一番山行きの機関車から降り立ち、忘れ物はないかと改めて確認する。持ち物よし、重さよし、帽子よし、ポケットよし、覚悟よし。
改札口で切符を切り、駅から身をさらけ出す。本日は実に快晴なもので、雲ひとつない青空が空田を出迎えてくれた。小学生の頃は、空田とかいう苗字のせいで、何の根拠もなく晴れ男認定を食らったものだ。
一番山前の川へ、足をゆっくり歩ませる。夏がやってきたのか、虫の音がいつまでも絶えない。休日だというのに、今日も配達ヘリの残響が聞こえてくる。街より離れた場所だからか、若い者の姿は見えない。二両のマウンテンバイクが、空田を追い越していく。
あと少し歩いたところで、駐車場から、単車のエンジン音が聞こえてきた。単車の知識は未だに乏しいが、このエンジン音だけは決して聞き逃さない。
こんなにも緊張しているのは、あの人に会えるから。こんなにも心が躍っているのは、いい土産話を持ってこれたから。
だから、空田の両足が早く動く。これで赤の他人だったらどうしようかと、まあいいかと駐車場にまでやってきて、
「やあ、空田君」
ライダーグローブを履いた西が、フルフェイスヘルメットを抱えながらで、挨拶を交わしてくれた。
↓
「夢が叶って、本当に良かったな。とても、格好良かった」
「ありがとうございます」
今日も暇そうに、釣り糸が力なく垂れ下がっている。動く前触れも気配もない、ただただ川の流れに混じっているだけだ。
「これで、すべての夢は叶ったんじゃないか?」
「いえ。単車の免許を取得しなければいけませんし、本気で優勝を狙っていますから」
「……そうか」
そうか。西の、二度目の返事。
残念そうだった、そう考えてしまうのは思い込みか。
とにかく。意味もなく、釣竿を握りしめる。
「西先輩も、あと少しで念願が叶いそうですよね。今だから断言できますが、知波単戦車道は間違いなく強いです」
「ああ、ありがとう。この結果にたどり着けたのは、」
いや。西が、一旦言葉を途切らせて、
「この結果が訪れるまで、こうして待てたのは……君のおかげだ」
「――最後まで、言ってくれるんですね」
西と、顔を向き合わせる。当然だろうとばかりに、歯を見せて笑ってくれた。
「やっぱり、西さんはすごいな。かなわないや」
「どうして?」
「自分で導き出した結果なのに、あなたは、他人である僕に感謝までしてくれる。簡単なことでは、ありません」
西が、首を横に振った。
「君は他人なんかじゃない。良き友人で、善い釣り仲間で、それに、」
また、西の言葉が止まった。
知波単学園に通えるだけの頭脳が、これまでの経験が、次に西が言いたいことを何となく察する。
けれども、促すことなんて出来やしない。愛の勘違いほど、死にたくなるものもないからだ。
沈黙。残されたものは、川が流れゆく音、動じない釣り糸、横切るあひるの群れ。背後で、履帯特有の分厚い轟音が過ぎ去っていった。
おそるおそる、西の横顔を目にする。西は釣り糸を眺めていて、けれども穏やかに笑ってもいない。
「なあ」
視線に気づかれたのかと思う。西は、前を見たままで、
「君はもう、私と並べているんじゃないかな?」
「え」
「強い意志で立ち直って、一番になろうと決意できて、私のために単車まで取得しようとしている。……これがな、格好良くなくて、なんだというんだ」
舌がろくに動かない。なにを言っていいのか、真っ白になってわからなくなる。
「万が一、万が一、何も成せなかったとしても。私は、絶対に失望したりはしない。潔く散ったと、絶対に想う」
西の名前を、心の中でつぶやく。縋るように、呼びかける。
「君と出会って、長く経つよな?」
頷く。
「君は私の話を、よく聞いてくれたよな?」
頷く。
「……私のために、夢を見出して、たくさん頑張ってくれているんだよな?」
――頷く。
空田にできることは、それだけだった。首を振るうことでしか、空田は感情を示せなかった。
なのに西は、頬を赤く染めて、うつむいてしまって、しばらくはそのままで。何の前触れもなく、西の釣り糸が前に引っ張られていって、
