萌えっ娘もんすたぁ ~遙か高き頂きを目指す者~   作:阿佐木 れい

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後編部分です。


【第十七話】タマムシ・シオン――向き合って見えた弱さと強さ 後編

 

 振り返れば、自分は幸せだったのだと思う。

 いつも優しく、時に厳しく接してくれる母親の存在は、子供ながら愛されているのだとわかっていた。

 

 だからこそ、あの日、自分ひとりで逃げるなんて嫌だった。自分も一緒に戦いたかった。

 だけど、必死に食い止めるあの人の姿は自分を明確に拒絶していて。

 

「こっちに来ちゃ駄目!」

 

 初めての拒絶が怖かった。恐ろしかった。足が竦んで動けない情けない姿を見て、その人は怪我を負いながらもいつも見ていた自分の大好きな笑顔を浮かべて、

 

「貴方を愛しているわ」

 

 その言葉が切っ掛けだった。

 弾かれるようにして、背を向けて走り出した。墓標に蹴躓きながら、階段を転げ落ちながら必死に逃げた。

 

 ただ、あの人だけは絶対に死なないと信じて。死ぬわけがないと信じて。

 自分の大切な人と永遠に会えなくなるなんて……そんな悲しい未来だけは信じたくなくて。

 ボクは一番可能性の高い現実を否定し、がむしゃらに走って逃げ続けた。

 

 

 

    ◆◆

 

 

 

 呆然と呟いたカラカラの言葉に改めて崩れた墓標を見た。

 霧は依然として濃い。ともすれば視界がゼロになりそうな中、ウインディの炎によって照らされた戦闘跡と思われる場所の中に、一本だけ大きな骨が頑丈なはずのタワーの床に突き刺さっていた。

 

「カラカラと同じ骨、か?」

 

 図鑑を開く。カラカラのページには骨を武器として持っている姿が映像として出てきていた。

 

 しかしそれ以外にカラカラの母親を彷彿とさせる要素が何も無いのも事実だ。

 我が子を守るためにロケット団に立ちふさがったのだとすれば、連れ去られた可能性が一番高い。

 が、そんな思考も

 

「――サレ、ココカラサレ」

 

 という言葉によって打ち消される。

 

「おい、ファアル!」

 

「わかってる!」

 

 一段と黒い霧が四方から集い、カラカラへと引き寄せられていく。

 

 ――集まっているのか!

 

 言い様のない危機感に迫られ、呆然と立っているカラカラを力任せに引き寄せると、影は一度四散し、空中を漂い始めた。

 

「まさか、母様!?」

 

 カラカラが悲痛に叫ぶ。

 

「……お袋さんだと?」

 

 シルフスコープを覗き見る。すると、黒い影はひとつに集まり、徐々に姿を変えていく。これまでのゴースではなく、頭の骨を被り、生気の無い瞳に暗い表情をたたえた一体の萌えもんへと。

 

「ファアル、こいつガラガラだ!」

 

 グリーンが図鑑を開いて確認していた。記憶が確かなら、確かカラカラの進化系だったはず。

 

「母様、母様!」

 

 シルフスコープによって姿を現したガラガラはカラカラをただじっと見つめている。その手に骨は……無い。

 しかしカラカラにとっては肉親だと判断出来たのだろう。嫌な予感と共に抑えつけていた俺の手をふりほどいた。

 

「こいつ死んでるぞ! どうするんだよ!」

 

「行かせるわけにはいかないだろ!?」

 

 もう一度カラカラの肩を掴む。古今東西、霊の話なんて沢山あるが、一様について行ったらバッドエンドなのは変わらない。ゴースの力にせよ何にせよ、むざむざ死ぬかもしれない奴の元へと行かせるわけにはいかなかった。

 

「待てよカラカラ! 迂闊に近付くのは――」

 

 しかしそんな俺の考えがカラカラに伝わるはずもない。

 

「うるさい! 邪魔、するな!」

 

 再度、カラカラは激高しふりほどいた。

 

「……君なら違うかもって思ってたけど、やっぱり人間は信用出来ない。

 

 何で止めるんだ! ボクに協力してくれるって言ったじゃないか!」

 

「ああ、言った! だけどよく見ろ! お前の目の前にいるのは幽霊なんだよ! お袋さ

んじゃない!」

 

「母様だよ! ボクが見間違えるわけないじゃないか! 何も知らないくせに!」

 

「――っ!」

 

 カラカラは涙を浮かべ、怒っていた。

 振り払われた手をそのままに、俺は止まってしまう。

 

 自分の信じるものを頑なに信じている姿が。

 信じたいものがそこにあると信じて突き進んでいく姿が。

 そして、誰も理解してくれないと言い切って孤立しているその姿が。

 

 ――重なってしまった。

 

 かつての俺と。

 そして、タマムシシティで見たリゥの姿と。

 

「違う……違うんだよ、カラカラ」

 

 決して間違っているわけではない。そういう生き方だってあるのだと思う。

 だけどその生き方は、どこまでもひとりだ。孤立し、孤独と共に生きていく生き方だった。

 

 かつて経験した者として――そして見てきた人間として、とても悲しい事だと思うのだ。

 間違った生き方ではないと思う。でもそれは孤独に耐えられる者だけに許される生き方だ。

 そして、俺たちはそんなに強くないし、強くあり続けられるわけもない。

 

「何が――何が違うんだよ!」

 

 そうでければ、泣いたりなんかしないはずだ。涙なんて流さないはずだ。暴れたりなんかしないはずだ。

 

 自分でも理解しているから――否定したいからこそ、認めたくないんだ。他の誰よりも知っているから、自分だけは認めるわけにはいかないんだ。それは、敗北するのに他ならないのだから。

 

 だから――

 リウ、俺は……。

 

「……お前が追いかけているのは幻想だ」

 

 現実を認めろ。

 そうして、自分がなすべき事をやれ。

 

「お前のお袋さんは――」

 

 例え辛くても。

 

「死んだんだ」

 

 正面から向かい合い、言葉にしなくては進めないのだから。

 

「っ、あ……あああああああああぁぁぁぁ―――っ!」

 

 影を庇うように立ちふさがっていたカラカラは、現実を振り払うかのように叫びながら一直線へと俺へと跳んだ。

 その手に持っていた骨を大上段に振りかぶり、

 

「ぐっ――!」

 

 容赦なく、俺の頭へと振り下ろした。まるで蝶の鱗粉のように、カラカラの体から黒いモノが飛び散った。まさか、カラカラは――。

 そして、一瞬にして視界がブレる。たぶん、意識も飛んだ。

 

「おい、ファアル!」

 

 グリーンの言葉が意識を引き寄せる。倒れてたまるものかと崩れ落ちようとする膝に力を込めた。

 

「……はっ、もう一度だけ言うぞ、カラカラ」

 

 だけど踏ん張れない。

 力がまるで入らない膝はあっさりと崩れ、俺は懺悔をこうようにカラカラへと頭を差し出すような格好になる。

 

 視界が赤くなる。血だろうか。生温かい液体が顔を伝って落ちていく。

 額が割れたな……。

 どこか他人事のように傍観している俺に気付く。

 

「お前のお袋さんは死んだ」

 

「うるさいっ!」

 

 またもや頭に衝撃が走る。

 モザイクがかかったように視界が判然としなくなる。

 

 

 ――またお節介?

