遊戯王5D's 〜彷徨う『デュエル屋』〜   作:GARUS

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『デュエル屋』と休日 前編

 ダイモンエリア。

 

 シティの外れにあるこの地域は開発が進んでおらず、都心に立ち並ぶ華やかな建物とは対称的に古く寂れた建物ばかりが並んでいる。ツタが絡み付いたレンガ造りや、壁面が割れていたり窓ガラスがガムテープで止められたりしている建物も珍しく無く、罅割れだらけのアスファルト一つ見てもここの空気というものが伝わってくる。当然こんな地域に集まる人間はゴロツキばかり。マーカーを付きやシノギの人間など脛に傷を持っていて、シティでも暮らせないが、サテライト生活まで落ちぶれたく無いというような連中が肩を寄せ合って生きている。そんな連中が集まれば揉め事は日常茶飯事で、白昼堂々銃声が聞こえる事もしばしば。

 しかしそんな治安が悪い地域であるのにも関わらず、ここにはセキュリティの影は見当たらない。しょっちゅう問題が起きるのであればパトロールしているセキュリティが常駐すべきと考えるだろう。だが、実際のセキュリティの方針は真逆だった。パトロールに割く人員を無くし、通報が無い限り極力この地域には干渉する事は無い。その理由は年がら年中いざこざが絶えないこの地域に人手を回している余裕が無いというのもあるが、一番はこの地域に根付く裏組織の影響という側面が強い。下手に手を出せばそう言った組織と全面抗争なんて事になりかねないためセキュリティも迂闊には動けないのだ。

 そしてそのダイモンエリアには一際荒廃した場所がある。めくれ上がったスファルトから土の地面が見え隠れし、周りの建物は崩れかけているものばかり。屋根が無くなっている建物や、上のフロアが丸ごと崩れ落ちているビルも中には存在する。そんな状態のまま放置されている事もあり、この地域に住む人間すら滅多に人が寄り付く事も無い場所だ。

 しかしこの日は珍しくそこに人影があった。壁にまるで巨大な鉤爪で抉ったような大穴が空いたビルの中。穴は壁だけに止まらず、二階と三階の床を吹き抜けのようにぶち抜いている。電気がついていないせいでまだ日の沈んでいない夕刻だというのに、その中は不気味な程薄暗い。

 

「ぜぇっ! ぜぇっ! ぜぇっ!」

「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」

 

 そんな中で男達の激しい息づかいが木霊する。余程激しい運動をしてきた直後なのか、肩で息をして地面にへたれる二人の影がそこにはあった。そしてその二人を見下ろす大きな人影が一つ。

 

「はぁ……はぁ……おい、てめぇら情けねぇぞ。はぁ……もうちっとシャキッとしたらどうだ!」

「ぜぇっ、ぜぇっ! だけどよ! っ兄貴ぃ!」

「はぁっ、はぁっ! 流石にっ! 一日走り通すのはっ! キツいっすよ!」

「ちっ! はぁ……仕方ねぇ。五分だけここで休憩だ」

「ぜぇっ! うっす……」

「はぁっ! おっす……」

 

 その三人の容姿は一度見たら忘れないインパクトのあるものだった。地面に座り込む二人はそれぞれモヒカンとリーゼントという一昔前の不良のようなヘアスタイル。さらにその前に立つ男は髪を剃り上げたスキンヘッドだ。一般人がこの三人が一緒に街で歩いているところに出会したら、間違いなく顔を合わさないようにしてそっと距離を取ることだろう。

 

「はぁっ、兄貴」

「なんだ?」

「そろそろ……教えて下さいよ……はぁ……俺たちは、一体何から逃げてんすか? それもわざわざ人のよりつかねぇ“竜の巣窟”にまで来て」

 

 モヒカンが問いかける。その問いにスキンヘッドがどう答えるのか、リーゼントの男もまた同じ疑問を持っていたらしく顔をスキンヘッドに向ける。そんな子分二人の様子にスキンヘッドの男は真剣な面持ちで口を開いた。

 

「違うな。人がよりつかねぇからここに逃げてきたんだ」

「でも、いくらなんでもこんな不気味なところに来なくてもよぉ……」

「グヒヒッ! オメェ、ビビってんのか?」

「ばっ! ビビってなんかねぇよ!! ただ、ここじゃ嫌な噂しか聞かねぇ

だろ?」

 

 図星だったのか、煽るリーゼントの男に対してモヒカンの男は声を荒げる。不安の残る表情をしたモヒカンの男を見て、スキンヘッドの男は呆れた様子で口を挟む。

 

「はっ! ここに近づいた人間は“暴虐の竜王”の亡霊に襲われるとか言うあれか? くだらねぇ」

「だけどよ、兄貴。実際ここで“暴虐の竜王”が大暴れしてたってのは事実じゃねぇすか」

「それこそくだらねぇな。“暴虐の竜王”なんてのがいたのはもう三年くらい前の話だ。確かに当時はめちゃくちゃな破壊を振り撒いてたがよ。それが急にパッタリと音沙汰が無くなったんだ。もうとっくにおっ死んでるに決まってんだろ」

「噂じゃあ誰かが"暴虐の竜王"を倒したらしいっすよ」

「誰かって……あんな化け物とやりあおうなんて物好きな輩が居たのか?」

「さぁ。あくまで噂っす。居るとしたら依頼を受けたデュエル屋くらいでしょうね」

「だけどよぉ……デュエル屋ったってあれを倒せそうなのなんて死神……い、いや、全く思いつかねぇんだが」

「あ、あぁ、そうだろ? 今有力なのは"騎士甲冑のジル"、"プロフェッサー フランク"、それと当時だったら"デュエルプロファイラー来宮"辺りが関の山……確かにこの中じゃパッとしねぇ」

 

 モヒカンの男がうっかり漏らした"死神"と言う言葉。それは嘗てこの兄貴と呼ばれる男を圧倒的な力でねじ伏せたデュエル屋の通称で、それ以来そのデュエル屋の話題は禁句になっている。焦りながら取り繕おうとするモヒカンの男に合わせるようにリーゼントの男も話を逸らすのに尽力する。時節、チラチラとスキンヘッドの男の顔を伺う二人の様子を見て、当の本人は盛大なため息をつく。

 

「……テメェら気を遣うならバレないようにしやがれ。別にニケの野郎の名前が出たところでもう一々気にしねぇよ」

「すまいません……兄貴」

「正直な話、デュエル屋だったら今じゃニケの独走状態ですからね」

「なぁに、今はトップの座は譲ってやるが、何れこの借りは返させてもらうさ。っと、話がそれちまったな。あと俺たちが何から逃げてる、だったか?」

 

 頷く二人を見て、スキンヘッドの男は僅かに表情を曇らせる。モヒカンの男もリーゼントの男もその様子からただならぬものを感じ、顔を強張らせる。そして重たい空気が流れる中、スキンヘッドの男はゆっくり口を開いた。

 

「……なぁ、俺たちはどうして釈放されたと思う?」

「そりゃ、兄貴。ようやく兄貴の必要性に気が付いた“轟組”の連中共がセキュリティに掛け合ったんだろ?」

「まったく、散々っぱら兄貴を利用して金稼ぎしてたくせに、一度負けたらお払い箱行きとは薄情な連中だと思ったが、こう言った時に手を差し伸べてくれるとはちっとぁ見直してやっても良いすかね」

 

 スキンヘッドの問いかけにすぐさま前向きな答えをする二人。その様子からもこのスキンヘッドの男への絶大な信頼を感じるのだが、当の本人はと言うとその二人を見て再び大きなため息をつく。

 

「……はぁ。違ぇよ、馬鹿野郎共。俺たちは断じて助けられたんじゃねぇ」

「……どう言うことすか兄貴?」

「死神との一戦で俺の“デュエル屋”の地位はガタ落ちした。さらに今回は名も知られてねぇただの学生に負けてこのザマだ。連中がそんな俺を助けるためにわざわざ金を積む訳ねぇだろ」

「じゃあ……」

「俺たちはどうして……?」

 

 

 

「そんなん制裁のために決まってんだろ」

 

 

 

「「「っ!?」」」

 

 突然響いた聞き覚えの無い第三者の声。その声が聞こえた方に三人は同時に振り向いた。しかしその声の主の姿は見当たらない。三人は辺りを警戒しながら声の聞こえた方の気配を探る。呼吸の音も聞こえない張りつめた空気の中、耳を澄ますと、ジャリッ、ジャリッという一定の間隔で瓦礫を踏みしめる音が暗闇の奥から聞こえてきた。その音が近づくに連れて徐々に人影が近づいてくるのが分かる。シルエットからして男性だろう。あくまで歩いて近づいてくるその足音に三人の緊張感は高まっていった。

 

「よう」

 

 やがて現れたのはくすんだ金髪の若い男。体型は絵に描いたような男性モデルのようで、身長は高く手足も長い。白いTシャツの上からダークグリーンのレザージャケットを羽織り、太々しく両手をそのポケットに突っ込んでいる。下はジーパンと黒のブーツで纏めてあり、見た目の年とは裏腹にコーディネートには金がかかっているようだ。そして左手には当然のようにデュエルディスクが付けられ、ジーパンに通した黒い革のベルトにはデッキケースが付いたベルトホルダーがある。ここまで見ればまるで最近話題となっているデュエリストモデルのようだ。だが、この男の顔に張り付いた凶暴で好戦的な笑みがそんな生易しいものではない事を暗に物語っていた。

 

「なんだてめぇは!」

「ガキが来るとこじゃねぇぞ!」

 

 目の前に現れた得体の知れない男にリーゼントの男とモヒカンの男は番犬のように敵意を剥き出しにして吠える。凄むこの二人も負けず劣らずの凶悪な表情を浮かべており一般人なら逃げ出してしまうのだろうが、そんな威嚇を受けてもこの金髪の男は余裕の笑みを浮かべていた。

 

「ははっ、随分と歓迎されてねぇみてぇだなぁおい」

 

 そんな男の態度にスキンヘッドの男の取り巻きの二人組はますます熱り立ち、「舐めてんのか、あぁん!」「ぶっ殺されてぇのか!」などと口々に言う。ただ一人スキンヘッドの男だけは冷静に、そして見定めるように金髪の男を見ていた。

 

「……何者だ?」

「何者だ……ねぇ? 薄々アンタ勘付いてんじゃねぇのか?」

「…………」

 

 何も言わないスキンヘッドの様子に気が付き子分の二人も黙り込む。そうして訪れた静寂はしかし、突然の地鳴りによって破られる。

 

