Stop motion   作:まなぶおじさん

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School

 

「ここ最近、よく頑張っているそうじゃないか」

 

 よく釣れると評判の、何の変哲もない河川敷で、二つの釣り糸が暇そうに川で揺られている。

 のんびりと釣り竿を握り締めながら、坊主日和を過ごしながら。空田は、分かっているくせに「何がです?」とにこやかに返事をする。

 西絹代は、しょうがないなあとばかりに鼻息をついて、

 

「短距離走に決まっているだろう? 焦らず、ゆっくりと足を慣らしていって……徐々に、速くなっていっている。順調だな」

「ありがとうございます。なるだけなら、今年の大会にも出てみたいですね」

「出られるさ。君は、走ることが好きなんだろう?」

 

 空田は、迷わずに笑って、

 

「ええ、大好きです」

「なら、大丈夫だ」

 

 西から、笑顔のお墨付きをいただいた。

 ――西絹代の言う通り、ここ最近は走ってばっかりだ。放課後になれば「よし来た」とばかりに直立して、福田や土井からは「健闘を祈る」と敬礼されて、部室へ駆け込んでは部員から挨拶をされる。だいたいの近況はといえば、こんな感じだ。

 

 ただ二日目、三日目は、部室へ入るのにかなり緊張した。部員や部長は「よく戻ってきたな」と歓迎してくれるが、やはりどうしても、申し訳なさが沸いてしまうのだ。

 やむを得ない事情があったとはいえ、やはり長期に渡って休んでしまっては――そんな後悔が、感傷が降ってきた時には、衣嚢(胸ポケット)にある必勝祈願のお守りを、服の上から握り締める。

 そうすることで力が、勇気が、突撃力が、西絹代との繋がりが、体の底から生じた。それを実感しては「よし」と口に出して、頷いて、部室の扉を叩いて、「お、空田か!」と声をかけられて、元気よく明るく「今日も走ります」と告げるのだ。

 ――四日目ともなると、いとも簡単に扉を叩けるようになった。それに伴ってか、足もずいぶんと動かせるようになっていった。

 

 そんな空田に対して、部員は「良かったな」と言ってくれた。世話係は「焦らず、ゆっくり立ち直そう」と励ましてくれた。部長は「嬉しいよ」と笑ってくれた。福田も土井も、「いい顔になったね」と称賛してくれた。

 ――そして、何よりも、

 

「西先輩」

「うん?」

「毎日、僕のことを見守ってくれて、本当にありがとうございます」

「ああ」

 

 西は、自信を持って口元を曲げ、

 

「仲間だろう?」

 

 そうでしたね。空田が、小さく頷いてみせる。

 

 西は、運動場で駆ける空田のことを、毎日のように見守ってくれていた。両腕を組み、あくまで沈黙を貫いたままで。

 空田も、部活中は西へ声をかけたりはしない。目が合えば、僅かに頷くだけだ。この時ばかりは、陸上部としての自分、戦車道履修者としての西絹代、という差が成立している。

 

 ――それでも西は、空田が一周し終えるまでは、じっと見守り続けてくれる。

 それがもう、めちゃくちゃ嬉しかった。いよいよもって、惚れ直してしまうに決まっていた。叶わぬ恋とわかってはいても。

 

「無闇な突撃はあれだが、勝つための突撃は……格好良いな。見ていて飽きない」

「そうですか?」

「ああ。この調子なら、突撃隊長間違いなしだ」

「言い過ぎですよ」

「いやいや。私は、世辞は苦手でな。……走っている時の君の顔は、本当に真剣そのものだ。熱意が伝わってくる」

 

 そんな顔、してたんだ。

 気恥ずかしくなって、西から視線を逸らしてしまう。

 

「本当に、復帰出来て良かった。仲間として、心から嬉しく思う」

「ありがとうございます」

「こちらこそ」

 

 ほんとう、この人は。

 西に恋してしまうのは、仕方がないことだ。想いを抱くだけなら、誰にだって権利はある。

 

 ――けれど、

 

 西絹代という女性は、誰からも慕われる人気者で、美人で、成績優秀で、知波単戦車隊隊長だ。対して自分は、突撃が大好きなだけの健全な高校二年生に過ぎない。

 部屋の中で、釣りをしている最中に、何度も恋愛について思考した。けれどもやはり、答えは「釣り合わない」だった。

 そんな結果を受け入れられるのも、西の事が好きだからだと思う。好きだからこそ、「幸せになって欲しい」と願えるのだと思う。

 

 だから、想いに決着をつけよう。その為の準備は整えてきた。

 静かに、清々しくため息をつく。

 

「……西先輩の方はどうです?」

「ああ」

 

 嬉しそうな声だった。空田は「お」と思う。

 

「私の方も、知波単戦車道も、順調に前進していっているよ」

「おお」

「まだ、突撃にはやる者もいるが……主に上級生が、言葉で止めにかけてくれるようになった」

「良い傾向じゃないですか」

 

 ああ。西が、本当に嬉しそうな顔をこぼして、

 

「中には、車体を使ってでも、突撃を阻止しようとする者もいるな」

「凄い」

 

 やはり、物理的云々は強いのか。体育会系として、心から納得する。

 

「私の言葉をよく聞くようになったし、車内で『真の勇気とは』を連呼するようにもなった。授業もすっかり、静かなものになったよ」

「そうですか。……よかった、本当によかった」

 

 知波単戦車道とは、もう他人事ではいられない。だからこそ、心の底から安堵する。

 西の横顔を見る。

 陸上部の件にしろ、知波単戦車道の事情にしろ、よくここまで辿り着けたと思う。それもこれも、熱意という原動力があったからだろう。

 西の笑顔を見て、実感する。

 自分と西は、間違いなく満たされている。報われたのだと、思えている。それがひどくたまらない。

 

