Stop motion   作:まなぶおじさん

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Stop motion

 

 勝ってきた。

 今日の戦車道も、白組と赤組とで競い合った。知波単戦車道にしては、ずいぶんと静かなものだったが。

 ――ここ最近の、いつもの流れだ。

 突撃という伝統は、そう滅多に露になることもなくなった。ただ静かに息を殺し、刃を研いで、焦らすか焦らされるかで体を強張らせ、ようやく敵がお見えになったところでげんこを食らわせる。これが今の、新たな知波単戦車道だ。

 細見も、最初こそは「ええいじれったい」と突撃に走ってしまったものだ。仲間が被弾しているのなら尚更、放ってなどはおけなかった。

 

 けれど、そんな細見のことを西は決して見逃さない。怒鳴りはせず、的確に指摘して、いつかの前進をずっと信じてくれていた。

 

 待っているからな。

 

 だから自分は、今日になって初めて、玉田に勝てたのだと思う。

 正しく負けられたからこそ、玉田も「やるな」と言ってくれた。

 

「――よし、今日は順調な試合だったな。これが知波単戦車道の実力、お前たちが持つ本来の力だ」

 

 はい!

 全員が、はっきりと返事できた。

 

「細見。……よくやった」

「光栄です、西隊長!」

 

 本能のまま、心の底から敬礼する。

 ――西の、革製の手袋が目に入る。ここ最近になって、西は必ずといっても良いほど手袋を着用するようになった。皆が皆「格好良いよね」と評価しているが、本人を前に口にしたことはない。

 

「うむ。みんなも、今日の戦果を忘れないでくれ。――そろそろお昼だな。では解散ッ!」

「ありがとうございました!」

 

 予鈴とともに、安堵の空気が一気に蔓延する。おかげで腹も鳴る。

 午後の授業、休みにならないかな。そんな風に、いっぱしの学生らしく考えていると、

 周囲が、格納庫の方を見ていた。

 なんだろうとつられてみれば、福田が直立していた。両手に白旗を持って。

 そうして福田が機敏に、慣れたような手つきで白旗を動かしていく。数秒だけ遅れて、「手旗信号か?」と察した。

 細見の腹減りは忘れ去られ、再び戦車道履修者としての意識が芽生える。福田の白旗を、信号を読み取っていくと――

 

 ミナサンニ、ソウダンシタイコトガアリマス。ニシタイチョウニキヅカレナイヨウニ、カクノウコノウラマデ。

 

 なるほど。

 解読した直後、はっと振り返る。肝心の西に気づかれてはいまいか、感情が電光石火のように走って、

 

 西は、誰もいない運動場のことを、じっと見つめていた。

 

 たぶん、福田の動作にも気づいてはいないだろう。少しばかり様子見していると、西が剣を振るうように、軽やかに手首を振るってみせた。

 ――あの動きも、よく見かけるようになったな。

 

 さて。

 福田の方を見る、頷いてみせる。あの大真面目な福田が、信号まで使って集合をかけたのだ。

 きっと、ただ事ではない何かを伝えたいに違いない。細見は、出来る限り自然と、足音を潜ませて、格納庫の裏にまで歩んでいく。

 

 

「福田、これより重大なお知らせを発表致しますっ」

 

 結婚でもするの? 隊員の一人が、何となく口にする。細見も「ありそう」と思っていたが、

 

「同じくらい、重要なことであります」

 

 福田は真顔のまま、真剣な雰囲気を拭わない。

 ここで、隊員一同も沈黙する。なんだろうと、細見も唾を飲む。

 

「実は。西隊長は、恋をしているのであります」

 

 それは確かに、重大な問題だ。

 福田の言葉を、意味を咀嚼して、

 

「なに―――ッ!?」

 

 ただ事ではなかった。細見も玉田も池田も名倉も他の隊員も一斉に叫んで、しばらくは反響していった。

 落ち着け。

 福田以外が深呼吸する。

 

「で……なぜ、教えてくれた」

 

 玉田が切り込む、福田がきっぱりと、

 

「前もって知った方が、心構えは出来るでしょう?」

 

 反論できない。確かに今、大いに盛り上がってしまったところだ。

 

「わかった。で、そのお相手とは?」

「私の友人である、空田君であります」

 

 ふむ。玉田が頷いてみせて、

 

「どんな人なんだ? というか、どうしてそこまでの仲に?」

 

 そうして、福田が口を開く。

 西と空田とは、釣りで知り合ったこと。そうして、徐々に絆(強調)を深めていったらしいこと。更には、互いを励まし合う仲であること(断言)。出会いを重ねていくうちに、惹かれあったこと。