 

 

 ああ、そうだ。

 今はいない大切な相棒に胸中で笑みを浮かべる。

 

「……お前のお袋さんは死んだんだよ」

 

 言葉を続ける度に視界がブレる。

 

「……うるさいっ、うるさい……、うるさい!」

 

 母様はここにいるのに!

 カラカラの慟哭が耳朶を打つ。

 グリーンは止めようとしてくるのだろうか? だとしたら勘弁してもらいたいものだ。

 

 

 ――私を利用しているの?

 

 

 ああ、そうだ。

 そして思ったんだ。同じ場所で同じ夢を見られる。夢の先は違っても一緒に歩んでいける。その頼もしさを。

 

「うるさいっ! なんで……なんで、そんな事言うんだよ! 一緒に探してくれるって言ったじゃないか!」

 

 寄り道ばっかりしていた俺にさぞかしヤキモキしただろなと思う。

 一緒に歩けると思っていたはずが、いつしかひとりがふらふらと違う道を覗きこんでいたりすれば、そりゃ不安にもなる。

 

「ボクは、だから信じて――なのに、君は……ファアルはっ!」

 

 それでも、俺は切り離せなかった。

 自分を。自分の夢を。自分の相棒を。自分の仲間を。

 全てを選ぼうとして、失ってしまった。

 

「うっ、うあ、ち、ちが……、早く、たおれっ……!」

 

 あの時、俺がもっと強ければ救えたのだろうか。

 あの時、俺が迷わなければ今とは違う未来になったのだろうか。

 

「ボクは、君を……君だけは……っ!」

 

 違う、と。

 それだけは違うと言える。

 

 俺は――。

 俺という人間は――

 何度だろうと選ぶ。

 

 例え間違っていても。

 

 例えお節介だったとしても。

 

 例え届かなかったとしても。

 

 例え失ってしまうとわかっていても。

 

 それでも――

 

「カラカラ」

 

 もう姿も見えなくなっていく。

 今すぐにでも落ちようとしている意識を必死につなぎ止めている。カラカラが何を言っているのかもわからない。

 

「お袋さんは死んだんだ……約束したのに、力になれなくて――すまない」

 

 何度だろうと同じ道を選ぶ。

 

「、ボクはっ!」

 

 頭が強烈に揺れる。

 そして、何も来なくなった。

 目を開けてもわからない。というよりも、頭が正常に働いていない。

 

 冷たくなっていく体に、不思議と暖かい風が吹いた気がした。

 それはまるで――幼い頃に抱かれた母さんのような暖かさで。

 俺の意識は眠るように落ちた。

 

 

    ◆◆

 

 

 カラカラの持っていた骨が音を立てて折れ、飛んだ。

 目の前には膝をついてぐったりとしているファアル。散々殴られた果てに頭から流血し、倒れようとしていた。

 

「あの馬鹿っ!」

 

 慌てて駆け寄ったグリーンはファアルを抱き留めた。重たい。そして何より、今自分にも流れてくる血に戦慄した。

 原因を作ったカラカラは折れた骨を見つめて呆然としている。

 

「あっ、ボク……ボクは……」

 

「お前なぁ!」

 

 言葉を荒げ、止まる。

 傍観していたのは自分とて同じだ。

 

 どうしてか、飛び込んではいけないと思ってしまった。理屈では今すぐに止めさせるべきだとわかっていたのに、足が一歩も動かなかった。

 誰の意志かわからないが、このまま飛び込めば自分は大きな間違いをしてしまう――そう感じたのだ。

 

 だが、どうする?

 

 ファアルはどう見ても重傷だった。ロケット団のアジトでも重傷を負ったというし、無茶ばかりする幼なじみだと思う。これで年上なんだから、本当どうしようもない。

 

「くそっ!」

 

 毒づいたグリーンは周囲を見渡す。黒い影もまだ健在だ。

 ウインディに指示を飛ばそうとし、

 

「ボクは……」

 

 カラカラは自分の持っていた骨の折れなかった部分を見つめ、俯いた。

 

「ボクはただ、言いたかったんだ」

 

 そして涙を混ぜて。

 

「母様に――ありがとうって。ごめんなさい、って……ボクは……」

 

 本心からの言葉を言った。

 

 グリーンはこの世に奇跡なんてないと思っている。あるとすれば、それはみんなが頑張った結果、得られた結果だと考えている。我ながら寂しい考えだとは思うが、そうじゃなければこの幼なじみは報われなさすぎる。

 が、今回ばかりは否定してもいい。

 

「……言えるじゃねぇかよ」

 

 小さく呟いた声は耳元から届いた。

 ファアル? と目をのぞき込んでみるが、薄く笑みが浮かんでいる以外、起きた形跡は見られない。

 

 だが、グリーンにはそれがファアルが確かに言ったのだと。そう、思えた。

 カラカラの言葉に合わせるようにして黒い霧が四散していく。

 

「母様?」

 

 カラカラもまた、振り返った。

 影はまるで踊るように空中で漂うと、一度だけファアルを包み込み、霧のようにして消えていった。

 

「何だったんだ、あれ……」

 

 心なしかファアルの顔色が良くなったようにも見える。

 するとタイミングを見計らったかのようにして、

 

「兄貴! グリーン!」

 

 レッドとブルーが現れた。

 シオンタウンで祖父から事情を聞いて駆けつけてくれたのだろう。決して態度には出さず、心の内だけで安堵しておく。

 

「ちょ、ちょっとお兄ちゃんどうしたの!?」

 

 驚きのためか、昔の呼び方に戻ったのはブルーだ。

額が割れてしまっている。すぐに運んだ方がいいとグリーンはふたりに伝えると、

 

「ブルー頼む。お前なら手当も出来るだろ?」

 

「う、うん。少しだけど、ね。レッド」

 

「わかった。俺とグリーンで上に行こう」

 

 幼なじみならではの呼吸で即座に決めると、それぞれが行動を開始した。

 しかし、既にカラカラの姿は消えていた。

 墓標を包み込む霧が薄くなっていく中、小さな影がひとつ、乱立する墓の中へと消えていく姿だけを残しながら。

 

 

    ◆◆

 

 

「そこまでだ」

 

 静かな、しかし重たい言葉で私は救われた。

 今にも私を貫こうとしていた長い角は寸前で止まり、やがて翻された。

 

「……はぁ」

 

 息をついた。

 腕は持ち上がらないくらいに痛い。ろく治療も受けていないから当たり前なのだけれども。

 体を支えようと体重をかけると、悲鳴が出そうなほどの激痛が走った。

 

「ぐっ」

 

