Attack on Titamon 作:柳之助@バケつ1~4巻発売中
それは血と屍で作られ、憎しみと悲しみが込められた道だった。
幾万の不遇。
幾千の無為。
幾万の死者。
幾千の愛憎。
百の戦場。
十の覇者。
百の懺悔。
十の諧謔。
幾万の呪怨が。
幾千の呪言が。
幾百の夢想が。
幾十の幻想が。
唯一の理想が。
それは0と1で形成されたデータだから生易しいというわけではない。寧ろ、データという純粋な情報の塊であるからこそより凄惨で、より悲惨だった。そこに生産性など欠片もない。絶望的なまでに破滅にしか至らない。屍山血河、屍人でできた道のり。
一歩踏み出せば抜かるんだ血が。
もう一歩進めば屍の骸が。
さらに行けば誰かの得物の残骸が。
進めば進むほど、行けば行くほど。足に何かが絡みついて歩みを重くしていく。
けれど止まることはできない。例えどれだけ纏わりつくものが重くても、そこに込められた怨念と絶望が止めることを許さない。
そう、もう止まることはできないのだ。
一度足を踏み出し、その屍たちが遺したものを背負ってしまったが故、止まるという選択肢はない。許されているのは、力の限り進むこと。そして力尽きた時に、自身もまた死者の軍勢に加わるというだけ。
終わりなど見えない。
あるのやもしれない。
意味があるのかも解らない。
けれど進むしかない。
もう、己だけの身体ではないのだから。
その背に、魂に、幾千幾万の怨念が染みついているのだから。
故にそれこそが――鬼修羅である。
●
「――ッッ!」
痛みすら伴う意識の覚醒だった。
早鐘のように鼓動を刻む心臓、頭からバケツの水でも被ったように汗で濡れた身体。鼓動と汗、痛みと不快感、そして唐突な目覚めが牧野拓斗の五感を支配していた。自分が今どこでなにをしているのかすらも解らず、新鮮な酸素を求める体の本能に従いただ荒い呼吸を繰り返していた。
呼吸を整えるのにたっぷり数分は要し、そこでようやく周囲に目を向ける余裕ができた。
「……俺の、部屋……?」
未だ焦点がはっきりしない視界で移るのは見慣れた自室だ。かなり薄暗いが、もうずっと使っている部屋なのだ。解らないわけがない。
時計を見れば午後十時を少し過ぎたくらい。
こんな変な時間に何故目が覚めたのかを考え、記憶を探り、
「……!」
鬼修羅としての記憶が回帰した。
「ぁぐぁ……っ、ぅぃ……!」
嗚咽と共に喉の奥からこみ上げるものがあり、倒れ込むように這いつくばりながらベッドの脇にあるゴミ箱の下へ。
「おぇーーっ! 」
胃の中の中身全てをぶちまける。
吸えた匂いや鼻の奥でツンとした痛みが広がるが、それにも構わず吐き続ける。胃が空っぽになった後からも胃液すら吐きだしていく。
「ハッー、グ、っハー、ハーッ……」
ようやく吐瀉物が収まってから分泌された唾液で口の中を可能な限り洗いつつ、ティッシュで汚れた口元を拭う。盛大に吐いたせいで体力を使い、また荒くなった息を整えるのに苦労し、
「……ぁ?」
扉にもたれたオーガモンに気付く。静かに眠っているようで、動かないままだ。
その姿を見て思うことは一つ。
「……なんで、ここにいるんだ?」
記憶は最悪なことに鮮明だ。
拓斗とオーガモン。人間とデジモンという異なる種族二人が合体し、鬼修羅へと変貌していた。ハッキリと覚えている。デジモンとなってオオクワモンを蹂躙したことも、その直前死に至るはずの傷を負っていたことも。
あの時の吐き気や痛みだって残っていて、それを思い出しかけまた吐きそうになる。
深呼吸を繰り返し、頭の中を落ち着かせた。無論あの時の記憶がそんな簡単に鎮静化するはずもなく、十分以上それだけを行っても結局精神が均衡を保てるはずもなかった。
「あぁくそ……おい起きろオーガモン」
「――」
「オーガモン!」
「っ、ぐ……ん、お……? タク、トか?」
オーガモンは頭を何度か揺らしたが、確かに意識を取り戻した。
「俺は……ここは……」
「俺の部屋だ」
「タクトの部屋……なんでこんなところに」
「俺も知らん」
疑問はそこだ。
拓斗とオーガモンは融合し鬼修羅となった時の記憶ははっきりと覚えている。だが同時にオオクワモンを斃した後から先は全くない。壊れた映像記録のようにぷっつりと切れている。そして次の記憶は、今こうしてこの部屋で目覚めた所だった。