 ――大まかに説明されて、初心な知波単戦車道履修者達が「きゃー」とか「たいちょー」とか「うらやましー」とかなんとか悶え苦しむ。玉田の顔なんて真っ赤だし、細見も「かーっ」と声に出た。

 

「――で、で? 進展は?」

 

 思わず、細見が急かす。玉田も「それでそれで」。

 ――福田が、心底ため息をつく。空気が一変したのを嗅ぎつけ、一同が再び黙り込む。

 

「膠着状態、であります」

「なぜだ」

 

 玉田が、真剣な顔で問う。福田は怯むことなく、「それは」と前置きして、

 

「気遣っているからであります」

「気遣う?」

「はい。空田君はごくごく普通の、健全な陸上部員であるのですが」

 

 陸上部という言葉を聞いて、細見の頭の中が発火する。

 西が、誰もいない運動場を眺めていたのは。そういうことか。

 

「――西隊長は、その、偉大な人物でありましょう? 空田君は、西隊長とは釣り合わないと言って、西隊長のお顔を汚すまいとして、あくまで恋人同士になろうとはしないのです」

「そんな。気にするほどのことか?」

 

 隊員の一人が、声を荒げて言う。

 福田は、「はい」と頷いて、

 

「好きだからこそ、事細かに気遣うのでしょう。恋とは、そういうものであります」

「西隊長の方は?」

「西隊長も、沈黙したままであります。恐らくは、空田君の意見を尊重しているのでしょう」

 

 突撃一番の、知波単戦車道らしくない流れだ。

 けれど、恋とはそういうものなんだろうな、とも思う。恋愛感情を抱いたことはないが、その重要性くらいは把握しているつもりだ。

 互いを理解し合って、受け入れて、口論や喧嘩などを一緒に乗り越えて、もしかしたら将来を誓いあうのかもしれない。これだけでも重いというのに、西絹代という女性は「偉大」そのものなのだ。やはりどうしても、見比べられてしまうだろう。

 それを考えると、空田の言い分も理解できなくはないのだ。自分だって、恐れ多いという気持ちを抱えている。「自分のせいで」、なんて恐ろしい言葉なのだろう。

 

「……それで、このままの関係でおしまいか?」

「いいえ」

 

 福田がきっぱりと、首を横に振るう。

 

「西隊長も、空田君も、未だに想いを抱えたままであります。今日も空田君はぼんやりとしていましたし、西隊長は運動場を眺めたままでありました」

 

 池田が「ああ、そういう」と理解する。

 

「あの革手袋は、恐らくは贈呈された品なのでしょう。ここ最近、身に着け始めましたよね?」

「ああ」

「手といえば、手首を捻ることも多くなったであります。あれは釣りをする時の動作でありますね」

「確かに」

「それに、必勝祈願のお守りも何処へいったのやら。……たぶん、空田君が持っているのでありましょう」

 

 玉田が、両肩で息をする。

 

「――私は、このまま見過ごすことは出来ないであります。これだけ想い合っているというのに、これではあんまりであります」

 

 福田が言うからこそ、その言葉がとてつもなく響く。

 福田はいつだって婚約者と一緒にいて、その婚約者のことを幸せにしようとしている。婚約者も福田のことを愛しているからこそ、いつだって愛情表現を欠かさない。

 それを見るたびに、心が苦しみ、躍り、羨んでしまうのだ。

 

「だから私は、余計なお節介ながら、何とかしてあげたいのであります。――皆さんにこうしてお伝えしたのは、その、お二人のことを『受けて入れて欲しい』からであって」

 

 ああ。

 福田の言いたいことが、意図が理解出来た。

 もしも西と空田が結ばれたとして、履修者達に後ろ指を差して欲しくはないから、純粋に祝福して欲しいから。だから福田は、こんなにも勇気のある行為を成してくれた。

 ――空田君。君は、なんて、

 

「福田」

「は、はい!」

「――私は、喜んで受け入れるよ。西隊長と、空田君の仲を」

「え」

「空田君とは、話したこともないけれど……でも、良い人だということは分かった」

「細見、先輩」

「福田の、友達だからな。……応援させてもらう」

 

 こんなにも善い友達を、持てたんだろうな。

 

 福田の表情が固まる、じっと細見を見つめている。瞳を、海のように揺らしながら。

 ――細見の言葉をきっかけに、玉田が「私も手伝う」と激励する。池田が「空田もやるねえ」と苦笑する。名倉が「西隊長には、世話になってるからね」と快諾する。知波単戦車道履修者達が、「西隊長に恩返しをするであります」「隊長が苦しむなんて、見たくはありません」「空田君、やるねえ」「わかる、もどかしい気持ちはよく分かる。私もそうだった」

 彼氏持ちらしい装填手が、三人の履修者に連行される。裏切ったな、詳しい話を聞かせてもらおう、泣いていいか。

 

