Stop motion   作:まなぶおじさん

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Saturday

「釣れますか?」

 

 後ろから声をかけられて、意識ごと体がびくりとした。鼻歌を唄っていたせいで、空気がのどに詰まる。

 平和な知波単学園艦で腰を下ろしているはずなのに、平穏な言葉を投げかけられたのに、空田はおそるおそる首を振り向かせていく――見た、目と目が合った。釣り竿や水汲みを手にした、黒髪の女性がにこりと笑う。首からぶら下げてある、必勝祈願のお守りがよく目立つ。誰だっけこの人と思いながら、質問に対して「釣れませんね」「そうでしたか」。

 

「隣、いいですか?」

「あ、はい」

 

 女性が「失礼」と一声かけ、そのまま空田の隣に腰かける。少なからず、どきりとした。

 

 釣りをする以上、釣り人と挨拶を交わすことはしょっちゅうある。「ここで釣っていいですか?」と声をかけて、「いいですよ」と返答されてから、初めて釣りに取り掛かるのだ。

 幸いにも、ここは知波単学園艦だ。その為か同年代の釣り人とよく顔が合うし、時には「調子はどうだい兄さん」「ぼちぼちやね」とべしゃりながら釣り竿を揺らしたりもする。そこで友情が結ばれて、知波単学園で昼食を共にすることも時たま。

 今更、男子の釣り人だの女子の釣り人だのと言うつもりはない。けれど、この人は確か――

 

「あなたは、知波単学園の生徒ですよね? 勘違いでしたら、申し訳ありません」

 

 声が詰まりそうになる、釣り竿が露骨に揺れる。春先の河川敷は、空田の内心など無関心のまま、今日も無事平穏にせせらいでいた。

 

「あ。そう、ですね。僕は空田、二年生です」

「ああ。やはり、そうでしたか。私は西絹代、三年生です。よろしくお願いします」

 

 音もなく、手を差し出してきた。何だろうと思ったが、間もなく「あ」と意図に気づく。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。西先輩」

 

 手を握りしめ合って、何て礼儀正しい人なんだろうと思う。

 西の喜色満面を見て、何て感情豊かな人なんだろうと思う。

 

 ――西の本名を耳にして、改めて確信する。いま、自分の隣で腰を下ろしているのは、知波単学園きっての人気者で、成績が良くて性格も善くて、学友である福田が「隊長殿」と尊敬してやまない、西絹代その人だ。自分などとは、とても比べものにならない。

 そうして西は、空田からそっと手を放し、釣りの準備に取り掛かる。

 空田の釣り竿は未だびくともしないので、成すがまま西のことを眺めていた。

 

「ええっと、こうだったかな」

 

 あ。

 空田の口から、間抜けな声が漏れる。空田の意識が、釣り糸相手に悪戦苦闘中の西へくぎ付けとなる。

 糸を上手く結べないまま、西はうんうんと苦しげに唸っている。表情も、真剣に歪んでいた。数秒、或いは一分か数分が経過した頃に、ようやく「手伝おう」という決意が沸いて出てきた。

 自分の万能竿を、その場に置いて、

 

「手伝いますよ」

「あ。いえ、いいんですよ?」

「いえいえ。どうせ釣れませんし」

 

 にへらと、格好つけて笑おうとする。我ながら下心だらけだなあと思うが、西の目は極めてきらきらと輝いていた。

 

「ありがとうございます、空田さん! この恩は忘れません!」

「そんなそんな、いいんですよ。経験者が初心者を手助けするのは、当然ですから」

 

 慣れた手つきで糸を結んでいき、西が「ほうほう」と注目している。女性に――西絹代にここまで見られてしまっては、空田の心臓なんて跳ね上がるに決まっていた。

 糸の輪を作って、西が「おお!」と感嘆する。そのまま西の釣り竿へ結び付けていって、仕掛けを施していったり、釣り針に空田の手持ちの餌を突き刺していく。その際に「良いのですか?」と声をかけられたが、「構いませんよ」とだけ。その際も、西は笑顔をこぼしてくれた。

 空田十七歳の手つきは、あくまでも釣り人のそれだった。内心は、健全のままに舞い上がっていた。

 ――さて、

 

「出来ました」

「おお! なるほど! しっかりと学ばせていただきました!」

「おお、冴えていますね。流石、隊長」

 

 色気が生じたわけではない。単に、調子づいてぽろっと漏れただけだ。

 西の顔が、「え」と真っ白になる。空田も「あ」と頭の中が空白になったが、すぐさま、

 

「西先輩のご活躍は、僕の学友……福田さんから、よく聞いています」

 

 戦車道履修者の、よく知っている者の名前を耳にして、西の顔がすぐさま明るくなった。

 

「福田の学友でしたか!」

「ええ。――いつでも隊長らしい姿勢を崩さず、力強い声で皆を常々励ましているとか」

 

 西が「えへへ」と苦笑する、頬まで赤くなる。福田の言う通り、ほんとうに感情豊かなんだなあと実感しつつ、

 

「西先輩の評価は、様々な場所で耳にしています。後輩の面倒をよく見てくれたり、奉仕活動に励んだり、成績も最優秀。知波単戦車道にしたって、これからも強くしようと力を入れているそうじゃないですか。みんな、あなたのことを称賛していますよ」

「そうだったのかぁ……いやあ、照れるな」

 