 それを飲み込み、健康な状態の何倍もの時間をかけて立ち上がった。

 制止した声の主はもういない。私に打ち勝った萌えもんももういない。

 いるのは私だけ。敗者となった、私だけだった。

 

「――戻ろう」

 

 一歩踏み出すと今にも崩れ落ちそうになった。旅をしていた時とは違って、ここでは誰も手を差し伸べてくれはしない。倒れないためには歯を食いしばって自分の力で立ち続けているしかない。

 

 自動で開く扉を潜ると、すぐにボールが見えてくる。

 敗者専用のホール。私は今日もそこにいた。

 

 自分でボールのスイッチを押し、中へと吸い込まれる。中は快適だ。何もないし、動かなくてすむのだから。

 

「私は、どうして勝てないんだろう」

 

 何度も自問した問いだった。

 そして、答えが出なかった問いでもあった。

 

 何度も勝利してきた。中には強い萌えもんもいた。勝てないと思った勝負にも勝ち、そして負けた。だけど、今より辛かったことは無かった。

 強くなったはずなのに、私は何も強くなってなどいなかったとでもいうのだろうか?

 

 ……そんなはずはない。

 

 だって私は確かに勝利していたのだから。

 格下の相手には勝利出来ても、自分と同じかそれ以上の相手には手も足も出ない。それが、今の私だった。

 

「勝てても……何も嬉しくない」

 

 私の体が壊れる前に、格下の弱い萌えもんと戦う場合がある。その場合は勝てるのに、気分が悪くなる。

 そしてボールの中に戻ってからいつも気がつく。これは私の目指していた強さなんかなじゃない、と。

 

 トドメをさせと言われ、躊躇っていると逆にやられた時もある。だけど、出来るわけがなかった。強さのために何もかもを捨てられなかった。

 そして、それこそが弱さだと言っていた。

 何かを求めるには何かを捨てなければならないと聞かされた。

 

「私は……」

 

 膝を抱えて、顔を埋める。

 今日も疲れた。早く寝て少しは体力を回復して、次に備えないといけない。

 

 なのに、思い出してしまう。こうして何もすることがないと、どれだけ私が拒否しても、壊れたビデオデッキのように再生されてしまう。

 止めたいけど、止められない。

 堰を切った水のように、一度あふれ出すと私の意思では止まらないのだ。

 

 

 ――これから一緒に強くなろうぜ。

 

 

 その言葉が離れない。真っ直ぐに見つめて力強く言ってくれた言葉で、もう一度立とうと思った。

 何度やっても勝てなくて、最後には失望されて、辛くて逃げ出してしまった。私なんか待っているわけがないし、追っても来ないとわかっていたのに、構って欲しくて逃げ出した。

 

 

 ――よろしくな、リゥ。

 

 

 初めて名前を貰った。不思議と心地よくて、ずっと心の中で呼び続けた。あの人は気がついていなかったようだけど――凄く嬉しかった。まるで自分が認められたようで、誇らしかった。

 

 だけど、一緒に旅をしている内に「何だこいつは」って思うようになった。いい加減だし、時々真面目になるかと思えばふざけてるし。でも戦っているといつも真剣だし……本当に戸惑った。いつか当たり前のように吹っ飛ばしていたけど、あれだってちゃんと手加減していた。

 

 初めてのジムリーダーは強かった。シェルが思っていた以上に強くて、それ以上に後ろから来る指示が次第に頼もしく感じるようになった。勝利をもぎ取った後に貰ったバッジは私の誇りだった。

 

 

 ――俺には受け取れない。

 

 

 弱い萌えもんとの出会い。戦う事が怖かったコンと月の下で話した。初めて、自分以外の強さと向き合え、知れた気がした。私には無い部分で戦っているんだってようやく認められた。

 

 ジムリーダーとの戦いは怖かった。弱点を攻められるという恐怖と、壁にも見える暴力的な力があった。だけど、逃げてたまるかと歯を食いしばった。ともすれば逃げてしまいそうな背中を押してくれたのは、いつも後ろから来る言葉だった。

 

 

 ――こいつは俺の相棒だ!

 

 

 生まれて初めて船に乗った。海の上にいるっていうのが信じられなかったけど、甲板から見た光景はまた見てみたいと思った。

 そして、シェルの強さを改めて知った。強い、と心から感じた。戦いの強さではなく、心の強さが。

 

 シオンタウンで救いを求める萌えもんと出会った。見捨てたりしないんだろうなと思ったら案の定だった。私の想いもお構いなしに面倒事に首を突っ込んでいく。勝手にしてくれと思っていたら、コンに怒られた。あの弱かった娘が、今じゃ私を迎えに行くと言っていた。それをわかった時、愕然とした。

 

 私がコンやシェルよりも――遙かに弱くなっていた事に。

 

 これじゃ駄目だと思った。だから、バッジを返した。誇りだったバッジを無くせば、もう一度頑張れると思ったから。

 だけど、受け取ってはくれなかった。私につけていろと背中から声が聞こえた気がした。だけど私は隣を歩くのが辛くなっていた。何よりも、弱い自分が大嫌いだった。

 

「ううん、違う……」

 

 本当はわかっていた。

 焦っていた中で、ずっと私の事を考えて行動してくれていたのがわかっていて、気がつかないフリをしていた。私が一番私を考えているんだって信じたかった。何とかしようと必死に考えてくれていたのも……イーブイを見捨てられなかったのも、わかっていた。だって、そういう人だから。変でおかしくて、ロケット団相手には容赦しないけど、でも、助けを求めた声を聞き逃したりしない人だから。

 

 無理をさせたのは誰でもない、私だ。

 

「私は……」

 

 痛い。

 怪我よりもずっと痛い。

 耐えきれず、膝を抱える力を強め、顔を埋める。

 

 ひとりになってみてやっとわかった。

 私がこんなに想われていた事に。

 大切にされていた事に。

 

 "強くなる"ではなく、"強くなろう"と。

 

 その言葉に救われた。折れそうだった心を支えてくれた。俯いていた顔を上へと向けてくれた。

 

 ずっとひとりだった。ひとりで戦って、強くなろうと考えていた。だから、アジトで選んだ選択も間違っていないと思っていた。

 

「――寂しい」

 

 離れてから気付いた。

 

 背中を預けるという事を。

 

 一緒に強くなるという事を。

 

 強さが実感出来なかった。

 ひとりでは強くなれなかった。

 そんな私は――

 

 

 いつの間にかひとりで歩き続けるのが怖くなっていた。

 

 

 ――リゥ

 

 

 一緒に戦いたかった。

 

 一緒に強くなりたかった。

 

 一緒に歩いていきたかった。

 

 その願いを全部壊したのは私だ。

 

「……っく」

 

 ひとりでいると悲しくなる。

 ひとりでいると考えなくてもいい事まで考えてしまう。

 だけど、ひとりでいると何も隠さなくていい。

 

「ふっ、あ、……うぅ」

 

