萌えっ娘もんすたぁ ~遙か高き頂きを目指す者~   作:阿佐木 れい

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あの人が登場するわけで。
少しだけオリジナル要素が強くなってきたかもしれません。



【第十四話】タマムシ――向かい合えない弱さ

 カラカラと別れて、俺たちは一路タマムシシティへと向かっていた。

 シオンタウンから西へ続く八番道路を歩いていけばすぐに地下通路が見えてくる。地上を真っ直ぐ更に西へと行けばそのままヤマブキシティへと入れるが、現在は封鎖されていて入れない。なので、俺たちは迷う事なく地下通路を選んだ。

 知っている道なので迷わず進む俺に、隣を黙って歩いていたリゥは呟いた。

 

「何かいつもより迷わず進んでる」

 

「まぁな」

 

 俺とは目を合わせようとしていないが、俺が前を向くとチラチラと視線を向けられているのが何となくわかる。

 気まずい気持ちはわかるので、俺は努めて普通の声音と態度を保つ。

 

「昔……って言ってもほんの一年程前までだけどな。この辺りにいたんだ」

 

 若き日の青春ってやつだろうか。

 当時を思い出すと忘れたくなると同時に笑みが浮かぶ。今なら昔を懐かしむ老人の気持ちが少しはわかるかもしれない。

 

「岩山トンネルの前で会ったゴツいおっさんいただろ? あの人とも知り合ったのがタマ

ムシだ」

 

「ふうん」

 

 それっきりリゥは前を向いたようだった。

 しばらく無言の時間が過ぎ、言うか言うべきか迷っていた俺は、結局口に出す事にする。

 

「昔はさ、俺も荒れてたんだよ」

 

「は? 今もじゃないの?」

 

「昔は!」

 

 嘘つけと俺を半睨みしているリゥの視線が訴えてくる。

 おかしいなー、今は紳士なお兄さんなのにおかしーなー。

 

「あー、それでだ。何していいのか全然わかんなくてよ、でも何かしなくちゃって想いばっかりあってな」

 

 だけど。

 そんな俺をつなぎ止めていたのはたった一言だった。

 あの時、あの場所で――言われた言葉を俺は生涯忘れないだろう。

 

「お前にトレーナーは無理だ。向いてない」

 

 出来るだけ似せたと思った声音は、自分で聞いていて酷いものだった。レッド達と同い年くらいの時に面と向かって言われたのだ。これから夢を目指そうって思ってる子供にとってショックなはずが無かった。

 はっとして振り返ったリゥに苦笑を浮かべて告げる。

 

「そう言ったのは爺さんだ。お前も知ってるだろ? マサラタウンで助けてくれた、オオ

キドの爺さんだよ」

 

 思えば、夢ばかり見ていた俺が一番最初にぶち当たった壁だ。

 そして今でもまだその壁は乗り越えられていない。ずっと……ずっとしこりのように張り付いたまま錆びる事無く俺の胸を貫いている。

 

「うん、何となく覚えてる」

 

 何となくだってよ、爺さん。泣くな、涙拭けよ。

 

「でも俺は――諦められなかった。憧れていた人は俺にとって大切は人だったから」

 

 今でも目を潰れば鮮やかに思い出せる。

 沸き起こる歓声の中、大きく手を振る姿が。

 厳つい顔に人なつっこい笑みを浮かべてまだ小さかった俺を抱き上げ、誇らしく立っていた姿を。

 

「だから俺は諦めない。何度壁にぶつかろうとぶっ壊してやる。どれだけ長い間立ち止まっても、また進んでやる。馬鹿な事繰り返してその度に怒られて――で、ようやくわかった理由なんだ、これが」

 

 夢を見るのに若いなんて無い。

 夢を追いかけるのに遅いなんて無い。

 

 ただ――追いかけるのを諦める事はしたくない。

 

 俺の胸にあるのはそれだけだった。

 チャンピオンになりたいわけでも、萌えもんトレーナーのトップになりたいわけでもない。

 

 ただ、倒したい。

 

 胸にある想いを突きつけてしまえば、そんな単純な願いだった。

 俺はどうしようもなく馬鹿で――本当に全くどこまでも男だったのだ。

 

 親父を乗り越えたいと。

 あの日夢見た大きな背中に自分も追いつき、追い越したいと――そんな男なら誰もが一度は願う事を今でも願っているのだから、これが馬鹿と言わずして何と言うのだろう。

 