 ――足元を見る。

 地面に置かれた、茶色の包装紙を目にする。この中には、恩に決着をつけるための「お礼」が、

 

「空田君」

「あ、はい」

「改めて、礼を言わせて欲しい。……釣りを教えてくれて、本当にありがとう」

「いえ。西先輩も、僕のことを励ましてくれて……感謝しています」

 

 西と出会えなければ、今頃はどうなっていたのだろう。福田と土井の言葉で、いつかは立ち直れていたのだろうか。

 ――分からないことにした。

 西絹代がいない高校生活なんて、もう考えられない。この胸の高まりを、否定出来そうにもない。

 だからこそ、

 

「西先輩」

「うん?」

「……僕は、あなたを支持します。小さい個人にすぎませんが……僕は、あなたの知波単戦車道を応援します」

 

 不釣り合いでも、男女の関係になれなくとも、西を支えることぐらいは出来るはずだ。

 

「今まで、本当にほんとうにありがとうございます。――あなたにはぜひ、恩返しがしたい」

 

 心の底からの言葉だった。たぶん、生まれて五本指に入るほどの本音。

 足元に置いてあった、茶色の包装紙を手に取る。

 

「これをどうぞ」

「む、袋かな?」

「ささやかな、お礼です」

「ほう! どれどれ……」

 

 思う。

 西には、これからも前進していって欲しい。伝統を、覆して欲しい。――自分なんかよりも、もっと良い男と出会って、幸せになって欲しい。

 

「これ……単車のグローブか?」

「はい」

「そんな……どうして?」

「――あなたのお陰で、僕は幸せになれましたから」

 

 西には、心の底から幸せになって欲しかった。

 それが空田にとっての、恋心を抱く男としての望みだった。

 

 西が真顔のまま、手袋を凝視したまま、

 

「なあ」

「はい」

「これ、高かっただろう?」

 

 流石だ、と思う。単車乗りだからこそ、物の価値をすぐに察してしまえるのだろう。

 それでも、あっさりと吐くわけにはいかない。渡した品は、あくまで「ささやかな」お礼に過ぎないのだから。

 

「いえ、安物ですよ。値段はお気になさらず」

「安物? これが?」

「はい」

「――嘘をつくな」

 

 言葉も息も詰まる。西の真剣な目つきが、容赦なく空田へ突き刺さる。

 

「この手触り……ふむ、履き心地も良い。これは、高級品の仕事だ」

「そ、そうですか?」

「ああ。それに、」

 

 手袋の甲を、人差し指でとんとんと叩いて、

 

「この刻印は、老舗メーカーのものだぞ。単車乗りなら、誰もが知っている」

「……さすがです」

 

 苦笑してみせる。西が、「もう」と鼻息をつく。

 

 事の発端はといえば、「西絹代に、何が何でもお礼がしたい」。まさにこれだった。

 西絹代のお陰で、自分は陸上道を再び歩めるようになった。それだけでも十分だというのに、西は、空田のことをずっと見守ってくれていたのだ。

 

 好きな人に、そこまでされてしまえば。

 好きな人に、報いたくなるに決まっていた。

 

 だから空田は、「西は単車好きなのだから、それに関した物を手渡そう」と発想した。西には釣りだけではなく、単車乗りとしての時間も満喫して欲しかったから。

 

 ――金曜の夕暮れ時に、ぶっつけ本番で専門店に寄ってみたのだ。あっという間に格好良い単車に囲まれて、部品を見て「ほー」とか漏らして、少しばかり考えて店長に声をかけてみた。

 

 ――すみません。知り合いに単車好きがいるのですが、ちょっとお礼がしたくて。……何かこう、良い品はありませんか?

 ――手袋が定番かな。

 ――じゃあこれで

 ――……本当に好きなんだね。その、恩人のことが。よし、一万のところを八千円にしてあげよう。

 ――ありがとうございます。

 

 色々あったが、こうして手渡せて一安心する。返せていない恩義ほど、胸に残るものはない。

 

「西先輩には、たくさんの恩を抱いているんです。余計なお世話かもしれませんが、どうしても、恩を返したかった」

 

 川が、どこからともなく流れ行く。

 静かなものだった。

 

「それで、自分なりに考えてみたんです。西先輩は単車乗り、ですよね? ……だから、これからも安全に単車を楽しめるように、これを選んでみたんです」

 

 心の中で、店長に感謝する。単車に関する知識はすっからかんだったから、助言は本当にありがたかった。

 ――ひと息つく。

 西に対する恩義に、西へ抱く想いに、決着をつけよう。

 

「受け取ってください、西先輩」

 

 釣竿は、未だにぴくりとも動かない。川のどこかで、魚の跳ねる音が弾けた。ゆるい風が吹いてきて、肌が暖かくなる。

 西の髪が、羽のように揺れた。

 

「わかった」

 

 その一言で、空田の人生に一区切りがついた。

 よかった。そう思う。

 

「空田君」

「はい」

 

 軽く、受け止めてくれればそれで良かったのに。西の人生にとっての、ほんのささやかな思い出であって欲しかったのに。

 

 西が、手袋のことをそっと抱きしめた。

 嬉しさを、喜びを、慈しみを、すべてを交えたような表情を、してくれながら。

 

「ありがとうっ」

 

 人生に、一区切りがついたはずなのに。

 

「本当に、ありがとう……!」

 

 自分なりの決着は、つけたはずなのに。

 

「――空田君」

「はい」

「……私は、私は、」

 

 現実というものを、わかっているはずなのに。

 

「君と出会えて、ほんとうに良かった」

 

 西のことを、つい、見てしまう。

 

 西はどこまでも凛々しくて、みんなの人気者で、容姿端麗で、成績優秀で、知波単戦車隊隊長だ。

 対して自分は、単なる突撃大好き野郎で、釣り好きで、肝心なところでびびってしまう、実に平々凡々な男だった。

 釣り合わないにもほどがあるのに。なのに、

 

