萌えっ娘もんすたぁ ~遙か高き頂きを目指す者~   作:阿佐木 れい

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【第一話】マサラ――始まりの町

 どれだけ歳を重ねようと、ずっと――ずっと夢見てきた。

 本当に小さい頃。まだ自分が誰だとか、世の中なんてこんなものかとか、そんな馬鹿みたいな現実を知る前だ。野山を駆け回ったり、幼馴染と一緒に遊んだり――一日が終わるのが惜しくて、明日に心を躍らせた日々。

 いつか、なろうと描いていた夢があった。

 がむしゃらに、ひたむきに――目指すべき夢に向かって努力していた俺は、

 

「――」

 

 今、ここにいる。

 こうして自宅の警備をしながら虚ろに天井を見上げている今となっては、その夢は飛び移れないほどの深い溝となってしまっている。

 

「今日、か」

 

 無気力に寝そべったベッドから見上げた天井には、ポスターが貼られている。

 誇らしく優勝カップを掲げながら、片方の腕でまだ小さな子供を抱いている若い男だ。

 

 そのポスターを見る度に、胸が掻き毟られるかのような焦燥と自分には到達できない高みを感じてしまう。

 

 でも、剥がせない。

 そのポスターだけは剥がせなかった。

 現実を何ひとつわかっていなかった俺への見せしめであり、己に対する懺悔でもある。

 

 何故ならば、俺にはその資格はもう無いのだから。

 手をどれだけ伸ばしても、届かない。

 どこまでも、どこまでも……どれだけ伸ばしても決して届かない。

 自ら望むことを放棄した俺には、何を為そうと、どれほどの空想であろうと届かぬ距離なのだ。

 

 たったひとり、憧れていた背中だけが俺を待っていたのだとしても。

 

    ◆◇◆◇

 

 

「兄貴。俺、明日博士に"萌えもん"をもらいに行くよ!」

 

 嬉しそうに報告してきたのは、昔から俺を慕ってくれている弟分かつ幼馴染であるレッドだ。ジーンズに赤いジャケット、頭にはトレードマークの紅白の帽子を被っている。なんとも子供っぽい格好だが、背負った大きなリュックと瞳は自分の言葉に本気だと物語っている。

 

 萌えもんトレーナー。

 それは萌えもんと共に生きる人々を指す。

 

 今では子供ですら野生の萌えもんを捕まえられる時代になったが、そうなったのは技術の進歩のおかげだ。モンスターボールと呼ばれる捕獲道具が一般に出回るまでは、子供にはもちろん、大人ですら二の足を踏んでいた。

 

 人間と萌えもん。

 お互いがお互いの住む場所に入り込み、事故や事件があちこちで起こっていた。

 そんな中だったからこそ、モンスターボールが世界に革新を与えたのだ。

 

 そして今では、萌えもんトレーナーは人々に娯楽を生む、職業だった。

 知識を武器に、知恵を戦術に。己の技術と六体の萌えもんをパートナーにしてリーグチャンピオンを目指す。年に一度の『萌えもんリーグ』では全国放送もされるほどの、娯楽である。

 

「……そうか。頑張れよ、レッド」

 

 羨ましい。

 嘘偽り無くそう思った。かつて俺が挫折してしまった道を、レッドは今歩き出そうとしているのだ。羨ましくないなんて言えば嘘になる。

 だが俺には、その想いを口に出す資格はない。

 

 だから、羨ましい気持ちを押し隠し友人の門出を祝福する。

 心から。俺の分まで――。

 

 なぁレッド、お前にはどう見えているんだ? 今、お前が嬉しそうに報告してくれた男は、夢を追うのを諦めた情けない男だぞ?

 

「ありがとう、兄貴。でも……でもさ、俺、兄貴の夢も――」

 

 レッドが言おうとしていることはわかっている。

 ずっと一緒にいたんだ。俺の夢がどうなったのかくらい、レッドは知っている。そして、まだ俺がその夢を捨て切れていないこともきっと、わかっている。

 なんたって、兄弟同然に育ったんだから。

 

「わっ」

 

 帽子の上から頭を押さえ込む。

 レッドからは俺の顔が見えないように、強く。

 

「気にすんな! レッド、お前は俺を気にする必要なんてないんだ。せっかく博士から萌えもんをもらえるんだろ? お前の夢だ、お前が胸を張らなくて誰が胸を張るんだ」

 