まさか自分で、あの姿のままに帰って来たわけがあるまい。
「……解せぬ。これに関してはいくら考えても解さんか」
ならば、考えるべきことは、
「……俺とお前、合体? 融合? 進化したよな」
「……あぁ」
マトリックスエヴォリューション。確か、あの時そんな機械音声が響いたはずだった。
拓斗自身は知らないが、本来は『子宮』を意味するラテン語。転じて生み出すという概念を持つ言葉だ。それ以外にも数学における数列で使われることもある。エヴォリューションは拓斗、というよりも大体の日本人でも知っている通りに進化だ。
その英語に拓斗は聞き覚えがあった。
デ・リーパー事件、その時に戦った留姫たちがデジモンと融合する時に彼らの持つ機械からそんな音が鳴り、テレビ等にも乗せられていた。原義的にはともかく、解り易くすれば融合進化といったところか。
「それが俺たちにも……む」
そこでポケットにスマートフォンが入っていることに気付く。あの時のどさくさに紛れて壊れたり失くしてもおかしくなかったが、どういう訳か壊れていないままにポケットに入っていた。いや、壊れていないというよりも、
「変わって、る」
それまで拓斗が使っていた時より大分無骨というか物々しいし、濃い緑と黒の骨らしきデザインになっている。電源を付ければそれまで使っていたスマートフォンとデータやアプリに違いはないが、デスクトップはフォーマットらしき真っ青な画面だ。着信通知のライトが点滅していたが今は無視だ。
そしてもう一つ。
ダウンロードした覚えのないアプリが一つだけ入っていた。
「おいタクト、何見てるんだ? おーい?」
「……」
オーガモンが声を上げるが気づいていなかった。というよりも反応が面倒だったし、その見慣れぬアプリがそれだけ興味深いものだった。
恐竜のようなドット絵をクリックすれば表示されたのは同じようにドット絵となったオーガモン。何やらノイズ混じりなのが気になったがそれ以外にも視線を移す。ホームらしき画面に、下部にはいくつかのアイコンがあり、『pictorial』と書かれたところをタップすれば、
「これは……図鑑、か?」
デジモンの名前らしきものがずらりと並んでいた。ア行から順番に始まっているそれは大体百あるかないかといった感じだ。
「む、91、これが記されている数か? デジモンの数はどれほどいたか……」
そのままインターネットに接続し、デジモンで検索する。大体デ・リーパー事件のせいで色々なゴシップ記事が多いが、やはり一番上に来るのはWikipediaだ。そこによれば諸説あるが大体は千前後らしい。つまり十分の一くらいがあるということか。
「……ぬぅ、知らない名前が多いが、記入有無の差が解らんな。おい、オーガモン此処に載ってる名前知ってるか?」
「あぁ……? あー、なんか覚えはあるな。技とか戦い方とか名前は出てくるぜ」
「お前が知ってるけどない名前はあるか?」
「……解んねぇな」
「そうか」
恐らくだが、オーガモンの知識――或はデータ――とリンクしているのだろう。ホームでオーガモンの絵にノイズが多いのはそれだけ彼の身体のダメージが大きいということだと考えられる。
つまり――これはそういうことだ。
「テイマー、か」
デジモンテイマー。
牧野留姫を初めとしたかつての戦いの英雄たち。彼らはそう呼ばれ、そう名乗っていた。拓斗自身、留姫から直接聞いていた。
それに拓斗もまたなったということだろう。
「おーい拓斗、なんだよお前、聞いてんのかー?」
このオーガモンのテイマーに。
彼らは端末のようなものを使っていたから、拓斗のこれも似たようなものだと思う。新しいカバーを買ったとでも言えば問題ないだろう。
「いや、問題しかない」
テイマーというのはデジモンと一心同体の間柄であるということは留姫から聞いていたし、現に今更オーガモンを放置するなんてことはできない。確固たる理由などないが、今の拓斗は自然とそう思っていた。
だから今の段階における問題というのは、
「お前をどういう扱いにするか、だな」
「あぁ?」
当たり前のことだがオーガモンは目立つ。こんなでかい緑の鬼なんて目立たないわけがない。だからこそ出逢ってからあの森に押し込んで不自由をさせていた。だがこうしてテイマーという繋がりができた以上、あんな扱いはできない。
だがそれにしたって、