空田の喉から、「あっ」の一声が漏れた。感触を通じて、西もすぐ気付くことができた。
これがなかなか釣り上げられない、思った以上にでかいのが食いついたらしい。西が椅子から立ち上がって、歯まで食いしばって、唸り声を上げる。
この前のように二人掛かりで攻めようか、椅子から腰を上げようとして、
「そ、空田君! 」
「はい! はい!?」
一度目の返事は、西に対して。二度目の叫びは、己が釣り糸の現状を目の当たりにしたから。
空田の釣り糸が、前へ前へと引き寄せられている。かなりでかいのが引っかかったらしく、手首まで持っていかれそうになった。
こうなれば、西の手助けは出来そうにもない。釣り人としてのプライドが、男の子としての競争心が、ぜんぶ魚へ集中し始める。
椅子から立ち上がり、西がうおおと叫び空田がぐぬおおおと声をひり出す。うるせえ馬鹿離せと主張しているのか、水面の二箇所から、水滴が激しく散らかされる。
どうして、今日も飽きずに釣るのか。それは、待つことも楽しいから。待ったからこその戦いが、最高に面白いから。
だから、空田は一生懸命に釣り糸を巻いているはずなのに、笑ってしまう。
西もそうだ。感情豊かに叫ぼうとも、幾度もなく押したり押されたりしても、西は挑戦的に口元を曲げている。
この時点で、空田と西は満たされていた。それどころか、椅子に座った時点で満喫すらできていた。これだけでも十分に幸せ者であるはずなのに、釣りには、「釣れた」という確かな結果すらも用意されている。
――西が一緒だからこそ、西とここまで歩めてきたからこそ、空田は釣竿を握りしめる。心の中で、必勝祈願のお守りを手に掴む。
幸せになってやる――そうやって決意できた時、魚が引き寄せられているのを、確かに体で感じた。応援してくれているのか、あひるがけたたましく鳴いた。
今しかなかった。
うだうだ拮抗するよりも、一気に決めて正しく勝ちたい、負けたい。
だから、力をありったけ込めて、
知波単魂を燃やし、突撃を決行して――
「釣れ……たッ!」
「釣れ……たッ!」
体全体が、宙に浮いたかと思った。
勢い余って視線が空回りして、夏の晴れ空が両目によく映る。青一色を瞳で味わう中、「あ」と空の影に気づく。
釣れた魚だった。宙に舞っていたそれは、物理法則に従って、下へ下へと落ちて行く。徐々に、空田の元にまで吸い込まれていって、
空田と、同じ目線に行き着いた。
今度こそ釣れた、そう思った。
気性が荒いのだろう。釣り糸に未だ食らいつきながら、その身を必死にばたつかせている。諦めなければ負けじゃないんだぞと、そう言いたいように。
そして、ずいぶんとでかかった。ぱっと見でも、両手に余る大きさだった。
落ち着いた。だから隣を見る。
西も、決着をつけたらしい。両肩で呼吸をしながら、戦士の目つきになりながら、呆然となったまま、両手クラスの魚をじいっと見つめている。
そして、西がこちらを見た。何度かのまばたき、びちびちもがく二匹の魚、去っていくあひる、静かな一番山前の川、「空田君」、
少し遅れて、勢い余って、「はい!」と大きく返事してしまう。西が少し驚いてしまったが、いやいやと首を振るって、
「これ、なんという魚だ?」
「これは……ブラックバスですね」
外来語だったが、さらっと口にできた。勉強の成果が、こんなところにも出てきてくれたらしい。
「君も、同じのが釣れたみたいだな」
「そう、ですね」
「大きさも、ほとんど同じだな」
「みたい、ですね」
互いに、釣れたブラックバスを無言で鑑賞し合う。何度見比べたところでブラックバスはブラックバスだったし、でかいものはでかかった。
西が、「はあ」と呼吸する。
――西も空田も、水汲みの中へブラックバスを注ぎ込む。生きることに貪欲らしいのか、水汲みの中でも元気いっぱいに泳ぎ回っていた。
そんなブラックバスを鑑賞して、数秒程度が経過する。釣れた余韻を引きずったまま、椅子に座って、
