逢魔ヶ刻。もうすぐ日が沈み、昼と夜が移り変わろうとする時刻。黄昏時。どこかひんやりとした怪しい雰囲気が漂う閑静な住宅街を、少年は独り、歩く。今日は適度に薄い雲が浮いた晴れだったからか、沈みかけている太陽が断末魔のごとく放つ強い茜色と、光の届かなくなりつつある空の暗い青、そして薄雲の白が入り交じり幻想的な色合いを作り出している。そんな風景をぼんやり眺めつつ歩きながら、少年は月並みだけど綺麗だななどと考えていた。
少年は学校の制服と思われる白い衣服を身に付けており、その制服の白が母譲りである少年の艶やかな濡れ羽色の髪と外見不相応の深みを感じさせる黒い目を際立たせている。
そんな少年のもとに遠くから駆けていく影が、一つ。その影は明らかに異形の姿をしており、自動車並みの速度から加速しながらぐんぐんと少年との距離を詰めていく。これほどの速度でぶつかれば、
少年との距離、あと五メートル。
異形の影は地面を蹴りつけ一気に距離を詰めんとする。
あと三メートル。
少年が振り向く。もう遅いと影は心のうちでほくそ笑む。
あと一メートル。
影が子供一人入りそうなその大きな口を開く。
そしてついに目の前の少年を喰らうと思われたその瞬間―――影は、唐突に
自らの出した速度による衝突の衝撃を一身に受けて、遠くに弾き飛ばされていく影。なんとか体勢を立て直し立ち上がるも、まだ少しふらついている。そして先ほど喰らうはずだった少年を睨み付け、異形は自分が弾かれた理由を悟る。いつの間にか刀字を切っていた少年の前には五芒星を円で囲んだような障壁が浮かんでいた。
「五行を表す
「そうだよ、妖怪。僕は祓い師。いや、正確に言えば祓い師見習い、かな」
「ハッ、何を見え透いた嘘を。儂はこれまで幾多の人間を喰ろうてきた。その中には祓い師もおっての。見習いからそれなりに名の売れたものまでおった。じゃからわかる。それは見習い程度が張って良い強さの術ではないわ!」
少年の言葉を妖怪は鼻で笑う。少年が張ったのは単純な魔除けの障壁。陰陽術の基礎である。たが術の行使に一切の無駄がなく、霊力も効率よくこめられている。
これまでも同じような術は受けてきたが、そのことごとくを先ほどの突進の威力で打ち砕いてきた。無論今のように弾かれたときもあったが、それはよほど強い相手や強力な術のときのみだ。
「いや、本当に見習いだよ。ほら、僕ってまだ子供だからさ」
少年は優しそうな笑みを浮かべて妖怪と言葉を交わす。先ほど攻撃されたというのにその姿には緊張や恐怖はなく、ごく自然体であり、まるで十年来の友に話しかけるような気安さがあった。
「これほどの強者がまだ見習い扱いとは、やはり人間は理解できぬ」
「ま、大人にも色々あるんだろうね。別にどうでもいいけど。ところでさ、君はこれからも人を襲う気かい?君たち妖怪は人を喰らわなくても暮らしていけるだろう?」
「そうじゃな。じゃが、霊力の強いものを喰らうのはやめられんよ。貴様のように霊力の強いものを喰らえばもっと強くなれるでな」
妖怪に食事は必要ない。人間の食事や酒を嗜好品とするものは多くいるが、それでも別に食べなくても存在していられるのだ。そしてさらに言えば、彼ら妖怪が皆人間を嫌っていたり見下しているということはない。人間社会に溶け込み暮らしている高位の妖怪も多少だがいるほどで、人間に否定的なものがいないとは言えないが、肯定的なものが多いのも確かなのだ。ならば、なぜ人間を喰らうものがいるのか…。答えは単純だ。人間を喰らいその霊力を吸収することで強くなれるから。そして獲物の霊力は強ければ強いほど良い。
少年は目を閉じ、開く。その目や表情には先ほどの優しさはなく、ただ目の前の敵に対する冷たさだけがあった。
「そうか…。なら僕は君を滅さなければならない」
少年のその言葉の直後、妖怪から妖気が溢れ出し、その体を包み込む。それがおさまったときには妖怪の体は二回りほど大きくなっており、牙や爪もより鋭くなっていた。
「オオオッ!」
うなり声と共に妖怪は飛びかかる。その爪はまっすぐ少年の首をはねようと狙っており、その速さは最初の一撃の比ではない。例え障壁を張ったところで槍のごとく一点に集中した力はそれを容易く貫くだろう。数々の祓い師と戦い、その全てを打ち破ってきた妖怪の繰り出す、死を予感させる一撃。それを目の前にした少年は、狼狽えることなく地に手をつく。
「土は金を生ず」
突如地面から刃が突き出され、飛びかかってきた妖怪の体を貫く。勢いが強すぎたがゆえに妖怪はそのまま止まれず貫かれたまま少し体を裂かれ、止まった。
『土生金』土を掘ることで金(鉱物、金属)を得られる。
「グッ!まさか基礎の技でこの儂の体を貫くとはな」
「すべては基礎から始まる。基礎の技でも突き詰めていけば高位の術にも負けない強さになるからね。使い勝手もいいし。僕も驚いたよ。本当はこの技だけで仕留めるつもりだったんだけど…。流石に多くの人を喰ってきただけあるね」
「一撃で瀕死にしておいてよく言うのう。そら、儂はまだ生きておるぞ」
「そうだね。それじゃあ次だ。金は水を生ず」
少年の言葉と共に妖怪を貫く刃が水となって溢れ出した。妖怪の足元に水溜まりができる。刃からは解放されたもののもう妖怪に動く力は残っていない。
『金生水』凝結により、金属の表面からは水が生じる。
「水は木を生ず」
水溜まりの水を全て吸いとり、木が生まれ、成長して妖怪を縛り付ける。
『水生木』水は木を育み、水がなければ木は枯れてしまう。
「これで終わりだ、木は火を生ず」
木が燃え始め、燃え盛る炎となった。そのまま消えることなく妖怪の体を焼き付くしていく。妖怪は断末魔の叫びをあげ、息絶える。
『木生火』木は燃えて火を生む。
「そして最後に、火は土を生ず」
妖怪が燃え尽きてもなお燃え盛っていた炎が消えていき、刃が突き出て傷ついたはずの地面がきれいに元通りになっていた。
『火生土』物が燃えた後には灰だけが残り、灰はやがて土に還る。
「これぞ五行の基礎、相生なり」
『相生』五行思想の一つであり、木・火・土・金・水の五つの要素がそれぞれ順番道理に相手を生み出していくという陽の関係。
「どうか、安らかに」
少年は五分ほど黙祷すると、再び家路を行く。あたりはいつのまにかすっかり暗くなっていた。
少年の名は御門晴希。陰陽術の使い手。現代を生きる