萌えっ娘もんすたぁ ~遙か高き頂きを目指す者~   作:阿佐木 れい

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今回はちょっとだけ長いです。というか長くなりすぎたので分割しました。


【第十七話】タマムシ・シオン――向き合って見えた弱さと強さ 前編

 ――俺に追いついてきてみろ。

 

 いつか父さんはそう言った。遠くない昔――けれど、俺にとっては遙かな昔。幼い心に憧れた背中はどこまで大きくて、まさしくヒーローのようだった。

 

 夢見た。同じ舞台に立つ事を。あの人のようになるのだと……夢想し続けた。

 飛び立とうとした翼はすぐに折れ、ぼろぼろのまま地に落ち、未練を持って空を見上げ続けた。

 

 もう一度。

 折れた翼に力をくれた存在がいた。ひとりでは駄目でも、ふたりなら何とか飛べた。すり切れそうだった想いがもう一度動き始めた。

 

 俺は。

 

 俺にはきっと――

 

 

 

    ◆◆

 

 

 目が覚めると見知らぬ天井だった。

 ぼやけた視界が痛い。

 

「うっ、……ぁ」

 

 首を動かそうとすると走った痛みに声を出すも、掠れてほとんど音になっていなかった。

 力を込めて上半身を起こす。

 すると、動いた事で少しは意識がはっきりしてくる。

 

「ここは……?」

 

 喉が痛い。

 額を抑えながら視線だけを巡らせると、花瓶や特殊な機械が目に入った。

 ああ、なるほど。

 

「病院、か」

 

 場所を確認すると同時に、記憶も蘇る。

 ロケット団アジトで受けた攻撃によって意識が途切れた辺りまでは覚えている。

 

「――リゥ」

 

 そして、去って行ったリゥの事も。

 その後アーボックが襲いかかってきたような――

 

「……駄目だ。思い出せない」

 

 気を保っていられたのはそこまでだったようだ。

 病院にいるという事は何とか逃げ出したのだろうけども。

 

「すや……」

 

 ふと重さを感じて視線を向けてみれば、橙色の毛並みを持った小さな萌えもんがベッドに突っ伏して寝息を立てていた。

 

「コン、シェル」

 

 隣にはシェルが。包帯を巻いているが、寝ている姿を見る限り酷くはなさそうだった。

 ふたりの姿に安堵する。

 が、喪失感も同時に味わう。

 後もうひとりいないという現実を嫌でも目にしてしまうから。

 

「……あ、目が覚めた?」

 

 少し期待していた自分がいた。

 だが、扉を開けて入ってきたのは期待していた通りではなく、

 

「なんだ、愛梨花か」

 

 俺の呟きにいつも大人しいジムリーダーは頬を膨らませた。

 

「わたくしじゃ不満だった?」

 

「とんでもないです」

 

 体を揺すると激痛が走った。

 大人しくしているしかなさそうだ。

 愛梨花は手に抱えた花を備え付けの台に置き、花瓶を手に取った。水を変えるつもりなんだろう。

 

「……俺はどうなったんだ?」

 

 俺の問いには答えず、愛梨花は黙って水を入れ替えていた。

 やがて、

 

「五日間」

 

「えっ?」

 

「ファアルが倒れてた時間。その娘達、ずっと離れなかったんだから」

 

 よっぽど想われてるのね。

 そう言って愛梨花は笑った。

 

「……そっか」

 

 俺達の話し声が聞こえたのか、もぞもぞと動き出すコンとシェル。

 

「ありがとな」

 

「ふぇ?」

 

 寝ぼけた瞳のまま、俺を見上げるコン。

 少し時間が止まり、口をぱくぱくし始めたと思うと今度は全身で震え始め、

 

「ごしゅじんさまぁ~!」

 

 飛びついてきた。

 

「あ、あだっ! 痛い痛い痛い痛い!」

 

 遠慮なしに飛びついてくるもんだから、あちこちが悲鳴を上げていて涙が出てきた。畜生。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 コンは慌てて距離を取り、ベッドから離れて壁まで後ずさった。いや、離れすぎだからそれ。

 そうしている内にシェルも目が覚めたようだ。

 

「おー、ますたー」

 

「おう」

 

 頭を撫で、

 

「……教えてくれるか。何があったのか」

 

 病み上がりでしょう? とは言われなかった。

 愛梨花は一度花瓶を置き、やがて厳しい表情で語り始めた。

 俺が倒れてから五日。今日から数えて五日前。

 ロケット団のアジトで何があったのかを。

 

 

 

    ◆◆

 

 

