遊戯王5D's 〜彷徨う『デュエル屋』〜   作:GARUS

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生一本

【貴方の髪、大丈夫?外に出るだけで髪はダメージを受けてるの。だから本当は毎日のケアが大切。だけど特別なお手入れなんていらない。私はこのシャンプーを使ってるわ。女性の髪の味方でありたい。makemagic】

 

 薬局のシャンプーのコーナーに設置された小型モニターからそんなコマーシャルが流されていた。

 画面に映るのは今をときめくデュエリストモデル、ミスティ・ローラ。艶のある腰まで伸びた黒髪、わずかに微笑むだけで妖婉さを醸し出す美貌に非の打ち所のないプロポーション、その上デュエルも出来ると言う事で様々なメディアに取り上げられている。

 

(私もこれを使ったら少しはアトラス様にアピール出来るかしら……)

 

 ついそんなことを考えていると自然に手が髪に伸びていた。

 これと言って特別なケアをしている訳ではないが、まだ自分の髪には艶がある方だと思う。ただこれがあと5年もすればそんな悠長なことを言っていられないかもしれない。やはり今うちからこのような髪へのダメージケアを考えた日頃のお手入れをしていた方が良いのだろうか。

 普段使ってるシャンプーは480mlで680円。いつも買ってるせいでもう値段を覚えてしまった。それより少し高いくらいなら試しに買っても良いかも知れない。そう思って普段は目にも止めない値札を確認してみることにした。

 

「……っ」

 

 思ったより高かった。

 550mlで1180円。

 880円ぐらいかと予想してたけど美容のための投資はそんなに甘いものでは無いようだ。 

 今日は八代君のための買い物をしてしまったせいで懐が寂しい。ここで500円の出費増をどう捉えるべきか。

 

「……」

 

 現在の時刻は16:03。

 幸い夕飯の仕込みは既にしてきてあるし、八代君の帰りは18:00頃になるらしいからまだ時間はある。多少ここで考える時間は取っても大丈夫だろう。

 少しこのシャンプーを買った時の事を考えてみる。まず仮にこれを買って私の髪の艶が劇的に良くなるわけでもない。もしもそうなったとしてもそれだけでアトラス様は私に興味を持たないだろう。同居人の八代君も同じような人種だし、仮に『どう?最近髪の艶良くなってない?私シャンプー変えたのよ』なんて振ったとしても、

 

『へぇ、シャンプー変えてたんですか。気づかなかったです』

 

だけで済まされそうだ。ここまでくると最早想像しているだけでも泣きそうになる。

 今度八代君に女の子の扱い方を教えてあげた方がいいかもしれない。じゃないと山背さんが苦労しそうだ。いや、もうしてるのかも……

 そう考えると彼女には親近感が湧く。お互い想い人の事で苦労しそうだ。

 っと、今考えるのはそれではない。このシャンプーについてだ。

 

「……」

 

 それからしばらく考えて、結局手に取ったのは普段使っているシャンプーだった。

 冷静に考えて気が付いたのだ。本当に髪のケアに着いて考えるのならキチンとリサーチをしてから買うべきだと言う事に。何もここでCMに流されて勢いで買う必要はない。我ながらよく思いとどまったと思う。

 賢い買い物をしていると自分を少し褒めながらレジの方へ向かう。

 レジは空いており店員は商品を選んでいる客にお買い得な商品情報を投げかけていた。

 

「いらっしゃいませ〜。ただいまデュエリスト応援キャンペーンを実施しています。CMにデュエリストを起用している商品にはポイント5倍をお付けしております」

「……っ!」

 

 ポイント5倍。

 これはかなり魅力的なワードが耳に入ってきたものだ。

 この店では500円につき1ポイントが付与される。この1ポイントにつき20円引きとなるので、実質4%の還元がなされている事になる。普段のシャンプーはキャンペーン対象外のため、付与されるポイントは1ポイント。つまり実質額は定価の20円引きの660円だ。