「……その願いに」

 

 リゥは再び前を向き、

 

「私達――ううん、私を利用してるの?」

 

「……ああ」

 

 そうだ。

 俺はリゥを利用している。

 シェルもコンも……出会った仲間たちは大切だけど、俺自身の夢のために利用しているのだ。

 俺にはリゥの言葉を否定は出来なかった。

 

「私は強くなりたい」

 

「ああ」

 

「強くなって勝たなくちゃいけない人がいる」

 

「……ああ」

 

「でも――」

 

 その後に続く言葉は無かった。

 ただ、リゥは一度大きく深呼吸し、胸からグレーバッジを取り外した。

 

 ――強くなれない。

 

 バッジを手に背を向けるリゥの姿からは、そんな言葉が聞こえた気がした。

 

「リゥ……」

 

「返す」

 

 リゥはその場所から動かない。

 俺より前で背中を向け、バッジを手にした左腕を真っ直ぐに横へと伸ばし、俺が受け取るのを待っている。

 ほんの数歩。俺が二・三歩進めば近付ける距離だ。

 

 だけど、その極僅かな距離が絶望的なまでに遠い気がした。感じてしまった。

 情けない事にリゥからバッジを受け取る事さえも出来なかったのだ。

 

「――俺には受け取れない」

 

 何故なら、そのバッジこそは絆だったから。

 俺達が初めて挑んだジム戦でもぎ取った勝利だから。

 まるで――受け取ってしまえば俺とリゥの繋がりが消えて無くなってしまいそうで。

 

「わかった」

 

 そうして、リゥは握っていた掌を広げる。

 

「あっ……」

 

 握られていたバッジは重力に従って落下し、乾いた音を立てて地下通路に転がった。

 通路内に反響する音から逃げるようにして、リゥは歩き出す。

 

「お、おい!」

 

「……先に言ってる」

 

 それだけ答えて進んでいくリゥの背中を前に、俺はただバッジを拾う。

 手に取れば、まだニビシティジムでの戦いが思い浮かぶ。立ち上る土煙も、イワークをド派手にやっつけたリゥの姿も。

 

「強く、か」

 

 バッジを握りしめ、歩き出す。

 俺はリゥの信頼に答えられなかったのだろうか。

 リゥが答えてくれた信頼を返せなかったのだろうか。

 いくら自問しても答えは出ない。

 そうして答えの出ないまま、俺たちは――

 

 

    ◆◆

 

 

 地下通路を抜けると、そこはもうタマムシシティの目の前だった。

 しばらく弱い光量が続いていたためか太陽の光を強く感じるが、それもしばらくすれば治まっていく。

 俺とリゥは互いに無言なままタマムシシティへと足を踏み入れる。

 

「……久しぶりだな」

 

 大きな門の後、見えたのは見上げるほど聳え立つビル群と人々の群れだった。

 忙しそうに行き交う人や、友達と一緒にあるく学生やら……萌えもんと遊んでいる子供たちの姿も見えた。

 

「凄い……これが街なの……?」

 

 圧倒されているリゥだったが、それも当然だろう。

 ここまでの人が集まるのはカントー地方でもタマムシシティだけだ。ゲームセンターやショッピングセンターなど、遊ぶための施設が多いのもその理由のひとつ。大きな娯楽施設がある街は人を引き付けやすいのだ。

 

「さて、まずはジム戦行くか?」

 

「――勝てるの?」

 

 リゥの問いに目を閉じてしばし思考し、

 

「わからん」

 

 はぁ、とため息をついたリゥはひとりで歩き出す。

 

「お、おい!」

 

「準備、するんでしょ?」

 

 言葉に覇気は感じられない。

 何かが致命的にずれているよな気がしたが、やっぱりその正体がわからない。

 わからないから、俺はただ頷くしかなかった。

 

「そうだな、がっちり準備しないとな」

 

 となると目指すは一箇所。カントーでも一番品揃えのあるショッピングセンターしかない。

 リゥに追いついて、先導する形で目的地へと向かう。

 

「昔、ここにいたのよね?」

 

「まぁな。いやー、あの頃はやんちゃしt」

 

「そんなのどうでもいい」

 

「……しくしく」

 

「何か良い店とかないの? 強くなる道具とか売ってる場所」

 

「あー」

 

