ある雪が酷く降る日、景綱は米沢城の別棟に呼び出されていた。己の主に本日は病を得たと虚言をついてまで面通しを行ったのはその主の母、義姫だった。
楓の事で内密に、と書状をもらったのは三日前の事だった。有無を言わせない内容に是を返し、指定された時刻に秘密裏に別棟に入った。見る人が見れば間男と勘ぐられそうな行動だと頭の片隅で思いながら静かに廊を進む。
「景綱にございます」
「入りや」
静かに障子を開け部屋の中に入ると驚いた事に、そこには義姫のみが座っていた。慌てて周りを見渡すも女中の一人も居ない。
この様子では政宗が付けた草すらいないのかもしれない。
「義姫様これは一体」
「楓の話じゃ。政宗には聞かれとうないからな。――もう、伝わっとるかもしれんが」
「しかしこのなされようでは、政宗様がお怒りに」
「なに、あやつの癇癪など生まれった時から知ってておる。少々の事では何とも思わぬよ」
「義姫様・・・」
「それよりも楓の事じゃ。お主、大阪から共にここまで来たのじゃ。何も知らぬは通らぬぞ」
楓の様子が変わった、それに母が気づかぬはずもなく様子を見ていた。
だが楓は何も語らず、同じく様子の変わった政宗ににじり寄った。楓に何を告げたか、と。そうしたら息子は戻ってきた娘に縁談を持ってきただけだと簡単に告げた。その地と相手の名を聞けば、奥州を隣とする場で相手も穏やかで好感を持つ人物だと伝え聞いている。
だが、奥州の配下ではないため縁談を纏めるのも一苦労だっただろう事は義姫にも簡単に想像がついた。戻ってきた楓と早々に離れるのは寂しいが、縁談がまとまった事は素直に嬉しく気分上々に義姫は日々を過ごしていた。だが、娘の様子はどうだろう。冬が深まるにつれ笑みが薄れてゆく。
「これを見や」
ひとつの書状を義姫は景綱に差し出した。それを受け取り中に目を通すと、景綱は目を見張った。
「猿嫁から妾に文とは何事かと思えば・・・これは本当かのう景綱や」
「事実にござりますれば」
「ほう、何故それを政宗は妾に言わなんだ」
「・・・某には検討がつきませぬ。しかし、恐らく楓様が何も言われなかったからだと思われます」
猿嫁、ねねからの書状には楓の縁談が纏まった事を問う文言と、そして名こそ書かれていないが三成の存在を匂わす内容が書かれていた。それを読み漸く義姫も楓の様子に合点がいった。
義姫と先の当主輝宗は政略を含んだ婚姻だった。
最期は酷く悲しい別離となってしまったが、想い想われたとても良い関係を結べたと思っている。自分の背の君はあの方意外には誰ひとり居ない唯一の人だと心から思っている。輝宗とそのような間になれた事は義姫の誇りで、楓にも彼女の殿となる者とそうなって欲しいと思っていた。
この度政宗が選んだ相手はどこか輝宗に似ていると草から聞いた時は手放しで喜んだ。あの人のように穏やかな人なら楓も義姫のように成れると思ったから。
だが、ねねの文から読み取れる人物は輝宗とは真反対の頑固で幼さの残る人物のようだ。こういっては癪だが、どこか己と通ずるところのある人物のように思えた。そんな者のどこに惹かれるのか――義姫にはいっそわからなかった。だが、
「楓が頼り選んだ者じゃ」
記憶が無く、名しか持たなかった事はどれだけ心もとなかっただろう。
どれだけ怖かっただろう。
最上家が無くなった事で酷く心もとない気持ちを味わった事のある義姫にはそれがよくわかった。そんな時、優しく支えてくれた者に心添わせて何の不思議があろう。
「景綱、これも見や」
「これは?」
「――見りゃ分かる」
もう一部、義姫は自分の懐から文を取り出した。それはねねの文の内側に隠されるように畳まれていたものだった。それも開いて見て、今度こそ景綱は絶句した。