「空田君」

 

 西は、にこりと笑ってみせて。空田の心中など、吹き飛ばしてしまうような表情をして、

 

「私はこれからも、君の活動を応援する。この宝物を、ずっと大切にする」

 

 手袋を履いて、うっとりとした目つきでそれを眺めている。革製の、茶色がかった老舗物だ。

 ――西の顔を覗って、言葉を聞いて、心がむずむずし始める。でしゃばった恋心が、息を吹き返そうとする。

 

「ありがとうございます。……僕も、僕も応援します。西先輩の、戦車道を、これからもずっと」

「ありがとう」

 

 自分はただの後輩で、西とは比べものにならない男で――

 言い訳はやめろと、自分の中に居る「男」が言った。びびるなと、間違いなく言われた。

 そう、言われても、

 

 何の前触れも、なかったと思う。

 

 地面に置いてあった西の釣竿が、その場でびくりと震えた。空田が「あ」と口を開くと同時に、西が剣を引き抜く勢いで釣竿を拾い上げる。

 空田は静観する、西は唸りに唸る。かなりの大物が引っかかったらしく、思うがままに引き寄せられない。遂には椅子から立ち上がり、足を踏みしめながらで「根性ぉーッ!」と絶叫する。川の上のあひるが、応援するように鳴いた。

 魚の方も必死に抵抗しているのか、水面が派手に飛び散らかる。力量は五分五分らしく、決定打が見いだせていない――恐らくだが、このままでは西は「負けてしまう」。地の利は、魚の方にあるのだ。

 そう判断するや、空田は椅子から飛び上がる。一秒もかけてたまるかと、西の後ろに回り込み、

 

「失礼しますッ!」

「ああ!」

 

 西からの、勢い余る同意。西の腰を抱き締めて、力任せにじりじりと後退する。

 西の唸り声が、釣り堀全体に響き渡る。何度も何度も、水面が爆発する。ここら一帯は比較的穏やかな領域であるはずなのに、人生とはまるで分からない。

 このままこうして、数秒は経過したと思う。拉致があかないと、空田は強く思う。西も同じことを考えたらしく、「一撃で決めるぞ!」と絶叫した。

 空田は迷わず、「はい!」と従う。釣り隊長となった西は、はあーっと深呼吸して、空田も腰を引き締めて、「こんなでかいの、初めてだな」とわずかに思って――

 

 西と空田が、ほぼ同時に力を込め、

 

「釣れ……たっ!」

 

 釣り糸が、空を切った。

 何かの塊が、逆光を浴びながらで落ちてきた。

 

 力が抜けきらないまま、空田と西は後ろ側へ倒れ込む。西に押し潰される形となったが、むしろ「盾になれた」とさえ思った。

 ――数秒後、何者かの着弾音がぬるく反響した。なんだっけと、倒れたままで地面を伺う。

 

「で、でかっ」

「大きいッ」

「……これは、鯉か」

「鯉ですね」

 

 第一印象はといえば、「ぶっといなこいつ」だった。次に抱いた感想はといえば、「人でも食ったのか?」だった。

 小皿のような魚の目から、恨めしそうに睨まれる。まだ負けてないとばかりに、大地の上で幾度も跳ね上がる。数秒が経過しようとも、巨大鯉は未だ抗い続ける。更に秒数が刻まれようとも、巨体鯉は力強く跳躍し続ける。更に数秒、そろそろ一分を切ろうとしたところで、

 でかい鯉が、負けを認めてくれた。

 知波単学園艦の上で、静かに、大人しくなった。

 

 西が、ため息をこぼす。空田が、鼻息を漏らす。しばらくは大物を見たままでいて、気付けば「そういえば倒れてた」と気づいて、事の重大さを察して、

 

 「!! 空田君っ、ご、ごめんっ、苦しくなかったか!?」空田が「いえっ大丈夫です。僕の方こそ、後ろから抱きしめてごめんなさいっ」西があたふたとした声で「い、いや、空田君なら別に良いから」空田は内心ほっとして「そ、そうですか、それなら良かったです」西はその場でごろんと横転して、唸り声とともに立ち上がって、

 

「――すまない、本当にごめんっ。重かったろう?」

「い、いえ、軽かったです。むしろ、西先輩のお手伝いが出来て、ほんとうに良かったです」

「あ、うん。君が手伝ってくれた時は、最高に嬉しかった」

 

 遅れて、空田がよいせと立ち上がる。嬉し恥ずかしい気持ちのせいか、己が服を荒っぽくはたく。帽子を整え直す。

 ひと段落ついて、西が「ふん」と鯉を持ち上げる。大きさはだいたい110米突(センチメートル)くらいだろうか、ここまで来ると数字云々は無意味な気がしてならない。

 

「これは、随分と長くて重い」

「あ、持ちますか?」

「頼む」

 

 西の表情が若干歪んでいたものだから、とっさに声が出た。これだけ長ければ、二人持ちがちょうど良いだろう。

 失礼と一声かけ、尻尾の方を抱える。二人がかりだというのに、めちゃくちゃ重い。

 改めて、鯉をじっと眺めてみる。活きが良いからだろうか、見事なまでの艶がよく目立つ。大きい瞳が、何だか宝石の一種にさえ見えてくる。先ほどまで大暴れしていたはずなのに、今となっては「仕方ねえな」とばかりに大人しい。器も、大物であるらしかった。

 そんな鯉に対して、空田は一言。

 

「すごい」

「すごい」

 

 西と声が被った、思わず顔を見合わせた。

 西は真顔で、徐々に口元が動いていって、次第に含み笑いまでこぼれて、空田も笑ってしまって、西が「すごいなあ」空田が「やりましたね!」

 一呼吸。

 西が写真機を取り出し、向きを反転させる。腕をなるだけ伸ばして、空田が「ああ」と反応を漏らして、親指を立ててみせた。

 