「家に居候させるのも現実的ではないか……」
いくら色々アバウトというか大らかな拓斗の母といえどもこんな鬼を家に引き入れるなんてことは在りえないだろう。というか受け入れたらちょっと母の常識を疑う。
「ぬーぬぬ」
「タクト、おい、おーい」
「……ぬぅ」
「けっ、もういいぜ」
「……ふぅむ」
考え込んでいた拓斗だが、普段の彼ならばオーガモンがふらつきながらも自室から出て行ったことに気づいただろう。それでも今の拓斗にはそれだけの余裕など欠片もなかった。それなりに平静を取り戻し、冷静に考察しているようにも見えるがしかし実際のところ全くもって平常の状態を取り戻してはいなかった。
故にオーガモンに気付かず――それまで百近くあった月冴佐奈の着信にも気づけないまま、彼女からかかってきた着信に応答した。
『タクトおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』
「ううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?!?!?」
スマートフォンから轟いた佐奈の絶叫に拓斗は思わずひっくり返った。
『君は! どこで! 一体! 何を! していたんだ! 君は今どこにいるんだよぉー!』
「ちょ、おま、一度、静かに」
『静かに!? 君の! 頭は! 空っぽなのか!? いきなり! いなくなった! 君が! ようやく! 出たというのに! 落ち着いてられるかぁーー!』
「み、耳が……果てる……」
馬鹿みたいに大きな佐奈の声、それが拓斗の鼓膜に直撃し頭の中がガンガン殴りつけられる。
疲労も相まって、ぶっちゃけ吐きそう。
「お前ホントにッ」
思わず怒鳴りそうになったが、
『――ほんとに、心配したんだよ』
涙混じりの
「……すまん」
『ぐすっ……どこでなにをしてたのさ。ボクは君のこと凄い探して、ガイに電話してパシらせて、それでも見つからなかったっていうのに』
何やら凱の扱いが酷いがどうでもいいことなので置いておいて、考えるべきは佐奈への言い訳。長い付き合いだ。下手な言い訳をすればばれるのは瞭然なので、ばれない嘘をつかなければならない。
「あー、まぁなんというかいるはずのない知り合いを見かけたから思わず追いかけてたら道に迷ってな」
『嘘だっ!!』
速攻否定である。
『タクトにボクとガイ以外の知り合いなんているはずがない!』
「そこかよ!」
いや確かに友達がいないのは否定できないし、数少ない友達はその二人しかいないが、それにしたって顔見知りレベルならば少しくらいいる。
多分、きっと、めいびー、そうだといいな。
「とにかく、まぁそういうことだ。俺は無事だ、現にこうして自分の部屋でくつろいでる。心配懸けて悪かったな」
『――』
返事は数秒の間なにも帰ってこなかった。
別に嘘を言っているわけではないが、それにしても怪しいことは怪しい。どう言い訳したものかなと考え始めたが、
『解ったよ、うん。今回は、君が無事だったことを喜ぼう。――本当に大丈夫なんだね?』
「お、おう。特に問題はない」
『……なら、いいさ。うん』
「……」
らしくもなくしおらしい、或は素直な雰囲気に思わず戸惑う。自由奔放を絵に描いたような幼馴染がこんな風になるのは滅多にない。多分数えるほどしかなかったはずだ。
「サナ? なんかあったのか?」
…それはこっちの台詞なんだけど。とりあえず、君が無事でよかった。また明日会おうね』
「あ、おいっ……切れたか」
いつになく様子がおかしかった気がするが、タクトも人のことを言えない。
彼女のことを思い浮かべ、
『さ……な……』
「っ……」
同時、あの絶死の状況に於いて最後に読んだ名前が彼女だったことを思い出し、顔が赤くなりそうになったり、恥ずかったり、形容し難い感情が湧き上がってきたり、とにかく色々一杯一杯になりつつも、オーガモンへと視線を向け――そこでようやく彼がいないことに気づき、
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』
『なんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』
下の階から響くパートナーと母親の叫び声に頭を抱える他なかった。
「……勘弁してくれ」