「あなたが、父の育てていた魔術使いだと知ったのは、今から二年ほど前のことよ」
紅茶の入ったカップがすべすべしたガラスの机に置かれた時に生じた無機質な音が、静寂に慣れた鼓膜を鋭く揺らし、すこしビクリとなってしまう。
「2004年の聖杯戦争。戦争が終結した後、生き残っている数少ないマスターの中でも、特に幼く、そして謎に包まれていたマスター。ねぇ、あなたは何を知っているの?」
そんなことを言われても、俺にとっては見当も付かない。
だって、その聖杯戦争の記憶というのは、ほぼないのと同じなのだから。
「俺は、その聖杯戦争のことはほとんど覚えていません。唯一、覚えていることといったら、自らのサーヴァント?の名前と容姿くらいです」
「なるほど、ね。父の残していた手記の通りだわ……それじゃあ、その、あなたの覚えているサーヴァントの名前を教えてもらってもいいかしら?」
「……はい。そのサーヴァントの名前は、ァ」
喉元から搾り出すように俺は、唯一覚えているその名前を告げようとする。
だが
「オルガマリー所長、そろそろお時間が……」
「ん。そうね……では、また後でゆっくりと話を聞かせて貰いましょうか?桜峰千景君?あぁ、それと、その部屋から出ないように」
オルガマリーは、そう言葉を吐くと、近未来にあるような自動ドアから、白い戦闘服のような物を着た若そうな女性と共に、廊下へと出て行った。
……疲れた。
やはり慣れないようなことをするものじゃないな…。
すこし、眠るか。
ほんの、すこしだけ。
黄昏の塔。
空は茜色に染まり、飴色の煉瓦で彩られたここをより深く影に侵食させる。
もう、あの人はいない。
そこにはただ一人だけ、そこには
だが、女は瞼をゆっくりと上げるとその青色の目をあらわにして、かすかだが桃色に反射させた唇を歪め、ゆっくりと口を開いた。
『やっと見つけた。愛しい人』
刹那、耳に轟音が響き渡った。
慌てて飛び起きると、なぜか視界が真っ赤に染まっている。
しかし、すぐにそれは人工的な色だという事が理解できた。
だが、拳銃は生憎取り上げられているので、まずはガラスのテーブルへと丁寧に置かれているグラスを近くの壁に当てて叩き割る。
耳障りな音が出るが、それに耳を傾けている暇はない。
急いで散らばった破片の中でも特に大きな破片を拾い、ひとまずの護身具を手に入れたので、焦りながらも慎重に扉へと向かい、扉が開くか確認する。
「よかった、生きてたか」
幸い、扉は俺を感知してウィーン、と電子音を立てながら廊下への通路を開いてくれた。
破片を手放さないように持ちながら、脳を逆なでするアラーム音と、目を赤色に染めていく光にまみれた廊下を手当たり次第にまっすぐ進む。
「おい!誰か!」
返事はない。
ひたすらにアラーム音が木霊するだけである。
これは非常に危険だ。
されど立ち止まる訳にもいかず、ひたすらに俺はまっすぐ廊下を駆けた。
強く握ったガラスの破片がわずかに肌へと食い込み、そこから鮮血を垂れ流していくのか分かる。
ジンジンとした痛みが神経を刺激して、いますぐ手当するように脳へと訴えかけていた。
扉が見える。
重厚そうな鉄の扉だ、もしかすれば、あそこに生き残った人がいるかもしれない。
ーーー瞬間、俺の視界が白く染まった。
何かに打ち付けられるような感覚とともに、俺は無様な音を立てて床へと投げつけられた。
体が熱い。
ただれるように熱くて、全身の骨が折れたような激痛が体中を駆け巡る。
口からも鉄の味がする何かが反射的に喉を昇って吹き出されて。これは、もしかして人生の終わりなのだろうか?
あぁ、そうか。畜生、短い人生だったな……なんて。
「納得、できるわけないだろうがぁぁ!」
力無い声を必死に傷んだ喉からひりだされる。
俺は、行かないといけないんだ。まだいるであろう人を助けるために、死にそうな人を助けるために。偽善でもいい!だから、だから俺はぁ!
『「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」』
ふと、見知らぬ声が俺の頭に響く。
不思議と、俺はその声を復唱しており。
『「降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」』
『「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)」』
喉が、鼻が、血で溺れそうになる。
でも、その声が、俺には希望に聞こえて。
『「繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」』
その声が、俺にばあの人゙の声に聞こえてしまって。
その優しげな声が。
『「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」』
もし、この声が悪魔でも。
それでも、今この願いが叶うなら。
『「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に」』
『「我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」』
俺は、今、この時。
この偽善を満たすためなら、悪にだってなってやる。
『「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」』
力が、残った力が身体から抜けていく。
されど、俺は最後の力で踏ん張って、血の溢れ出る喉の奥から声帯を大きく震わせた。
「―――神がおわしめすならば、 私には必ずや天罰が下るでしょう――― 。この暗黒面が、いてはならない聖女の側面が……一人の者を愛したのですから」
燃え盛る廊下にて、その女はなおも所々が赤く燃えているくすんだ銀色の鎧、火で焼かれ朽ちたかのようなマントをはためかせ、その唇を三日月のように歪ませて、狂ったように微笑んだ。
原作のあの方とはすこし違った人です。
場合によっては、オリジナルになるのかもしれません。