 強くなる道具。確かにある。が、所詮はドーピングだ。一時的なものでしかなく、資本となるような強さではない。

 しかし言い淀んだ俺の態度が気になったのか、リゥはギロリと視線を向けてくる。

 

「あるっちゃある」

 

「じゃあ」

 

「だが、一時的なもんだ。効果があるのはせいぜい数分程度だったはずだしな。それに身体にかかる負担も大きいぞ? 連続して投与すりゃ――最後には廃人だ」

 

 お手上げだ、と両手を上げてアピールするとリゥも俺の言わんとする事がわかったのか、

 

「あ、そ」

 

 と肩を少し落としていた。

 

「……」

 

 レベルが上がっていきなり強くなって――そんなチートでも使わない限り一瞬で強くなるなんて不可能だ。俺たちはゲームの世界にいるわけではないのだから、地道に一歩ずつ強くなっていくしか方法が無い。

 

 もちろんリゥにだってわかっているのだろう。だからこそ、自分が強くなっているという自覚が得られなくて焦ってしまっている。

 

 俺には仲間がいる。リゥやシェル、コンという頼もしい仲間たちがいるからこそ、自分の強さを知る事が出来る。

 

 だけどリゥには――まだ"仲間"がいない。たったひとり、孤独に戦っている。おそらく俺ですら――リゥの近くにはいないのではないだろうか。

 

 目的の人に勝つために。自分が強くなるためだけに敢えて孤立の道を選んでいるのだとしたら、それはとても悲しくて――強い意志だ。他人を近寄せない程の苛烈な意志は往々にして自分を孤立させ、意固地にさせてしまう。

 

 まるで――昔の俺のようだった。

 

「はっ」

 

 今更だ。

 ふてくされ、勝手に腐ったのは俺自身の責任ではないか。

 熊澤のオッサン含めてお節介は沢山いた。構わず手を差し伸べ、近くにいてくれた人がいた。

 

「――何やってんだ俺は」

 

 だからこそ、ここにいるのではないか。

 あの時俺に差し伸べてくれた人がいるように。俺も手を差し伸べればいい。

 たったそれだけの事なのだ。

 

「リゥ、こっちだ」

 

 遠いなら近付けばいい。

 離れようとするなら自分がもっと近付けばいい。

 そうして、

 

「あっ、ちょっと……!」

 

 離されないように手を握ればいい。

 リゥの手は小さかった。

 俺の掌にすっぽりと収まってしまうほど小さく――儚かった。

 

 でも、ずっと頑張ってくれていた。

 綺麗な手にはマメの後が残っていて、握っていてもわかるくらいに訓練していたのがわかる。

 

 そうまでして駆り立てる相手に嫉妬すると共に――まだまだ敵わないと思い知る。

 俺はリゥの足元にも及ばない。目指して敵わないと知って尚、何度も挑み続ける強さを俺は知らない。

 だから――

 

「ひ、ひとりで歩けるってば!」

 

「……俺もいつか同じ場所に立てたらいいんだけどな」

 

「この、いいかげ――えっ?」

 

「いや、何でもない」

 

 吐露した言葉を頭を振って打ち消す。

 

「ただ、目標がふたつ出来ただけだ」

 

 そのために強くあろう。

 いつか壁にぶつかった時、迷わずにいられるように。

 

「何それ」

 

 だけどリゥが握り返してくれることは無く――ただ力なく引っ張られているだけだった。

 どうしてか俺にはとても悲しく思えたのだった。

 

 

    ◆◆

 

 ようやく見えてきた目的の巨大なショッピングセンター近くを通りかかった時だった。

 

「妙に警察が多いな」

 

 さながら警備員かの如く定位置に立って街を警備していた。

 おそらく私服警官も加えれば相当な数の人員が配備されているに違いない。

 

「ヤマブキの件、か?」

 

 隣接している街だし、当然といえば当然なのかもしれない。

 木を隠すなら森とも言うのだし、タマムシシティほど人が多ければその分隠れやすいと考えるのは当たり前だ。

 

「な、何よ」

 

 繋いだ手の先――リゥに視線を向ける。

 ぶっきらぼうに吐き捨てて不機嫌そうに顔を背けられたが、心なしかさっきより穏やかになっている気がする。

 

 ――注意しないとな。

 

 身近すぎて忘れてしまいそうになるが、リゥはミニリュウだ。萌えもんの中ではかなり

珍しい部類に入る。お月見山や岩山トンネルでは切り抜けられたが、ロケット団に目をつけられる可能性は充分にある。

 まぁ、これだけ大ぴろげに警戒されてるのだし、路地裏に入らない限りまず大丈夫――

 

「こっち来るな! へんたい!」

 

 思った矢先の事だった。

 すぐ近く――聳え立つマンションの裏手辺りから悲鳴が反響した。

 周囲を見てみるが、悲鳴を聞きつけて立ち止まった人は僅か。その僅かな中で騒然としている人ばかりですぐ近くに警官はいないようだった。

 

 くそっ! タイミングが悪いな畜生!