 涙が溢れてくる。

 私はどうしようもなく弱くなった。強くなんてなかった。

 焦って選んだ道は私にとって間違っていたんだ。

 

 もう私の言葉は届かない。自分で離れたのに、それでも望むなんて、私はどこまで傲慢なのか。

 

 ――だけど。

 

 ボールの中はひとりだ。誰に聞かれる事もない。

 きっと今の私の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって、みっともないだろう。

 自分の我が儘で辛い目に合っている奴なんて誰が救うのか。願いなんて誰が聞き届けるのか。

 

 だから、嗚咽で掠れた声で――願った。

 届くはずのない想いを。

 差し伸べられるはずのない手を。

 

「ごめん、なさい……。助けて……ファアル」

 

 初めて合ってから一度しか呼んだ事のない名前を。

 私にとって一番大切な人の名前を。

 何度も何度も呼んだ。

 

 

    ◆◆

 

 

 風が吹いていた。

 地上十数メートルともなるとさすがに強い。

 こんな場所に来るとすれば風変わりな人間かビルの管理人くらいだろう。

 落下防止用のフェンスを通して広大な街並を見る。

 

「……小さいな」

 

 強風に流されて言葉は消えていく。

 誰に聞き取られるわけでもない。この屋上には最初から彼女――イーブイしかいないのだから。

 

 薄汚れていた毛並みは本来の色を取り戻し、心なしか輝いているようにも見える。白い毛並みを両断するかのように額に走る傷だけが唯一、イーブイが本来持っている荒々しさを醸し出していた。

 

「あ、ここにいたんだ」

 

 重たい屋上の扉がゆっくりと開き、少女が姿を現した。

 好奇心旺盛な瞳をイーブイに合わせ、小さな歩幅でフェンスへと立ち寄る。

 

「うわあ、たかーい!」

 

 はしゃぐ少女を見て、落ちてしまうのではないかと内心ひやひやしてしまう。

 

「フェンスに手をつけなかったらだいじょうぶってママが言ってた!」

 

「あ、そ」

 

 どうやら親にもう躾けられているらしい。

 当然といえば当然か。路地裏で倒れていたイーブイを救い、そのまま家で保護してくれたのは今目の前にいる少女だった。

 親に反対されながらも一途に自分の想いを精一杯貫き通していた。

 

「――わっちは何がしたいんだろうな」

 

 今の自分には何もする事がない。

 一緒に育った仲間達は消え、ひとりになった。

 歩む先を無くしてしまった。

 道しるべの無い道中をどう歩いて行けばいいのか。

 イーブイには何一つわからなかった。

 

「んー、イーちゃんのしたいことをすればいいと思うな」

 

 少女は言う。

 

「わたし、やりたいことをやったよ? だからイーちゃんがここにいるんだもん」

 

 表情に何一つの曇りも無く。親を圧倒する程の剣幕で押し切ったあの強さも感じられなかった。

 

「わっちのしたい事、か」

 

 呟き、目を閉じる。

 脳裏に浮かんだのは、あのふたりだった。

 そして、離れていく姿だった。

 

 ――そうだな、あいつには借りがある。

 

 自らの呟きに笑みを返し、目を開ける。

 

「見えた気がする」

 

「そっかぁ」

 

 踵を返し、屋上を後にする。

 その背に声がかかる。

 

「行くの?」

 

「ああ。その――世話になった」

 

 ごにょごにょと消えるような声はしかししっかり少女に届いていたらしい。

 花の咲くような笑みを浮かべて、

 

「いってらっしゃい!」

 

 手を振った。

 振り返りもせず、屋上を後にする。

 自分の道を見定めたのなら、後はひたすらに真っ直ぐ歩くだけなのだから。

 

 

 

    ◆◆

 

 

 

 目を覚ますと、いつか見た光景と同じだった。

 どうやら俺はまた倒れたらしい。

 

「いっ、つつ……」

 

 起きると無茶をするなと言われたばかりの体が悲鳴を上げた。

 

「どうなったんだ?」

 

 額に手をやると、慣れない感触があった。ベッド横に設置されていた鏡でようやく、自分の頭に包帯が巻かれているのだとわかった。

 

「……まぁ、あんだけ殴られりゃな」

 

 仕方ないか、と思う。

 窓の外を見ると、太陽が低い位置に見えた。橙に染まってないことから、まだ朝なのだろう。

 

「腹減ったな……」

 

 現金なもので、意識がはっきりすると急に空腹が襲ってきた。

 呼び出しボタンでも使うか。

 そう思い、手を伸ばした時だった。

 

「あ、目が覚めたんだ?」

 

 閉められていたカーテンから顔を覗かせたのはブルーだった。

 ブルーは持っていた紙袋をテレビの下にある棚へと突っ込むと、

 

「これ、着替え。洗っておいたよ」

 

 えへへ、と笑った。

 言われて自分を改めて見ると、当たり前だけど寝間着に着替えさせられていた。

 

「そっか、ありがとな。ところでブルー」

 

「何?」

 

「萌えもんタワーはどうなったんだ?」

 

 俺はカラカラに殴られ続けた事で意識を失った。そこまでは覚えてる。だけど、その先がわからない。

 行方不明になった藤老人やロケット団も気がかりだった。

 ブルーは呆れたように「起きたと思ったらそれ?」と言い、

 

「俺たちが倒した。藤老人も無事だったぜ」

 

 後に続いたグリーンが言葉を継いだ。

 

「やっぱりロケット団が絡んでやがったらしい。目的はわからず仕舞いだったけどよ」

 

 ああそうだ、とグリーンは手を叩き、

 

「藤老人があんたに感謝してたぜ。礼を言って欲しいってさ」

 

「俺が?」

 

 俺は何もしてないと思うんだが……。

 しかしグリーンもそれ以上は何も聞いていないようで、首を横に振っただけだった。

 

「そういや、カラカラは?」

 

「わかんねぇ。俺らもそれ所じゃなかったし……気が付いたらいなかった」

 

「……そうか」

 

 無事だといい。

 望まない現実を突きつけた俺には、祈る事しか出来ないけれど。

 

「そうだ、兄貴。テレビは見た?」

 

 幼なじみは三人揃っていたらしい。最後に現れたレッドがそう言い、俺は否定した。

 

「さっき起きたばっかりでまだ。どうしたんだ?」

 

 俺の問いにレッドはテレビカードを挿入してテレビをつける事で答えてくれた。

 

「――現在、シルフカンパニー本社は立ち入り禁止となっており、警察による厳重な封鎖がされています。あ、今ジムリーダーの棗(なつめ)氏が到着しました!」

 

 と、テレビでは女性リポーターが報道をしていた。

 

「シルフカンパニーで何かあったのか?」

 

「うん。ロケット団がテロを起こしたらしいよ。シルフカンパニーは占拠。ロケット団は

社長以下従業員を人質にとって立てこもってる」

 

 俺はもう一度テレビを見る。

 ヤマブキシティジムリーダーの他に、オオキド博士や熊沢警部の姿も伺える。

 

「要求は何かあったのか?」

 

