天龍は、自分の目が信じられなかった。
霧秀の腕が、一滴の血も流す事なく糸井川の
心臓を掴み出す様を。
だが、霧秀は天龍に目もくれる事なく
糸井川の心臓を掴む力を強くし、握り潰そうと……
「く、う……おおおおおおおおおッ‼︎」
そこで動けなかった糸井川が決死の覚悟で
突撃。霧秀の腹に膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐおっ……」
その一撃に霧秀は思わず心臓を手放してしまい、
数歩後退する。
しかし霧秀はそのままでは終わらず、
先程床に刺していた刀を手に持ち、糸井川へ
斬りかかった。
蹴りを打ち込んだ直後の糸井川にはこの一撃を
避けることは出来ない。
「らああああああっ‼︎」
そう、ただ一つ、天龍の介入がなければだ。
天龍は大上段からの一撃を自身の刀で防ぎ、
そのまま跳ね返した。
「……ちっ。まさか破られるとはな。
やはり、背後から行うのが一番か」
霧秀はそう吐き捨てると背後の闇の中に
素早く姿を消した。
天龍が恐る恐る糸井川に近づき、話しかける。
「お、おい。大丈夫か?心臓掴み出されてたぞ?」
「あ、ああ。見てくれ、これを」
糸井川の心臓を見ると、霧秀の一撃で穿たれた
胸の穴が、彼の心臓を穴へと引きずり込みながら
小さくなってゆき、心臓を完全に呑むと同時に
完全に消滅した。
「……無事、って事でいいんだよな?」
「多分……そうだと思うが。まだ奴は諦めたとは
思えないな」
確かに、霧秀は暗殺者としてここに来た。
一度失敗した程度で諦めるとは思えない。
「だが、失敗は犯している」
そう、霧秀は暗殺者としてたった一つだけ、
ミスを犯した。
「奴は本来なら今さっきの一撃で、俺を
殺すはずだった。けど、失敗した。
そうなると次からの奇襲はとても難しい。
恐らくは闇に紛れて撤退したいはずだから、
タイムリミットは朝まで。そこまで生き延びる
事が出来たら俺達の勝ちだ」
朝まで耐えずとも、誰かが糸井川達のいない事を
訝しみここを訪れるかもしれない。
そこまで生き延びられても天龍達の勝ちと
言えるだろう。
「……おい、少し静かにしてくれ。
何か聞こえないか?」
「……?」
天龍が糸井川を制して耳をすます。
最初は糸井川は聞き取れなかったが、やがて
彼の耳にもその音が聞こえてきた。
その音はまるで、何かが滑ってくるような音。
それがまっすぐに、こちらへと向かって……。
「ッ‼︎体を伏せろッ‼︎」
天龍はその音の正体をいち早く看破し、
糸井川の体を自分の身体と共に床に伏せさせた。
まさにその瞬間、
日本刀の刃が
壁を滑りながら二人の頭上を奔り抜ける。
「な……なんだありゃあ……⁉︎」
「やっぱり……あいつの能力は常識の範囲を
超えてやがる……走るぞ‼︎今なら奴も
追ってこねえ‼︎」
「あ、ああ‼︎」
二人は互いの身体を起こすと、出口を
目指して走り出した。
その頃、仮沖縄鎮守府では。
「いない?イトイガワがここに?」
「ええ。まあ〜提督はどこに行ったのかしらね〜
そろそろ戻ってきてくれないと半殺しじゃ
済まなくなるわ〜」
ジャックはその言葉に苦笑いしながら、
「じゃあ、どこにいるのか分かりマスカ?」と
聞いた。
「そうね〜……あ、確か半壊した鎮守府に
用があるって言ってたような」
「そうデスカ。じゃあもしかしたらそこに
いるかもしれマセンね。thanks,タツタ」
「ああ、そうだジャックさん。私が代わりに
行きましょうか〜?」
「え、いいんですか?」
龍田はニコニコしながら、
「こんな雨の中、ジャックさんに行かせる
訳にはいかないわ〜」と答えると、
念の為自らの得物を取って糸井川が向かったはずの
半壊した前鎮守府へと向かった。
その頃。
「走れええええええええッ‼︎」
「うおおおおおおおおッ‼︎」
二人は壁を奔る刃に追われていた。
全速力で走っているのだが、刃との距離は
全く離れることがない。
むしろ、だんだんと近づいてきている。
「おい、どうすりゃいいんだよ⁉︎」
「俺に聞くなああッ‼︎」
だがどうにかしないと、いずれあの刃に
切り裂かれるのは時間の問題だ。
(落ち着け……奴はどうやって俺達の位置を
感知してる?あの状態だと目は効かないだろう)
日本刀の刃以外を液体化した状態では、
目も何もあったものではない。
見えず、聞こえず、匂わず……。
(ッ‼︎そういう事か‼︎)
「糸井川‼︎刃の届かない床に一旦伏せろ‼︎」
そう言いながら天龍は自分の身体を再び伏せる。
「分かった‼︎」と答えると同時に糸井川も
それに従った。
刃が再び二人の頭上を通過する。
「よし……このまま音を立てずに行くぞ」
「?何故だ?」
「奴は“振動”で俺達を感知してるんだ。
恐らく、今さっきまで追ってきたのも走る時の
床の振動で位置を特定したんだと思う」
液体化して、視覚も聴覚も嗅覚もない。
そんな状態でこちらの位置を特定できるとすれば、
触覚によってとしか思えない。
「今、奴がまた戻ってこないのがその証拠だ。
多分、俺達がどこにいるのか分からないんだろう」
「と、するとだ。俺達は走る事は出来ないって事か」
「だな。匍匐前進か、ゆっくりと歩いて行くか」
ゆっくりと、床を軋ませずに糸井川は立ち上がると
そろりそろりと歩き始めた。
「匍匐前進だと時間がかかる。歩いて行こう」
「了解」
霧秀が液体化によってこちらの位置を特定出来ない
間に、二人は再び出口へ向かって移動を始めた。