 思う。この人、愛されやすいんだろうなあと。

 西の釣り竿を手渡し、西から「ありがとうございます」と頭を下げられる。ほんとう、手伝って良かった。

 さて。

 地面に置いておいた釣り竿を拾い上げ、その場に腰かける。糸が引っ張られた形跡は、残念ながら無し。

 

「――西先輩も、釣りが好きだったとは。何だかこう、嬉しいです」

「いえいえ。実は、今日が初めてでして」

 

 ほう。力なく、声が出た。

 

「ちょっと、気分転換の為に」

「なるほど。いやいや分かりますよ、釣りは落ち着きますからね」

「おお。やはりそんな感じですか」

「ええ」

 

 そうして、いよいよもって西の口元が釣り上がる。好奇心そのものの表情を抱いたままで、両手で釣り竿を握りしめて、実に軽やかな動きで腕を振るう。とても初めてとは思えない流れに、「戦車道って凄いなあ」と何となく思った。

 西の釣り針が、抵抗もなく空を舞う。後はそのまま流れ星のように水面へ落ちていき、水の音とともにあたりが静かとなった。

 

「お見事な釣り竿さばきです」

「いえいえ。たまたまですよ」

「そうですか? ――ああ、あと」

 

 見下ろす形で、西が「うん?」と首をかしげる。初対面特有のぎこちなさも大分薄らいできたせいか、空田はきっぱりと笑えた。

 

「敬語は、抜きにしても良いですよ。先輩後輩ですし」

「そ、そう……そうか? 分かった」

 

 承諾とともに、西が空田の隣へ腰かける。あまり距離が離れていないものだから、高校二年の空田はついつい意識してしまうのだった。

 

 ↓

 

 釣りを始めて数分が経過するが、未だにうんともすんとも言わない。空田からしてみれば慣れっこだったが、初心者の西はどうだろう。

 空田が、うーんと唸ってみせる。

 西が、「釣れないなあ」と楽しそうに言う。

 気付かれないように、そっと、ちらりと首を向けてみる――釣り竿を両手に、大きめの石へ腰かけながら、西は浸るように微笑んでいた。

 安心した。

 西は、釣り人としての素質があるらしい。こうして「間」を楽しめる分、釣れた瞬間も大喜びしてくれるだろう。初めて魚を釣れた時、西はどうやって歓喜を表現してくれるものか。

 

「……いいな」

「え」

 

 空田の視線に、気づいたわけではないようだった。

 西は感慨深そうな顔をして、川をじっくり見つめている。

 

「いや、何。釣りをしたばかりだが……落ち着くよ、とても」

「そうですか? それは、良かった」

 

 西が「ああ」と小さく返事をして、

 

「戦車道とはまた違う、善さがある」

「へえ……」

 

 知波単戦車道といえば、学園内では結構有名だったりする。戦車の数は多いし、士気もめちゃくちゃ高いし、一に「突撃」二に「突撃」とくれば、女子はおろか男子すらも「濃いよね、うちの戦車道」と覚えざるを得なかっ「た」。

 少なくとも、一年の頃は「良くも悪くも、うちの戦車道って勇猛果敢だよね」と評されてきた。そのことについては、自分含め誰も否定したりはしなかったものだ。

 

 ――去年までは、西絹代が隊長を務める前は、そういう風に話が通じていた。

 

「あの」

「うん?」

「戦車道って、どんな感じなんですか?」

「そう、だな……」

 

 西が、微動だにしないまま、

 

「凄く、気が引き締まるよ」

「ほうほう」

「役目を果たすたびに、生きているって実感が沸く。良い感じに熱っぽくもなれる」

「良いじゃないですか」

「俗っぽい言い方になるが、競い合う為の戦いは……良いものだ」

 

 嬉しさをにじませながら、西がぽつぽつと語る。本当に好きでなければ、こんな風に声は出せないだろう。

 

「なるほど。戦車道のことは、あまり詳しくはなかったのですが……」

「ああ」

 

 福田曰く、戦車道とは女性のための清く正しい武芸であります。

 だから、西の言葉を耳にしていって、何となく、何気なく、当然のように、こう言った。

 

「戦車道って、とても素晴らしい武芸なんですね」

 

 釣り場はとても静かなものだったから、空田は決して聞き逃しはしなかった。

 西が、重く鼻息をついたのだ。それも、顔を憂鬱げに陰らせて――れっきとした、異常事態だった。

 

「武芸、武芸か……」

「? あ、あの、どうかしましたか?」

 

 勇気だの躊躇だのを考える前に、本能から言葉が漏れた。

 空田の呼びかけに対して、目を丸くした西と視線が合う。

 

「! あっ、すまない。別にその、君が悪いとか、そういうわけではないから」

 

 西が空田へ視線をよこして、申し訳なさそうに頭を下げる。空田も半ば反射的に「いえいえ気にしてませんから」と弁解した。

 ――何ともいえない空気を引きずったままで、釣りが再開される。

 当の空田は、「何かまずいこと言ったかな」と思考する。少ない知識で、戦車道についてあれこれと考察し始める。

 戦車道とは、女子の為の武芸であるはずだ。福田からも、そう聞いたことはある。

 今さっき、自分は「素晴らしい武芸」と言った。それ以上でもそれ以下でもない、余計な一言など一切口にしなかったはずだ。

 

