萌えっ娘もんすたぁ ~遙か高き頂きを目指す者~   作:阿佐木 れい

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後編です。


【第十八話】ヤマブキ――弱さを認める強さ 後編

 俺ならばどうするだろう?

 考えてみると、結局取れる方法なんてそんなにありはしなかった。

 

 窓からの侵入を防ぎ、外からも様子を窺えないようにする。

 その上で玄関から突入させ、上階に陣取る事で疲弊させる。

 屋上にはヘリポートがあるため、萌えもんを使って空からの突入を阻止する。

 

 そして――もうひとつ。

 

 隣接するビルがある場合。

 万が一、玄関以外の場所から力業で乗り込んできた場合はどうするか?

 

 取れる方法はひとつ。

 待ち構える、だ。

 

 シェルによってシルフカンパニー本社の横っ腹に穴が開く。

 大人ひとりが通れるくらいの大きさだ。

 粉塵の向こう側には何も見えないが、非常ベルが鳴っているのがこちらまで響いてくるのを考えると、向こう側にロケット団がいたとしても無事ではないだろう。

 視界が悪いのはこちらも同じ。熊沢警部によって準備された道具を使ってすぐに俺を先頭にしてビルへと踏み込む。

 

「オニドリル、吹っ飛ばせ!」

 

 粉塵の向こう側から声が響く。

 風が起こり、視界が晴れる。

 

「あ――?」

 

 一瞬俺と視界が交錯し、次の瞬間ロケット団員は倒れていた。

 どうやら時間差で今更倒れてきた資料棚に押しつぶされたらしい。間抜けすぎだろう。

 おろおろしているオニドリルに、

 

「冷凍ビーム」

 

 凍えてもらう事にしておいた。

 

「……今ので気付かれてるだろうしな」

 

 最上階にはまだまだ遠い。

 資料室のある階に何があるからはわからないが、狭い入り口から出た瞬間、廊下で挟み撃ちにされるのが席の山だ。

 

 なら、作るしかない。

 ちょうど棚が倒れてくれたお陰で壁が丸見えだ。

 

「頼むぜ」

 

 新たにボールを展開する。

 俺は遠慮も容赦もなく――壁を破壊した。

 

 

   -----

 

 

 資料室の壁を挟んだ向こう側は会議室のようだった。

 U字型の机と、均等に並べられていたのであろう椅子は今は数脚を除いて端へとどけられている。

 机の上座――ちょうど丸くなっている部分に見知った男が座って笑い声を上げていた。

 

「ぎゃははは! 馬鹿が来やがったみたいだぜぇ?」

 

 舌を伸ばし、だらしなく着こんだ黒いロケット団の正装にピアス。

 間違いない。アジトでやってくれた男だ。

 すぐ近くにはもうひとり、女のロケット団もいる。

 

 何だ、ちょうどいいじゃないか。

 

「……今度も負けに来たってわけじゃなさそうだけど」

 

 目つきは鋭く、俺を油断無く見ている。

 少なくとも、あの時よりも警戒はしているようだ。

 

 廊下からは声が聞こえ、萌えもん達が技を放つ音が響いている。後に続いていた部隊がいよいよ行動を開始したのだろう。

 戦力がどこまであるのかはわからないが、俺も早めに合流した方が良さそうだ。

 

 しかしその前に――

 

「一応訊いておく」

 

 知っておかねばならない事がある。

 

「リゥはどこだ?」

 

 俺の言葉に男は再び笑い、

 

「はっ、知るかバーッカ! 逃げられた奴の尻追いかけてるとかギャグだろ、おい!」

 

 そうか、こいつらは知らないか。

 ひょっとしたら女の方は何か知っていたかもしれないが……訊くだけ無駄そうだった。

 となると、まだ上か――。

 

「っつーわけで、さようなら~」

 

 男の声に合わせて、左右から萌えもんが飛びかかってくる。既に展開していたようだ。

 

 左からはラッタ。凶器のような前歯を向け、鼠さながらの速さで距離をつめる。 

 右からはペルシアン。鋭い爪をバネのように伸縮させ、全身を撓らせ俊敏に跳んだ。

 どちらも向かう先は俺。挟撃で倒すつもりは明白。

 

 だけど――そんなものは予想済みだ!

 

「行け――」

 

 腰のホルスターからふたつのボールを抜き、投げる。

 頼れる仲間を。

 俺のために信じて力を貸してくれる戦友を。

 

 

 ――シェル、コン、

 

 

「ぶっ倒せッ!!」

 

 寸分違わず放たれたのは――ハイドロポンプに火炎放射。

 

 一撃。

 

 ペルシアン――撃沈。

 ラッタ――撃沈。

 二体――撃破。

 

「……は?」

 

 男の間抜けな声が上がる。

 合わせるようにして、熱波によって紫色のドレスが踊り、水流の余波を受け金色の尾が舞った。

 

「パルシェンに……キュウコン、だと……クソがっ!」

 

 男は即座に立て直すべく、ボールを宙へと放る。

 現れたのはアーボック。あの日、敗北を喫した相手だ。

 

「はっ、今度は俺がいただいてやるよ! くたばれや!」

 

 ――そうか。

 

 ホルスターからボールを抜き放ち、叫ぶ。

 

「カラ! 骨ブーメランッ!」

 

 対するは新たに力を貸してくれる仲間。

 母の形見を武器に、被った骨から敵を視界に捕らえ、投げた。

 

「コン! カラにメガトンパンチ!」

 

「はいっ!」

 

 コンが放ったメガトンパンチはカラへと向かい、カラは拳を蹴って、更に跳躍する。

 

「――跳べっ!」

 

 格闘戦。

 骨を武器として戦うカラが得意とする戦術はその一点につきる。

 長い尾を持ち、こちらよりも距離のあるアーボック相手では分が悪い。

 

 ならば――近付けば良い。

 

 中距離が得意ならば近距離に。近距離が得意ならば零距離に。

 相手の動きより速く、懐に踏み込めばいいだけの事だ。

 コンのメガトンパンチの威力を利用し、瞬きの間に距離は縮まる。

 

「頭突き!」

 

「任せて!」

 

 それはさながら石礫のようですらあっただろう。

 ()()によってダメージが蓄積された頭突きはアーボックが一撃を繰り出す前に通り、

 

「叩き付けろ!」

 

 投げた骨が後を追うように手に収まる。

 空中で体を捻ったカラは、そのままの勢いでアーボックを骨で叩き付けた。

 

 これで――三体目、撃破。

 