 舌打ちをして棒立ちになってるサラリーマンの兄ちゃんに「さっさと警察読呼んでこい!」と喚いてから走り出す。

 

「仕方ねぇ! 行くぞ、リゥ!」

 

 繋いでいた手に力を篭める。

 

「……うん!」

 

 程無くして返された頷きと握り返される感触に喜びを感じながら、俺は声のした路地へと突入する。

 高層マンションに囲まれた路地裏を駆ける。狭い路地の中、捨てられてそのままになっているゴミ袋を蹴飛ばし、そこから勢い良く飛び出た空き缶をひとつ掴みとる。

 

「そんな物、何に使うのよ」

 

 いつの間にか並走していたリゥにニヤリと笑みを返し、

 

「ちょっとした喧嘩のやり方さ」

 

 路地はT字路になっており、俺達が突入した路地から左右に向かって枝分かれしていた。

 どっちだ? と思った矢先、また悲鳴が上がる。

 

「この娘は絶対にわたさないんだから!」

 

 言葉足らずな声が左側の路地から聞こえる。

 萌えもんかもしくは、まだ幼い少女か――何れにしてもこのまま回れ右は出来なくなったわけだが。

 

「さーて」

 

 T字路の手前で立ち止まり、缶を放り投げる。

 

「――あのなぁ、嬢ちゃん。その萌えもんは嬢ちゃんなんかが持ってていいもんじゃないんだ。な?」

 

 真っ直ぐ上に放り投げた缶は頂点へと達すると、重力に従って落下し始める。

 

「やだ! だってこの娘けがしてるもん!」

 

 立ち止まってくれたリゥに目配せする。

 

「だからおじちゃん達がちゃんと萌えもんセンターに連れて行くって言ってるじゃない

か」

 

「やめて! その娘にさわらないで! おじさんは怖いからいいもん!」

 

 右足を大きく振りかぶる。身体を僅かに逸らし、起動修正をかける。

 

「ちっ、鬱陶しいガキだな」

 

 そして、全力で蹴った。

 空き缶は真っ直ぐに跳び、壁へとぶつかった路地へと吸い込まれていく。

 

「あん?」

 

 派手な音を立てて来襲したであろう空き缶は必ず意識を逸らす。どれだけ神経が図太くても、自分の近くに空き缶が飛んでくれば誰でも気が逸れる。

 路地の状況はわからない。ここからだと視認出来ないのだから当たり前だ。

 

 だから、空き缶を僅かに上へと向かって蹴った。少女にしろ萌えもんにしろ、俺の身長くらいの高さには至らないだろう。

 

「頼むぜ、リゥ!」

 

「任せて!」

 

 声を後にしてリゥは路地裏へと飛び出す。

 俺もホルスターからボールを取り出して後に続く。

 

 路地に飛び込んだ俺が見た光景は、傷ついた萌えもんを必死でかばっている女の子と、無理矢理に攫おうとしている男ふたり――ロケット団の姿だった。

 

「んだてめぇ!」

 

 空き缶に反応したのは傍観していた方の男なのだろう。僅かに上へと向けられていた視線が俺を捉える。

 年齢的には俺と同じか少し上くらいか……チンピラのように眉を潜め威嚇してきている。

 

 だが飛び込んできたリゥに対処出来てない時点で駄目だ。

 それに――

 

「はっ、この街で俺を知らないってか!」

 

 準備していたボールをふたつ投げる。

 即座に展開し、シェルとコンが現れる。

 

「いいか、相手は誘拐に加えて幼女暴行の現行犯だ! 幼女を泣かす奴は人に非ず! 手加減せずにやっちまえ!」

 

「はい!」

 

「らじゃー!」

 

「身に覚えの無い罪状があるんですけど!?」

 