「わからない。何も聞いてないんだ」

 

「……そうか」

 

 あの榊さんが何も考えなしにこんな行動を起こしたとは思えない。

 シルフカンパニーといえば萌えもん関係の道具を作っている一大企業だ。萌えもんボールもシルフカンパニーが制作しているし、傷薬などの治療薬もそうだ。

 このまま占拠され続けるだけで、その影響は計り知れない。

 

「だからさ、俺たち行くよ、兄貴」

 

「あん?」

 

 レッドの言葉にテレビから目を離す。

 幼なじみ三人はそれぞれ幼い顔に決意の表情を浮かべていた。

 

「まさかお前ら……わかってるのか?」

 

 一歩間違えれば死ぬかもしれない。

 それにいくら旅をしているとはいっても、レッドたちはまだ子供だ。こんな事件に首を突っ込ませていいわけがない。

 だが、三人は一様に否定した。

 

「もちろん、わかってる。わかってるから、行くんだ」

 

 レッドはグリーン、ブルーの顔をそれぞれ見た後、

 

「俺たちが選んだ道だから。動けない兄貴に変わって、俺たちが戦いたいんだ」

 

「ファアル、お前ぼろぼろじゃねぇか。ちゃんと知ってるんだぜ、俺もレッドも、ブルーも」

 

「リゥちゃん、離れちゃったんだよね。だからって無理しちゃ駄目だよ。後は私たちに任せてくれれば、ばっちりおっけーなんだから」

 

 三人の言葉が身に染みた。

 そしてそれ以上に、責め苦となって俺に襲いかかってきた。

 

 戦力外を通告されたという事実と、リゥのいないという現実に。

 コンやシェルがいてくれても……俺の強さは、向かいたい強さには届かないと気付いてしまっていたから。

 

「――わかった。そこまで言われて俺が口出すのも野暮だな。気をつけろよ」

 

 俺の言葉に三人は頷いて、病室を出ていった。

 一息つく。

 テレビからはシルフカンパニー関連の報道が延々と流れ続けている。試しにチャンネルを変更してみるも、どこも同じような内容だった。

 

 窓の外を見る。

 事件など何も起こっていないように、街を人が歩いている。

 

 その中を、俺たちは歩いていた。

 隣に感じていた存在がいないだけで、俺は自分に迷いを見いだしてしまっている。

 それが酷く惨めだった。

 

「これじゃ、愛想つかされるのも当たり前だよな」

 

 はは、と乾いた笑いを漏らす。

 今の俺に出来る事といえば、病室で事件解決を祈るくらいだ。

 

 諦めると体が軽くなった気がした。

 それが気のせいなんだと理解しながら、身を任せる。

 逃げだと知っていながら、受け入れる。

 

 いつかも感じた虚脱感。

 しかしいつも、それを打ち破ってくれるのは、

 

「ほう、起きていたようじゃの」

 

 オオキド博士だった。

 さっきテレビで見た姿と寸分変わらない様子で、若干の披露を滲ませながら博士はベッドのすぐ横で立ち止まった。

 

「映ってたぜ?」

 

「目を覚ましたと聞いて、慌てて駆けつけてやったんじゃ、感謝せい」

 

 忙しいくせに、という言葉は途中で切られる。

 

「――潜入した部隊の報告をお主に伝えようと思っての」

 

「病院のベッドで寝てる俺にどんな情報を伝えるってんだよ」

 

 動けない俺には必要のない情報のはずだった。

 

「リゥらしき萌えもんを見つけたとの報告があった」

 

「――なんだと?」

 

 リゥが?

 

「報告によると、かなり衰弱していたらしい。じゃが、命令のまま、潜入した部隊を蹴散らしたそうじゃが……手負いの獣のようでもあったらしい」

 

 博士は眼孔を鋭く、俺を射抜いた。

 

「お主は何をしておる?」

 

「……」

 

 その言葉に返す言葉は……持っていなかった。

 目を合わすのも辛くて、俯く。

 

 俺は――、

 

 そうしてしばらく経過した後、

 

「……現在、ジムリーダーも動けん状態じゃ。各地でロケット団の一斉蜂起によってヤマブキシティに集えん。現状動けるのは、近くにおるトレーナーとヤマブキシティジムリーダー、そして……ここタマムシシティだけじゃ。その点は助かったぞ、ファアル」

 

 ではな、と博士は背を向け、出て行った。

 俺のした行動は完全に無駄ではなかった。

 そう思う反面、認めたくない俺もいた。あのアジトにさえ乗り込まなければ、リゥを失う事もなかったのではないか、と。博士の報告にあったような目に合わさないで済んだのではないだろうか、と。

 

 今考えても仕方のない事だ。

 いずれにせよ、

 

「寝てるしかねぇさ……」

 

 ベッドに身を預ける。

 思い出したように頭が一瞬だけ痛んだ。

 

 イワークに殴られ、カラカラにも殴られた。体はどう考えても万全じゃない。今更俺が行ったところで戦力になるはずがない。

 

 得も言われぬ嫌悪感から逃げるようにして視線を逸らすと、ボールの入ったホルスターが見えた。

 

 そういえば、コンやシェルはどうしているんだろう。

 気になってボールへと手を伸ばすと、あっさりと展開された。

 

「あれれ、出番ですか?」

 

「ふあー」

 

 きょろきょろと見渡すコンに欠伸をしているシェル。俺はふたりに違うと答え、

 

「入院してても暇でさ」

 

「あ、なるほど」

 

 そうして、つけっ放しになっていたテレビからは延々とロケット団のニュースが流れている。

 煩わしくなってリモコンへと手を伸ばしたその時だった。

 

「これ――リゥさんもいるんでしょうか?」

 

 コンの言葉に止まった。

 

「……ああ、博士によるとそうらしい」

 

 今も戦っているのだろうか?

 俺が答えられなかった強さを求めて。たったひとりで。

 

「ご主人様……」

 

 コンがはっとしたように俺を見て表情を変えた。しかしそれも一瞬で、やがてシェルに視線を向けた。

 

 情けない顔をしてしまった。

 こんなトレーナーじゃ不安になってしまう。

 リゥがいなくなってからというもの、情けない事だらけだ、本当に。

 

「あ、あの、ご主人様!」

 

「まーすたー!」

 

 さっきまで小声で話していたシェルとコンが一緒に詰め寄ってくる。

 

「お、おう。どうしたんだ?」

 

 それはいつもと違う様相で、気圧されながら答えると、

 

「今って出かけても大丈夫ですよね?」

 

「あ、ああ。まぁ、少しくらいなら」

 

 これだけピリピリしている空気の中、出歩けるような猛者はいないと思いたい。

 そんな俺の願いに便乗するかのようにコンは更に身を乗り出し、

 

「あの……お小遣い、ください!」

 

 突拍子もないお願いに、俺はしばらく面食らったのだった。

 

 

    ◆◆

 

 

 二日が経過した。

 