 それはファアルが意識を手放した瞬間だった。

 手加減など何一つなく、頭蓋を砕かんと振り下ろされたアーボックの尾を止めたのは、瓦礫に紛れて現れた一本の強靱なツルだった。

 

「へぇ」

 

 ロケット団幹部の男が面白そうな笑みを浮かべる。

 土埃が微かに舞う中、ツルを負えば一体のフシギバナがいた。傍らには白い和服を着込んだ少女が、普段からは考えられないほど怒りに表情を染めていた。

 

「ファアルから離れなさい、ロケット団」

 

 静かに。しかし有無を言わせず従わせるだけの強さを持った声音だった。

 だが、そこで引いていてはロケット団の幹部たり得ない。

 男は恍惚に顔を歪ませ、

 

「ぎゃははは! 面白いねぇ、おい! 清楚なお嬢様が怒るたぁ、滅多に見られるもんじ

ゃねぇぞ!」

 

 手駒はアーボックだけではない。すぐにでもボールを解き放つ体勢に移りながら、男は一層下卑た笑みを浮かべる。

 

「ははん、そこの男にヤられでもしたか? はは、だとすりゃ傑作だ! こんな雑魚に

よ!」

 

 少女――愛梨花の眉がぴくりと動く。

 抜け目の無い男はそれが好機と悟ったのか、更に言葉を続けようとした。

 が、傍らの相棒が表情を引き攣らせているのに気が付いてしまう。

 

「……うそ、なんであんたがこんな場所にいんのよ」

 

「は、は? おい、どうした?」

 

 笑い声を上げようとし、コンビを組んでいる女幹部の声に止まった。

 後ずさる音が聞こえる。 

 

 何だ?

 押しつぶされそうな圧迫感を抱きながら振り返ると、音すら無く倒れ伏したペルシアンがボールへと戻った瞬間だった。

 

 背丈は180を超えているだろうか。見上げるような体躯に、盛り上がった筋肉は一撃で岩を砕きそうだ。

 絶え間ない修練の果て、頂点にもっとも誓い場所まで駆け上がり、座を守り通してきた男。

 

 言葉を発さず、さながら岩のような重圧で語る男の名を、知っていた。

 

「カントーリーグ四天王――シバだと!?」

 

 男の声にシバは頷くこともなく、無言で肯定した。

 しかしそれで合点がいった。

 

 エレベーターが動いていないのにどうして愛梨花がこの場に乗り込んでこられたのか。

 他の誰でもない、シバがいたからこそ可能だったのだ。

 岩を彷彿とさせる巨大さながら、地面を掘り進んでも微細な揺れすら感じさせない繊細さを併せ持ったトレーナー。それが、四天王シバという男であった。

 

「……さすがに分が悪いよ、どうする?」

 

 ジムリーダーと四天王。どちらかだけならばともかく、ふたりに挟み撃ちされたとあっては勝機など生まれようはずもない。

 状況を判断すると、アーボックをボールに戻して拘束を解き、すぐさまイーブイを捕え牙を突き立てようとする。

 

「悪ぃな、逃げさせてもらうぜ」

 

 イーブイを見せつけながら後を引いていく。

 

「……卑怯な」

 

 弱った体で毒を浴びればひとたまりもないだろう。

 手を出せずにいる愛梨花を見て満足がいったのか、幹部の男は愉快そうに笑みを浮かべ、

 

「はっ、残念でした-! ぎゃははははは!」

 

 ピアスのついた舌を出し、吠えた。

 愛梨花は動かない。

 ただじっと相手をにらんでいるだけだ。

 

 女幹部にとってはそれが妙に気持ちが悪い。まるで能面とにらめっこをしているかのような気持ち悪さがあった。

 

「やれ、サワムラー」

 

 しかし、非常口に逃げようとした幹部に捕まれていたイーブイを一瞬のうちに取り戻したのはサワムラーだ。

 イーブイがいないのに気が付いてももう遅い。仕舞っていく扉を前に、男はいまいましく叫んだ。

 

「FUCK!! くそが! 覚えてやがれくそ共!」

 

 そうして、扉が閉まった頃には静けさだけが残っていた。

 いや、

 

「ファアル!」

 

 慌てた愛梨花の声だけが響いた。

 愛梨花を横目で見ながら、シバは小さく呻いた。

 

「……扉の奥には何も無かったはずだ」

 

 彼らが一悶着起こしている間に、一度確認はしたはず。

 なのに、今は扉の向こうに幹部達の姿は無い。まるで最初からいなかったかのように消えてしまっている。

 