「空田君に、追いつけたんだ」
釣り針に餌を突き刺そうとして、
独り言のように、西が宣告した。
「私は、ようやく」
椅子に腰かけていた西が、そっと空田のことを見る。
流れゆく川のように、静かに微笑んでみせて、
「――空田君と、釣り合えたんだ」
ものを考える前に、自分の中の喜びが弾け飛んだ。
冗談抜きで、魂にまで浸透したのだと思う。体に熱が迸り、心が馬鹿みたいに前向きになって、表情なんて笑いたい放題だった。もう、止める気にもならない。
そんな自分に、西は快く笑顔になってくれた。
「空田君」
「はい」
「これで私は、『ここでは』君の隣に立てたんだな」
「え、それって、つまり」
西は、こくりと頷いて、
「ここは釣り堀だ、学園じゃない。――今のうちに、君の告白に応えてもいいだろう?」
「なんだか、変則的じゃありません?」
「いいや。そもそも君とは、釣りを通じてこうして出会えたんだ。釣り仲間としては、ごくごく正攻法な流れだと思うが?」
そう言われてみれば、ぐうの音も出てこない気がする。
西絹代といえば、人気者で、成績優秀で、容姿端麗で、性格も良くて、戦車隊隊長を務める才女だ。そんな人に恋したからこそ、空田は、西とお似合いの男になりたいと誓ったのだ。
いくら好き好きと言おうとも、自分がふがいなかったら、西とは月とすっぽんのままだったら、西は云われのないあれこれをぶつけられてしまうだろう。
――けれど、ここは釣り堀だ。腕前が互角である以上に、釣り合う要素なんてあるはずがない。才女である西は、そこに目をつけて「逆戻り」してきたのだ。
よくよく考えてみれば、それはそれで「どうなんだろうなあ」とは思う。けれど、「まあいいか」と結論づけた。
「――分かりました。……今の僕だからこそ、そのお言葉が嬉しく聞こえます」
「そうか」
西に憧れ、恋い焦がれたお陰で、自分は夢を見つけることが出来た。未だ叶えられていないものもあるけれど、知波単学園で一着になった時点で、自信は満たされていたのだ。
だから、西の言葉を素直に、心地よく受け入れられる。
「それに、な」
「はい」
「もう、抑えきれそうにないんだ」
「え」
西が、己が胸を手で覆う。うつむいて、穏やかに笑みを浮かばせて、決心したように深呼吸をして。
何が抑えきれないんです――ぽろっと漏れかかった言葉を、ぐっと堪える。きっと今は、そういうことを聞いてはいけない場面だ。
根拠なんてまるでないが、きっとそう思う。
「空田君」
「はい」
自分も西も、ここまで頑張って生き抜いてきた。だから、「ここまで」辿り着けた。
自分は高校二年生だ。だから、西の「次」が何となく予測出来る。
――今の自分だからこそ、
「――好きだ」
今の自分だからこそ、西の言葉を真正面から受け止められる。
「空田君。……私と、交際して、ください」
「はい」
胸ポケットの中のお守りに、そっと手を当てる。
僕だけの西絹代に、手を差し伸べる。
「西先輩。好きです、世界一大好きです。僕と、お付き合いしてください」
西から告がれたはずなのに、同じようなことを口にする。
けれど、これで良いのだ。愛とは、いくらあっても物足りないものだから。
「――はい」
西が、僕の手を掴み取ろうとして、
「私と。添い遂げてください」
ライダーグローブを履いて、僕の手をとってくれた。
――僕は、思う。
この人のことを好きになって、本当に良かった。
自分の辿ってきた道は、間違いなく正しかった。
手を握り締め合って、しばらくはそのままでいて、気づけば互いを求め抱き合って、目と目を見つめあって、おびえながらキスをした。
日が暮れるまで、僕と絹代は、釣り合っていた。
―――
世間一般の夏といえば、けたたましい蝉の鳴き声で。これまでの夏といえば、何だかんだで慣れてくる猛暑であって。戦車道履修者にとっての夏といえば、高校戦車道全国大会だった。
知波単戦車道における全国大会とは、だいたいは一、二回戦目で幕を閉じるものだった。かといって落胆するわけでもなく、「強い敵と戦えた、満足した」と笑えていたものだ。
