遊戯王5D's 〜彷徨う『デュエル屋』〜   作:GARUS

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間話 彼女たちの一幕

 Case 1 山背静音の場合

 

 

 

 私の起床時刻はいつも変わらない。

 きっかり6時。それがマスターと一緒に生活を始めてから続いている私のライフサイクルだ。

 カチッ、カチッと規則正しく秒針が時を刻む音だけが朝の静寂を抜ける。

 目を覚まして最初することは上からマスターの寝顔を眺める事。今日もまだマスターはぐっすりと眠っている。

 最近ではデッキ構築に加えて治安維持局や雜賀さんとのやり取り、それに私のデュエルアカデミアの転入に向けてのタスクなどまだまだマスターは夜遅くまで忙しい。私の事で仕事を増やしているのは大変心苦しいのだが、私のために頑張って下さっていると思うとやはり嬉しい。

 勿論私も出来る限りマスターの身の回りの事を手伝っている。ただ手伝っていると言っても、マスターの作った書類の誤字脱字や文法で間違っている事がないかの確認や、コーヒーを出したりする事ぐらいしか出来ていない。

 いや、一度マスターが疲れて机に突っ伏して寝てしまった時にマスターをベッドに運んだことがあった。浮遊魔法でマスターの体を移動させる途中、たまたま魔法の不具合が起きて肩を貸す形で運ぶことになったけどそれでもマスターは寝ていた。体が密着して肌が触れ合ったり、マスターの匂いが近くで感じられたりで物凄くドキドキしたのは今でも忘れられない。翌日マスターは夜更かしが祟ったのか見た感じ顔が赤かった気がする。尚、それ以降マスターは遅くまで起きていても最後は自分でベットに行ってしまう。良いことなのだが、それはそれでちょっぴり残念に思ったり。

 

「すぅ……すぅ……」

「…………」

 

 耳を澄ませば規則正しいマスターの寝息がうっすらと聞こえる。

 普段は堅いマスターも寝ている時は安らかな表情だ。それでも最近は大分表情の変化が豊かになったと思う。笑顔を見せることなんてここで暮らす前では考えられない事だ。あの頃の無表情でデュエル屋として相手を叩き潰すだけのデュエルマシーンのような姿は痛々しく、また何もできない自分の無力さをただただ呪うしか無かった。そんなマスターを変えてくれた狭霧さんには感謝してもしきれない。

 

「んっ……ぅ……」

「……っ」

 

 いけない。

 無意識のうちにマスターを撫でていた手を引っ込める。起こしてしまったかと危惧したが、再び規則正しい寝息をたてる様子を見てホッとした。

 手に僅かに残ったマスターの髪の感触。少しごわついた手触りは決して一般的に良いものとは言えないけど、それでも触りたいと思うのは私のマスターだからなのでしょう。

 

 トクンッ

 

 胸の奥が一瞬熱くなる。その熱はジンワリと体に広がっていく。

 最近マスターの事を考えているとこんなことがよく起こる。これもやはりあんな事があったから。

 

 私が初めてマスターから頂いた大切な宝物。

 

 その記憶に思いを馳せれば、自然と胸が高鳴っていく。

 

 カチッ、カチッ……

 

 だんだんと時計の針の音が遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

 Call my name. 〜白魔術師の慕情〜

 

 

 

 

 

————————

——————

————

 

「マスター、少し休んだ方が良いですよ」

「休みたいのは山々だが……そうも言ってられない。まだやる事が山積みだ」

 

 マスターは机のディスプレイに向かいながら返事をする。

 昼間だと言うのにこの部屋の明かりはそのディスプレイしかない。

 それもそのはず。この部屋の窓と言う窓は黒いカーテン閉め切られ電球も点いていないのだから。床には今まで雜賀さんに頂いた資料が無造作に散らばっていて足の踏み場が無い。

 ここは以前にマスターが購入された格安マンションの一室。狭霧さんにと出会うまで拠点としていた場所で、今もこうして狭霧さんに見せられない資料を扱うときはここで作業している。

 

「だけど、もうここ一週間まともに寝て無いじゃないですか! こんな調子じゃあ体を壊します!」

「あぁ……流石にヤバいのは分かってる。だがここを乗り越えれば当分は依頼もない。ここが踏ん張り時だ」

 

 そう言うマスターの目の下には隈ができ、目に見えて窶れきているのが見てとれる。

 こうなったのは春休みに入ってからと言うもの、マスターは学校が無い時間を全て『デュエル屋』関係の仕事の時間に当てているからだ。この一週間で依頼のデュエルが八件もあったこともあり、その間の睡眠時間は10時間にも満たないだろう。辛うじて栄養ドリンクで体を動かしている状態が続いているので、正直何時倒れてしまうのか気が気じゃない。

 

「そう言えばサイレント・マジシャンにもやってもらう事があったな」

「……? なんでしょうか?」

「名前だ」

「名前……ですか?」

「そうだ。この世界で暮らす以上、戸籍登録とかデュエルアカデミアへの入学とかで名前は必要不可欠だからな。手続きは明後日済ませたい。だから明日までに決めてくれ……あぁ、くそっ。あの野郎、足元見やがって……」

 

 私に用件だけ伝えるとマスターは再びキーボードを叩き始める。私の戸籍登録の件で取引相手とのやり取りが難航しているようだ。

 

「…………」

 

 マスターは自分の名前を決めろとあっさりと言ったけど、私にとっては重要な出来事だった。

 

 名前。

 

 それは生涯自分が背負うもの。

 少し先の事を考えていれば思いつく事なのだろうが、まさか自分にこの世界での名が必要になるなんて考えたことのないことだった。いや、そんな事を考えている余裕が無かったと言うべきか。今までの事を思えば危険な日常を送るマスターの事を考える事はあれど、自分の事を考える事はなかったと思う。

 そしてそう思うと同時にふつふつと自分の中で強い願望が生まれていた。

 

 “マスターから名前を貰いたい”

 

 元々精霊として自分の契約したカードの所有者である主に特別な名で呼ばれるという事は最高の誉れだ。ましてその名を主から与えられるのは最上の事で、精霊ならば誰しもが一度は憧れる事でもある。

 そして今こうしてマスターに自分の事を考える切っ掛けを貰った事で、その想いはとても大きく膨れ上がり無意識のうちに私の口から飛び出していた。

 

「あ、あのっ!」

「……なんだ?」

「苗字は自分で決めます! だけど……その……」

「……?」

「な、名前は! 名前だけは、マスターがつけてもらえないでしょうか?!」

「……っ! 俺がか?」

「はいっ! あっ! も、もちろん、考えるのは今の仕事が終わって休んでからで良いです!」

「…………」

 

 胸が高鳴る。

 私からのお願いに、マスターは少々面食らった様子だった。

 だけど、それも一瞬の間だけ。直ぐにいつもの真剣な思案顔に変わると、数秒考えた後に答えが返ってきた。

 

「俺に名前を付けるセンスなんて求められても困る」

「…………っ」

 

 それは拒絶の言葉だった。

 と、同時に昂っていた私の気持ちは冷水をかけられたかのように急速に冷めていく。

 あぁ、私は何を浮かれていたのだろう。別に頼んだからと言ってそれがおいそれと決まるような事ではない。それにマスターの今の状況を鑑みれば断られる事なんて分かりきってた事ではないか。勝手に盛り上がって勝手に落込んでいる自分が間抜けでならない。

 そう思い俯く私の耳に「ただ……」とまだ言葉を続けようとするマスターの声が入ってきた。

 

「……それでも良いと言うなら善処しよう」

「えっ……?」

「ん? どうした?」

「……良いんですか?」

「あぁ。まぁ俺の考えた名前を気に入ってもらえるかは分からないがな。それでもいいならやってみよう。それで良いか?」

「っ! は、はい! よろしくお願いしますっ!」

 

 

 

————————

——————

————

 

 さて、苗字は自分で決めると言ったもののどうしたものか。

 正直なところマスターから名前を頂けるのなら苗字などどうでも良いと思える事だった。

 あれからマスターから『少し……一人で考えさせてくれないか』と恥ずかしげに切り出されたので、精霊化した状態で外に繰り出している。あんな状態のマスターを一人にするのは少し心配だったが、そんな事を言われたら元気よく『はいっ!』としか答えられなかった。

 

『ふふっ』

 

 思い出しただけで頬が緩む。

 私が出る時、マスターは仕事を一段落つけていたので今頃ベッドに入っている頃だろう。念のためあの一室には結界を更にもう一度重ねがけしておいたし、万が一何かあの部屋で異変があったときは私に分かるようになっているのでマスターの危機には直ぐに駆けつけられる。

 時間はまだ二時を回ったくらい。外では昼を食べ終えた人がちらほらと歩いている。その中にはデュエルアカデミアの制服を着た生徒もちょくちょく居た。今日は春休みなので今見られるデュエルアカデミアの生徒たちは大方部活帰りに遊びに出てきたというところだろう。

 そんな生徒たちを見て、自分も今年からはこの中に入れるのだと思うと気持ちが高まっていく。

 

『折角だから少し早いけどアカデミアを覗いてみてもいいよね』

 

 誰に許可を貰う訳でもないが、気が付けばそんなことを口にしながらアカデミアに向かっていた。転移を使えば一瞬で着くけど、今は通学する風景を見ていたかったので浮遊しながら移動する。

いつもマスターの後ろから見ている景色もなんだか今日は輝いているようにみえた。20分ほどの移動時間もあっという間に過ぎていった。

アカデミアの校門に着くとグランドに生徒がまだ多く残っていた。春休みだけど部活動に精を出しているようだ。どの生徒も汗を流しながら時折いい笑顔を見せていた。

部活動も全く縁のないことだったが、アカデミアに入ればそういった事にも関わることになると思うと、ようやくアカデミアに入るという実感が湧いてくる。尤もマスターが部活に入ってない以上、私だけが部活に入るわけにはいかないのだが。

 

『…………』

 

マスターが何を目的に動いていて、何に苦しみ葛藤しているかは何となく分かっている。そしてマスターの辛い戦いはこれからもまだ続く。けどそれもとうにもう折返し地点は過ぎている。そうしてもしもマスターが目的を達したのなら、その時は私はもうマスターとは一緒に会えなくなる。それを思うと胸が締め付けられるように痛い。けれどそれがマスターの望みであるのなら、それが叶うようにするのが私の望みだ。それは私がマスターのこの事を想っているからという事もあるが、私を救ってくれたマスターへの恩返しでもある。