 努めて明るく。いつものように言ってやる。お前が夢を追うのなら、後悔なく送り出してやるのが俺の役目だろうから。

 

「……兄貴」

 

「行けよ。俺を気にするくらいなら、お前は自分の夢に向かえ。俺の分までな」

 

「――うん、わかったよ」

 

 レッドは頷いた。

 

「だったら、行ってこい。俺に遠慮してんじゃねぇよ」

 

「いったぁっ!」

 

 背中を叩いてやる。

 痛がっていたレッドだったが、やがてしっかりを前を見て一歩をふみだしていった。

 

「行ってくるよ、兄貴!」

 

 博士の研究所へと走っていく背中に、俺はただ

 

「……ああ」

 

 小さく、頷いてやることしか出来なかった。

 

 

 レッドを送り出してからしばらく。

 気休めにベッドで寝転がっていたら、外からしわがれた男の声が届いた。かすかに窓が開いているから、風に運ばれてきたのだろう。

 

 身を起こし窓から覗き込むと、白髪の混じる爺さんとレッドが出発前の話をしているようだった。

 あの頭は大木戸博士(オオキドのジジイ)か。

 

「っと、そうだ」

 

 ふと思いつき、パソコンの電源を入れる。そしてアイテム呼び出しサービスから"傷ぐすり"を取り出す。昔使おうと思ってそのままにしておいたものだが、俺にはもう使い道がないし、レッドへの餞別くらいにはなるだろう。

 

 家から出ると、今まさにレッドが出発しようかというところだった。

 マサラからトキワへと向かう道だ。子供のお使いでも通る道だが、これからの旅を考えていろいろと話していたのだろう。何しろカントー地方をぐるっと一周旅をするのだ。長い道のりになる。

 トキワへの道を見てみると、遠くでレッドの幼馴染みふたり(グリーンとブルー)が野生の萌えもんと戦っているようだった。

 

 そうか、あいつらもレッドと一緒に旅立つのか。

 感慨深く眺めていると、ジジイが気がついたようだ。

 

「おお、ファアルか」

 

「よう、ジジイ」

 

 しかし今は、還暦を迎えた爺さんよりも大事なものがある。

 邪魔なジジイをさっさと視界から消し去り、

 

「兄貴?」

 

「ほら、餞別だ。持って行け。俺にはもう必要ないもんだからな」

 

 呆然とするレッドにさっき取ってきた傷ぐすりを投げてやる。

 

「え? わ、とと」

 

 慌てて受け取ったレッドは、それが何なんのか気が付くと、

「傷ぐすりだ……ありがとう、兄貴」

 

 リュックにしまった。

 まぁ、これでいいだろう。後はレッド自身の問題だ。俺に出来ることは……だぶんもう無い。

 

「行ってこい」

 

「――うん!」

 

 駆け出していくレッド。途中、グリーンとブルーに合流し、3人でふざけあっているのが見て取れた。仲が良いもんだ。

 

「良いのか?」

 

「ああ、これでいいんだよ」

 

 幼馴染である三人がいなくなって一気に暇になった。

 煙草に火をつけ、去っていく幼馴染たちの背中を見送る。

 

 まだ幼く子供っぽい弟分、レッド。

 クールぶっているが突発的な出来事には弱い、グリーン。

 悪戯好きで快活な女の子、ブルー。

 

 それぞれがそれぞれの道を行く。萌えもんトレーナーとして。

 

「何じゃ、お主でも感傷には浸るか?」

 

「たまには、な」

 

 そうして、踵を返した。

 ジジイと話すことも少し辛い。

 頭の中ではジジイは間違っていなかったと理解していても、素直に認められない自分が惨めだった。

 

「……すまなんだな」

 

 去り際、ジジイがそんなことを呟いた気もするが、紫煙と共に吐き出した息で聞こえなかった。

 だってそうだろう?

