萌えっ娘もんすたぁ ~遙か高き頂きを目指す者~   作:阿佐木 れい

3 / 37
【第二話】トキワ――旅立ちの儀式

 しかし息巻いて出発しようとしたのはいいものの、ぶっちゃけ何の準備もしていないことに気が付いた。

 てなわけで、家に一旦帰宅し必要なものを纏め上げていたら一日経ってしまった。

 

「そっか。ファアル、あんた…」

 

 家に帰ると、家事をしていたお袋が出迎えてくれた。

 俺と傍に寄り添うにして警戒しているリゥを見て、納得したように深々と息をつき、

 

「もしもし警察ですか? うちの息子が幼女誘k」

 

「待て待て待て待て!」

 

 

 ボールには入りたがらないリゥの意志を汲んで外に出したまま帰宅した時の母の言葉と顔は生涯忘れない。ほんとに警察が家に来たじゃねぇか。

 そんなこんなでリゥは温かく俺の家族へと迎えられた。親父が不在の家で萌えもんとはいえ久しぶりに賑やかな食卓となった。

 

「リゥちゃん、これ食べてみて。自信作なのよ!」

 

「は、はぁ」

 

「リゥ、こっちも美味しいから。食べさせてあげるね。あーん」

 

「あ、あーん」

 

 おかしいな、俺、ガン無視ですけど。

 四角い食卓でひとりしょんぼりと箸を持つ。

 目線の先には小さなメザシ一尾と醤油、かつおぶしに梅干。

 片や、リゥは若鶏のから揚げに色とりどりのサラダ、大根おろしをつけてさっぱりとした味付けに仕上げられており、更にじゃがいもの煮付けにかぼちゃの煮物まである。

 ……非常に納得がいかない。

 

「……あのー」

 

 もしもし?

 ああ、無視ですか。聞いちゃいないねこれ。

 

「え、えっと」

 

 申し訳無さそうに俺を見るリゥに小さく笑い返してから、メザシを加えた。

 ほとんど生じゃねぇか。

 ただまぁ、悪いもんじゃない。

 チャンピオンって立場上、ここ数年は家に帰ってきていない親父。だからこそかもしれないが、お袋が笑っているのを良く見かけるようになった。

 そう、笑っているんだ。

 

「どうしたの、ファアル」

 

「……いや、なんでもねぇ。ってかこのメザシ、半分生じゃないか

 

「刺身と思いなさい」

 

「無理があんだろ」

 

 だから、どんな切っ掛けであれ楽しそうなのは見ていて安堵した。

 ――旅に出る。

 何も言わない俺に、それでも何か感じ取っているのだろう。今夜のお袋は、ひょっとしたらここ数年で一番はしゃいでいたように思えた。

 

 

    ◆◆

 

 

 夜が明けて。

 

「さて、行くか」

 

「うん」

 

 結局、荷物は安っぽい鞄がひとつ。機能性のあるリュックなんて持ってなかったので腰に小さなホルダーをつけ、そこにボールを収納することにした。

 もうひとつあるホルダーにはアイテムやらを収めるつもりだ。

 寝袋はかさばるので基本的には萌えもんセンターでの寝泊りを想定。ただ、軽いタオルケットだけは鞄に押し込めた。

 ということで、旅立つには非常に心もとない装備になってしまった。

 が、正直な話、必要になれば買えばいいんだからそれほど軽装でもないだろう。

 リゥを頷き合い、一緒になって一歩を踏み出した。

 ここからが俺達のスタートだ。

 青々とした空が俺達の旅立ちを祝福してくれているようでもある。

 レッドたちにも負けないくらい良い旅立ち日和だ。

 と、

 

「兄貴ー!」

 

 ジジイの研究所から駆けて来るのは見知った姿。大きめのリュックに赤い帽子は見間違うことなく弟分のレッドだ。

 レッドに手を挙げて応えつつ、これからどうするかを思案する。萌えもんリーグに挑むには各街に存在するジムリーダーを斃してバッジを集めなくてはいけない。近くでは…トキワかニビになるだろう。

 だが、それよりもだ。

 まずはやらねばなるまい。

 

「……なんで海なの?」

 

「漢が旅立つ時は海を眺めるもんだって決まってるんだよ」

 

 潮風が気持ちいいぜ。広がるマサラの砂浜には人っ子ひとりおらず、過疎化が心配になるが、まぁ今はどうでもいい。

 

「――寒い」

 

 春先だからな。

 隣でリゥが両手で身体を抱えながら「馬鹿やってないで早く行くぞ」と哀れみを込めた視線を投げかけてくる。その視線がたまらない。

 

「何で照れてるんだよ、兄貴」

 

「お前にも直にわかるさ」

 

 漢の美学ってもんがな。

 

