻腔をくすぐる。

 突然の事にルイズは困惑し、ゆっくりとあたりを見渡していた時だった。

 

『はっはっはっはっはっ……なるほど、君も何かにのまれたか。狩りか、血か、それとも悪夢か?』

 

 しゃがれた声のする方へ振り返る。燃える家と、見上げるほど大きな樹と、その下で車椅子に腰掛ける老人、そして……見慣れた姿があった。

 

「……ジェヴォーダン?」

 

 顔は、帽子と防塵マントに隠れて見えない。それでもそのいでたちでそれが自分の使い魔だとすぐにわかった。

 だが、ジェヴォーダンは呼びかけには応えない。ただ、車椅子からゆっくりと立ち上がる老人を睨みつけている。

 

『まぁ、どれでもよい。そういう者を始末するのも、助言者の役目というものだ……』

 

 老人は、傍らから巨大な刃を引き抜いた。そして独特の構えで、それを背負った仕掛けと組み合わせて展開する。

 

『ゲールマンの、狩りを知るがいい』

 

 そして、老人とジェヴォーダンは一斉に跳ねた。

 あまりの衝撃に思わずルイズは頭を抱える。だがなんとか薄く目を開け、己が使い魔の様子を見ていた。

 それは、まさしく死闘だった。攻撃に次ぐ攻撃、回避に次ぐ回避。全てをかわしきるのではなく、時には被弾をしてでも、肉を切らせて骨を断つ戦いが互いに繰り広げられる。

 ジェヴォーダンの動きは、ギーシュと決闘を繰り広げた時のそれとは、比べ物にならないほど凄まじいものだった。

 いつのまにか、ルイズはその闘いに静かに見とれていた。白い花弁が嵐のように舞い上がり、青い月明かりに照らされて眩く輝いている。

 ルイズは戦う2人の背後にある大きな1つの月を見て、確信した。これはジェヴォーダンの記憶なのだ。

 使い魔と主人は様々なものを共有する。ルイズはジェヴォーダンがその瞳で見た景色を観ているのだ。

 

 ジェヴォーダンの脇腹を、老人が振るう鎌がかすめる。鮮血が撒き散らされるがジェヴォーダンは気に止める様子も見せず、むしろノコギリを老人めがけ振り下ろす。老人の脇腹をノコ刃が捉え、吹き出した返り血を目いっぱいに浴びる。

 血みどろの戦い。白い花を赤く染める。ほんの一瞬の間合いが空いたのち……2人の影が重なった。

 

 ジェヴォーダンの喉を捉えたように見えた鎌の刃を、ジェヴォーダンは手で握って受け止めていた。刃を掴んだ指から大量の血が滴り落ちる。

 そして、ジェヴォーダンのノコギリ鉈は、老人の肩口から胸にかけて、深くえぐるように突き刺さっていた。

 

 勝負が、決する。老人は両手をやにわに掲げ、どこか満足そうな表情を浮かべた。

 

『全て、長い夜の夢だったよ……』

 

 そしてそのまま倒れこみ……老人の姿は、まるで夢のように消えてしまった。

 静けさだけが残る。返り血にまみれ、月光を浴びて立つジェヴォーダン。そのあまりに壮絶な姿は、なぜかルイズの心を何よりも強く打った。

 

「ジェヴォー……」

 

 応えないとわかっていても、ルイズは呼びかけた。だが、不意に挿した影にそれは遮られた。

 ルイズは、そして夢のジェヴォーダンは、月を見上げた。真っ赤に染まった月が、降りてくる。巨大な何かが、触手を携えて、月から降りてくる。

 

「あ、ぐぅっ?」

 

 突然、強烈な耳鳴りと頭痛を覚える。水音が絶えず聞こえ、頭の中を何かが蠢いているのを感じる。

 ルイズにはそれが何なのかわからない。だがジェヴォーダンは、月から降りてきたそれに向かって、迎え入れるように歩いていく。

 

「ジ、ジェヴォーダン! だ、め、行っちゃ……!」

 

 ぐらつく頭を押さえてジェヴォーダンを止めようとするルイズだったが、しかしジェヴォーダンは、そんなルイズの様子とは打って変わって、動揺した素振りは見せなかった。

 むしろまるでつまらなそうに、幼子が遊び飽きたおもちゃを見るような目で、その巨大な怪物と向かい合う。

 その怪物の両手がジェヴォーダンを掴んだ。怪物の顔とジェヴォーダンの身体が近づく。

 怪物が、ジェヴォーダンを抱き寄せる。触手に絡め取られて行くその姿に、ルイズは短く悲鳴を漏らす。

 その直後……ジェヴォーダンの身体から光が炸裂し、触手と腕を弾き飛ばした。

 地面に降り立つジェヴォーダンを、ルイズと怪物は驚愕して見やった。ジェヴォーダンは至極つまらなそうに、怪物をにらみつける。

 