「な、なんだ?!」

「地震か?!」

 

 建物の揺れは僅かなものであったが、その振動は断続的に続いていた。そしてその揺れは段々と強まっていった。三人の警戒心は一気に跳ね上がる。断続的に起きる地鳴りが一体なんなのかを探るため、意識をその音に集中させる。しかし得体の知れない金髪の男からは決して目を逸らすことはしない。そんな男達の様子などには気にした様子も見せず、金髪の男は依然として特に動きを見せる事無い。またこの状況でも尚、笑みを崩してはいなかった。一方の三人組は危機が迫っている事は本能で察しているが、それの正体が何なのかつかめず焦りだけが募っていく。

 一度の揺れは強さを増していき、ついに天井から細かな破片が降ってくる程になっていた。挙動不審にあちらこちらを見渡し始める子分の二人だが、スキンヘッドの男はそれでも金髪の男へと視線を向けていた。そしてこの揺れの正体に気が付いた瞬間、彼の表情が驚愕に染まった。

 

「まさか……足音なのか……?」

 

 スキンヘッドの問いに答えるように、暗闇の中からはこの世の生物からは聞いた事の無いようなくぐもった唸り声が響く。それは金髪の男が現れた暗闇の奥の中にいた。目を凝らすと闇の中を巨大な何かが動いているのが分かる。断続的に続く建物を揺らす足音は止まる事無く、その巨大な何かがこちらに近づいてくる。それに伴い全体のシルエットが少しずつ見えてくる。全長は5メートル程。上の方では闇に輝く三つの緑光。

 

「ひ、ひぃ! ば、化け物だぁ!!」

 

 迫り来る巨大な影に悲鳴を上げながら腰を抜かすモヒカンの男。何時もならリーゼントの男がこれを茶化す所だが、リーゼントの男も何も言えずその場で固まっている。ただ一人スキンヘッドの男だけは闇の中から現れようとすしているそれに対して、行動を起こせるように構えていた。

 

「違ぇよ……こ、こいつは……」

 

 リーゼントの男が漏らす。その顔は恐怖で青く染まっていた。

 そうして闇から浮かび上がる藍色から茶色に塗られた巨大な体躯。だらりとぶら下がった両腕、体を支える両脚にはしなやかな筋肉が見て取れ、その指先には三本の太く鋭い爪がある。弓形に反った胸から上には首が伸び、S字を描くように首に繋がっている。頭は前に長く、その頭部を真っ二つに引き裂くように開かれた口には獲物を食いちぎるための鋭利な歯が何本も並ぶ。額には瞳何倍もの大きさの緑に輝く巨大な宝玉が埋め込まれており、二つの深緑の瞳は三人の男を上から見下ろしていた。頭から伸びる二本の長く尖った白い角、背中から生えたその体に見合った大きさの一対の翼、股から伸びた太く長い尾。現存するはずのないこの生物の名称をリーゼントの男は叫んだ。

 

「ど、ど、ど、ドラゴンだぁぁぁ!!」

 

 足を取られながらも腰を抜かして動けなくなったモヒカンの男に近づき引っ張り起こして、現れたドラゴンから距離を取るように二人はスキンヘッドの男の後ろに逃げ込む。その余りにも巨大な姿を前には如何に屈強な体つきのスキンヘッドと言えども小さく見える。それでも引かないのは後ろに自分を慕う子分がいるからか。スキンヘッドの男はこの距離でも感じられるドラゴンの生暖かい息遣いに冷や汗を流しながらも、この場をどうするか必死に頭を巡らせていた。

 そんな未知の生物が背後にいると言うのに、この金髪の男は相変わらず顔色一つ変える様子も見せない。それどころか顔だけ後ろに向けると、近所の猫を見つけたかのように自然な様子で話す。

 

「ん? あぁ、イケェねぇ。ここ来るのに使ったきり戻すの忘れてたぜ」

 

 そう言うとデュエルディスクのモンスターゾーンに置いてあったカードをデッキに戻す。それだけの動作で背後に顕現していた巨大な竜はその姿を消した。もう、あれだけの存在感と圧倒的な威圧感を放っていた生物はいない。

 

「馬鹿な……モンスターが現実世界に影響を及ぼしたとでも言うのか……?」

 

 スキンヘッドの男が呆然と呟く。

 金髪の男は起動したデュエルディスクにカードを乗せていた。それであのドラゴンが目の前に現れたのは分かる。だが、それではあの生暖かい息遣いに、地鳴りを引き起こしていた足音の説明がつかない。安直に二つの事象の因果関係を繋げればソリッドビジョンの影響ということになるが、それはありえない。いや、実際にはスキンヘッドの男が幼少の頃にも、デュエルモンスターズが世界中で実体化したという大事件があったのだが、それに関して言えば海馬コーポレーションはソリッドビジョンとの関係を否定している。それを考えてもまだ他に仕掛けがありますと言われた方が納得がいくだろう。

 

「な、なな、なんなんだよ、テメェ!」

 

 声を震わせながらモヒカンの男が叫ぶ。少し前までの威勢は何処へやら。その表情は完全に怯え切っている。その様子を見て愉快げに笑いながら金髪の男は答える。

 

「ここがどこで、さっきの状況を見れば分かってんじゃねぇか? 多分テメェらの思ってる通りだぜ?」

 

 そう、三人はすでにこの時気が付いていた。さっきまで噂をしていた人物。二年ほど前に破壊の限りを尽くしここの惨状を作り上げた張本人。竜を従えし暴虐の頂点に座す史上最凶のデュエリスト。その字名は

 

「暴虐の竜王……」

「そんな……死んだはずじゃ……」

 

 圧倒的な強者を前にモヒカンの男もリーゼントの男もその場に膝を着く。その表情は絶望に染まっていた。しかし、ここに来て尚その足を踏み出すものがいた。

 

「ちっ、てめぇら下がってろ! こいつは俺がやる!」

「へぇ、こいつを見てもビビらねぇとは……おもしれぇなアンタ」

 

 真っ向から向き合うスキンヘッドの男を見て、一層愉快気に口角を釣り上げる金髪の男。示し合わせたように二人はデュエルディスクにデッキをセットする。

 

「テメェを倒せば俺も一躍トップのデュエル屋ってわけだ! 名誉挽回の踏み台になってもらおうか!」

「はっ! いいねぇ、いつまで壊れねぇか見物だ。ちっとは愉しませてくれよ?」

「「デュエル!!」」

 

 衆目に晒されていない夕暮れの廃墟にて、一つの戦いが始まった。

 

 

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 どうしてこうなった……

 

 リビングにて心の中でひとりごちる。

 ついにこの日が訪れてしまった。願わくばこないで欲しい日だった。出来る事なら避けたい日だった。いや、それは過去形ではない。現在進行形でこの椅子から立ち上がって部屋に逃げ込みデッキでも弄っていたいところだ。それも叶わぬならせめてこの嫌な時間を一瞬で終わらせて欲しい。だが、辛い時間というものは往々にして早く過ぎ去ってはくれない。時計の針が一秒一秒刻むカチッカチッという音すらも憎たらしいくらい緩慢に感じる。

 

「それじゃあ八代君、説明をお願いするわ」

 

 凛とした声。テーブル越しに腰掛ける狭霧は笑顔だ。笑顔なのだが、その表情はどこか固い。家に来た珍しい来客の手前、必死に社交的な笑みを浮かべようとしているのがひしひしと伝わってくる。

 とは言え、それでは笑顔を作ろうとしているのが見え見えですよ、などとはとてもじゃないが言えたものではない。俺も似たようなものだからだ。俺もまた、無理矢理表情筋を動かして普段はあまり変わらない表情をなんとか笑顔にしようと努力している。その結果、俺もぎこちない顔になっている事は自明の理と言うものだ。

 意を決して口を開こうとした時、口の中が渇いている事に気付く。グラスに注がれた緑茶を口に含み話す準備を整える事にした。しかしいくら緑茶を喉に流し込んでも口の中はまるで砂漠のように干上がってく。少量でダメならば大量に流し込めば良いと思い、グラスを一気に呷ったのだがそれでも効果があったようには感じられない。結局そのままグラスに注がれていた緑茶を全て飲み干してしまった。

 仕方が無い。口の渇きのせいでいつもの声が出せるか分からないが、重たい口を開く事にする。

 

「分かりました……えぇっと……」

 

 口を開いてみると幸いなんとか声はいつもの調子を保てている。だが安心したのも束の間、その後言おうと思っていた言葉がすっぽり頭から抜け落ちてしまった。

 チラリと俺の隣に腰掛ける人物に目をやる。そしてその人物こそが今日、ここに初めて訪れた客人だ。

 艶のある腰まで伸びた髪。色は混じり気の無い白だが、光の具合によってはほんのりピンクがかったり、暗いところだったらグレーによったりして見える。肌も髪同様に白い。一枚布のような傷一つない白肌は同性がさぞ羨む事だろう。

顔のパーツはどれもバランスが良く、どれだけ面食いな男でも唸らざるを得ない程の美人である。着ているのは背中から肩まで花柄のレースをあしらった白のカーディガンとエメラルドグリーンのワンピース。

 強く抱きしめれば折れてしまいそうな華奢な体つきで手足には無駄な脂肪がついていない。だがそれとは対称的に、胸元が大きく抉られたワンピースから顔を覗かせる谷間からは決して控えめではない双丘の存在感を感じる。

 俺の視線に気付いたらしく彼女はモジモジとした様子で恐る恐る口を開いた。

 

「初めまして、山背静音(やましろしずね)です……」

 

 今にも消え入りそうな声。

 そう、それは紛うことなく実体化したサイレント・マジシャンだった。

 

 もう一度言う。

 どうしてこうなった……

 

 

 

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 このような事態になったそもそもの原因は一ヶ月以上も前になる“カラス狩り”の依頼だった。念のため断っておくとクロウを取り逃がした事で一悶着はあったものの、今回の依頼の全体を見れば概ね問題なかった。

 ただその認識はあくまで依頼として見ればという話である。世間では出来事一つとってもそれを見る角度によって見え方は異なるものだ。俺から見て問題ないと認識したとしても別の角度から見れば思わぬ落とし穴があったりする。それを今回は痛感させられた。

 と言うのもあの依頼のデュエルが行われたのは深夜。サテライトからシティに戻って来れたのは草木も眠る丑三つ時を過ぎた頃だ。まさかその時間に帰宅する訳にも行かないため、必然的に外泊しなければならなかった。しかし無断で外泊をするとなれば、俺の保護者である狭霧から色々な疑いをかけられる。そこで俺は適当な理由を事前にでっち上げる必要があった。ここまでは良い。だがその言い訳がまずかった。

 

“知人の家に泊まってくる”

 

 そこまで世間を知っているかは自信が無いところだが、その時ひらめいたこの言い訳は我ながら無難な解答だと思っていた。事実、初めは疑われもしたが、狭霧に引き取られる前からの知り合いで、相手が忙しくて今まで連絡がつかなかったと話したら、狭霧は納得した様子だった。だからその時は何の問題も無いと思っていたのだ。それが時限爆弾であるとも知らずに。

 その時限爆弾が弾けたのは依頼を終えて数日が過ぎた頃だった。その日は休日で狭霧と一緒に夕飯を食べ、食後のブレイクタイムにコーヒーを啜っていたときだった。

 

「そう言えば、この前八代君が泊まらせてもらったのって誰かしら? 今度ちゃんとお礼をしないと……」

 

 盛大に咽せた。

 コーヒーが気管に入りかけたせいで激しく咳き込み、口に含んでいたコーヒーがテーブルに飛び散った。いきなり咽せた俺を見て狭霧は心配した様子だったが、俺は自分が咽せたと言う事実など頭から吹っ飛んでいた。

 

“俺の聞き違いだよな?”