「確かこの先には――グレン島か」

 

 地図を取り出してみると、今俺が望んでいる場所から遥かな遠方にグレン島と呼ばれる火山島があるようだ。そこにもジムはあるが……今は無理だろう。

だが、

 

「泳いでならいけるかもしれねぇ」

 

「……はい?」

 

 何しろグレンには萌えもん研究所なるものがあるはずだ。

 萌えもんの研究所だ。

 あられもない萌えもんとかいっぱいいるに違いなんだ。

 そうに違いない。

 

「なぁ、リゥ」

 

「――何?」

 

 地平線を指差す。こう、逆転でも出来そうなくらいビシッと。

 

「泳いでいこうぜ」

 

「いや」

 

「でも泳げばきっと気持ちいいと思うんだよ」

 

「いや」

 

「ほら、どうせ行かなきゃいけないんだし」

 

「いや」

 

 取り付く島もない。

 

「どーしてー?」

 

「――気持ち悪いなぁ、もう。

 大体、泳ぐって言うけどその格好でどうやって行くの?」

 

 言われ、自分の姿を見る。全くもって泳ぐには適さない格好。この服装だと海どころか川ですら溺れる自信がある。

 

「リゥが泳いで俺が捕まる。どうだ、完璧だろう!」

 

「絶対にやだ!」

 

 だいたい、とリゥは怒りを露わに続ける。

 

「あ、あんたは絶対に変なことしてくるに決まってる! そうよ、だって変な目してるもの!」

 

「おい、見損なうなよリゥ」

 

 あまりにも失礼な発言だった。

 昨日の今日だ。信頼関係が形式上のことなのはわかる。

 だが、俺だってリゥを相棒と認めているのだ。リゥのことを認めているのだ。

 

「えっ……?」

 

 だから俺は宣言する。

 声高らかに。

 

「そんな平坦な胸に興味なんぞあるわけなかろうが!」

 

「溺死しろバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――!」

 

 リ ゥ の た た き つ け る 攻 撃

 

 一回転した遠心力そのままに長い髪を尾のようにして俺へと文字通りに叩きつける。

 

「お、ぶぼぉっ!」

 

 見事にぶっ飛ばされた俺は顔ごと着水。初めてした海とのキスはしょっぱい味だった。

 

「はぁー、はぁーっ」

 

「あ、ははは」

 

 レッドに至ってはもう笑うしかないのだろう。引きつった笑みを浮かべている。

 

「ぶはっ」

 

 しかし死ぬかと思った。打ち付けた顔がまだ痛い。

 なんとか浮き上がると、リゥたちの姿はかなり遠かった。こりゃかなり飛ばされたものだ。

 リゥとしても手加減はしてくれていたのだろうが、それでこの威力だ。使えるかもしれない。

 まぁ、とりあえず戻るとするか。服も重たいし、沈みそうだ。

 妙に重たい身体に違和感を覚えながらなんとか陸地に戻る。

 

「う~、さぶ」

 

 海から上がると、暖かいはずの春風が身に染みた。

 

「そのまま溺れちゃえばよかったのに」

 

 身も心も寒くなった。

 

「あ、兄貴……それ」

 

「あ?」

 

 浜辺に置いておいた鞄からタオルを出して顔を拭いていた俺をレッドが驚いた顔で指差していた。

 視線を移してみると、リゥも同じような顔で俺を見ている。

 はて。

 この妙に重たい身体と何か関係でもあるのだろうか。

 ゆっくりとレッドたちの視線を追って腰あたりに視線を落とす。

 

「きゃはっ」

 

 何かいた。

 俺の腰あたりに抱きついていた。

 1mくらいの小さい萌えもんが。

 場所的にかなりアウトなんだが、それもまた――イィもんだ。

 

「お前、どうしたんだ?」

 

 海草だらけでどんな萌えもんかすらわからない。マサラ近海ならばメノクラゲっぽい気はするんだが……。

 ぬめぬめする海草を一通り取り払うと、小さな顔にきょろりとした紫の瞳が俺を見上げていた。身体を覆っているのは頑丈な殻で、緊急時にはその中に篭ることが可能な萌えもん。

 即ち

 

「シェルダーじゃないか」

 

 マサラ近海でもあまり見かけない萌えもんだ。

 迷ったのかじゃれついてきたのか。

 シェルダーは面白いものでも見つけたかのように俺から放れない。

 そろそろ放れてくれないと困るんだが……理性的な部分で。

 

「とりあえず放れてくれないか?」

 

 ゆっくりと諭す声で話す。

 

「や!」

 