 ――記念撮影が終了する。やることはやり終えたから、西が「ありがとうございました」と、鯉を川へ返していった。

 ばいばいをする西を見て、何だかほっとしてしまう。二人で新記録を達成したんだなあと、改めて実感する。

 

「――ほんとう、すごい奴だったな」

「ええ。……おかしいなあ、ここは普通の釣り堀だったのに」

 

 西が「ふむ」と唸り、

 

「ダージリン殿から、こんな格言を教えられたことがある」

「お、どんな?」

 

 ダージリン――聖グロリアーナ女学院の元戦車隊隊長で、今は世界選手になるべく大学へ通っているとか。西とは個人的な付き合いもするそうで、沢山の格言を授けたり、おすすめの料理を教えてくれるらしい。

 

「機会はどの場所にもある。釣り糸を垂れて常に用意せよ。釣れまいと思う所に常に魚あり――古代ローマの詩人、オヴィディウスの格言、だそうだ」

「ほうほう……まさに、今回のことですね」

「だろうな。――それに」

「それに?」

 

 西が、くるりと振り返る。黒の長髪が、ひらりと舞った。

 

「待っていられたからこそ、大きな結果を得られたのだろうな」

 

 西が、実に実に嬉しそうに口にする。空田ときたら、「うう」と恥ずかしくなって、

 

「天丼やめてくださいよー」

「出来たらな」

 

 ということは、今後も改善の余地はないわけだ。嬉々として、空田は苦笑してしまう。

 ――ひと息。

 

「君と私がいれば、釣れないものなんて無いな」

「そうですかあ?」

「ああ。カジキだろうがあんこうだろうが、何でも釣ってやる」

 

 西が、ふふんと握りこぶしを作る。いよいよもって、釣りのことが好きになったらしい。

 

「本当、君とは相性がばっちりだな」

「たまたま、息が合っただけですよ」

「それが、良いというんだ」

「そうですかね? ……そうですね」

 

 西が、うん、と頷いて、

 

「――このグローブのお陰で、釣れたのかもしれないけど」

 

 そういえば、外す暇もなく鯉と戦っていたのだっけ。

 何だか恥ずかしくなって、空田は後頭部に手を添えた。へらへらと、笑ってしまった。

 

「……うん。幸先がいいな」

「ですね。釣りだけじゃなくて、戦車道も上手くいくでしょう」

「ああ、そう思う。……今年は、優勝を目指せるかもしれないしな」

 

 優勝。

 その言葉を聞いて、まずは陸上部のことを考える。知波単学園の陸上部はといえば、真っ当に強豪で、何度かの優勝経験も重ねている。そのお陰で、部員の数はかなり多い。

 自分は、埋もれないように走り続けるしかない。けれど焦らず、足を慣らしていって、そこから徐々に力をつけていけば良い。誰かさんも言っていただろう、「待てば良い」と。

 

 知波単戦車道について、考える。

 元は消極的で、次第に突撃一辺倒となった知波単戦車道には、優勝経験というものが無いらしかった。これには素人の空田も、「だろうな」と考えてはいた。

 ――けれど今年は、西絹代率いる知波単戦車道は、

 

「先輩」

「うん?」

「あの……今更ですが、これ、返します」

「あ。私の……お守り」

「はい」

 

 必ず、優勝して欲しかった。優勝出来るだけの力が、今の知波単戦車道にはあるはずだった。

 根拠なんて、いくらでも転がっている。福田の前向きな証言が、教室から聞こえてくる評判が、廊下で耳にする練習試合の結果が、静かすぎる戦車道の授業が、

 

「僕はもう大丈夫です。十分に、力になりました」

「空田君」

「今度は西先輩が、栄光を掴んでください」

 

 西絹代の存在が、知波単戦車道を強くつよく仕上げていっている。

 これだけの根拠が積み重なっていれば、優勝の二文字も決して夢ではない。釣り竿を賭けても良い。

 ――勝って欲しいから、栄光を掴んで欲しいから、幸せになってもらいたいから。空田は、必勝祈願のお守りを、陸上部の扉を開けてくれた鍵を返却する。

 

「……待った」

「え」

 

 止められた。空田の表情が、あっという間に真顔となった。

 

「それは、君が持っていて欲しい」

「そんな。これは、元は西先輩のものです」

「まあ、そうだけどな」

 

 西が、清々しく、にこりと笑って、

 

「君にも、栄光を掴んで欲しいんだ」

「……先輩」

「それに、」

 

 西が、手を広げる。老舗物の手袋を、見せつけるように。

 

「これが、私のお守りだ」

 

 西の言葉を浴びて、空田の反論は泡となって消えた。

 ――そんなこと言わないでくださいよ、ずるいじゃないですか。

 心が躍るような、恥じらうような、そんな感情とともに苦笑が漏れる。西も、しんみりと笑ってくれて、

 

「空田君」

 

 頷く。

 

「二人で、幸せになろう」

 

 ――はい。 

 

 ↓

 

 ちゃるめらの音が鳴って、西が「もうこんな時間か」と不満げに漏らす。空田は、「まあまあ。また、行きましょう」と返した。

 釣り用具をまとめて、大物が潜む川を一瞥して、色々あったなと両肩をすくめて、西が「空田くーん」と呼んでくれた。無性に嬉しくなって、空田は「はーい!」と明るく元気よく。

 後はそのまま、西の単車が停めてある駐車場にまで足を進めていく。次第に、見慣れた単車を目にして「かっこいいなあ」と一言。聞き逃がさなかった西は、「だろう?」と口元を曲げた。

 可愛い人だなあと思う、思わずにやけ面が生じる。誤魔化すように、首を横にぶんぶんと振るって――

 

「あ、あー……それじゃあ、先輩。僕はこれで」

「ああ。――次の釣り堀が決まったら、いつでも伝えてくれ。遠慮する必要なんか、ないんだからな」

「分かりました」

 