 

 そんな俺の希望的観測は続く「それで、いつ相手の方の都合がつくかしら?」と言う狭霧の言葉によって打ち砕かれた。その後、「昔からの付き合いで今更そんな事をする必要は無いですよ」とか「なかなか連絡が取れないから何時会えるか分からないです」とか言って抵抗を試みたものの「いいから今度ちゃんと紹介してね」と圧のある笑顔でそう告げられては「……はい」と応えるしか無かった。

 しかし当然だが泊めてくれた知人などでっち上げで存在しない。それにそもそもここを追求される事など想定していなかったため、対策など講じているはずも無かった。こうなるくらいだったらもっと良い言い訳を練っておくべきだったと思っても後の祭り。こうして俺には話を合わせてくれる知人役が必要となったのだ。

 普通の交友関係を持っている人間ならここで友人の一人にでも頼めば良いのだろう。だが友人の一人もいない俺はそうはいかない。そもそも前からここに未練が残るような人間関係は作るまいとしていた事が仇となった。だが、こんな事態になってもこれを捩じ曲げるつもりは毛頭無かった。人材派遣に適当な人間を寄越してもらう案は裏世界と表の“八代”の顔の接点となるので却下。つまり、結局俺の数少ない知人にこの役を頼むしか無かった。だが唯でさえ少ない知人をさらに狭霧に顔を知られていない人間に絞り込むと、残るのは雜賀と最近利用していないピンクの髪の闇医者の二人だけだった。そしてどちらも裏世界と繋がりのある人間故、セキュリティとも関わりがある狭霧とは接触できない。

 これは詰んだかな、と半ば諦めかけていた時に『大丈夫ですか?』と心配そうに声をかけてきたのは常に俺の側にいる精霊のサイレント・マジシャン。その彼女の顔を見て俺は色々なものを諦めながらもこうする決心を付けたのだ。

 その後は狭霧に相手の都合が付くのは春休み頃になりそうだと話し猶予時間を確保してから、様々な方面に奔走し戸籍やら住居の問題を解決してようやく今に至る。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 サイレント・マジシャンが自己紹介を終えると再び部屋に沈黙が訪れる。狭霧はサイレント・マジシャンの体の毛穴と言う毛穴まで確認するようにサイレント・マジシャンを黙って見つめているし、そんな視線を向けられているサイレント・マジシャンは居心地が悪そうにモジモジとしながら俯いてしまっている。誰も口を開かない空間をこれ程までに居心地悪く感じた事は無い。時計の針が単調に時を刻む音だけがこの部屋に残された音だった。まるで音の出し方を忘れてしまったかのように部屋から音は消えていた。

 俺は突然テレビをつけたくなった。普段はテレビがついていたとしても気に留める事は無い。流れてくるのはシティのカラオケで起きたぼや騒ぎだとか、デュエルアカデミアの生徒が線路に落ちた酔っぱらいを救助したとか、世界に羽ばたくスーパーモデルの特集だとか、俺の生活に何の関わりのない情報ばかりだからだ。だがそれでも俺は今すぐテレビのスイッチをオンにしたかった。テレビは一度つけてしまえばこちらの都合などお構いなしに一方的に音を流してくれる。テレビをつけてシティのカラオケで起きたぼや騒ぎだとか、デュエルアカデミアの生徒が線路に落ちた酔っぱらいを救助したとか、世界に羽ばたくスーパーモデルの特集だとか、そう言った音でこの部屋を満たして欲しかった。

 そんな現実逃避をしているとようやく狭霧が口を開いた。

 

「はっ、ごめんなさい。八代君が初めて連れてきたお友達が女の子だったものだから、ちょっとボーッとしちゃってたみたい」

「い、いえ、大丈夫です。私も折角ご招待いただいたのに碌にお話しできないですいません」

「そんな事気にしなくていいわよ。あっ、そう言えば自己紹介がまだだったわね。八代君の保護者の狭霧深影よ。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします! あ、これ、少ないですけどよろしかったら召し上がって下さい」

 

 そう言いながらサイレント・マジシャンは椅子の横に置いてあった鼠色の紙袋を差し出す。紙袋には真ん中には白い筆文字で庵寿堂と書かれている。それはここに来る前サイレント・マジシャンと一緒に買っておいたお菓子だ。店構えといい店の名前といい如何にも老舗っぽい印象を受けたのを覚えている。

 

「あら、そんな! こっちがこの前八代君を泊めてくれた事のお礼にってわざわざ来てもらったのに、受け取れないわよ」

「いえいえ。遠慮なさらずどうぞ、受け取って下さい」

「もう、気をつかってもらって悪いわね。それじゃあ……折角なんで今頂きましょうか。お皿持ってくるわね」

 

 そう言うと狭霧は受け取った袋をキッチンへ運んでいく。

 なんとか重たい空気を持参した土産物のおかげで払拭する事が出来た。サイレント・マジシャンは隣で座りながら息をついている。先程の空気にはサイレント・マジシャンも参っていたようだ。出された緑茶に口をつけると、サイレント・マジシャンはテーブルのガラスポッドを取り、俺の空いたグラスに緑茶を注いでいく。

 

「ん、ありがとな」

「はい」

 

 礼を告げるとサイレント・マジシャンははにかんだ笑みを浮かべる。こういう細かな気配りが出来るところもサイレント・マジシャンの良いところなのだろう。

 俺も緑茶を飲み一時の和らいだ空気の中、気を休めた。だが、そんな時も長くは続かない。狭霧がキッチンから戻ってくると再び気を引き締める。これからの会話でボロを出すわけにはいかないからだ。

 狭霧は戻ってくるとお菓子を乗せた木のお盆を一旦机の上に置き、そのまま座らずに口を開いた。

 

「まずはお礼を言うわ。この前は八代君を泊まらせてもらってどうもありがとう。八代君って普段あんまり喋らないから、お友達がいないんじゃないかって心配してたんだけど、それは杞憂だったみたいね。これからも八代君をよろしくお願いします」

「そ、そそ、そんなっ! よろしくだなんて……こちらこそマス……じゃなかった! や、八代君にはお世話になっているので……その……よ、よろしくお願いしますっ!」

 

 激しく吃りながらもサイレント・マジシャンは立ち上がってそれに答える。その様子を見て狭霧は優しい笑顔をこちらに向けていた。ただそんな笑顔を向けられたら本当は未だに友人がいないという事に少しだけ後ろめたさを感じてしまう。

 狭霧はお盆の上に乗せてきた三つの小皿を配ると席に座り、サイレント・マジシャンもまたそのまま座った。小皿の上に乗っているのは庵寿堂一押しの最中だ。サイレント・マジシャンがあんこ好きと言う事で今回彼女が選んだのだが、これからの追及の事を考えると味などとてもじゃないが分かりそうに無い。

 

「ふふっ、それにしても八代君にこんな美人な彼女がいたなんてねぇ。意外と隅に置けないじゃない」

「か、か、か、彼女っ!?」

 

 こっちの気持ちなど知ったものではない狭霧は新しい玩具を手に入れた子どものようにニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。狭霧の彼女発言にサイレント・マジシャンは一瞬で顔から蒸気が出そうな程顔を真っ赤に染上げる。何か続けて言おうとしているのだが、口をパクパクさせているだけで言葉が出ないようだ。その様子を見ながら「初心ねぇ〜」と笑う狭霧は明らかにこの状況を楽しんでいる。流石にこのまま放置していても埒があかないのでここいらで割って入る事にする。

 

「彼女じゃないですよ。言ったでしょう、唯の知人だって」

「あら? そうだったかしら?」

「はい。まだ……付き合ってないです……」

「ふーん」

 

 狭霧め、盛大にすっとぼけやがって……

 俺が割って入るとサイレント・マジシャンは少しシュンとした様子だったが、彼女も狭霧の間違いに訂正に入る。しかしそれを聞いても狭霧の顔にはまだ悪戯っぽい笑みが張り付いていた。嫌な予感がする……

 

「じゃあ“まだ”ってことは、今後付き合う予定はあるのかしら?」

「え? あっ! えぇっと、あの! こ、こ、今後と言われても、その!」

「ふふふっ」

 

 再び白い肌を茹で蛸のように真っ赤にするサイレント・マジシャンの様子を見て狭霧はクスクス笑っている。サイレント・マジシャンは手を虚空に彷徨わせながら完全に挙動不審になっている。

 

「狭霧さん、あんまりからかわないでやって下さい」

「ふふっ、ごめんなさいね。山背さんがあんまりにも可愛いもんだから、つい悪戯したくなっちゃって」

「え? えっと……?」

「だから、からかわれてたんだよ」

「あぅ……」

 

 状況が飲み込めていなく呆けた顔をしているサイレント・マジシャンに事情を話すと両手で顔を覆ってしまった。それでも耳まで赤くなっているのは隠せていないが。そんなサイレント・マジシャンを見て狭霧はまた笑っている。本当に楽しそうだ。まぁサイレント・マジシャンの反応が嗜虐心をくすぐるというのは分からなくも無いが。

 