ただそんな望みと一緒にマスターには幸せになって貰いたいとも思う。だからこんな笑顔が見られる輪の中にマスターも入ったら、ひょっとしたらマスターも同じ様に笑えるのではないかと思った。が、それはマスター自身が望まない限りありえない事か。

だけどマスターが他の人との交わりを拒むのなら、せめて私だけはマスターの心の拠り所になれるようにしよう。

そんな決意を新たに私はアカデミアの校舎の中に入った。

 目的の場所は教室。ついこの前までマスターが過ごしていた教室をもう一度見たくなったのだ。

昇降口を潜り階段を上って廊下を進むと目的の教室がある。開いていたドアから中を覗くと幸いな事に教室には他に誰も居なかった。蛍光灯は点いていなかったが、窓からは日が差して教室の中はまだ明るい。

 マスターの席は丁度日が差し込んでいる窓際の列の最後尾。休み時間は勿論、授業中もここでマスターはいつも寝ているのだ。筆箱を枕代わりにして寝る様子が居ないのに見えてくる。

 

『…………』

 

 周りの気配を伺っても人がやってくる事は無さそうだ。

 少しだけなら、そう自分に言い訳してマスターの席の椅子を少しだけ引いた。

 

 ギィ……

 

 教室の中に椅子の足と床が擦れる音が響く。それは極小さな音なはずなのに少しいけないことをしていると言う罪悪感からか、とても大きく聞こえた。急いで教室周辺の気配を探るがこの音の届く範囲に人は居ないと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

 既に自分に透過の魔術を施してから実体化したおかげで周りから私の姿は見える事はない。

 私は音が出ないように気を配りながらゆっくりとその席に腰を下ろした。椅子のひんやりとした感触が服越しに伝わってくる。

 

(これがいつもマスターが見ている教室の様子なのかぁ……)

 

 一番後ろの席から見る黒板との距離を感じながら染み染みとそんなことを思った。しかし直ぐにそうじゃないことを思い出した。マスターは黒板など目もくれず、この机に頭を乗せて寝ていたのではないか。

 

「ごくっ……」

 

 光を反射させる白い長机に自分の顔が映る。頬が少し赤くなっている気がするが、それは日差しに当てられてと言うことにしておこう。

 段々と胸の鼓動が速くなっているのを感じる。

 

(ちょっと、ちょっとだけなら! 顔くらい乗せても……いい、よね? べ、別にやましいことする訳じゃないし!)

 

 ドクンッ

 

 顔が熱い。

 机に触れる髪の感触が大きくなっていく。

 机に顔を近づけていくにつれて心臓が早鐘を打つ。

 

 ドクンッドクンッドクンッ

 

 もう言い訳が出来ないくらいに顔が真っ赤なのが机に映っている。

 机と頬の距離はもう指一本分程。

 

「っ!!」

 

 ガラガラガラッ

 

「ふぅぅ、ったく疲れたぜぇ……」

「だろうな。あれだけ動いていて疲れない方が寧ろどうかしている」

 

 後少しのところという時に人の気配を感じたせいで慌てて体を起こす。よく考えれば相手には見えるはずも無いのだが、体が反射的に動いてしまった。

 そしてこれは少し不味いことになった。

 透過の術をかけているとは言え、実体化した状態で腰掛けている今ここで下手に動けば物音で気配を気取られる恐れがある。精霊化すれば解決しそうなものだが、マスターのように精霊化した状態でも私のことを見える人もいるのだ。道を行き違う人程度ならまだしもデュエルアカデミアの生徒に私の事が気付かれるのは不味い。ましてこうして教室の中でバッタリなんて言うのは最悪だ。万が一のことを考えれて安易にその選択がベストな解答とはいえない。それに精霊化をすれば透過の術は解けてしまう。ならばここは音を立てずに様子見をするのが最善か。

 幸いなことに入ってきた二人の男子生徒は教室の入り口付近の席で話し込んでいるようだった。

 

「何時から練習再開なのだ?」

「ん〜あと十五分後くらいだ」

「ふむ、そんなものか。やはり運動部はキツそうであるな」

「まぁ、一応レギュラーだからな。それに文化部とは言え、忙しさは似たようなもんじゃないのか、提督殿?」

「忙しいと言ってもベクトルが違う。あのような過酷なトレーニングはとてもじゃないが俺には無理だ。素直に尊敬するよ、流石は番長だ」

「呵々っ! お前にそう直球で褒められると照れるな」

 

 よく見るとこの二人は教室では見慣れない生徒だった。

 どちらも身長は男子の平均よりは少し高いくらい。

 片方は線の細い体つきでサラサラな黒髪の提督と呼ばれている青年。四角い黒縁のメガネをかけているからか知的な印象を受ける。

 もう一人は癖っ毛のある茶髪の青年。運動部に所属しているという彼らの談の通り制服の上からでも鍛えられた体の筋肉が見てとれる。番長と呼ばれていたが、彼は一体何部なのだろうか?

 当然私に気付いている人間がいない今、この疑問に答えてくれる人などいる訳も無く、彼らは話に花を咲かせ続ける。

 

「……ようやくここまで来たな」

「……あぁ、一年もかかっちまったがようやく来れた」

「今年からはいよいよ我々も最上位クラス。そう思うと胸の高まりが押さえられん」

「全くだ。強い奴と戦えるってのは心躍るってもんだぜ」

「……やはり目指すものは同じか」

「……そうなるな」

「っ?!」

 

 突然二人の視線がこちらを向いた。一瞬こちらに気付かれたのかと思い声が出そうになったのをなんとか抑える。

 しかしよく見ると二人がこちらに気が付いた様子は無い。ただこちらの席を見ているようだった。

 

「デュエルアカデミア・ネオ童実野町校始まって以来の最強デュエリストと名高い『戦王』八代。後輩の飛び抜けた才を持っていた十六夜を破った実力はまさに本物だ。だが! 今年はそれを打ち破り我が艦隊の最強伝説の幕開けとする!」

「おぉっと、なら俺はその艦隊も纏めて打沈めてアカデミア史に残る闘魂デュエル伝説でも作ろうかね」

「ふっ、面白い。昨年度の我々のデュエルの戦績は五分五分だったが、今年は勝ち越してみせよう」

「呵々っ! 今年も血潮の滾る年になりそうだ」

「…………」

 

 なるほど、こちらを見ていたのはマスターの席だからだったのか。マスターを倒すことが目標とは随分と高い目標を持っているらしい。これくらいの気骨のある生徒がいたとは正直驚いた。

 デュエルを誘われたら決して断ることの無いマスターのことだ。こんなに熱い闘志を持つデュエリストが相手なら、もしかしたらマスターも楽しくデュエル出来るかもしれない。

 

「……はぁ、ただなぁ」

「言いたいことは分かるぜ、軍曹……女、だろう?」

「あぁ、この華の無い学年はどうにかならないものか」

「全くだぜ。後輩にはめっちゃ可愛い子がいるってのに俺らの代はどうしてこうなんだよ……あぁ〜ツァンちゃんとか藤原ちゃんの学年の男子に生まれたかったぜ」

「同感であるな。学年混合デュエルの時の相手すらもお互い後輩の男子だったのは痛い。あの時ばかりは十六夜さんでも良いから可愛い女の子とデュエルがしたかった……」

「そうだな。いや、俺はむしろ十六夜ちゃんウェルカムだったぜ。痛ぇのは慣れてるからな」

「そのタフさが羨ましい。せめて可愛い子がいないのが我々のクラスだけだったのなら未だしも学年全体となるといよいよどうしようも無い。折角クラスが変わっても、名前順で座った時に隣の子が可愛いなんて素敵なイベントが起こりえないのだからな」

 

 

 

 ガタッ

 

 

 

「っ?!!」

「何の音だ?」

「あん? なんか物でも落ちたか?」

 

 自分がたてた物音に心臓が跳ね上がる。

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 こちらに何かあるのか確認しにもう二人がこちらに向かってき始めていた。

 透過の術をかけているとは言え、ここで動けば音で移動がバレる。精霊化すれば物理的接触は全て無視して移動できるが、相手が精霊を見ることの出来る人間だった場合、確実に姿が見られてしまう。こうなってしまった以上は覚悟を決めるしか無い。

 私の存在がバレてしまうと言う最悪の事態への恐怖が心臓の鼓動を狂わせる。しかしその恐怖を封じ込め私は身体を動かした。

 

 

 

 ガチャッ

 

 

 

「は?」

「あ?」

 

 誰も居ないはずなのに突然窓の鍵が開くという現象を目の当たりにした二人の男子生徒は歩を止めた。目の前で起きている現象に思考が追いついていないのだろう。その僅かに出来た間に私は次のアクションを起こした。

 

 

 

 ガラガラガラッ

 

 

 

「うぉぁっ!」

「なっ、なんだ?!」

 

 何も無い場所で窓がひとりでに開くというのは最早ポルターガイスト現象だ。連続で起きた不可解な物理現象に後退る二人を尻目に私は窓の外に飛び出した。

 空から教室内を見ると二人はまだ驚き慌てているようだった。

 私がやったのは結局の所、透過の術をかけた状態で窓を開けて空中へ離脱と言う至って単純なものだった。少々強引な手だったが、これでこちらの姿まではバレる心配は無い。

 それと二人には感謝しなければならない。名前順での座席決めとは盲点だった。

 こちらに気付く事はないだろうが、空から二人に礼をすると私はその場を後にした。

 

 

————————

——————

————

 

 

 デュエルアカデミアを出てから大分時間が過ぎ日は暮れ掛っていた。

 あれから今年から高校2年生になるデュエルアカデミアの生徒苗字をシラミつぶしで調べていたせいで大分時間が経ってしまった。もしかしたらマスターはもう起きているかもしれない。

 まぁ調べた甲斐あって自分の苗字は既に決まった。あとはマスターから名前が頂けたらこれ以上の事はない。

 

『ただいま戻りました……』

 

 転移でマスターの仕事場に戻ると小声で帰宅を告げる。寝ているマスターを起こしてしまってはいけないからだ。

 一室しか無い部屋の中はPCのディスプレイの明かりも消え真っ暗だった。やはりマスターは仕事を終えて寝ているのだろう。ベッドの様子だけ確認してマスターが起きるのを待っていようと思いベッドに近づくと、ここでようやく異変に気が付いた。

 

 マスターがベッドにいないのだ。

 

『っ!』

 