 拒絶。

 どうしよう。万策つきた。

 シェルダー。水と氷タイプを持つ萌えもんだ。正直な話、この先を考えるとこれほど頼もしい仲間もいない。

 だけど、今の俺にはボールが無い。

 捕まえるべきアイテムが無いのだ。

 こんな事なら見栄なんて張らずにジジイのところから99個借りてくれば良かった。

 

「あの、兄貴」

 

「ん?」

 

「これ……良かったら使ってよ」

 

 言ってレッドが差し出したのはまだ何も入って無いモンスターボール。

 

「いいのか?」

 

「――うん。使ってくれ」

 

 レッドは眩しいものでも見るかのように、真っ直ぐな瞳で頷いた。

 

「博士に聞いてきたんだ。昨日、俺達が旅立ってからの事。俺、嬉しかったんだ、本当に。兄貴が……本当の兄貴に戻れた気がして」

 

 だから使ってくれと。

 レッドはもう一度だけ俺に告げた。

 

「……ありがとよ」

 

 そして貰ったボールをシェルダーに見せ、その瞳を見つめる。

 紫の瞳。それは深い海の底のようでもあり、シェルダーそのものの色でもあるかのような純粋さを持っていた。

 

「一緒に来るか?」

 

「ほ?」

 

 シェルダーは俺とボールをしばらく見た後、頷いた。

 

「よし」

 

 ボールを押し当ててシェルター、もといシェルが仲間になったのを確認してからホルダーにボールを収める。

 萌えもん、げっとだぜ!

 断じて口には出さんが。

 

「別にそんなの捕まえなくても」

 

「戦力は多い方がいいだろ?」

 

「それは……そうだけど」

 

 どうにも納得が出来ないといった風のリゥの頭を撫でてやる。

 

「ちょ、ちょっと」

 

「はは、行こうぜ」

 

「――もう、わかった」

 

 でもその前に風呂な。

 

 

    ◆◆

 

 

  マサラからトキワへと抜ける道。

 そこはマサラと違い、綺麗に整備された道だ。歩道は整備されているし、道端には老人が休憩し、恋人たちが愛を語らうためのベンチが備え付けられている。まっすぐにトキワへと伸びているその道は、嫌でも冒険への期待感が膨らむというものである。

 また、人と萌えもんの住み分けが曖昧なのも特徴で、すぐ側の草むらでは野生の萌えもんが生息していたりするのだから不思議なものだ。

 そんな歩道を、俺達はトレーナーよろしく草むらを意識しながら歩いていく。目的はもちろん、レッドの戦力増強だ。

 シェルダーでの恩もある。頼りないかもしれないが、レッドを手伝ってやりたいってのが本心だった。

 そのレッドだが、ジジイから貰ったヒトカゲを出して草むらを歩き回っている。

 正直な話、どう考えても危ない気がするんだが、まだ春先だし引火したらシェルでなんとなるだろうけども。

 

「ったく」

 

 別の意味ではらはらしながら、レッドの後姿を見る。

 まだ幼さの残る小さな体だ。男の子って言葉が一番しっくり来る。新品のリュックも真新しく、まるで入学したてのようにも見える。

 大して俺はといえば、擦り切れそうな薄手のロングコートに肩からかけるだけの小さなバックだけだ。

 

「? どうしたの、急に笑って」

 

「いや、なんでもねぇさ」

 

 俺もレッドも同じようなもんか。

 こみ上げてくる笑みを抑えながら俺も周囲を見渡す。

 こちらとしてもそろそろリゥの力を試してみたいし、ポッポやコラッタのような手ごろな相手が欲しかった。

 

「ふぁあ……ぁふ」

 

 リゥは俺の考えを知ってか知らずか、良い天気の前に可愛らしい欠伸をしてながら俺の歩調に合わせてゆっくりと歩いている。

 腰につけたボールは後ひとつ。ニビでのジム戦を考えると、シェルの実力も把握しておきたい。

 しかし、萌えもんバトルは初体験でもある。手持ちの萌えもんを駆使して指示を出し、勝つのが目的とはいえ、要は戦術の読み合いだ。一定以上は頭の中で戦術パターンを構築しておいた方がいいだろうな。

 

「なぁ、レッド」

 

「ん?」

 

「お前、バトルはもうやったのか?」

 

 レッドはぴたりと足を止める。

 そして肩を落とし、酷く沈んだ声で呟いた。

 

「――グリーンとやった」

 

 ああ、あいつか。ショタグリーン。

 

「勝ったのか?」

 

「……訊かないでよ」

 

 つまり、負けたんだな。

 聞けば、グリーンが貰ったのはフシギダネだという。となると残りのゼニガメはブルーだろう。レッド、グリーン、ブルー、それぞれに象徴的なカラーの萌えもんを渡すとはジジイのくせになかなか小粋だ。

 とはいっても、ヒトカゲは火、フシギダネは草だ。タイプの相性からして負けるとは思えないのだが……。

 

「……いや」

 

 むしろ負けた方が良かったのかもしれない。

 ここから這い上がれるのなら、きっとレッドは強くなる。そんな予感があった。

 

「あ、兄貴!」

 

 野 生 の コ ラ ッ タ が 飛 び 出 し て き た !