 心当たりを拾えない。もしかしたら、西は「武芸」という表現が嫌いなのかも。

 聞いてみよう、何をだ。とりあえず空気を打開しなければ――勇気をひとかけら飲み込み、そっと静かに西へ視線を向けていく。

 

 西の浮かない顔が、はっきりと見えた。目と目が合う角度だったから、尚更だった。

 

 空田の目ん玉が、川めがけ逃げ出そうとする。

 ぐっと耐える。西は、釣りは今日が初めてだと言った。だからこそ、「先輩」として良い思い出を持ち帰って欲しかった。

 空田の首が、真正面めがけ撤退しようとする。

 ぐっと堪える。西は、こんなにも不安そうな顔をしている。だからこそ、「男」として何とかしてあげたかった。

 ありったけの勇気をがぶ飲みして、そっと深呼吸して、

 

「あの」

「あ! な、何かな?」

「その……僕は、何かまずいことでも言いましたか? もしそうなら、謝罪します」

「あ、ああ、いや、そんなことは本当にない、ないから」

 

 ここで会話を切り離すわけにはいかない。一度口さえ開けてしまえば、後付けの勇気が降って湧いてきた。

 根っこからの疑問を言え。自分と西とは釣り人同士の関係だ、少しぐらい踏み込んだところで何の問題がある。同類だからこそ、何とかしてあげたいはずだろう。

 言え。「ここでも」お前は臆病者に成り下がるのか。

 言う。

 

「西先輩」

「あ、はいっ」

「何か、ありましたか? 戦車道がらみで」

 

 無言。肯定も否定もしない。

 

「気分転換の為、と言っていましたよね? ……何か、問題でも抱えているんですか?」

 

 さらに踏み込む。勇気をおかわりする。

 

「もし、よかったら……話だけでも、聞かせてください」

 

 福田が尊敬する人に対して、

 

「その、会ったばかりで、信用ならないかもしれませんが」

「い、いやっ。君は私に、釣りの手順を教えてくれたじゃないか。疑うなんてそんな」

「そうですか? ……そうですか」

 

 西絹代に対して、

 

「戦車道のことをよく知らない僕が、戦車道に関する相談に乗るなんて、おこがましいかもしれませんが」

 

 西絹代という、釣り仲間に対して、

 

「その、見過ごすなんてことは、出来ません。あなたとはもう、釣り仲間なんですから」

「空田君」

 

 正直な気持ちを、口にする。

 

「だからこそ、その、初めての釣りで、気分をすかっとして欲しいんです」

 

 最後になって、雑な物言いになってしまった。

 けれど、後悔などはしていない。本心から思い、本音を口に出来たのだ。上辺が多少着崩れたところで、何が悪い。

 だから西は、空田に対して目を向けてくれている。最初は呆然としたような、やがては苦笑してくれて、こくりと小さく頷いてくれた。

 

 西のお守りが、かすかに揺れる。

 

 ↓

 

「知波単戦車道履修者は、福田は、みんなは、とても素晴らしい素質を秘めているんだ」

 

 川が、無感情に流れていく。

 

「真っ当に立ち回れれば、強豪黒森峰とも対等に戦えるだろう。私たちの精強さは、去年で証明できたしな」

「去年?」

「まあ、『色々』あってな。そこは、深く聞かないで欲しい」

 

 何処か遠くから、車の走る音が反響した。

 

「みんな優秀で、練度も高くて、団結力もある。これだけ揃えば、本来は、戦車道に恥じない戦い方が出来るんだが」

 

 本来は。その言葉が、空田の内に引っ掛かる。

 

「伝統がな、それを邪魔するんだ」

「伝統?」

「そう、伝統」

 

 配達回転翼航空機(ヘリ)の音が、刻一刻と色濃くなっていく。

 西のため息。

 釣り竿を握りしめたまま、空田は西の言葉を断じて聞き逃さない。

 

「聞いたことはないか? 知波単戦車道は、まずは突撃ありきだって」

「あ、あー……まあ、一応は」

「だろうな」

 

 西がそっと立ち上がり、のべ竿の糸を引っ張っていく。

 

「いつまで経っても、知波単戦車道が無意味に負けてしまうのは……まずは突撃して、潔く散るという、伝統のせいだ」

 

 伝統のせいだ。

 断言するように、信じるように、西は言う。

 

「まあ、突撃は楽しいし、分かりやすいし、気分だって良くなる。私も前までは、『よし、皆に着いていくぞ』と、戦車を走らせていたこともあった」

 

 無かったことにしたいのだろう。西が、大きくため息をつく。

 ――餌を差し直して、軽やかに腕を投げ振るう。水の弾ける音が、他人事のように聞こえた。

 

「そうして、伝統ありきで試合をしていたんだが――段々と戦車道に『馴染んできた』頃に……ふと、思ったんだ」

「思った?」

 

 西がひと息つく、西から目を離せない。

 

「弾の一発も撃てないまま、無作為に突っ込んでは敗北する――それって、武芸として正しいのだろうかと」

 

 川の流れる音が、いつも以上に聞こえてくる。西の、極めて真剣な声が、頭の中へ沁み込んでいく。

 

「そう思ったのは、私だけじゃないだろう。同じ疑問を抱く履修者だって、いたはずだ」

 

 西の表情が、真剣に歪んでいる。

 