「何こいつ、全然違うじゃない!? あたしがやる!」

 

 女が繰り出したのはゴルダック。水とエスパータイプを持つ強力な萌えもんだ。

 

「水タイプでごめんなさいねぇ!」

 

 炎、水・氷、地面――俺のパーティーを見て勝利を確信したのだろう。

 

「ゴルダック、ハイドロ――」

 

「……サンダース」

 

 俺の声に合わせ、ぶち壊された壁の向こう側から紫電が放たれる。

 帯電では生ぬるい程の放電が空間を走り、軋みを上げる。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 初めて怯えを見せる女に告げる。

 

「悪いな、()()()()()()()

 

「ひっ……!」

 

 ――マチス、技を借りるぜ。

 

「十万ボルトォッ!!」

 

 刹那、閃光となって雷撃を纏った弾丸が走った。

 ゴルダックに炸裂した一撃はそれだけでは飽き足らず、更に蛍光灯を全てたたき割り、窓も残さず割る程だった。

 

 まるで爆発したかのような閃光の後、立っているのは俺とシェル達、そして手持ちの萌えもんを失ったふたりのロケット団だけだった。

 

 ――四体目、撃破。殲滅。

 

 迸った電撃で壁や天井、床があちこち煤けてしまっている。

 サンダースも容赦しなかったようで、衝撃をもろに受けたであろう男の方は気絶していた。女の方は直撃は避けたようだが、戦意を完全に消失してしまったようだった。

 

「あ、あ……」

 

 歩み寄り、見下ろしてもう一度だけ、訊いた。

 

「リゥはどこにいるか知ってるか?」

 

 後ろから警備隊がこの部屋に突入してきたのがわかる。

 女もそれを見たのだろう。

 観念したように、

 

「……上。ボスと一緒にいるはずよ」

 

 力無く項垂れた。

 そして警備隊によって連行されていく姿を見送りながら、呟く。

 

「上、か」

 

 正攻法で行っても仕方が無い。

 そっちは――レッドや愛梨花のメンバーが引き受けてくれている。

 なら、俺は

 

「ショートカットだな」

 

 そうして、真上までぶち抜く水流が放たれた。

 

 

   ◆◆

 

 

 階段を上りきった先に、その部屋はあった。

 ひとつのフロアをほとんど丸ごと使用した社長室は、なるほど確かに名だたるシルフカンパニー本社だと素直に感じられる作りをしていた。

 ここまでほとんど休憩無しで突き進んできたせいか、一様に疲労が見えている。

 

 が、立ち止まって息を整えている場合でも無かった。

 倒したロケット団は数知れず。ろくに休憩も取れずに戦い続けた結果、社長室にまで辿り着いたものの、コンディションとしては最悪だった。

 だが、

 

「これで最後だ……準備はいいか?」

 

 真っ先に息を整え終えた棗が、全員が息を取り戻すのを見計らい、告げた。

 社長室とは別のフロアから行ける屋上でも既に戦闘は始まっているようで、振動があちこちから伝わってきている。

 

 切っ掛けはふたつ。

 ひとつは、愛梨花のもたらした壁の破壊行為によって押し止めるものが無くなった事。

 もうひとつは、強襲部隊が突入した事。

 

 これらによってそれまで余裕を見せていたロケット団は烏合の衆と化した。強力なカリスマ性を持つボスの元、集っていたのだが、これまで何のアクションも起こさない上に不安を感じていた時に思わぬ反撃を食らい、慌てふためいたためだ。

 僅かに崩れた穴を一気に拡げ、ここまで押し切ったのだ。

 

「――負けるわけにはいきません」

 

「うん」

 

「おう」

 

「はい」

 

 それぞれが頷く。

 瞳にも生気が溢れている。

 これならばきっと――勝てる。

 

 確信を持って扉を開く。

 果たして、そこにあったのは――

 

「……ようやく来たか」

 

 全身黒いスーツにシルクハットを被り、杖を持った男と――初老の男のふたりだった。

 その内、初老の男には見覚えがあった。

 棗は視線を向け、

 

「社長を離してもらおうか」

 

 衰弱している様子は無し。数日が経過しているというのに、怪我はおろかこの部屋ですら荒された形跡はほとんど見られないような状態だった。唯一見られるとすれば、外との連絡手段だけが破壊されていた。

 

 そんな棗の思考にも気が付いているのだろう。

 ロケット団のボス――榊は言った。

 

「人を待っていてね。生憎だけど、それは出来ないのだよ」

 

 五対一。それだけの戦力差があるのにも関わらず、余裕の態度を隠していない。

 それは榊という男が積み上げてきた年数によるものか、果てはロケット団のボスという立場がそうさえているのか。

 

 ――両方だな。

 

 棗は断言する。

 榊には隙がまるで無い、と。

 どれだけ思考を読もうとしても、読めない。

 何かでブロックされているわけではない。ただ単に、読めない。

 強力な自制で持って表面からは何一つとしてうかがい知れないのだ。

 

 しかし戦力差は大きい。

 押し切れる――はずだが、たった一つの要因が邪魔をしていた。

 即ち、

 

「さて、私としては少し見てみたい事がある。協力してもらうよ」

 

「何……?」

 

 問いかけには答えず、榊は杖の先を社長へと突きつける。仕込み杖だったようで、切っ先からは刃物が見えている。

 僅か数ミリ。少しでも腕を動かせば突きつけられた首元を刃物が食い破るだろう。

 

「卑怯な……!」

 

「君が気にせずともいい」

 

 そうして、榊は左手で指を鳴らす。

 すると、どこに隠れていたのかロケット団員が姿を現した。

 

「戦え、というのか?」

 

 意図が読めない。

 

「違う。彼らはあくまでも立会人だ。君達と同じくね」

 

 立会人。

 その言葉に違和感を覚える。

 この男は何を狙っている?