 可能性としてはふたつ。

 萌えもんのテレポートか、見つけられないよう隠された巧妙な出入り口があったか。

 もっとも、追いかけられない理由はあったので詮無き事だが。

 

「ふむ……」

 

 倒れたファアルを見る。

 どことなく、サイガの面影を感じられた。

 ここは地下だ。アジトもろとも破壊されてしまえば、さしものエリカとて脱出は難しいだろう。まして意識を失った男がひとりいたとすればなおさらだ。

 ぐったりとしたイーブイを手に、シバはゆっくりと愛梨花に向かって歩き出す。

 

 何かが起こる。

 その予感を感じながら。

 

 

    ◆◆

 

 

「そして私達は貴方を病院に、シェルちゃんを萌えもんセンターに運んだの。幸い、シェルちゃんはすぐに回復して貴方のところにやって来た。そういう訳」

 

「……そっか」

 

 後一歩で俺は殺されるところだったってわけか。

 

「助けてくれてありがとうな」

 

 力無く視線を向けると、愛梨花は怒りに顔を染め上げた。

 いつもおっとりしていて優しく清楚な大和撫子。

 おおよそ皆が抱くであろうイメージからはかけ離れた姿。

 それ故に、本気なのだとわかった。

 

「ありがとう、じゃない! 何であんな無茶したのよ!」

 

 本気で俺に対して怒っているのだ。

 

 

 ――アジトを潰す。

 

 

 そう言ったのは誰だったか。

 

「……それは」

 

 洋介にも言われた。

 愛梨花にだってもちろん言われた。

 熊澤警部にだってそうだ。

 俺はみんなから言われていた事を守らなかった。

 

「自分を過信しすぎ! いい? 進化していない萌えもんが進化した萌えもんに正面から当たって勝てるわけがないじゃない。どれだけ強くても、そこには差があるのよ。埋めら

れないくらいの差が。わからないの?」

 

 過信していなかったと言えば嘘になる。

 これまでも進化後の萌えもんと戦い、勝ってきた。その結果が俺を慢心させていたのではないだろうか。

 

 ――否定は、出来なかった。

 

 でも、だったら、

 

「だったら、俺はどうすりゃ良かったんだよ!」

 

 絞り出すように声を出す。

 掠れた声が病室に響く。

 無理矢理声を出して、体のあちこちが痛んだ。

 

「俺は――!」

 

 マットを殴る。

 激痛が全身に走る。

 歯を食いしばって耐える。

 

「――俺は、あいつを……」

 

 先を失った言葉は辿り着く前に霧消し、意味にならない呻きだけが口をつく。

 

「ご主人様……!」

 

「いだ、痛い痛い痛い痛い――!」

 

 力の限り抱きついてきた。それがもう加減が無いものだから全身打撲中の俺は今にも昇天しそうなくらだ。

 

「はうあ!? ご、ごめんなさい!」

 

 慌てて離れるコンの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 だけど、お陰で場の空気が壊れたのは確かだ。

 痛みに耐え、努めて普段通りに、

 

「――大丈夫だって。しばらく寝てりゃ治るよ」

 

 そうして、改めて愛梨花と向き直る。

 

「その、怒鳴って悪かった」

 

「ううん、私こそ無神経だった。ごめんなさい」

 

 俺と愛梨花の間に流れる空気を感じたのか、コンが視線を行き来させている。

 何でもないさ、と頭を撫で、

 

「俺の状態ってどうなんだ?」

 

 正直、コンの抱きつかれているだけで痛い。

 今まで経験した事のない痛みというわけではないが、下手をすれ一月単位とかになりそうな気がしたのだが、

 

「詳しい事はお医者様から聞いてね?」

 

 そう前置きして愛梨花は教えてくれた。

 

 ――全治二週間。

 

 担ぎ込まれた俺に処置を施した先生が言った治療期間だった。

 長いな。

 素直にそう思うのと同時、ほっとしている自分もいた。

 そうしてそんな自分に気付き、また苛立ちが募っていく。

 

「疲労も溜まってたみたいだし、今は体を休める時だと思う。それも大事な仕事よ」

 

「……ああ」

 

 いろんな事がありすぎた。

 急ぐ気持ちはあるけど、今はゆっくり休んで考えたかった。

 これからの事を。

 これまでの事を。

 

「じゃあ、私はジムに戻るから。コンちゃん、後はお願いね」

 

「はいっ」

 

 また、とは言わなかった。

 背を向け、退出しようとする愛梨花の背中に声をかける。

 

「愛梨花。その――ありがとよ」

 

「……うん」

 

 閉められた扉。

 俺以外にはコンとシェルしかいない個室の中、もう一度寝転んだ。

 体は言うことを効かない。

 

