「ふうむ。さっぱりわからんのう」
読んでいた報告書の束を机の上に放り出し、トリステイン魔法学院長オールド・オスマンは長い白髭を撫でながらぼやく。
ギシリ、と音が鳴るほど執務用の椅子に深く座る。もたれかかって天井を仰いだ。
いずれ国の中核を成す貴族の子女の面倒を見る最高責任者。齢三百を超えると言われる、王国でも指折りの実力者。そんな彼が、珍しく女性絡みのこと以外で真剣な顔つきになって思案しているのは、ミス・ヴァリエールが召喚したと言う使い魔たちのことについてだった。
彼女が召喚した使い魔たちのことはすぐにオスマンの耳に入った。
慌てふためいたミスタ・コルベールが学院長室に駆け込むと同時に、生徒の一人が貴族を召喚したと言い出したのにはさすがのオスマンも吹き出した。
しかし聞くところによると召喚された本人たちが言うには、彼らは船を使ってもたどり着けないほど遠方からやってきたということであり、すでに各々の役目を終えた存在だと言うことらしく、貴族の地位にある者ではないらしい。代表の騎士が「使い魔として召喚されたのだから使い魔として扱われなければ困る」と宣言したこともあって、政治的に害を成す存在ではないということを信じ、とりあえずは来賓ではなくミス・ヴァリエールの専属召使いとして扱っていた。オスマン本人は会わずコルベールを介しての通達だった。
そこからが大変だ。急いで彼らの素性を調べようにも手掛かり一つない。一応は今内乱中のアルビオンや傭兵も多いゲルマニアの貴族らに、それと思える行方不明者がいないか調べてはいるが、通信技術が発達しているわけでもないハルキゲニアでは時間がかかりすぎるため、早期解決など期待できるものではない。
マジックアイテム【遠見の鏡】を使って学院内での様子を監視しようと思い立つものの、彼らの姿は何故かボヤけてよく見えない。なんらかの魔法か別のマジックアイテムで妨害でもされているのか。ならばと自身の使い魔であるネズミのモートソグニルを放ってみても即座にバレてしまって失敗に終わった。モートソグニルと視界を共有した状態で女騎士に剣を向けられたのは若干トラウマものである。普通のネズミのフリをして逃走させたが、たぶん勘付かれているだろう。
幾人かの教師たち、使用人やメイド、料理人数名にマルトー料理長……これまで彼らと接触した生徒以外の者たちにコルベールを使って聞き込み調査させてみたが、あまり役に立つ報告は上がってこなかった。強いて成果を挙げるならば戦場を経験している者たちではないかという推測が立ったこと。あとは学院と敵対する悪意はなさそうだというくらいか。個人が特定できるものは何もない。
どこの出身であるのか。
やはり本当に遠方から召喚された者たちなのか、さっぱりわからない。
もういっそ放置しておいた方がいいんではないだろうか。そんな考えも頭をよぎる始末だ。ここに秘書のミス・ロングビルがいれば、お尻のひとつも撫でまわして英気を養いたいところである。残念ながら室内には自分一人だけなのでそれも味わえない。
ひとまず一服するべく水タバコをくわえる。
「じゃがのう。いっくら敵対心がなかったとしても、彼らの素性次第では余計な火種になりかねんしのう」
「貴方たちに不利益を与える立場じゃないことは保証するわよ。ま、身元もわからないんじゃ警戒は当然か」
オスマンの心臓が止まりかけた。
声のした方に急いで顔を向けてみれば、そこには見知らぬ姿があった。
足を組んでプカプカと浮いている、金糸の衣装を纏った少女。報告にあったミス・ヴァリエールの使い魔の一人だ。たしかアーチャーと呼ばれていたはずの。
この
なぜここに人がいるのか。いつの間に入ってきたというのか。
「脅かさんでくれんかのうミス。老いぼれの寿命を縮めるなぞ、意地悪と呼ぶにはちぃと質が悪かろう?」
動揺を抑え、驚愕を表に出さないよう平然とした態度で臨む。この程度の揺らぎを誤魔化せないようでは学院の長など務まらないのだ。
「あらごめんなさい。ちょっと気になったことがあるもんだから、頭が回らなかったわ」
謝罪を口にするが悪びれた様子はない。そこに一切の情が見えなかった。他人に迷惑をかけるなど当然であるような傲慢が透けている。
