すれ違いcommunication 作:empty
「あら、ナギくんじゃない!」
競技場内の店でドリンクを買っていると、後ろから声をかけられる。よく知った声で誰かは分かるものの、一応のため振り向いて確認をする。
頭につけたカメラ付きヘッドセット、腰のポーチからのぞく筆記具。肩に乗ったエレキテルとともに笑いかける大人の女性。
「パンジーさん」
「久しぶりね! ミアレで迷子になった時以来かしら?」
「いや、別に迷子になったわけでは」
「今日は一人?」
「え、いや、あの」
「もしかしてデートだったり?」
「いえ、いつもの五人で」
「ああ、プラターヌチルドレンね」
みだれづきのような矢継ぎ早な質問。ウインクをしてくるパンジーさんに、とりあえず苦笑いで返す。この人の職業上、パンジーさんは苦手なタイプの人だ。
ミアレ出版。カロス地方のポケモンバトルの専門誌だったり、ゴシップ誌だったり、様々な種類の雑誌を出している出版社。その出版社に勤める記者の一人がパンジーさんだ。
「じゃあ、自分は戻りますんで」
「あ、待って!」
購入した炭酸飲料の入った紙コップ2つを両手に持ち、席へと戻る俺。それをパンジーさんは追いかけてくる。横目で見ると、ちゃっかりボイスレコーダーをオンにしている。
「やっぱりVIP席なのよね?」
「……そうですけど」
「奇遇ね、私もなのよ!」
ニコニコと笑うパンジーさんが肩を揉んでくる。痛い。それと炭酸が溢れそうで冷や冷やする。
VIP席。今回のサイホーンレースの最大の目玉である、伝説のレーサー・サキの復帰。そのサキの一人息子が招待されるのは至極当然な話なわけで。そしてミアレ出版入社当時からサキを取材しているパンジーさんはその一人息子が誰なのかをもちろん知っているわけで。
要するに旧知の仲、というやつである。
サイホーンレーサー、サキ。女性でありながら男性レーサーに負けることなく、むしろサイホーンレースの最前線を突っ走ってきた彼女はカリスマ性も高い。働く女性たちの憧れなんだそうだ。だから、パンジーさんはその取材を続けている。そしていつの間にやら母さんとは友達みたいな感じになっているようで、彼女もVIP席。
「ナギくんは今回の復帰戦のこと、前から知ってた?」
パンジーさんからの質問に、首を横に振る。
「いえ。一昨日知りました」
「サプライズだったわけね!」
ふんふんと頷きながら、パンジーさんが手帳にメモを取る。……そんなことをメモして、いったいどんな記事にするつもりなのか。
観客席に入れば、一気に耳をつんざくような歓声が聞こえてくる。レースの開始時間は着々と迫っており、観客のボルテージもますます上がってきている。
サイホーンレース。サイホーンレーサーたちがサイホーンというポケモンに乗って行うこのレースは、カロス地方では絶大な人気を誇るスポーツだ。その人気は凄まじく、ミアレ出版から専門誌が出ていたりもする。また、聞くところによれば賭博も行われているのだとか。
「あら。あれ、もしかしてナギくんじゃない?」
会場に入るなり、パンジーさんがスクリーンを指さす。巨大なスクリーンに表示される大会主催のフラダリラボのCM。最近流行りの、人気女優カルネさんを起用したホロキャスターの宣伝だ。たまたま撮影現場に居合わせていて、エキストラで出演している。といっても、カフェ・ソレイユでお茶をしているだけなのだが。
「素敵なカフェ。ソレイユかしら。それにナギくんのお友達も美人さんね!」
「まあ、それはそうですが」
そう、カフェ・ソレイユ。このカフェの名前で真っ先に思い浮かぶのが、あの彼女からのライバル宣言。ちょうどその時なのだ、カルネさんとフラダリラボのトップであるフラダリさんと居合わせたのは。フラダリさんはプラターヌ博士——俺や彼女などの五人に図鑑を託した博士——の友人で、事前に面識があった。そのせいか、急遽エキストラとしてCM撮影に参加することになったのだ。
「あらまあ。CM出演なんて、ナギくんも有名人になっちゃうのかしら」
「そんなわけないでしょう」
ただ背景に映っているだけなのだから。美少女の彼女ならともかく、まさか自分が有名になるだなんてありえない。
パンジーさんとそんな会話をするうちに、自席にたどりつく。迷うことなく、金色のポニーテールの隣に座る。彼女は振り向いた。
「お隣さん、遅いじゃない」
若干の苛立ちのこもった声で、彼女は言う。そしてパンジーさんを見て、今度は明らかに目を吊り上げてこちらを見る。
「ナンパでもしてたのかしら」
「違うから!」
「どうかしらね」
彼女に買ってきたドリンクを一つ手渡す。彼女は朝からこんな感じ。ツンツンしている。少しでも機嫌を直そうと思って飲み物を買いに行ったものの、まさかの裏目。と、後ろから笑い声が聞こえてくる。
「ナギくん、面白い子ね。もしかして、この子もプラターヌチルドレン?」
「そうですよ。アサメタウンのセレナ」
彼女をパンジーさんに紹介すると、今度は彼女がこちらに尋ねる。
「この人は」
「ミアレ出版のパンジーさん。母さ……サイホーンレーサーのサキの追っかけさんだよ」
「将来はその息子さんも追いかけるつもりなんだけどね」
パンジーさんの補足に彼女は頷く。