 ――リゥ。

 

 目を閉じればマサラからの旅が蘇る。

 手放したくない。

 いつしかそう思いながら、俺の意識は再び闇へと沈んでいった。

 

 

    ◆◆

 

 

「はっ、くそ……!」

 

 路地を普段よりも遅いペースで走りながら、イーブイは毒づいた。

 あんなにもあっさりと敗北するとは思っていなかった。

 

 ――手も足も出なかった。

 

 己の無力さに苛立った。

 点々と後を引いている血の跡にすら気が付かず、やがて息が切れて足下がふらつき路地裏のゴミへと突っ込んだ。

 

「――くそぅ、くそぅ」

 

 漂う臭いよりも、鈍く痛み続ける体よりも――何よりも自分の無力さが腹立たしかった。

 最後の一瞬、自分の目の前で倒されていった姿を思い出す。

 

「わっちは……」

 

 救えなかった仲間と再び同じ事を繰り返すのだろうか。

 意識は今にも消えてしまいそうなのに、アジトで見た光景がずっと思い浮かび続ける。

 鮮明に、何度も何度も。

 

「わっ、この子怪我してる!?」

 

 掠れた声で名前を呼ぶ。

 それが一体誰の名かわからぬ内に、イーブイは意識を手放した。

 ぱたぱたと駆け寄ってくる、小さな足音に気が付かずに。

 

 

    ◆◆

 

 

 

 二週間が経過した。

 体の怪我は万全とは言いがたいが、動けるようにはなった。

 俺の状態を見て、激しい動きだけはしちゃ駄目ですよと医者からは釘を刺されたけど、旅をしているから確約は出来そうにない気がする。

 

「よし、準備おっけーだな」

 

 コンとシェルはボールに。腰に下げたボールがひとつ分軽いのが寂しくもあるが、いつまでも退院する人間が病室にいても仕方が無いだろう。

 手荷物は背負えるバッグのみ。忘れ物がないか一応チェックしてから二週間と少しの間、世話になった病室を後にする。

 

 入院している間、テレビや新聞で情報を仕入れてみたが、ロケット団の目立った動きは無かった。

 それが何だか嵐の前の静けさのようでもあり、恐ろしくも感じられる。

 

「……変わらないもんだな」

 

 街は何も変わっていない。警備している警官も、街行く人々も――二週間前のままだ。

 変わったのは俺だけ。俺の右隣だけ、いたははずの存在がいない。

 

「でも、立ち止まってもいられないか」

 

 手持ちの萌えもんはコンとシェルのみ。ジムリーダーに挑むにはかなり心許ない。

 それに、

 

「進化、か」

 

 榊さんの言っていた言葉が引っかかっていた。

 コンもシェルもまだ進化の可能性を秘めているはず。だが、どうすれば進化するのかわからなかった。

 おそらくオオキドの爺さんなら知っているんだろうけど、マサラタウンまで戻ってはいられない。

 

 これからどうするか。

 考えていると、思い出す。

 手がかりなんか何も掴んでいないが、

 

「カラカラと一度話し合うか」

 

 約束があった。

 シオンタウンで出会った萌えもんの母親を救うという、大切な約束が。

 ロケット団のアジトではカラカラのお袋さんは見つけられなかった。

 資料ならあったかもしれないが、イーブイのこともあって探していなかったのが悔やまれた。

 

「ロケット団が絡んでるのだけは間違いないんだけどな」

 

 一路シオンタウンを目指す。

 体は十全じゃない。歩く程度なら問題ないが、溝をまたいだりすると少し痛む。無理矢理押し切る形で退院したから当たり前だ。

 

 だけど立ち止まっていたくなかった。

 病室で寝ていると嫌でも考えてしまうから。

 マサラタウンからの旅路と、自分の選択と――リゥの事を。

 こうして体を動かしている方がまだ良い。そうすれば、余計な事を考えなくてすむのだから。

 

 

    ◆◆

 

 

 シオンタウンに着いたのは昼頃だった。

 以前訪れた時は静かな町という印象だったのだが――

 

「何か妙に人が多いな」

 

 町の人を含めて、ちらほらと警察も見える。

 

 ――ロケット団。

 

 脳裏を掠めた予想をとりあえずは隅に追いやり、目的の萌えもんを探す。

 町を行く人々の断片的な会話から、どうやらこの町にとって大事な人がしばらく姿を見せていないらしい。

 

「藤老人、ね」

 

 町をぐるりと一周したが姿は見られない。町外れだろうか?