 胸中の問いに答えはなく、榊は更に言葉を重ねていく。

 

「君達の相手は――彼女だ」

 

 ボールを投げると、光を纏って一体の萌えもんが現れる。

 

「――君は!?」

 

 レッドが驚きの声を上げる。

 同時に、グリーンは舌打ちを。ブルーは言葉を失っていた。

 

 ――ミニリュウ。

 

 忘れるはずもない。

 それは彼らにとって尊敬すべき兄の相棒であり、兄を打ちのめした萌えもんでもあったからだ。

 

「君達には彼女と戦ってもらう。戦えるな、ミニリュウ?」

 

「……ええ」

 

 頷いた言葉は苦しげでもあった。

 全身に傷を負いながら、それでも立っている。

 戦いの末に負った傷だった。生々しく刻まれた傷は治癒すれば跡形もなく治るであろうに、瞳に宿った闘志がそれを許してはいなかった。

 

 ――手負いの獣。

 

 その姿を見て愛梨花の胸に去来したのは、その一言だった。

 ジムを訪れた時とはまるで違う。

 そして、愛梨花にはその姿が――

 

「さあ、ひとりずつ戦ってくれ。ただし、全力で殺し合え。お互いどちらかが手を抜けば――」

 

 わかるだろう? と無言で視線を社長へと向けた。

 押し黙る中、愛梨花が一歩前に出た。

 

「待て、愛梨花」

 

「いいえ、待ちません」

 

 引き留めた棗の声を、愛梨花ははっきりと拒絶した。

 対峙するべきなのは自分だとわかっていた。

 

 レッド達では無理だ。

 棗では不可能だ。

 愛梨花でなければ出来ない。

 

 何故ならば、道を過たせた原因を作ったのは自分であり、

 

「リゥさん、ですよね」

 

「……」

 

 手を差し伸ばせたのにも関わらず、差し伸べなかったのも自分であり、

 

「――あの時の望みを叶えましょう」

 

「そんなの、どうでもいい」

 

 ジムリーダーを選んだのもまた、自分であったから。

 

「彼の――いいえ、私達自身のために」

 

 ミニリュウ――リゥが地を蹴った。命令など受けるまでもない。既に眼前に敵はいる。

 愛梨花もまた、袖口からボールを投げ、命じる。

 

「行きなさい、ナッシー!」

 

 ボールから飛び出たナッシーを上空より叩き付ける。

 リゥの取った攻撃はしかし、壁のような分厚さに阻まれ、距離を置いて着地する。

 

 ナッシー。タマタマから進化した、草タイプでも重量級になるであろう萌えもんだ。

 弱点の炎タイプならともかく、リゥのような小柄な相手にはまるで巨大な岩石のように立ち塞がる。事実、リゥの一撃は大したダメージにもなっていなかった。

 

「踏みつけて」

 

 加え、その攻撃は強大だった。

 フロアが振動する。地震もかくやという一撃の中、リゥは空中に跳ぶ事で免れる。

 しかし、

 

「――二度は使わない方がいいぞ、愛梨花」

 

「ええ」

 

 おそらく、もう一度やればフロアそのものも危険だろう。

 ナッシーのいる場所そのものが危険たり得る。底抜けで落下など間抜けにも程がある。

 

 ――戦闘で建物そのものが限界、か。

 

 内心呟き、

 

「ナッシー、卵爆弾!」

 

 爆発物をリゥに向かって投げる。

 都合三発。拳ほどの大きさだが、当たった場合のダメージは大きい。

 

「くっ、この……!」

 

 元が爆発物なだけに迂闊に攻撃して逸らすことも敵わない。

 即座に判断したリゥは空中で立て直そうとして、自らの背後に視線をやろうとしている事に気が付いた。

 

「――違う」

 

 そこに求める姿は無い。

 どう逃げるのかを考えろ。

 彼ならばどうしていたかを想像しろ。

 

 自分の求めている光景にすら気が付かずに、リゥは迫る爆弾を見据えた。

 爆弾が投じられたのはいずれもリゥの進路を防ぎ、または誘い出すためのものだ。

 故に、無理な動きをすれば当たる。今の自分ならば一撃で倒れるだろうという自信がある。客観的にも主観的にも、今の自分など壊れかけのガラクタ同然なのだから。

 

 だから、壊れない範囲で無茶をする。でなければ――また敗北してしまう。

 

「ふっ……!」

 

 龍の息吹。

 推進力を利用し、一瞬だけ体を持ち上げる。

 直撃はない。

 しかし、愛梨花はそれを許さない。

 

「サイコキネシス!」

 

 ナッシーが操ったのはリゥではなく投擲した卵爆弾。

 強力な念力によって躱したはずの爆弾は空中で停止し、やがて意思を持ったかのように動いたと思うとあっさりとリゥへと追いすがり、

 

「くっ、ああぁっ!」

 

 爆発した。

 

 ――直撃。

 

 閉じかけていた傷口が開き、血が飛び散る。

 それでも――戦意だけは捨てなかった。

 

「あ――」

 

 リゥの脳裏を過ぎったのは一瞬の光景。

 もう捨てたはずの思い出。

 取り戻せない――宝物だった。

 

「違う」

 

 振り絞り、地に降り立つと同時に駆ける。

 

「違うっ!」

 

 知っている。

 自分が否定したものを知っている。

 

 

 だからこそ、こんなにも求めてしまっている。

 ああ、そうだ。

 そうなのだ。

 心のどこかが軋みを上げる。

 

 レッド、グリーン、ブルー……みんな勝利していきた相手だ。

 彼らの姿を見る度に思い出す。

 欲しかった強さは何だったのか。

 ただ想っていれば、勝ちたいと願った相手に届くと思っているのか。

 

 叶う。

 願う。

 想いを前にして崩れ落ちそうな膝を必死になって上げる。

 

 もう――何と戦っているのかすらわからなかっている。

 ナッシーか? 愛梨花か? 榊か? レッド? グリーン? ブルー? 棗?

 

 ――どれも違うと心の何かが叫んだ。

 ただ、背中を押してくれているのはたったひとつ。

 今にも壊れてしまいそうな自分を支えてくれていたのは――当たり前の言葉だけだった。

 

「私は……」

 

 距離が近付く。

 後五歩――。

 

 

      ――リゥ。

 

 

「私は――っ!」

 

 

 後三歩。

 ナッシーは壁のように立ち塞がっている。

 傷ひとつ負わず、小さな敵を迎え撃つ。

 

 

      ――強くなろうぜ、一緒に。

 

 

「ナッシー、」

 

 後一歩。

 振りかぶる。

 手を。腕を。必死に伸ばして。

 がむしゃらに、自分の信じた――

 

 

「サイコキネシス」

 

 

 強さを眼前で打ち砕かれた。

 

「あ――」

 

 動かせない。

 四肢に至るまで全ての動作が命令を拒否し、微動だにしない。

 

 知っている。

 これは――香澄と同じだ。

 一瞬でも速ければナッシーに届いていた。

 しかし叶わず、リゥは完膚無きまでに動きを封じられてしまう。

 

「……リゥさん。貴方の負けです」

 