けれど、今年は「色々」なことがあった。ほんとうに色んなことがあったが、振り返ってみると「あんなことがあったんだなあ」とあっさり思える。
本当、良い経験に恵まれた。
チハの中で、福田はそう思う。
決勝戦の空気が吸えるのも、全ては、
『みんな、ここまでついてきてくれてありがとう。ここまで来たということは、お前たちは強い、ということだ』
無線越しから、西絹代の声がよく響いてきた。
西の言葉に対して、まったくもってその通りだと、福田は頷く。
『最後の相手は、あの黒森峰女学園だ。……ただただ突撃を繰り返しては、性能差で負かされるだろう』
去年の大会が、否応なく思い起こされる。
伝統に従っての突撃を決行し、難なく白旗が提供されていった、あの瞬間を。
あの頃は、潔く散れたと思った。
今は、悔しいから借りを返してやると思っている。
『だが、今なら勝てる。今のお前たちなら、正しく勇敢なお前達なら……黒森峰に、逸見エリカ率いる黒森峰戦車隊に勝てる』
一回戦目では、奇襲奇策奇跡でプラウダ高校に勝った。二回戦目では、根性で大洗女子学園に勝利した。準決勝では、騙したり騙されたりで聖グロリアーナ女学院を出し抜いた。
残る相手は、問答無用の強豪、黒森峰女学園だ。戦車の性能といい、練度といい、真っ当に隙がないのは福田も理解してはいる。
つまるところ、「自分たちと」同じということだ。
だから、西の言うことは正しい。
『今度こそ、念願の初優勝を飾ろう』
頷く。
ここまで来るのに、たくさんの時間がかかったと思う。失敗例や成功談も、色々と見聞きしてきた。
伝統を覆そうとしたり、戦車隊の意識を変革させるというのは、本当にほんとうに難しいことだった。当初は、「無理かもしれない」と思っていたものだ。
けれど、西は待ち続けた。善い結果が舞い込んでくるまで、西は決して諦めはしなかった。
――そんな西に対して、隊員全員が報いようとしている。だってみんな、西の事が好きだから。
『体現しよう』
絹代が告げる。
『真の突撃魂を』
玉田が誓う。
『新たな知波単戦車道を』
細見が契る。
『知恵の波を渡りゆく、我々の進取の精神を』
福田が締める。
試合開始の合図が、世界全体に響き渡る。
ひと呼吸つけて、何事もなかったかのように沈黙して、
『行くぞぉッ!!』
知波単戦車道そのものが、夏の空の下で叫ぶ。
――土井君、見ていてください。私は、正しく戦ってみせるであります。
↓
ばーん。
試合は、間違いなく長かった。知波単戦車隊が、待ちの戦法を取り続けていたから。
戦う為に身を隠し、勝つ為に黒森峰を後ろから刺して、優勝の為に「堪え続ける」その姿に、かつての伝統はもう覗えない。時代は移り変わり、変化しようとしている。
そして、決着は「ばーん」の轟音一つで決まった。試合とは違って、ほんとうにあっけなく済んだ。
知波単の残り戦力は八、黒森峰の残り戦力は十一。特設モニターがそうして知らせてくれているのだから、間違いない。
間。
黒森峰の残り戦力、十。逸見エリカの名前に、赤線が敷かれた。
特設モニターが、こうして知らせてくれたのだ。だから間違いない、黒森峰のフラッグ車が敗退したことも、間違いはない。
空田は、「つまり」と思った。隣に座っている土井も、真顔でモニターのことしか見ていない。
間、
沈黙、
瞬間――
『黒森峰女学園、フラッグ車、大破! ――この試合、知波単学園の勝利』
そうか、勝ったんだな。決勝戦で、この結果を掴み取ったんだな。
つまり、
『――優勝ですッ!!』
こういう、ことだった。
だから、観客のおじさんが、おばさんが、兄ちゃんが、姉ちゃんが、知波単学園の生徒達が、「え、ほんとう?」な顔になっている。空田も土井も、そうだった。
特設モニターに、「初優勝おめでとう! 知波単学園!」の文字がでかでかと映し出される。日本戦車道連盟からのお墨付きまでいただいて、現実を咀嚼していって、「あ、優勝したんだ」と空田が理解した瞬間、