 直ぐさま私は指先に魔力を集め部屋の中を照らした。

 閉め切られているカーテン、スリープ状態のPC、机の上に放置されている栄養ドリンクの空き瓶、床に散らばった雑賀さんから貰った資料、ここまでは部屋を出た時と何ら変わりはない。しかしマスターが椅子の横で倒れてうつ伏せになっているのが違和感として直ぐに目に入った。

 

「マスターっ!」

 

 その光景が目に入った瞬間、私は精霊化状態を解いてマスターの元へ駆け寄っていた。

 マスターの体を仰向けにし膝に頭を乗せてみると、呼吸は正常だが意識は完全に無くなっている事が分かった。顔から血の気が引いていくのを感じる。

 

「マスターっ?! マスターっ?! 大丈夫ですか、マスター! しっかりして下さい!!」

 

 しかし私の呼びかけも虚しくマスターの意識が戻る気配はない。

 部屋の防衛結界が破られた形跡もない事から、外からの侵入者があったという事はまず無い。ただマスターが意識を失っている原因は直ぐに分かった。

 

 睡眠不足だ。

 

 ここ最近の『デュエル屋』としての過密スケジュールのせいで碌に寝ていない事が原因だろう。ただ、原因が分かったとしても私には何をすべきなのか分からなかった。私は回復魔術はからっきしだし、医学知識も持ち合わせていない。このままベッドにマスターを運んでおけば良いのか、それともマスターに何か医学的な処置が必要なのか皆目見当もつかない。私は焦っていた。

 こうして私の一番大事な人が目の前で意識を失っているという状態が、私を焦らせ思考の自由を奪っていく。やはりここはマスターを連れてお世話になっている闇医者に診てもらうべきなのか。そんな事を考えている時だった。

 

「んっ……うぅっ」

「ま、マスター?」

「んぅ……さ、サイレント・マジシャンか……?」

「はいっ! そうです! 大丈夫ですか?!」

「ん……あぁ、どうやら寝ちまってたらしい。心配かけたな」

「……なんでベッドで寝てないんですか? 私が出かける時、直ぐ寝るって言ってたじゃないですか」

 

 そんなつもりは無かったのについ語気が強くなってしまう。そんな私の様子を見てマスターは少しばつの悪そうな顔を浮かべる。

 

「悪い……ただ、サイレント・マジシャンの名前をどうしても考えておきたくてな」

「っ!! そ、そんなのマスターが休んでからで良いって言ったじゃないですか! それでマスターの体が壊れちゃったら! 私は! 私は……」

「お、おいおい。泣くなよ。流石に寝不足程度でどうにかなっちまう程、やわな身体じゃねぇよ」

「す、すいません……こんなつもりじゃ……」

 

 マスターが無事だった安堵と私のせいでマスターに負担を強いてしまった後悔が私の目から涙となって溢れ出す。そんな私を見てうろたえているマスターの様子はなんだかとても新鮮だった。

 

「それで……苗字は決めたのか?」

「はい。決めました」

「何にしたんだ?」

「山背です。“やま”の字は地形の山で、“しろ”は背中の背の字を書いて“山背”です」

「へぇ〜、その字だと“やませ”って読みそうだけどな。その苗字にしたのは何か理由でもあるのか?」

「はい。一つは魔術師に近い存在だった昔の日本の陰陽師の人の苗字から頂きました」

「なるほど。“一つは“って事は、まだ理由があるのか?」

「はい。けど、もう一つの理由は……まだ秘密です」

「ふっ、そうか。じゃあその秘密が聞ける時を楽しみにしておこう」

 

 もう一つの理由はマスターが気が付いていないのなら、入学したときのちょっとしたサプライズにしたかっただけだ。特に大きな意味がある訳ではない。

 

「それで……その……」

「名前か?」

「……はい」

「あぁ。一応俺なりに考えたよ」

「本当ですか!?」

「おう。ただ、気に入ってもらえるかは……」

「聞かせて下さい」

「……分かった」

 

 緊張する。

 経験は無いが、好きな人に告白をしてその返事を待つというのはこんな感じなのだろう。

 胸が張り裂けそうな程、激しく心臓が鼓動を打つ。ひょっとしたらこの音は私の膝の上に頭を乗せているマスターに聞かれてしまっているのではないだろうか?

 そう思うくらい暴れる心臓のせいで、五感全てが自分のものだという現実感が薄れていく。なんだかマスターを見ている映像でも眺めているみたいな感じがする。

 そしてマスターの口が動き始めた。

 

「“しずね”」

「しずね……」

「そう。静かな音って書いて“静音”だ」

 

“しずね”

 

 その言葉を自分の中でもう一度反芻させる。

 それはマスターから貰った名だからという事はもちろんあるだろう。だけどそれ以上にその名前はしっくりくるものがあった。まるで私が生まれた時に与えられた名前のように。

 

「……どうだろう?」

「“静音”……凄く、良い響きです」

「そうか、良かった」

「あの、聞いても良いですか?」

「ん、なんだ?」

「どうしてマスターはその名前にしようと思ったんですか?」

「あぁ、やっぱりそれ聞くよな。言わなきゃダメか?」

「聞きたいです」

「だよな。……分かった」

 

 最初は気恥ずかしそうにしていたけど、私の気持ちを汲んでくれたマスターは覚悟を決めたようで、真剣に私の名前の由来を話し始めてくれた。

 

「色々考えてたんだ。名前ってのはどうやって付けるべきなのか。親が子どもに名前を付けるときは、よくその子が将来こんな子になって欲しいっていう願いとかが込められたりするだろ? 最初はそう言う方向で考えようと思ったんだけど、もう成長しきってるサイレント・マジシャンにはそういう付け方は違うって途中で思ってな。結局サイレント・マジシャンのイメージを考えて名前を付けた方がしっくりくる気がしたんだ」

「…………」

「“サイレント”ってのは音をたてない事とか、無言である事って言う意味だろ。確かにサイレント・マジシャンは自分から何かを頼まれたりする事はなかったし、まさにそうなんだろうって思ってた」

「…………」

「だけどな。今日サイレント・マジシャンから初めて頼み事をされて、そうじゃないって思ったんだ。意識を向けないと何も聞こえないけど、耳を澄ませば聞こえる音。とても静かだけど確かに(お前)は存在する。“無音(サイレント)”じゃない。だから“静音”だ」

「…………」

「自分で言うのもなんだけど、この名前を思いついたときはなんとなく“あぁ、これだ”って思ったな。まぁそれで名前を決めたら気が抜けちまって、それであのザマだ」

 

 マスターの説明を聞き終えた時、私はもう既に限界だった。現実感の無かった名前を貰ったと言うことにようやく認識が追いついたのだ。

 そして思う。

 

 あぁ、私は幸せ者だ、と。

 

 鼻の奥がツンと痛み、もう抑える事が出来そうにない。でも仕方ないじゃない、こんなに嬉しいのだから。

 

「……やっぱ、こう面と向かってこういうことを言うのは恥ずかしいもんだな。って、サイレント・マジシャン?」

「……あっ……あ、あ、ありがどうございまず……ぐすっ、すごぐ……すごぐ、うれじいですっ!」

「だ、だから泣くなよ。ったく」

「だっで、まずだーに名前を貰うのが、夢だっだがら! うれじぐで、ひっく」

「……そうかい」

 

 感極まって泣き出した私を見て、マスターは呆れながらも優しい表情を浮かべていた。嬉し過ぎて涙が止まる気がしない。

 

「っ!!」

 

 スッと伸ばされた手が溢れ出る私の涙を拭う。それがマスターの手だと気付くには一拍必要だった。

 

「お願いってのは今回に限った事じゃない。また、何かあったら言ってくれて良いんだぞ?」

 

 かけられたマスターからの優しい言葉にまた瞳から涙がジンワリ溢れてくる。

 このタイミングでこれはズルい。

 せめてもの仕返しという訳ではないが、ここでマスターの言葉に甘える事にした。

 

「ぐすっ……じゃ、じゃあ、今一つ良いですか?」

「おう、なんだ?」

「私の事を名前で……名前で呼んで下さい」

「ははっ、なんだそりゃ。小さい頼み事だな。分かった。“静音”。これで良いのか?」

「もう一度! もう一度……お願いします」

「分かった」

 

 さっきは心の準備ができていなかった。私の意図を察してくれたマスターは私の準備をする間をしっかり作ってくれた。その間に呼吸を整え涙を抑える。そして私は目を閉じもう一度マスターから呼ばれるのを待つ。その声を、響きを、決して余す事無く聞き取るために。 

 

「静音」

 

 その声はまるで私の身体に溶けてしみ込むように、スッと胸の中を満たしていった。

 

 “静音”

 

 マスターから呼ばれたこの名前を自分の中に刻み込む。

 今日から私は“山背静音”なのだ。

 マスターから一番大切なものを貰えた喜びで再び涙が出そうになるのを堪える。

 この返事はそれを受け入れた事を示すために、そして“山背静音”として生きていく事を誓うためのもの。だから、

 

「はい、マスターっ!」

 

涙は止め、私のとびっきりの笑顔で答えるのだ。

 

「ふっ、まぁ気にいてもらえたみたいで……良かったよ。っと、そろそろ……ヤバい……悪いな、ちょっと……寝るわ……」

「はい、わかりました。おやすみなさい、マスター」

 

 マスターはそう言うと安らかな表情で意識を手放した。

 それからしばらく私はマスターの寝顔を見ながら頭を撫でていた。マスターから貰った名前の幸福感を感じながら。

 

 

 

————————

——————

————

 

 カチッ、カチッ、カチッ

 

 時計の針の音が鮮明に聞こえる。

 そう、こうして私は“山背静音”になったのだ。

 

『……っ!! (あれ? よく考えると私凄い大胆な事してた?! あれって普通に膝枕だったよね?! いや、でもでもでも、あれは非常時だった訳で! 決して私がそうしてあげたかったとか、そんな不純な理由じゃないし! べ、別に問題ない! ……よね?)』

「ん……んんっぅぅ……」

『っ!!』

 

 マスターの声で私の意識は再び今に戻ってきた。

 どうやらマスターはもうお目覚めのようだ。

 急いで手櫛で髪を整え身だしなみの確認をする。

 うん、今日も問題無さそうだ。

 体を伸ばしゆっくりと上体を起こすとまだ眠たそうに目を擦るマスター。

 マスターから名前を貰って以来、こうしたマスターとの日常の一コマがとても愛おしく感じられる。

 

『おはようございます、マスター』

「うんぅ……おはよう、サイレント・マジシャン」

 

 ただ、頂いたこの名前を呼んでもらえる日はまだ遠そうだ。

 