 今度もまた、勝てなかった。

 

「――わ、たしは」

 

 何一つとして掴めなかった。

 ぼろぼろになるまで頑張っても、立ち上がれなくなるまで足掻いても、奮い立たせて前に進んでも――届かなかった。

 目指したものに届かなかった。

 

「あ、は、はは……」

 

 笑うしかなかった。

 

 結局。

 大切なものを何もかも捨てて目指したものは――手に入らなかったのだから。

 それどころか全部失ってしまった。

 もし――もし、あの時一緒にいる選択肢を選べば……また立ち上がれたのだろうか。

 

 そうだ、と確信する。

 ひとりではなくふたり。たったそれだけの事が、どれ程心強かった事か。

 夢を馬鹿にせず、傍で応援してくれる。そんな簡単な事で何度だって立ち上がれただろう。

 気が付かなかったリゥはどうしようもなく弱かった。ただ、それだけ。

 

「はっ……う、うぅ……」

 

 悔しかった。

 間違った選択をした自分が許せなかった。

 惨めな自分が滑稽で、お似合いだと思った。

 こうして涙を流す価値なんてないと思った。

 

 だが、幾度も幾度も流れ落ちる。

 何が悲しいのだろう。何を想って泣いているのだろう?

 

 

 ――ファアル。

 

   

 叶わないと知った現実よりも。

 

 

 ――ファアル。

 

 

 届かないと理解した夢よりも。

 

 

 ――ファアル!

 

 

 一緒に目指そうと言ってくれた人を裏切ったのが一番辛かった。

 そうだ。

 叶うならば――共に夢を叶えたかった。

 相棒として。彼が夢を叶える瞬間に自分が、そして自分が夢を叶えた隣には彼がいて欲しかった。

 

 それが一緒に目指すという事。ひとりでは歩けないリゥがいつの間にか抱いていた――もうひとつの夢だった。

 

「リゥさん」

 

 俯いたリゥに愛梨花が静かに訊ねる。

 

「もう一度、彼と――ファアルと会いたいですか?」

 

「……っ、そんなの!」

 

 決まっている。

 だけど、

 

「私にその資格なんて無い……私は裏切ったんだから。見捨てたんだから――私が振り払ったんだから」

 

 ロケット団アジトで最後、振り返った時に見たファアルの顔を忘れてはならない。リゥはそう誓っていた。

 信じてくれていた者が離れていった――あの瞬間だけは忘れてはならない。

 

 どの面を下げて会えというのか。

 そんな厚顔無恥な事――出来るわけがなかった。

 

 言えば、きっと許してくれるだろう。何も変わらず、今までのように旅を続けられるだろう。ファアルという男は、そういう男なのだと旅を重ねてわかっている。

 

 ある日、ファアルはリゥに向かってはっきりと「利用している」と言った。

 あの言葉こそが――本心だった。いつもそう思っている。だからこそ、強くなろうとしている。自分が利用している仲間が少しでも傷を負わないように。楽しくあれるように。

 

「……貴方は、」

 

 愛梨花が大きく息をついた。

 喉まで出かかった声を飲み込む。

 そんな言葉は裏切った自分が出していい言葉じゃないから。

 

「自分の気持ちに目を背けてばかりですね」

 

「――っ!」

 

 愛梨花は断言し、

 

「ずっとそうやって閉じこもっているつもりですか? 彼にいつまでも甘えて、自分ひとりで立ち上がれますよって示して、そのくせに見ていて欲しいんでしょう?」

 

 言葉が突き刺さっていく。

 

「そうやって自分ばかり見ていれば楽でしょうね。いつまでも立ち止まって、少しは進んだって自分で自分を褒めて慰めて――足掻いているなんて妄想して満足している」

 

「ちが……」

 

「はっきり言います。貴方とこれまで戦っていた皆さんも断言するでしょう。リゥさん、今の貴方は――」

 

 

 ――弱い。

 

 

「貴方は何もしていない。自分しか見てなくて、傍にいる人すら考えていない。自分が苦しんでるのが当たり前で、誰が悩み苦しんでいるのもわかっていないし見てもいない。そんな貴方が強くなれるはずがないっ!」

 

「――、う」

 

 何かが――飲み込んだはずの何かが鎌首をもたげた。

 

「そうしてまた、自分の間違いを言い逃れにして目を背けている! そんな貴方のどこが強いんです! 本当の強さは」

 

「そんなのわかってる!」

 

 自分の間違いなんて、とっくの昔にわかっている。

 ファアルが何故強いのかなんて知っている。

 

「でも、私にそんな勇気なんて無い! みんながみんな出来るわけじゃない! 偉そうに語らないでよ!」

 

 簡単だ。

 簡単な話だ。

 ただ、

 

「自分の〝弱さ〟を認めるなんてそんな簡単に出来るわけない! 私は弱い……だから、強くならなくちゃいけないの! 強くなって、それで――」

 

 何なのだろう。

 勝ちたい相手が確かにいて。

 いつか認めてもらいたい相手で。

 

「言えないんでしょう? だってこの場所には――貴方の仲間は誰もいないんですから。貴方が本当に望んでいる人は――いないのですから」

 

 誰も。

 誰一人として自分を見ていない。

 

 強くすると言った榊が見ていたのはリゥではなくミニリュウ。

 レッドやグリーン、ブルーが見ているのはファアル。

 そして愛梨花と棗が見ているのはロケット団と榊。

 

 今この場に、自分を見ている人間など誰一人としていない事に気が付く。

 たったひとり、いてくれたかもしれない男を除いては。

 縋りそうになる自分を唇を噛んで押し止めた。

 

 叶わない願いだ。

 ここにいないを見ればわかっていた事だ。

 何を期待していたのだろう。

 

 リゥと。

 たった一言呼んでくれるその声が無い事など、既にわかっていたではないか。

 

「……けて」

 

 だとしても。

 例え叶わないとしても。

 分不相応な願いだとしても。

 願わずにはいられなかった。

 

「たすけて……」

 

 誰一人として自分に耳を貸していない。

 ただの萌えもんでしかない自分の言葉など聞き入れないとしても。

 それでも――飲み込んだはずの言葉が抑えきれなかった。

 

「誰か……」

 

 違う。

 誰かではない。

 

 例えどれだけ身勝手で、自分本位だったとしても。

 

 例えどれだけ夢物語で、恥ずかしい願いだったとしても。

 

 例え、この場にいる誰に嘲笑を浮かべられようとも。

 

 もし、届くのなら――たったひとりしかいないと思ってしまったから。

 