 先ほどまでしんみりとしていたはずなのに、「やっぱり」やかましくなってしまった。実に知波単学園らしいなあと、嬉しいなあと、幸せになって欲しいなあと、細見は心の底から思う。

 

「皆、さん」

「福田、よくも大事なことを相談してくれた。私たちも出来る限り、お節介に付き合おう」

 

 福田の頭を、そっと撫でてみせる。こんなにも小さいのに、よく頑張ってくれた。

 人の恋路を誰かに伝えるだなんて、自分には一生出来ないだろう。

 

「あ、」

 

 福田の口が、ぱくりと開いて、

 

「ありがとう、ありがとうございますっ、細見姉さん!」

「こらこら、姉さんはやめろって」

 

 たははと、気恥ずかしく苦笑する。玉田が「やるなーおねえさーん」とからかってきたので、んだとこのと玉田を小突いてやった。後ろから「松木君に告白しましたぁ!」の叫びが木霊する。

 

「……で、どうする? こればかりは、無闇な突撃は逆効果だしな」

「はい。ですがご安心を、案は考えております。――皆さんは、支持さえしていただければ、それで十分であります」

 

 そうか。それならできる。

 

「わかった」

 

 細見が、知波単戦車道履修者が、一斉に頷く。

 

 やるべきことを確信したからか、腹の音が鳴った。皆が皆、顔を合わせ、とりあえずは食堂へ向かうことにする。

 腹が減っては、戦は出来ぬのだ。

 

―――

 

 水曜日。

 昼休みが訪れて、腹をすかせた生徒達が一斉に食堂へ駆け込む。かくいう空田と土井もそうで、空田はいつもの五天王(銀しゃり、味噌汁、魚全般、たくあん、一皿の漬物)を、土井は銀しゃりと味噌汁のみを注文していた。

 ずいぶんと控えめなんだなあと空田は思うが、そういう日もあるだろう。

 問題は、

 

「いたーだきーますっ! ……で」

「うん?」

「福田さんはどしたの」

「後で来るって」

「ふうん」

 

 軽く流しながら、珍しいこともあるものだと思考する。福田がいない土井なんて、実にらしくない。

 漬物をかじりながら、それでも嬉しそうに微笑む土井のことを眺める。付き合って半年くらいが経過するが、本当に優しく笑ってばっかりの男だ。

 元々、そういう性格なのかもしれない。けれど大半は、福田のお陰なのだと勝手に考えている。

 隣にはいつだって婚約者がいてくれて、好きに支え合って、愛しながら遊んで、だからこそ幸せに人生を歩めるのだ。そうして優しくもなれる、笑ってくれる。

 

 ――自分には、もったいない男だ。

 思わず、苦笑が漏れる。ほんとう、釣れないことばかりだ。

 

「いいよなあ、お前は」

「え、何が?」

「福田さんとめぐり合えてさ」

「うん。僕も、嬉しく思ってる」

 

 至近距離から幸せ光線を浴びて、思わず「漬物ってこんな甘かったっけ?」と嘆く。

 

「でも、空田だって会えただろ?」

「誰に」

「西先輩と」

 

 まだ言うのか。空田は、露骨にため息をついて、

 

「会えただけだよ。それに、西先輩とはそういう関係じゃない」

「そうなの?」

「そうなの」

「……そう、かなあ。そうとは思えないんだけど」

「なんで」

 

 土井が、己がこめかみを指で叩いて、

 

「婚約者の勘?」

 

 何を言ってるんだ、と思った。

 けっこうそれっぽいな、とも思う。

 

「この間、食堂で西先輩と話し合ったよね? なんというのか、凄い息ぴったりだったよ。交際してますって言ってもおかしくないくらい」

「馬鹿言うな、んなわけあるか」

 

 ――だと、いいんだけれどね。

 

「そう? じゃあ、そういうことにしておくけれど」

 

 土井が、味噌汁をひと飲みして、

 

「西先輩が誰かと交際したとして、それを受け入れられる?」

 

 箸の動きが止まる。なるだけ動揺しないように、無感情を装って、

 

「……さてね」

 

 うん、とは言えなかった。釣り合う釣り合わないと、現実を持ち出しておいて。

 ――そんな返事に満足したのか、土井がにこやかに笑った。

 

「ま、あれだ。好きなら好きって、言ったほうがいいんじゃないかな」

「馬鹿かお前はっ。そもそも、好きだとしても、僕と西先輩じゃあぜんぜんっ」

 

 むきに反論しているところで、土井が「あ」と声に出す。どしたのと、曇った声を漏らしてみれば、

 

「ささ、一緒に食べるであります。西隊長」

「え、あ、う、うん」

 