 シオンタウンの南には水路が広がっており、長い桟橋を渡っていくとクチバシティの外れ、そして更に南へ下るとセキチクシティへと通じている。

 

「カラカラ。俺だ」

 

 その町外れに、お目当ての萌えもんはいた。

 物陰に隠れて町の様子を見ていたようだ。

 俺を確認すると、物陰から出てきた。随分と久しぶりだが、変わりなさそうだ。

 

「ファアル、遅いじゃないか。どうだった?」

 

 よっぽど気になるのだろう。走って寄って来てくれる。

 だけど、俺にはその期待に答えられるだけの情報が無かった。

 

「……すまん。アジトに潜入してみたりもしたんだが、何も」

 

 報告を聞いて、カラカラはがっくりと肩を落とした。

 その様子を見るに、カラカラも似たような状態なのだろう。

 

「あいつはどうしたんだ? 一緒にいた……」

 

 リゥの事だとすぐにわかった。

 脳内に三週間程前の光景が思い浮かぶ。

 絞り出すようにして答えた。

 

「――いなくなった」

 

「そっか……ごめん。なんかボク、無神経だったみたいだ」

 

 気にするな、と薄く笑う。

 お互い情報が無いのは同じなのだから。

 そうして、ふと

 

「なぁ、何でこんなに人が多くなってるんだ?」

 

 カラカラなら何か知っているのではなかろうかと訊いてみた。

 すると、

 

「うーん。ボクも全部知ってるわけじゃないけど、あそこ」

 

 指をさしたのはシオンタウンにて一番存在感のある場所だった。

 

「萌えもんタワー?」

 

 うん、とカラカラは頷き、

 

「なんかおじいさんが、その萌えもんタワーとかいうのに入ったまま帰ってこないって言ってた。後、黒い服の――あいつらを見かけたっていうのも」

 

「ロケット団か。あいつら一体何を……」

 

「それと、夜になると町をこう、黒い霧が覆うんだ」

 

「黒い霧?」

 

「うん。最初の内はボクも気にしなかったんだけど、襲ってくるから今じゃ日が暮れたら

町の外まで逃げてるんだ」

 

 霧が襲う?

 どういう事だ?

 

「町の人間は霊の仕業なんじゃないかって言ってる。死んだ萌えもんの霊が彷徨って人を

襲ってるんだって」

 

「……なるほど」

 

 町全体から感じる慌ただしさと沈痛さはそれが原因だったのか。

 気になる点はみっつ。消えた藤老人とロケット団、そして黒い霧。

 

 藤老人とロケット団は何か関係性があると考えるのが今のところは妥当だろうが……あくまでも可能性ではあるだろう。

 黒い霧の方も襲ってくる、という点から何か生き物のようにも感じられるが、

 

「なぁ、その黒い霧って攻撃とか出来るか?」

 

 俺の問いにカラカラは首を横に振った。

 

「無理だった。でもそうだな……生き物みたいだったとはボクも思うよ。ボクを見つけたら真っ直ぐに向かってくるんだ」

 

 その動き方が獲物を狙う生き物のようだった、とカラカラは言った。

 萌えもん図鑑を開く。該当しそうな萌えもんは……

 

「駄目だ、わからん」

 

 そういえばこの図鑑、会った事のある萌えもんしか記録しないんだった。アナログにも程がある。

 俺は図鑑を閉じ、

 

「とにかく一度調べてみよう」

 

 人間の俺がいればもう少し何か掴めるはずだ。

 しかしカラカラは顔を伏せ、

 

「……でも」

 

 顔をしかめながら

 

「いいのかい? 君も急いでいるだろうに」

 

 申し訳がない、と沈痛な声色で言った。

 急いでいる、か。

 どうなんだろうと自問してみたが、わからなかった。ただ、

 

「約束しただろ? 時間くらい何とかなるし、大丈夫だって」

 

 ほら、と手を差し出す。

 

「一緒にお袋さん、探そうぜ」

 

「――うん。ありがとう。君は優しいな」

 

 おずおずと握り替えしてくれたカラカラの手は小さくて――いつかの光景を思い出させた。

 

 ……違う。

 

 否定し、カラカラと共に町中へと戻る。こういう場合の情報収集に一番適しているのは井戸端会議のおばちゃんだろう。警察が詳しく教えてくれるわけはなし。断片的な情報を拾い集めていく他あるまい。

 という事で町を歩いていた時だった。

 

「あれは……」

 

 萌えもんセンターの前で警察数人に囲まれているのは見知った白衣。

 

「よう、ジイさん。ついに捕まったのか」

 

「お主は何に期待しておるんじゃ……」

 

