すれ違いcommunication 作:empty
パンジーさん。ミアレ出版に勤めるというキャリアウーマンが残していったものは、お隣さんとの二人きりの時間という爆弾。
別に二人きりということが問題なわけではない、と思う。昨日もカフェで二人きりだったのだから。問題なのは、パンジーさんが投下したとある言葉で。
『お似合いよ、お二人さん』
思い出すだけで、顔が火照ってくる。そして、その言葉を意識してしまっている自分を思うと、さらに羞恥が増す。自分と彼とはただのライバル関係で。そんな恋愛関係なんて、一切ないのに。年頃ということなのだろう。
気になるのは、隣に座るお隣さん。彼は今、なにを思っているのだろうか。気まずい沈黙の先、視線を向けたくても向けられない。この熱を帯びた頬で彼を見るのは、少々はばかられる。
VIP席。もちろん、周囲には他の観客もいるわけではあるが、空席もそこそこあり、二人きりっぽい雰囲気。今ここにいないサナたちのことをほんの少し、恨めしく思う。
サナ。今朝方見た、友人のあの好奇心やら期待やらが入り混じった笑顔がまたしても思い出される。
ポケモンセンター内の食堂。女子二人でガールズトークと称し、サナと二人で朝食を食べていた時のこと。
『サナたちは一般の席でいいよ! 二人で仲良くね!』
とんだおせっかいである。というより、トロバやティエルノはそれで良かったのだろうか。どう思い返してみても、サナが二人の確認をとったという記憶はない。
……知らぬが仏とはこういうことなのか。
ふと、スタジアムの巨大なスクリーンが目に入る。そこに映し出されているCM。あの人気女優カルネさんが出ている、フラダリラボのホロキャスターのCMだ。そして画面の端の方に映る、私と彼。
当時はなにも思わなかった。ただ、同じテーブルに座ってコーヒーを啜るだけ。そう、それだけ。特に意識することも特別なこともない、はずなのに。今になって、そのCMを見るだけで内心ドキリとする。この感覚はなんなのか。あれだろうか、テレビに映っているという緊張。もしくは、なんだか恋人同士のように見えることからくる羞恥。
サナがあのCMを見たら、何と言うだろう。友人の小悪魔めいた顔が容易く想像できる。そんなことを考えていたら、突然、耳に拡声器越しの大声が響く。
「レディースアンドジェントルメーン!」
レーストラックの中央、特設ステージ。カメラマンや大会スタッフが集まるその場の中央、やけに目立つ白い燕尾服の男が、拡声器を持ちながら手を振っている。スクリーン上にも同じ男がどアップで映し出される。薄い髪、ちょび髭、小さいメガネ。
「いよいよ開幕、フラダリラボ主催サイホーンレース・フラダリ杯!」
観客がドッと湧く。その静まりを待ってから、司会は挨拶を済ませる。
「そしてこちら! 今回の大会主催者、フラダリラボのトップであり、あのホロキャスターの開発者。フラダリさん!」
司会の紹介とともに、カメラが映し出す大柄な男。カエンジシのごとく燃えるような紅い髪。揺るぎない強い瞳。ビシッと着こなした黒いスーツ。彼こそがフラダリラボのトップ、フラダリさんだ。
「みなさん、こんにちは。フラダリです。今日はわざわざ来てくれてありがとう。今回わたしがこのような大会を開催する理由は——」
「お待たせ。どう、イチャイチャできたかしら?」
「ぱ、パンジーさん!」
ニヤニヤと笑いながら、私の隣に座るパンジーさん。ナギくんに、と言いながら私にドリンクを手渡す。
「セレナちゃん、一口飲む?」
「飲みませんよ……はい、お隣さん」
「ありがとう」
「それにしてもフラダリさん……すごい人よね」
スクリーンを眺めながら、パンジーさんが呟く。