 

 

〜Case 1 fin〜

 

 

 

 Case 2 狭霧深影の場合

 

 曇天。

 

 それは空という巨大なキャンパスに今の私の心の内を描き出しているのかもしれない。或いは空は人の気持ちを映し出す鏡なのだろうか。少なくとも私個人が切り取って見た空一面は、余すことなくどんよりしたねずみ色の雲に覆い尽くされていた。

 

「はぁ……」

 

 ため息が溢れる。

 これは天気に引きずられてとか言うことではない。今日という一日はそもそも空を見る間もなく起床直後のため息から始まったのだから。

 仕事中に私情を持ち込むのはタブーなのだろうが、ため息をつくことぐらいは許してほしい。いや、許されるべきだと半ば自分に言い訳をしながら再びため息を零す。

 この様子を端から見てもわかる通り私は現在進行形で気が滅入っている。ここまで気が滅入るのは同居人と一緒に暮らし始めたばかりの頃以来かもしれない。あの時の彼のあからさまに他人を拒絶する心の壁の固さときたら『迷宮壁―ラビリンス・ウォール』なんて目じゃないものだった。今でこそ自然な会話ができるものの、あの頃は全くと言っていいほど反応がなく同居していて大変心に来るものがあった。

 自分のヒールの音がいつもより大きく感じるのは気のせいじゃないだろう。ここにイェーガー室長でもいれば間違いなくあの嫌らしい笑みを浮かべながら「悩みごとですか? 顔に小皺が増えますよ? ヒッヒッヒッ」とでも皮肉が飛んでくるところだ。

 

「…………」

 

 しかし目の前を歩くのはそんな苦手な上司ではなく自分の想い人。

 いつもなら側にいることが出来るだけでもささやかな幸せを感じているところだが、今日はどうもそんな気分になれない。果たしてそれは今日の気分によるものなのか、それともこんな自分などに目もくれないいつも通りの彼の態度によるものなのか。

 

「はぁ……」

 

 再びため息が零れた。

 

 

 

 

 

The sunken weather. 〜美人秘書の憂鬱〜

 

 

 

 

 

 前を歩く男、ジャック・アトラス。

 その男とどういう関係なのかと聞かれたら一言で彼の秘書であるという他ない。本音を言えばビジネスパートナーを越えた関係になりたいと言うところなのだが、今のところそんな関係にはなれそうも無い。

 そもそも彼は言うなれば国民的アイドルのようなもので、仮に両想いになれるような事があったとしてもお互いの立場と言う大きな壁が立ち塞がる。障害が大きい程燃え上がるのが恋なのだと乙女な妄想をしていた時期もあったが、そんなことしてもそもそもそんな舞台にすら立てていない現実が胸に突き刺さり虚しくなるだけだった。

 大体常にデュエルキングであろうとする彼の頭の中に恋愛の文字があるかどうかも怪しい。そこそこ顔は整っていると自負しているつもりだが、仕事で一緒の時に女として見られた事はない。女としての自信を無くしそうだが、逆に彼に女っ気が無いと考えればまだ救いはある。この辺りは同居人と同じ……なんて考えていた時期も私にはありました。

 女っ気なんてまるで感じられなく頭の中はデュエル一色で恋愛なんて縁の無さそうなあの八代君がこの前女の子を連れてきたのだ。アカデミアで友達の一人の話すら食卓で話題に上がらない彼が最初に連れてきたのが同世代の異性の子だったのだ。むしろ今まで友達の一人も居ないのではと心配していた私の気持ちを返して欲しい。

 そんな八代君が連れてきた女の子がまたとびっきりの美人でもう。ロングの白い髪は綺麗で艶があり一体どんなシャンプーとトリートメントを使えばああなるのだろうか。一切の汚れの無い純白の陶器肌も、整った目鼻立ちも、女性として出るところの出た理想のスタイルも、どれをとっても非の打ち所がない。唯一勝てたのは胸のサイズぐらいだろうが、彼女はまだ成長の可能性を残しているのだ。それもいずれは負けるかもしれない。話してみれば純朴な人柄が伺え八代君の事を真剣に想っているのが分かった。

 あの時は表面上大人の余裕を見せているつもりだったが、内心では動揺しっぱなしだった。そして二人の深い関係を知った時にはついにボロが出てしまいあのザマだ。

 しかもあの後は尚も悪い。友人を呼び出して昼間から居酒屋をハシゴしやけ酒を呷り泥酔状態で帰宅。そんな情けない状態をあろう事か八代君に介抱してもらっただなんて、思い出しただけで顔から火が出そうになる。おぼろげな記憶でものすごく顔を赤くしていた彼の表情が残っているが、彼がそんな状態になるなんて私は余程の醜態を晒してしまったのだろう。彼の中での私の大人な女性の像が一瞬にして砕け散ったのは想像に難くない。

 あれから数日経ったが、どんな顔をして八代君に会えば良いのか分からず落ち着かない生活をしている。彼の前では常に穴があったら入りたい状態だ。

 そんな中で舞い込んできたのが取材の仕事。その取材を受けるのがアトラス様ならば別段不思議な事ではないのだが、あろうことかその取材を受けるのは私だ。しかもその取材の記事は超有名雑誌のあの“月刊決闘者”に掲載されるのである。

 『デュエル関係の現場で働く美人特集』として取材されるらしいが、一体何を聞かれるのか分かったものでは無い。そもそもこの取材自体ドッキリなのではないかと疑っている程だ。

 そのような事が重なっていて今日はいつも以上に憂鬱なのである。これからの事を考えるとまたため息が溢れた。

 

「……い……り」

「……はぁ」

「おい!」

「はっ、はいっ! なんでしょうか?」

「まったく……俺の話を聞いていたのか?」

「申し訳ありません、アトラス様! その……考え事をしていて……聞いていませんでした……」

 

 気が付けばアトラス様がこちらを振り向き不機嫌そうに仁王立ちしていた。

 せっかく話しかけて頂いたと言うのにそれをぼんやりしていて聞き逃してしまうなんて、今日の私はやはりダメなようだ。

 急ぎ頭を下げ謝罪すると、彼はため息を吐きながらも話を続けた。

 

「……まぁいい。答えろ。最近の奴はどうなのだ?」

「八代君ですか? そうですね。相変わらずアカデミアでは無敗記録を積み上げているようです」

「ふんっ、それは当然だ。奴とはキングであるこの俺と引き分けた男。俺の手で敗北を下すまで敗北は許されん。そうではなく俺が聞きたいのは、奴は最近心踊らせるデュエルをしているかということだ」

「……さぁ、どうなのでしょう。そこまでのことは存じていません」

「そうか……」

 

 あの八代君とのデュエル以降、こうして大体一ヶ月おきくらいのペースで八代君の近況を聞かれる事がある。やはりあのデュエルはアトラス様にとっても大きな影響を与えているのだろう。

 ただアトラス様のデュエルを間近で見ていると思うのだ。未だにプロでこれ程までに華麗に勝利を収め続けている彼にとって、今も尚一介のデュエリストである八代君と言う存在は大きいのだろうか、と。確かに八代君も凄腕のデュエリストなのは間違いないが、デュエルアカデミアとプロの世界では勝ち続ける事の意味が違う。プロの世界の荒波にもまれ続けたアトラス様とデュエルアカデミアで勉強を続けた八代君ではこの3ヶ月の間のデュエルでの成長の度合いに開きが出来てもおかしくない。今八代君と戦ったら完勝できてしまうのではないかとすら思う。

 折角の機会だ。会話を続けるためにも思った疑問をぶつけてみる事にした。

 

「あの……お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「なぜそこまで八代君のデュエルの事情をお気になさるのでしょうか? あのデュエルから3ヶ月が過ぎました。その間にデュエルアカデミアで過ごした八代君とプロの世界で戦い抜いたアトラス様では、最早あの時よりも実力の差が開いているのではないでしょうか?」

「お前……奴と間近に居ながらそんなことも分かっていないのか?」

「え……?」

「お前も奴とデュエルをしたのなら感じなかったのか? どんな状況においても冷静なプレイング、そしてどんな手を使ってでも相手のライフを0にしようという奴の気迫を。あれ程の気迫を感じさせるデュエリストはこの町のプロにも居ない。奴はこのシティで唯一俺と同じ高みに立つデュエリストと言っても良いだろう。たかがその程度の環境の違いだけで奴との実力の差を開けられるのならば苦労はない」

「…………」

 

 まさかそれ程八代君が認められているとは、正直驚いた。

 アトラス様は八代君とのあの一度のデュエルで私は感じ取れなかった何かを感じ取ったのだろう。

 

「それに、だ。そんな奴の心を揺さぶる相手が居たとしたら、それは俺のこの乾き潤す可能性がある相手に他ならん」

「……仮に彼がそんなデュエリストと戦ったとしたらどうされるのですか?」

「無論そんな奴が居たとしたら、そのデュエリストと戦うまでだ。一時の渇きを潤す相手にはなるだろう」

「でも、不用意に一般人とデュエルする事は……」

「ふん、俺がプライベートで誰とデュエルをしようが勝手な事だ」

「ですが、アトラス様。お立場を……」

「そこまで俺の立場を気にすると言うならば、貴様らが情報統制を敷くなりするがいい!」

「……っ」

「お前には分からぬだろうな。この俺の渇きが……」

「アトラス様……」

「ここでのデュエルでは満たされぬのだ。熱く血潮を滾らせるようなデュエル。俺が目指すのはそんなデュエルで敗者の山を築き上げて君臨する頂点。こんなネオ童実野シティ(ゴドウィンの掌)などと言う小山のキングなどでは断じて無い!」

 

 この時、語気を荒げるアトラス様に私は何も言う事は出来なかった。

 基本的にアトラス様は命令される事を嫌っている。今の言葉からも分かるようにゴドウィン長官の思惑通り動かされている現状には不満を抱えているのだ。

 だけど私には確信があった。

 アトラス様はいずれ世界のキングになるお方である、と。尤もいくら私がそう言おうともアトラス様の気休めにもならないだろうが。

 

「だからそのためにもまずは奴ともう一度戦う必要がある。世界のキングを目指す前に、この町での頂点が誰なのか決着を付けなければ俺の気が収まらんからな」

「そこまで八代君の事を評価されているなんて……意外でした」

「当然だ。お前も見ていたのだろう? あのデュエルは少なくとも観客を魅せるエンターテインメントに興じる余裕などなかった。この俺が真っ向から全力で戦って、引き分けにしか持ち込めなかったのだ。これ程迄に俺を追いつめた奴などこの町のプロを見渡したところで一人も居まい」