観客席が、大爆発を起こした。
知り合いらしい兄ちゃん姉ちゃんが、「ジャイアントキリングだーッ!」と絶叫する。意味がわからなかったので、今度調べようと思った。
おじいさんが、「ぼ、母校だぞ! うちの母校が!」と感激している。衝撃の事実を知って、改めて「知波単学園の歴史って長いんだなあ」と痛感する。
知波単学園の生徒達は、統率なんて知るか馬鹿と大いに喜びあっていた。手を叩きあう者、拍手する者、その場で踊る者、抱き合う者、どさくさにまぎれて告白する野郎、顔を赤く染める女性、たまらず校歌斉唱する者、もうめちゃくちゃだった。
――空田はといえば、未だに礼儀正しく着席したままだ。空田とてふつうの高校生であるはずなのに、はしゃぎもせずに特設モニターのことをじいっと見つめていた。
笑顔の絹代が、大きく映し出される。早速とばかりに、マスコミからマイクを差し向けられる。
『――知波単戦車道には、突撃を第一と考え、その上で潔く散る、という伝統がありました。戦車道とは、けして勝ち負けで決まるものではないと考えてはいましたが、』
空田は、次なる言葉をすぐに予想できた。
それは、
『ただの一発も弾を撃てず、本来なら勝てるはずなのに負けてしまう。……これは戦車道ではないと、武芸ではないと、私は考えました』
やっぱりだ。僅かながらの優越感を抱いて、口元が曲がる。
『だから私は、私なりに知波単戦車道を変えようと決意しました。正しく戦う、正しく負ける、武芸を体現したい……色々と、動機はあるのですが』
どこかから、「よーし、今日は好きなだけ奢ってやるぞ!」という声が聞こえてくる。ぼんやりと、「ああ杉下、いたのか」と気づいた。
ほんとう、いい性格しているよな。そう思う。
絹代も、実にいい笑顔になりながらで、
『――散るよりも、勝った方が、嬉しいじゃないですか』
善いことを、言ってくれた。
戦車道とは、女性の為の武芸だ。勝ち負けなんてものは二の次で、女性らしい力強さを、礼儀を体現出来ればそれで良いとされる。
――けれどやっぱり、やるからには勝ちたい。それが人間にとっての、どうしようもない本音だった。
『だから私は、ここまで辿り着けました。長く険しい道でしたが、こうして報われた今となっては、良い思い出であると断言できます』
マスコミの男性が、『強くなるにあたって、何か心構えなどはありましたか?』と質問してくる。それに対して、絹代は『はい』と返事をして、
『先人の話を聞くことと、様々な戦術を学び、実践してみる。これが、強みになったかなあと』
マスコミが『なるほど』と返答する。さすがだと、空田は頷いて、
『――あとは、結果が出てくるまで、焦らずに『待つ』。これが一番大切なことだと思います』
――。
『なるほど、素晴らしいコメントをありがとうございます。――それでは最後に、何か決意表明があれば』
絹代が、マイクを受け取る。堂々と、凛々しく、実に嬉しそうに、きっぱりと表情を明るくして、
『やはり、戦車道とは最高に面白く、熱く、楽しい武芸であると実感しました。――今決めましたが、私は必ず、世界選手になってみせます』
いよいよもって、カメラのシャッター音が殺到する。それを前にしながらも、絹代は決して臆しないまま、言い続ける。
『それは難しいことであると、簡単なことではないと、わかってはいます。ですが、やりたくてやりたくて仕方がありません』
知波単学園とは、良くも悪くも妥協しない世界である。それは戦車道だったり、趣味だったり、時には将来の夢も含まれる。
絹代という女性は、極めて冷静で真面目な性格をしている。だから、伝統に対して首をかしげることが出来たのだ。
――けれどやっぱり、西絹代という女性も、知波単学園の生徒の一人だった。知波単「らしさ」を耳にできて、空田は、「ああ」と声が出る。
『誓います』
絹代が、力強く口元を曲げる。
『山のような道を辿ることになるでしょうが。私は、玉のような精神を持ち、細見の心得を忘れず、己が福を信じ、この土の上で、』