 もう長い間会っていなかった気がしてくる。白髪の頭を抱えているのはオオキド博士。俺に萌えもん図鑑をくれ、レッド・グリーン・ブルーを旅立たせた萌えもん学の権威だ。

 

「博士、こちらは……」

 

 周囲の警察が訝しげな目で俺を見ている。

 

「わしの知己で、サイガの息子じゃよ」

 

「サイガさんの……それは」

 

 若い警官が一歩引いた。

 それを合図としてオオキド博士は俺に改めて向かい合った。

 

「無事に――とは言い難いようじゃの。事の顛末は聞いておるよ」 

 

「ああ」

 

 頷いた。

 タマムシシティの件はそれなりに広まっているようだったが、やっぱり博士の耳にも届いていたか。

 

「この馬鹿が……と言いたいところじゃが、わしは追いつめるつもりはない。お主も立派な大人だしの。儂から言うまでもなかろう」

 

 ところで、と博士は俺の影に隠れていた萌えもんを見つめ、

 

「お巡りさん、この人の目が危ないです」

 

「違うわい! その娘――カラカラじゃろう? 可愛いではないか」

 

 最後の言葉さえ無かったら一発で萌えもんを見抜いた博士を評価したのに、台無しだった。

 

「ひっ、ファアル、これ誰……?」

 

 好奇心しか無い瞳で見つめられ、すっかり怯えてしまっている。あれだけ敵意むき出しだったカラカラをここまで萎縮させてしまう辺り、さすがの変態っぷり。

 

「俺の知り合いでオオキド博士っていう――そうだな、ロリコンだ」

 

「お巡りさんこっちです」

 

「さすがカラカラ」

 

 いえーい。

 ふたりで拳を付き合わせた。

 

「お主ら……」

 

 博士は諦めたように嘆息し、、

 

「それで、どうしたのじゃ? カラカラは珍しい萌えもんじゃ。ロケット団もシオンタウンにいるというし、危険じゃぞ」

 

「ああ。ちょっと聞きたい事があるんだ」

 

 目の前にいるのは萌えもん学の権威。カラカラを一瞬で見抜いたくらいだ、黒い霧の正体だってわかるんじゃないだろうか。

 先ほどカラカラから聞いていた情報を博士に伝え、

 

「俺は萌えもんの仕業だと思ってるんだけども」

 

 俺の言葉に博士はしばし唸り、

 

「わしの推測が正しければ、ゴースかもしくはゴーストじゃろな」

 

「ゴース?」

 

「うむ。ゴーストはその進化系じゃな。同じく珍しい萌えもんで、ゴーストタイプ。怨念

や負の感情が渦巻く場所を好み、萌えもんタワーは生息地のひとつじゃよ」

 

 ふうん、と萌えもんタワーを見上げる。

 

「四天王のあやつも使っておるが……まぁ、これはいらん情報じゃの」

 

 とにかく、と博士は続け、

 

「今話し合っていたのもその黒い霧についてじゃった。対策自体はあるんじゃが、そのためには萌えもんタワー最上部まで行かねばならん」

 

「タワー最上部に?」

 

「うむ。何故なら――」

 

「ジイさん!」

 

 と、途中で萌えもんセンターから見知った顔が現れた。

 ツンツンに逆立てた頭に生意気な顔。意志の強い瞳は俺を見て見開かれた。

 

「ファアル! あんた、寝てなくていいのかよ」

 

 グリーンも知っていたらしい。

 俺は両手を挙げて大丈夫だ、とアピールする。

 

「……まぁ、あんたがそう言うんなら大丈夫なんだろうけどよ。それで、こっちは準備できたぜ」

 

 孫の言葉に博士は頷き、望遠鏡のような道具を取り出した。

 

「何それ覗き?」

 

「違うわ!」

 

 博士は長さ30cm程の望遠鏡をグリーンに手渡した。

 

「シルフスコープという、シルフカンパニーが作った最新式の道具じゃ。これを使えばゴース等の正体不明の敵も見破れるじゃろう」

 

「さんきゅー」

 

 グリーンはリュックに仕舞うと、

 

「で、最上階まで行けばいいんだよな?」

 

「うむ」

 

「さっきも言ってたけどよ、ジイさん。最上階には何があるんだ?」

 

 まさか、

 

「藤老人って人が絡んでるのか?」

 

「さすが察しが良い。どうやらタワー最上階で藤老人がロケット団に拘束されておるらしい。目的は不明じゃが、おそらく――」

 

「ゴースかゴースト、だな?」

 

「であろうな。奴らにとって涎が出る程欲しい萌えもんであろうからの」

 

「……」

 