「たしかに、お隣さんには才能がありますね」
「でしょ。絶対に良いレーサーになれるわ!」
パンジーさんの言葉に、彼女は顔をしかめる。
「レーサー? チャンピオンではなくて」
「もちろんよ! あのサキの息子なんだから、サイホーンレーサーにならずして何になるの」
「……?」
彼女が一瞬、こちらを見るのを感じた。俺はただ黙って、競技レーンの周りを歩くサイホーンたちを眺める。競技用に生まれ、育てられたサイホーンたち。
別に初めて聞いた文句ではない。むしろ常套句と言えるだろう。親がなんとかだから、その子どもも。今まで何度も聞いてきた言葉である。もちろん、自分にはサイホーンレーサーになる気なんてさらさらなく、ただの社交辞令、そういう類のものだ、そう言い聞かせてきたわけだが。
「小さい頃からサイホーンと過ごしているんでしょ、ね?」
「それはまあ、そうですが」
親から譲り受けたもの。親から与えられた環境。やはり、他人とは違うのだろう。フラダリさん的に言うなれば、選ばれた存在だろうか。
フラダリさん。あのホロキャスターを開発したフラダリラボのトップであるが、カフェ・ソレイユで会った時に語っていた。選ばれた存在は、その選ばれた役目を全うしなければならない、と。女優であるならば、命ある限りその演技で人々を魅了し、富を持つ者はその富を人々に与える存在となるべきである、と。であるならば、サイホーンレーサーの息子で幼い頃から親に教わっていた人物は、サイホーンレーサーになるべきではないのか。そういう考えも生じる。与えられたのだから。選ばれたのだから。
けれども、自分はそれを望んでいない。じゃあ何になりたいのかと言われればそれはそれで返答に困るが、サイホーンレーサーになりたいわけではないのだ。
ふと、隣の彼女に目がいく。彼女は親が手練れのトレーナーだと聞く。四天王の親戚もいたはずだ。そして彼女は今、ポケモンリーグ制覇を目指している。
「ところでナギくん」
「はい?」
「今日は五人組で来たのよね? 他の三人は?」
「一般席にいますけど」
「あれ、でもセレナちゃんはここに……ああ」
ニヤリと笑みを浮かべるパンジーさん。ついでに肩のエレキテルも。ヘッドセットのカメラが一瞬、点滅した気がしたのは気のせいか。
とにかく、パンジーさんの思考は読めたわけである。
「私、お邪魔だったかしら?」
「「そんなことありません!」」
「あらハモった」
パンジーさんからの指摘。思わず彼女と顔を見合わせ、そして頰が火照っていくのを感じる。向かい合った彼女の白い肌にも赤みが差していて——
「お似合いよ、お二人さん」
「「だ、だから……!」」
またしても重なって聞こえた二人の声。つい口を噤んでしまい、炭酸飲料を入れた紙コップに手を伸ばす。炭酸を一気に飲み干し——
「かはっ!?」
つい最近、どこかのカフェで味わった喉の痛みが再来。一方、隣の彼女も慌てて口まわりを拭いている。吹いたのか。……別にかけてないけども。
「あら、セレナちゃん。よく見てみたら、あのフラダリラボのCMにナギくんと一緒に映ってる子じゃない! ということは、やっぱりあれはデートで今日も……」
「違います、違いますから!」
パンジーさんを必死に止める。そろそろ周囲の他の客からの視線が痛くなってくる頃。一応にもここはVIP席なわけで、あまり大騒ぎすべき場所ではないのだ。
「他の三人はですね、すでに一般席のチケットを買ってしまったらしくて。それで今回はそちらでいいと」
「でも、VIPがタダなのよ?」
「それは……」
返答に困る。もちろん、さっきの話は作り話でなく、実際にサナにそう断られたのだ。しかし、そう言われればそうだ。一般のチケット代でVIP席に座れると考えても良い。彼らはなぜ、VIP席を断ったのか。
「席によっては一般の方がよく見える場所もありますし」
理由づけに困っていたところ、隣から助け舟が出る。なるほど、言われてみれば確かに。視界が広くて会場全体が見渡せるのは良いのだが、少し遠いのだ。
「ふぅん……。まあ、それもそうね」
納得したのか、パンジーさんはそれ以上追求してこない。ホッと一息つき、炭酸を飲もうとしたところ、容器が空であることに気づく。
「ちょっと売店に行ってきます」
立ち上がろうとした瞬間、パンジーさんに肩を押さえつけられる。パンジーさんはやはり、ニヤニヤとした顔をしている。
「私が奢るわ。お二人さん、ごゆっくり」
弾むような足取りで離れていくパンジーさん。その背中を見つめながら、徐々に顔の温度が上昇していくのを感じる。パンジーさんにあんなことを言われた後に二人で残されるのだから、それは意識してしまうというもので。
賑やかなスタジアムの中で、ただここだけが沈黙。観客たちの歓声がどこか遠くの出来事のようで、全神経は隣に座る彼女の動向に向けられている。それはもう、彼女の少し早まっている呼吸音が聞こえるくらいには。
——彼女は何を感じているのだろう——
続く沈黙。のしかかる気まずさ。言いようもなく胸を圧迫してくるこの感覚に、カラカラになった口をやっとの思いで開く。
「あの——」
「レディースアンドジェントルメーン!」
拡声器を通した司会の声が耳をつんざく。