「助けて、ファアル……!」

 

 瞬間。

 社長室の扉がはじけ飛んだ。

 破片をまき散らしながら広い社長室を転がっていく扉だった残骸を砕き、踏み越えて、

 

「……来たか」

 

 榊の言葉についで、ひとりの男が現れた。

 

 届かないはずの言葉を。

 

 叶わないはずの願いを。

 

 折れたはずの心を。

 

 たったひとつの言葉で、掴んだ。

 

「――わかった」

 

「あ……」

 

 いつもの表情で、不敵に笑って言ったのだ。

 

「リゥ――」

 

 

 当たり前のように。

 

 

「――助けに来たぜ」

 

 

 

    ◆◆

 

 

 

 階段を上るなんてまどろっこしい真似は止めた。

 天井までを一気にぶち抜いて、仲間の助けを借りて駆け上がった。

 

 俺の望みだったとしても。

 リゥが望んでいなかったとしても。

 その選択だけは間違いだと――そう思ったから。

 

 扉の向こうから声が聞こえた。

 愛梨花とリゥの声だ。

 

 たったひとつ。

 その中ではっきりと響いた言葉があった。

 

 

 ――助けて。

 

 

 その叫びを聞いた瞬間、扉をぶち破っていた。

 そして、その先――振り向いてくれたリゥの顔を見た瞬間に、俺の中で何かがキレた。

 

「榊さん」

 

 歩く。

 愛梨花や棗が驚いた視線を向けているのがわかる。

 

 やがて、対峙していたナッシーを愛梨花は下げてくれた。

 顔を伏せているのは俺に罪悪感があるからだろう。きっと、リゥを何とかしようとしてくれたんだろう。

 

「ファアル、どうして……」

 

「いいさ、わかってる。ありがとな」

 

 大丈夫だ。笑みを向ける。

 それでも、足だけは止めない。

 

「……あ、……なん、で?」

 

 支えを失って力無くへたりこむリゥの全身は傷だらけだ。

 きっと愛梨花と――それよりも前から傷を負っていたんだろう。

 

「――ごめんな、リゥ」

 

 流れる涙を親指でぬぐった。

 それでも、後から後から流れている。

 

「……ち、ちがう、私が」

 

 何か言おうとするリゥの頭に手を置いた。

 

「俺も同じだ」

 

「…………」

 

 たった一言で伝わってくれた。

 そして、

 

「――ごめん、なさい」

 

「いいさ。方法はひとつだけじゃないんだから」

 

「――うん、でも」

 

 ごめんなさい、と。

 何度も何度もリゥは謝った。

 泣きながら。流れる血に構わずに。

 

 誤解していたのは俺もだった。

 強いと信じていた。だけど、本当は――弱かった。弱い自分を隠して強くなろうとしていた。

 

 そんなのは俺だって同じじゃないか。

 だというのに、気が付かなかった。

 だから、俺も悪い。

 リゥの弱さを信じていなかった俺も、また悪いのだ。

 

「さて、ファアル君」

 

 榊さんが――杖を下ろした。

 初老のおっさんが腰を抜かしたようだった。

 だが、構わない。

 最初から榊さんは俺しか見ていない。

 

「君のミニリュウは弱かったよ」

 

 そうなのだろう。

 厳しい訓練があったのだと思う。

 でもリゥの事だからくじけずにひとりで頑張ったんだろう。

 傷付いて自分を責めて、立ち上がれなくなる程に。

 

「――強くなるって言ったよな、榊さん」

 

「そうだ。ロケット団はただそれだけを目指す組織。悪事も強くなくては実行できない。故に、強さを求める。我々にこそ、強さを最短距離で得られる道理がある」 

 

 だろうな、とは思う。

 ロケット団の萌えもんは一様に強い。

 それはまるで手負いの獣のようですらあり、非道非情を尽くす悪でもあった。

 

「力と誇示しなくては意味が無い。ジムリーダーがそうであるように。萌えもんリーグがそうであるように。そして――君の父親がそうであるように」

 

 だと思う。

 

「だったら――」

 

 強さを求めた先は――榊さんが言った道になるのだろう。

 毎年何百人もの夢を持ったトレーナーが目指し、頂点を極める。その行為こそが、言葉の真理を証明している。

 

 強くなりたいと言ったリゥの願いは叶うはずだった。

 真っ直ぐに目指していればきっと、届いたはずなんだ。

 

「……ファアル、私は」

 

 立ち上がる。

 リゥの視線は俺を追うように。

 まるで、子犬が母犬の後をついていくかのように。

 見捨てられるのを恐れて、必死に目を離すまいとしている。

 

 奥歯を噛みしめる。

 握りしめた拳はもう限界だ。

 もう我慢する必要は無いぞ、ファアル。やっちまえ――

 

「だったら――何でリゥは泣いてるんだよ! あんたの言ったように強くなるってんなら……泣くわけがねぇだろうがッ!」

 

「ふっ……いけ、イワーク、ニドクイーン」

 

 同時に出されたのは二体の萌えもん。

 間髪入れず、ボールを抜き放つ。

 

「受け止めろ、コン! シェル!」

 

 振り回されたイワークの一撃をコンが片手で受け止める。足下には冷気。本来は溶かすはずの冷気を持って足下を固定したコンは、優雅に笑みを浮かべ、言った。

 

「……お久しぶりです、リゥさん。迎えに行くって約束、果たしに来ちゃいました」

 

「コン……あんた」

 

 隙をつき、ニドクイーンが迫る。

 角はないが生粋のパワーファイターだ。まともに打ち合えばゴーリキーとも並び立つだろう。

 しかし、

 

「効かぬ存ぜぬ-!」

 

 シェルがあっさりと止めていた。

 水と冷気。

 ふたつの属性を扱えるシェルにとってみれば、放った水と固めてしまえばただの巨体に成り果てる。

 

「シェルも……」

 

「迎えに来た。リゥがいないとマスター、寂しそうなんだもん」

 

 にへへー、と笑った。

 進化した二体の萌えもん。

 榊さんは更にボールを投げると当時、

 

「役者は揃った――殲滅させろ!」

 

 指示を受け、ロケット団全員も萌えもんを繰り出す。

 しかし、こっちもひとりじゃない!