「けれど、そう簡単には異論を挟めないだろうな。何せ、『伝統』が相手だ」

「……伝統って、怖いですもんね」

 

 共感する。校風にしろ、授業にしろ、部活動にしろ、伝統というものは必ずついて回ってくるのだ。

 経験者として、深く頷いた。 

 

「この伝統のせいで、勝つことも、正しく負けることも出来ない。これでは武芸を、戦車道を歩んでるとはいえない」

 

 その時、西が「ふん」と鼻息をついた。

 

「私が隊長になる前……二年の頃だな。ある練習試合で、好きにこてんぱんにされたことがあった」

 

 西が、どこか他人事のように苦笑し始める。いよいよもって、西への注目が色濃くなる。

 

「つもりに積もってたんだろうなあ。私はもう我慢できなくなって、先輩がたに『こんな戦い方は、善くありません』と進言した」

「すごい」

 

 当然のことをしただけさ。西は、くつくつと苦笑する。

 

「進言した時は……あれだ。『突撃は、知波単戦車道の魂であり、伝統だ。それをやめろというのか』って反論された。私も負けじと、睨み返したんだが……先輩がたの迫力に負けて、その場では一礼した」

「先輩というのは、怖いですもんね」

「だな」

 

 西が、再び腰を下ろす。

 

「そのまま、高校戦車道全国大会が始まった。先輩がたは、変わらずに『突撃しろ』って号令をかけたんだ」

 

 空田が、「むう」と唸る。

 

「でも、私は言った。『待ってください!』って。当然ながら反論の嵐が返ってきたんだが――大会の、それも黒森峰との試合中だったからなあ。ついつい興奮したまま、最後まで抗議できたよ」

「へええ……熱いことしましたね、西先輩」

「そうか? ――で、突撃を決行した先輩がたは、次々と撃破されていったよ。もちろん、反撃も出来ずに」

 

 抵抗も出来ないまま、大会の中で敗退するなんて。

 ――考えただけでも、胸が痛くなる。ちらりと、自分の右足へ目を配った。

 

「……西先輩は、どうでしたか?」

「ああ。私は、『普通に』立ち回っていた」

「普通に?」

「そう。普通に攻撃したり、普通に身を隠したり、時には接近したり。いやあ、我ながらいい感じに戦えたと思う」

 

 興味津々の色を隠さないまま、「それでそれで?」と促す。

 西は「いいぞ」とばかりに微笑み、

 

「一両は撃破した、したが……途中で隊長機がやられてしまってな。それで試合は終了、私は生き残った」

 

 強豪黒森峰と対峙して、西は生き残ったのか。しかも、黒森峰製の戦車を一つ食って。

 強い、と思った。

 嬉しい、と思った。

 ――だから、

 

「……凄い」

「え?」

 

 本音が、ぽろっと漏れてしまった。

 けれど、訂正などはしない。実力者を、西を称賛して何が悪い。

 

「西先輩は、やっぱりすごい人です。その頃から、こう……貫禄があったんですね」

「いや。これが知波単戦車道の、地の実力さ」

 

 穏やかな顔を浮かばせながら、西隊長は、己が実力すらも知波単戦車道へ還元した。

 たぶん、素で言っているのだろう。知波単戦車道の力を、どこまでも信じているのだろう。

 

「だから、な」

 

 西の表情が、極めて真面目に整っていく。

 

「だからこそ――納得できなかった」

 

 西の声が、極めて真面目に変化していく。 

 

「凄く悔しかった」

 

 西の言葉が、極めて真剣に耳へ届いていく。

 

「こんなの、武芸じゃないと思った」

 

 西の言葉に、極めて本気で共感していく。

 

「対戦相手に、何も出来なかった。戦い方さえ改められれば、上手くいけただろうから、なおさら」

 

 空田の目が、西から逃げそうになる。極めて大真面目な事情を耳にして、心臓が痛くなる。

 だからこそ、釣り竿を強く握りしめた。奥歯まで噛んだ。西とは、もう他人ではないから。

 

「その日以来、私は先輩に食いついた。これでもかってくらいに、ああだこうだと引き下がらずに――ついに、先輩は折れた。納得してくれた」

 

 長い髪を、ひと撫でして、

 

「『お前が隊長になって、すべてを変えてみせて欲しい』……そう、言われたよ」

 

 思う。音の無くなった世界の中で、空田は間違いなく思う。

 西は、知波単戦車道を変えられる人だ。潔く散ることを頑なに拒み、勝利という当たり前の希望を掴めるような女性だ。

 

「――隊長になったのは良いんだが、やっぱり、なかなかどうして伝統は覆せない。分かってはいるつもりだったが、難しいものだな。何かを変えるって」

 

 西が、穏やかに苦笑する。空田は、そんな西へ目を逸らせない。

 

「一応、色々と言ってみてはいるんだが……伝統の力は凄いな。うちの履修者達は、『つい』突撃してしまう」

 

 西の声から、力が抜けていっているような気がした。

 相当苦労しているのだろう、西の苦笑いがずいぶんと重たく見える。真面目だからこそ、期待しているからこそ、上手くいかない事もあるからこそ、こんな顔が出来るに違いない。

 

「何度も『その時じゃない、我慢するんだ。上手く戦えれば、最高の気分になれるぞ』と訴えてはいるんだが……相手の姿が見えたり、勘だったり、」

 