 

「きたきたきたぜぇ、レッド!」

 

 僅かに伸びた前歯チャームポイントの、これまた可愛いお客様だ。今すぐお持ち帰りしたい。

 だが今回の相手は俺じゃない。

 

「お前がやれ。こいつは、お前の相手だろ?」

 

「――うん! わかってる!」

 

 レッドが臨戦態勢になると同時に、ヒトカゲもまたレッドの前へと躍り出る。

 なんだ、良いコンビじゃないか。

 

「ヒトカゲ、ひっかけ!」

 

 レッドの指示に従って、ヒトカゲが長い爪を出してコラッタへと飛びかかる。負けじと応戦するコラッタ。

 ……なんだか、実にイィ光景だな。

 客観的に見れば普通に戦っているだけなんだろうが、小さな女の子たちが組んずほぐれつバトルってのもまた……たまらんものがある。

 

「あ、敵だ」

 

「お?」

 

 リ ゥ の た た き つ け る 攻 撃 !

 

 油断していた。まるで敵を見るかのような眼差しで俺を睨みつけるパートナーさんの存在を。ですよねー、ただの変態でしたもんねー、俺。

 まぁ、手加減はしてくれいるようだし何よりだ。本気なら海の向こうまで飛べるもんな。

 と、相棒の後ろに影が現れる。

 

「――リゥ、たたきつけろ!」

 

 敵は後ろだと視線に籠める。

 伝わる気配。リゥが振り向き様に放った一撃は、野生のポッポを確かに捉えていた。

 だが甘い。相手も気配を察知して後ろへと飛んだのだろう。幾分か衝撃が和らいだようで、こちらへと敵意をむき出しにしている。

 

「……今はいい」

 

 その様子に違和感を覚えるも、気にしている場合ではない。

 空中で体勢を立て直し、着地する。

 即座にポケモン図鑑を開いてリゥの技を確認する。

 

 電磁波、叩きつける、まきつく、龍の息吹

 

 随分と頼もしいラインナップだ。

 リゥの扱える技を頭に刻みつける。

 

「電磁波いけるか!?」

 

「当たり前よっ!」

 

 すかさずポッポに打ち込む電磁波。なるほど、遠距離から放てる

技のようだ。

 電磁波が命中し、ポッポは麻痺で動きが鈍る。鳥の萌えもんは空に飛ばせたら厄介だ。こうして動きを封じるのがセオリーだろう。

 

「リゥ!」

 

「諒解!」

 

 隙を与えず、次の指示を。こちらの意図を汲んでくれたリゥは身体を大きく捻り、長い髪を鞭のようにして叩き付けた。

 

「ぴっ、!」

 

 しかし動けるようになったのか、ポッポは即座に身を翻すと、そのまま空へと飛び去って行った。

 

「あ、逃げたっ」

 

「……」

 

 今の一瞬、まるで麻痺が治ったかのように見えたんだが……俺の気のせいだったのだろうか。

 

「こらっ、待てぇー!」

 

「……まぁ、いいか」

 

 暴れたりないのか、リゥが空へと向かって叫んでいるがもう戻ってくる気配はなかった。

 

「兄貴、今のは?」

 

「ん? ああ、逃げられてな」

 

 無事に捕まえたのだろう。萌えもんボールを手にレッドが駆け寄ってくる。

 俺は苦笑を返してリゥへと声をかける。

 トキワまでもう少しだ。

 

    ◆◆

 

 

「……ふむ、なるほど。状況判断は悪くなさそうだ」

 

 ベンチに座った男の呟きと放り捨てた〈なんでもなおし〉の存在に気が付かないままに。

 

 

 街道を抜けると、マサラとは比べ物にならないくらい賑やかな喧騒に包まれる。

 トキワシティ。

 チャンピオンロードとニビシティへと続く交流点でもあるこの町は年中通してトレーナーに溢れている。

 だが、肝心のトキワジムは閉鎖されており、年に一度、萌えもんリーグが開催される直前にのみ扉を開くのだという。

 

「さて、着いたな」

 

「うん。そうだね」

 

 レッドは自分の捕まえたコラッタを考え深げに眺めている。

 ボール越しながら既に愛着がわいているようだった。

 

「うしっ、萌えもんセンターに行くぞ!」

 