 西の、物静かな微笑。

 

「……なあ」

「うん?」

「その。私と釣りをして、楽しいか?」

 

 空田の脳が、真っ先に「はい」と思考した。

 

「はい。最高に、楽しいですよ」

「そうか」

 

 そして、西が珍しく目を逸らして、ただ静かに、

 

「――よかった」

 

 夏が近いからか、夕暮れ空はまだ明るい。そんな寂しい風景と混ざり合うかのように、西は、音もなく胸に手を当てていた。

 茶色い手袋が、日に染まっていく。

 

―――

 

「はい、福田さん。たくあんをどうぞ」

「嬉しいであります!」

 

 土井が当たり前のように、昼飯のたくあんを福田へ差し出す。福田も幸せそうな顔で受け入れ、口を大きく開けた。

 たくあんを何度もなんども噛みしめる、いかなる時も微笑みを絶やさない。福田と土井が食堂で愛を築いている中、空田は「いいなあ」と見守り、池田は激しく咳き込み、上級生組から命の色が消え失せた。

 

「それでは、私からはこの卵焼きを!」

「ありがとう、福田さん」

 

 はい、あーん。おいしいよ。

 空田は「ええなあ」と頷き、池田が切なそうに微笑む。上級生組は、粛々と食事活動を再開した。

 いつもの流れである。

 

「――空田」

「ん?」

 

 声をかけられ、すぐにでも正気を取り戻す。周囲の生徒も、何事もなかったかのように箸を動かし始めた。

 

「部活の方、どうだ」

「順調。むしろ、記録も更新していっているんじゃないかな」

「流石。空田殿には、学校一番の突撃隊長になって欲しいであります」

 

 福田が、嬉々とした表情で口にしてくれる。そんな福田の顔を見て、空田の口元もつい曲がってしまった。

 

「ありがとう。……うん。やっぱり僕は、走るのが好きみたいだ」

「だろうね。ああでも、やばいと思ったら、休むんだぞ?」

「分かってる。もう、あんな目には遭いたくないし、」

 

 ちらりと、己が衣嚢を目にして、

 

「みんなを、心配させたくないから、ね」

 

 福田と土井が、安堵のひと息をつく。

 ――いつもの流れが、空田にも戻ってきた。

 よかった、と思う。走れているんだ、と思う。

 

 上機嫌を抱いたせいか、食堂の何もかもが楽しげに映る。

 男女混合の仲良し組が、これから見る映画について計画を練っている。今は30007日間という恋愛映画が流行っているとか。池田が、後輩を交えて戦車道について熱く語り合っている。今は背後を取ることに喜びを抱いているとか。上級生組は、半ば笑顔半ば真剣に、将来について口にしている。家柄に関して、事業の引き継ぎ、政治家になるとか。西絹代と目があって、手で挨拶をされる。変わらずに元気で良かった。

 箸の動きが止まった、喉も通らなくなる。

 

「やあ、空田君、福田。……土井君、だね?」

 

 福田が「お疲れ様です」と軽く敬礼する、土井が「はい」と頭を下げた。

 肝心の空田はといえば、なんでもなかったかのように、

 

「こんにちは、西先輩」

「こんにちは。隣、いいかな?」

「えっ」

 

 思わず声が出た。西が「あ」と不安げになって、

 

「すまない。やっぱり、場違いだったかな?」

「い、いえそんなことはっ。どうぞどうぞ」

 

 手で、目で、表情で、全力で、隣の席へ促す。福田も土井も、どうぞどうぞと笑顔で援護してくれた。

 ほっとしたのだろう。西がゆっくりと座り込み、昼食が乗った食器を卓の上に置く。

 顔を見合わせ、にこりと笑ってくれた。

 たぶん、自分も笑えたと思う。

 周囲から、ちらりと注目を浴びる。

 

「お二人は、知り合いなのでありますか?」

「ああ」

 

 その時、西から小声で「話していいかな」と聞かれる。空田は「はい」と、快く返事した。

 別に悪さをした訳ではない。たまたま趣味があって、奇遇にも同じ釣り堀で出会って、何かの縁で仲間になっただけだ。

 やましいことなど、何もない。

 だから、

 

「彼とは、釣り仲間でな」

 

 西が、手首を軽く振るう。慣れたもので、その動作は実に流れていた。

 

「なるほど。……良かったでありますな、空田君」

「うん。――福田さんと、土井と、西先輩の励ましのおかげで、僕は陸上部に復帰できたんだ」

 

 福田が、土井が、ほうほうと頷く。周囲は――さすがは生真面目な知波単学園、空気を読んで元通りに昼食を楽しんでいた。

 

「福田さん」

「はい」

「……どうして福田さんが、西先輩のことを尊敬しているのか。よく分かったよ」

 

 でしょう。福田が、実に上機嫌に笑う。

 

「西先輩は、人を救えるひとなんだね」

「その通りであります」

「そんな。私は釣り仲間として、当然のことをしたまでさ」

「それでも、尊敬しています。心の底から」

 

 西が「うう」と、顔を真っ赤に染めつつ、

 

「それを言うなら、空田君だって素晴らしい人じゃないか」

「ほうほう」

 

 福田が頷く。

 

「空田君のおかげで、私は釣りを始められたんだ」

「ほうほう」土井

「あ、あれは、経験者として当然のことをしただけです」

「ほうほうほう」福田

「それだけじゃない。私は、空田君に大切なことを教えられたんだ」

「ほうほうほうほう」福田と土井

「あれは、単なる思いつきです。上手いことなんて言えてません」

「ほうほうほうほうほう」婚約者組。

「私は、あの言葉で心底助けられたんだ。空田君は、私にとっての恩人だ」

「大げさですよ」

「世辞を言うのは苦手でな」

「いやいや」

「いやいや」

 