 流血の割には早いもので、すぐに退院となった。先生によれば、カラカラの手元が狂っていた上に、持っていた骨も損傷が激しかったために助かったという事だった。何度も頭を殴られたが、それぞれの傷はバラバラで深い傷がほとんど無かったらしい。

 

 そうして追い出されるようにして再び病院を後にした俺は、入り口前で視線をさまよわせていた。

 

 コンとシェルはあれから見ていない。浚われたんじゃないかと不安で仕方ないが、どうやら一度戻ってきたらしく、病院の入り口で案内した後に萌えもんセンターまで連れて行ってくれたらしい。感謝だ。

 

「さて、まずは迎えに行かないとな」

 

 出る時に見たニュースでは、依然として膠着状態のようだった。早く解決しなければと騒いでいたが、投入されたロケット団員の数も今までの比ではないらしく、なかなか進めないようだった。念のためヤマブキシティに通じる道は完全封鎖されているらしく、猫の子一匹すら通れないらしい。

 

 正直な話、何の動きすら見せない榊さんの目的がいったい何なのか気になるが、今の俺には立ち向かうだけの強さも無かった。

 

「進化、か。何なんだろうな」

 

 レッドやグリーン、ブルー。そして道中戦ったトレーナーやジムリーダー達。みんな進化している萌えもんだった。

 

 憧れがないわけじゃない。ただ、それが必要になるとは思わなかった。勝つために戦っていた。そのために必死で、進化を考えている暇も無かった。

 

 そもそも、戦っていればその内進化する。

 そう考えてもいた。

 

 ――もどかしい。

 

 酷く、もどかしかった。

 

「情けねぇもんだな、俺」

 

 泥沼へとハマっていく思考を打ち切るように毒づき、萌えもんセンターへと入るとシェルとコンがすぐに飛びついてきた。

 

「おっと、元気だったか?」

 

「はいっ」

 

「ばっちりー」

 

 シェルはブイサインを出し、コンは尻尾をパタパタと振っている。

 

「気分転換になったか?」

 

 俺の問いにコンは視線を外し、しばらく迷っていたようだったが、やがてシェルへと視線を向けるとふたり同時に頷いた。

 

「そっか。そいつは良かった」

 

 いつまでもいても仕方ない。

 一緒に歩きたいという要望に答えて、右隣にシェル、そして後ろにコンが立った。

 

「隣はいいのか?」

 

 俺の問いに、コンはゆっくりと首を横に振った。

 

「……そこは、立つべき人がいますから」

 

 誰を指しているのかはわかった。

 

「私、約束したんです」

 

「約束?」

 

「はい。大事な約束です」

 

 コンの瞳はどこまでも真っ直ぐに前を向いていた。

 かつてニビシティで出会ったような臆病は無く、ハナダシティで見せた怯えた様子も無く。

 

「今度は私がリゥさんを迎えに行くって。私に立ち向かう勇気をくれたのはリゥさんだから。戦う強さをくれたのがご主人様だから」

 

 だから、と。

 

「約束、守らないといけません。例え――」

 

 

 ――誰が相手でも。立ち向かう事が強さだから。 

 

 

 当たり前のように言った。

 そして、

 

「わたしも! リゥは強いけど弱いから。がんばって強くなろうってしてるから。いっしょに戦ってきたからわかるもん!」

 

 シェルもまた、幼い瞳に闘志を燃やして。

 誰よりも負けず嫌いな娘は、

 

「わたし、ますたーが好き。ますたーといると楽しいし、ずっと一緒にいたい。でも、今のますたー苦しそう。リゥがいなくなってからずっと。だからね――」

 

 

 ――こんどはわたしがますたーを助ける。

 

 

 すとん、と。

 ふたりの言葉が心の底に落ちた。

 

「あ、……」

 

 そうか、こんな簡単な事だったのだ。

 

「は、はは……そうか、ははは」

 

 空を見る。

 そうしなければ我慢出来そうになかったから。

 今にも堰を切って溢れそうな涙を止められそうになかったから。

 

「――俺の気持ちなんて最初からひとつなんじゃないか」

 

 自分で限界を見つけて自分で駄目だと諦めて――何のことはない、昔と同じだった。俺は何一つ変わっていなかった。

 俺が本当に欲しいもの。俺が今一番願っている事なんてたったひとつしかなかったのだ。

 そのために、

 

「シェル、コン」

 

 俺は戦わなければいけない。

 今度こそは背を向けず、真っ正面に挑んで。

 絶対に、勝たなければいけない。

 

「力を貸してくれるか?」

 

 答えてくれた声は言葉にするまでも無かった。

 

 

    ◆◆

 

 

 シルフカンパニー前は騒然としていた。周囲の建物と地上周辺には機動隊が配備され、常に厳戒態勢を取っている。報道関係も立ち入りが禁止されているが、範囲ぎりぎりまで押し寄せてきているので対応が難航しているようだった。

 

「ふぅ、彼らにも困ったものですね」

 

 そんな様子を見て、愛梨花はひとりため息をついた。

 

「そう言うな。仕事の内だ。我々と同じようにな」

 

 答えたのは腰まである長い黒髪のまだ少女と呼べる年齢の女だった。

 

「……せめて自分の身は守って欲しいものですね、棗(なつめ)さん」

 

 少女――棗は小さく頷いた。

 

 ヤマブキシティジムリーダー。その肩書きを持つエスパー少女はシルフカンパニー本社を見上げた。下から見上げると首が痛くなる程高いビルは、今はロケット団に占領されてしまっている。

 

 二日かけて解放出来たのは三分の一程度。高い構造と迷路のような社内、そして想像以上に強い萌えもんによって攻略は遅々として進んでいない。

 

 情けない、と己の無力さを歯噛みする。こうして手をこまねいている内に、カントー中

の市街地がロケット団によって荒らされているというのに。

 

「――集まったトレーナーは彼らだけか?」

 

「ええ」

 

 棗が視線を向けたのはまだ十代も前半の少年少女たち。名をレッド、グリーン、ブルーと言った。彼ら以外のトレーナーは逃げたか、各地で戦っているかのどちらか。

 いや、ロケット団に賛同しているトレーナーもいるらしい。

 未だ要求のひとつも向けてこないロケット団の狙いが掴めぬまま、萌えもんの回復が終わろうとしていた。

 

「愛梨花、何日までもつ?」

 

 このまま連戦ではその内、萌えもんが疲弊してしまう。籠城戦は圧倒的に攻める側が不利なのは既に自明の理であろう。

 

「それほどは……。もしかしたら、狙いはそこなのかもしれませんね」

 

 かもしれない、と棗も感じてはいた。

 だとすれば、早急に決着をつけなければいけないだろう。

 そういえば、と思い出す。

 

「奴はいないのか? 何でも破竹の勢いでジムリーダーを倒している面白いトレーナーがいるらしいじゃないか」

 

 誰の事を言っているのかすぐにわかった。

 しかし、愛梨花は言葉を濁す。彼の状態を知っているだけに答えるのに迷ってしまった。

 