 そんなレッドを伴って萌えもんセンターへと向かう。

 萌えもんセンター。戦って傷ついた萌えもんの治療を専門的に行ってくれる場所だ。トレーナーにとっては休憩所でもあり、パートナーを癒す大切な私設でもある。

 俺はシェルを、レッドはコラッタと――もうひとつボールを預けていた。

 

「なんだ、いつの間に捕まえたんだよ」

 

「あはは、実は兄貴が戦ってる間にね」

 

 照れたように笑うレッド。

 てっきりコラッタだけかと思っていたが、そうでもなかったようだった。

 

「お預かりになりました萌えもんは無事に傷が癒えましたよ」

 

 にっこりと笑みを返してくれる受付の姉さんに挨拶を済ませ、外に出る。

 まだまだ日は高い。この先、ニビへと続くトキワの大森林は広大だし、準備も必要になってくる。急がなければならない。

 

「じゃあ、レッド。またな」

 

 旅の仲間もここで終わり。

 俺はレッドに背を向けて先を行く。

 いつまでも一緒にいるわけにはいかない。

 

「――あ、兄貴っ!」

 

 と、レッドがどもりながら大きく声を上げる。

 数歩先を進んでいた俺はいつもの調子で振り返り、その手に握られたものを見て言葉を呑み込んだ。

 

「ぼ、僕と……い、いや、俺と」

 

 萌えもんトレーナーの鉄則。

 目の合ったトレーナーとは戦うのが規則。

 真っ直ぐに俺へと突き出した腕の先には、ひとつのモンスターボール。

 そして、もうひとつの暗黙のルール。

 勝負を挑まれたのなら、

 

「萌えもんバトルだ!」

 

 背中を見せてはならないっ!

 

「――はっ、いいぜ!」

 

 臨戦態勢に入ろうとするリゥを片手で制する。

 まずはこいつの様子を見ないとな。

 腰のホルスターからボールを抜き出し、そのままの勢いで前に投げる。

 光を放ち、ボールからシェルが現れる。

 

「やっはー、外だー」

 

 さて、頼むぜシェル。

 

「い、いけっ、ポッポ!」

 

 レッドが繰り出したのはポッポ。先ほど見かけた野生のものよりも一回りほど小さいが、鋭い目が印象的だ。

 

「頼むぜ、シェル!」

 

 しかしいきなり出されて状況がわからないのか、シェルはしきりに首を傾げている。

 

「何なにー?」

 

 こっちを向いて首を傾げてくるシェル。

 

「ああ、実は……」

 

「い、未だポッポ、体当たり!」

 

 レッドの指示に従ってポッポがシェルへと小さな身体をぶつけてくる。

 

「ちっ、シェル、殻に篭れ!」

 

「あいさー」

 

 殻に篭ったお陰で、ポッポの攻撃はなんとかダメージが軽減されるも、今の先制はかなり痛い。

 

「うー、バトルー?」

 

 涙目で俺を見上げてくるシェル。

 

「ああ、いきなりで悪いが頼めるか?」

 

「――やるっ!」

 

 シェルは頷くと、殻から飛び出てポッポと向き合った。

 

「……」

 

 図鑑を開く。

 

 体当たり、殻に篭る、水鉄砲

 

 ポッポの方が素早さが高く、こちらの方が遅い。

 しかし防御はポッポが弱く、こちらの方が高い。

 なら、遅いながらの戦術を行うしかない。

 

「ポッポ、もう一回だ!」

 

 レッドが指示を出す。

 このレベルだと、まだ体当たりくらいしか覚えていないのは当然だろう。

 ああ、だからこそ付け入る隙がある。

 

「わくわく。わくわく」

 

 楽しそうに身体をリズミカルに揺らしているシェル。この緊張感の無さは良い意味で頼もしい。

 レッドの指示を受けたポッポが真っ直ぐにこっちに向かってくる。

 そう、真っ直ぐにだ。

 

「シェル、水鉄砲!」

 

「らじゃっ!」

 

 だから、命中する。

 

「なっ」

 

 レッドが驚く。

 ああ、当たり前だ。これはゲームじゃない、現実なのだ。相手が攻撃してむざむざ喰らうつもりは更々無い。

 

「ぴっ」

 

 水鉄砲の威力に体当たりを外してしまうポッポだったが、勝機は今この瞬間にしかない。

 すかさず指示を出す。

 

「シェル、体当たりだ!」

 

「がってんしょうち!」

 

 水鉄砲で浮いたポッポへとシェルが水の上を走るようにして体当

たりを食らわせる。

 

「あ、ああっ!」

 

「ぴ、ぴぅ……」

 

 そして、目を回して斃れた。

 

「一体目、撃破だ」

 

 戻ってきたシェルが褒めてと首を傾ける。

 

「おう、ありがとな」

 

 その頭をなでる。

 

「きゃっ、もっとほめるがよい」

 