 あんたは、何も悪くないのだから。

 悪いのは、俺だけなのだから。

 

 

 俺の住むマサラタウンは、カントー地方でも田舎と呼ばれる町だ。そんな場所にどうして研究所を構えているのか知らないが、萌えもん学の権威であるオオキド博士が住んでいる。現在最強と呼ばれるリーグチャンピオンもこの町の出身なこともあり、【始まりの町】と呼ばれたりもするそうだ。

 だが、蓋を開けてみればただののどかな田舎町であり、人口も少ない。学校だっていろんな学年の寄せ集めだ。海に面し、周囲は手付かずの森に囲まれた、村と言っても言いすぎじゃないくらいの本当に小さな町だ。ゆっくり散歩しても一時間くらいあれば町の全てを見て回れてしまう。

 

 そのため、町に住んでいる全員と顔見知りだ。こうして散歩しているだけで、声をかけられまくる。それを適当にあしらいながら歩いていると、町外れの林道に見慣れぬものが倒れていた。

 

「……あれは」

 

 草陰に隠れるようにして倒れている少女は、ぐったりとしていて動く気配がまるでない。苦し気な表情から、何か事件に巻き込まれたのではないかとも思える。

 生い茂った木々の木漏れ日に反射して光るのは、長く蒼い髪の先端部分を纏める高貴なアクセサリである白露の球。小学生の子供くらいの体躯に額から少しだけ飛び出た角――どう見ても萌えもんだった。

 何があったのかわからないが、放っておいたら危険なのは間違いない。

 

「ジイさんなら何とかできるか?」

 

 迷いなくその萌えもんを抱き上げると、やっぱり意識がないようで重たかった。くぐもった声を一瞬だけ出したが、それだけ。

 

「悪い、ちょっとだけ揺れるからな」

 

 聞こえてはいないだろうが、声をかけてから駆け出す。目指すは――マサラで唯一の萌えもん関連機関、博士の研究所だ。

 

 

 呼び鈴を押して反応があってからノブを回して入る――のが礼儀なのだろうが、緊急事態なので気にせず力任せにドアを蹴破った。脆い扉は俺の脚程度で簡単に開くどころか弾け飛び、廊下に飾ってあった額と壷をいくつか巻き込んだ上に壁に突き刺さって止まった。危ないな、泥棒だったらどうするんだ。

 

「いるか、ジイさん!」

 

 耳が遠くなりかけているであろうジイさんに向かって、大声で呼びかける。

 何事かと研究員たちが集まってくるが、気にせずジイさんだけを探す。

 

「なんじゃ、さっきは沈んでおったくせに騒がしいのう」

 

「大変だ。とにかく大変なんだ。なんでもいいからベッド貸せ」

 

 ぐい、っとわかるように抱えた萌えもんを突き出した。

 

「……お前、わしでもまだ手を出していないというのに」

 

 ナニを考えてんだこのジイさんは。

 

「急いでるんだ、ベッド貸せ」

 

「自分の家の方が良いと思うのじゃが……ここには研究用の粗末なベッドしかないぞ?」

 

「それが良いんだよ馬鹿たれ!」

 

「なんというマニアックな……」

 

 ジイさんは頭を抱えてから奥を指差した。

 

「奥の部屋じゃ」

 

「ああ」

 

 走り出す瞬間、ぼそりと聞こえた声があった。

 

「……さて、今日は老人を労わらん日になりそうだ」

 

 苦労はかけるが礼は言わないぜ、ジイさん。

 

 

 病院の診察室のような部屋で、傷ついた萌えもんをベッドに寝かせる。ジイさんの言うように本当に簡素なベッドで、スプリングも無い硬いものだった。枕も硬い。まさしく実験室仕様といった感じ。これじゃ、ゆっくり眠ることも出来ないだろうに……。

 

「えっと……」

 

 周りを見渡して目ぼしいものを探す。柔らかい枕が欲しい。

 

「ほら、これじゃろう?」

 

 と、目の前に差し出されたのはひとつの枕。ちゃんと柔らかく真っ白な、人間が普段寝る時に使うものだ。

 

「……ジイさん、気が利いてるじゃないか」

 

 感謝しつつ枕を受け取る。もちろん、ジイさんが触っていたカバーは投げ捨て、中身に軽くファ○リーズをかけておくのを忘れない。

 

「ひどい!」

 

 嘆くジイさんは放っておいて、枕を入れ替える。

 呼吸は落ち着いてきているが、人間とは違うかもしれない。姿が同じだからって中身まで同じだとは限らないからだ。

 

「で、どうしたんじゃ、そのミニリュウは」

 

 ミニリュウ。

 そうか、これがあの珍しいミニリュウなのか。名前だけは聞いたことがある。

 

「町外れの林で倒れてたんだ。見捨てるのも、何だしな」

 

「なるほど。ま、お主らしいわの」

 

 苦笑で返され、俺も同じように苦笑した。

 ジイさんは博士らしく、研究員たちを集めるとテキパキと指示を飛ばしていった。おそらく治療してくれるのだろう。治療に特化した萌えもんセンターとまではいかないが、ここも立派な研究施設だ。それなりの設備は揃っているはず。