空田も、黙って頷く。
『愛する空の下で、私は私の戦車道を突き進みますッ!』
特設モニターから、大歓声が響き渡る。きっと、履修者達が大喜びしているのだろう。
観客席も、派手派手に盛り上がっていく。絶叫が、歓喜が、振り上がる拳が、西さんあいしてるー! が、いよいよもって止まらない。
空田は、ずっとずっと、西絹代のことを見届け続けていた。宣告を聞いてから、体がぜんぜん動かない。視線が、ぼやけてきた。
「――空田」
土井からの声。それでも、空田は振り向くことも出来ない。
「泣いているのかい?」
頷く。
「うん。わかるよ」
土井は今、どんな顔をしているのだろう。少しだけ考えてみたが、きっと、いつものように穏やかに笑い続けているに違いない。
――大方のインタビューが終了したのだろう。これまでの試合の流れが、特設モニターで上映され始めた。それを数分だけ眺めて、優勝したという事実を改めて受け入れて、ひと息ついて、
「土井」
「うん?」
「……帰ろうか」
腕で目を拭い、土井の方を見る。
きっと、上手く笑えているに違いない。
「そうだね。……それもいいけど」
「けど?」
「このあたりに、良い評判の喫茶店があるらしいんだ。そこで食べに行きたいなーって」
「野郎二人で?」
「いいじゃない、二人でも」
この時、過去の思い出が頭の中で弾け飛んだ。土井の不自然な誘い、喫茶店前でのああだこうだ。
なんだっけ。
外来語で、デジャブっていうんだっけ。
そうこうしている間にも、土井は「さ、行こう」と手招きする。何から何まで思い出した空田は、にやりと笑って、
「ああ、行こう」
――西先輩、ほんとうにおめでとうございます。
「また」、会いましょう。
↓
そうして、喫茶店前で「偶然にも」絹代と福田とばったり遭遇した。
世の中というものは、うまく回っているらしい。
「あ、福田さん! ぐうぜんだねー、どうしたんだいこんなところで」
「土井君と空田君! みにきてくれたのでありますね! ……わたしたちはあれです、『かつやくしたのだからやすんでこい』と」
土井が、ほうほうと頷いてみせて、
「なるほど、それはわかる。……福田さん、優勝おめでとう。本当に格好良かった」
「えへへ」
照れる福田、あわわと口を開ける絹代。
「ふ、福田、また私をだましたなぁ」
「だましてなどいません! ぐうぜんです、ぐうぜん!」
「むう。まあ、いいけど」
空田が、しょうがないなあと苦笑する。
「西先輩」
「……うん」
「優勝、おめでとうございます。最高でした、西先輩のことがもっと好きになりました」
本音を、はっきりと口に出来た。
「――ありがとう、空田君」
西絹代という女性は、本当に頑張りすぎた。
だから今だけは、自分の手で、身も心も休ませてあげたいと思う。
「さ、さ、たくさんの自慢話を聞かせてください。ここじゃなんですし、喫茶店へ入りましょう」
まずは、福田と土井が喫茶店へ入っていく。空田と絹代はといえば、少しばかりその場で佇むばかり。
ガラス越しから、土井と福田の動向を覗う。文句なしのカップルと店員が判断したのだろう、相席へご案内されていた。
――さて。
そろそろ入ろう。空田が、前に進もうとして、
「空田君」
手が、しっかりと握られていた。
ライダーグローブの暖かさが、血に伝わってくる。
「行きましょう、西先輩」
胸ポケットから、必勝祈願のお守りを取り出す。刻まれた金文字を、感慨深そうに眺めて――首に、かけてみせた。
そうして、絹代と喫茶店へ入り込む。店員から「何名様ですか?」と聞かれたので、当然、
「二名で」
「二名で」
かしこまりました。
繋がれた手を見て、店員が察してくれたのだろう。早速とばかりに、相席へと案内してくれる。その途中で福田と土井とすれ違ったが、テーブルの上にはカップルジュースが置かれていて――
絹代と目が合う。
絹代は、「飲もうか」と、少し困ったように微笑んでくれた。
―――
戦車道履修者にとっての夏が過ぎ去っていって、いつの間にか陸上競技大会も終わった。