「ふふふっ、八代君。こんな良い子なんだからちゃんと大事にしなさいよ?」

「はぁ、そりゃまぁ……そうですね」

「あら? 随分と素直じゃない?」

「いや、そんなんじゃないですよ。ただ、前からこっちも世話になってるから……」

「んー? ははーん。なーんだ、八代君も満更でも無さそうね?」

「だからそういうのじゃ無いって言ってますよね?!」

「あっはっはっはっ! もう照れない照れない!」

「照れないとかじゃなくてですね?! これは……」

「ちょっ、八代君。そんな必死に……ぷっ! ふふふっ! あーはっはっはっ!」

「だから必死も何も! ……って聞いてねぇし……」

 

 完全に狭霧はツボに入ってしまったらしく当分は笑いの世界から戻ってくるようには見られない。さっきまであれほど警戒していたのが馬鹿みたいだ。どうしたものかと思いサイレント・マジシャンを見てみればまだ俯いたままの状態だった。こちらもまだ再起不能状態であるようだ。

 

「ん?」

 

 そんな事を思ったのだが、よくよく見てみると様子がおかしい。耳まで真っ赤だったさっきまでと比べて大分顔色は落ち着いている。それに微かにだが肩を揺らしているのが見てとれる。さらに耳をこらしてみると何か声が漏れているようだった。

 

「…………ぷっ……ふふっ」

「…………お前もか……」

 

 狭霧の弄りの矛先は俺へと向けられるわ、サイレント・マジシャンにも声を殺しながら笑われるわ、これも先程サイレント・マジシャンが弄られるのを心の隅で楽しんでいた罰なのだろうか。結局二人の笑いが収まるまで、俺は左手で額を押さえていた。

 

「あぁーっ、久々にこんなに笑ったわぁ。八代君もそんなリアクションするのね。新鮮だったわ」

「まったく……笑い過ぎですよ」

「ぷふふっ、す、すいません」

 

 狭霧といい、サイレント・マジシャンといい本当に楽しそうに笑うな。口にはしないが、二人のこんなに楽しそうな笑顔を見るのは初めてかもしれない。

軽く緑茶を口に運び、落ち着きを取り戻した狭霧はようやく話題を変えた。

 

「そう言えばさっき八代君も言ってたけど、二人は前からの知り合い何だっけ?」

「はい、そうです」

「私が八代君と会って今月で丁度一年が経つけど、二人が会ったのはそれより前なのかしら?」

「そうですね。もう知り合ってから三年になります」

「三年?! それじゃあもう知り合ってから結構経つのね。どんな切っ掛けで二人は会ったのかしら?」

「えぇっと……それは……」

 

 言葉を濁しながらこちらを見るサイレント・マジシャン。これは話して良い事かを確認する合図だ。嘘をつくのがあまり得意でないサイレント・マジシャンには事前に聞かれた事にはなるべく正直答えるように指示を出している。そして話していい事か判断に困ったらこうして合図を送ると言うのも決めていた事だ。ちなみに今回はあまり話したく無い事なので黙秘を貫かせてもらおう。

 

「あぁー、その時の事はちょっと……」

「えぇぇ! 良いじゃない、そのくらい! 減るもんじゃないし」

「その頃はちょっと……いや、かなり荒れてたんで……あんまり話したく無い事なんですよ」

「え、八代君荒れてたの? 全然想像できないわ。凄く気になるじゃない! 教えなさいよ」

「じゃあ、狭霧さんがジャックとの仲を進展させたら良いですよ?」

「何よそれ! そんなのそう簡単に上手くいくはずないじゃない!」

「だからその条件にしたんですよ」

「うぅぅ……八代君も結構意地悪なところあるのね。もしかしてさっき弄った事怒ってる?」

「…………怒ってないですよ」

「嘘よ! 今の間は何? 絶対怒ってるでしょ!」

「…………怒ってないですよ」

「だからその間は――――」

「あ、あの……落ち着いて……」

 

 そんなやり取りは狭霧がこの話題を諦めるまで続いた。その間サイレント・マジシャンはずっとこの場を落ち着けようとおろおろとしていたが、如何せん声が小さく狭霧の耳には届いていないようだった。無論それを無視したのも狭霧に無理難題を吹っかけたのも先程弄られた仕返しと言う訳ではない。断じて無いのだ。

 

「はぁ……分かったわ。この話はもう諦めるから出会ってからの事を教えて頂戴。そのくらいはいいでしょ?」

「まぁそのくらいなら。っと言っても面白いことはありませんよ? 出会ってから狭霧さんに拾われるちょっと前までぐらいは、ちょくちょく家に泊まらせてもらってただけなんで」

「私が八代君に会う前までって事は、そこで何かあったの?」

「確か両親が転勤したとか」

「えっ? あっ、はい! 私の両親が海外転勤になって一緒についていく事になって……それでここを離れる事になりました」

「なるほどねぇ。じゃあこっちに戻ってきたのもまたご両親に合わせて?」

「いえ、私の意思でこっちの学校に行きたくて無理を言って一人でこっちに戻ってきました」

「へぇ、じゃあ一人で戻ってきたって事は一人暮らし?」

「はい、そうです」

「そっかぁ。それは大変ねぇ」

 

 これで話題の切れ目となり各々が緑茶に手を伸ばす。口の中の渇きも大分落ち着き、緑茶のほろ苦い苦みを感じる余裕もできてきた。これならこの最中を美味しく味わえると判断した俺は最中に手をつける事にした。筆文字で牡丹最中と書かれたシンプルな包み紙を破ると、中から黄金色の牡丹を象った皮に包まれた最中が顔を出す。牡丹の花模様といい生地の色といい一つの芸術品のような仕上がりは見た目からその美味しさを物語っている。味を想像しただけで唾液が溢れ出てくる。サイレント・マジシャンも俺に続いて包み紙を剥がし始めた。それを待つ道理も無いので一足先に老舗の味を楽しませてもらうことにする。そして一口目を口に含んだ瞬間、

 

「って一人暮らしっ!!?」

「んぐっ?! げほっ! げほっ!」

「っ?! だ、大丈夫ですか!?」

 

 突然狭霧は大声を上げながらテーブルを叩いて身を乗り出してきた。それに驚き誤って、一口目の最中を味わう間もなく飲み込んでしまった。咄嗟に下を向き唾の飛沫が前方に飛ばないようにしたものの盛大に咽せる事になる。そんな俺を気遣ってサイレント・マジシャンは一旦開けかけの最中を皿の上に戻し、咽せている俺の背中を優しく摩ってくれた。だがそんな俺たちの様子など気にする事無く狭霧は畳み掛けるように質問を重ねる。

 

「山背さん、一人暮らしって事は……じゃあ八代君が泊まった時は二人っきりだったって事?!」

「は、はい! そ、そうですけど……?」

 

 何やら焦った様子で問いつめる狭霧に対し、サイレント・マジシャンは戸惑いながら質問に答えているのが耳に入ってくる。その後この空間には俺の咳き込む声だけが残った。一向に返事をする狭霧の声が聞こえないのは、何か考え事をしているのだろうか。

 

「…………(こんな若い男女が二人っきりで同じ屋根の下で夜を過ごしたって言ったらそれは……いやいや、でもこの八代君よ! そんな事にはそもそも無関心そうだし……でもこんな可愛い女の子が相手だったらいくら八代君でも……)」

「…………(ど、ど、どうしよう……また狭霧さん黙っちゃいました。しかもなんだか真剣な表情でマスターを見たり私の方を見たり……私何か不味い事言っちゃったのかな? 気まずいですよ、マスター。ってマスターはそれどころじゃないですよね。私がなんとかしなきゃ……)」

「…………(待って! だけどまだ二人は付き合ってもいないのよ? 流石にそんな事は無いわよ……ね? でも最近の子は貞操観念が薄れてるって言うし……やっぱりこういう事ははっきりさせといた方が良いのかしら……? でも男女の間の事なんて聞くものでもないし……あぁ〜でもやっぱり気になるわ! ここはストレートに聞いちゃう? でもそれでもし二人が……)」

「…………(なんだか真顔になったり、いきなり首を横に振り始めたり、急に焦った顔になったり。狭霧さんどうしちゃったんでしょう? はっ! いけない。なんとかこの空気を破らないと。何か話題になりそうなものは……そうだ! この最中を食べて……)」

「…………(いや、私は八代君の保護者よ。こういう事も知らなきゃならないわ。仮にそういう営みがあったとしてもここで釘を出しておかなきゃ。万が一、一晩の過ちなんて事になったら山背さんのご両親に合わせる顔が無いわ。ここではっきりさせておきましょう。そう、これは八代君の保護者としての義務であって、決して私の興味本位とかでは無いのよ。よしっ!)」

「…………(ん〜おいしい! このパリッとした生地の食感と中の粘り気のあるあんこの食感、そしてあんこの強烈な甘さと生地の質素な味が合わさってほっぺが落ちそう! って違う、そうじゃなくて! 狭霧さんはまだ最中を食べてないみたいだし、この感想でこの場を繋がなきゃ!)」

「「あのっ!」」

 

 なんとか咳き込むのが止まった時、ちょうど二人は同時に口を開いたようだった。お互いに先に相手に話を譲ろうとしていたが、それがなかなか決まらない。当分は話が振られることもないと判断した俺は、先ほど味わい損ねた最中にリベンジすることを密かに決意する。齧った跡からは黒褐色のあんこが見えていて、その味を想像するだけで再び唾液が溢れてくる。結局いつまで経っても話が進まないため最後は狭霧が折れて先に話すことになったらしい。珍しく恥じらっている様子の狭霧を不思議に思いつつも二口目を口に運ぶと、

 

「その、じゃあ……二人は…………寝たの?」

「っ!? ぐぇっほ! げっほ!!」

「ま、マスターっ!? しっかりして下さい!」

 

 今度は誤って気管に入り盛大に咽せる羽目になった。反射的に肺の奥の方から空気と共に気管に入った異物を押し出そうと反応するのが辛い。だが、それよりも狭霧から投下された爆弾を処理しなければ。サイレント・マジシャンにこの処理は手に余る。しかし幾ら声を出そうにも口からは咳しか出て来ない。

 

「どうなの?」

 

 そんな俺の様子など狭霧の眼中にないようで、狭霧は鬼気迫る勢いで質問を重ねる。こうなったら俺も腹を括るしかない。上手くこれを処理しろとは言わない。せめてこの質問の裏に仕掛けられている爆弾に気付いてくれ、サイレント・マジシャン。そしてそれを起爆させずに時間を……

 

「えっと、はい。夜遅くでしたけどちゃんと寝ましたけど……?」

 

 起爆した。

 それはもう見事な爆発だった。具体的には俺の心の大地を一瞬で更地にするくらい。狭霧もここまできっぱり返されると思っていなかったのか、面を食らった様子で「そ、そう……」と返すだけだった。それから何かを考え込むように黙りこくってしまう。おそらく頭の中では壮大な勘違いが展開されているのだろう。だが、まだ訂正は間に合う。事が起こってしまったのなら、重要なのは事後の対応。ここで迅速な対応を取ればそれだけ被害を減らすことができる。