 土井に対しての反論など、水に流れていった。西の姿を目の当たりにして、それしか見えなくなった。

 悟られまいと、首を小さく横に振るう。

 

「ささ、空田君のお隣に」

「わ、わかった」

「あ……西先輩。ど、どうもこんにちは」

「こんにちは」

 

 福田に連れられたらしい西が、いとも簡単に空田の隣へ着地する。続いて、五天王入りの容器を卓に置いた。

 対して福田は、いつものように土井の隣へ。容器の上には、銀しゃりと味噌汁のみ。

 

「げ、元気そうで何よりですね」

「あ、うん、そうだな。とても元気だな」

 

 間。

 

「い、いたーだきーますっ」

「あ、めしあがれ」

 

 何を言ってるんだ自分は、調理人じゃないんだぞ。めちゃくちゃ恥ずかしくなって、歯まで食いしばる。

 

「今日は、西先輩と一緒に来たんだね」

「はい。何だかこう、西隊長とお話がしたくなりまして」

「なるほどねえ」

 

 うってかわって、福田と土井は幸せそうな顔で昼食をとっている。この時ばかりは、本心本音から羨ましいと思った。

 

「先に昼食をとっていたようでありますが、お二人は何の話を?」

「ああ、」

 

 その時、福田と土井が顔を見合わせた。

 

「恋愛の話を」

 

 空田と西が、一斉に咳込んだ。

 

「ほう、恋愛の話。いいでありますね」

「――あんまり、ろくなことは話してないけどね」

「そうなのでありますか?」

 

 空田が、「うん」と頷いて、

 

「聞いてくれよ福田さん。こいつってば、しつこいんだ」

「しつこい?」

「僕と西先輩のことを、息ぴったりとかどうとか。……違うって。単にこう、親しいだけだって」

「……そう、かな」

 

 西の声が耳に入って、西の方に顔を向ける。

 西の、何ともいえない苦笑い。

 

「ほ、ほら、西先輩も困ってる。申し訳ありません西先輩、来てくれたというのに」

「いや、いい。続けて」

 

 その時、福田の眼鏡が光った。気がした。

 

「西先輩。無理して空気を読まなくてもいいんですからね?」

「いやいや、こういう話は好きだぞ」

「え、そうなんですか」

「う……うん」

 

 たぶん、自分の顔は赤くなっているのだと思う。西も、心なしか頬が紅く染まっている。土井は実に嬉しそうに、福田は喜ばしそうに笑っていた。

 ――そんな現実をよそに、周囲は今日も楽しげに昼食を味わっている。けれど心なしか、話し声が一段と小さい気がした。

 

「ほほう」

 

 福田が、にこりと微笑んでみせる。

 

「なんだかこう、嬉しいであります」

「そ、そうかな?」

「はい。……西隊長は、人一倍のがんばり屋でありますから。ですから、普通に青春も楽しんで欲しいのであります」

「ありがとう。――恋愛か、恋愛はいいものだよな」

 

 ちらりと、空田に目を向けてくる。心臓がとてつもなく痛くなる。

 

「なあ福田」

「はい?」

「……例えば、例えばだぞ」

「はい」

 

 西の顔が、露骨に赤い。福田は、やっぱり幸せそうに口元を曲げている。

 

「好きになった人に対して、好き、と言うのは正しいか?」

「はい、もちろんであります」

「だな。……だな」

 

 はい。福田が、きっぱりと頷く。

 

「それでも……例えば、例えばだけれどな? その、身分が違っていたりとか、そういうのがあったとしても……告白はするべきなんだろうか」

 

 え、

 それすらも、言葉に出来ない。

 

「そうですね」

 

 答えを知っているかのように、福田は、にっこりと、

 

「後悔を抱きたくないのなら、するべきであります」

 

 きっぱりと、言ってみせた。

 西は、何も言えなくなる。土井は、首を縦に振るう。空田は、肯定するしかなかった。

 

「無理だと、叶わないと、そう割り切れるのであれば、胸にしまっておくのも正しいと思います」

 

 福田に言いたかった。それ以上、言葉を紡ぐのはやめて欲しい。

 目に、頭に、胸に、痛みが生じる。

 

「けれど、潔く沈黙できないのであれば……余計に苦しむだけであります。なぜなら、」

 

 なぜなら?