 俺に出来ることはもう無いな……。

 

「――ん、んんっ」

 

 邪魔になるだろうし立ち去ろうとしたら、萌えもん――ミニリュウが僅かに目を開けた。

 

「……これから怪我治すから、ゆっくり眠っとけ」

 

 前髪を手ですくと、心地良さそうに目を細めて再び眠りについた。

 こうしてもみると、人間の女の子と変わらないな。

 俺はそうしてしばらくミニリュウを見つめた後、

 

「じゃ、頼むわジイさん」

 

 任せておけ、と頼もしい返事を貰ってから外に出る。壊れた扉を更に踏み抜いて外に出る。

 

 煙草に火をつけ一服。

 俺に出来ることなんて、もう何も無い。

 レッドたちを見送った時と同じような虚脱感に包まれる。

 

 でも、それは他でもなく俺自信が選らんだ結果だ。

 だから、これでいい……この虚脱に身を任せるくらいしか出来ない。

 

「ふぅ」

 

 ふと見上げた空は澄んでいて、冒険に出るにはうってつけの天気だった。こんな日にトレーナーとしての一歩を踏み出せたのだから、あの三人は本当についている。

 でも、俺も出来れば――。

 振り切れない迷いが頭を掠める。

 もしかしたらだが。

 俺も萌えもんを捕まえられれば何か切っ掛けになるのではないだろうか……?

 

「はっ、馬鹿か」

 

 夢を諦めたのは、他でもない俺自身だろうに。

 それを未だに振り切れず縋りついているだけの情けない男だろうに。

 

「……俺に、夢を追う資格なんて無いだろうが」

 

 そんな俺の迷いを見透かしたかのように、ころころと足元に転がってくる紅白の丸いボール。

 手に取り、独りごちる。

 

「萌えもんボール、か」

 

 おそらく研究員の誰かが忘れていったんだろう。ぽんぽんと放り投げて玩びながら時間を潰す。

 

 

 ――夢を。

         夢を、諦めたのは誰?――

 

 

 ガキだった頃の俺が、責めるような目で問いかけてくる。

 

「……うるせぇよ」

 

 追えもしない夢なんて、そもそも見るべきじゃなかったんだよ。

 色あせた思い出の中で、小さな子供が研究所へと走っていく。

 買ったばかりのリュックを背負い、瞳を希望で彩らせて。

 これから始まる冒険に胸を躍らせ、憧れの父親に追いつけるのだと信じて。

 その先で何を言われるのかも知らずに。

 

 これが、夢の残滓だ。

 自分の目指した夢の残り粕だ。

 

 気が付けば、萌えもんボールを力の限り握り締めていた。

 

「っと」

 

 さすがに握りつぶすほどの握力はないが、研究所の備品を壊すわけにもいかない。

 短くなった煙草を研究所の玄関に放り捨て、次の一本に火をつける。

 そうして。空が赤く染まり始める頃、中からジイさんが出てきた。

 

「お主、片付けようという気はないのか?」

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「……大丈夫じゃ。今は意識も戻って目覚めておるよ」

 

「そうか」

 

 なら、会っても問題ないだろう。

 

「いや、だから」

 

 そういえば来客用のスリッパがあったような気がするが、まぁ今更だろう。

 

「……もういいわい。真っ直ぐな奴め」

 

 最後の呆れたジイさんの言葉が耳に届いたような気がしたが、気にしないでおく。

 途中すれ違う研究員たちの顔を見るに、本当に大丈夫のようだ。なんだかんだで皆優しい人たちなのは間違いない。ひとりの萌えもんが助かったことを心から安堵しているのだから。

 

 診察室に入ると、側にいた研究員が俺を指差した。ベッドには上半身を起こしたミニリュウ。だがその姿はさっきまでのように衰弱しておらず、弱々しく見えながらもどこか高貴な空気を持っていた。

 研究員によって俺の方に顔を向けたミニリュウは、何かを言おうとしたのかパクパクと口を開けた後に、やがて恥ずかしそうに顔を伏せた。

 

 その様子を見れて、ようやく肩の荷がおりた。

 それはどこにでもある、どこにでも見れる、萌えもんの――ひとりの女の子の姿だったから。

 備え付けられてあるパイプ椅子を拝借し、ベッドの横に座る。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「――うん。その、ありがとう」

 