残されたものはといえば、永遠に続くであろう夏休み、元気いっぱいの蝉の合唱、真っ盛りの猛暑、
「格好良かったでありますね、空田君」
「うん。ほんとう、恐怖を克服しちゃったんだねえ」
そして、一寸の寂しさ。
本土の氷菓子を味わいながら、土井と福田は、公園のでのんびりとくつろいでいた。
「しかも優勝だもんねえ、嘘みたいだよね」
「ですが、事実であります。空田君は、よく頑張ったであります」
「うん、僕もそう思う」
「――西隊長も、可愛かったでありますなあ」
「ねー」
頷く。
大会翌日、土井と福田は当たり前のように応援へ駆けつけた。最初は席で叫ぶだけだったのだが、会場の熱気に飲まれていって、優位に立った知波単陸上部を目の当たりにして、土井も福田も何だか盛り上がってしまって、遂には知波単応援団の一員となったりもした。
鉢巻を手渡される中、土井と福田は、「ここにいるべきであろう人物」をふと発見した。
応援団ではないはずなのに、陣の中心に立っていたのが、何だか「らしくて」。いかなる状況でも、冷静に力強く応援していたはずなのに、空田の番となると「うおおー! 行けーッ! 突撃だーッ!」と突っ走った激励をしてしまっていたのが、とても「らしくて」。
空田が一着をもぎ取った時、「いるべき人」は、「やった――!!!」と大跳躍した。周りの応援団も、「やりましたね! 臨時団長!」と大喜びしてくれた。
よかったよかった。福田と頷きあって、臨時応援団長西絹代に声をかけて、西団長は「い、いたのかぁ!?」と大あわて。良い思い出の一つだ。
「みんな、幸せになっていって。私は嬉しいであります」
「そうだね、そう思う」
氷菓子をかじっていくたびに、甘みが口の中で溶けていく。そんな土井に無関心そうな子供たちが、遊具ではしゃぎ回り始める。
――見上げた。
「あの二人は、今頃どこにいるんだろうね」
「さあ……きっと、釣りでもしているのでしょう」
「かもねえ」
ぜんぶ終わったし、暇だし、何処か遊びに行かない?
そんな用件を抱えながらで、土井は空田の実家に電話をかけてみたのだが、
あら、お友達ですか? ごめんなさい。うちの息子ったら、彼女さんと旅行へ出かけてしまって。
申し訳なさそうに、実に嬉しそうに応対されたのを、土井はよく覚えている。土井の方も、ついつい喜色満面で「分かりました。よろしくって、伝えておいてください」と伝言を残した。
「なんだかさ」
「はい」
母らしい女性が、「気を付けるのよー」と子供に声をかける。子供は、遊具の上で「わかってるー!」と返した。
そんな光景を目にして、蝉の鳴き声がよく聴こえてきて、猛暑らしいぬるい匂いを感じ取って、氷菓子の味が体の中に混じっていく。
「静かになったね」
「そうでありますね」
「――幸せに生きているかな、あの二人は」
福田は、「ええ」と頷いて、
「絶対に、そうであります。これからもずっと」
「そうだね」
そして、福田の手を握りしめる。福田も、土井の手と結ばれてくれた。
夏休みの課題といえば、まずは宿題だ。これをやっつけなければ、親にどやされてしまうだろう。
次はよくよく遊ぶこと、これはかかせない。
――何より、
「福田さん」
もっと福田に近づいて、肩を寄り添い合う。福田は何も言わずに、土井にすべてを委ねてくれた。
福田と自分が、幸せになること。これが、一番大切な課題だ。
―――
駐車場に着いた。
いやー運転できたなあと思いながら、鼻歌交じりで空田が単車から降り立つ。続いて、タンデムシートから釣り用具を引っ張り出していく。
釣り用具を手に持ちながら、目前の「湖」を眺める。せっかくの夏休みということで、夢が叶ったというわけで、浮かれ半分で遠出してみたのだが――サンダースレイクを目の当たりにして、空田の口から「でけえ」の一言。隣に居る絹代も、「すごい!」と絶賛高揚中だ。