 西の糸は、微動だにしない。

 

「仲間が危機に陥ったりすると、確実にそこへ突っ込んでいく。情が深いのは良いんだがな……」

「知波単学園は、そういう人が多いですからね」

「だな。――けれど」

 

 西が、釣り竿を握り直しながら、

 

「君の学友……福田は、よく私の言葉を聞いて、よく冷静に動いてくれるんだ。福田が居てくれるお陰で、私は色々と助かっているよ」

「おお。さすがは福田さん」

「ああ。福田は高い素質がある上に、異論を唱える勇敢さもある。次期隊長候補だな、彼女は」

 

 学友が褒められて、ついつい口元が曲がる。西もそれを察してか、穏やかに笑ってくれた。

 

「まあ――高い素質を秘めているのは、福田だけじゃない。さっきも言った通り、みんながそうであるはずなんだ」

 

 先ほどとは違う、柔らかい鼻息。

 

「長く、説得してみるものだな。試合に負けてしまった後は、皆して私に謝罪したり、反省会を行ったりする。そうして自覚しているはずなのに、ついつい先走ってしまうのは……やっぱり、『伝統』のせいなんだろうな」

 

 長年続いて、支持もされてきた伝統に対して、西は正直に疑問を抱いた。

 空田は、そんな西のことを「正しい」と思っている。西は知波単戦車道を愛しているからこそ、どこまでも誠実に戦いたいのだ。

 伝統に縛られて、無意味に敗北するなんて、とても受け入れられるはずがない。

 

「伝統とは強烈だな、良くも悪くも」

 

 西の口から、覇気のないため息が漏れる。

 それでも、

 

「……変えられるのかな、私程度が。私の力で、知波単戦車道をいち武芸として立て直せるのかなあ」

 

 それでも西は、

 

「諦めるつもりはないけれど」

 

 それでも西は、笑みを崩さない。だからこそ、空田の内心に痛覚が走る。

 

「――すまない、話が長くなった」

 

 空田は、力なく「いえ」としか言えない。

 

「考えすぎたり、部屋に籠もりっきりになると、ついつい気分が薄暗くなってしまう。……だから今日は、釣りをしてみたんだ」

 

 西の志を耳にして、瞬時に理解する、納得する。

 長く続いた伝統を変えるだなんて、決して簡単な事ではない。一寸の光が見えたかと思えば、上手くいかずに失敗したことだってあったはずなのだ。

 西はすごく真面目な人だ。だから、こうして失敗を掘り起こす事も出来る。それでも諦めずに、前へ歩むことだってできる。

 

「この話は秘密にしておいて欲しい。隊長である私が弱音を吐いてしまっては、隊員に合わせる顔がない」

 

 西はすごく真面目な人だ。だから、こんな風に一人で抱え込める。

 空田は、何が何でも黙って頷いた。

 

「長いながい愚痴を聞いてくれて、本当にありがとう。……すっきりした」

 

 西が、安堵のため息をつく、表情をつくる。

 

「君には何か、お礼がしたい」

 

 空田は、「いえ」と首を横に振った。西は、「そうか」と笑ってくれた。

 ――深呼吸する。

 空田は、何としてでも口を挟みたかった。西絹代という人を、何かしてあげたかった。

 唾を強く飲み込む、微動だにしない糸を目にする。もう一度、西の横顔を視界に入れる。

 

「西先輩」

「うん?」

 

 証明したかった。

 知波単戦車道は、去年までは確かに突撃一辺倒だった。男である空田ですら、そうやって認知していた。

 しかし今年は、西絹代率いる知波単戦車道は、段々と評価が変わり始めている。それは福田の口から、学友達の噂話から、時には廊下から、「変わったよね、うちの戦車道」と聞こえてくることがあるのだ。それほどまで、知波単戦車道の規模は大きい。

 当初は、他人事のように頷いていた。けれど西を前にして、西の話を耳にして、西の意志力を目の当たりにして、空田は確信した。

 これは、変わらざるを得ないと。変わるべきだと。

 ――だから、

 

「周りは、ちゃんとあなたの行いを評価していますよ」

「え?」

「釣りを始める前に、言いましたよね。『戦車道を強くしようとしているあなたのことを、みんなが称賛している』と」

 

 西が、「う、うん」と躊躇いがちに頷く。

 

「これは世辞ではありません。僕が耳にした、本当のことです――たとえば、福田さんなんですが」

 

 伝統を覆そうとする西を、どうしても励ましたい。

 だから、荒っぽく息を吐く。勢いづける為に。

 

「福田さんとは学友の間柄ですから、よく教室で話をします。小説のこととか、映画についてとか、福田さんの友人……婚約者との進展とか」

 

 そこで、西が「お」と目を丸くする。

 

「そうか、君も福田から『そういう話』を聞いているか。いやあ幸せそうに語ってくれて……羨ましいよ」

「まったくです」

 

 友人――土井というのだが、福田とは昔からの許婚だ。親同士での取り決めもあったそうだが、両者とも極めてぞっこんの仲である。

 知波単学園内では、一際輝く男女としても有名だ。だからこんな風に話をしたところで、何を今更だったりする。おかげで周囲からは「やめてーしぬー」と祝福までされているのだった。

 ――西の顔からは、どことなく恥じらいの色がある。恋愛に興味はあるらしい。

 