 生き生きと返事をしてくれた。

 さっきの水鉄砲の威力といい、当てに出来そうだ。

 

「も、戻れポッポ!」

 

 ポッポを手元に戻すレッド。

 小さく「ごめんよ」と呟いていたが、聞こえないフリをする。

 

「……ファアル、いいの?」

 

「いいんだよ、これでな」

 

「そっか。わかった」

 

 見上げてくるリゥにはどうやらお見通しらしい。

 まぁ、昨日からの付き合いだとはいえ、さすがに俺とレッドの関係くらいわかるわな。

 

「今回はシェルでいく。いいか?」

 

「私に訊くことじゃないでしょ? トレーナーなんだから」

 

 そうだな。

 そうかもしれない。

 

「ほらっ、次よ次!」

 

「いっ!」

 

 弱めの電磁波を喰らい、身体に痺れが走る。

 ああ、でも。

 気付けにはちょうどいい。

 両の頬を叩き、レッドへと意識を向け直す。

 

「いけ、コラッタ!」

 

 続いてはコラッタ。さっき街道で俺が発見した萌えもんだ。

 おそらくヒトカゲは最後だろう。弱点属性であるシェルの体力を出来るだけ削り、ヒトカゲのダメージを軽減させるつもり、という事か。

 

「……」

 

 こちらには全快に近い状態のリゥが控えている。

 萌えもんを変更するなら今しかない。

 思考は一瞬。

 即座に指示を飛ばす。

 

「シェル、一旦下がってくれ!」

 

 そして渇を入れてくれた本人へと。

 

「頼む、リゥ」

 

 背後のリゥから、くすりというような笑みが漏れたような気がした。

 

「諒解」

 

「えー?」

 

 シェルをこっちに手招き。

 

「主役は後に出番があるもんだぜ、シェル」

 

「わかった!」

 

 シェルの頭に掌を置く。

 

「ミニリュウ、か」

 

 レッドがリゥの姿を見て呟いた。

 相手はコラッタだ。本当なら斃すはずだったポッポに逃げられたため、事実上はこれが初めての俺とリゥの戦闘となる。

 手は抜けない。

 

「先手必勝でいく。リゥ、電磁波!」

 

「はいはい」

 

 リゥが右手を掲げると、掌から電磁波が発せられる。

 これが電磁波。電気萌えもんなら勝手が違ってくるのだろうが、リゥはそうやって生み出すようだった。

 

「かわせ、コラッタ!」

 

 だが鼠に近い萌えもんであるコラッタは、難なくかわす。

 

「なっ」

 

 それに驚いていたのは他でもない、リゥだった。

 

「……なるほどな」

 

 少しだけリゥの本質が見えた気がする。

 だが、それも後回しだ。

 レッドは更に指示を飛ばす。

 

「体当たり!」

 

 すばしっこく走り回り、リゥの電磁波から逃れながらも近づいてくるコラッタ。

 

「こ、このっ、このっ!」

 

 リゥはコラッタへと電磁波を放つも、その度に右に左に動かれ命中とまでいかない。

 拙いな。

 即座に頭で戦術を組みかえる。

 コラッタはポッポよりもなお素早い。電磁波を当てて動きを止めて、と考えていたが、どうやら無理のようだ。

 一方、リゥは攻撃力が高い分、命中精度に難がある。改善点はそこだが、戦闘中にどうにかなるものでもないだろう。

 

「――いや、あるか」

 

 閃いた思考。

 挽回するにはこの手しかない。

 

「リゥ、電磁波を止めろ!」

 

「いや! だって当たれば斃せるんだもの!」

 

 コラッタは既に目の前だ。

 後1回、電磁波を放つ隙すらない。

 ならば、

 

「だから言ってるんだ! 俺の指示に従え!」

 

「うっ」

 

 びくりと身体を竦ませるリゥ。

 なんだ?

 その姿に違和感を覚えるも、その瞬間コラッタがリゥへと体当たりを命中させる。

 

「あ、うっ!」

 

 リゥの小さな身体には大きなダメージだ。

 体当たりをしたコラッタともども地面を転がっていく。

 そう、共々に。

 

「リゥ、今ならいける。電磁波だ!」

 

「――っ」

 

 俺の意図を汲んだのか、コラッタの尻尾を掴んで電磁波を流す。

 強烈な電磁波を喰らったコラッタはその瞬間、動きを止めてしまう。

 

「叩きつけろ!」

 

「くっ」

 

 リゥは跳び上がり、勢いのままコラッタを叩き伏せる。

 

「あ、ああ……」

 

 レッドの悲鳴が聞こえるも、こっちのさっきので体力が削られてしまっている。

 おそらく後1撃喰らえば立っていたのはコラッタだっただろう。

 

「ナイスファイト」

 