 ぎこちなく小さく返ってきたのは感謝の言葉だった。幼い中にも高貴さのある、鈴のような声だった。

 

「そうか。良かった」

 

 窓の外を見れば、そろそろ暗くなろうかという時間だった。

 朝にレッドを見送ったのだから、結構な時間が過ぎている。

 

「じゃあ、俺は行く。明日にはきっと、このしみったれた研究所から出られると思うぜ」

 

「あっ」

 

 立ち上がる俺に、ミニリュウは小さく声を漏らした。

 意識してではなかったのか、自分でも驚いたように目を見開きやがて顔を落とした。

 

「と思ったが、ジイさんにちょっと用事があったんだった。動くのも邪魔臭いからここで待つことにするか」

 

 わざとらしく、もう一度パイプ椅子に腰掛ける。

 

「お前も早く寝ろ。怪我してんだろーが」

 

「……ふんっ」

 

 ミニリュウはぷいっと顔を背け、そのまま布団を頭から被った。

 まぁ、この様子なら大丈夫そうだ。

 どうせ今日も家に帰ったところでいつもと変わらない。

 なら、レッドたちが旅立った日くらい、特別であってもいいじゃないか。

 程なくして聞こえてきた寝息に苦笑を浮かべ、俺は静かに目を瞑った。

 

 

「起きんかファアル」

 

 眠りこけていた身体を揺すられる。

 目を開けてみればジイさんがひとり。

 

「うるせぇ、毟るぞ」

 

「どこを!?」

 

 咄嗟に髪の毛をガードするジイさん。

 相変わらず反応がアグレッシブだな。

 

「んっ、……ふぅ、どうしたんだよ」

 

 背伸びをして意識を覚醒させる。時計を見れば、目を閉じてから1時間程度しか経過していなかった。ミニリュウもぐっすりと眠っているようだった。

 

「お主に話がある。来い」

 

「……わかった」

 

 険しい表情に真剣さを感じ、頷き従う。

 廊下へと俺を呼び出したジイさんは、抑えた声で語りだした。

 

「あのミニリュウ、酷く痛めつけられておった」

 

「あん? そりゃ見ればわかるが」

 

「そうではない。ファアル、お主なら言ってもわかるだろうが」

 

 そうして、ジイさんは告げる。

 あのミニリュウは、服の下にいくつもの傷跡が刻まれていたのだ、と。

 火傷、裂傷、痣……それらが外からでは見えない位置に刻まれていた、と。

 喧嘩――それも悪質な、苛めに近い陰湿な部類だろう。第三者にひと目でわからないように、と考えられて付けられる傷跡だ。

 

「……あいつ、人の萌えもんなのか?」

 

「いや、その形跡はなかった。彼女は野生じゃ……それもかなり弱い」

 

「ちっ」

 

 あり得ることだった。

 タマゴから孵化させる事が出来るようになった現在、子供の頃からしごいて強くするトレーナーは、多い。

 かつてのように純粋に萌えもんの技とトレーナーの知略を競うのではなく、育成し戦わせ、勝つ。それが今の萌えもんバトルの主体になっていた。

 

「なぁ、あんたのところで保護はできないのか?」

 

「可能じゃ」

 

 だが、と。

 ジイさんはそう締めくくり、俺を真っ直ぐに見つめた。

 

「ファアル」

 

「な、なんだよ」

 

 その瞳は後悔しているようでもあり、怒っているようでもあった。

 まさしく、俺のように。かつてに自分に後悔し、激怒している瞳でもあった。

 

「お主は、本当にそれでいいのか? 本当に今のままでいいのか?」

 

 それは、俺が何度も自問した答え。

 何度も自分自身に問うた答え。

 そして出る答えも決まっている。

 

「当たり前だろ、俺は……」

 

 俺にはその資格は、

 

「資格を決めるのは、お前自身じゃ。だから、あの時わしはお前に問うた。お前に告げた」

 

 お主には無理じゃ、と。

 年端も行かない子供には、あまりにも過酷な旅になるから。

 

 そして俺は、自ら旅を放棄した。

 叶わぬと自分自身で判断し、諦めた。

 抱いていた夢をその手から捨てた。

 いや、捨てようとした。

 

「お前の夢は終わるのか? 本当に終わってしまうのか?」

 

 だけど、まだ。

 まだ、夢の残滓は。

 

 ――まだ、俺の中に……この手に。

 

「……萌えもんボール」

 