 

「狭霧さん? あの、多分……」

「いいの八代君っ! 何も言わなくて……私、分かってるから」

「いや、だからそれは……」

「そうよね、八代君もよく考えたらもうそう言うことがあってもおかしくない年よね……ごめんなさいね。そんな話聞いちゃって。ただそう言うことをするにしてもちゃんと気を付けなさいよ? まだ八代君は責任なんて取れる年じゃないんだから。いい?」

「え? あ、はい。ってそうじゃなくて……」

「はいっ! これでこの話はおしまい! 次は山背さんの切り出しかけた話を聞きましょう?」

「…………」

 

 最早、完全に狭霧の勘違いを訂正するタイミングを失ってしまった。これではこの勘違いを引きずられて何れ大変なことに……なるのだろうか? ふとこの勘違いが今後の生活にどのような影響を与えるのかを疑問に思った。だが、それを考えるのも億劫だ。もうどうとでもなれ。何か問題があったらその時になんとかしよう。半ばやけくそでこの話題に諦めをつけ、サイレント・マジシャンの話に耳を傾ける事にする。

 

「え、えっと、そんな話を振られて話すような事じゃないんですけど……」

「良いのよ。遠慮しないで話して?」

「それじゃあ……その……ひ、久しぶりの最中でしたけど、よ、良かったです!」

「……っ!?」

「…………」

 

 さっきの沈黙の間に必死に考えた話題だったんだろうが、サイレント・マジシャン。俺も他人の事を言えたものではないけど、流石に話題作り下手過ぎやしないか? 狭霧もなんだかビックリしたような顔してるし。

 

「……(久しぶりの最中?! それって……あぁ、この最中の事ね。さっきの話題のせいでちょっとそう言う事に敏感になってるみたい。いけないわね)」

 

 サイレント・マジシャンは反応がなくて困っているようだ。狭霧もなんて返したら良いのか分からず戸惑ってるようだし、ここは俺が話を進めるしか無いようだ。

 

「俺は感じる余裕なんて無かったから、何とも言えないな」

「あっ、そうですよね……すいません」

「いや、これはただ俺のせいさ。まぁ感想を強いて言うなら、綺麗なあんこだったかな。流石は山背さんだ」

「……ありがとうございます」

「……(えっと……これってこの最中の話題……よね? あんこって違うわよね、深い意味は無いわよね? でもあんこの事を褒められただけ頬を赤らめてってことは……はっ! まさか山背さんがこの話題を恥ずかしそうに切り出したのって、初めからそう言う意味だったの?! だからあの時、この話題を出すのをあれだけ考えてたの?! 遠回しに私にどこまで仲が進んでるのかを伝えるために……)」

 

 おかしい。

 狭霧が黙ってしまったのは理解できた。だが、どうしてだ? なんで狭霧の顔がだんだん赤くなってるんだ? 急に熱でも出したのか、とにかく狭霧の様子がおかしい。どうしたのか尋ねようとした時、それよりも早く狭霧は口を開いた。

 

「わ……」

「……?」

「わ、わ、私っ! きゅ、急用を思い出したから、ちょ、ちょちょっと出る

わね! 二人っきりでゆっくりしてて。山背さんもまた遊びに来てね! それじゃあ!」

 

 それだけ言うと狭霧はドタバタと家を出てしまった。あまりに突然の動きだったせいで、思考が上手く働かない。取り残された俺たちはただ呆然とその場で固まっていた。残されたのは時計の針が時を刻む音だけ。

 

「……行っちゃいましたね」

「……なんだったんだ?」

 

 ここに俺の疑問の答えを持っている者はいない。

 何はともあれとりあえず狭霧を誤摩化す事は出来たことを喜ぶべきか。

 時間はまだ13時半。まさかこれ程早く終わるとは思っていなかった。この狭霧にサイレント・マジシャンを紹介するのにどれだけの時間がかかるか分からなかったため、今後に予定は入れていない。急に空いてしまった残りの時間をどうしたものか。

 

「……一日……二人きり……よしっ!」

 

 その傍らでサイレント・マジシャンも何かを決意したように拳を握りしめている。一体何を思ったのかは分からなかったが、その時のサイレント・マジシャンからは気迫のようなものを感じた。

 

 

 

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「ふんっ、ふっ、ふっふーんっ♪」

 

 鼻歌を交えながら楽しそうにキッチンに立っているのはサイレント・マジシャン。結局狭霧は出て行ったっきり戻ってこないため、仕方なく昼食はサイレント・マジシャンが作ってくれる事になったのだ。これには最初は適当に外で食べにいけば良いと言ったのだが、サイレント・マジシャンが自分が作ると言って聞かなかったと言う経緯がある。彼女がそこまで頑な自己主張をするというのも珍しい事だ。まぁ外食しなければ困ると言った事情も無かったので、サイレント・マジシャンの意思を尊重しこうして彼女にキッチンを預けているのである。こうしてテーブルの前で椅子に腰掛けながらダイニングキッチンに見える普段とは違う私服の後ろ姿はなんとも新鮮だった。

 

「マスター、出来ましたよ」

「おう、ありがとな。テーブルセッティングはもう出来てるから早く食べよう」

「わかりました。マスターの分はこれくらいでよろしかったでしょうか?」

 

 そう言いながらサイレント・マジシャンが運んできたのはイカと明太子のパスタ。小麦色のパスタに程よく絡んだ明太子の赤色。その上に刻んだ青ネギと大葉が散らされており、真ん中には細長く切られた曇りガラスのような白のイカが、さらにその上に黒い刻み海苔が乗せられていて、なんとも彩り豊な盛りつけだ。

 サイレント・マジシャンの手にある二つの皿の内、彼女が俺に差し出してきたのは多めに盛りつけられた大皿。人に驚かれる程の大喰らいでは無いが、流石にこの年になると食欲は以前より増してきている。そんな俺がちょうど良く満腹になるくらいに盛りつけられた大皿を見て「大丈夫だ」と返す。

 サイレント・マジシャンは俺の返事を聞くとそのままテーブルセッティングの整ったテーブルの上に皿を置く。それぞれ向かい合った席に着くと同時に手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

 こうしてサイレント・マジシャンとの食事が始まった。

 まずスプーンとフォークを持ち綺麗に盛りつけられたパスタを混ぜていく。パスタを混ぜると下の方に溜まっていた熱がパスタの匂いと共にもわっと顔に感じられた。このとき本場のイタリアでは一般的にスプーンとフォークは使わないという事を思い出したが、正直自分の食べやすいように食べれば良いというのが俺の考え方だ。そんな事を考えながら、程よく混ざったパスタをスプーンの上でフォークに絡めていく。何やらサイレント・マジシャンは俺が一口目を口に運ぶ様子をまじまじと見ているのが気になるが、腹が減っていたためそのまま食べる事にした。まず最初に明太子の塩味と茹で上ったパスタの味が口に広がる。刻んだネギのシャキシャキとした食感とイカのもちもちとした弾力がある食感、そしてアルデンテで茹でられたパスタの歯ごたえの残る食感の三つが口の中を楽しませる。さらに噛んでいくと大葉と海苔の風味が口に広がっていく。一口目を食べ終えると無意識に口を開いていた。

 

「うまいな」

「ほ、本当ですか! 久しぶりの料理だったんで不安だったんですけど、そう言って貰えると良かったです」

「昔から料理上手いから心配はしてなかったぞ」

「…………嬉しいです」

 

 そうして照れ笑いを浮かべながらサイレント・マジシャンはようやく一口目を口に運ぶのだった。それからはお互い黙々とパスタを口に運び食べる事に集中していた。普段食べている狭霧の料理も美味いのだが、健康志向なのか味付けが薄味なので物足りなく思う事がある。しかしサイレント・マジシャンは俺の好みをしっかり覚えていたようで少し濃いめの塩加減が絶妙だ。気が付いた時には皿からパスタは綺麗さっぱり無くなっていて少し驚いた。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

 

 サイレント・マジシャンも丁度フォークを置くところだったようで、皿には何も残っていなかった。こちらを見つめる彼女は幸せそうな笑みを浮かべている。

 

「嬉しそうだな」

「えぇ、マスターが凄く美味しそうに食べてくれたので」

「そうか。久々に食べたけど美味かったよ」

「ありがとうございます。……あの」

「ん?」

「マスターが言ってくれれば……また……いつでも……」

「……あぁ、また頼む」

「っ! はいっ!」

 

 眩しいぐらいの笑顔での元気良い返事だった。なんだか最近はこのような笑顔を見る事も増えたような気がする。いったい何がそんなに嬉しいのかは分からなかったが、そんな笑顔を向けられるのは嫌な事ではない。ただいつまでもそんな顔を向けられていると落ち着かないため、流れを断ち切る事にする。

 

「それじゃあ片付けは俺がやるから」

「そんな! 良いですよ、私がやります!」

「いいって。ここでも洗い物は俺やってるし」

「けど、狭霧さんが居なくて、私の手が空いているのにマスターに仕事をさせるのは……」

「でも、昔だってサイレント・マジシャンが飯作ってくれたら俺が片付けしてただろ?」

「それは……そうですけど……」

「ならそれでいいよな? これも昔のままでさ」

 

 そう言ってサイレント・マジシャンを押し切り、皿を重ねてキッチンへと運ぶ。流しには朝食で使った皿もまだ水につけっぱなしになっていた。でもそれを合わせても大した量ではない。手早く終わらせて今日の予定を決めよう。

 まず手をつけたのは洗い桶に浸かっている皿を退ける作業。手早くそれを終えると洗剤を含ませたスポンジでまず洗い桶を拭く。折角洗った皿も汚れている洗い桶の中に浸けては意味が無いため、ここは丁寧に洗う。スポンジが表面を一通り撫で終えたら、泡立った洗い桶の中身を水で流していく。

 

「……っ」

 

 春に入ったとは言えまだ肌寒さの残る時期だ。いつもの事とは言えやはり水道の冷水が指先に凍みる。だが居候の身である以上は無駄にガス代をかけたく無かったのでその程度は我慢して作業を続ける。ここでお湯を使ったとしてもここの家計には然して影響しないのだろうが、これは俺の譲りたく無い意地のようなものだ。