「――うん」

 

 元気の無いリゥ。

 シェルのように頭でも撫でてみようかと手を伸ばすと、びくっとまるで恐れれうように身を縮こまらせた。

 

「……」

 

 そっと。

 優しく触れる。

 

「あっ」

 

 そして前を向き、小さく告げる。

 

「ありがとよ」

 

 レッドはボールにコラッタを戻している。

 そして、俺を真っ直ぐに見つめ告げる。

 

「いけ、ヒトカゲ!」

 

 ボールが割れ、砂煙を上げながら火蜥蜴が現れる。

 

「よし、頼むぜシェル!」

 

「ばっちまかせろー」

 

 シェルを送り出す。

 

「……そっか。そうじゃないんだ」

 

 だから聞こえなかった。

 俺の後ろで安堵したリゥの呟きは。

 

「ヒトカゲ!」

 

「シェル!」

 

 ここから先は読み合いだ。

 如何に相手を倒せるかにかかっている。

 

「体当たりだ!」

 

 警戒するべきは、その長い爪でのひっかく攻撃だ。

 他の萌えもんと比べても攻撃力の高いヒトカゲが繰り出す一撃は、それだけで脅威足りうる。

 しかし、

 

「ひのこだ!」

 

 レッドの予想は俺を裏切っていた。

 

「あ、あちち! あーつーいーよー」

 

 シェルの周りが火に包まれる。

 そうか。

 シェルのタイプは水と氷。通常ならば有効になりにくいはずだが、氷を持っている分、相殺されてしまうのだ。

 加えて、今の攻撃がレッドの隠し球であったのも悟る。

 マサラからトキワまでずっと草むらを歩いていた。だからこそ、レッドは「火の粉」を使えなかったのだ。

 そう、つまり逆に言ってしまえば周りに燃えるものが無いならばいくらでも使用できるのだ。

 

「ますたー」

 

 シェルが涙目でこっちを振り返る。

 ヒトカゲとの距離はまだ離れている。

 

「もう少し踏ん張ってくれ」

 

 機を狙うにはまだ早すぎる。

 先に焦れた方が負けになる。

 じりじりと削られていくシェルの体力。しかし火の粉は永遠ではない。すぐに消えてしまえば、そこには体力がつきかけているシェルがいるだけだ。

 

「へ、へろへろー」

 

 ふらふらと千鳥足になるシェル。

 

「くっ、ひ、ヒトカゲ……」

 

 しかしレッドは俺を警戒してか、二の足を踏んでしまっている。

 さて、どうするか。

 もう一度火の粉がくれば終わりだ。シェルは力尽きる。

 しかしこちらの水鉄砲が一度でも命中すればヒトカゲも力尽きるだろう。

 賭けるしかない、か。

 

「シェル!」

 

 俺は真っ直ぐに上を指差す。

 

「水鉄砲だ!」

 

「ばっちりょーかい!」

 

 指示通りに、真上へと水を放出した。

 

「な、何を……」

 

 レッドはその光景を見て、驚いているようだったが、

 

「ヒトカゲ、ひっかけ!」

 

 チャンスは今しかないと指示を出した。

 レッドに応えてヒトカゲがシェルをひっかくべく距離を詰める。

 ――賭けのひとつには勝った。

 上に向けて水鉄砲を放ったのは、ひとつは火の粉を消す目的があった。

 上空へと放たれた水鉄砲はやがて重力に従って地面へと拡散して降り注ぐ。云わば人工の雨となる。

 火炎放射などのような威力の高い技ならば防げないが、火の粉程度なら打ち消せる弾幕になる。

 加えて、ヒトカゲの攻撃方法は察するに「ひっかく」か「火の粉」のみだ。泣き声は相手の攻撃力を下げるものだから、水鉄砲には適用されない。つまり、必然的にレッドはひとつの技しか選べない。

 こちらへと近づくための攻撃しか。

 

「シェル!」

 

 素早く指示を飛ばす。

 相手の爪が届くよりも速く、

 

「水鉄砲だ!」

 

 シェルの水鉄砲が至近距離で放たれた。

 

「嘘でしょ……」

 

 後ろでリゥの驚いた声が上がる。

 

「ひ、ヒトカゲ!」

 

 相性の問題もある。今の一撃でヒトカゲは力尽きた。

 ……ふぅ。

 これで、俺の勝ちだ。

 

「やったな、シェル」

 

「いえーい」

 

 ふらふらしながらもVサインを向けてくれるシェル。俺もシェルに同じようにVサインしてからボールへと戻した。

 

「ありがとうよ」

 

 もう一度ボールに向かって言葉を向け、レッドへと意識を戻す。

 ヒトカゲを手元に戻し、レッドは項垂れていた。

 力弱く、地面に向かって。

 