 抗議の声を上げるも遅い。

 距離を詰められた若いロケット団員はリゥの一撃によって気絶させられる。

 残ったもうひとりもコンとシェルによって女の子から距離を開けざるを得ない状況へとなっていた。

 

「――ちっ」

 

 男は分が悪いと悟ったのかすぐに背を向け逃げ出した。

 影が見えなくなってからようやく一息つき、女の子へと向き直る。

 

「良く頑張ったな」

 

「あ……えへへ」

 

 頭を撫でると、くすぐったそうに目を細める。

 そうしていると通報を聞いてかサイレンの音が表通りから聞こえてきた。

 とりあえずは安心して良さそうだ。

 

「この路地ですね!?」

 

「は、はい! さっき若い人が入って行きました!」

 

 ドタバタとし出した路地の中、嬉しがる女の子と彼女に抱かれて小さく敵意の瞳を向けている萌えもんが印象的だった。

 

 

   ■■

 

 

「で、またお前かファアル」

 

「そりゃこっちの台詞だっつーの」

 

 駆けつけてきた警官のひとりに気絶していた若いロケット団を任せ、女の子と一緒に路地を出た俺を待っていたのは熊澤警部だった。

 いつか見た表情と全く同じように、呆れ顔で熊澤警部は嘆息した。

 

「ま、今回もお手柄だったみたいだしな」

 

 連行されていくロケット団員に視線を送る。

 何やら喚きながらパトカーに押し込まれていく姿を見送ってから、熊澤警部は続けた。

 

「一応事情聴取ってのがあってな。そこの嬢ちゃんも含めて話を聞きたいんだが」

 

 言って、俺の後ろに隠れている女の子に視線を向ける警部。

 傷ついている萌えもんの治療もある。俺には頷く以外の選択肢など無かった。

 

「わかってるさ」

 

 熊澤警部に向かって頷いてから、屈み込んで女の子と視線を合わせる。

 

「ごめんな。あの怖い熊みたいなおじさんが君の話を聞きたいらしいんだ。いいかな?」

 

「おい、誰が熊だ!」

 

 女の子は俺と熊澤警部へと視線を何度か往復させ、最後にリゥを見てから頷いた。

 

「うん。あ、でもこの娘のけがを」

 

 しかし言葉が終わる前に女の子の軽い身体は宙へと投げ出されていた。

 悲鳴すら上げられずにいた女の子を咄嗟にキャッチしたのはリゥだった。

 

「――わぷっ! あ、ありがとう」

 

「別にいいけど」

 

 照れくさいのか、顔を逸らすリゥを横目に女の子を突き飛ばした萌えもんを追う。

 が、すぐに路地裏へと消えて姿が見えなくなってしまった。

 

「あー、くそ。見失った。

 ……大丈夫か?」

 

「あ、あい! お姉ちゃんのおかげでだいじょうぶです!」

 

 お姉ちゃん、ねぇ。

 

「……何よ」

 

「いんやー。悪いな。ジムには少し遅れそうだ」

 

「――別にいいわよ。〝仕方ない〟んだし」

 

 しかし気になったのは、どうして女の子が庇っていた萌えもんが攻撃をしてきたのか、だ。

 確か人からもらったりした萌えもんは言う事を聞かない場合が往々にしてあるあらしいが……。

 

「ううん、あの娘とはさっき初めて会ったんだよ。ふらふらしてたから、何だろうって思

って」

 

 女の子は何一つ気にした風もなく、首を振ってみせた。

 ロケット団のような怖い大人に囲まれても気丈に振舞っていた女の子は、やはり当たり前のように告げる。

 

「それでね、けがしてたから放っておけなかったの」

 

 突き飛ばされた箇所が痛むのだろう。それでも自分のした事は間違っていないと。

 胸を張って笑っていた。

 

「そっか、偉いんだな」

 

「そんなことないよ」

 

 しかしどこか嬉しそうに目を細めた少女の頭にもう一度だけ手を置いて、

 

「――おやっさん、この娘を頼むわ」

 

「あいよ」

 

 すぐに返ってくる頼もしい返事を背に、俺は立ち上がる。

 さて、行ってくるか。

 

「余計なお世話だと思うけどね。この娘も――感謝されたくてやったわけじゃないだろうし」

 