 対して迷ったあのシャンプーは普段なら2ポイントしか付与されないはずなのだが、キャンペーンの対象であるためその5倍の10ポイントが付与される。これにより実質額は200円引きされ980円となる。これは私の予想額の100円増しなだけ。増える負担は300円である。

 300円増しなだけならば買ってもいいかもしれない。

 私の中で意思が揺らぎ始める。

 だが今更このシャンプーを戻してあのシャンプーを持ってくるのもなんだかめんどくさい。

 なんとか迷いを振り切りいよいよレジに入ろうとした時、店員がさらに商品の情報を続けた。

 

「期間限定でジャック・アトラスのクリアファイルをお付けしています。数量は残り僅かのためお求めの際はお早めに」

「…………くっ」

 

 それは……ズルい。

 最後の最後で店側の術中にまんまと嵌ってしまった私はこの日いつもより500円増えたレジを眺めることになった。

 

 

 

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————

 

龍亞LP4000

手札:5枚

場:『D・ラジオン』、『D・ラジカッセン』

セット:無し

 

 

八代LP4000

手札:1枚

場:『マジシャンズ・ヴァルキリア』×2

フィールド:『魔法族の里』

魔法・罠:『強欲なカケラ』×2、

セット:無し

 

 

 

「俺のターン、ドロー。ドローフェイズ時に通常ドローをする度に、『強欲なカケラ』には強欲カウンターが一つ置かれる」

 

 

強欲なカケラ1

強欲カウンター0→1

 

 

強欲なカケラ2

強欲カウンター0→1

 

 悪くないカードを引いた。

 これで俺の手札は2枚。対する龍亞は5枚と手札の枚数は不利な状況にある。だが次の龍亞のターンさえやり過ごせば『強欲なカケラ』の効果で手札を大幅に回復できる。この2ターンが正念場だ。

 ここまでカードをセットしてこない事を考えると、おそらく手札はモンスターと『魔法族の里』で封じられている魔法カードのみのはず。この布陣と手札ならいけるか。

 

「俺は『サイレント・マジシャンLV4』を召喚」

 

 今日だけで何回この姿を見ただろうか。機械的に繰り返されるサイレント・マジシャンが光り輝く魔方陣から出る様を。

 山背静音として実体化しているサイレント・マジシャンがここで出るならば、登場のモーションにも変化があるのだが、生憎今日一日彼女はギャラリーだ。些細な変化も望めない。

 

 

サイレント・マジシャンLV4

ATK1000  DEF1000

 

 

 サイレント・マジシャンは初手から握っていたのだが、如何せん初期のステータスは心許ない。けれど『マジシャンズ・ヴァルキリア』2体でロックが決まっているこの状況なら、彼女に魔力カウンターを乗せて能力を引き上げるターンを稼ぎやすい。この流れは非常に良好だ。

 

「カードを1枚セットして、ターンエンドだ」

「俺のターン! ドロー!」

「相手がドローした時、『サイレント・マジシャンLV4』に魔力カウンターが一つ乗る。そして『サイレント・マジシャンLV4』は自身に乗った魔力カウンターの数×500ポイント攻撃力を上昇させる」

 

 魔力カウンターが1つ溜まった事でサイレント・マジシャンの姿が少し成長する。ただその姿も普段の彼女の成長した姿にはまだ遠い。ただ両脇に立つ『マジシャンズ・ヴァルキリア』がそんな彼女を守っているため、安心して彼女の成長を見守れる。

 

 

サイレント・マジシャンLV4

魔力カウンター0→1

ATK1000→1500

 

 

 さて、魔法を封じられ、攻撃も封じられたこの状況の中で何をしてくるのか。

 手札が6枚もあればどうとでもなりそうな気がするところだが、先のターンまでを見る限り既存の5枚の手札ではそう上手くはいかないようだ。いや、『マジシャンズ・ヴァルキリア』2体のロックが完成したのは龍亞が召喚権を行使した後だったから、既存の手札にまだこの場を打開するモンスターがある可能性はある。それかこのドローで何かを引き込んだかは分からないが。