 間。

 仕切り直しとばかりに、福田がにこりと微笑んで、

 

「仲が良いでありますね」

 

 うんまあ。西と空田が、頷く。

 

「空田」

 

 何。土井が、実に楽しそうに口元を曲げ、

 

「いいね」

 

 何が。土井が、本当にこれっぽっちも悪意を感じさせないまま、

 

「本当、先輩と相性が良いんだね。お似合いだと僕は思うよ」

 

 相性が良い、それは頷ける。何せこの間、二人で怪物を釣ってきたのだから。

 次に、空田の鈍臭い脳味噌が「お似合い」という単語を回収する。その一言を読み取っている間は「ふうん」と思考して、意図を読み込んだ後は、

 

「そっ、」

 

 空田の感情が、真っ赤っかになって、

 

「そう、かなぁ?」

「そう、かな?」

 

 空田と西の言葉が、一緒くたになる。西と、顔が向き合う。

 ――真正面に、視界を戻す。

 

「土井」

「何?」

「……西先輩とは釣り仲間であって、あくまで先輩後輩の関係だぞ。誤解してる」

「うん、分かった」

 

 何が嬉しいのやら、土井が微笑む。福田はといえば、西のことをじっと見て、

 

「西隊長」

「あ、うん」

「空田君と仲良くしてくれて、とても嬉しいであります」

「……うん」

「彼は、やっぱり善い人でありますね。西隊長に、遊びを教えてくれたのでありますから」

「うん」

 

 そうして、西がゆっくりとうつむいていく。

 表情をうかがい知れないまま、心中を察せないままで、西は、

 

「……彼のような男の人とは、はじめて会った」

 

 どういう意味で、言ってくれたんだろう。

 ――深く考えるな、勘違いするな。

 西絹代は人気者で、容姿端麗で、成績優秀で、

 

「――さ、さ、一緒の昼食でもとろう! な?」

 

 西の仕切り直しによって、空田のしみったれた思考などは断ち切られた。

 福田も土井も空田も「そうですね」と頷き、西が両手を合わせ、

 

「いたーだきーますっ!」

 

―――

 

 平日は勉強をこなして、戦車道を歩んで、学友達と過ごして、時には電話を通じて友人と交流していって、そうして穏やかに毎日が過ぎていく。

 それでもやっぱり失敗したり、落ち込むこともあるが、そういう時は「待つ」ことにしている。気分とは実に気まぐれなもので、一晩寝れば割りかし前向きになれるのだ。

 そうして、西絹代は今日まで生き抜いてきた。これからもきっと、同じように歩んでいくだろう。

 ――いつものように戦車道を歩み終え、いつも通りに放課後が訪れて、いつもの日課として運動場へ寄ろうと、

 

「空田ー」

「うん?」

 

 夕暮れが射す廊下で、男女――空田と、陸上部のマネージャーである菊池が、二人で佇んでいた。菊池の名前は、運動場で聞いたことがある。

 なぜだか、曲がり角まで身を潜めてしまう。息まで殺して、耳のみを傾ける。

 

「今日は部活出るの?」

「いや、今日は足を休めようかなと」

 

 なんだ、そうなのか。

 最近はよく頑張っているから、それがいいと西も思う。

 ――それにしても、

 

「そっか、だよね。――はい、これまでの記録のまとめ」

「え、本当に? うわ、詳細に書かれてある!」

「どうだすごいだろー」

 

 この二人、

 

「凄い凄い! え、なんで?」

「そりゃー、世話係としては当然ですし? 空田には期待してるし?」

「まいったなあ」

「まいれまいれ。……本当、復帰してくれた時は、嬉しかったんだから」

「心配かけさせてごめんね、菊池」

 

 「やっぱり」、仲が良いと思う。

 何ら、おかしいことではない。

 空田は陸上部で、菊池は陸上部のマネージャーだ。だから仲良くなるのも普通だし、こうして話が弾むのも必然といえる。同級生らしいから、尚更親しみやすいだろう。

 それは、自分でもよく分かっている。そうした現実くらいは、理解している。

 なのに、

 

「ほんと、心配かけさせてさ。……これは、詫びが必要だよね?」

「なんだよそれー」

「今年の大会に、出場するように」

 

 なのに、

 

「無茶言うなよ、僕は休みすぎたんだぞ。体がなまってる」

「いい走りっぷりじゃない」

「うちは強豪、競争率が高いのは知っているだろう?」

「でも、部長も評価してたでしょう? あなたは、突撃隊長になれるって」

 

 なのに、どうして胸が締め付けられるのだろう。

 空田は言った。釣り合わないと。

 絹代は思った。そんなことない。

 ――どうして、そう思いたいのだろう。

 ――なんなんだろう。この、いつも通りじゃない気持ちは。

 

「言い過ぎさ」

「そう? 私が嘘ついたことある?」

「……あったっけ?」

「でしょー」

 

 空田が気楽に笑う、菊池も明るく笑む。

 本音しか伺えない、親交が感じられる。それは実に実に善いことであるはずなのに、どうして胸がいたいんだろう。

 

「まあ、僕もなるだけ頑張るけどさ、」

 

 西の眉が、ぴくりと動く。

 

「杉下の壁が厚いのなんの」

「あー、そうだねえ」

 

 杉下?

 西が、唸る。

 

「あの足の速さは反則だろう、短距離で勝った試しがない。何食って生きてるんだ?」

「さあー……肉?」

「肉かー、僕も食うかな……あと、あれだな。あいつにあって僕にはないもの、それは」

「それは?」

「愛の力」

 

 愛の力?