「猿からじゃ」
秀吉からの文をその一言で済ます義姫にも、その文の中身にも景綱は言葉を発することができなかった。ましてその中に書かれていた内容を、外に、しかも政宗に告げようものなら激高し手が付けられなくなる事が明白。
「妾はこれに是を返すつもりじゃぞ」
「しかしこれは政宗様にお知らせするべきでは!」
「・・・景綱や、お主はあの楓に妾のように大名の室が務まると思うかえ?」
「・・・」
「楓は妾の娘じゃが伊達の姫ではない。そのような者に大名の室は難しかろう。それ事が露見すれば、面倒臭い事この上ないぞ。ならいっそ、楓を欲してる輩にあげるのが良かろうて」
猿に借しを作るのも、また一興。
誰も居ないからと自分の言葉に豪快に笑う義姫に景綱は何も言い返せないでいた。景綱も楓に大名の室が務まるかと問われれば簡単に首を縦に振る事ができない。楓の事だ上手くはやるだろう。
だが、綻びは何時かは起こる。なれば、道中静かに涙を流していた相手に嫁がせてやれれば。景綱にとって政宗は主であり弟のような存在。ならば楓は――妹。後日、景綱は義姫から託された書状を己の配下に持たせ西へと走らせた。
――縁談が決まりました。
季節の挨拶と近況を記した文の最後はそう締められていた。
たった一通の文を何度も何度も何度も読み返し、三成はそれに火を灯そうとして端についた火を掌で消した。それを桐箱に入れ、人目のない時に幾度となく眺め蓋を閉じる。返事は未だしていない。
そろそろ寒峠を迎えようという時期、佐和山の城を本当に珍しく正則が訪れた。前触れもなしに訪れた彼に三成はいつも以上に嫌味を込めた挨拶をしたのだが、いつものように正則には伝わらなかった。
「――で、なんで来た」
「あーまー叔父貴からの伝言があってよう」
ちびちびと白湯に口を付けながら、そう正則は言った。
「秀吉様から?俺に?」
「ああ」
「それなら俺を呼びつけるなり文でもいいのに、よりによって正則が伝言役?清正ではなく?」
「叔父貴曰く、清正じゃ荷が重い。文は残るから駄目だとよ」
「は?」
「――よく聞けよ、伝言だ。年明けの戦、何が何でも戦果を上げろ、ワシ自ら報奨を与えられる程にな、だとよ」
「戦果?それが何になる」
「叔父貴それだけ伝言して来いだと。オレもわけわかんねーよ」
「…お前に聞いた俺が愚かだった」
年明け早々から小田原へ侵攻するのは内々に決まっていた事であり、治部少輔として今現在忙しく走り回っているのだ。その激しく忙しい時に正則のよくわからない伝言に時間を取られますます眉間の皺が深くなると傍に控えていた左近は深い深いため息を付くしかなかった。
かくして、秀吉の真意が分からぬまま年をまたぎ三成と左近は大坂城へとのぼり、広間に通された。そこには幸村や兼続が座していたので近づき挨拶を交わす。そろそろという時、一人が末席に座ったのに気づいた。政宗だ。夏の大坂で別れて以来顔を合わせど言葉は交わさなかった。そして今日も常のように言葉を交わすことは無く、先触れの声と共に己の席に座した。
深い雪をかき分けて奥州を出、大坂へとのぼるのは政宗にとって一苦労だった。新年挨拶の茶番など素知らぬ顔をしたい所だが、奥州仕置をされたすぐ後では外聞が悪いと苦労して足を運んだ。大坂城の煌びやかな広間に通され、一人末席に座った。
少し離れた所に見慣れた三人が居たが、声をかけはしなかった。三成がいるのだ。未だ目が合えば、底冷えする視線を向けられる。決して睨んでいる訳ではない。だがその視線が全てを物語っている。とんんだ悪役になったものだと政宗は肩を竦めた。
楓と三成を離したのは今でも正解だったと思っている。