 

「『D・モバホン』を召喚」

 

 それは迷いのない一手だった。

 龍亞の場に新たに黄色い携帯電話が変形して人型となったロボットが現れる。『D・モバホン』は『D・ラジオン』が体から放出する電気を浴び能力を高めていた。

 

 

D・モバホン

ATK100→900  DEF100

 

 

 ここで『D・モバホン』を召喚となると、モンスターでの解決はいよいよこれの不確定な効果に頼らざるを得ない状況のようだ。ただ不確定効果だからと言って侮る事は出来ないのがこいつの効果である。もしここで除去効果持ちの“D”モンスターなどを出されようものなら、一瞬でフィールドを瓦解されかねない。ここでこの効果を止める術がないのが悔やまれる。

 

「『D・モバホン』の効果。1ターンに1度、ダイヤルの1から6で止まった数字分のカードを捲り、その中にレベル4以下の”D”モンスターがあれば特殊召喚出来る! ダイヤル〜……オーンッ!!」

 

 龍亞の目には不安の色はない。それは必ず効果が成功すると確信しているからか、それとも単に失敗する事を考えていないだけか。どちらにせよ言えるのはこんな真っすぐした目をした奴に限って必ず土壇場で何かしでかすという事だ。

 

「3に決まった! よってデッキの上から3枚カードを捲る! ん〜よしっ! その中にあった『D・ボードン』を特殊召喚だ!」

 

 スケートボード型のロボットが新たに龍亞の場に呼び出される。

 

 

D・ボードン

ATK500→1300  DEF1800

 

 

 やはりきたか。

 ここにきての『D・ボードン』はまさに起死回生の一手だ。なぜなら……

 

「『D・ボードン』が攻撃表示で場にいる時、自分の場の”D”モンスターはダイレクトアタックできる!」

 

 そう、『マジシャンズ・ヴァルキリア』のロックは魔法使い族への攻撃を防ぐものであってダイレクトアタックを防ぐ事は出来ない。故に『D・ボードン』が場に出た今、龍亞はこのロックを破る事無く俺のライフを削る事が可能になった。

 そして龍亞の場の“D”モンスターの攻撃が全て通れば、8000のライフが削られる。初期ライフが8000でもワンターンキルの成立だ。

 『魔法族の里』の効果で魔法を封じられているせいでもあるだろうが、手札を5枚まだ残してこの布陣を整えるとはなかなか見事なものである。ここまでのプレイングは少なくとも非の打ち所がない。一番最初のデュエルからは見違える程の進歩と言えよう。

 そしてこの並びは一番最初のデュエルでも見たものでもある。

 

「『D・モバホン』でダイレクトアタック!」

 

 『D・モバホン』は『D・ボードン』の上に乗ると上空に大きく飛び上がる。

 狙いは俺。

 『D・モバホン』はそのまま右足を突き出して全体重と上空からの位置エネルギーを最大限に利用したライダーキックを放ってきた。

 最初の『魔法の筒』での失敗からきっちり学び取ったようで、低い攻撃力のモンスターからの攻撃を選択したのも良い判断だ。だが、今回は運が無かったようだ。

 一番最初のデュエルで、もしも龍亞が最初の攻撃モンスターをこうやって選んでいたら発動していたであろうあのカードを俺は発動した。

 

「相手モンスターの攻撃宣言時、トラップカード『聖なるバリア-ミラーフォース-』を発動! 相手の場の攻撃表示モンスターを全て破壊する!」

 

 俺を守るようにシャボン玉の膜のような薄いバリアが張られる。これに触れたら最後、その攻撃は拡散して相手の攻撃表示モンスター全てに降り注ぎそれを破壊する。攻撃表示モンスターを並べて仕掛ける時に最も警戒しなければならない凶悪なトラップカードだ。

 もう攻撃宣言を受け攻撃に入っている『D・モバホン』の動きは止まらない。このままバリアに直撃して爆散する。そう思っていた俺だがしかし、それは龍亞の予想外のカードによって覆された。

 