「ホロキャスターを作った人ですよね?」
「それだけじゃないわ。彼は彼の理念を掲げて、フラダリラボで得た利益を使って様々なことをしているのよ」
「それってトレーナーの支援とかですよね」
聞いたことがある。フラダリラボは得た収益から、無償でポケモントレーナーたちに支援を行なっているのだとか。ボールやきずぐすりなどのトレーナーグッズの提供、他にもポケモンセンターやポケモンジムといったトレーナー施設の運営にも力を貸していると聞く。
「それだけじゃないのよ。トレーナーだけでなく、フラダリさんはいろんな分野で活躍する人たちをサポートしているわ。ポケモンの研究界、映画業界、そしてサイホーンレースの業界もね。今回のサキの復帰だって、フラダリさんの支援あってこそなんだから」
「母さんの……」
「もちろん、私たち出版業界もね。素晴らしい人よ、フラダリさんは」
スクリーンに映し出される、その人を見る。マイクを片手に、熱く語るフラダリさん。胸を張り、拳を力強く握るその姿はカエンジシのような髪型同様、見る人にインパクトを与える。
「サイホーンレーサーは観客に夢を、希望を、感動を与える。素晴らしいじゃないですか! たとえば伝説のレーサー、サキ。彼女は美しく、気高く、強い。そんな彼女には永遠に輝き、人々に感動を与えてほしい。それが私の願いでもあるのです。そして、それは選ばれた人間のすべきことである、そうは思いませんか!」
「口説いているのかしらね」
クスクスと笑うパンジーさんに、お隣さんは苦笑いを浮かべる。
「さすがにフラダリさんが父親なのはちょっと」
「モテるわよね、サキは。この前なんて、プラターヌ博士にラブレターをもらったなんて言ってたわ。セレナちゃんは、会ったことはあるの?」
「一度だけ。綺麗な方でした」
「そうよね」
初めてお隣さんに会ったあの日。家の奥の方から、彼を見送るサキさんを見た。くせっ毛のあるショートカットの似合う、かっこいい女性。そんな印象だった。もちろん、サイホーンレースの映像なら何度も見たことがある。現役で走っているところは見たことがなくても、そこらじゅうでサイホーンレーサー・サキの映像は溢れている。それでも、実際に見るのとでは全然違う。
なにより美人だった。顔立ちは整い、サイホーンレースで鍛えていたためかスタイルも良く。だからその息子である彼がそこそこハンサムなのも頷ける。
「もうそろそろ、始まるわね」
パンジーさんの言葉に、ステージの方を見る。フラダリさんは挨拶を終えてステージを去る。ほぼ同時に、あの白い燕尾服の司会者が声を張り上げる。拡声器でさらに拡大された、もはやばくおんぱとも言える声が、広い会場に響き渡る。
「ではいきましょう。皆さんお待ちかね、選手たちの入場ですっ!」
切り替わるカメラ。入場口から何体ものサイホーンが、そしてそれに乗る騎手たちが競技場内へと入ってくる。ハイパーボイスのごとき歓声が耳をつんざく。
なかでも、こげ茶のショートカットに大きめの黄色いヘアピンをつけた女性の姿が見えた途端、観客のボルテージは一気に頂点に達する。
「サキぃぃぃ!」
「サキさまぁ!」
「レジェンドォー!」
堂々と闊歩するサイホーンに跨った女性。細いながらも十分に引き締まった身体。片手で力強く手綱を握り、もう一方の手を笑顔とともに振る。彼女こそが、伝説のサイホーンレーサー、サキ。彼女が手を振るたびに、その方向からどっと歓声が湧く。
彼女の人気ぶりは、この熱の冷めない観客たちの様子からわかるだろう。鳴り止まない黄色い声。飛び交う指笛。司会も次へ進めるのに一苦労をする。
「あー、あー。ごほん。それでは選手紹介に移りましょう」