 

 やはりそう言うアトラス様の目には八代君しか映っていない。

 

 ズキッ

 

 胸の奥に小さな棘が刺さったかのようなほんの少し痛みが奔る。

 この歳になるとこの痛みがなんなのか直ぐに見当がついた。

 八代君に嫉妬しているのだ。

 自分は想い人の視界に入れてすらいないのに、その視界を独占している彼に嫉妬しているのだ。歳を重ねても全く見当違いの醜い感情を宿してしまう自分が情けない。

 そんな醜い自分の気持ちにはそっと蓋をする。そうやって心の機微をコントロールして話を続けられたのもまた歳を重ねたおかげというのはおかしな話だ。

 

「……では実質この町でキングたるアトラス様に挑戦できるデュエリストは八代君だけ、ということなのでしょうか?」

「今のリーグの様子を見るにそうなるな。尤もこれは今の生温いプロの現状だけを見ての事だ。ひょっとしたらプロになっていないだけで、この俺に匹敵するだけの実力を持っている者もいるかもしれん。それにあいつがこの町に来れば或は……」

「…………?」

「ふっ、まだそれは無いか」

 

 アトラス様の言うあいつと言う人物には心当たりが無いが、何かを思い出して笑うその表情に私は見惚れていた。

 いや、そうだったと気が付いたのはアトラス様の声を再び聞いてのことだったか。

 

「む、そろそろ時間か」

「はっ! そ、そうですね! その……私はご一緒できませんが……」

「構わん。元々ピットまでの見送りなど必要ない事だ」

「……そう……ですか」

 

 やっぱりアトラス様の眼中に私などいないのだ。

 分かっていた事だが、こうして彼の口からはっきり“必要ない”と言われると気分が更に沈んでいく。

 立ち止まる私とデュエルへ向かっていくアトラス様の間の距離が離れていく。まるでそれが私とアトラス様の永遠に縮まらない距離を表しているようだと考えるのは悲観し過ぎだろうか。

 ガラス越しの空と同じで心の曇り模様は一向に晴れる兆しは無い。

 またため息が溢れそうになった時、ふと一定の間隔の足音が止まった。

 見るとアトラス様が立ち止まりこちらを振り向いていた。

 

「ただ、俺が戻るまでには終わらせておけ」

「……っ!」

 

 心臓がトクンッと跳ね上がる。

 別にこの言葉に深い意味がある訳ではないのは分かっている。ただそれでも自分が必要とされているような気がして嬉しかった。胸の奥から温かいものが込み上げてくるのを感じる。

 全く我ながら単純なものだ。先程までの言う憂鬱な気分はそれだけですべて吹き飛んでいた。

 

「はいっ!」

 

 私の返事を受けるとアトラス様は歩き始める。

 いつも見送っている大きな背中。

 いつもピットで私は帰りを待つ。

 いつも彼は勝利して戻ってくる。

 今日もきっとそうだろう。

 だから、私も彼にいつも通りの言葉を贈ろう。

 

「……いってらっしゃいませ、アトラス様」

 

 

 

〜Case 2 fin〜

 

 

 

 Case 3 十六夜アキの場合

 

 ぴちゃ

 

 滴が床に落ちる。

 もう何度目かも分からない落下した赤い滴は床に小さな水溜りを作っていた。

 

 「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 体が重たい。

 裂けた米神の傷は浅く痛みも少ないのだが、頬を伝い床に流れ落ちていく血は止まる気配がない。

 いや、感覚が鈍くなっているだけで本当は傷が深いのかもしれない。

 浅くなった自分の呼吸の音がなんだか遠くに感じる。

 少しでも気を抜けば倒れてしまいそうだ。

 

「どうした十六夜? 辛そうじゃねぇか」

 

 どうしたもこうしたもあるか。

 今も尚意地の悪い笑みを浮かべた目の前の男を睨みつける。

 くすんだ金髪だが高身長で手足は長くモデル体型。顔も整っており目を閉じて立っているだけなら女性受けしそうだ。だがその見開かれた瞳の奥に灯る獰猛な輝きを見た者はこの男に軽々しい気持ちで近づくまい。

 

「おぉ、おぉ、怖い怖い。そんなおっかない顔で睨みつけんなよ。綺麗な顔が台無しだぜ? くくっ」

 

 もはや言い返すだけの気力も体力も残っていない。

 そして今の自分のあり様を表すように残りのライフも僅かだった。

 

 

 十六夜LP600

 

 

「"相手のライフを0にするなんて、自分のライフが1でもあれば十分"、だっけか? 確かにそれは間違ってねぇ。だけどな。お前のデュエルの中にはその言葉を放つだけの勝利への意志も気概も感じられねぇ」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「それに、そもそもデュエルに迷いがあるお前じゃあ、これが限界だ」

「……っ!」

 

 このときの表情は相変わらずだったが目だけは笑っておらず、こちらに向けられる心が底冷えするような視線に思わず体が萎縮する。

 そして悔しいがこの男の言っていることは間違っていない。

 初めて私と向き合ってくれたあの先輩とのデュエル。あれ以降どうしても自分の力で相手を傷つけてしまう恐怖が自分のデュエルに歯止めをかけてしまっている。自分を救ってくれたディヴァインのためにこの力を使おうと心に決めたはずなのに、力を使おうとするとどうしてもあのデュエルが脳裏を過って力が出し切れない。この迷いこそがこの男の言う通り今の結果なのだろう。

 

「まぁ、おしゃべりはもう良いか。終わらせてやるよ」

 

 相手の勝利宣言に抗うように私の場の『ブラック・ローズ・ドラゴン』は猛々しい声を上げる。相手と私の間に立ち塞がり、まるで私を庇うように薔薇の花弁の翼を広げる。

 私の場には他にセットカードが1枚のみ。手札は既に尽きている。

 対する相手の場にはこれから暴虐の嵐を引き起こさんと唸り声を上げる雄々しき巨竜が一体。こちらと同じくセットカードは1枚で手札は3枚。

 状況は圧倒的劣勢。端から見る人はこのセットカード次第で勝負が決まると思うことだろう。

 そして対峙する私には分かっている。このデュエルは既に詰んでいると。

 

「バトルだ。やれ」

 

 その一言が最後のバトルの火蓋を切った。

 だらりとぶら下がった両腕を地面に着け獰猛な雄叫びを上げる巨竜。口腔からは蓄えられていく白炎の光が溢れ出始める。地面に着いている両手両足の鋭い爪は深く突き刺さり、周りに亀裂を走らせていた。

 そして巨竜の手足の筋肉が一瞬膨らんだのと同時に、口に溜められた膨大な炎が『ブラック・ローズ・ドラゴン』を焼きつくさんと放たれる。

 

「攻撃宣言時トラップ発動、『炸裂装甲』。その攻撃モンスター1体を破壊する」

 

 無駄な事だと言うのは分かっている。だけどやれるべき手を打たないで終わる事だけは嫌だった。そんな意地が最後に私にこのカードを発動させた。

 『ブラック・ローズ・ドラゴン』から迫り来る炎に向けてそれを弾き飛ばそうとするオーラが迸る。それを受け一瞬押し戻されそうになる巨竜の炎。

 だが、

 

「無駄だ」

 

その一言だけだった。

 巨竜の額に埋め込まれた大きなエメラルドの宝玉が輝く。

 只それだけで、私の場で面を上げた『炸裂装甲』のカードは音をたてて砕け散った。

 これで『ブラック・ローズ・ドラゴン』に襲いかかる炎を遮る者は無い。そう、そしてそれが『ブラック・ローズ・ドラゴン』の最期だった。体を覆い尽くすように炎は広がり『ブラック・ローズ・ドラゴン』の体は砕け散り、その衝撃で私は大きく後ろへ吹き飛んだ。

 

「ぁぐっ!」

 

 壁に激突したのか、肺から強引に酸素が押し出される。体全体の痛覚が刺激され、最早どこを怪我しているのかも分からない。

 最後の気力を振り絞って顔を持ち上げると、

 

 目の前を炎が埋め尽くしていた。

 

 そしてその光景がこのデュエルの最後の記憶だった。

 

 

 十六夜LP600→0

 

 

 

 

 

 Modest my wish. 〜黒薔薇の煩悶〜

 

 

 

 

 

「…………」

 

 見慣れた天井。

 このシミひとつ無いこの天井がまたあの男に負けたことを教えてくれる。

  消毒液の匂いがするこの部屋で目覚めるのは10回を超えてから数えるのを止めた。

「ん……」

 

 体を起こそうと四肢に力を込めてみるがやはりまだ体が重い。それでも無理矢理に腕に力を込めて体を起こすと、ベッドの足元の壁にある大画面モニターのスイッチを入れる。

 鏡面のようにこちらを反射して写していた真っ暗だった画面は、電源が入ると同時に白い画面に切り替わり、数秒後目的の人物に繋がる。

 

【目覚めたようだね、アキ。調子はどうだい?】

「……まだ体が重いわ」

【……そうか。今日は訓練も調整も無い日だ。ゆっくり休むといい】

「うん……ねぇ、ディヴァイン?」

【ん? どうした?】

「私、どれくらい気失ってたの?」

【そうだな……今が10時だから、丁度半日ぐらいかな】

「そう……」

 

 半日。

 これでも寝込む時間は減った方だ。初めてデュエルした日なんて丸2日目覚めなかったらしい。

 それはあの男が手を抜いてくれているのか、それとも痛みに耐性が出来てきたのか。出来れば前者だと思いたいが、相手はあの男だ。それはないだろう。

 

「…………」

 

 デュエルを思い出していると手が震えていることに気がつく。

 この力を振るわれる相手というのはこんな恐怖を植え付けられるのだと、もう何度もこうして私は身を以て体験している。

 

【そうだ、お腹が空いただろう? 何か軽い食事を持って其方に向かおう】

「ありがとう」

 

 それから5分程経つととドアをノックする音が響く。

 どうぞと告げると横開きのドアが開きディヴァインがやってきた。

 

「うん、モニター越しで見るよりも顔色は良さそうだ。食べられるかい?」

「大丈夫、ありがとう」

 

 ディヴァインがトレーで運んできてくれたのはメロンパンと紅茶だった。

 カップから立ち昇る茶葉の優しい香りは自然と心を落ち着けてくれる。まだ口に含むには少し熱かったがそれを堪えて軽く呑んでみると、仄かな甘みと共により濃厚な香りが口に広がり、そしてそれが食道を通り胃に流れると体全体がぽかぽかと暖まってくるのを感じた。