「て、手札から『ガジェット・ドライバー』の効果を発動! 手札のこのカードを墓地に送って、自分の場の表側表示の”D”モンスターを任意の数選んで、その表示形式を変更する! これで場の”D”モンスター全ての表示形式を攻撃表示から守備表示に変更!!」

「ほぅ……」

 

 『D・モバホン』がバリアに触れるまさに直前、その人型の形状から黄色い携帯電話の形状に変化した事で攻撃は阻止された。さらに場にいた『D・ラジオン』はラジオに、『D・ラジカッセン』はラジカセに、『D・ボードン』はスケートボードに早変わりした。

 

「ふぅ〜危なかったぁ……『D・ラジオン』が表側守備表示の時、自分の場の”D”モンスターの守備力は1000ポイントアップする。これでターンエンドだよ」

 

 右手で額の汗を拭う動作をしながらターンエンドを告げる龍亞。

 

 

D・ラジオン

ATK1800→1000  DEF900→1900

 

 

D・ラジカッセン

ATK2000→1200  DEF400→1400

 

 

D・モバホン

ATK900→100  DEF100→1100

 

 

D・ボードン

ATK1300→500  DEF1800→2800

 

 

 まさか『聖なるバリア-ミラーフォース-』にまで対応する札を持っているとは。今の咄嗟の判断は完璧だったと、内心俺は舌を巻いていた。

 

「俺のターン、ドロー。通常ドローを行った事で『強欲なカケラ』に強欲カウンターが1つ乗る」

 

 まぁだがこれで当初の目標通りさっきのターンを凌ぎきれた訳だ。攻撃を防げたと言う点では『聖なるバリア-ミラーフォース-』は役目を果たしてくれた。十分だ。

 

 

強欲なカケラ1

強欲カウンター1→2

 

 

強欲なカケラ2

強欲カウンター1→2

 

 

 ただ唯一の誤算があるとすれば龍亞の場に並んだ守備表示状態の4体の“D”モンスターである。これはこれでこちらのロック程では無いがなかなかに強固な布陣だ。

 “D”モンスターの守備力を底上げする『D・ラジオン』もそうだが、まず厄介なのは『D・ボードン』。あれが守備表示で場にいる限り場の他の“D”モンスターは戦闘では破壊されなくなる。加えてあれ自身『D・ラジオン』のせいで守備力が2800まで跳ね上がっているため現状突破する事は不可能。さらにたとえあの守備力を上回る事が出来たとしても、『D・ラジカッセン』が守備表示で場にいる時、“D”モンスターを対象とする攻撃を一度だけ無効にできるため、その攻撃は通らないだろう。

 現状の手札1枚ではどうしようもない所だ。だが、

 

「強欲カウンターが2つ以上乗った『強欲なカケラ』を墓地に送る事でカードを2枚ドローする。俺は場の2枚の『強欲なカケラ』を墓地に送り、合計4枚ドローする」

 

カードを4枚も増強できるのなら、何の問題も無い。

 新たに加わった手札4枚を見て、瞬時に俺の取るべき選択が脳内に思い浮かぶ。

 

「速攻魔法『月の書』を発動。場のモンスター1体を裏側守備表示に変更する。俺が選ぶのは『D・ボードン』」

「あぁっ!? ボードンがぁ! もしかしてボードンの守備表示のときの効果知ってたの?」

「あぁ」

「くっそー! 驚かそうと思ってたのにぃ!!」

「残念だったな。俺は『見習い魔術師』を守備表示で召喚。このカードの召喚・反転召喚・特殊召喚に成功した時、場の魔力カウンターを置く事の出来るカードに魔力カウンターを一つ乗せる。この効果で『サイレント・マジシャンLV4』の魔力カウンターを一つ増やす」

 

 『マジシャンズ・ヴァルキリア』の右に現れた小さな魔方陣から小柄な魔術師が飛び出す。見慣れた短いロッドをサイレント・マジシャンに向けると拳大の緑の光球が放たれる。その光球はサイレント・マジシャンの胸元に吸い込まれるとその姿をまた一回り成長させた。