『……お前は、頭の中に瞳があるのか』

 

 夢の中で初めて、ジェヴォーダンが口を開いた。それは今のジェヴォーダンと同じ声なのに、何故か今よりもずっと人間的に聞こえた。

 怪物が触手を鬣のようにたなびかせて立ち上がる。目の前のものを敵と、判断したようだ。

 

『そうか』

 

 そして、ジェヴォーダンもノコギリ鉈を振るい、ガチンと変形させる。

 

『なら、俺の勝ちだ』

 

 そして、戦いではなく、「狩り」が始まった。

 

 

 

 

 

 

 ルイズがうーんうーんと唸るので、壊れたノコギリ鉈を弄っていたジェヴォーダンは怪訝そうに振り返る。

 どうやら悪夢を見ているようだ。他人事としても、いい気はしない。ジェヴォーダンがそんなことを考えてると、傍らに置いたデルフリンガーがカチカチと金属音を鳴らす。

 

「ひどくうなされてやがるな。どんな夢見てるんだ?」

「さぁな。ロクなもんじゃなさそうだが……」

 

 そんなことを話していると、突然ムクッと、ルイズが起き上がる。

 

「……ジェヴォーダン! だから行くなって言ったのに! 何であんたはいっつも言うこと聞かないの、バカッ!」

 

 驚きのあまり固まるジェヴォーダンとデルフリンガー。ルイズはそれだけ喚くとまたパタリと倒れ、また寝息と唸り声を上げ始める。どうやら寝ぼけていただけのようだ。

 

「……相棒お前、娘っこの夢の中で何してんだ?」

「俺が知るかよ……」

 

 ジェヴォーダンは少し悩み、ルイズの枕元に忍び歩く。

 そして、懐から小さな木箱を取り出した。

 箱の底にあるゼンマイを幾分か巻き、蓋をあける。押し込まれていたスイッチが作動して、オルゴールから静かなメロディが流れ始めた。

 ヤーナムでは、ごく一般的に聞かれる、子守唄のメロディだ。

 そのままオルゴールを枕元に置いてやる。唸り声を上げていたルイズだったが……しばらくして、かすかな寝息を立て始めた。どうやら落ち着いたようだ。

 

「ほーぉ、相棒、変なもん持ってんだな。おでれーた」

 

 机に戻ったジェヴォーダンはひと息置くと、分解したノコギリ鉈のパーツを手に取る。

 

「で、直せそうかい」

「うーん、厳しそうだ。機関の故障というだけならまだなんとかなったかも知れないが、やはり機関部が断裂している。工房の道具なしではどうにもならないな」

「俺様も長生きしてきたが、こんな複雑な武器は初めて見たぜ。確かにこりゃ、まともな道具なしで手を加えるもんじゃねぇよ」

 

 デルフリンガーはそれから、また鍔をカチカチと鳴らし、誰かに聞かれてはまずいというかのように、声を潜めた。

 

「それにな、相棒。こう言っちゃなんだが、この宇宙に、相棒がその武器使ってまで戦うような相手はおそらくいねーよ。相棒と『同種』がいねーだろうからな。過ぎた力だぜ、それは」

「……『過ぎたるは及ばざるがごとし』か。まぁ、お前がいればしばらくは平気だろうな」

 

 分解されていたノコギリ鉈をテキパキと組み立て直す。それを布でくるんで部屋の隅に置くと、机に置いた携帯ランタンの火を消して椅子に深くもたれた。

 

「……少し疲れたな」

「なんだ相棒、寝るのか?」

「あぁ、少し、気が抜けたようだ」

 

 狩人である以上夜に眠ることなどなかったが、獣のいないこの世界。ずっと張り詰めていた殺意がすっかり緩みきり、ジェヴォーダンも無自覚に、自分が変わりつつあることを知る。

 眠気を覚えるなど、あの輸血を受けた日ぶりかもしれない。それも、血に眠らされるのではなく自分から感じる眠気など……もはや、記憶が消える前の事だったはずだ。

 

「まぁ、相棒は寝なさすぎだからな。少し休んだ方がいいだろうよ。娘っこが毛布かなんかくれてるんだろ、それで……って、なんだ、寝ちまったか」

 