 二度、病室に行った。

 一度目はアジトで倒れた後。もう一度は、シオンタウンで倒れた後。

 

 彼は――ファアルはボロボロだった。肉体的にも精神的にも。

 その原因の一端は、間違いなく自分にあるのだともわかっていた。

 

「いいえ、彼は入院中ですので」

 

 弱く首を横に振る。

 それだけでわかったのだろう。棗は「そうか」とだけ言ってタワーを見上げた。

 時間を確認すれば、そろそろ戦闘開始の合図が鳴る頃合いだ。

 

 今日で決着をつけなければいけない。

 物言わぬタワーを見上げ、ひとり決意していた。

 

 

    ◆◆

 

 

 タマムシシティ郊外には小高い丘がある。

 休日には家族連れでそこそこ賑わうここも、平日の今となっては誰もいなかった。

 丘の縁に立って、ヤマブキシティに視線を送ると一際大きいビルが見える。

 

 シルフカンパニー本社。

 萌えもん関連の道具を一手に担い、今はロケット団に占拠されてしまった企業。

 

「ここに何かあるんですか?」

 

「ん? ああ。実はな、ちょっと抜け道があるんだよ」

 

 ヤマブキシティに入ろうと思うと、東西南北それぞれにゲートがある。普段は別段問題なく通してもらえるのだが、今は完全封鎖されてしまっているため通行は不可能だろう。

 

 だが、この丘からは裏道があった。昔遊んでいた時に偶然見つけたもので、開発時期に作られた古いものですっかり忘れ去れて草木が生い茂っていたが、まだ使えるはずだ。

 

「……よし、行こうぜ」

 

 これは俺の我が儘だ。何としても取り戻したいっていう、ダサい男の未練だ。

 何の特にもならない想いに命を懸けようとしている。万全じゃない体で、戦おうとしている。

 そんな愚かな俺に、しかし当たり前のように力を貸してくれる存在がある。

 そして、

 

「――ちょっと待ってよ」

 

 丘の茂みから影が飛び出してきた。

 

 

    ◆◆

 

 

「ファアルの弱点ですか?」

 

 着々と準備が進められている中、熊澤は急に出た話に頭をひねらせた。

 話題を出した本人はうむ、と頷いただけだ。

 熊澤は今まで見たファアルの戦いを思い起こす。いずれも中継を通して見ただけだったが、

 

「……これといっては特に思い当たりませんな。素人の私が言うのも何ですが、ありゃ面

白いですよ。こう、火をつけられますな」

 

 ジムリーダーとの勝負は手に汗握るものだった。

 

 素人目に見ても爽快だった。レッドやグリーン達のようなトレーナーには無い絡め手が見ていて予想が出来ず、ひとりの観客として楽しめているのは確かだ。タイプも変えず、弱点であったとしても勝ちの一手をたぐり寄せる――その戦い方に、惹かれてしまうのも仕方のない事なのかもしれない。ジムリーダーを相手に強いタイプを揃える戦法とは全く違うのだから。

 

 事実、熊澤の周辺にもまた見たいという人間は多い。

 しかし、話題を出した張本人であるオオキドは、

 

「それじゃよ、熊澤警部」

 

 我が意を射たりという様子で指を立てた。

 

「はあ」

 

 それが何の関係があるのだろうか。

 ただの世間話としてならば確かに面白そうではあるが、あいにく今はそんな時期ではない。

 

「――進化とは強くなる事じゃ」

 

 しかしオオキドは構うことなく話す。

 

「我々が苦戦しているのはそのためでもあろう?」

 

 事実だった。

 ロケット団の大半が進化した萌えもんを所持、またその強さは同じ種類であっても特化しすぎていた。勝ち抜いた末に選び抜かれた戦士――対峙したトレーナーは皆、口を揃えて相手をそう評価していた。

 

「一般的に言えば、萌えもんは進化し生存競争の中で生き残ってきた。自然という過酷な環境にあっては当たり前じゃ。儂らのような人間も例外なくの」

 

 だからこそ、

 

「進化前の萌えもんは進化した萌えもんには勝てない。それはな、大人と子供と同じ違いじゃ。腕力、瞬発力――どれを取っても敵わん」

 

「でしょうな」

 

 当たり前の話だ。だからこそ、トレーナーたちはこぞって萌えもんを進化させようとする。それこそが、強くなるための最短距離だからだ。

 

「しかし、ファアルは勝ってしまった」

 

 言われ、気付く。

 

「剛司、香澄、マチス――そのどれにも勝ったんじゃよ。秘策、奇策と儂らの予想だにしない戦闘方法で」

 

 誰が地面タイプを麻痺させようなどと考えるか。

 

 誰が水タイプに炎タイプで打ち勝つか。

 

 誰が雷タイプに水タイプで勝利するのか。

 

 しかも、進化をしていない、本来ならば絶対に勝てないであろう弱点のタイプを持つ萌えもんで、だ。

 

「博士、それは――」

 

 熊澤の言葉にもう一度、オオキドは顎に生えた髭を撫でながら、

 

「それこそがファアルの弱点じゃよ。ジャイアント・キリング――打てる手を全て使い、弱い者が強い者を倒す。故に進化の必要が無かった。元より、する必要が無かったのじゃ」

 

 何故ならば、

 

「本来ならば覆せないはずのハンデを覆し、勝利していたのだからの」

 

 榊は何を言おうとしていたのか。

 おそらくファアルがこの場にいれば思い至ったのかもしれない。

 しかし、ファアルはいず、事情の知らぬふたりの男がいるだけだった。

 

「あやつの弱点はあやつひとりでは解決出来ん。どう足掻いても、あやつのスタイルを今更変更は不可能じゃ。積み重ねた年月が、それを阻みよる」

 

 歳を取るというのはそういう事じゃ、とオオキドは笑った。

 

「じゃあ、あいつは――」

 

 熊澤の言葉に、

 

「――自然界はともかく、人と萌えもんの関係においての進化は、儂は信頼だと思っておる」

 

 オオキドはレッド、グリーン、ブルーへと視線を順番に向け、

 

「この人のために力になりたい。強くなりたい。一緒にいたい――理由は何でもいい。ただ、トレーナーとの信頼こそが進化に繋がる。それは例え相手がロケット団員でも変わらんだ。萌えもんから見れば、トレーナーなのじゃから。」

 

 たったひとつのシンプルな答え。それこそが、長い年月をかけてオオキドがたどり着いた結論でもあった。

 

「それは――まるで人ですな」

 

 意思のある生き物。人でも動物でもない生物、萌えもん。

 トレーナーと萌えもん。それぞれがお互いを労り、信頼し、助け合う。

 その結果が進化なのだとしたら――。

 

「そうじゃよ。萌えもんだけではあるまい。心があれば繋がれる。誰かを愛し、愛される事が出来る。その絆こそが――強さとなるんじゃないかの」

 

 オオキドの言葉を最後に周囲の動きが変わってくる。ちょうど時間のようだ。

 熊澤は興味深い話を後に、仕事へと戻る。

 願わくば、今日が最後の一日になる事を願って。

 

