口に赤い鉄のマスクを着けた白装束の男『アオギリの樹』の幹部、タタラ。
足をブラブラさせて、いつになく楽しそうなエト。
喰種化施術の実験体として、嘉納が目に付けたライの誘拐に失敗して帰ってきてから、妙にエトはテンションが高い。
何かいいことがあった。これに気が付いているのはタタラを除けば『アオギリの樹』の幹部の1人、ノロのみ。
「ねぇ、タタラ。もし天使が現れて、『知恵の実』をくれたら、あなたは受け取る?」
エトを見ているタタラの眼差しは、他の『アオギリの樹』のメンバーには見せたことのないもの。
「俺には必要ない」
タタラの答えを聞いて、そうと呟いたエトは空を見上げた。
「彼が投げる知恵の実(りんご)は、この鳥籠に何をもたらすのかな……」
シャク、青森のリンゴを1つ手に取り、ライは齧る。
丁度、食べ終えたのを見計らったように、懐のスマホが震えだす。
青い色のスマホを取ってみたら、反応はない。ああ、もう1つの方かと、“跨ぐ”黒色のスマホに出た。
「やぁ、バトレーか、ふーん、そうか、もう少しで【柘榴】の量産体制に入れるのか。どうやら、ゼロが連れて行ったサンプルが役に立ったようだね。他の方の成果は―」
電話の向こうの相手は、ライに対して恐れを抱くと同時に、畏敬の念を持っている。
何度か会話を交わした後、黒色のスマホを切る。
今度は“こっち”でいつも使っている青色のスマホが振るえた。
オープンカフェに到着すると、呼び出した相手である上司の暁は、意外な相手、キジマ岸と一緒に座っていた。
「朝早くにすまんな」
横に座るように、暁は促す。
「何があったんですか?」
座りながら、呼び出しの理由を聞く。どう見てもデートの雰囲気ではない。
「この御仁がしつこくてな」
キジマ岸を指し示す。
「そんな言い方をされると、誤解されてしまいます。私は【JAIL】のことをお尋ねしていただけですよ」
ちなみに旧多は書類整理が長引いたという理由で、ここには来ていない。
「『人間オークション制圧作戦』の報告書を読ませてもらいました。総合すると【JAIL】が真戸準特等を助けてように感じまして。決して、あなたが喰種と通じていると言っているのではありません。ただ、日常生活のどこかで【JAIL】に会っているのではないかと、その相手に心当たりはないかと尋ねているだけなのです」
ハードな見た目に対し、あくまでソフトに聞く。
「答えは一緒だ、心当たりはない。会っていたとしても、誰が【JAIL】かは検討はつかない」
暁の表情は変わらない。本当なのか虚偽なのか、判断しずらい表情。
普通の相手なら、すぐに引き下がっただろう。しかし相手は『コクリア』で、兄と共に尋問官をしていた経験があり、兄の式は《削ぎ師キジマ》、弟の岸は《剥ぎ師キジマ》と呼ばれていた。そう簡単には引き下がらない。人間相手に非道な取り調べはしないが。
そこでライを呼んだのだ。
「キジマ岸準特等捜査官、僕の上司の真戸準特等捜査官のことを信じてもらえませんか?」
一応、笑顔ではあるが、異様な迫力があり、さしものキジマ岸も皮膚が残っていれば鳥肌が立っただろう。
「ご注文は何になさりますか」
そこにウェイトレスがお冷を持ってきた。
「アップルパイとアップルティーを」
「かしこまりました」
営業スマイルに、キジマ岸とは別種の天然キラー笑顔が炸裂し、頬を赤らめたウェイトレスが、慌てて戻っていく。
やっと、場の空気が緩やかになる。
「話はここまでにしておきましょう。今日のところは」
