天龍は慄いていた。
何故、「奴」がここにいるのだと。
自分の見間違いだと思いたかった。
夢ならば覚めてほしいと願った。
だが、奴が近づくにつれてそれは現実だと
嫌でも天龍に確信させた。
「……なんでだよ」
天龍は思わずそう呟いていた。
「なんでお前がここにいるんだよ」
その言葉は、既に近くまで近付いていた「奴」……
霧秀の耳に届いた。
「“お前”……某を知っているのか?」
「あぁ。一時も、てめぇの姿は忘れたことは
ねぇ。俺にしやがったこともな……」
憎悪と怒りの入り混じった声で、天龍は
次の瞬間声を荒げた。
「3年前‼︎お前はなァ‼︎俺の最愛の人の命を
奪い取ったんだ‼︎おまけにその罪を全て
俺に着せて……仲間の信頼すらも‼︎
全てを、全てをお前は‼︎」
もう、天龍の怒りは言葉で表現することが
出来ない程に燃え上がり、それを霧秀は
一心に受けていた。
霧秀はそれを目の前にしても動じず、
異様に細長い腕で顎を撫でる。
「ふむ……3年前か……3年前……」
そのまま僅かに天を仰ぎ、何かを考えるような
仕草をしていたが、やがて霧秀は天龍の方を
向き、静かに言った。
「……誰だ?すまぬが、全く思い出せぬ。
某はそれなりに記憶力はある方なのだがな」
霧秀は悪気すら見せず、いけしゃあしゃあと
天龍に言ってのけた。
「……ッ‼︎」
その一言で、天龍の怒りは頂点に達した。
否、頂点すら突き抜けていたに違いない。
反射的な速度で片手に持っていた刀を
両手で持ち直し、霧秀の首を狙い
振り払った。
その間1秒に満たない程の速さ。
天龍の刀はまっすぐに、正確に首元を
狙い。
直後、その首元で止められた。
刀ではなく、「指」で、だ。
まるで摘むように天龍の刀を挟み、
しかもそれは天龍が力一杯に引こうが
押そうがピクリとも動かせない状況に
なっている。
「う、おおお……‼︎くっ……ああ‼︎
なんて馬鹿力だ、畜生……」
「……中々の剣速だな」
そう呟いて霧秀は刀から指を離した。
拘束から解かれた天龍はバックステップで
すぐさま彼から距離を取る。
「ふむ……一合、斬り結んでみるのもまた一興か。
そこの女子、名はなんという?」
「……天龍だ。地獄に落ちる前に覚えておけ」
霧秀が刀を片手で構える。
「天龍か。覚えておこう。
……某の剣捌きを見切ることが出来たならな‼︎」
刹那、天龍が見たのは自分の脳天に向けて
白刃が迫る所だった。
「ッ⁉︎」
間一髪、自らの刀での防御が間に合ったものの、
かなり際どいタイミングだったのか、
霧秀の刃は天龍の首まで数cmあるかないかと
いう所で止められていた。
もし防御するのがほんの0.1秒でも遅れていれば
今頃天龍の首は体に付いていなかっただろう。
ギリギリ……と刃同士が削れ合う音が響く。
「くっ……はああっ‼︎」
叫びながらなんとか天龍は霧秀の刃を弾く。
霧秀は僅かに数歩下がると、
「ふむ。及第点といったところか」と言った。
そして、天龍の方を見て、ぼそりと呟いた。
「……怖がっているのか?」
「ッ……‼︎」
現実に、天龍は憤怒と同時に恐怖も感じていた。
3年前に比べ剣の腕は確かに上がったと自覚して
いるが、かつて自らの片目を奪った相手を
越えられているのか。
その疑心と恐怖は先程の一合で更に増大した。
肉眼で捉えるのが難しい一閃。
しかもそれが奴の本気とは限らないのだ。
正直言って、天龍の心は憤怒よりも恐怖が
僅かに多く占めていた。
「誰が……てめぇなんか‼︎」
「隠さずとも良い。むしろその気持ちを大事に
するべきだと某は思うぞ」
ギリッ、と強く歯を食いしばり、天龍は
刀を構え霧秀に向かって吶喊した。
霧秀は逃げもせず、かと言って構えもとらず
片手で刀を持ったまま天龍を迎え撃つ。
そして。
鋼が噛み合う音が、黒雲に覆われゆく空に
響き渡るのであった。
一方その頃、沖縄鎮守府の桟橋では。
「レンゲはさ、そういうのに耐えられるの?」
北上の問いに、レンゲは悩んでいた。
北上が、否、ほぼ全ての艦娘が北上の話のような
惨状を実際に目の当たりにしているのだ。
それがまだ小さい駆逐艦の少女だろうと
着任してまだ間もない艦娘だったとしても、だ。
彼女達はそれを乗り越えて日夜深海棲艦と
戦っている。
それに比べて自分はそれに耐えられるのだろうか?
深海棲艦に近い者達との闘いは経験しているが、
彼らはことごとく人間とは姿も思考も
かけ離れていた。
自分は……まだ本当の戦場に立っていない。
そんな自分が北上の言ったような惨状を
目の当たりにしたならば……。
自分の心はどうしようもない位に「壊れる」かも
しれない。
北上は自分にその覚悟があるのかどうか
聞いているのに違いないのだ。
「……俺は……」
レンゲがそう呟いた時、遠くからドタドタと
誰かが駆けてくる足音が聞こえた。
「クマー‼︎北上ー!レンゲー!桟橋から
どけクマー‼︎」
「どいたどいたー‼︎」
球磨と皐月だ。二人とも艤装を装着している。
「敵を発見したって木曾さんから連絡が‼︎」
「おまけにあの馬鹿、一人で勝手に迎撃するとか
勝手に言って切りやがったクマ‼︎」
「えッ⁉︎」
いくらなんでも敵艦隊に一人で立ち向かうのは
余りにも無謀だ。
それ故か、球磨の顔は非常に焦燥の感情を
写し出していた。
桟橋から海面に飛び込む球磨。
それを追って皐月も同じように飛び込む。
「気をつけて、球磨姉」
「分かってるクマ‼︎」
速力を上げて球磨達が遠ざかっていく。
その背中を見ながら、北上が呟いた。
「さっき言ったことだけど、答えは
今聞かないし、急かさないから。
自分なりに考えて、答えを出せばいいよ」
そう言って北上は立ち上がり、伸びをすると
桟橋から立ち去っていった。
だが、レンゲは北上の問いに対しての答えを
見出せず、暫しの間そこで頭を抱えたので
あった。