 洗い桶に水を溜め終えると水道を止め、皿をスポンジで拭く作業に移る。黄緑と黄色の二色のスポンジを二三回軽く握ると細かい穴から白い泡が吹き出てくる。指の間から泡が通り抜ける感覚は少し気持ちいい。その十分に泡立ったスポンジで皿を拭くと、洗い桶に入れるという作業を繰り返す。一人暮らしをしていた頃から毎日こなしていたおかげで大分作業のスピードは上がっていると思う。ここでの生活は何かと狭霧の世話になっているが、叶うのなら自分の出来る事は自分でやっておきたいというのが本音だ。一人暮らし生活が長かったせいで、そう言った自分の事は自分でやらないと落ち着かないのだ。

 すべての皿をスポンジで洗い終えると洗い桶に積上った食器はちょっとした塔になっていた。後はこの洗剤の付いた皿を水で流していくだけだ。ただ水で洗い流すと言っても、泡を効率よく落とすためには水で流しながら食器の表面を指で撫でる必要がある。必然的に水に触れる機会が増えるため手がどんどん冷えていく。冷えきった水のせいで指先が赤くなってきたが、構わず作業を続ける。無心で手を動かし水で流した食器を水切りカゴに移していくと、ようやく最後の皿が見えてきた。夏場なら冷たい水も大歓迎なのだが……と、ここで早くも夏の到来を待ちわびている自分に気が付く。少し前までは季節の事など気に留めた事も無かった。ここで狭霧と暮らし始めてもう一年。今を生きるのに必死だったあの頃より今は余裕ができたのかもな。洗い物を終えながら、そんなことを思った。

 

「お疲れさまです」

「あぁ」

「マスター、今日はこれからどうしますか?」

「そうだな。春休みの課題のレポートがあったから、まずはそれに手をつけようかな」

「……そうですか」

 

 俺の答えが不味かったのか、サイレント・マジシャンは顔を俯かせる。しかしそれも僅かな間の事で、顔を上げると意を決したように目を真っすぐ見て切り出してきた。

 

「あ、あのっ!」

「なんだ?」

「レポートって確か自分の普段使っていない種族統一デッキがテーマでしたよね?」

「そうだな」

「そのデッキはもう?」

「あぁ、昨日完成したところだ」

「なら……そのデッキのテストプレイの相手が必要じゃないですか?」

 

 一瞬、サイレント・マジシャンのその発言の意図が分からなかった。だが、それもほんの僅かな間で、すぐに彼女の提案の意図を理解した。サイレント・マジシャンは緊張しているのか、服の裾を握ったり離したりを繰り返しながら俺の返事を待っている。俺の答えは当然決まっていた。

 

「確かにそうだな。相手になってくれるか?」

「はいっ! 喜んでっ!」

 

 

 

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 そんなこんなでサイレント・マジシャンとデュエルをする事になったのだが、この家にデュエルディスクは二つ無い。それでは当然外でデュエルをする事も出来ないので、ここで座式デュエルをする事にした。しかしリビングのテーブルでは対面する距離がありすぎる事に気付き、場所を急遽俺の部屋に移した。

 相も変わらず何も無い殺風景な部屋だ。パッと見ても大きな家具は木で出来た勉強用デスク、本棚、ベッドのみ。デスクの上にはノート型のPCがあるだけで、他に乗っているものは何も無い。他にあるものは本棚の一角を占めるデュエルアカデミアの教材と机の下のカードの入ったジュラルミンケースのみ。床に座ってのデュエルというのも侘しいものだし、何かの上でデュエルをしようという事で初めはベッドの上を誘ってみたのだが、そう切り出した途端サイレント・マジシャンがフリーズしてしまったのでその案は没となった。結局クローゼットの中の衣装ケースの上でデュエルをするという事で決着がついた。

 

「それにしても良いのか、これ?」

 

 俺が聞いたのはこの衣装ケースについての事だ。半透明の蓋から透けて見える通り、この蓋の裏にはサイレント・マジシャンの普段の衣装に刻まれた輝く杖をモチーフにしたと思われる文様が書いてある紙が貼付けてある。なんでもこれにより魔を封じ込める結界の役割を果たしているのだとか。そんな魔法の込められたこの衣装ケースを果たしてデュエル用の台として使っていいのか甚だ疑問だったのだが、その返事は意外にも軽いものだった。

 

「大丈夫ですよ、このくらい。蓋を開けさえしなければ問題ありませんから」

「そうなのか。なら良いんだが……それじゃあ始めるとするか。準備は良いか?」

「はい、いつでも大丈夫です」

 

 返事の通りサイレント・マジシャンは既にデッキを手に取りシャッフルを始めていた。俺もジュラルミンケースの中から課題用に作ったデッキを取り出す。今回作ったのはドラゴン族デッキ。今でこそ魔法使い族デッキをメインで回しているものの、昔はドラゴン族デッキを使っていた事もあり今回のデッキもカードはそこまで困らなかった。ただ大分ブランクがあるため、果たして昔のようにちゃんと動かせるかは分からない。それにサイレント・マジシャンには以前に一度負けている。だが、それが程よい緊張感となって気が引き締まるのだ。

 

シャッ、シャッ、シャッ

 

 リズム良くカードを切る音が続く。こう言ってカードを手で切ると言うのも随分と新鮮に思える。デュエルディスクのオートシャッフルにもうすっかり馴染んでしまっているが、やはりシャッフルする時のカードの肌触りと言うものはいい。

 

「マスター、カットお願いします」

「ん」

 

 お互いのデッキを入れ替えて山札をカットする。何気ない動きではあるが、これもまた座って行うデュエルの醍醐味と言うものだ。今までの経験上、大体の人は山札を適当に三つに山札を分けてその順番を適当に入れ替える。サイレント・マジシャンも例に漏れず俺のデッキを三つに分けていたが、渡されたデッキをまるで重要文化財を触れるかのように丁寧に扱うのは彼女だけだ。

 俺はサイレント・マジシャンから受け取ったデッキの上三分の二ぐらいを適当に掴み、三分の一ぐらい残った山札の右隣に掴んだうちの半分ぐらいのカードを置き、大体三等分ぐらいに分けた山札を並べる。そして三つに並んだ山札のうちの真ん中を掴み、それの下に先程まで一番下だった山札を重ね、その下に先程まで一番上だった山札を重ねる。これが俺に染み付いたカットのやり方だ。

 お互いカットを済ませるとデッキを戻し自分の右手前にデッキを置く。準備ができたかを目で確認した後、息を合わせて同時に掛け声を掛ける。

 

「「じゃんけんぽん」」

 

 これまたデュエルディスクをつけてのデュエルでは味わえないデュエル前の儀式だ。デュエルディスクの先攻後攻の判定が無いため、座ってのデュエルではこれの勝敗でデュエルの先攻後攻を決めるのが一般的だ。ちなみに今回は俺がグーを出し、サイレント・マジシャンがパーを出したために俺の敗北と言う結果に終わった。久々にやったジャンケンで負けるのは地味に悔しかった。

 

「先攻を貰います。私のターン、ドローです」

 

 サイレント・マジシャンの声を聞き、気を取り直して自分の初手を確認する。いつものデッキでは無いが存外手札は悪く無い。ただこれは先攻の手札だ。後攻だとサイレント・マジシャンのこのターンと次のターンの流れ次第では危うい。

 

「『熟練の白魔導師』を召喚」

 

 それが記念すべき最初にこの衣装ボックスに置かれたカードだ。魔法カードが使われると魔力カウンターが乗り、三つの魔力カウンターが溜まると自身をリリースする事で竜破壊の剣士を呼び出すモンスターだ。

 

 

熟練の白魔導師

ATK1700  DEF1900

 

 

 その竜破壊の剣士というのははっきり言ってこのデッキの天敵だ。そいつを呼び出される前に早いところコイツを処理する必要がある。

 

「永続魔法『強欲なカケラ』を発動します。またマジックカードの発動により『熟練の白魔導師』に魔力カウンターが一つ乗ります」

 

 時間はかかるがカウンターが溜まれば手札の枚数を増やせる珍しいカードだ。ただその前にこのカードを破壊してしまえばその効果は使えないためリスクもある。どちらも効果破壊耐性の無いカードだが、生憎と今の手札ではどちらのカードも処理できない。その事を知ってか知らずかサイレント・マジシャンの態度は非常に落ち着いたものだ。

 

 

熟練の白魔導師

魔力カウンター 0→1

 

 

 だがその後サイレント・マジシャンは何かを探すようにオロオロし始めた。

 

「どうした?」

「えぇっと、魔力カウンターは何で置けば……」

「あぁ、そっか。んじゃカードを魔力カウンター代わりに下に敷くか」

 

 カードを入れているジュラルミンケーヅを持ってきて、その中から適当に出したカードををサイレント・マジシャンに渡す。

 

「『久遠の魔術師ミラ』ですか」

「そう言えば最近使ってないな。今度使ってみるか」

「光属性魔法使い族だと……私と一緒ですね」

「光属性魔法使い族……そうだな。そう言えば光属性魔法使い族で統一した里メタビがあったな。それの調整でもやるか。……って嬉しそうだな」

「えへへっ」

「まぁ別に機嫌がいいのは構わんが……それで、どうするんだ?」

「……何がですか?」

「いや、このターン」

「あっ! すいません! カードを二枚伏せてターンエンドです」

 

 ここで更に二枚のセットカード。俺の手札にフィールド上の魔法・トラップを全て一掃できるマジックカード『大嵐』が無いと確信しての動きなのか、それともそれの対策もしているのか。どちらにせよ魔法・トラップカードを除去する手段が無いこの手札では何も出来ない。

 

「俺のターン、ドロー」

 

 やはり上手く引きたい札は来てくれない。こうなるとこのターンやる事はこれと言った駆け引きも存在しない手しか打てなくなる。

 

「モンスターをセット。カードを二枚伏せてターンエンドだ」

「随分とあっさりしてますね」

「まぁそんなもんだ」

「では、こちらは遠慮なく行きますよ。私のターン、ドロー。このとき通常ドローをした事で『強欲なカケラ』に強欲カウンターが一つ乗ります」

「んじゃ、そのカウンターはこれで」

「『マジシャンズ・ヴァルキリア』って……良いんですか?」

「意図的に傷つけるような事をする訳じゃないし大丈夫だろ」

「分かりました」

 

 サイレント・マジシャンは渡した『マジシャンズ・ヴァルキリア』のカードを『強欲なカケラ』のカードの下に置いた。座って行うデュエルではカウンターが乗っかるカードがあればカウンター用のビーズ使ったり、それが無ければサイコロやこうしたカードを使ったりするのだ。

 

 