まるで、どうでもいい人間になど興味がないと、神か悪魔が告げるかのような──
「して、何用かな? ここが学院長室と知って侵入などしたのであれば、用件を言ってくれんではこちらも対処せざるを得なくなろう」
甘い、と人によっては思うかもしれない。得体の知れない相手はすでに執務室に勝手に入ってきている。これだけで賊として扱うには十分足る理由だろう。
それは間違いだ。オスマンは相手の狙いや背景がわからないから手が出せないとか、女性を傷つけたくないとか、そういった理由で話し合いを持ちかけたのではない。いかにオスマンが老獪さより情の深さが勝る善人でも、不心得者への対処を誤るほど耄碌してはいない。単に敵対したくないのだ。この、未知の魔法を使ったと思しい使い魔とは。
正直に認めるならば、オールド・オスマンは少女を恐れた。
彼が連想したものはエルフだった。自分も知らない、未知の先住魔法を使う者たち。メイジが束になっても敵わないとされる魔人の恐怖を想像してしまった。目の前の少女がエルフだなどとは言わないが、同じような脅威を感じ取ったのだ。
三百年を超える人生で培った経験則が警鐘を鳴らす。波風立てないことが今は最善と、老齢のメイジは直感した。
少女はどこからか本を取り出す。
それは『始祖ブリミルの使い魔たち』という古書。どこの図書館にもある、さして珍しくもないものだった。文字通り、始祖の使い魔に関して書かれている。
もっとも始祖が従えた使い魔に関してわかっていることは少なく、どんな姿かたちをしていたのか、どんな種族だったのかも語られず、タイトルに反した曖昧な記述しかされていないので、オスマンは軽く詐欺じゃないかとも思っていた本だ。
アーチャーはパラパラと本を捲る。
「メイジの使い魔って、人間が呼ばれるケースはないって話を散々聞いたんだけど、ちょっとここのページ見てほしいのよね」
オスマンにも見えるよう開いた本を机の上に置く。
覗き込んでみれば、それは今では讃美歌としても使われる、始祖の使い魔たちを表した詩が書かれたページだった。
神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導き我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導き我を運ぶは陸海空。
神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知恵を溜め込みて、導き我に助言を呈す。
そして最後にもう一人……記すことさえはばかれる……。
四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。
「有名な詩じゃのう。これがどうかしたのかね?」
「できればとぼけないでほしいんだけど。人の武具を手に取り振るい、智慧をもって助言する。つまり人と同じ手先の器用さに、人の言葉を発する者ってことじゃない。最初はガンダールヴの剣やら槍ってのは爪や牙の比喩かとも思ったけど、千の武具を使いこなすとかこの後書いてるしね。あとは一人だの四人だのって数え方。これについて聞きたいの」
気づいたか。と、オスマンは内心で舌打ちした。
そう、先のアーチャーの言葉通り、魔法学院の歴史において人間を使い魔にしたケースはない。ないのだが、学院の外の歴史にはそれを示唆する記録が残っている。ほかならぬ始祖の文献に。
「……始祖の使い魔は、人の手足を持ち、人語を操る者だ、と?」
「妖魔や亜人がいるから人間だと断言はできないかもね」
少女はそのように言うが、恐らくその線はないだろう。グリフォンなどの幻獣であれば絵にもなろうものを、まさか偉大なりし始祖のしもべが人を食らう怪物だなどと信仰薄いオスマンでも考えたくはない。人間と今現在敵対している亜人種だとも思えない。
つまり人間であった可能性があるのだ。残された情報を鑑みるに。