 だから、ジェヴォーダンは自分がそんなことを自覚するよりも先に、すっかりと深い眠りに落ちていた。

 

「おやすみ、相棒」

 

 きっと全ての狩人が望んだ、悪夢のない眠りのはずだろう。異なる地でジェヴォーダンはあっさりと、それを手に入れていた。

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、遠く離れたトリステイン城下町の一角、チェルノボーグの監獄で、土くれのフーケがぼんやりとベッドに寝転んでいた。

 これまで散々貴族のお宝を荒らし回ってきた名うての怪盗だったフーケも、城下で最も監視と警備が厳重なこのチェルノボーグに入れられてしまっては手詰まりだ。

 裁判は軽い刑にはならないだろう。脱獄は不可能、杖を取り上げられ、金属にまつわるものは近くに一切置かない徹底ぶり。壁や鉄格子には魔法の障壁が張り巡らされ、たとえ杖があってもどうにもならない。

 

「かよわい女ひとり閉じ込めるのにこの物々しさはいかがなもんかねぇ」

 

 苦々しげにそう呟き、続いて自分を捕まえたあの男のことを思い出していた。

 

「たいしたもんじゃないの、あいつは!」

 

 思い返すほどに妙な男だった。身なりのおかしさから、その身のこなしまで。凄まじい身のこなしで自分を追い詰め、罠を張れば頭でも出し抜かれた。完敗とはこのことである。

 一体あいつは何者だったのだろうか。

 しかし、今となっては自分には関係のないこと。とりあえずは寝よう。そう思って目をつぶり……またすぐ開いた。

 上の階から、誰かが歩いてくる音がする。かつ、こつという音の中に、ガシャガシャと拍車の音が混じる。上階に控える牢番なら、拍車をつけているわけがない。フーケは飛び起きた。

 鉄格子の向こうに、長身の黒マントの人物が現れた。白い仮面に覆われて顔が見えないが、マントから突き出た魔法の杖でメイジだとわかった。

 

「おや、こんな夜更けにお客さんなんて、珍しいわね」

 

 フーケは、おそらく自分を殺しにきた刺客だろうと当たりをつけた。どうせこれまで盗みを働いた貴族のうち、明るみに出るとまずいものを取られたことへの口封じだろう。

 

「あいにくだけど、見ての通りここには客人をもてなすような気の利いたものはございませんの」

 

 フーケは身構えた。囚われたとはいえ、むざむざとやられてやるつもりはない。魔法だけでなく、体術にもいささかの心得はある。鉄格子越しに魔法を使われたら終わりなので、なんとか油断させて牢に引き込まねば。

 

「この痩せた体以外、何も得るものはないでしょうがね」

 

 だが、黒マントの男はそれを無視し、口を開いた。

 

「『土くれ』だな」

「誰がつけたか知らないけど、そう呼ばれているわ」

「話をしにきた」

「話? 弁護でもしてくれるっていうの? 物好きね」

「なんなら弁護してやっても構わんが。マチルダ・オブ・サウスゴータ」

「……あんた、何者?」

 

 平静を装ったが無理だった。震える声でフーケは聞き返す。それはかつて捨てた、捨てることを強いられた貴族の名だった。その名を知るものは、もうこの世にいないはず。

 男はその問いには答えず、笑った。

 

「再びアルビオンに仕える気はないかね、マチルダ」

「まさか! 父を殺し、家名を奪った王家に仕える気なんかさらさらないわ!」

 

 フーケが怒鳴り声を上げるが、男は態度を変えない。

 

「勘違いするな、何もアルビオンの王家に仕えろと言っているわけではない。アルビオンの王家は近いうちに倒れる。革命によってね。無能な王家はつぶれ、我々有能な貴族が(まつりごと)を行うのだ」

「でも、あんたはトリステインの貴族じゃないの。アルビオンの革命とやらと、なんの関係があるっていうの?」

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を超えて繋がった貴族の『連盟』さ。我々に国境はない。ハルケギニアは我々の手で1つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」

「バカ言っちゃいけないわ。で、その国境を超えた貴族の『連盟』とやらが、このコソ泥に何の用?」

「我々は優秀なメイジが1人でも多く欲しい。協力してくれないかね? 『土くれ』よ」

「夢の絵は、寝てから描くものよ」

 

 フーケは話にならないとばかりに手を振った。

 ハルケギニアを1つにする? たいそうなスローガンではあるが夢物語だ。数多くの王国が未だ小競り合いを繰り広げる中、それらを1つにするなどできるはずがない。

 おまけに『聖地』を取り返すときた。彼らは、あの強力なエルフたちにまで挑むつもりか。

 