強欲なカケラ

強欲カウンター 0→1

 

 

 さて、ここでサイレント・マジシャンはどう攻めてくるか。除去カードを多用されると苦しいところだが。

 

「このままバトルフェイズへ。『熟練の白魔導師』でセットモンスターに攻撃。攻撃宣言時、何かありますか?」

「いや、ない」

「じゃあここでトラップカード『マジシャンズ・サークル』を発動します。お互いデッキから攻撃力2000以下の魔法使い族モンスター1体を攻撃表示で特殊召喚します。私が特殊召喚するのは『ブラック・マジシャン・ガール』です」

「なら俺は『ロード・オブ・ドラゴン-ドラゴンの支配者-』を特殊召喚する」

 

 どうやら除去カード始動ではなかったようだ。『マジシャンズ・サークル』は自分は勿論だが相手のデッキからも強制的に魔法使い族モンスターを特殊召喚するカード。相手が魔法使い族デッキならメリットにしかならないが、それ以外なら出したく無い魔法使い族モンスターを引きずり出したり、相手のデッキに魔法使い族モンスターが無ければ相手のデッキの中身を確認する事が出来る。

 

 

ブラック・マジシャン・ガール

ATK2000  DEF1700

 

 

ロード・オブ・ドラゴン-ドラゴンの支配者-

ATK1200  DEF1100

 

 

 だが、今回このタイミングで『ロード・オブ・ドラゴン-ドラゴンの支配者-』を呼び出せたのはこちらとしても都合がいい。ただ欲を言えば守備表示で出したいところだったが、強制的に攻撃表示で出されるのでこのターンのライフダメージは割り切る事にする。

 

「バトルはこのまま続行です。『熟練の白魔導師』でセットモンスターを攻撃」

「俺のセットモンスターは『仮面竜』。このカードが戦闘で破壊された時、デッキから攻撃力1500以下のドラゴン族モンスター1体を特殊召喚する。俺は『神竜 ラグナロク』を守備表示で特殊召喚する」

 

 デッキの中から『神竜 ラグナロク』を探すとデッキの一番下にあったのですぐ見つける事が出来た。このカードには効果は何もないが、ある融合モンスターの融合素材となっているためデッキに一枚だけ採用している。

 

 

神竜 ラグナロク

ATK1500  DEF1000

 

 

「カットするか?」

 

 軽くシャッフルを終えサイレント・マジシャンにそう確認する。

 

「いえ、大丈夫です」

「分かった」

「それではバトルを続行します。『ブラック・マジシャン・ガール』で『ロード・オブ・ドラゴン-ドラゴンの支配者-』に攻撃」

「おう」

 

 既に『仮面竜』が墓地に行っているのでそこに『ロード・オブ・ドラゴン-ドラゴンの支配者-』を重ねる。自分のデッキの前が墓地ゾーンのため相手の墓地も可視化されているのがデュエルディスクのデュエルと勝手が違うところだ。

 

「あっ、電卓持ってきますね」

「そう言えばすっかり忘れてたな。そこの机の上にあるから」

「了解です。んぅっ!」

 

 そう言ったがしかし官能的な声を漏らしたきり、なかなかサイレント・マジシャンが立ち上がらない。その顔は仄かに赤みがかかっており少し焦っているようにも見える。足は正座から崩しており後は力を入れて立ち上がるだけなのだが、いくら踏ん張っても立てない様子だ。

 

「どうした?」

「いえ、すいません。足が……でも、すぐ治りますからっ!」

「あぁ、正座してたせいか。良いよ、俺が取ってくる」

「大丈夫ですぅんひゃっ!」

 

 立ち上がる俺を見て無理に立ち上がろうとするサイレント・マジシャンの足の裏を軽く足で突くと面白いぐらいに良い反応をする。軽く涙目になりながら上目遣いで睨まれたところで全然怖くない。そのまま机の上の電卓を取ると40004000と素早く入力し自分のデュエルゾーンに戻る。

 

「俺のライフ左な」

「うぅ……分かりました」

 

 俺が足を突いたのがまだ堪えているのかサイレント・マジシャンの声にはまだ力が入っていない。サイレント・マジシャンじゃ痺れた足をムズ痒そうにと動かしながらゆっくりと座り方を変えていった。

 

 

八代LP4000→3200

 

 

「こ、この恨みはデュエルで晴らします」

「……おう、来いよ」

 

 こちらをキッと睨みながら凄みを出そうとしているのは分かるが、それをぺたん座りの状態で言われても可愛らしいだけだ。

 

「これでバトルフェイズを終了してメインフェイズ2です。場に『ブラック・マジシャン・ガール』が表側表示で存在するため、手札からマジックカード『賢者の宝石』を発動します。この効果でデッキから『ブラック・マジシャン』を特殊召喚します」

 

 『賢者の宝石』は『ブラック・マジシャン・ガール』の専用サポートカード。今までの流れからも分かると思うが、サイレント・マジシャンのデッキは“ブラック・マジシャン”デッキ。いつものデッキならまだしもこのデッキだと少し相性が悪い可能性がある。

 

 

ブラック・マジシャン

ATK2500  DEF2100

 

 

「さらにマジックカードの使用により『熟練の白魔導師』に魔力カウンターが1つ乗ります」

「んじゃ、次はこれで」

「ありがとうございます。……次はウェムコちゃんですか」

「ん、おう。そだな」

 

 

熟練の白魔導師

魔力カウンター 1→2

 

 

「カードを1枚セットしてターンエンドです」

 

 セットカードの枚数はこれで再び二枚。先程の『マジシャンズ・サークル』のおかげでこちらは動けそうだが、サイレント・マジシャンはそれをどう阻んでくるか。

 

「俺のターン、ドロー」

 

 幸いなのはさっきのターンで『熟練の白魔導師』に魔力カウンターに溜まりきらなかった事だ。このターンで溜まったとしてもここで倒しきれば問題ない。

 

「手札のレベル8のモンスター『フェルグラントドラゴン』を捨ててマジックカード『トレード・イン』を発動。カードを2枚ドローする」

「マジックカードの使用により『熟練の白魔導師』に魔力カウンターが乗ります」

「これで最後か。はい」

「そうですね。……今度は『魔轟神グリムロ』」

「そうか」

「……また、女の子」

「ん?」

「いえ、何でもないです」

 

 サイレント・マジシャンの顔に一瞬影が過ったような気がしたが気のせいか。

 

 

熟練の白魔導師

魔力カウンター 2→3

 

 

「手札の攻撃力1000以下のドラゴン族チューナーである『ガード・オブ・フレムベル』を捨てマジックカード『調和の宝札』を発動。さらにカードを2枚ドローする」

 

 いい具合にデッキが回ってきた。妨害が無ければ一気に展開されたこの場を返せそうだ。

 

「永続トラップ『リビングデッドの呼び声』を発動。墓地から『ガード・オブ・フレムベル』を攻撃表示で復活させる」

 

 『ガード・オブ・フレムベル』は効果のないモンスターでレベル1のチューナーだが守備力のステータスは頼もしいため、いざという時の壁としても役に立つ。

 

 

ガード・オブ・フレムベル

ATK100  DEF2000

 

 

「セットカードは『リビングデッドの呼び声』でしたか。このタイミングと言う事はシンクロ召喚ですね」

「あぁ、その通りだ。レベル4の『神竜 ラグナロク』にレベル1の『ガード・オブ・フレムベル』をチューニング。シンクロ召喚、『転生竜サンサーラ』」

 

 普段ならレベル5のシンクロモンスターは『TGハイパー・ライブラリアン』を出すところだが、このデッキの都合上今回は『転生竜サンサーラ』を優先する必要があった。攻撃力が心許ないが守備力は頼もしい数値である。

 

 

転生竜サンサーラ

ATK100  DEF2600

 

 

「場の表側の永続トラップ『リビングデッドの呼び声』を墓地に送ってマジックカード『マジック・プランター』を発動。カードを2枚ドローする」

「随分と回りますね……」

「冴えてるみたいだ。俺を倒すつもりなら、それ相応の覚悟が必要だぞ?」

「それでも……負けませんよ」

「良い意気込みだ。マジックカード『龍の鏡』を発動。墓地の『ロード・オブ・ドラゴン-ドラゴンの支配者-』と『神竜 ラグナロク』を除外する事で、この2体の融合召喚を行う。『竜魔人キングドラグーン』を特殊召喚」

 

 『竜魔人キングドラグーン』はドラゴンを統べる『ロード・オブ・ドラゴン-ドラゴンの支配者-』の効果を引き継ぎ、相手のドラゴン族へを対象にする魔法、トラップ、モンスターの効果を封じる効果を持っている。

 

 

竜魔人キングドラグーン

ATK2400  DEF1100

 

 

 これによりサイレント・マジシャンの全体に影響を与える除去札や、対象をとらない妨害以外は封殺する事が出来た。これでこちらとしては相手の札を気にしないで動く事が出来る。畳み掛けるように展開させてもらおう。

 

「『竜魔人キングドラグーン』の効果発動。1ターンに1度、手札からドラゴン族モンスター1体を特殊召喚できる。俺が特殊召喚するのは『ドラグニティアームズ-レヴァテイン』」

 

 “ドラグニティ”の唯一の最上級モンスター。最上級モンスターにしては攻撃力は高い方ではないが、このカードこそが今回のデッキの核となっているカードと言っても過言ではない。

 

 

ドラグニティアームズ-レヴァテイン

ATK2600  DEF1200

 

 

 そんな最上級モンスターも手札消費は激しくなるが毎ターン手札から呼び出す事が出来る『竜魔人キングドラグーン』の能力はやはり強力である。

 

「『ドラグニティアームズ-レヴァテイン』は召喚、特殊召喚に成功した時、自分の墓地のドラゴン族モンスター1体をこのカードの装備カード扱いとしてこのカードに装備できる。俺が装備するのは『フェルグラントドラゴン』」

 

 “ドラグニティ”とは墓地の“ドラグニティ”と名のついたドラゴン族を装備カードとする事が出来る鳥獣族モンスターと装備カードとなっている時に効果を持つドラゴン族で成り立つテーマである。そんな中『ドラグニティアームズ-レヴァテイン』はドラゴン族ながら墓地のドラゴン族ならば何でも装備する事が出来る。さらに自身が相手の効果で破壊された時、その装備したドラゴン族モンスターを特殊召喚する能力もある。仮に全体除去カードの妨害を受けたとしても後続に繋げられる。

 

「バトル。『ドラグニティアームズ-レヴァテイン』で『ブラック・マジシャン』を攻撃」

「……通ります」

 