 西が、うーんと首をひねる。

 ――菊池が、「やだもー」と声に出して、

 

「あんた、とてつもなく馬鹿なこと言ってるよ」

「知ってる。ったく羨ましいよ、足が速くて性格も良し、おまけにお前と交際してるんだもんな。幸せをわけてくれ」

「やだー」

 

 聞き逃さなかった、極めて大事なことだったから。

 菊池と空田とは、あくまで部活仲間であって、友人同士で、それ以上の関係ではない――その事実を知った瞬間、肩の力が抜けた。沈黙することも忘れて、安堵のため息までついてしまった。

 壁に、背を寄りかからせる。

 

「空田ってさ」

「ん」

「恋愛に興味、あったっけ? あんたってば、走ることしか知らない男だとばかり」

「失礼な。興味くらい、人並みにあらい」

 

 へえーと、菊池が軽やかに反応する。あるんだと、西が深々と記憶する。

 

「でもまあ、お前の言う通り、僕は走ることしか知らないから。だから上手くいかなさそうで」

「えー? 杉下もそうでしょー?」

「ばっかお前、杉下は女子人気が高いんだぞ。気遣いができる、顔がいい、口が上手いとかなんの。そこらへんは、お前が一番よく知っているだろ?」

「知ってる」

 

 西は、心の中で反論する。

 空田は、走ることしか知らないのではない。やりたいことを、見定められているのだ。

 挫折しようとも、恐怖を抱こうとも、気分転換に勤しもうとも、空田はいつまでもどこまでもランナーの人だった。

 それを、「格好良い人」と言わずにして何という。

 

「まあ私の事はいったんほっといて。……空田はさ」

「ん」

 

「どんな人が、好きなの?」

 

 西が沈黙する、空田の言葉も止まる。

 からすの鳴き声が、まるで学園艦全体に響き渡る。放課後だからと、あちらこちらから話し声が聞こえてくる。自分の呼吸音が、いつになく耳に入ってくる。

 間が続く、未だに終わらない。いつまでも引き伸ばされる気がする。試合と同じくらいの緊張感が、「なぜだか」胸に帯びる。返答に対する恐怖を、「よく分からないけれど」抱く。疑問に対して、理性が「認めろ」と訴える。

 ――空田は、菊池の質問に対して、

 

「こんな僕のことを、励ましてくれる人かな」

 

 ――。

 

「それって――」

「あ、いや、菊池じゃないよ。お前は杉下と幸せになってください」

「うわひっどーい。いやまあ幸せになりますけど」

「ったく、不純はよせよ、不純は」

「はいはい。……そんな人が、見つかるといいね」

「だね、そうだね、」

 

 そして、

 

「僕と釣り合えるような人と、会えたらいいな」

 

 頭に、血でも上っていたのだと思う。ここにいると、いち早く証明したかったのだと思う。

 無闇に突っ込むのはやめろと教えていたのに、待つだけで良いと教えられていたのに、西は突撃を決行していた。

 あたかも偶然だとばかりに、取り繕うように、歩きながらで曲がり角から姿を現す。最初に気づいたのは菊池で、「あ」の声が聞こえた。間もなくして空田も反応して、何気なく振り返ってみせて、

 

「あ、西先輩」

 

 とても嬉しそうな顔で、わたしを出迎えてくれた。

 

「こんにちは。空田君、菊池さん」

「あ、こんにちは! ……あれ、どうして名前を」

「ああ。菊池さんの名前は、運動場でよく聞くから」

 

 これは本当。

 

「あ、そうでしたか。声が大きいですもんね、陸上部って」

「だな。……空田君はといえば、ちょっと探し物があった時に、手伝ってくれて」

「ほうほう。格好良いことしたねえ」

「ま、まあねえ」

 

 これも本当だ。

 

「それにしても、西先輩から名前を覚えられるなんて……光栄です」

 

 目をきらきらとさせながらで、菊池が西のことを凝視する。困ったなあと西が苦笑すると、空田が「これこれ」と手を振ってくれた。

 

「あ、すみません。盛り上がり過ぎてしまって」

「い、いや、私は何もしていないんだがなあ」

「いえ! 西先輩に憧れる女子は、沢山いますよ」

 

 それに関しては、知っていると答えざるを得ない。

 戦車道に励むのも、伝統を覆そうとするのも、勉強するのも、単車に乗るのも、時には奉仕活動に走るのも、全ては「そうしたいから」成しているに過ぎない。それでも後輩からは、同級生からは、よくよく「西先輩のようになりたいです」と言われるのだった。

 良い気分にはなれるものの、いつだって西はこう言う。

 

「それはありがたい、ありがたいが……私のことは置いといて、自分のやりたいことをやりなさい」

「あ、はい! ……うう、やっぱり格好良い」

「だよね……」

 

 菊池も、空田も、うんうんと頷く。いつもの反応といえばそうだが、空田に関してとなると勝手が違ってくる。

 心の底から、どきりとした。

 

「ま、まあまあ、それも置いといて。……今は、何の話を?」

 

 さっきから話を聞いていたくせに、嘘をついた。体の中が、少しだけ重くなる。

 

「あー……今は、恋愛の話をしていました!」

「おお、そうなのか」

「え、ええまあ」

 

 空田が、照れくさそうに頭を掻く。西も、気まずそうに腕を抱える。

 

「私は彼氏持ちなんであれなんですけれど、空田ってば凄い可愛いことを言ったんですよ」

「可愛い言うな!」

「へえ、どんな?」

 

 ここで、菊池が「言うていい?」と空田に問う。少しだけ「あー」と唸って「んー」と声に出して、空田から「いいよ」と許可が下りた。

 

「空田ってば、自分のことを励ましてくれる人が好きなんですって」

「ほう」

 

 空田の首が、西から逸れる。

 

「で、で、自分と釣り合う人と、交際したいんですって!」

「なるほど。その方が、接しやすいからな……」

 

 納得するしかない。何だかんだいって付き合いやすいのは、同級生であって、同じ履修者であって、似た家柄同士であって、

 

「趣味が同じ、というのはどうなんだろうな」

 