 

「ファアル、任せて!」

 

「任せた!」

 

 迷うことなく、背中を預ける。

 

「素晴らしいチームワークだ……だが!」

 

 空中で飛び出したのはサイホーン。

 

「この重さだ――床が抜けるかもしないが、どうする?」

 

 はっ、そんなの――

 

「カラ!」

 

 ボールから飛び出たのは更なる仲間。

 瞬時にして戦略を組み立てる。

 

「コン、イワークにメガトンパンチ! シェル、上に向かって水鉄砲!」

 

「了解ですわ」

 

「お任せ!」

 

 イワークがはね飛ばされ、ニドクインは固定されたまま放置される。

 パワーファイターとあってか力業で氷が砕かれようとしている。

 だが、そこに更に一撃を加える。

 

「床が抜けるとかな――俺の知った事じゃねぇんだよ!」

 

 カラがサイホンーに肉薄する。

 

「サイホーン!」

 

「カラ!」

 

 体のサイズは倍ほど違いがある。

 まともに打ち合えば敗北は必須。

 サイホーンは圧倒的なまでに、鈍重だった。

 

「回れ!」

 

 サイホーンは体を空中で捻る。

 縦では無く横に。鈍重な体という事は、即ち鎧が全身を覆っているという事に他ならない。

 カラのような小柄な萌えもんでは逆にはね飛ばされてしまうのが関の山だろう。

 

「跳び蹴り!」

 

 しかし、止まらない。

 相手はロケット団だった。

 カラにとって、その程度で止まる理由など――あるはずが無かった。

 

「ちぇすとおぉぉぉ――っ!」

 

 骨を寸分違わず相手に命中させるその動体視力を持ってすれば――相手の回転を利用するように蹴るなど、造作も無かった。

 

「ちっ、やる……!」

 

 サイホーンがカラの一撃を貰い、床へと激突する。 

 しかしこちらも無事ではない。はね飛ばされたカラをボールに戻し、更にコンとシェルも戻す。

 

「むっ!」

 

 これから起こる事に気が付いたのだろう。榊さんが壁に手をついた。

 その瞬間、床が崩れた。

 

「ぬ、おおぉっ」

 

 俺が散々破壊してきた事と、さっき大きく揺れたのもあったのだろう。

 もはやサイホーンの重量を受け止められる状態で無くなっていた床は簡単に抜けた。

 配管をも巻き込んで、重量級の萌えもんは支える術を無くして宙を落下する。

 

 ――狙い通りだ。

 

「サンダース!」

 

 ボールを投げる。

 敵タイプに共通するは地面タイプ。

 しかし、それらは一度既に剛司において攻略している。

 全身を水で濡らした三体の萌えもんは電気を逃がす場所もなく、水という導体によって抗う術は無い。

 即ち、

 

「全方位十万ボルトォッ!」

 

「くたばれえぇぇっ!」

 

 痛みにも似た閃光が瞬いた。

 次の瞬間、三体の萌えもんは床に叩き付けられていた。

 床は社長室の半分以上を飲み込んでいた。ごっそりと削られた社長室の中、戦っていたはずのトレーナー達が一様に動いていなかった。

 

「すっげぇ……」

 

 果たしてそれは誰の声だったか。

 サンダースをボールへと戻し、

 

「リゥのボールは返してもらうぜ」

 

 偶然にも転がってきたボールを手に取る。

 傷が入ったボールだ。入りたがらない偏屈な萌えもんのために証明としてつけておいた、傷。

 

 床が抜けた傷で手放してしまったんだろう。

 無事に取り戻せて良かった。

 

「――取り返したぞ、ちゃんとな」

 

 どうよ、と笑ってみせると、

 

「……うん」

 

 と言われた。

 まぁ、リゥが笑っていたからそれでいい。

 視線を再び榊さんへと戻す。

 

「やはり君は強いな。まるでサイガを見ているかのようだよ」

 

 余裕の姿勢を崩さず、榊さんは崩落した床の向こうで言った。

 

「……俺は、殴りたい」

 

「誰をだね?」

 

 問われ、

 

「俺を」

 

 次に、

 

「榊さん、貴方を」

 

 そして、

 

「リゥを」

 

 全員が悪かった。

 みんながみんなして間違っていた。

 だから、殴る。

 過ちを犯した自分と、リゥを傷つけてくれた榊さんと――

 

「――うん、ありがと」

 

 間違っていると。そう言ったリゥを。

 

「じゃあ、私も殴る」

 

「ああ。これで"おあいこ"だ」

 

 間違ったのなら、怒ればいい。

 違うと思ったのなら叱ればいい。

 同じだったとしたら一緒に歩けばいい。

 

「なぁ、リゥ」

 

 一度道を外れたのなら。

 お互いが間違ったとわかったのなら。

 

「うん、ファアル」

 

 そしてまた一度、一緒に夢を目指したいと願ったのなら。

 謝って、認めて。

 

「「一緒に」」

 

 また、同じ道を歩いて行けばいいんだ。

 

 

   ――強くなろう。

 

 

 俺達に必要だったのは、その言葉だった。

 ひとりでは目指せないと知っているからこそ、届く言葉。

 どんな言葉よりも、千を重ねたとしても――心に響いた。

 

「あっ……」

 

 リゥの体が光に包まれていく。

 見上げるリゥに頷く。

 

「俺は、ここにいるから」

 

 そして――リゥもまた頷き返し、全身を光に飲み込まれ、まるで天から龍が現れるかのような神々しさを経て、

 

 

 ――ハクリュウへと進化を果たした。

 

 

 さあ、

 

「行くぜ、()()!」

 

「うん!」

 

 光すらも飲み込んで、純白が現れた。小さかった体は成長し、俺の首あたりまでに伸びている。蒼穹を思わせる髪はそのままに、龍の証として身につけていた宝玉はより輝きを増し、額の角も僅かに成長している。

 

「進化した、か……行け、ガルーラ!」

 

 崩れそうな床にこれ以上の萌えもん戦は厳しいだろう。既にロケット団もレッド達によってほとんどが敗北を喫している。

 しかし、榊さんは退かない。

 

 いや――

 

「ロケット団は今日までのようだ……残念だよ」

 

 その表情に残念そうな意思はまるで感じられなかった。

 

「時間を稼げ、ガルーラ」

 

 既に屋上も抑えられているはずだ。

 逃げ場はどこにも無いはずなのに自信が崩れない。

 何がある……?