 

 

見習い魔術師

ATK400  DEF800

 

 

サイレント・マジシャンLV4

魔力カウンター1→2

ATK1500→2000

 

 

 さて、これで準備は整った。

 ボチボチ反撃と行こうか。

 

「バトルだ。『マジシャンズ・ヴァルキリア』で『D・ラジカッセン』に攻撃」

 

 攻撃命令に従い『マジシャンズ・ヴァルキリア』は杖に緑色に輝く魔力を集めるとそれを大きなバランスボール程の大きさの球状にして『D・ラジカッセン』目掛けて放つ。

 

「させないよ! 『D・ラジカッセン』の効果発動!」

 

 龍亞の宣言の直後、ラジカセの状態の『D・ラジカッセン』のスピーカーから腹の底に響く重低音が発せられる。『D・ラジカッセン』に直撃すると思われた『マジシャンズ・ヴァルキリア』の攻撃はそれにより意図の簡単に掻き消された。

 

「へへっ! ラジカッセンは表側守備表示で場に存在する時、”D”モンスターを対象にする攻撃を1度だけ無効にできるんだ!」

「だがこれで『D・ラジカッセン』の効果をこのターン使う事は出来なくなったな。『サイレント・マジシャンLV4』で『D・ラジオン』を攻撃」

 

 得意げな表情を浮かべている龍亞に畳み掛けるように『サイレント・マジシャンLV4』に指示を出す。『サイレント・マジシャンLV4』は無機質な動きで杖から白く輝く魔力の波を『D・ラジオン』に放った。携帯ラジオ状態のラジオンはその光に抵抗も見せずに飲まれ消えていった。

 

「あぁ、ラジオンが……」

「『D・ラジオン』が破壊された事で守備力は元に戻る」

 

 

D・ラジカッセン

DEF1400→400

 

 

D・モバホン

DEF1100→100

 

 

「『マジシャンズ・ヴァルキリア』で『D・モバホン』を攻撃」

 

 まだ攻撃権を残している『マジシャンズ・ヴァルキリア』の攻撃で展開の基盤である『D・モバホン』も破壊される。

 

「……!」

 

 ここで己のプレイミスに気が付いた。つい『見習い魔術師』を守備表示で出してしまったが、『見習い魔術師』も攻撃表示で出しておけば『D・モバホン』を『見習い魔術師』で攻撃して、『マジシャンズ・ヴァルキリア』の攻撃を『D・ラジカッセン』に当てる事が出来た。同じような内容のデュエルを十回も続けたせいか惰性でプレイしてしまっている。猛省せねば。

 

「カードを2枚伏せる」

 

 だが、一方の龍亞は徐々にプレイングが洗練されている。そして戦況がひっくり返されたこの状況でも尚その瞳には闘志を感じる。最早ここまでくると子どもの負けず嫌いではないと確信できた。しかしそうならば一体何故俺にデュエルを挑み続けるのか、理由が分からない。まさかこのまま続けていればいずれは勝てるかもしれないなどとは思っていまい。いや、案外そうなのか? まぁ理由はどうあれ挑まれ続ける限り俺はそれに応えるのだが、少々理由が気がかりだ。この際本人に直接聞いてみても良いかもしれない。

 

「俺はこれでターンエンド。次のターンに移る前に一つ聞いても良いか?」

「ん? 何?」

「ここまで連敗を繰り返して、どうして俺にデュエルを挑み続けるんだ?」

 

 

 

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「…………」

 

 もう日が地平線にかかりかけている。

 気温も下がってきているのを肌で感じるけど、私はジンワリと変な汗をかいていた。

 こうなっているのは今も目の前で繰り広げられているマスターと龍亞君のデュエルが原因だ。

 最初のマスターと龍亞君のデュエルはマスターの圧勝だった。

 いや、最初だけではなく続くデュエルも全てマスターの圧勝だった。少しずつ龍亞君も良いデュエルをするようになってきたけど、相手が悪過ぎた。すべてのデュエルでマスターが受けたダメージは『D・チャッカン』のモンスター効果による600ダメージのみ。マスターの召喚反応型のトラップ及び攻撃反応型のトラップにより龍亞君のモンスターの攻撃は一切通っていない。