順に紹介されていくレーサーとサイホーン。一人一人に野次や歓声が飛ぶのだが、やはりあの伝説のレーサーの番になると一際盛り上がる。
「頑張ってぇー!」
「サキさまサイコー!」
「優勝頼むぞっ!」
「すごいな、母さん。ファンがこんなに」
ポツリと、隣から声が漏れる。お隣さんはスタートラインに並ぶ選手をどこか遠い目で見つめている。
「お隣さん、知らなかったの?」
「うーん、知ってはいたけど。実際見聞きしてみると、やっぱり次元が違うんだなぁ、って」
「あら、ナギくん。あなたも将来、ああなるかもしれないじゃない?」
パンジーさんの言葉に、お隣さんは苦笑する。
「ないですよ」
お隣さんは冗談と言わんばかりに軽く笑い飛ばすが、果たしてどうだろう。二人で輝きの洞窟に行く際、彼とサイホーンに乗った。レースでないといえど、その時のサイホーンさばきは素人目で見ても上手かった。軽々と岩を砕き、段差を飛び越え、素早く目的地へと到着する。あの技術は間違いなく母親譲りなわけで、才能と呼べるものなのだ。
「サイホーンレーサーになる気はさらさらないですし」
「もったいないわね。せっかく良い
パンジーさんの意見には激しく同意する。そうだ。それは誰にでもできることではない。親から与えられた才能。誰しもがもらえるわけではないそれは、選ばれた人間にしか与えられない。フラダリさんの言うように、選ばれた人間にはすべきことがある。それがその人の権利であり、定めであり、義務なのだから。
「さぁ、ままなくスタートです!」
会場が静まり返る。耳をすませば誰かの息を飲む音が聞こえそうなほどの沈黙。お隣さんの呼吸音も聞こえてきそうで。
スタートライン脇の電光掲示板が起動する。
一つ目のランプが灯る。サイホーンたちがダッシュの構えを取る。
二つ目のランプが灯る。握った手にじんわりと汗を感じる。
三つ目のランプが灯る。全てが止まった気がした。スタートまでの瞬間、誰もが息を呑む。
ランプの色が変わった。スタートの合図だ。サイホーンたちが一斉に動き出し————ズドンッ!!
宙を舞った。土が。人が。サイホーンが。スタート地点、そこにあったすべてのものが吹っ飛んだ。
突然の出来事。一瞬、会場が沈黙に包まれる。何が起きたのか。それを理解する前に、ポケモントレーナーとして身体は勝手に現れたポケモンを観察する。
土煙が晴れた向こうに見えたのは一匹の青いポケモンの姿。二本足で立ち、両腕の先は鋭利な爪。背中には切れ込みの入った背鰭。即座に名前が浮かんでくる。マッハポケモン、ガブリアス。
なぜ、あんなポケモンが。そんな疑問が生じるが、答えを考える暇はない。ガブリアスは観客のスタンドに向けて動き出した。
「きゃあああああああああっ!」
誰かの悲鳴。それを皮切りに、全てが動き出す。
「な、なんだっ!?」
「爆発!?」
「いやあ! 人が倒れてる!」
「に、にげろ!」
パニック。客席が揺れる。隣の席のパンジーさんが立ち上がる。
「あなたたち、避難を……ナギくん!?」
ヒステリックな声に、思わず隣を振り向く。お隣さんが座っていたはずなそこは、空席で。
いくつかの席を過ぎた向こう、通路の手すりに一人の少年が飛び乗るところが見えた。スニーカーの裏にはアタッチメント式のローラースケート。
まさか、と思う暇もなく。彼は下り坂となっている手すりを滑走しだす。
「お隣さん!」
叫んでも、その声は周りの喧騒に掻き消される。彼の返事は来ない。代わりに聞こえてきたのは、何かを呼ぶ指笛の音。甲高いそれはあたりに響き渡る。
と、一匹のサイホーンがこちらの方へと駆けてくる。瞬時にわかった。あれはきっとサキさんのサイホーンで、それでお隣さんは——。
客席から一人の少年が、空へと飛び出した。