 西が、空田が、縋るように福田のことを見て、

 

「前進できないから」

 

 ――思う。

 自分は、なんて善い友人を持ったのだろうと。

 

「……まあ、これは私の持論でありますから。絶対に正しいというわけではありません」

 

 いいや。空田が、西が、福田の言葉を同時に支持した。

 目が合う。

 

「同じ考えをお持ちで?」

「……ああ、そうらしい」

 

 福田の問いに対し、西が恥ずかしそうにくつくつと笑う。空田も、「気が合いますね」と言ってしまう。

 

「へえ」

 

 土井が、空田と西を交互に見やって、

 

「お似合いですね」

「お前、馬鹿なことを言うな」

「ふふ、そうかな?」

 

 今度は怒鳴るのではなく、笑えてみせた。

 

「……空田君」

「あ、はい」

「私はな、空田君のことをな、すごいって思ってるんだぞ」

「え、どこが? 何もないですよ」

「ある。……走ることに対する、熱意だ」

「それしかないですよ」

「それを持てているのが、凄いというんだ」

 

 そうですか、そうなのですか。空田が、調子こいて笑ってしまう。

 

「それに君は、気遣い上手じゃないか」

「えー?」

「……あのグローブは、試合中でも着けさせてもらっている。すごく、力になっている」

 

 思わず、高い声が出る。試合中――つまりは、戦車に乗っての戦闘だろう。

 戦車とは、数人で動かすものだ。戦車の中も、それほど広くはないと聞く。つまるところ、西の手足などは見たい放題であって、

 

「履修者に、見られてるんですか。僕の粗品を」

「え? だ、駄目か? あと、粗品なんかじゃないっ」

「す、すみませんっ。……あ、手袋は好きなようにつけてくださいね」

「そ、そうか? それなら、良かった」

 

 西が、心底安心したように、安堵のひと息をこぼす。

 ずるい。そんなことをされたら、揺れてしまう。

 

「何だかその、ごめん。本当に嬉しくて、ついつい身に着けてしまうんだ。……単純だなあ、私は」

「い、いえそんな! 単純なんかじゃありません。真っ直ぐっていうんですそういうのは」

「そう、かな」

「はい。むしろ、戦車道でも力になれて、凄く嬉しいっていうか」

「そうか! ……となると、私の方があれだな。君の走りを、見ていることしかできない」

「そんなこと、ありません」

 

 衣嚢を、ぎゅっと握り締めて、

 

「西先輩がくれたお守りは、いつだって僕のことを、足を護ってくれています」

「――持っていて、くれているんだ」

「はい。……お恥ずかしいので、その、ここにしまったままですが」

「いや、いいんだ。それでいいんだ」

 

 西が、太陽のように笑ってくれた。空田は、ただ静かに、「はい」と応えてみせた。

 

「空田。……もし、西先輩とお付き合いが出来たら、どう思う?」

「え、そんなの最高に決まって、」

 

 るだろ。

 口を手で閉じる、俊敏に土井の野郎を見る。本音をいただきましたとばかりに、土井が、悠長にも味噌汁を飲み干していた。

 

「――お、お前っ、卑怯なっ」

「え、質問しただけでしょ? 本心を答えたのは、空田だ」

「ば、馬鹿いうなっ。も、申し訳ありません西先輩、こいつが馬鹿過ぎることを聞いてしまって、」

 

 勢いづいたまま、土井から西へ顔を向ける。心の中で、何度も幾度も「ごめんなさい」と口にしながら、

 

 西絹代が、間違いなく嬉しそうに、口まで開けて笑っていた。

 

 ――ため息をつく。たくあんを箸でつまんで、かじりつく。

 

「……ごめん、なさい」

「……謝る必要なんか、ないよ」

 

 目なんて、合わせていられない。空田と西は細々と、寂しいような侘しいような態度で、昼食をじっくり味わっていた。

 あ、うまい。空田が呟くと同時に、

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 ああそう。

 空田の首が、飯から土井へと移り変わる。完食したらしい福田が、土井が、容赦なく席から立ち上がる。

 

「え、あ、ちょっと待てっ」

「じゃあ、お先に失礼するよ。食事、楽しんでね」

 

 なんでそこまで食うのが早いんだよ。それを言葉にする前に、空田の理性が結論をぶち上げてくれた。

 土井も福田も、銀しゃりと味噌汁しか注文していなかったじゃないか。

 ――やられた。

 

「それでは西隊長。ごゆっくり! 昼休みは、まだまだ続くでありますから」

「あ、う、うん」

 

 そうして、土井と福田がるんるんと立ち去っていってしまった。土井を掴もうとでもしたのか、箸が宙を掴んでいる。

 ――箸を、容器の上に置く。

 

「あ、えと……移動、しますね」

 

 立ち上がる。

 

「ま、まあ待つんだ空田君」

 

 腕を掴まれる。

 

「……別に、いいだろう? 私たちはその、息ぴったり、らしいし」

 

 そんな、泣きそうな顔をされてしまったら。西絹代の事が、好きな自分としては、

 再び、西の隣へ腰かける。

 

「分かりました。――よかったら、ここ最近の戦車道についても、お聞かせください」

 

 そして西は、

 