 紅白の球。ついぞ手にすることのなかったトレーナー必須のアイテム。

 それを力の限り握り締める。

 

「ファアル、あのミニリュウはお主と同じだ。あれは……同じドラゴンタイプからつけられた傷じゃろう。仲間からつけられたものだと、わしは思う」

 

 だから、と。

 

「お主が、救え。救ってやれ。ミニリュウを救ったお主には、その資格がある」

 

 かつて、夢を捨てた男になら。

 今もなお、夢にしがみついている男になら。

 誰に笑われようと、夢をまだ諦めずに抱いている男になら。

 

 きっと、同じ人は救えるのだと。

 

 ジイさんはそう告げていた。

 

「そのボールを手にした時点で、お主はもう、ひとりのトレーナーじゃよ。わしはそう思う」

 

 旅立っていった幼馴染たち。

 見送るしか出来なかった、夢破れた男がひとり。

 

「俺の資格、か」

 

 見送るという選択をしたのは誰だったか。

 自分には無理だったと決め付けたのは誰だったか。

 憧れだと決め付けて、届かないと思いながら眺め続けていたのは誰だったか。

 

 ――俺だ。

 

 全部、俺だった。

 俺がそう望んでいた。

 夢に届かない自分への言い訳として。

 

「ジイさん、俺は……」

 

「こんな時くらい博士と呼べんのかお前は」

 

「――はっ、それは無理だな」

 

 もう一度、踏み出せるかもしれない。

 まだ、この胸にある火が燻り続けている限り。

 

「なら、行け。あまり女子を待たせるものではないぞ」

 

「……ああ」

 

 俺はジイさんに背を向けて治療室の扉を開ける。

 ミニリュウがベッドの上で身体を起こしていた。

 

「よう、起こしたか?」

 

「……起きてた」

 

「そうか」

 

 パイプ椅子まで戻る。

 座ると、きし、と軋みを上げた。

 

「……これは、独り言。だから無視してくれても別にいい」

 

「ああ」

 

 ミニリュウの声に、耳を傾ける。

 

「私、強くなりたい。弱い自分が……憎い」

 

「ああ」

 

 ミニリュウは、小さい自分の身体をかき抱く。

 弱い自分を押し隠すように。

 そうしていれば、いつか強い自分が内側から出てくるかのように。

 

「私は、誰にも馬鹿にされないくらい、強くなりたい……! 強くなって、自分を認めさせたい!」

 

「ああ」

 

 無力な自分を責め、どうにもならないと心の中で哭いている。

 それは硝子のように脆く、しかし何よりも気高い決意だった。

 俺に足りなかった想い。

 

 どうしても強くなりたい。

 その想いを、ミニリュウという萌えもんは持っていた。

 だから、

 

「俺も強くなりたい。目指したい……いや、越えたい背中がある。俺はもう自分に負けたくなんかねぇ」

 

 ミニリュウが俺の言葉に耳を傾けているのがわかる。

 きっと、これは儀式だ。

 今日初めて会って、初めて話して――理解できるかもしれない相手へと向ける、誓いの言葉だ。

 

「だから、パートナーが欲しい。まだスタート地点にすら立てていない俺と共に歩んでくれる、相棒が」

 

 そして、ミニリュウの目を真っ直ぐに見つめる。

 

「一緒に強くなろうぜ。今から始められるのなら。俺達がまだ終わっていないと思っているのなら、まだ終わっていないんだ」

 

 きっと。

 それは当たり前で。

 誰もが気付いている真実で。

 俺にはわからかった、現実なのだ。

 

「……うん。強く、なろう」

 

 ミニリュウは俺へと手を伸ばす。

 俺はモンスターボールをその手に触れさせかけ、慌てて止める。

 

 そうじゃない。

 俺達に相応しいのは、きっとこれ。

 

 小さな手を握る。

 俺の掌にすっぱりと覆われてしまうほどの手のひらは、温かかった。

 

「俺はファアル。マサラタウンのファアルだ。」

 

 そして一番必要で大切な言葉を。

 信頼という気持ちを乗せて、相手へと送る。

 

「よろしくな、"リゥ"」

 

 握手。

 人と萌えもんの絆の証。

 俺とミニリュウ――リゥとの絆の始まり。

 

「――うん。ファアル」

 

 ぎこちなく返してくれる笑み。

 だけど、俺達の旅は。

 俺達の夢は。

 今、この簡素な診察室から始まったのだ。 

 


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