始祖がメイジまたは平民を使役していたかもしれない、などというのは風聞に関わるので、話題が持ち上がっても黙殺されることが多い。メイジならば同胞を使い魔にしていたことになるし、平民であれば奴隷の如く扱ったようなイメージがついて回る。貴族にはどうでもいいことだろうが、民の大多数が爵位を持たない平民である以上は、メイジに対する悪感情を増長しかねない情報となる。
いや、始祖の使い魔が人間であったかどうかは今は大きな問題ではない。アカデミーに関わる案件か否かなどより目先のことが重要だ。
──いるではないか。人の姿をした複数の使い魔を召喚した者がこの学院に。
虚無の担い手は始祖の系譜に現れると伝えられる。王室の血が流れるヴァリエールの血筋には可能性がないわけではない。
「ブリミル教ってのは国教でしょう? もし万一に『始祖の再来』とでも呼べるようなメイジがいたら王室にでも相談しなきゃいけないんじゃないかしら? 確認しときたくてね」
「もしその場合、そのメイジの使い魔はどんな行動に出るのじゃろうかのう」
「さあ? マスターに危害がなければ特になにもしないんじゃない? でも、そうね……例えば、争いの道具に担ぎあげようとでもするなら、徹底抗戦するかもね」
釘を刺しに来たのか。オスマンは少女の狙いをそのように捉えた。
今のところこの相手はミス・ヴァリエールに対して害意は抱いていないらしい。ゆえにこそ主人を害する芽を摘み取っておこうと考えたのだろうか。
オスマンとしては最初からルイズを利用しようなどという考えは持ち合わせていない。そもそも虚無が復活するという考え自体が「無理のある仮説」の域を出ないので利用するも何もないのだが、ルイズの使い魔たちにすれば学院の思考など把握できるはずもない。主人を守ろうと行動するのは仕方ないことなのか。
「いやはや、しかしそれは杞憂というものじゃろうて。始祖の再来だなどと、そのような存在はこの六千年現れた試しがない。仮に始祖と同じ使い魔を召喚していたとしても、それが虚無の系統だという証拠とは言い切れん」
「何事にも例外はあるんじゃないかしら。少なくとも、貴方たちは始祖のことも碌に知らないんだから、ルイズが始祖と同じ系統だとでっち上げられても反論できないってことと同義でしょう」
「さすがにそれは始祖に対して不敬じゃな。ミス・ヴァリエールは座学こそ優秀じゃが実技では失敗ばかりの生徒と聞く。そんな彼女が始祖と同質の存在じゃと?」
「は──」
オスマンの失言に壮絶な笑みを浮かべるアーチャー。
……老魔法使いは怯んだ。
嘲笑と呼ぶにはあまりに凶悪なソレは、オスマンの額に汗を滲ませるには十分すぎた。
「笑わせないでちょうだい。たかだか三百年生きた程度の
少女とは思えない凄みを出しつつオスマンに顔を寄せる。
この娘は老体を前にして、恐れも敬意も嫌悪すらも抱いていない。神々しくも禍々しい深紅の瞳の奥に、人を人と思わないような……まるで家畜を見つめているかのような上位者の意思を感じた。常日頃から人間を玩具同然に考えている者の目だ。それが小娘の驕りなどではないと確信が持ててしまうのが恐ろしい。
ローブに脂汗が染み込んでいくのを感じる。水タバコを床に落としてしまったことにも気づけなかった。魔法学院の長の胆力をもってしても、呑まれないように都合のいい言葉を重ねるのが精いっぱいだった。
「始祖ブリミルはメイジに魔法の奇跡をもたらした存在じゃ。なぜ今になって一介の生徒を同等に扱えようか」
「だったら確かめてみなさいよ。ルイズがどんな存在なのか。なぜ系統魔法に目覚めないのか」
「虚無の系統を確かめようなどという自体が恐れ多い。そもそも推し量る術はない。虚無の系統は伝説に語られるのみ。もはや誰もその系統の詳細を知らぬのだから」
「ならこっちで勝手に調べるから〝フェニアのライブラリー〟の利用許可を出しなさい」
予想を超えた上からの提案に呆気にとられてしまう。
本塔の中に存在する図書館はトリステインでも有数の蔵書量を誇ることで有名だった。高さ三十メイルにも達する巨大な本棚が幾重にも並び、始祖ブリミルが降臨して以来の歴史が全て詰め込まれているとさえ言われている。その奥の奥に教師のみ閲覧を許された本が保管された場所がある。それがフェニアのライブラリーだ。たしかに、虚無の系統が伝わっているとすれば可能性はそこしかない。