 そうだろうなと思う。

 屈託の無い笑みを見ればわかる。

 女の子は純粋に――ただの好意と優しさだけで間違っている大人に立ち向かったのだ。

 小さな身体で恐怖を飲み込んで、真っ直ぐに。

 

 俺にはどうしてもその姿がリゥと重なってしまった。ひとりで踏ん張ってひとりで立ち向かって――ただ自分を信じて戦っている姿が似すぎていたのだ。

 はいそうでうすかと納得など――放っておけるわけがなかった。

 

「お節介焼きだからな、俺は」

 

 路地は左右に別れていたが、右側の路地はまだ警察が詰めている。つまり逃げ道はひとつしかないはずだ。

 

「……わかった。さっさと行きましょう」

 

 渋々頷いたリゥに「悪いな」と頷きを返し、もう一度路地へと戻る。

 怪我をしていたのもあるし、遠くへは逃げていないはずだ。近くにいてくれるものだと信じたいが……。

 

「わかってるの? 手負いは人間でも私たちでも危険なのよ?」

 

「もちろんだ」

 

 警察の人に話を聞くと、やはり俺たちがいた路地とは反対の路地に入っていったようだった。

 路地はやはり薄暗く、高いビルに囲まれているため闇に紛れるにはもってこいだろう。事実、覗いているだけだとさっぱりわからない。

 

「おーい、いるかー?」

 

 反応は無いだろうと思って声をかけてみるが、案の定物音ひとつ返ってはこない。

 視線を上げてみれば、路地はどうやら折れ曲がっているようだった。

 

 俺とリゥは頷き合って歩を路地へと踏み入った。

 周囲――とりわけ影になっている部分に注意を払いながら進むも、何も出ず。もしかしたら走り去ってしまったのだろうかと思った矢先、それはいた。

 ちょうどL字で路地が形成されている先。視界には絶対に入ってこない場所に、目的の萌えもんは蹲っていた。

 

「何なんだお前ら!」

 

 ふーっ、とさながら猫のように威嚇してくるが、背も小さいので迫力はほとんどない。身長としてはリゥより少し小さいくらいだろう。

 

 元は綺麗な茶の毛色だったのだろうか。泥や埃で汚れた今となっては影に隠れるとわからなくなるくらいに判別がつきにくくなってしまっている。

 ピンと立った耳はボロボロで血が出ている箇所もあり、更に良く見ると体の至る所に傷があった。どう考えても見過ごせるような状態ではなかった。

 

 しかし怪我していてもこちらには警戒している辺り、女の子の言うように野生であるようだ。

 

「いや、ちょっと心配になってな」

 

 俺の言葉に萌えもんは鼻を鳴らして答え、

 

「別にいい。わっちは貴様らの手など絶対に借りん。あの小娘にもそう伝えろ」

 

 踵を返した。

 

「なぁ、さっきの娘を何で突き放したんだ?」

 

 そのまま去ろうとする背に問いを投げかけると、たった一言「知らん」とだけ返してくる。

 だが、思い出したように一度足を止め、

 

「……救おうとしてくれた気持ちには感謝している」

 

 と、ぶっきらぼうに言った。

 怪我で歩きにくいのか、バランスの悪い歩き方で路地の先へと消えて行く後ろ姿を俺はただ黙って見送る。

 

「いいの? 余計なお世話を焼くんじゃなかったの?」

 

「焼けそうだったと思うか?」

 

 リゥは遠ざかる萌えもんの後ろ姿をしばらく眺めた後、

 

「こっちが焼かれそうね」

 

「だろ?」

 

 諦めと共に肩を竦めた。

 去っていく萌えもんの姿は――そう、見てわかる程度には俺達を拒絶していたのだった。

 

 

   ■■

 

 

 表通りに戻った俺たちは熊澤警部に付き添われて萌えもんセンターへと向かっていた。

 どうやら岩山トンネルのみならず、ここタマムシシティでも萌えもんの被害が増えているようで、野生の萌えもんだけでなく人の萌えもんまで姿を消す事があるそうだ。

 

「誘拐なのか?」

 

「かもしれん。何れにせよ、街の様子がおかしいのは確かだ」

 

 それにな、と熊澤警部は薄くなった頭をガシガシとかきむしりながら、

 

「表立っては〝普通〟なんだ。だが何かが違う。水面下で何かが動いてやがる……つまって爆発しちまう水道管みたいに、その瞬間を待ってやがる気がしやがるんだ」

 