 

「ファアル!」

 

「――ああ!」

 

 気にしている場合でもない。

 ガルーラに接近するには床を跳び越えるか回り道しかない。

 

「龍の息吹!」

 

「諒解!」

 

 ぴったりと。

 狙った通りに放ってくれる。

 リゥの持つたったひとつの遠距離攻撃だ。

 

 この距離ならば、届く。

 しかしガルーラは、拳撃を持って防いで見せた。

 

「流石インファイターなだけはある」

 

 あれでノーマルタイプなんだから恐れ入る。

 

「リゥ、跳べるか!?」

 

「今ならたぶん何でも出来る!」

 

 脱いでくれるかな?

 

「今なんか余計な言葉が聞こえたんだけど」

 

「……何でも無いです。跳べ!」

 

「うん!」

 

 それは、飛翔だった。

 図鑑を広げ、技を見る。

 

「特訓の成果、ちゃんとあるじゃねぇか」

 

 決めるならそれしかない。

 迎え撃つべく拳を引き締めるガルーラ。

 真っ直ぐにリゥから視線を逸らさず、迫る敵を見据えている。

 空中で体を捻る。

 

 リゥ――

 

「ドラゴンクロウ!」

 

 右手に烈火の如き深紅が生まれる。

 

「はあぁぁ―――っ!」

 

 お互いに届く距離へと入る。

 撃ち出される拳はカウンター。

 放たれる爪は一撃必殺。

 そして――重なった。

 

「くっ」

 

 振り抜かれた拳圧がこちらまで届く。

 しかしリゥに当たるには至らず。

 振り抜いた爪はガルーラへと届くも、致命傷にはなっていない。

 

 掠めた拳がリゥの放った爪から威力を奪っていた。

 何という膂力。拳で岩石すら打ち砕きそうだ。

 

「もう一発……!」

 

 しかしリゥも進化したといっても傷そのものが完治したわけではない。

 失った体力は戻らない。

 それを証明するかのように疲労の痕跡があちこちに見え、開いた傷口から血が流れている。

 

 どうする?

 

 自問し、立ち向かおうとするリゥに指示を下そうとした瞬間だった。

 

「なっ――!」

 

「きゃっ!」

 

 ガルーラの背後――壁があり得ない程の威力で破壊されたのは。

 粉塵が舞い上がる。

 瓦礫ではなく、粉々に砕いた上でまき散らしている。

 

 さながら煙幕だ。あっという間に社長室を覆い隠そうとする煙幕をレッドとグリーンが止めるべくピジョンとオニドリルで迎え撃つ。

 しかし、

 

「ちっ、無理か」

 

 最上階まで駆け上ってきたせいか起こせた風は微々たるものだった。

 高いという事もあり、吹き込む風の方が遙かに強い。飲み込まれた粉塵の中、

 

「少しは強くなったみたいだが……まだまだ弱いな、お前は」

 

「えっ」

 

 リゥの方から声がした。

 女だろうか。

 熟練した兵士を思わせるような重みを含んだ声だった。

 

 その声にはじき出されるようにしてリゥが吹っ飛ばされて現れる。

 咄嗟に受け止め、

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん。ありがと」

 

 そして、視線を煙へと向けた。

 視界は開けない。

 そんな中、榊さんの声だけが俺へと届き、

 

「また会おう、ファアル君。今度は本気で戦えるのを楽しみにしているよ」

 

 言葉を残し、消えた。

 あの確かな存在感がふっと消えてしまったのだ。

 まるで、空を飛んだかのように。

 

「……まさか」

 

「リゥ?」

 

 抱き留められたままのリゥは俯いて何かを考えていたようだった。

 しかし、俺の声に気が付くとやがて自分の体勢に気が付いたのか、

 

「ひゃっ」

 

 と短い悲鳴を上げた後、

 

「………………ま、いっか」

 

 全身から力を抜き、脱力したかと思うと寝息を立て始めた。剛胆な事で。

 それは危機が去ったのを知らせる合図のようもであり、

 

「お疲れさん」

 

 俺を信頼していると。

 伝えてくれるようでもあった。

 

 

    ----

 

 

 そうして――ロケット団によるシルフカンパニー占拠は幕を下ろした。

 甚大な被害と共に、ボスの居場所だけは以前として不明なまま。

 一先ずは解決を迎えた。

 

 

 

    ◆◆

 

 

「これで良かったのか?」

 

 問いを投げかけた人物は肯定し、笑みを浮かべた。

 

「相変わらずな奴だ……」

 

 呆れた声を上げるが、その表情は長年連れ添っている友人を見るそれだった。

 やがて上空に差し掛かると、男は指示を下し、滞空状態へと入った。

 

「さて、随分と大きな事件を起こしてくれたようだが……正気か?」

 

「もちろんだとも、友よ」

 

 そう答え、榊は嬉しそうに一度帽子を取った。

 

「君の息子はとても強くなっている――組織ひとつを犠牲にしてまで育てた甲斐はあるぞ?」

 

「部下全員を捨てたのか?」

 

 榊の言葉に、やれやれと首を振る。

 くつくつと榊は笑い、

 

「夢は共に見てこそ強く輝く。次に相まみえる時は彼の前にジムリーダーとして立ち塞がり、更なる試練にならなくてはならない。そうだろう? なに、強さを求める――その理念に何も背いてはいない。部下は弱かった。弱者は必要ないのでね」

 

 サイガは否定せず、静かに榊に背を向けた。

 そして、

 

「送ろう。どこがいい?」

 

 その無骨な態度に別段腹を立てるわけでもなく、榊は先ほど壊滅したロケット団を思考から追いやり、思考を巡らせた。

 やがて、

 

「そうだな――」

 

 行き先が告げられた。

 互いの胸中にひとりの青年の姿を描きながら。

 

 

 

    ◆◆

 

 

 

 シルフカンパニーの事件から一週間が過ぎた。

 あれから、崩壊しかけていたビルは現在急ピッチで立て直しが始まり、社長も無事だった事もあって一部では平常運業しているようだ。逞しいったらない。

 

 事件を解決に導いたジムリーダー及びレッド、グリーン、ブルーには表彰がされた。もちろん、破壊しまくった俺には表だっては一切無し。報奨金が少し貰えた程度で、むしろお咎めが無かったのに安堵したくらいだ。

 

 怪我が完治していない状態で無茶をしたせいか、結局再び入院するハメになり、今度は医者がいいと言うまで出して貰えなかった。

 

 また、リゥも怪我が酷く、萌えもんセンターで看てもらっていた。無茶をしたのはお互

い様だったらしい。似た者同士ですね、と受付の姉ちゃんに言われた時は何だか釈然としなかった。

 

 結局、榊さんの居場所はわからず仕舞い。

 俺とリゥもそれぞれ傷を癒やしていたため、結局会うのは今が久しぶりだったりする。

 