 

「どうだい? 知り合いの喫茶店のマスターおすすめのアールグレイで、なんでも心まで温まるらしいんだが」

「えぇ、とても美味しいわ。温かい……」

「そうか、それは良かった。あのマスターには今度お礼を言っておこう」

「…………」

 

 もちろん美味しかったし体も温まったが、心まで温まったのはこの紅茶のおかげだけではない。

 ディヴァインの心遣いが私の心を温めてくれているのだ。

 尤もそんな事を面と向かってなんて恥ずかしくて言えたものではない。

 

「あぁ、あとこのパンも直ぐ食べると良い。近くのベーカリーの焼きたてのものだ。まだ温かいはずだよ」

「わざわざ買いにいってくれたの?」

「なに、大した手間じゃないさ」

「ありがとう、頂くわ」

 

 ディヴァインの言う通りメロンパンを手に取ってみると、その表面は人肌以上に温かかった。

 一口サイズに千切ると甘く香ばしい香りがふんわりと広がり食欲を刺激する。唾液が口の中で溢れてくるのが分かった。

 気が付けば甘い香りに誘われるように私は一口目を口に運んでいた。

 サクサクとした外の皮とふわふわしている中の生地の2つの食感が口の中で交互にやってくる。しつこ過ぎない絶妙な甘さで仕上げられ、口の中で消えた後はまた直ぐに二口目を食べたくなる、そんな味だった。

 

「……美味しい」

 

 一口食べ終わると自然にそう口にしていた。

 そんな私の姿を見ていたディヴァインは満足そうな笑顔を浮かべて「そうか、良かった」と言ってくれた。

 食べている姿を見られ続けると言うのもなかなか恥ずかしかったが、折角ディヴァインが持ってきてくれたメロンパンを残すつもりもなかったので、たまに紅茶を挟みながら食べていった。

 

「ごちそうさま」

「こんなに急いで食べきるとは……そんなに気に入ってもらえたのかな?」

「……うん」

「それは何よりだよ。前にアキの好物だと聞いていたからね」

「覚えていてくれたの?」

「あぁ、もちろん」

「…………」

 

 やっぱりディヴァインは優しい。

 行く宛を失っていた私に居場所を与えてくれただけでなく、私のことを良く見てこうして配慮をまでしてくれる。その上私の嫌うこの力が制御できるようにするための研究までしてくれている。

 ディヴァインは私がこの力が制御できるようになったらその力を貸してくれれば良いと言ってくれている。だけどそれでは貰ったものを返しきるにはとてもじゃないが全然足りない。それに私の力を制御するための調整の進捗も芳しく無く、デュエルではあんなことを繰り返して一向に強くならない。

 そんな後ろめたさがあるせいで、ディヴァインに優しくしてもらう度に自分にはそんなことをしてもらう資格がないような気がして、どうしても気が滅入ってしまう。

 

「……何か悩み事かい?」

「…………」

「私でよければ話してごらん。私はアキのためならいくらでも力を貸すよ」

「……違うの」

「…………?」

「悩みとかじゃなくて、ただ自分のことが嫌になってるだけ」

「……何があったんだい?」

「…………」

「……いや、やはり私には話し辛いことだったかな。すまない、無神経に聞いてしまって。少々鬱陶し過ぎたな」

「っ! そんなことない!! ディヴァインは良くしてくれてる! こんな私を拾ってくれた上に色々手を回してくれて!」

 

 違う、そんな顔しないで。

 今ディヴァインの表情を曇らせているのは私だ。

 こんなに色々迷惑をかけておきながら、その恩人にこんな顔をさせてしまう自分が許せなくて。

 何か彼のためにしようとするも上手くいかない現状がもどかしくて。

 何も出来ない自分が悔しくて。

 思い悩めば思い悩む程ディヴァインに気をつかわせてしまう自分が惨めで。

 気が付けば感情が爆発していた。そんなつもりは無かったのに目からは涙が溢れていた。

 

「そうじゃなくて……私っ、ディヴァインに何も返せてないっ!……力の制御も上手くいってないし……デュエルだって……」

「アキ……」

「っ!? で、ディヴァインっ!?」

 

 突然、ディヴァインに抱き寄せられ心臓が跳ね上がるのが分かった。

 こんな事をしてもらえる資格なんて無いと思っていたはずなのに、体は自然と彼に預けられる事を受け入れていた。安心させるように頭を撫でる手が心地よくて、荒れ狂っていた気持ちの波がゆっくりと収まっていく。

 

「君はよくやってくれているよ。君のおかげでこの力がどんなメカニズムで発現するのかも分かってきたし、デュエルもあのシュウ相手に毎回よく戦ってる。ありがとう。そして、すまなかった。もっと早くこうして感謝の気持ちを伝えていれば、君にそんな心労を煩わせることも無かっただろう」

「……ううん」

 

 ディヴァインの体の温もりが服を通して伝わってくる。

 温かい。

 彼のゆったりとした呼吸のリズムが私の乱れた呼吸のリズムを整えていく。

 一体どれくらいそうしてもらっていたのだろう?

 頭を撫でる手が止まり、耳元でディヴァインが優しく問いかけてきた。

 

「……落ち着いたかい?」

「……うん。もう大丈夫」

「そうか」

 

 抱き寄せられていた体がゆっくり離されていく。心残りのせいで声が漏れそうになったが、流石にこれ以上ディヴァインの優しさに甘えるのは許せなかったのでなんとかそれを封じ込める。

 

「そう言えばデュエル中シュウが言ってたが、何か迷ってることがあるのかい? 折角の機会だ。アキが良いなら、それも聞かせてくれないか? 何か力になれるかもしれない」

 

 まったく、本当に私の事を見ててくれる人だ。

 先程まで恥ずかしい姿を見せていたので、今更隠し立てしようとも思わず、すんなりと今の自分の中の迷いについて話せた。初めて私と向き合ってくれた先輩とのデュエルの事、それ以来デュエルをする時に相手を傷つける事を恐れ自分に歯止めがかかっている事、そしてそのせいでいくらディヴァインのために力を奮おうにも満足に力が出し切れない事。

 全てを吐き出してしまうと胸のつっかえが取れすっきりした。

 

「そうか、そんなことが……なるほど、納得がいったよ。アキのデュエルの調子が出ない理由が」

 

 私の話を全て聞き終えると、ディヴァインは優しく話し始めた。

 

「確かに私は、アキの力が制御できるようになったら、力を貸して欲しいと言った。だけどね。それは今直ぐという事じゃない。私の目的に立ち塞がるものが現れた時が来たら、その時で良いんだ。だから今そうやって私のために力を使おうなんて悩まなくて良い」

「…………」

「私はこれからもアキを全力でサポートして力が制御できるようにするつもりだ。けど、それには時間がかかる。アキにはそのためにまだデータを取るためにデュエルをしてもらわなければならない。相手を傷つけてしまう事は勿論あるだろう。でも、それはアキの力をコントロールするために必要な事なんだ。だから、今は辛いかもしれないけど、デュエルと真っすぐ向き合って欲しい」

「デュエルと……向き合う……」

「あぁ。……すまないな、アキ。私は君の力になるとか言いながら、これじゃあ君の悩みの根本的な解決になっていない。結局の所君にまたデュエルを強いてしまうのだから」

「ううん。大丈夫。悩んでいた事をディヴァインに分かってもらえただけでも十分嬉しかったから」

「そうかい? それなら良かった」

 

 私がそう答えるとディヴァインは安心したように笑った。

 

 これで良い。

 

 これ以上はディヴァインに迷惑はかけられない。

 それに嬉しかった事は本当だ。今なら迷い無くデュエルと向き合える気がする。

 

「まったく、アキは色々と自分の胸の内に溜め込み過ぎてるきらいがあるな。思えばここに来てからこれと言った頼み事もされていないし。何かしたい事は無いのかい?」

「私が……したいこと……?」

「あぁ。無理ではない内容なら私が実現してみせよう」

「…………」

 

 私自身がしたい事。

 そう言われて真っ先に浮かんだのは、やはりあのデュエルの光景だった。

 普通だったら私の力を見た途端に逃げ出すのがほとんどで、極稀に力を見ても戦い続ける人もいたけど、結局は傷ついて倒れてしまうかのどちらかしかいなかった。

 けれどあの人はどれだけボロボロになっても決して諦める事無く、私とのデュエルに最後まで向き合ってくれた初めての相手だった。

 しかも最後の局面、手札は0枚、フィールドも圧倒的劣勢の土壇場であの先輩は言いきったのだ。

 

 

 

————————そういや………これ授業だったな……

 

 

 

————————だったら……一つ……授業らしく…指導してやるよ、後輩……

 

 

 

————————良いか…相手のライフを0にするなんざ……俺のライフが1でもありゃ十分ってことだ!

 

 

 

 衝撃的だった。

 あの状況で尚も瞳の中の闘志は衰える事無く、こちらを射抜く視線だけで伝わってきた気に体が震え上がったのを今でも覚えている。

 そして宣言通りそのターンで逆転され私は清々しい程に綺麗な負け方をした。

 それからだ。私の中で小さな望みが出来た。

 

 “叶う事ならもう一度あの先輩とデュエルがしたい”

 

 けれど力の制御が出来ていない今はだめだ。またあの人を傷つけてしまう。

 

 だけど……

 

 だから……

 

 せめて……

 

「…………」

「…………」

 

 ディヴァインは私が答えるのをただ静かに待っていた。

 こちらを見る目は言っている。

 

 “言ってごらん”と

 

 それに促されるように私は自然と口を開いていた。

 

「もし……もし、叶うなら……」

「…………」

「私は……もう一度……もう一度、あの先輩のデュエルが見たい」

 

 数瞬の間。

 果たしてこの私の願いが叶うのか。

 私は緊張しながらディヴァインの返事を待った。

 

「……そうか。分かった。アキがそれを望むなら、それを叶えよう」

「っ! ……ありがとう」

「ただ、私たちがデュエルアカデミアで彼のデュエルが見れる機会となると、次のデュエルアカデミアの公開授業という事になるだろう。それまで待ってくれるかい?」

「うん、大丈夫」

 