 

    ◆◆

 

 

「――ちょっと待ってよ」

 

 言葉と共に茂みから姿を見せたのは、

 

「カラカラ、か?」

 

「うん。久しぶりだね」

 

 萌えもんタワーで涙を流していたカラカラだった。グリーンからは姿を見えなくなったと聞いていたが、無事だったらしい。

 

「そうか。姿が見えないって聞いてたし、どうしたのかと思った」

 

 俺の言葉にカラカラは照れたように笑みを浮かべ、そして頭の包帯を見て、

 

「あれからずっとひとりで考えてたんだ。ボクと母様の事。そして、ファアルの事も。

 ……ごめん。謝って済む問題じゃないと思うけど、取り憑かれていたとはいえ、ボクは

君に酷い事をした」

 

 被っている骨が落ちるんじゃないかってくらい深く頭を下げた。

 

「いいって。顔を上げてくれよ。俺は何もしてねぇって」

 

 しかしカラカラは再び頭を上げ、俺の言葉を否定した。

 

「違う。君の言葉は確かに辛かったし、痛かった。許せなかったよ」

 

 でも、

 

「君の言葉がボクを救ってくれたんだ」

 

 真っ直ぐにカラカラの瞳は俺を見ていた。

 そして、背中に背負っていた自分の身長ほどもある骨を掲げ、

 

「これ、母様の骨。あそこで見つけたんだ」

 

 言われ、思い出す。

 そういえば戦闘後の辺りに骨が刺さっていたな、と。

 

「ファアル。戦いに行くんだろう?」

 

「ああ」

 

 カラカラは一度目を閉じる。

 そして、

 

「ボクも連れて行ってくれ。今度は君を助けたい。君を助ける力になりたい。そして出来るなら――」

 

 君と一緒に旅をさせて欲しい。

 そう言った。

 

「いいのか? 敵の本拠地に乗り込むし、危険だ。何より、お前の人生を俺のために使う事にもなるんだぞ」

 

「構わない。胸を張ってくれ、ファアル。君はボクにそれだけの事をしてくれたんだ。ここで君の力になれなかったら、ボクは母様に合わせる顔がないし、何よりも自分が許せなくなる」

 

 当たり前のように、カラカラは言ってくれた。

 正直に言って戦力が欲しかった。

 

 俺は何もしちゃいないし、寄り道ばっかりしてリゥには呆れられた。

 シルフカンパニーに挑むのもシェルとコンだけのつもりだった。

 だけど、

 

「――ありがとう。カラカラ」

 

 ホルスターにはいつも空のボールがある。

 俺はそれをカラカラに向かって投げる。

 

「構わないよ、ああそれと」

 

 一端ボールに入り、すぐに姿を現すと、

 

「ボクの事はカラって呼んで。そっちの方が仲間な気がするからね」

 

 言って、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「ああ。よろしくな、カラ」

 

「うん。こちらこそ」

 

 カラカラ改めカラにシェルとコンも

 

「あの、コンって言います。改めてよろしくお願いしますっ」

 

「シェルっていうー。よろよろー」

 

「うん、こちらこそ」

 

 死を乗り越えたからだろうか。大人びたカラと挨拶を交わしたシェルとコンはお互いに目を合わせ、

 

「あの、ご主人様!」

 

「ますたー!」

 

 そうして、服のポケットからそれぞれ取り出した物を俺へと突き出した。

 

「これ、使ってください!」

 

「使ってー」

 

 受け取って、気付く。

 これは……

 

「コン、シェル……いいのか?」

 

 それぞれの顔を見る。

 後悔など全くない。そんな表情だった。

 

「ごめんなさい、ご主人様のお金、使っちゃいました」

 

「ごめんー」

 

 一昨日に病室でお小遣いを欲しがった理由がやっとわかった。

 このふたりはそのために……。

 

「――ありがとう」

 

 本当に俺は助けられたばかりだ。

 自分ひとりじゃ夢を見るだけしか出来ないのに。

 リゥと一緒に歩き始めて、いつの間にかみんなに支えてもらっていた。

 俺の我が儘のために力を貸してくれる頼もしい仲間がいてくれる。

 

「そいつらだけじゃないぞ」

 

 更に、

 

「わっちもいるぜ」

 

 ヤマブキシティ側から見知った顔が姿を現した。

 額の傷と凶暴そうな相貌を泥だらけにして、アジトで姿を見せなくなった萌えもんは言う。

 

「お前……しぶといな」

 

「お互い様だろ」

 

 愛梨花から姿を見なくなったと聞いていたけど、こいつも無事だったらしい。

 というか、

 

「なんか甘い匂いしてるぞ?」

 

「う、うるさい! あいつが無理矢理風呂に入れやがったんだ!」

 

 離れている間に何かあったようで、顔を真っ赤にして怒鳴っている姿はギャップがあって可笑しかった。

 

「……何笑ってんだよ」

 

「はは、いや、別に何でもねぇさ。で、どうしたんだよ?」

 

 決まりきった事を聞くな、とイーブイは甘い匂いを払拭するばかりの凶暴な笑みを浮かべ、

 

「ロケット団を潰すんだろ? 力を貸してやるよ」

 

 そうして、小さな欠片を俺へと投げつけた。

 手のひらで受け止める。

 

「わっちも連れて行け。お前には……借りがあるしな」

 

 それに、と。

 

「まだ諦めたわけじゃない。旅をしていれば、いつか出会うかもしれないし」

 

 紙の情報なんてクソくらえだ。まだ、確かめたわけじゃない。

 イーブイはそう言っていた。

 

「そうか……わかった。止めても無理そうだしな。

 ――よろしく、イーブイ」

 

 俺の言葉にイーブイは鼻を鳴らしただけだった。つくづく野生だよ、お前は。

 

 シェル、コン、カラ、イーブイ。

 

 こんな俺のために戦ってくれる仲間達。

 

 そして、リゥ。

 これは俺の我が儘だ。

 俺の身勝手な望みだ。

 

 だけど、捨てられなかった。身を切るよりも辛くて、手放したくなかった。

 何よりも、一緒に夢を見ていたかった。どこまでも追いかけていきたかった。

 夢を続きを叶えるために。再び歩き出すために。

 そして大切な相棒を救い出すために。

 

「行くぞ、みんな」

 

 俺は人生で最大の敵に喧嘩を売りに行く。

 最高に愚かな自分勝手を押し通す。

 

「リゥを取り戻す! そして――」

 

 

 

 この日、後にカントーでも歴史に残る大事件となったマフィア、ロケット団によるシルフカンパニーは、事件四日目にして大きく動く。

 警察とジムリーダー、そして各地のトレーナーが結集した一大事件は、たったひとりの青年によって集結へと向かい始める事となる。

 

 

「――ロケット団をぶっ潰す!!」

 

 そのための反撃の狼煙は、静かに上がった――。

 

 

                          <続く>


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