「……何つーか」

 

「うん、わかる」

 

 実に気まずかった。

 仲直りはしたはずなのに、な。

 こう、会話が続かなかった。

 そうしてお互い探るように相手を盗み見、結局は、

 

「何か馬鹿らしいな」

 

「ふふっ、うん」

 

 謝ってもいたし、仲直り――もしたわけで。

 元のように戻っただけで何も変わらず。

 

 ――ああ、いや。

 

「ねぇ、ファアル」

 

 俺を名前で呼ぶようになったのは確かに変わった。

 今まで呼んでくれなかったもんなぁ。

 はにかみながら繰り返し呼んでくる姿はこう――いろいろと来る。

 

「どうしたよ」

 

 内心の動揺を出さないように隠すのが毎回必死なわけだが、今回は別の意味で動揺してしまった。

 リゥは言葉を一度切り、自分の中で整理をしたのだろうか――幾分か経過してから言った。

 

「私の倒したい相手を言っておこうと思って」

 

 今更だ。

 非常に今更だ。

 だけど、俺達には必要で――まだ通過してない儀礼だった。

 

「わかった。場所を変えるか?」

 

「うん。静かな場所がいい」

 

「となると――」

 

 あそこしかないな。

 俺はリゥを連れてある場所へと向かった。

 

 

    -----

 

 

 タマムシシティ郊外の丘――そこに俺達は来ていた。

 ちょうどあの日。ロケット団に喧嘩を売ると言った場所だった。

 ここなら――街の雑踏からも離れているしうってつけだろう。

 

「わぁ……」

 

 視界の先に広がるのはヤマブキシティ。建設途中のような骨組みで覆われているシルフカンパニーが無残だが、それ以外は何も変わらない、かつて見た事のあるいつもの風景に戻っていた。

 

「ここ、夜に来ると綺麗なんだ」

 

 人口の灯りで彩られる景色も、それはそれで綺麗だと思う。空に瞬く星にはない魅力がある。

 俺の言葉に目を閉じたリゥは、

 

「いつか、また夜に、その……」

 

 ちらちらと視線を向けながら、不安に揺れる瞳で言った。

 

「おう。また一緒にな」

 

「うんっ」

 

 そして、大切なものを抱えるように胸に手を当て、語り出した。

 

「――私の倒したい相手っていうのはね、お姉ちゃんなの」

 

 リゥの言葉が耳に届く。

 

「お姉ちゃんは凄く強いの。私はもちろんそうだけど……里のみんなが誰も勝てないくらい、すっごく強い」

 

 里――いつかオオキドのじいさんから聞いた事があった。

 稀にコミュニティを作って暮らしている萌えもんも存在していると。

 

「私、そんなお姉ちゃんに憧れて強くなろうって思った。

 ――大きな手で頭を撫でてくれるのが大好きだった。良くやったなって褒めてくれるのが嬉しかった。大好きだぞって抱きしめてくれるのが気持ちよかった」

 

「リゥ」

 

 そして気付いてしまう。

 全てが過去のように語られていることに。

 

「でもきっと、私は重荷だったんだと思う。子供だったから――馬鹿をやって無茶をして、お姉ちゃんを傷つけた」

 

 自分のせいで大好きな人に怪我を負わせてしまう。

 果たしてそれは――どれだけの痛みを子供心に背負わせてしまうものなのだろうか。

 

「だから、強くなりたい。大丈夫って言って笑ってたお姉ちゃんが安心出来るくらい、強く。

 里で何度も戦ってもらったけど、勝てなかった。何一つ届かなかった。私はずっとお姉ちゃんのお荷物なんだって気付いて――逃げた。でも荷物でもいいよって追ってきてくれるかなとも思ってたの。結局、追ってきてはくれなかったけど……」

 

 そして、マサラタウンで俺と出会った。

 

「私は――お姉ちゃんにもっと自由に生きて欲しい。妹に構ってばっかりじゃなくて――自分の信じる人と歩いて欲しい」

 

 だから、

 

「私は強くなってお姉ちゃんを倒したい! 私はもう手のかかる妹じゃないよって伝えたいの! そうやって、今度こそ――ちゃんと向き合いたいの」

 

 それがリゥの想い。

 がむしゃらに強くなることを望んだ少女の――夢だった。

 

「……こんな夢じゃ、駄目なのかな?」

 

「そんなわけねぇよ。誰が駄目だって言おうと、俺は絶対に認めるからな」

 

 きっと、想いは届く。

 そのために強くなるっていうのなら――なればいいだけだ。

 リゥひとりだけじゃなくて、俺や仲間達もいるんだから。

 一緒に歩ける奴はもう充分揃っているのだから。

 

「……うん」

 

 リゥは控えめな、でも強い笑みを浮かべた。

 

「っとそうだ。なぁ、お姉さんの特徴とか訊いていいか? ほら、参考になるし」

 

「あ、うん。それもそうね」

 

 旅をしていればいつか出会うかもしれない。

 それに戦う時を想定して戦術を汲み上げられる。

 事前に情報を知っておいて損は無い。

 本当、今までどうして忘れていたんだろう。

 俺のの間抜け具合は相当だ。

 

「えっと、種族は――そっちの言葉だとカイリュウ」

 

「ふむ」

 

 となると、ハクリュウとなったリゥの更に先――現在確認されている最終進化だ。ミニリュウであったリゥが敗北するのもわかる。大人と子供が喧嘩をしているようなものなのだから。

 

 にしても――カイリュウとは。

 

 親父の相棒もそうだったよな、と何とはなしに思い出した。

 そう、あのカイリュウは確か――

 

「それで、翼が体くらいあるの。里の中で一番大きいの」

 

「ふむ」

 

 ああ、そうだ。翼が大きかったのを覚えている。

 

「で、――私を庇った時の傷があるの。勲章だって誇ってたけど」

 

 傷。

 言葉に喚起され幼少を思い出す。

 親父に抱えられて見た親父自慢の相棒の姿。

 彼女の額には――

 

「傷の場所は、額。こう、額からぴっと斜めに」

 

「――、!」

 

 傷が、あった。

 斜めに走った傷が。

 

「は、はは……はははっ!」

 

 

 ――ああ、そうか。そうだったのか。

 

 

「えっと、ファアル……?」

 

「なぁ、リゥ」

 

 

 俺達の道は最初から――

 

 

「そいつは――親父のカイリュウだ」

 

 

 繋がっていたのだ。

 

 

 

 

<続く>


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