 ディヴァインの許しが出た。それはつまり先輩のデュエルが見られるという事で、そう思うと胸の中が少し温かくなったのを感じた。

 今度は先輩と向かい合ってデュエルをする訳ではない。デュエルをする事と比べたら私の願いはとても小さなものだろう。

 けど、デュエルで私に大きな衝撃を与えてくれたあの先輩のデュエルを見たら、何か変わるかもしれない。

 先の見えない生活の中で、それは私にとっての小さな希望の光になった。

 

 

 

〜Case 3 fin〜

 

 

 

 Case 4 ???の場合

 

 魔法族の里。

 そこは魔法使い族モンスターが暮らすのどかな里。太い木々が広い間隔で立ち並び、葉の隙間からは優しい陽光が降り注ぐ。里の中の住居は木の根元に掘られた穴を利用したり、巨木の中をくりぬいて作られていたりと自然その物に溶け込んでいる。

 そんな里にある他の家よりも大きな住居の中。時節笑い声が起きる和やかな話し声があった。一人は気品がある落ち着いた女性の声。もう一人は嗄れた声の男性のものだ。

 

「ふふっ。あらあら、そんな事があったのですか」

 

 包容力がある笑みを浮かべる美女。手で口を隠すその挙措だけでも気品を感じさせる。光を優しく吸い込む雪肌に艶のある長いブロンドの髪、深みのあるサファイヤのような瞳は精巧に作られた人形のようだ。金の刺繍のなされた紺のドレスは木造の質素な部屋の内装から浮いて見える。棚の中にクロブークが置かれている事から察するに彼女は聖職者であるのだろう。

 

「ほっほっほっ、長い事色々な窓の外を眺めてきたつもりじゃが、あれはなかなかに愉快な男じゃの」

 

 向かい合うのは皺苦茶な青い肌の顔を歪ませる老人。目は赤い光を宿しており、その姿は人の形をしていながら人の域を逸脱している。紺の僧衣から出ている細身な体は少し風が吹けば折れてしまいそうな程弱々しく見えるが、体から発せられる覇気がこの老人がただ者ではない事を物語っている。

 

「他にものぉ、彼奴のデュエルを窓から覗いとって大層愉快だったのは青いウニ頭の大男とデュエルした時じゃったかのぉ。最初に呼び出されたときはなかなか苦しそうな流れを感じたのじゃが、最後に呼び出されたときは一気に盤面をひっくり返してみせおった。一度のデュエルの中で複数回呼び出される事は珍しい事も相まって、あの時は窓から外を眺めながら年甲斐も無くこう血潮が沸き立ってしまったわい。ほっほっほっ」

「まぁ、それは珍しいですね。窓を複数入れられる子ならばまだしも、先生程の腕ともなると窓は1枚のみ。それなのにそんな経験が出来るだなんて。羨ましいですわ」

「いやいや、君も今となってはきれいな女性。窓の外を眺めれば心躍らせる経験などそこら中に転がっておるじゃろう?」

「ふふっ……そうだといいのですが。窓の外を見てもガラスケース越しにデュエリストを眺めたり、観賞用に手元に置かれるばかりで、なかなかそう言う経験とは縁がありませんわ」

「むぅ……そいつは気の毒じゃのう。君の能力ならば十分に戦えると思うのじゃが」

「お世辞として受け取っておきますわ。あっ、お茶が切れてますね。直ぐに御持ちします」

「あぁあぁ、よいよい。楽しくて大分話し込んでしもうたが随分と時間が経ってしまったようじゃ。そろそろ御暇するでのう。また機会があったらお邪魔させておくれ」

「あら、そうですか。えぇ、その時はまたいらっしゃって下さい」

「うむ、では失礼する」

 

 そんなやり取りを後に老人は座禅を組んだまま宙に浮き、扉を開けて部屋を出て行った。女性はそれを扉まで出向き見送る。聖母のような笑みを浮かべて手を振るその姿はこの世の男性全てが憧れるワンシーンに違いない。きっちり老人の背中が見えなくなるまで見送るとようやく扉を閉める。

 入ってすぐのリビングのテーブルには二人分のマグとポットが置いてあるのが真っ先に目に入る。

 

「ふぅ……」

 

 老人の相手をしていたのに大変だったのか、疲れたように目を伏せ一息つく女性。それから大きく息を吸い込み深呼吸でも始めるのかと思えば、

 

 

 

「あ゛ぁぁぁ!! うっざっ!! なんなのあのジジィ!? 社交辞令でお茶を勧めてやったら図々しく上がり込んだ上、自慢話で二時間も私の貴重な時間を拘束しやがって!!」

 

 

 

怒りが爆発した。

 先程まで柔和な笑みを浮かべていた女性とはまるで別人。温厚な雰囲気は息を潜めビリビリと伝わってくる殺気。両目はつり上がりこめかみには怒りで血管が浮き上がっている。美人が怒ると怖いとは言うが、この豹変ぶりは最早二重人格者を疑ってしまう程だ。だが、心なしか先程よりもギラギラと輝く瞳は生き生きとしているような気がする。

 こんな木製の扉では声が外に漏れてしまいそうなものだが、次の一幕でそんな心配は杞憂であったと思い知らされる。

 

「だいたいあのジジィ……」

「おーっす、姉さーん! 今いる……」

「あ゛ぁ?!!」

「ひぃぃっ!!」

 

 なんとも間の悪い少女。

 この少女と言う尊い犠牲から分かるように、ドアの外には音は一切漏れていないようだ。

 快活な挨拶と共に扉を開けた少女の笑顔は次の瞬間には真っ青に変貌した。鋭い瞳で睨みをきかせ振り返った女性とその少女の様はまさに蛇に睨まれた蛙の構図その物。

 

「…………」

「…………」

 

 僅かな沈黙。

 後にこの少女が語る厄日はここから始まるのだった。

 

 

 

 

 

 Flood of complaints. 〜聖職者の酩酊〜

 

 

 

 

 

「ま、また出直してきます……」

 

 最初に口火を切ったのはうっかりやってきてしまった少女だった。

 口から時節顔を覗かせる八重歯にキリッとした吊り目な顔からも普段の快活さが見てとれるが、今それはなりを潜めている。少し癖のある肩まで伸びた赤いミディアムヘアも萎縮して見えるのは気のせいではないだろう。

 少女はそのまま顔を引きつらせながら扉のドアノブに手をかけ家を出ようと動く。

 

「……良いのよ、遠慮しないで。上がっていきなさい?」

「っ?!!」

 

 まさに瞬きする間の出来事だった。

 ブロンドの髪の女性は5メートルはあったであろう少女との距離を一瞬で詰め、ドアノブを掴む少女の腕を握りしめていた。

 少女はその動きの気配すらも感じ取る事も出来ず、驚愕の表情を浮かべていた。

 

「っ……は、はい」

 

 ドアノブを掴んでいる方の腕を握りしめる力が徐々に強くなっていくのを感じた少女はおずおずとその手を離す。

 暗に自分が言わんとしていた事が伝わった事に満足したのか、優しい笑みをその少女に向ける女性。笑顔は相手を威圧するものだと分かったと後にこの少女は語る。

 女性は少女から一旦視線を外すとドアの方に顔を戻した。身の危険を最大限まで感じ取った少女はその間にジリジリと女性から距離をとっていく。

 

 

 

 ガチャ

 

 

 

「っ!!」

 

 冷たい金属の施錠される音が少女の心臓を鷲掴みにした。

 ドアに鍵をかけたこの女性が未だに振り返らないでいるこの状況を前に、自分の断罪の刻が秒読みに入っている事を感じ取った少女は滝のような汗を流していた。

 そうして地獄の底から這い出てきたようなドスの利いた声が口の扉をこじ開ける。

 

「ヒィィタァァァ!! ドアを開けるときはノックしろっていつも言ってるよなぁ?!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

 

 見るもの全てを震え上がらせるような形相を浮かべた女性に対してヒータと呼ばれた少女は見事なまでのジャンピング土下座を敢行。額を床に擦り付けながら謝り続ける。

 それに追い討ちをかけるように女性は距離を音も無く詰めると、その頭をグリグリと踏みつける。

 

「なんど言ったら覚えるんだぁ?!! いい加減体に教え込んだ方が良いのか?!! っていうか寧ろそうしてくれってフリなのか?! あぁん?!!」

「ひぃぃっ!! ち、ち、違います! なんて言うか、俺馬鹿だからここに来る時いつも忘れちゃって……本当にごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!!」

 

 頭を踏まれる中、額を何度も床に打ちつけ悲鳴のような声で謝り続ける光景がいつまで続いた事か。頭を踏みつけるのに飽きたのか最後に一際強く頭を踏みつけた後、ゆっくりと足をヒータの頭から上げられてく。

 

「……そぉかよ、分かった」

「……あ、姉さん」

 

 ぶっきら棒にそう告げた女性からようやく許しを得られたのかと、瞳を僅かに濡らしながら、それでも安堵した表情を浮かべてヒータは顔を持ち上げる。

 

 

 

 そんなヒータが顔を上げて最初に目にしたのは顔面に迫り来る掌だった。

 

 

 

「つまりテメェのチンケな頭にはまだ眠ってる脳細胞がたんまり居るってことか。ってことはそいつを起こしてやれば良いんだな?」

「ギャァァァ!! いだだだだっ!! 姉さん、イテェ!! そ、それじゃ脳細胞が墓地に逝っちまうよぉ!! あぁぁぁぁだだだだっ!!」

 

 アイアンクロー。

 それは掌全体を使い相手の顔面を掴み、指先で握力を使い締め上げる強烈なプロレス技だった。

 その指先には一体どれ程の力が込められているのか。ヒータの顔面からはミシミシと聞こえてはいけない音が鳴り始めていた。

 さらに恐るべきはこの女性、アイアンクローでヒータの頭を掴みながら徐々に彼女の体を引き上げ、彼女をつま先立ちの状態まで片手で持ち上げていると言う事だ。

 

「あぎぎぎぎぎぁぁぁあぁ!!! ダメだっ! 死ぬ!! 死ぬぅぅぅぅぅ!!」

「うるせぇ!! テメェにはこんくらいの仕置きが必要だろうが!! オルァァ!!」

「ぎゃあああああ!!」

 

 こんなやり取りが結局ヒータの意識が飛び泡を吹くまで続いたのだった。

 

 

 

————————

——————

————

 

「ぐすっ、いてぇ……いてぇよぉ……」

「ったく、少しは反省しろってんだ」

「頭が……頭が割れるぅぅ……」

 

 頭を抱えながらテーブルに突っ伏し呻き声を上げるヒータ。目の前に座るブロンドの髪の女性は腕を組みながらその様子を見下ろしている。アイアンクロ―の刑は終わったようだがまだ機嫌は悪そうだ。