「藤氏は穏やかな方でな。毎日タワーに通っては萌えもんの魂を沈めておったんじゃよ」

 

 もう少しで一本の線に繋がろうとしているのがわかった。だが、何が足りないのかがわからない。

 俺が思考の縁に沈んでいると、

 

「なぁ、そこのツンツン頭」

 

「何だお前」

 

 カラカラが一歩前に出て、

 

「母様を探しているんだ。ボクの母様を見なかったか?」

 

「知るかよ……」

 

 むっ、と顔をしかめるカラカラだが、今までも言われていたのだろう。つかみかかる事はなく、視線を落としただけだった。

 

「グリーン、お前は最上階に行くのか?」

 

 俺の問いに頷いた。

 

「後でレッドとブルーも来るらしいけどな。被害も出てるし、さすがに放っておけないだ

ろ?」

 

 そうか、レッドやブルーも来るのか。久しぶりの幼なじみ勢ぞろいというわけだ。

 俺は……。

 

「グリーン、俺もついていっていいか?」

 

「あん? いや、そりゃいいけど」 

 

 そしてグリーンは俺の右隣に視線を向けた。

 たったそれだけの動作でも胸がざわめく。殊更に態度に出さないように努めながら、

 

「じゃ、頼むわ。万全じゃねぇけど、足は引っ張らないようにする。カラカラも行こう」

 

 見上げた視線を真っ直ぐに返し、

 

「ロケット団がいるんだ。直接締め上げてお袋さんの行方を聞こうぜ」

 

「……君が望んでくれるなら、助かる。ありがとう」

 

 決まりだ。

 そうして俺たちは萌えもんタワーへと突入することになった。

 ただじっと俺を見つめる博士には気が付かずに。

 

 

    ◆◆

 

 

 萌えもんタワーは静寂の世界だった。生を全うした萌えもんや途中で尽きた萌えもんの墓がただただ静かに並んでおり、外とは別の世界に迷い込んだかのようだった。

 塔の内部は、予め博士から聞いていたように、どこからか漂っている霧によって視界が悪い。

 そんな中、

 

「頼むぜ、ウインディ」

 

 グリーンの萌えもんによって視界を確保しながら進んでいく。

 一階、二階は何も無し。特に一階部分は萌えもんタワー入り口ともあって別段何かおかしな部分は見かけられなかった。

 

「そういやさ、ファアル」

 

「ん?」

 

 沈黙に耐えきれなくなったのか、グリーンが周囲を伺いながら言う。

 

「あんた……あのミニリュウどうしたんだよ。いつも隣にいたじゃねぇか。ジムリーダー戦も見てたけど、良いコンビだったし」

 

 グリーンの問いに胸の奥深い場所が痛んだ。

 どうやらリゥの事は全く公開されていないようだ。

 

「離れていったよ」

 

 離れた? 声を残して振り向いたグリーンだったが、俺の顔を見て

 

「いや、その……ごめん」

 

 よっぽど酷い顔だったんだろう。

 年長者なのに情けないもんだ……。

 

「お前が謝る事じゃねぇさ。知らなかったんだから、気にすんなよ」

 

 悪いのは俺なのだから。

 相棒だと信じて何もしなかった俺が一番悪いのだから。

 少し重くなった空気の中、更にタワーを上っていく。三階に入った頃から徐々に黒い霧が混じり始めてきた。

 

「そろそろだな……ん?」

 

 悪い視界の中、何やら人影のようなものが屹立している。

 目を凝らしてみるが、視界があまりにも悪くて判別し辛い。

 

「どうしたんだよ、急に立ち止まって」

 

 不信に思ったのかグリーンが歩みを止める。俺は気になる影に向かって指をさす。

 

「あれなんだが……どう思う?」

 

「んん?」

 

 元から生意気な面を更に生意気に見えるくらい目を細めて見ていたが、

 

「墓じゃねぇの?」

 

 確かに、ここには墓が乱立しているような状態なので一見すれば墓に見えなくもない。だが、

 

「ひとつ質問なんだけどよ」

 

「お、おう」

 

 影は徐々に大きくなってきている。いや、近付いてきているからこそ大きくなっている、というべきか。

 

「墓って動くか?」

 

「動くわけねぇだろ!」

 

 影はどんどん近付いてくる。やがて、判別出来る距離まで来ると、影の主は長い前髪を垂らして頭を下げていた。

 

「「「怖っ!」」」

 

 白装束に、髪の毛の隙間から大きな玉が連なった首輪が見える。幽鬼を連想させる動きでゆらゆらと不安定に揺れていた。

 