 同好の士、でもあるのだ。

 空田が「え」と声を漏らす。菊池が「なるほど」と頷いて、

 

「いいと思いますよ。趣味で繋がる仲、というのも珍しくはありませんし」

「だな。この知波単学園なら、なおさらだ」

 

 知波単学園の生徒は、良くも悪くも真面目である。それ故に勉強をこなしてみせるし、遊びにだって妥協したりはしない。

 例えば玉田がそうで、とにかく絵が上手い。熱血的な性格ではあるものの、いざ絵となると「命を吹き込みたいのであります」と言って、表情が冷たくなるのだ。この玉田の姿勢に共感する生徒も少なくはなく、時折、一緒になって絵を評価し合う光景も見かける。

 細見も負けてはいない。玉田に負けず劣らずの熱血的性格だが、乗馬ともなると途端に刃と化す。乗馬の上手さは知波単学園の中でも頂点に君臨しており、幾度も無く「是非、乗馬部へ入部を!」と薦められている。西も「入ればいいじゃないか」と口にしたことがあるのだが、あくまで細見は「いえ、乗馬は趣味にしておきたいのです。我が道は戦車道でありますから」と返答してくれるのだ。

 それでも、細見の周囲には乗馬好きが絶えない。これも、趣味で繋がる仲といえよう。

 

 趣味を前にしてしまえば、同級生だろうが下級生だろうが上級生だろうが、時には教師相手でも関係はない。最低限の礼儀さえ整っていれば、気が合えば、それはもう立派な仲間だ。

 だから、

 

「もしも、だ。趣味が合えば、合えばだが、私と空田君も釣り合うんじゃないかな」

 

 また、嘘をついた。

 菊池が「ほう!」と嬉しそうに反応する。

 

「えっ!? そ、そうですかね?」

「うん、そう思う」

 

 きっぱりと返事をする。空田が「ううん」と思考に入る。

 ――空田の顔を見て、「あ」と西が焦る。

 

「あ、いや、すまない。いきなりこんなことを言われたら、困るよな」

「あ、いえ。困ってなんかは」

「いやその、押しつけになってしまって申し訳ない。反論があるなら、是非」

「いえ反論なんてそんな! 西先輩と釣り合えるなら……いえ、そんなことはないですけれど」

「え、どうして」

「……西先輩は、その、高みに居る人ですから」

「高み、」

「――そんな人と、軽々しくはお付き合いできません。僕なんかと比べられて、西先輩に、恥をかかせたくはないんです」

 

 思う。

 この時ばかりは、「ただの」知波単学園生徒でありたかったと。

 首を横に振るう。

 高みを目指したからこそ、伝統を変えることが出来た。その事実までをも、覆したくはない。

 やはり自分は、いわゆる人気者で、成績もそれなりに良くて、栄誉ある知波単戦車隊隊長なのだろう。

 

 ――だから、彼は言ってくれた。釣り合わないと。それでも、彼は言ってくれた。「励ましてくれる人が好き」と。

 ほんとう、知波単学園の生徒は生真面目なんだなあと思う。だから、今日も平和なのだろうなあと実感する。

 

「西先輩」

「うん?」

 

 空田は、控えめに笑ってみせて、

 

「僕は、走れるだけでもう幸せですから。……西先輩もどうか、良い人生を送ってください」

 

 まるで、見送るような言い方。

 西は、決して頷かなかった。

 

「――あ、菊池さんごめん。二人で話し合いをしてしまって、」

 

 気づいた時には、菊池はもぬけの殻だった。西と空田が必死に首を動かしてみると、廊下の向こうで「お邪魔むしは退散しまーす」と明るく元気よく手を振るっていた。

 西が氷漬けになる、空田が無言と化す。無情にも、菊池の姿は完全に途絶えてしまった。

 二人で目を合わせ、再び逸らしてみせて、もう一度だけ目が合って、どうにか眼球を踏ん張らせる。

 こうなったら、

 話題に困った時は、

 

「あのっ」

「あのっ」

 

 間。

 

「あ、西先輩からどうぞ」

「そ、そうか? じゃあ」

 

 小さくせき込み、

 

「――今週は、練習試合があるから、その、行けない。申し訳ない」

 

 はい。空田が、受け入れるように返事をした。

 

「でも再来週は、絶対に釣りに行く。君と、行くから」

「――はい。僕も、それを望んでいます」

「ありがとう。……戦車道は楽しいし、単車も最高だと思う。けれど、」

「けれど?」

 

 思う、ほんとうに心の底から思う。

 ライダーグローブを意識するように、手をぎゅっと握りしめて、

 

「君との釣りは……私にとって、かけがえの無いものなんだよ」

 

 いつの間にか、この人のことが好きになっていた。

 私の身の為に、恋について考えてくれて。私の戦車道の為に、大切なことを教えてくれて。私の安心の為に、高級な品を与えてくれて。

 これはいつの間にか、好きになるに決まっていた。

 

 ――だからこそ、思う。彼の選択を、「釣り合うべき」という決意を、尊く想うと。

 ――間違いなく、思う。彼こそ、幸せになっていって欲しいと。

 ――西の理性が、思う。「本当にそれでいいのか」と。

 

 いいんだ、きっと。

 

 ↓

 

 嬉しそうに跳ね飛ぶ菊池のことを、そっと見送っていく。いいものを見て満足しきっていたのか、自分の存在にはまるで気づかなかった。

 さて。

 廊下の曲がり角から、顔だけをそっと覗かせる。半ば覗き見になってしまったが、こればかりはどうしても見逃せない。

 

 ――君との釣りは……私にとって――

 

 土井と顔を合わせて、口にする。

 

「お似合いでありますね」

 

 福田は思う、土井も同じことを考えているだろう。

 この二人には、どうか、幸せになって欲しかった。

 

 運動場から、銃声が鳴り響く。

 

 

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