 俺の攻撃宣言を受け渋々と『ブラック・マジシャン』のカードを墓地へ移動させるサイレント・マジシャン。

 こうやって妨害があったとしても大丈夫なんて余裕がある時に限って相手は何も仕掛けてこないものだ。そしてこちらが何も準備が無い時に予想外の妨害が飛んでくるのだ。

 

 

サイレント・マジシャンLP4000→3900

 

 

 電卓を弾きサイレント・マジシャンのライフを100削る。全て自動でデュエルを進行してしまうデュエルディスクと違い、こう言った事も全て手を動かしてやると生まれ故郷でのデュエルを思い出す。ただ当時よくデュエルをしていた友人の顔も思い出せない程時間が過ぎてしまった事に寂しさを覚える。

 

「墓地に『ブラック・マジシャン』が送られた事で『ブラック・マジシャン・ガール』の攻撃力は300ポイントアップします」

 

 しかし内に向きかけた意識はサイレント・マジシャンによってこのデュエルに引き戻される。

 そうだ、今はデュエルに集中しなければ。

 

ブラック・マジシャン・ガール

ATK2000→2300

 

 

 攻撃力が上昇したと言えど、『ブラック・マジシャン・ガール』の攻撃力は依然『竜魔人キングドラグーン』の攻撃力にすら届いていない。今後攻撃力が上昇する可能性はあるが、最優先撃破対象はそれでも変わらない。

 

「『竜魔人キングドラグーン』で『熟練の白魔導師』を攻撃」

 

 とにかく魔力カウンターが溜まってしまった『熟練の白魔導師』を撃破しなければ次のターンこのデッキの天敵の召喚を許す事になる。しかし先程の攻撃も通った事だし、こちらの相手の妨害に対する布陣は整っているため問題なく攻撃は通ると考えていた。だが、やはり自分の思惑通りに進む程デュエルは甘く無い。

 

「トラップカード『ガガガシールド』を発動します。このカードを『熟練の白魔導師』に装備する事で、このターンのあらゆる破壊から『熟練の白魔導師』を2度まで守ります」

「うっ……やるな」

「ふふっ、マスターの思い通りにはさせませんよ」

 

 先程の情けない顔とは打って変わりドヤ顔をするサイレント・マジシャンに僅かに苛立ちを覚える。

 

 

サイレント・マジシャンLP3900→3200

 

 

 これで俺のこのターン攻撃権は全て使い果たしてしまった。あれだけのドローソースを駆使しても都合の良い除去カードを呼び込めなかったため、次ターン『熟練の白魔導師』の効果が発動する事は決まってしまった。後はこのターンセットするカードでその攻撃を止めきれるかどうかだ。

 

「カードを2枚セットして。エンドフェイズへ。この時手札から速攻魔法『超再生能力』を発動。このターン手札から捨てられた、またはリリースされたドラゴン族1体につきカードを1枚ドローする。俺が捨てたのは2枚のため、デッキからカードを2枚ドローする」

 

 このドロー効果は強力なものだ。だがエンドフェイズを迎えてのドローと言うのはタイミングが遅い。こうやって今すぐセットしたいカードもセットする事が出来ないのだ。

 

「私のターン、ドロー。このドローで『強欲なカケラ』に強欲カウンターがまた1つ乗ります」

「お、それに乗るカウンターも最後か。んじゃこれで」

「……『魅惑の女王LV7』。……マスター」

「ん?」

「わざとやってます?」

「何がだ?」

「……分からないなら良いです」

「?」

 

 何やらサイレント・マジシャンは機嫌が悪いようだ。何かしただろうか?

 少し暗い表情で『マジシャンズ・ヴァルキリア』の下に『魅惑の女王LV7』を置くのが印象的だった。

 

 

強欲なカケラ

強欲カウンター 1→2

 

 

 これでこのターンサイレント・マジシャンが手札を増強してくる事も確定した。今サイレント・マジシャンの手札は二枚。それが四枚まで増やされるとこのターンの攻撃を防ぎきれるかどうか怪しくなる。

 

「魔力カウンターが3つ乗った『熟練の白魔導師』をリリースし効果発動。デッキから『バスター・ブレイダー』を特殊召喚します。この魔力カウンターとして使わせてもらった三枚のカードは……どうしましょう?」

「あぁ、また使うかもしれないから端に置いとこうか」

「わかりました」

 

 台にしている衣装ケースの端に重ねて置かれる『救世の美神ノースウェムコ』等のカード。その後サイレント・マジシャンはデッキの中から『バスター・ブレイダー』のカードを探し始める。しかしデッキのボトムからいくら探しても見つかる様子が見られない。一瞬だけデッキに『バスター・ブレイダー』を入れ忘れた事を期待したが、デッキのトップから無事見つかってしまった。

 

 

バスター・ブレイダー

ATK2600  DEF2300

 

 

 今の探している様子からして『バスター・ブレイダー』はデッキにピン挿し。特殊召喚制限の無い最上級モンスターだが、その特殊召喚方法は『熟練の白魔導師』の効果や『死者蘇生』などの墓地からの復活しか無いはず。こいつが出てしまった以上は効果で除去していく事を考えていかなければ……

 

「『バスター・ブレイダー』は相手の場、墓地のドラゴン族モンスター1体につき攻撃力が500ポイントアップします。マスターの場と墓地のドラゴン族の数は……えっとぉ……」

「場には『竜魔人キングドラグーン』、『転生竜サンサーラ』、『ドラグニティアームズ-レヴァテイン』とそれに装備されている『フェルグラントドラゴン』の4体。墓地には『ガード・オブ・フレムベル』と『仮面竜』の2体。合計6体だな」

「と言う事は攻撃力が3000ポイントアップしますね」

 

 サラッとサイレント・マジシャンは言うがそれはとんでもない上昇値だ。最上級モンスターの攻撃力は大体3000ぐらいが一般的。こちらがそんな最上級モンスターを立てていたとしてもその攻撃を受ければ2600ポイントのダメージが俺を襲う事になる。並のモンスターでは壁にもならない状況だ。

 

 

バスター・ブレイダー

ATK2600→5600

 

 

 こちらも決して弱く無い最上級モンスターを従えているはずなのにサイレント・マジシャンの出した『バスター・ブレイダー』前では霞んで見えてしまう。いざ出てくると事前に分かっていたとしても、実際に出てくると攻撃力5000超えのプレッシャーがこちらに重く伸し掛ってくる。

 

「強欲カウンターが2つ乗った『強欲なカケラ』を墓地に送ってデッキから2枚ドローします」

 

 強欲カウンターとして使っていた『マジシャンズ・ヴァルキリア』と『魅惑の女王LV7』のカードを既に端に置かれている『救世の美神ノースウェムコ』の上に重ねながらサイレント・マジシャンはカードを2枚ドローする。新たに加わったカードを真剣な表情で見ながら次の一手を考えている様子だ。数秒間何も言わずに考え込んだ後、閉ざされた口がついに開いた。

 

「バトルです。『バスター・ブレイダー』で『竜魔人キングドラグーン』に攻撃します」

 

 『竜魔人キングドラグーン』の攻撃力は2400で『バスター・ブレイダー』の攻撃力は5600。この攻撃が成立すれば俺の残りライフ3200を丁度削りきられる。先程の思考時間はこの攻撃が通るかどうかを考えていたのだろう。だが、流石に3枚のセットカードを全てが処理されていないのに、この攻撃を止められないなんて事は当然ない。

 

「相手の攻撃宣言時にトラップカード『立ちはだかる強敵』を発動。相手はこのターン俺の選択した表側表示のモンスターしか攻撃対象に選ぶ事は出来なくなる。俺が選択するのは『転生竜サンサーラ』」

「簡単にはやられてくれませんね、流石です。『バスター・ブレイダー』で攻撃を続行します。『バスター・ブレイダー』で『転生竜サンサーラ』を攻撃」

「『転生竜サンサーラ』が戦闘によって破壊された場合、墓地のモンスター1体を選択し、そのモンスターを特殊召喚する。俺が選ぶのは『ガード・オブ・フレムベル』」

 

 墓地の『ガード・オブ・フレムベル』と場の『転生竜サンサーラ』を入れ替える。

 

 

ガード・オブ・フレムベル

ATK100  DEF2000

 

 

 『転生竜サンサーラ』のこの効果は戦闘での破壊だけでなく効果での破壊にも対応している。バウンスや除外には弱いが、その手の効果を持つカードを相手が握っていない限りは確実に効果を使う事が出来る。

 

「さらに『立ちはだかる強敵』の効果で選択したモンスターが場を離れた事で、このターン相手は攻撃宣言を行えなくなる」

「バトルフェイズを終了します。『ブラック・マジシャン・ガール』を守備表示に変更します。カードを3枚伏せてターンエンドです」

 

 4枚の手札の内3枚カードを伏せてきたか。これでセットカードは一気に4枚まで増えた。

 

「ふぅ……」

 

 先程の攻勢を凌いだ事で少し息をつく。

 『バスター・ブレイダー』を倒す算段は既についているが、あのセットカードがそれを易々と許してくれるかどうか……

 

「マスター」

「どうした?」

「疲れてますか? 飲み物でも持ってきましょうか?」

「いや、大丈夫だ。それに碌に立てなかったヤツに無理させる気は無いな」

「むっ、もう私は立てますよ! ほら!」

 

 そう言うとサイレント・マジシャンは勢い良くその場で立ち上がる。その瞬間俺は全力で首を捻り視線を後方に逸らさなければならなかった。

 

「……なんで目を逸らしたんですか?」

「あのな、サイレント・マジシャン……いつもと違う服着てんだよ」

「はい、そうですけど……?」

「それ、気をつけないと見えるぞ?」

「えっ?」

 

 サイレント・マジシャンの股の辺りを指差しながらそう言うと、何の事だか分からないようにサイレント・マジシャンは視線を落とす。そして数秒の間が空いた後にようやく俺が何を言いたいのか気が付いたようで、みるみる顔を真っ赤に染上げていく。何度も顔を赤くしていたサイレント・マジシャンだが、今日で一番恥ずかしそうだ。

 

「ちょ、ちょっと、飲み物取ってきますっ!」

 

 そう言って逃げるようにサイレント・マジシャンは部屋を飛び出してしまった。今後こう言った衣服を身につける事が増えるので、今日の経験が後の生活に生かされる事を願おう。

 殺伐としたデュエルばかりしてきたが、たまにはこんなまったりとしたデュエルも悪く無い。

 そんな事を考えながらサイレント・マジシャンが戻ってくるのを待つのだった。


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