サンダース大学付属学園艦とは、何から何までビッグという噂は聞いていた、聞いていたのだが、ほんとうにビッグだった。知波単学園艦の川を全部つなぎ合わせたところで、サンダースレイクのデカさには遠く及ばない。ここまで大きいと、「向こう岸がぎりぎり見えるから海じゃなくて湖ね」という暴論すら通じる気がする。
笑ってしまう。
これは、有名なスポットにもなるよな、と思う。
太陽に照らされて、綺麗だな、と思った。
「いやあ、どんな魚が釣れるのかなあ。楽しみだなあ」
「全部、でかかったりして。何か良いもの食ってそうですし」
「ありえるな」
サンダースレイクは確かにデカい、ビッグだ。
だからこそ、釣り人の血が滾って滾って仕方がない。どんな化け物が待ち構えているのか、どんな思い出が築けるのか、サンダース大学付属学園艦で躍っていた。
――よし、早速出陣しよう。
サンダースレイクまで歩む、砂利道が靴底から伝わってくる。いい距離にまで近づいたところで、折りたたみ椅子を展開し、釣り用具を引っ張り出し始める。周囲を覗き見てみれば、数人の釣り人が、釣り糸をのんびりと垂らしていた。
いい光景だ。
ますます上機嫌になって、愛用の釣り竿を握りしめる。日光に照り返され、何物よりも輝く見えた。
この釣り竿は、挫折していた頃の自分を、ずっと支えてくれた。
この釣り竿は、何よりも大切な出会いを、ずっと結んでくれた。
感慨深そうに、釣り竿を傾ける。長らく使ってきたせいか、ほんの少しだけ色あせていた。
「――空田君」
「はい?」
絹代の横顔を、そっと見つめる。絹代が、慣れた手つきで釣り糸を整え、釣り針に餌を刺して、
「なんというか、今が凄く楽しい」
「僕もです」
「釣りはいいな、本当にいい。最高の気分転換だ」
「そうですね」
絹代が、両肩でひと息つく。それほど離れてはいない横顔を見つめてみて、改めて、綺麗な人だと思う。
「空田君」
「はい」
西絹代という女性は、みんなの人気者で、成績優秀で、容姿端麗で、名高い知波単戦車隊の隊長を務めている。文句なしの、知波単学園の象徴だ。
「――君とこうして釣りが出来て、私は、幸せ者だと思っているよ」
「僕もです」
心の底から、思う。
そんな西絹代と出会えて、釣り合えて、本当にほんとうによかった。
「……空田君」
「はい」
ほんの少しだけ、絹代が不安げな顔になる。
「私は、戦車道の世界選手になると誓った。それは今でも変わってはいない」
「はい」
「出来る限りの最善は尽くす、尽くすつもりだが」
「はい」
絹代が、恥ずかしそうに苦笑いを浮かばせる。
「その――もし、くじけそうになったり、やけになったりしたら……釣りに、付き合ってくれないか? 今だけじゃなく、これからも」
間違いなく、絹代が弱さを告白した。
それがひどく、どうしようもないくらいに嬉しい。男の子としての意志に、火がついた。
「もちろんです。僕の夢は、あなたを支え続ける事ですから」
「――ありがとう」
ほんの軽く、口づけを交わす。
これは自分にしかできない、心からの行為だ。
そっと、顔と顔とが離れていく。不安が流れていったのか、絹代の顔は湖のように穏やかだった。
「君も、何か不安を抱えたりしたら……いつでも言って欲しい。力になる」
「ありがとうございます。僕も、世界に向けて走り続けます」
百点満点を言えたらしく、絹代が「そうか」と笑顔になってくれた。
空田も、絹代と同じく世界を駆け抜けるつもりだ。プロになるということは、きっと辛くて、激しくて、時には痛みさえ伴うことがあるだろう。
絶対に困難だろうな、と思う。けれど、自信はある。優勝という実績を積んできて、いよいよもって走ることが大好きになって、
そして――
「西せんぱ、」
「うん?」
「……絹代」
「うん」
この人が、いつでもいてくれる。
それだけで、明日も戦えるのだ。
「――さ、釣りましょう」
「ああ」
けれど、今は釣りをさせて欲しい。少なくとも、この夏休みが終わる日まで。
「では、」
実に楽しそうに口元を曲げ、釣り竿を掲げて、
「突撃ッ!」
「突撃ッ!」
釣り糸が、サンダースレイクの宙を舞った。