「で、まあ。あとは、勉強について語り合ったり、何でもない話をしたりします――一番よく聞くのは、知波単戦車道についてなんですけれどね」

「本当か」

「ええ。そのたびに、西隊長への称賛をよく耳にしました。そして決まって、『あの人なら、知波単戦車道を変えてくれるでしょう』と」

 

 西の表情から、口から、言葉が消える。

 ――思い出せ。教室で確かに聞いた、西率いる知波単戦車道の噂を。

 

「福田さんだけではありません。『知波単戦車道は、前よりも鋭さを増している』とか『うちの戦車道、何かこうおっかなくなったよね』とか『西先輩が隊長になってからだっけ。うちが評価されていったのは』とか……うちの教室では、そう評価されています」

「……そう、なのか?」

 

 思わず、西と目が合った。もう逃げない、迷わない。

 

「はい。良くも悪くも、知波単戦車道といえば『勇猛果敢』でしたからね……だからこそ、これらの評価がとても印象的だったんです。福田さん繋がりで、戦車道に関しては少しばかり興味もありましたから」

「……そうか」

 

 力強く、頷いてみせる。

 

「福田さんも、土井も、僕も、うちの学友たちも、あなたのことを支持しています。西先輩なら、知波単戦車道を変えられるはずです」

 

 良くも悪くも、うちの戦車道って勇猛果敢だよね。

 去年までは、そうやって話が通ってきた――西絹代が隊長を務めるようになった今は、そんな話はもう通用しない。

 

「西先輩。確かに、伝統を変えることは難しいです……何せ、伝統ですからね」

 

 西の、必勝祈願のお守りが目に入る。勇気が注がれていく。

 

「でも、諦めるつもりはないんですよね」

「ああ」

「履修者達と、最高の武芸を体現したいんですよね」

「もちろんだ」

「だからこそ、出来うる限りのことを行っているんですよね」

「うん」

「……やっぱり、西先輩は、知波単戦車道を変えられる人だ」

 

 西は、無表情を保ったままで反論したりはしない。

 自分は、言うべきことを言えている。そう思うことにして、口を開き続ける。

 

「西先輩。相手は、長く続いた伝統です。これを覆すには、やはりどうしても時間が必要だと思います」

 

 間。

 

「だからこそ、履修者の皆も、時間とともに少しずつ変わり始めていっているんですよね? 反省会を行う自覚が、芽生えているほどに」

 

 西が、頷いた。

 西絹代という人は、いつまでも仲間を見守って、どこまでも隊員へ声を投げかけて、かぎりなく知波単戦車道履修者を信じている。

 十分すぎた。自分と違って、やれることなんてぜんぶ成せていた。

 だから、

 

「待ちましょう」

 

 西の顔が、目が、口が、「え」と漏らす。

 

「西先輩は、やるべきことを『全て』やっています。これ以上、気負う必要なんてありません」

「空田君」

「知波単学園のみんなも、僕も、あなたを信じています。……その日が訪れるまで、釣りでもして待ちましょう」

 

 何の前触れも、なかったと思う。

 

 西の釣り竿が、前向きに曲がり始めた。

 まずは空田が、本能的に「引いてます!」と叫ぶ。次に西が「あ、ああわかった!」と立ち上がり、戦車道履修者らしい勢いで竿を引っ張っていく。

 手伝うべきか、どうするか――踏みとどまる。西には、「釣れた」という実感を抱いて欲しかった。「勝てた」という事実を、味わって欲しかった。

 

「ここだ」

 

 西の、極めて冷静な声。「必勝祈願」の金文字が、日に照らされて強く光る。

 ――何かを感じ取ったのか。西が、獰猛な笑みを遠慮なく浮かばせて、

 そして、

 

「釣れ……たッ!」

 

 完全に釣り竿を引っ張り上げ、爆音めいた水音と共に魚が宙を舞う。今日は、実にいい天気だった。

 後はそのまま、銀色の魚をひっかけたままの釣り糸が、前後に大きく揺れる。

 

「あ……結構大きいな」

 

 空田も西もぼうっとする中で、いち早く理性へ漕ぎ付けたのは西だった。

 

 釣り竿を後方へ振るい、その反動で釣り糸が西の方へ引き寄せられていく。

 そのまま糸を手づかみし、そうっと魚を凝視する。しばらくはその間が続いたのだが、やがては空田に目を合わせた。

 ――西の意図を察して、空田が「あ、ああ、その魚は、」と口走る。西が、極めて大真面目な顔で「うんうん」と頷く。

 

(ぼら)といいます。そう珍しくはない魚なのですが……これは大きいですよ」

 

 少なくとも、両手で抱えられる程度には。

 まず、西はぽかんとしたままだった。三秒後には「おお」と顔が明るくなっていって、八秒後には「やった……やった!」と、ボラを大切そうに抱えた。

 河川敷で躍り回る西を見て、空田は強くつよく安堵する。力の抜けた鼻息を漏らして、口元も曲げて、「よし」と言って、

 

「西先輩」

「あ、ああ、すまない。大声を出してしまって」

「いえ、いいんですいいんです。……どうですか? 今のお気持ちは」

「ああ――いいな、とても」

 

 西が、釣り針から鯔を開放する。後はそのまま水汲みの中へ、鯔をそっと放った。

 

「大きいな、これは。写真も撮っておこう」

 