暁相手でも手強いのに、ライが加われば勝ち目無し。一旦、引き下がることにしたキジマ岸。
「お詫びに、ここのお代は私が持ちますよ」
「ねぇ、気が付いている?」
共に歩いている暁とキジマ岸に尋ねた。
「ああ、勿論だ。私はお前の上司だぞ」
「ほ、気が付いていたのですか。最年少で二等捜査官に昇進したのは、伊達ではなかったようですね」
暁とキジマ岸も気が付いていた。試しに人気のない路地を歩いてみても、反応は無し。
「なるほど――」
周囲を警戒しつつ、“相手”に気が付かれないように、ひっそりとライは話す。
広い公園。ちょうど、時間的に誰もいない。ライがたどり着いたら、待っていましたとばかり、ペストに感染した患者を扱っていた、鳥のような医師のマスク(ペストマスク)を被ったフード姿を中心にした、笑うドクロのマスクを被った一団が現れた。
「『アオギリの樹』か……」
懐から《夜桜》を取り出す。マスクの種類から、相手の正体が解る。
真っ先に襲い掛かってきた相手を《夜桜》で投げ飛ばした。放物線を描きながら飛ばされ、次に襲い掛かろうとしていた喰種の頭に頭がごっつんこ。あまり激しく衝突したので、精神が入れ替わっているかもしれない。
次々と襲い来る喰種。
赫子の攻撃を躱しながら、相手の目前に飛び込み、《夜桜》を開いて斬る。
すぅーと静かに自然に移動するライ、正面の喰種が羽赫を発射。
さらりと避けると、背後からの不意打ちをしようとしていた喰種に羽赫が命中。そうなるように誘導した。
同士討ちに、一瞬怯んだ喰種を斬り捨てる。
降り下ろされた赫子を《夜桜》を閉じて受け止め、足払いを掛けてひっくり返す。
「やれやれ、まだまだ、沢山いるねぇ、全部、倒すのは大変だな」
多勢に無勢、『アオギリの樹』もライの消耗を狙っている。
「1人だったら、ね」
途端、『アオギリの樹』の喰種の体が、上半身と下半身、二つに別れてしまう。
何だとと、メンバーが顔を向けた先には《フエグチ》を操る暁の姿。
驚く間など無かった。今度は左右真っ二つに裂かれる喰種。そこには意気揚々と、 チェーンソー型のクインケ《ロッテン フォロウ》を持ったキジマ岸が立っていた。
「真戸上等捜査官の勘の力は、兄ともども私も感服していましたが、娘にも引き継がれていたのですね」
ちょっと時間が巻き戻る。
何者かが、つけ狙っている。喰種捜査官を狙うものなど、喰種ぐらい。
そこでライ、暁、キジマ岸は、態々、人気のない路地を歩いてみても、襲撃してくる様子はない。
「なるほど、僕たちが1人になるのを狙っているんだ」
周囲を警戒しつつ、“相手”に気が付かれないように、ひっそりとライは話す。
「問題は僕たちの中で、誰が狙われているか……」
ライ、暁、キジマ岸、3人の中で狙われているのは誰か?
「私でしょうな、私には心当たりが多すぎますので」
何体もの喰種を解体してきたキジマ岸。尋問官としては《剥ぎ師キジマ》と呼ばれる。
喰種に狙われても、おかしくはない。
「いや、狙われているのはキジマ準特等ではない」
即刻、暁は否定。
「狙われているのはお前だ、ライ」
完全に断言。
「いかにして、私やあなたではなく、桜間二等か狙われていると?」
喰種に残酷なことをしてきたキジマ岸、暁も若くして準特等に出世したからには、数多くの喰種を討伐してきている。
キジマ岸、暁も喰種に恨みを買っていても、なんだ不思議ではない。
それに対し、最年少で出世したとはいえ、ライの喰種の討伐数は多くはない。
ならば何故、ライが狙われていると断言できるのか?