「人間、なのか……?」

 

 俺の言葉に反応は無い。

 カラカラは完全に固まり、グリーンは正気をぎりぎり保っている状態だ。ウインディは目の前の幽霊っぽいのが気になるのか少しずつ近付いている。

 すんすんと鼻を鳴らして好奇心旺盛な様子だった。いいな、俺の匂いも嗅ぎに来てくれないかな。

 と、ウインディの鼻が今にも触れそうになった瞬間、

 

「キエェェェェ――――ッ!!」

 

「うえおっ!」

 

 血走った目を見開き、黒い髪を振り乱して叫んだ。咄嗟に殴りそうになったのは仕方ないだろう。

 

「何だこいつ!」

 

 叫んだ口から唾が飛んでいる。この白装束の女性はまだ人間だ。

 あまりにも近くにいたくなかったのですぐに後ろへと飛んで距離を空けた。

 

「くそ、フシギソウ!」

 

 俺も出そうとしたが、

 

「ファアル、あんたはこれ使ってくれ!」

 

 投げられた道具を掴む。

 

「シルフスコープか。

 ……なるほど、そういうこったな」

 

 白装束の周囲には黒い霧が立ちこめている。

 博士はシルフスコープを覗くと正体がわかると言っていた。

 一応は最新式の道具だ。信じて覗いてみればそこには――

 

「見える――俺にも敵が見えるぞ!」

 

「馬鹿言ってねぇで早く場所教えろよ!」

 

 と、グリーンが突っ込んでいると黒い霧がひとつに固まっていく。

 

「おお、何だこの万能アイテム」

 

 覗いたら見える以外にも何か効果でもあるのだろうか。黒い霧は徐々に集まり、やがて一体の萌えもんへと変わった。

 

「――っ、これがゴース!?」

 

「みたいだな、可愛いじゃないか抱きしめたい」

 

「……君はとてつもなく変態だな」

 

 カラカラから呆れた声が出るが聞こえない。しかし俺とグリーンにとっても未知の萌えもんだ。ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら浮遊している姿は得体の知れなさを引き立てている。

 

「フシギソウ、葉っぱカッター!」

 

 グリーンの指示によって繰り出された刃となった葉がゴースへと直進する。

 

「ケケケ」

 

 嘲笑だったのかもしれない。

 ゴースはその身にわざと食らったかのように避ける動作もせず、余裕を持って浮遊していた。

 

「ちっ、じゃあウインディ。火炎放射!」

 

 即座に萌えもんを変更したのを見て、舌を巻いた。グリーンも順調に成長している。可愛い子には旅をさせよと言うものだけど、実際その通りだった。

 

「むゅ!」

 

 さしものゴースも火炎放射には耐えられなかったのか、短い悲鳴を残して姿を消した。後にはぐったりと倒れた白装束の女性がひとり。

 

「さあグリーン。人助けだ」

 

「嫌だよ、何か動きそうじゃねぇか!」

 

 気持ちは同じようだった。近付きたくないのはお互い様。勢いでじゃんけんするとあっさり敗北してしまった俺は泣きそうになりながら近付き、

 

「おーい、生きてますかー?」

 

 つま先で蹴ってみた。

 

「……死んでます」

 

 生きてた。

 白装束の女性はむくりと起きあがると、ちゃんと生気の宿った瞳で俺を見つめ、

 

「どうやら霊に乗り移られていたようです。ありがとうございます」

 

 頭を下げた。

 事情を聞くと、どうやら彼女はイタコらしい。萌えもんタワーから溢れる霊を沈めるために訪れたところ、逆に取り付かれてしまったとか。

 

「私と同じような方がまだいると思います。気をつけてください」

 

 イタコの女性と別れをつげ、俺たちはタワーを更に上っていく。彼女の言っていた事は正しかったようで、道中何度も白装束と出会う。そろそろギャグなんじゃないかと思えてきた頃、それはあった。

 

「何だ、ここ」

 

 おそらく最上階へと続く階段だろう。今までとは違う様相の階段が見える。その手前付近が、まるで台風にでもあったかのように墓標が根こそぎ倒されており、中には途中で折れているものまであった。

 

 階下からではわからなかったが、地面が陥没しかかっている箇所まである。どう考えたところで、明らかな戦闘後だ。

 

「――カラカラ?」

 

 ふと隣を見ると、カラカラが身を震わせている。掠れた声を必死に絞り出し、

 

「ここなんだ……」

 

 目の前に広がる戦闘後を見て、言った。

 

「ファアル。ボクと母様はここで……人間に襲われたんだ」

 

 

                  

                         <後編に続く>

 


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