「――ああ、もちろん! そうだな、最近はとても良い調子でな、それでな」

 

 こんな自分に、笑いかけてくれるのだ。

 

「――なるほど、凄いことになっていますね。優勝間違いなしですよ」

「ああ、私もそう思う。……来週は聖グロとの試合なんだが、どう転ぶかな」

「勝てますよ、今の知波単戦車道なら」

「そうか? そうだな。……君に期待されては、負けるわけにはいかないな」

「あ、気にしなくてもいいですよそんな。撤回――は、しない方がいいか」

「ああ、しなくてもいい。――良い土産話を、持ってくるよ」

「はい。……同じ、おなじ釣り仲間として、応援します」

「ああ!」

 

 福田さん、君の言う通りだ。

 後悔を抱いたままで生きるなんて、僕にはできそうにもない。

 

 だって、西絹代は、僕のことを見てくれているから。

 今この瞬間が、とても幸せに感じるから。

 

 ↓

 

 いち風景として、昼食を楽しむ一生徒として、西と空田のやりとりを背で聞いていた。ずっと。

 空田はとても恥ずかしげに、西は上機嫌そうに、様々な話題を口にしあっている。最初こそ危なげな雰囲気だったが、今となっては余計な心配に過ぎない。

 まるで恋人同士のように、西と空田は笑い合っていた。

 

 ――玉田は、思う。

 

 ↓

 

 戦車道について、西は嬉しそうに報告する。陸上部に関して、空田は何としてでも現状を伝えようとする。

 何らかの言葉が発せられるたびに、肯定の一言が聞こえてくる。少しでも不安が漏れようものなら、激励の一声が飛んでくる。気が合っているからこそ、こうして好きに支え合えるのだろう。

 あの西絹代が、普通の女の子として生きている。

 

 ――細見は、祈る。

 

 ↓

 

 西絹代という人は、いつだって知波単戦車道を強くしようとした。何度も負けようとも、幾度も無く突撃に走ろうとも、西はずっとずっと履修者達を信じてくれていた。

 西の弱さなんて、これっぽっちも見たことはない。感情にかられて、隊員を怒鳴りつけたりもしない。あくまでも西は、立派な隊長として此処に居てくれた。

 純粋に、すごいとは思う。けれど、大丈夫なのかなと思うこともある。西は人間なのだから、立派な女性なのだから、少しくらい崩れても良いと思っていた。

 けれど、その心配は霧散した。西が、空田という男性と通じて、笑ったり不安になったり笑ったり不安になったりを繰り返している。それは、陸上部の空田とて変わらない。

 

 ――知波単戦車道履修者として、西隊長を尊敬する者として、心の底から誓う。

 

 どうかこの二人には、栄光を掴んで欲しかった。

 結ばれて、ほしかった。

 

 ↓

 

「はい。お手製のお弁当であります!」

「ありがとう、福田さん! ……ああ、やっぱりおいしいなあ」

「やった」

「こんなお嫁さんが貰えたら、そいつはさぞ幸せ者だろうね」

「えへへ。……土井君のお弁当も、おいしいであります。こんなお婿さんを迎えられたら、一生幸せになれるでありましょう」

「やったっ。……お疲れ様、福田さん」

「土井君こそ、お疲れ様でした」

「――あの二人は、上手くやっていけるよね」

「はい。だって、釣り合っていますからね。西隊長と空田君は」

「うん、僕もそう思う」

 

 校舎裏で、お腹を空かせて「おいた」福田と土井が、互いの手作り弁当を口にしあっている。福田も土井も、いつまでも笑ってばかりだった。

 

 暖かい風が吹く。そろそろ夏が、戦車道全国大会が始まろうとしている。

 

 ↓

 

「なるほど。ダージリン殿は、まずは『どうしたら負けるか』を想定していると……分かりました、そのことについても思考し、実践してみます!」

 

 受話器の向こう側から、嬉しそうな笑みが漏れてくる。西はといえば、これまで教わってきたすべてをメモに書き記していた。

 ここ最近の特技は何かと聞かれれば、堂々と「速記であります」と答える自信がある。メモを見た細見曰く、「ミミズがのたくっているであります!」とのことだが、もっと正確に書けるようにと、日々努力するのがマイブームだったりする。

 

「色々と教えてくださり、ありがとうございます。……あなたの鍛えた聖グロに、必ずや勝利してみせます」

 

 健闘を祈ります。そう返事をされて、電話はここで終わった。

 ――ふう。

 今週末は、強豪聖グロとの練習試合だ。これまでは一度も勝てたためしはないし、「潔く散れた」からこそ、そこで停まってしまっていた。

 戦車隊隊長の自室で、たった一人で鼻息をつく。

 次は違う。勝つために、真っ向から戦ってみせる。その上で、正しく倒れることを誓おう。

 決意表明をして、ひと段落がついて。何となく、その場で仰向けになってみた。

 