「私の勘だ」
3人は離れ離れになる。
本人の提案で、ライが囮になることに。
離れ離れになっても、相手に気づかれないように、すぐに駆け付けて来れる距離を保ちながら。
暁の勘が外れ、誰が襲撃されても、これなら時間をかけることなく、集合できるように。
ライ、暁、キジマ岸の3人が揃えば数の差など、簡単にひっくり返せる。
ドクロのマスクは全滅、1人の残った医師のマスクは逃げようとする。
「裂きっ、と」
そうは問屋が卸さない、キジマ岸は医師のマスクの両足を切断、逃亡を阻止。
「キヒヒヒ、あなたにはたっぷりと喋ってもらいますよ」
歯をむき出して笑う、とても楽しそうに。
狙われたライも、一緒に『コクリア』へ。キジマ岸の尋問にも付き合うことになる。
部屋に並べられた尋問のための“道具”に素顔を晒した医師のマスクは青ざめ、ガクブル状態。
「さて、最初はどれにしようか……な」
意気揚々と《剥ぎ師キジマ》の本領を発揮しようとしていたら、
「どうして、僕を狙ったのか、話してくれるかな」
あくまで温和に優しく尋ねてみる。あくまで表面上は。
キジマ岸への恐怖、優しく訪ねてくれるライ。
「い、依頼されたんです。ピエロの仮面を被った男に、桜間ライを誘拐して届けてくれたら、大金を出すって」
あっさりすぎるほど、あっさりと白状。
「ほ、そのピエロの仮面の男が、桜間二等を狙う理由は何なんですか?」
やっとこを手に尋ねるキジマ岸。
「そこまでは知りません、ただ金さえもらえれば、オレたちはいいので」
べらべらと、ピエロの仮面の男の待ち合わせ場所まで話す。
兄とキジマ式と同じく、キジマ岸も“尋問”のプロ。医師のマスクが、すぐに口を割るのは解っていた。
でもまさか、“尋問”する前に口を割ってしまうなんて。
聞きたいことは聞けたけど、キジマ岸にしてみれば物足りない。
「一応、待ち合わせ場所には行ってみますが、無駄でしょうな」
相手だって馬鹿ではない、既に誘拐が失敗したことは悟っているだろう。
「桜間二等、狙われることに心当たりは?」
「さぁ」
恍けるライ。
「そうですか、今後も狙われるかもしれませんので、ご注意を」
ライが手にしたチェスの入ったカバンに目をやる。
「それは?」
「ちょっと、約束がありましたね」
SS層、チェスの対局をするライとドナート。
ガラス越しなので、ドナートの駒もライが動かす。
「狙われたのかね」
「ええ、『アオギリの樹』に」
駒を動かしながらの会話。
「嘉納が、一枚噛んでいるのは察しが付くんだけど、直接『アオギリの樹』ではなく、ピエロの仮面の男を介してっているのが変でね」
喰種化施術の実験体として狙っているのは、もう解っていること。
今、嘉納は『アオギリの樹』に身を寄せている。
「今回、君を狙ったのは嘉納の独断ということか……」
2人分の駒を動かすのは大変なのに、会話をしながらもドナートの指示する位置に駒を間違えることなく、進めていく。
「ピエロの仮面の男、つまりは『ピエロ』と嘉納は繋がりがあったってことかな」
ドナートの反応を待つ。
「『ピエロ』のメンバーは、それぞれ、単独の目的で動くこともあるからな」
ぱっと見は大した反応の変化は見られない。
「それにライくん、君のことだから、見当は付いているのではないかね」
「さぁ、どうでしょう」
チェスの対局の姿をした腹の探り合い。
「やれやれ、ライくん、君は本当に恐ろしいね。この後、私がどんな手を打っても14手目にはチェックメイトを掛けられてしまうではないか」
素直に負けを認める。
「もう一勝負どうですか?」
「いや、遠慮しておこう、もう十分だよ」
席から立ち上がり、“殆ど”の人に腹の内を悟れない表情を浮かべた。
「実に楽しい時間を過ごさせてもらったよ、ライくん」
将棋はやったことはあるのですが、チェスはないので、よくルール解らないんです。