 腰かけた鞄から、高そうな写真機が遠慮なく登場する。金があるなあと、空田は少しばかり圧倒されるのだった。

 ――さて。

 帽子を、改めて整える。

 

「西先輩」

「うん?」

 

 釣り人の先輩として、西を先導しよう。それが、自分のやるべきことだ。

 軽く、咳をついて、

 

「……ね? 西さんはやるべきことをやっていたからこそ、こうして待っているだけで結果を得られたでしょう?」

 

 あ。

 西が、それだけを口にして、写真機を手に持ったままで硬直する。

 空田の釣り竿は、相変わらず動かないままだ。配達回転翼航空機は何処かへ飛んでいってしまったし、川は無関心そうにこれからも流れゆく。春先の風が穏やかに吹いて、西の髪が羽のように舞う。

 

「……そうだな」

 

 ようやく、西は笑えた。

 

「君の、言う通りだ」

 

 そして、西は笑ってくれた。

 

 ↓

 

「お、もうこんな時間か」

 

 もう、そんな時間だった。

 空はすっかり赤く染まっていて、暗くなるにつれて段々と肌寒くなってきた。心なしか釣れる魚も少なくなってきたが、これに関しては気のせいだろう。

 

「――今日は、色々と聞いてくれて、本当にありがとう」

「いえいえ。西先輩のお役に立てたのであれば、幸いです」

「そうか。……君の話も、とても面白かった」

「そうですか? それなら、よかった」

 

 知波単戦車道について語り合った後は、意図的に取り留めのない話を口にしていった。真剣味が続いては、やはりどうしても西の為にはならない。

 ここ最近の映画について、読み終えた本の感想、釣って撮影した、二年も三年も男女の関係が盛んなんだなあ、白米に何をかけるかの激論、釣って撮影した、空田君は何か部活動とかは? ……いえ。

 そうやって雑談を交わしあって、時には魚が釣れて、そのたびに西が大喜びして、一言でいえばめちゃくちゃ楽しかった。一人で釣るのも味があるが、これはこれで良いものだと空田は心底思う。

 

 釣り用具を片付け、魚を川へ逃がしながら、

 

「釣りの手順などは、だいぶ掴めましたか?」

「お陰様で。教えてくれて、本当にありがとう」

「いえ。西先輩はとても聡明ですから、いつかは僕なんて抜かされてしまうでしょう」

「どうかな。君も、日々成長しているはずだ」

 

 成長。その言葉を聞いて、一瞬ながら感情が陰る。

 西の笑顔を見て、いやいやと首を振るい、

 

「だといいですけどね」

「君は、人にものを教えられるひとだ。だから、優秀な釣り人であるのは間違いない」

「西隊長が言うと、説得力がありますね」

 

 言ったな。西が、けらけらと苦笑する。だってそうじゃないですかと、空田も笑ってみせる。

 ――ほんとう、西は「西隊長」その人だと思う。隊員の為に日夜努力していて、真の武芸を追いかけて、これは違うと思ったら伝統にだって飛び掛かる。西は、本当の意味で勇猛果敢な性格をしているのだろう。だから皆から愛されるのだ。

 とてもでないが、恐怖に屈した自分とは比べ物にならない。右足をさすりながら、心底そう思う。

 

「――西先輩」

「うん?」

「今日は、お付き合いしてくださって、本当にありがとうございました。凄く、楽しかったです」

「ああ、私も楽しかった。ほんとう、釣りはいいものだな」

 

 まったくもって。空田が、小さく頷く。

 

「辛かったりしたら、その、無理をしないでください」

 

 本心から口にする。察してくれたのか、西も「ああ」と返事してくれた。

 

「西先輩は、やるべきことは全てやっています。あとは時間が解決してくれるはずです」

「しっかり覚えておく。――釣り人が言うと、説得力が段違いだな」

「言い返さないでください」

 

 西が笑う、空田が苦笑する。

 

「じゃあ、僕は機関車で帰ります。西先輩は?」

「ああ。私は単車で帰るよ」

 

 単車。その響きだけで、男としての本能が瞬く間に沸き立って、

 

「か、格好良いですね!」

「そうかあ? そうかあ」

 

 愛車として乗り回しているのだろう。西が、これでもかというくらい目と口を線にした。

 

「いやあ、単車はいい、いいものだぞ。これに乗っていたお陰で、釣りと出会えたものだし」

「そうなんですか?」

「ああ。元はといえば、単車を乗り回す事で自由時間を満喫していたんだよ。私は」

「ふむふむ」

「で、いつも通りに単車を走らせていたら……川でな、釣り人を見かけたんだ」

「へえー」

 

 西が感慨深そうに、ゆるく口元を曲げる。

 

「何だろうな。戦車道や単車とはまた違う、無音の雰囲気に私は惹かれたのかもしれない。……まあ、後は、勢い任せで用具を揃えてきた」

「その流れで、ここに」

「そうそう」

 

 西が、誇らしく釣り竿を掲げてみせた。とても嬉しそうな顔をして、良い意味で隊長らしくなく笑いながら。

 小さく、鼻息をつく。

 そんな人と、西絹代と交流出来て、本当に良かった。これまで以上に気分転換を成せたと思う、今晩はよく眠れるだろう。

 心の中で礼をする。ありがとうございました、これからも幸せに、

 