 疲れた。

 今日は、ほんとうに色々なことがあったと思う。昼休みになって、福田から「一緒に食べませんか?」と誘われて、そのまま手まで引っ張り込まれて、気付けば空田の隣に居た。

 そうして、沢山の話をした。一番知りたかったことを、大切な「想い」を耳にすることも出来た。

 ――やっぱり、そういうふうに見てくれていたんだな。空田君。

 いつまでも鈍感ではいられない。ただ生きているだけでも、人の心は察せられる。

 自分はもう、高校三年生だ。青春真っ盛り、恋愛全盛期の世代に、両足を突っ込んでいる。そうした世界の中で生きようものなら、空田の想いに気づかないはずがない。空田もまた、西の感情を察しているだろう。

 

 目を閉じる、これまでのことを回想する。釣りから始まって、徐々に話が紡がれていって、自分が励まされて、自分も彼を応援して、お守りを託して、宝物を授かって、色々あって、自分も空田も栄光を掴もうとしていて、今日もこの日も互いを見つめあうことが出来た。

 

 こんなの、好きになるに決まっているよな。

 だからこそ、自分も空田も「気遣って」しまうんだろうな。

 

 後悔しないように生き抜いて、知波単戦車道を強くしようとしたら、いつの間にか自分は「高み」に居た。俗にいう、人気者にもなれた。

 このことを、否定したりはしない。それだけ認められているということだし、隊全体の士気向上にも繋がる。自分はこのまま、前へ前へと進むつもりだ。

 対して空田は、健全な一陸上部員だ。才能はあるらしいが、「これから」といったところで、べつだん有名というわけではない。

 

 それを分かっているからこそ、空田は一歩下がってくれている。どうしても見比べられるだろうから、あれやこれやと言われるだろうから。

 それを分かっているからこそ、西は空田の、苦渋の選択を尊く受け入れるつもりでいる。そうすれば、あれやこれやとは言われないだろう。

 

 ――先ほどの、ダージリンの言葉を思い起こす。

 どうしたら負けるか。これを少しだけ変化させて、「このまま前進できなかったら」を考え始める。

 何をしているんだか、と思う。思春期らしいドツボだな、とも思う。

 思考に身を委ねてみると、より一層と、目の前が真っ暗になった、気がした。

 

 前もって、ここにはいない空田へ謝罪する。ごめん、少しだけ嫌な役回りになるかも。

 

 

 

 それからも、空田とはぽつぽつと交流していった。

 一緒に昼を過ごして、釣りにも出かけて、時には運動場を見守っていれば、いつの間にやら大会翌日だ――決して快適とはいえない気温の中で、知波単戦車道は程よい成績を残すことが出来た。優勝は逃してしまったが、次代が何とかしてくれるだろう。

 

 続けて、空田の戦いが始まった。数々の学園艦が参加する、陸上競技大会が開催されたのだ 。

 どの選手も鋭く、力強く、栄光を掴むために、その身を飛ばしていた。空田もその一人で、次々と容赦無く、対校選手を追い抜いていく。そうして活躍していくたびに土井が喜び、福田が歓喜の大声を上げて、西も思わず腕を振り上げる。最初こそは大勝ちだったが、最終的には、強豪サンダースに負けてしまった。

 それでも空田は、間違いなく笑えていた。恐怖に怯える空田は、もうどこにもいやしなかった。

 

 日常へ戻り、いつの間にか夏休みに入って、何事もなく数日を過ごしていく。宿題をこなしたり、遊んだり、単車を乗り回したり、時には乗馬を楽しんだり、一人で釣りに没頭したりもした。

 そう、一人で。

 遊んでばかりの日々があっという間に過ぎ去って、知波単学園艦へ新学期が訪れる。細見の元気を確かめて、玉田の「あーやだ」を耳にして、履修者達の相変わらずを目にしていって、夏休み明け初日の昼休みを難なく迎え、腹を空かしながら食堂へ駆け込み、

 

 いつもの席には、福田と、土井と、空田と、名も知らない女子で埋まっていた。

 

 一同と目が合い、女子からも礼儀正しく挨拶される。空田曰く「自分の走りっぷりを見て、興味を抱いた」らしい。

 その女子は一年で、今日から陸上部に所属するとか。空田の方も、「無理はしないでね」と言葉をかけていた。

 ――見逃さなかった。その女子が、嬉し恥ずかしく笑っていたのを。

 