友人としては稀有な存在だが、大切な大切な姉を任せられるかというと政宗にとっては否だった。身ひとつで苦労してきた楓を真綿でくるむ様に慈しめる、例えるなら父のような者に嫁がせたいと思っていた。そしてそんな者が意外と近くに居る事を知ったのは、奥州に帰ってすぐの事だった。そんな者がいるなら、と楓の存在を匂わせてみればそれにすぐに食いついてきた。政宗が自治する場所ではなかったが、奥州を隣にする地。伊達に連なり、しかもねねの覚えも目出度いという姫は直ぐにでも迎えたいと返事をもたらすには充分だった。
すぐに返事をしては侮られると雪がちらつきはじめる時期まで返事を伸ばし、是の答えを与えた。
それを楓に告げると笑顔を崩さぬまま分かりました、とだけ返事があった。流石にその時は罪悪感を覚えたが、だがそれも一時のものだと思っていた。半年もすれば三成の方は新しく女をつくるだろうと思っていたのだ。
だが、時折草をやってみてもその様子はなく商売女すら傍に寄らせないと報告を受けた時には馬鹿な報告をするなとその草を切ってしまった程だ。終いにはただ一通、楓が送った文を大事に閉まっていると聞いた時は戦慄した。しかし、奥州と佐和山。距離と時間が解決してくれるだろう、そう政宗は思っていた。
「よう皆集まったのう」
「あけましておめでとう!今年も頼むよ!」
豊臣の夫婦は相も変わらず仲良く登場し上座に座り、らしい挨拶をした。堅苦しい場は苦手とばかりに以降無礼講となり、近しい者たちから挨拶を済ませ宴へとなだれ込んでゆく。政宗は新参のため挨拶はまだまだ先だと、出された白湯と菓子で暇を潰してゆく。名を呼ばれ一人秀吉とねねの前に座る。年若い領主に自然と皆の目が集まるのが分かる。
「久しぶりだね政宗」
「はい。関白とお台所様も御健勝で何よりです」
「んもう堅苦しいのはもう終わり。ねえ、楓は元気?」
「はい恙無く過ごさせております」
「なら良かった。あの子の事心配だったんだ」
ねねの元で女中をしていた楓だったが、先の事を思い行儀見習いに来ていた事になっていた。ただの行儀見習いなら特に関心を得る事はなかったのだが、楓がねねのすぐ傍に控えていた事を覚えっている者も多く重用され憶えも目出度いはずだ、と楓を求める文は段違いとなった。そしてこの言葉から更にその数は増えると政宗は確信した。
「竜の姫の話はこっちまでよう伝わってくるぞ」
「秀吉様に関心を持っていただけるなど、誉の極みにございます」
「そうじゃな。あの娘はとても良い器量をしとったからな。惜しい事をした」
「秀吉様・・・」
秀吉の女癖の悪さは天下一品で毎度ねねが悋気により癇癪を起こしているのは有名な所だ。伊達が原因でそんな事になってしまっては面倒だとわかりやすく政宗が顔を顰めると秀吉は逆に笑みを深めた。
「のう、楓はどこかに輿入れしたかの?」
「いえ、まだ・・・」
「ふむ・・・そうじゃ!」
「お前様?」
「楓、ワシにくれぬか?」
図ったように静まり返る広間。衣擦れの音一つしない。
「どうじゃ?なら、今回の仕置き少し譲歩してやってもええぞ」
「楓の身ひとつにそのような」
「それぐらいの価値があろうて」
「そのような。秀吉様は買いかぶり過ぎます」
「伊達のいちの姫で輝宗殿と義姫の娘御じゃ。竜の姫は奥州の宝じゃろう」
ここで否と答えてしまえば政宗自らが伊達を奥州を見下したと捉えられる。
だが是と答えれば豊臣は伊達に重きを置いていると捉えられる。どちらに天秤が傾くかなど明白なれど政宗は自らの口から是の言葉を吐き出すのに大変な労力を使った。
ざわめく広間を早々に後にした主の後を左近は追った。
「殿」
「漸く合点がいった。左近、先の戦で誰よりも戦果を取るぞ。――誰よりも、だ」
口元を緩ませる三成を左近は見留め、己の口角が上がるのを感じながら了解しましたと答えた。