ただ、宗教面や政治絡みで反体制的なモノが禁書として少なからず存在する。おいそれと余人に見せていいものではなかった。
「ずいぶんと無茶を言い出すのう。それは不可能じゃ」
「そう。じゃあ仕方ないわね。アカデミーとやらに情報を求める必要があるかしら」
「……それは脅しかね?」
「ルイズがなんでもないなら問題ないことでしょ。まあ、もし万一にもルイズが虚無の使い手なら、どんな扱いや勉学を行ったのか伝えなければならなくなるわね。その才を見抜くこともできず冷遇してきた学院の責任者はどう扱われるのかしら」
口の端を釣り上げた少女を前に、老人は目を細めるしかなかった。
この娘は本気で言っている。アカデミーの研究員たちが少女の言葉を信じずとも、それが疑惑として広まり、もしも一考の余地を唱える者が出てくればそれだけで騒ぎとなりかねない。
下手な脅しなどではない。オスマンなど、路傍の小石と同じ程度にしか扱っていない。このままならば言葉通りのことを行う。それでオスマンに責任問題が及ぶならまだ良い……いや、大いに良くはないのだが、学院など飛び越えて王国全体に混乱を招くだろう。そして事態を起こした当人はまるで被害者の如く王国の敵となるところまで見えた。たとえ主人は守っても周囲に被害を出すことは厭わない、台風が擬人化したかのような、気まぐれで身勝手な天空の女。そんな姿を幻視する。
内心の焦りを押し殺し、言い訳をひねり出す。
「学院の蔵書では虚無のことはわからんのではないかな。それでわかるならとっくに誰かが真実を得ているじゃろうて」
「その判断はこっちですることよ。ちょっとのヒントがあれば、貴方たちにわからないことも私たちにわかることだってある。詳細は伏せるけど既に実証済み。あなたは未来ある生徒のためになる行動をしてくれればそれでいいの」
「あそこにはゆえあっての禁書も存在しておる。素性もわからぬ輩に勝手に許可なんぞ出せやせんわ。最低でも王室の、口が堅い者と相談をしなければならん。……まあミス・ヴァリエールのためと言うなら前向きに検討させてもらうので、しばらく待ってはくれんかのう」
大嘘だった。オールド・オスマンの権限があれば他者と相談するまでもなくライブラリの利用許可は出せる。ただ、この相手に禁書を見せるようなマネはできなかった。
条件付きで、例えば教師立ち合いの元に虚無を調べるのを許すという手段もあったが、どうにも手玉に取られそうな予感がある。今は少しでも時間を稼ぎ、有耶無耶に終わらせてしまいたい。場合によっては判断材料を集めてから決断するしかない。そう結論せざるを得なかった。
少女は食い下がることをしなかった。嘘が見抜けていないというわけではなさそうだが、検討するという言質が取れればそれでよかったのか「あっそ」と残して浮いたまま部屋から出ていこうとする。なんともあっさりとしたことだった。少し気になり「のう」と背中に声をかける。
「何故こんな回りくどいやり方を? おぬしならば勝手に禁書を漁ったところでバレずに済ませてしまいそうなもんじゃが」
「だって今の私はルイズの使い魔だもの。一応顔は立てるわよ。ご主人サマに変な責任が行っても面倒だし」
「その割には脅すんじゃのおぬし」
「言ったでしょ。本当に始祖の再来なんてものが現れないのなら、脅しにもなってないって。そっちが勝手にルイズと始祖を重ねて、確定もしていない未来におびえただけよ」
ルイズに始祖の再来を予感したのは、いや、アーチャーに呑まれてまんまと口車に乗ったのは他ならぬオスマン自身である──そう告げると振り向くことなく、ひらひらと手を振って扉を閉める。
ひとりになったオスマンは脱力する。ひどく疲れた。真の狙いは、学院長に敗北感を植え付けておくことだったのではないのか。
「まったくのう……ミス・ヴァリエールも厄介なものを召喚してくれたもんじゃわい。それも七人もいるときておる」
他の者たちもアレと同格と考えるべきだろう。
本当に面倒ごとを引っ張り込んでくれた、とオスマンは一人つぶやくのだった。
脅迫もとい交渉事はたぶんイシュタルさんのお仕事。