 普通だったらこんな負け方を繰り返していたら心が折れそうなものだが、龍亞君はマスターに挑み続けている。それは凄い事だと思うけど、そんな子を相手に全く手を抜かずにデュエルをし続けるマスターもある意味凄い。

 そんな光景をいつものようにマスターの傍らで見ているだけだったら別に問題なかった。そう、いつものようなら……

 

「…………」

「…………」

 

 私の隣では龍亞君の妹の龍可ちゃんもこのデュエルを見ている。

 正直龍亞君に容赦なくデュエルをするマスターの事をどう思われているのか隣に居てもう気が気じゃない。初ターンでマスターが『魔法族の里』を張った時点でこのデュエルも嫌な予感がしていたが、さらにその後涼しい顔をしながら『マジシャンズ・ヴァルキリア』ロックを決めるマスターを見て私は嫌な汗が止まらなかった。何時ぞやの地下デュエルの時の汚い言葉遣いのMCはマスターの事をマゾとか煽っていたが、どう考えてもマスターはデュエルに関して言えば一切の容赦がないドSだと思う。

 そのロックを乗り越えて直ぐにマスターに攻撃を仕掛けた龍亞君は良い動きをしたと思うけど、やはりマスターのトラップの前ではその攻撃は阻止されてしまった。ただ『聖なるバリア-ミラーフォース-』に対して瞬時に『ガジェット・ドライバー』で対応したのは驚いた。

 『ガジェット・ドライバー』のおかげで龍亞君の場にはなかなか強固な守りが出来ていると思うが、相手はあのマスターだ。このターンに『強欲なカケラ』2枚の効果を使って5枚の手札を増やすのなら間違いなく攻勢に出るだろう。それは喜ぶべき事だけど、またさらにこの空気が居辛くなると思うと正直複雑だ。まさかこんな事になるとは……ため息が出そうだ。

 

「……ごめんなさい」

「……?」

「龍亞が八代さんをこんなに付き合わせてしまって」

「い、いや、良いんだよ! ます……じゃなかった! や、八代君が好きでデュエルを受けてるんだから。私も今日は八代君に付き合う予定だったし。それに謝るのはこっちだよ! 八代君、手加減とか出来ない人で……その……」

「あぁ、それは気にしないで下さい。そうやって全力でぶつかってくれた方が龍亞のためにもなりますから。寧ろこのくらいボコボコにしてもらった方が龍亞には良い薬になるかもしれないし……」

「あ、あはは……龍可ちゃんって龍亞君には手厳しいんだね」

 

 意外にもマスターのプレイに不快感も示さず、それどころか龍亞君に対して厳しい龍可ちゃんを見て思わず乾いた笑いが出てしまった。

 そんなやり取りの中、マスターが『月の書』から攻勢に出た。しかし『見習い魔術師』を攻撃表示で出さなかったのはどうしてだろう? まさか反撃された時のダメージを負うリスクを恐れるような人ではないと思うし。これも戦略の内なのかな。

 

「八代さん、流石に龍亞の相手をし続けるのは疲れてしまったみたいですね」

「……どうしてそう思うの?」

「八代さん、『見習い魔術師』を攻撃表示で出してれば龍亞のモンスターを『D・ボードン』以外全て破壊できたのに、そうしてません。確かに『見習い魔術師』は攻撃力が低いモンスターですけど、『マジシャンズ・ヴァルキリア』を2体並べて龍亞の攻撃を封じている状況で八代さんがそのリスクを恐れるとは考え辛いです。八代さんが手を抜くのは考えられませんし、そうなると疲れからのプレイングミスかなと思って」