 それをきっかけに、空田との交流は段々と途絶えていった。釣り合う者同士だからこそ、女子の方が付き合いやすいのだ。

 それを邪魔することは出来ない。だって、「釣り合わない」という意思を尊重しあっているから。

 無理にでも現実を打ち壊すなんて、そんなことはしたくはない。だって、空田が傷つくなんて嫌だから。

 だから自分は、見守ることにした。週末になれば、一人で魚を釣ることにしている――空田はといえば、陸上部に集中したいからと、釣りをやめてしまった。「そういうことにした。

 

 やがて、空田と女子は、「お似合い」と呼ばれるようになった。そうしてろくに時間も経たないうちに、空田と女子が男女の関係となった。

 その後のことは、特にこれといって語ることもない。自分は知波単学園を卒業して、大学へ入って、そこでも戦車に乗って、世界大会への切符を手にして、色々と順調に戦車道を歩んでいって、

 恋は、しなかった。

 

 そうして、福田から知らせが届く。「空田君が結婚する」。

 これは祝わなくてはと、早速とばかりに会場へ突撃する。間も無くして空田は、女子は、これまでの思い出を語り始める。

 ――知波単学園は、最高の場所でした。あの地で、この人と出会えました。これからも陸上選手らしく、愛の道を突っ走ります。

 拍手が巻き起こる、西も一緒になって手を叩く。よかったなと心の中で思って、これが正しい現実なんだなと実感して、

 

 空田と、目が合った。

 優しく笑い、頭を下げてくれた。

 

 自分の役目は、ここまでらしい。どうか幸せに、空田君。

 そうして空田と女子が、釣り合った二人が、誓いの口づけを――

 

 

 目を覚ます。

 これ以上は、好きにものを考えられそうにもない。

 だって、胸がとてつもなく痛かったから。体が、心が、わたしが、いやいやと叫び始めたから。

 倒れ込んだままで、しばらくはそのまま。

 

 ――後悔を抱きたくないのなら――

 

 立ち上がる。学習机の上に置いてある、ライダーグローブを掴み取った。

 隊長だろうが人気者だろうが、やはり自分も、知波単学園のいち生徒らしい。

 抱くことができたこの想いに、好きという気持ちに、空田に、なんとしてでも突撃したかった。

 

 ライダーグローブを、胸に抱く。

 

 

 なんとか宿題を終わらせて、控えめに夕飯を作り、いたーだきーますの一言とともに腹を満たしていく。そろそろお迎えが来そうな受像機(テレビ)を眺めながら、今日のことを、食堂での出来事を、西との会話を脳裏に流し込む。

 西との、何でもない会話を思い出す。戦車道の発展を耳にするたびに、自分は勝った気になれた。陸上部の話をすると、西はいつだって二度三度も頷いてくれた。

 何とか西を応援しようとすると、西は嬉しそうにしてくれて。自分が悩みだの不安だのを抱えると、西は理知的に、いち個人として励ましてくれる。

 

 今日あった事はといえば、それだけだ。

 「それだけ」を通じて、空田の中に熱が生じた。未練が、芽生えてくれた。

 ――大人になることを選んで、西の卒業をただ見送っていくなんて。

 想像しただけで、胸がとてつもなく痛くなった。体が、心が、自分が、いやいやと叫び出した。

 

 誓う。

 

 今度こそ、今度こそ、間違いなく誓う。

 やっぱり自分は、西絹代のことが好きだ。それ以外の女性を愛するなんて、そんなことは考えられない。

 だからこそ、釣り合わないという現実とも戦ってやる。走ることしか能がないのなら、誰にも負けない走者になってみせればいい。

 

 ――あの足の速さは反則だろう、短距離で勝った試しがない。何食って生きてるんだ?

 ――さあー……肉?

 ――肉かー、僕も食うかな……あと、あれだな。あいつにあって僕にはないもの、それは

 ――それは?

 ――愛の力

 

 ほんとうに馬鹿なことを抜かしたが、実のところは、正解を言い当てていたのだと思う。

 杉下があれだけ強いのは、明るく生きていられるのは。愛に恵まれているから、「かっこつけたいから」なのだろう。

 味噌汁を飲む。

 杉下に勝ちたい、強くそう思う。そうして短距離走の一番になって、夏の大会でも優勝してみせて、自信をつけて、お似合いだと認められて、

 西絹代と、一緒に釣り合いたい。

 

 夕飯を食べ終え、衣嚢から必勝祈願のお守りを取り出す。

 あえて高く掲げ、ぎゅっと握り締め、強く笑ってみせる。

 ――西先輩。僕は必ず、あなたに相応しい男になってみせます。いつか必ず、あなたに全てを伝えます。

 

 ほんとう、愛の力ってすごいなあと実感する。

 それを確認させてくれた福田と土井(婚約者)には、いつか昼食を奢ってやろう。

 

 夜が、静かに更けていく。夏らしい気温が、これからも続いていく。

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