「う、うぅ……また、負けた……」

 

 シェルの打ち上げた水鉄砲がまだ降り注いでいるが、レッドが流

しているものはそのせいじゃないだろう。

 

「あ、ちょっとファアル!?」

 

 何か言いたそうなリゥを置いてレッドへと向かう。

 気配を察したのか、レッドが擦れた声を出す。

 

「僕、やっぱり才能が無いや……グリーンには勝てないし、ブルー

にだって負けた。今頑張って兄貴にも挑んだのに……負けた!」

 

 それは慟哭だった。

 立ち向かっても立ち向かっても。

 それでもなお立ち塞がる巨大な壁だった。

 勝てない。

 自分の全てを尽くしても、勝てない。

 足掻いても、どれほど想っても。

 自分の限界を突きつけられる。

 だから、上を向いていた頭を下げて項垂れる。

 自分には無理だと自分を納得させ、諦めることで惨めな自分を慰める。

 

「――レッド、顔を上げろ」

 

 だから、そんな奴に向けることなんてひとつしかない。

 

「な、なんだよ兄貴。兄貴になんてわかるわけないじゃないか!」

 

 涙と鼻水で汚くなった顔で、真っ直ぐに。

 自分の不幸などわかるはずもないと叫びを上げる。

 その姿はまるで赤ん坊のようで。

 俺はまだまだ子供だから。

 そんな奴に出来ることなんてひとつしか知らない。

 

「お前は――どこ見てやがる!」

 

 殴った。

 涙に濡れた頬を容赦なく殴った。

 

「ぶっ、えぇぇっ!?」

 

 吹っ飛んでいくレッド。

 地面を何度もバウンドし、砂煙を上げて転がり、やがて止まった。

 

「ちょ、ちょっとファアル何やって」

 

「顔を上げろ、レッド!」

 

 リゥの声を無視する。

 今必要なのはそんな言葉じゃない。

 傷ついた相手に、羽が折れて飛ぶのを躊躇っている奴にかける言葉は慰めの言葉じゃない。

 いつか諦めてしまった俺のように。

 もう一度、飛べるように背中を押す事だ。

 

「あ、兄貴……?」

 

「お前が……いや、お前とさっきまで一緒に戦っていたのは何だ?

 情け無いって自分で言ったお前の腰についてる重みは何だ?」

 

 そう、それは酷く簡単なことなのだ。

 俺がこうしてここにいるのも。

 リゥが俺と一緒に旅立ってくれたのも。

 ひとつの、同じ理由なのだから。

 

「お前が戦ってんのは俺じゃねぇだろ!」

 

 だから、いつでも感じられる。

 いつでも感じていられる。

 

「情け無いって下を向くなら、まず初めにそいつらを見てやれ」

 

 自分を信じてくれる奴らを。

 自分を信じて背中を預けてくれる奴らを。

 

「お前が戦ってるのは、そいつらがいるからだろうが」

 

 だから、裏切らないように。

 どれだけ人から罵倒されても。

 どれほど人から貶されようとも。

 自分を信じてくれる奴らだけは、決して裏切らないように。

 

「もう一度立ち上がってやれ。お前が謝るよりも、お前がもう一度立ってくれる方がそいつらのためだ」

 

「こいつらの……」

 

 それがトレーナー。

 それが萌えもん。

 俺達の絆であり、夢なのだ。

 

「じゃあな、俺は行くぜ」

 

 レッドへと背を向ける。

 

「……やっぱりファアルは馬鹿だと思う」

 

 呆れたようなリゥの言葉。

 でもそれはどこか嬉しそうでもあって。

 

「はっ、だろ?」

 

 俺も笑って、そう答えたのだった。

 きっと、ただそれだけの事。

 そしてそれは、トレーナーだけじゃなく誰にでも言える事でもある。

 だから、信じられる。

 だから、立ち上がれる。

 

「……みんな、俺は」

 

 きっとレッドは大丈夫に違いない。

 どれほど挫折しようとも、あいつが気付いたものはそう簡単に折れはしない。

 

「――兄貴ぃっ!」

 

 レッドが叫ぶ。

 必死に。

 目指す目標へと向かって。

 かつて俺が、親父にそうしたように。

 

「俺は、兄貴を倒す!」

 

 はっ。

 

「やってみろ!」

 

 背を向けて、手を振る。

 これだけでいい。次に会うのはいつだかわからない。

 だけど、目指す目標はひとつなのだ。

 

「……待ってるぜ、レッド」

 

 萌えもんセンターへと向かって駆けていくレッドを見送りながら、そう呟いた。

 

 

 

 

「で、快復は?」

 

「もうちょっと待っててください」

 

 リゥに土下座するのも忘れはしなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。