「ところで」

「あ、はい?」

 

 感謝が空振りする。なけなしの体裁を整えるために、帽子のずれを直すふりをした。

 頃合いの空の下で、夕暮れに照らされながらで、西は穏やかに笑って、こう言った。

 

「次は、どこの川で釣りをするのか、決めているのか?」

「え? そうですね……まだ、決めてはいません。そこは割と適当ですね」

「そうかそうか」

 

 納得したように、西が二度頷く。空田は内心、「え、何」と動揺する。

 ――空田は、礼をしようとしたのだ。これからも幸せに生きてください、辛かったら適当に釣りをしてくださいと。

 なのに、

 

「じゃあ決まり次第、一緒に釣りをしに行こう」

 

 なのに西は、これからも空田と同行しようとするのだ。

 空田の口が「え」だの「は」だの「え」だのと吐く。空田のびびりっぷりを目にして、西の表情が途端に曇って、

 

「あ……その、邪魔だったかな?」

「え!? あ、いや、とんでもないです! 西先輩と釣れるなら!」

 

 舞い上がり過ぎて、本心本音がぽろっとこぼれ落ちてしまった。大声の前に西が小さく飛び跳ねるも、「そうか、そうか!」と破顔していって、

 

「それは良かった! よし、それまで釣りの勉強をしておくから」

「――あ、それは、良いんですが」

「え、何だ?」

「その……僕と一緒に釣りなんて、いいんですか? ろくな話も出来ないのに」

 

 西が、「え」と首をかしげる。「何を言っているんだろう空田君は」な目を向けられる。

 

「何を言っているんだ。同じ釣り人である君と会話できて、私はとても嬉しかったんだぞ」

「そ、そうなんですか。それは光栄です」

「正直、賑やかな方が好きだからな……一人で釣りをするのもいいが、やっぱり仲間同士で趣味を共有しあうのが良い」

 

 西が、深々とため息をつく。その目は穏やかに輝いていて、釣り竿を刀のように担いでいて、黒髪が夕暮れ模様と混じり合っていて、真っ直ぐな笑顔が空田の元へ向けられていた。

 空田の頭の中が熱っぽくなる、少しばかり視線を逸らしてしまった。

 

「……それに」

「それに?」

「君は、私の話をしっかりと聞いてくれた。私の為に、激励まで返してくれて」

 

 ほんの少しだけ、間を置いて、

 

「君のような人と、空田君と、また釣りがしたい」

 

 ――空田は思う。

 この人のことを、心の底から応援したい。

 だから、

 

「……分かりました」

「そうか。よかった」

「西先輩は隊長ですし、いち学生でもありますから、色々とこう、口に出来ないことを溜め込んでしまうでしょう。僕もそうです」

「そうか。君も大変だな」

 

 だから言え、一度でいいから口走れ。出来るできないとかは二の次にして、西のことだけを考えろ。

 言え。

 

「ですから、その、微力ながら、西先輩の手伝いをさせてください。ここで言いたいことを言ってしまってください」

 

 勢いづく、もう止まらない。

 

「学園内では、戦車道では、清廉潔白で、人気者の西先輩であり続けてください」

「空田君」

「あなたとは同じ釣り仲間です。……その、余計なお節介をかきたくなってしまって」

 

 「余計なお節介」という言葉に対して、西は首を横に振ってみせて、

 

「ありがとう」

 

 こう、言ってくれた。

 

「ありがとう、空田君。君のような人と会えて、私は光栄に思う」

 

 こう言ってくれて、手まで差し出してきて、

 

「未熟者ですが、これからも釣りを先導してください」

「あ、はい」

 

 迷うことなく、西の手を控えめに握り締める。遠慮するなと、強く握り返された。

 

「――君も」

「え?」

「君も、何か悩みがあるなら、私に伝えて欲しい。微力ながら、力になるよ」

 

 悩み。

 その言葉を聞いて、右足がびくりと震えた気がした。

 

「ありがとうございます。……まあ、何かあったら、その時は」

「ああ。私だけ聞いてもらうというのは、仲間らしくないからな」

 

 手が、音もなく離れていく。

 

「それじゃあ、次の釣り堀が決まったら、私に教えてくれ。何なら三年の教室へ入っても構わない」

「そ、それはどうでしょう」

 

 知波単学園は、上下関係が比較的穏やかな校風であるとはいえる。いじめだの争いだのは皆無であるし、先輩後輩が混ざって読書会を開くこともしょっちゅう。下級生が廊下で悩んでいれば、同級生も上級生も一声かけてきて、一緒に悩んでくれる事もあった。

 だからこそ、後輩の面々は先輩がたを深く尊敬している。その先輩達が集う「聖域(きょうしつ)」には、そう簡単には踏み込めやしないのだった。

 

「まあ、あれだ。次に釣りへ行く時は、必ず声をかけて欲しい。……頼むぞ?」

 

 そんな風に言われてしまっては、そこまで釣りを好きになってくれたら、そんな目をされてしまっては、

 

「はい。必ず、お伝えします!」

「感謝する!」

 

 互いに敬礼し合い、何だかおかしくなって含み笑いがこぼれ落ちた。

 

 その後は、特に何事も無く帰路へついていく。やや冷たい夕暮れの風が吹いて、ちゃるめらの音があてもなく響き渡って、豆戦車が道路を横切っていく。

 

 

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