 思い当たるとすればロケット団しかいない。

 岩山トンネルからこっち、奴らの話や事件は耳にしてるし実際に戦闘もしている。

 

「長年の勘ってやつか?」

 

「ああ。だがどうも、な」

 

 熊澤警部自身も確かに何かを掴んでいるわけではないのだろう。魚の小骨が喉に引っかかったかのような気持ち悪さを持て余しているように見えた。

 

「それにその娘はミニリュウだろ? 危険なのはお前だって同じなんだからな?」

 

 視線をリゥへと向ける。

 相変わらず不敵に腕を組んでいる我が相棒は、それがどうしたと言わんばかりに顔を背けた。

 大丈夫だとは思いたいが、安心しきってもいられない。

 

「特に奴らはとりわけ〝強い萌えもんを奪う〟だからな。強さこそ全ての部分もあるようだから万一の無いようにな」

 

「ああ」

 

 強さこそ全て――しかしやってる事は悪事以外の何物でもない。

 誰かを傷つけるだけ強さは"強さ"じゃない。それはただの暴力だ。

 俺はそれを知るには時間がかかってしまったけど、だからこそ今は絶対に認められない。

 でも――

 

「強さこそ全て、か」

 

 ぽつりと呟いたリゥの呟きが頭の中で反響して、嫌な予感が拭えなかった。

 

 

    ■■

 

 

 熊澤警部を一度別れ、俺たちはいよいよタマムシシティジムへと向かう。

 ジムは街の橋にあり、女子しかいないために一部では有名な覗きスポットとなっているらしい。もっとも、ジムリーダーに心酔している自称親衛隊がその度に蹴散らしているらしいが。

 

「この街のジムってどんなタイプなの?」

 

 そして女の園とも言えるジムだからこそのタイプでもある。

 

「草タイプだ。だけど、たぶん毒タイプとか他のタイプも入ってくるだろうな」

 

 萌えもんで純粋に草だけのタイプはあまり見かけられないはずだ。グリーンのフシギダネのように毒タイプを合わせて持っていたりなど、状態異常攻撃が合わさってくる。今までのようにただ相手の攻撃を防ぎ、かわしていれば勝てるというわけでもないだろう。

 

「相性で有利なのは炎タイプのコンだな」

 

 草タイプに有利なのは炎と飛行、そして虫と毒タイプだ。しかし虫と毒タイプは相性が悪く、毒の効果も期待出来ないと考えていいだろう。フシギダネ以外にも、ナゾノクサやマダツボミなど毒タイプを持っている萌えもんは非常に多い。

 だとすれば消去法で炎タイプのみになる。いつものパターンだけど、飛行タイプなんて捕まえてないしな!

 

「だけど、間違いなく苦手なタイプの対策をしてくるはずだ。有利なタイプは無いと考えた方が良いだろうな」

 

 これまでの戦いがそうだったように、搦め手を使ってくるはずだ。正攻法だけでは絶対に勝てないのは予想出来る。

 

「――そうね」

 

 ともすれば見逃してしまいそうな程に小さく頷いたリゥ。

 俺とリゥの間はまだギクシャクしたままだ。個別のスタンドプレーは出来ても、お互いを信じた戦いが出来るかと問われれば即答出来ない。

 

 果たして勝てるのだろうか。

 

 漠然とした不安を抱えたまま、ジムへと向かう。

 その途中、

 

「ありがとうございましたー!」

 

 オープンカフェだろうか。1年前は無かった店から黒いスーツに身を包んだ男が出てきた。

 薄コケた年季の入った杖に黒のシルクハット。見るからに紳士然としたその男は俺の方へと視線を向け、身体を硬直させた。

 

「ん? おや、君は――ああ、そうか。ふふっ」

 

 そして徐ろに笑い出す。

 その声に、仕草に思い当たる。

 懐かしくも大きな姿。

 かつて何度も親父と共に酒を酌み交わした親友。俺にとっては二人目の親父のような存

在。

 

 間違いない、この人は――

 

「いや、失敬。久しぶりだね、ファアル君。随分と大きくなったものだ」

 

 その人はシルクハットを取り、不器用に笑みをこぼす。

 ああ、変わっていない。

 数年振りの再会を彩る言葉はひとつだけしか思い当たらなかった。

 

「はい。お久しぶりです――榊さん」

 

 

                               <続く>


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