 しかし未だに頭の痛みで半泣き状態のヒータを見て、流石にやり過ぎたと思ったのか盛大なため息を吐くとおもむろに立ち上がる。

 

「しょうがねぇなぁ……」

「……姉さん?」

 

 立ち上がった女性は部屋の隅の調理スペースに向かうと、そこに置いてある食料庫らしき戸を漁り始める。一体何が始まるのかと不思議そうな顔でヒータは頭を上げてその様子を見ていた。

 

「本当はお前になんて勿体ねぇもんだが、特別に恵んでやるよ」

「えっ?! もしかしてマドルチェ・シャトーの限定スイーツ??」

「お前……現金な奴だな。……もっかい喰らっとくか?」

「あだだだだだ!! 急に痛みがぶり返して! あぁぁぁ死にそう! もう墓地に逝くぅぅ!!」

「どうだかな。はぁ……まぁいい。おっ、あったあった、これだ」

「っ!? あ、姉さん? これ……?」

 

 女性がドンッとテーブルに置いてみせたのは朱色の巨大なビンだった。その胴には白いラベルが巻き付けられており、そこには達筆な書家が書いたような筆文字で堂々と文字が書かれていた。

 

「“赤鬼ころし”。裏のルートでこの前仕入れた酒だ。噂じゃ酒呑童子や八岐大蛇もこいつを呑めば一発で昇天らしい。ずっと楽しみにしてた一品だ。あん? どうした? なんだか顔が青いぞ?」

「え、いや……その……」

「あぁ、まさかこんな名酒が飛び出してくるなんて思ってなかったから驚いてんのか。良いって、遠慮すんな。さっきはやり過ぎちまったからな。笑えって、ほら」

「あっ、あはははー」

 

 スイーツを期待していたところに出されたのが、まさかの酒の一升瓶。渇いた笑い声を上げるヒータの目には既に光は宿っていなかった。一方のこの女性はと言うと“赤鬼ころし”の瓶を見て気分が上がってきたようで、台所からたくさんのつまみを取り出していた。

 

「よーしっ! んじゃ今日は飲み明かすぞ!」

「あぁ……エリア、ウィン、アウス、ライナ、ダルク……俺、もう帰れそうにない。ごめんな、きつね火。帰って遊ぶ約束はもう守れなさそうだ……」

「あん? 何ぶつぶつ言ってんだ?」

「な、なな何でもないです本当なんでも!」

「そうか? まぁいいや。ほら」

「あっ、ありがとうござい……ま……って姉さん? これって、普通にグラス……ですよね?」

「ん? そうだが?」

「これ、日本酒ですよね? お猪口とかじゃ……?」

「別に入れるもんなんてどうでもいいだろ。なんか文句あんのか?」

「い、いえ! そんな滅相も無い! 入れるもんなんてどうでもいいっすはい!」

「だろ? まぁグラス出せ。注いでやる」

「あ、ありがとうございます。…………っ!!」

 

 迫のある女性のお酌を断れる訳も無く、出したグラスになみなみの“赤鬼ころし”が注がれていく光景を見て顔を青くしていくヒータ。せめてもの反撃をとヒータも差し出されるグラスになみなみと“赤鬼ころし”を注ぐが、女性は寧ろ注がれる光景を見て恍惚な表情を浮かべていた。

 

「うっ! じゃあ良い酒の準備もできたことだし、乾杯っ!」

「か、乾杯……」

 

 グラスをあわせるとそれぞれグラスに口をつける。

 ブロンドの髪の女性は喉を乗らす程の大きい一口、ヒータは恐る恐ると言った様子で小さく口に含んだ。

 

「かぁ〜〜っ!! 効くなぁ、これ! だけど口当たりは抜群に良い! ついつい呑んでるうちにころっといっちまいそうだ! 良い酒じゃねぇか!」

「うきゅぅ〜…………」

「なんだ、情けねぇ。一発でダウンかよ」

「み、水をぉ……お水をぉ……下さい……」

「……ちっ、待ってろ」

「す……すいません……」

「全くだ。だらしねぇ。こんなにうめぇのに」

「あ、姉さんは……やっぱりザルっすよ……」

 

 別のマグに入れてきた水を受け取ると、ヒータは体内のアルコールを薄めるように一気に水を呷る。然も自分のグラスの中身も水と言わんばかりに女性も酒を呷る。それを見てヒータは再び顔を青くしていた。

 ブロンドの髪の女性はヒータのマグの水が無くなったのを見て、湯冷ましの入ったヤカンをキッチンから持ってきた。

 

「まぁ、水でも良いから愚痴ぐらいは付き合えよ」

「うっす……そういえば俺が来る前にサモプリの爺さんが来てたみたいっすけど、なんかあったんすか?」

「そうだ、そうなんだよ! 聞けよヒータ! ちょっとの用でこっちに顔見せたって言ったから、立ち話もなんだし家の中勧めたらよぉ。あのジジィ自慢話を延々語って私の貴重な時間を二時間も奪っていきやがったんだ!!」

「あぁ〜だから俺が来た時、姉さんブチ切れだったんすね……」

「大体あのジジィ、色んな所から引っ張りだこだからって調子乗りやがって! 何が『最近ではHEROにも挑戦してみてのぉ。最初は無理じゃと思ってたんじゃが、やって見るとこれが以外に楽しくてのぉ』だ! テメェ歳考えろってんだ! あんなのおとなしくシンクロ素材になって墓地に逝くかオーバーレイユニットにでもなってろっての!」

「あの爺さん今HEROなんかやってるんすか? この前ウィンもハーピィの方で駆り出されてるって聞いたって言ってたし、やっぱり凄いっすねぇ」

「あぁ?!」

「ひぃぃっ!! な、なんでも無いっす! 全然爺さんなんか凄くないっす! それに姉さんの方が断然パワーあるじゃないっすか!」

「……おい。ヒータ、そりゃあたしが只の脳筋バカって言いてぇのか?」

「ち、違うっす! アイアンクロー強過ぎで頭割れるかと思ったけど断じてそう言うことではないっす!!」

「ちっ……」

 

 先程のアイアンクローのことを出されると強くは出れなく、腹立たしげに舌打ちを一つ。その後、グラスの酒の残りを一気に飲み干すと再びなみなみまで“赤鬼ころし”を注ぐ。そんな光景を見てももう慣れたのか、はたまた呆れながら諦めたのか、ヒータはいよいよ顔色一つ変えなかった。

 

「でも正直爺さんが羨ましいっす。それだけ色々な所に呼ばれてれば、窓の外の景色も面白そうで」

「そりゃあ……な。だけどお前らも最近は割と色々窓の外は面白いことになってるって聞くじゃねぇか」

「ん〜どうなんすかね。確かに前よりも色々な人が窓の外でデュエルしてるのは見えるんすけど……まだ門契約をしようと思える所は無いっすよ。それにそれを言ったら姉さんだってこの前はなんだか嬉しそうにしてたじゃないすか」

「あの時は……まぁな」

「あっ! 今なんだかいい表情してたぞ! 姉さん、ひょっとしてっ!」

「はっ、違ぇよ。そんなんじゃねぇ。あん時にちょっと懐かしい顔にあってな。元気そうにしてたからよ」

「懐かしい顔? それって前言ってた姉さんの幼馴染みの人?」

「ん? よく覚えてんな、そんな話。あぁそうだよ」

「そりゃあ覚えてるよ! だって門契約(ゲート・ギアス)をむすんでそのまま駆け落ちした人だろ! まさに女の子の理想の門契約! くぅ〜俺もそんなロマンチックな門契約してみたいぜ!」

「まぁ……あの様子じゃ結婚はして無さそうだけどな」

「じゃあ姉さんもその人と門契約するんのか?!」

「……なんでそうなんだ。なわけねぇだろ」

「なんだぁ〜つまんねぇの。姉さんは誰かと門契約しないのか?」

「しようにも相手がいないからなぁ。そりゃあまぁ、この前は確かにあんなデュエルされたらちったぁキュンと来るもんはあったがよ。あれはあいつの見つけた男だ」

「ふ〜ん」

 

 その人物に想いを馳せているからか、グラスを傾ける女性の頬は僅かに緩んでいた。それとは対称的にテーブルに顔を乗せながらマグの水をチビチビ呑むヒータはなんだかつまらなそうだ。

 

「……なぁ、姉さん。あの爺さんが来たのって都市からの呼び出しの連絡か?」

「あぁ、それもあったな。なぁに、ちょっとぐらい顔見せろっていつもの催促だよ」

「……戦争になるのか?」

 

 戦争。

 

 そんな物騒の権化のような単語が出てきたことで、先程までの和やかな雰囲気は息を潜めた。

 ヒータは瞳を不安げに揺らしながらも女性の答えを待っている。そんなヒータの様子を見て女性は一息吐いた後に、先程までと同じ調子で答える。

 

「……安心しろ。そんなことには当面ならねぇだろうよ。今は書院も目立った動きを見せて無いから都市の方も落ち着いてる。それにおめぇみたいなガキがそんな心配してんじゃねぇよ」

「そっか……なら良いんだけど」

 

 粗暴な言い回しだが、どこか暖かみを感じさせる女性の言葉を聞き、ヒータは安堵の表情を浮かべる。

 

「やめだ!」

「っ!」

「こう言う話はどうしても湿っぽくなっちまう! 飲むぞ!」

「えっ?! 俺、もう飲めねぇよ!!??」

「バカ、何言ってんだ! お前休憩してただろ!」

「いや、でも、今日帰んねぇときつね火が……」

「あぁん?! まさか私の酒が飲めねぇってのか?!」

「ひぃっ!! い、いやっ! も、もちろんそんな事はないですよ!! ただ今日は帰らないと……」

「だったらこいつを空けてから帰れば良いじゃねぇか! だろ?」

「そ、そうっすね! それなら問題ないっすね! あ、あははははー」

「よーし、分かってきたじゃねぇか。ほら、グラス」

「はいぃ……お願いします」

 

 さめざめと泣くヒータに嬉々として酒を注ぐ女性。

 ヒータのそれ後の記憶は途切れていた。太陽が再び頭上まで昇る頃に意識を取り戻すと、割れるような頭の痛みに襲われ、口からの『激流葬』が止まらなかったと言う。

 それからヒータはその家を『悪夢の拷問部屋』と恐れるようになり、ノックをせずに入るような不埒な真似をする事は無くなったそうだ。

 

 

 

〜Case 4 fin〜


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