「わたしは貴族は嫌いだし、ハルケギニアの統一なんかにゃ興味がないわ。おまけに、『聖地』を取り返す? エルフどもがあそこにいたいってんだから、好きにさせればいいじゃない」

 

 黒マントの男は腰に下げた長塚の杖に手をかけた。

 

「『土くれ』よ。お前は選択することができる。我々の同胞となるか……」

「ここで死ぬか、でしょ?」

 

 フーケが引き継ぐ。男は薄ら笑いを浮かべた。

 

「その通りだ。我々の事を知ったからには、生かしてはおけんからな」

「ほんとに、あんたら貴族ってやつは、困った連中だわ。他人の都合なんか考えやしない。つまりは選択じゃない、強制でしょ。だったらはっきり、味方になれって言いなさいな。命令もできない男は嫌いだわ」

「我々と一緒に来い」

 

 フーケは腕を組む。

 

「あんたらの貴族の『連盟』とやらは、なんていうのかしら」

「味方になるのか? ならないのか? どっちなんだ」

「これから旗を振る組織の名前は、先に聞いておきたいのよ」

 

 男は鍵を取り出し、鉄格子の錠前に差し込む。そして細い声で、しかしはっきりと言った。

 

「レコン・キスタ」

 

 

 

 

 

 

『狩人様』

 

 柔らかな光に包まれた庭。並んだ墓石の根元から伸びる草花が風に揺れ、穏やかな空気が漂う空には、無数の柱が地平まで伸びている。

 空には、月ではなく、柔らかな光。見慣れたはずの景色は、だがしかしどこまでも暖かく優しげだった。

 

『これは、夢か』

 

 ジェヴォーダンの目の前には、一体の人形が立っていた。球体関節の浮き出た指を重ね、虚ろな目でジェヴォーダンを見やるその姿は、ぞっとするような美しさをたたえ、しかしジェヴォーダンが知るそれよりも、ずっと優しげな表情を浮かべていた。

 

『はい、これは、狩人様の夢です』

『そうか。俺の、夢か』

『えぇ。狩人様の心は、すでにこの夢を離れていらっしゃいます』

 

 振り返れば、見慣れた工房の姿。炎に包まれていたはずの姿も、すっかりと美しさを取り戻していた。

 

『……すまなかったな』

『……?』

 

 人形が、首をかしげる。

 

『俺は成功したはずだった。月の魔物も殺し、瞳を得て、上位者になるはずだったが……こんなにも穏やかな夜を享受するに至っている。俺は、あんたらの望む狩人には、なれなかったようだ』

 

 光に包まれる工房の建物は絵画のように美しかった。人形は薄い笑みを浮かべ、長い睫毛を何度か瞬かせた。

 

『いいえ、狩人様。あなた様は、確かに狩りを全うされました。かつてここを去っていったどの狩人様にもなし得なかったことを、成し遂げました』

『俺が、ここであいつの使い魔として生きていてもか?』

『はい』

『ゲールマンは?』

 

 工房を見やる。誰も乗っていない空の車椅子が、寂しげにそこに置かれているのが見えた。

 

『ゲールマン様も、きっと理解しておいでです。あの方は、ずっとこの夢から醒めることを望み、しかし最後には狩人様を解放しようとしました』

『俺が解放されることを望む、か』

『私には、やはり人が人を愛する気持ちは理解できません。ですが、貴方がルイズ様を愛し、大切に思う気持ちに偽りがないということだけは、わかります』

『……そうか』

 

 人形は、かつて受け取った小さな髪飾りを、そっと指でなぞった。

 

『夜が月を抱くように、私も貴方を愛しています、狩人様。そして、貴方のハルケギニアでの目覚めが有意なものであることを、ずっとずっと祈っております』

 

 これは、自分の夢だ。全て、自分に都合のいい夢だ。

 それがわかっていてもジェヴォーダンは……人形に背を向けた。

 

『……もう行く』

『はい』

 

 ジェヴォーダンは歩みだした。光の先に、何が待っているのだろうか。

 

 

 

『行ってらっしゃいませ、狩人様』

 

 狩人の姿がすっかり見えなくなってから、人形は……空に浮かんだ、赤い赤い月を見た。

 

『狩人様、ご安心ください。幼年期は、すでに始まっています』

 




月の魔物

ローレンスたちの月の魔物
青ざめた血

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