「やっぱり龍可ちゃんもそう思う? 一応八代君の事だからそれも踏まえて何か考えがあるのかとも思ったんだけど」

「うーん、その線は薄そうですね。龍亞のモンスターを残してまで採るべき戦術は少なくとも私には考えられないです」

「そうだよね。だとしたら龍亞君凄いかも。八代君を疲れさせてプレイミスさせた人なんて今まで見た事無いよ」

 

 そう思うのと同時に私は別の事にも感心していた。

 それは龍可ちゃんが一瞬でマスターのプレイミスを看破していた事だ。龍亞君のデュエルの腕はまだ未熟な部分が多いけど、三歳の時に出場したデュエルキッズ大会の決勝まで行った龍可ちゃんの実力は伊達ではないのだと改めて思わされる。

 

「はぁ……それを凄い事と言って良いのでしょうか。私はむしろ龍亞のしつこさに呆れますよ。それで八代さんに迷惑をかけて……これが終わったら謝りにいかないと。元を正せばこうなったのは私のせいなんだから……」

 

 最後の消えそうな龍可ちゃんの呟きを確かに私は聞き逃さなかった。

 顔を陰らせて俯く龍可ちゃんの姿は悲しげで、ほっとけなくて、気が付けば龍可ちゃんの心に踏み込むように言葉が出ていた。

 

「……どうしてかな?」

「…………」

「……あぁ!別に話し辛かったら話さなくても良いんだけど……」

「……いえ、聞いて下さい。私、昔から体が弱くて、そのせいで龍亞には一杯迷惑かけてるんです。デュエルアカデミアに通いたいはずなのに通信教育を受けているのも、毎日外に出て友達とデュエルしたいはずなのに家に籠っているのも、全部私のせいなんです。別に龍亞一人でデュエルアカデミアに通ったり、外に出て遊んできても良いって私は言ってるんですけど、そう言う時だけ“いいよ。だってやっぱ龍可と一緒の方が面白いじゃん!”なんて言うんですよ。普段はわがままな癖に」

「それは……良いお兄ちゃんじゃない?」

「はい……そう思います……だけどっ! 私がこんなじゃなかったら! きっと龍亞も他にいっぱい友達が出来て、いっぱいデュエル出来るはずだったのに! 私が重荷になってるせいで龍亞はデュエルが満足に出来なくて、だからこんなに八代さんにしつこくデュエルをせがむ事に……」

「……本当にそうなのかな?」

「え……?」

「ほら? 丁度、龍亞君が何を思ってデュエルをしてるか話すみたいだよ?」

 

 

 

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「俺の目標はキングになる事って言ったよね。いつもテレビで活躍するジャックに憧れてた。いつかは俺があの舞台でキングとしてデュエルするんだってずっと思ってたし、デュエルにはあれでも自信あったんだ」

「…………」

「けど、今日初めて八代兄ちゃんとデュエルして、呆気なく負けて……ショックだった。滅茶苦茶悔しかったし、もう泣きそうだったよ。俺の持ってた自信なんて木っ端微塵さ。だけど八代兄ちゃんが“こんなものか……”って言ったのが聞こえて、咄嗟に失望されたくないって思ったんだ。だからあの時気が付いたらもう一回デュエルを挑んでた」

「……それで俺に失望されたくないがために今もデュエルを?」

「ううん。それだけじゃない。デュエルをしていくうちに思い出したんだ。八代兄ちゃんと初めて会ったときの事を」

「初めて会ったときの事?」

「うん。初めて八代兄ちゃんに会って、あの怖い人たちから助けてもらった時、俺思ったんだ。スゲぇって。どんなに状況が悪くてもデュエルに向かい続ける姿がカッコ良いって」

「…………」

「それを思い出したら、気付いたんだ。今俺はジャックと同じように俺が憧れたデュエリストとデュエル出来てるんじゃん、ってね。そう考えたらこれは自分が強くなるチャンスだって思ったんだ。八代兄ちゃんみたいに強いデュエリストとデュエルすれば、どうデュエルしたら強くなれるのか分かる気がして。それがデュエルを挑み続けてる理由かな」

 

 龍亞が語った俺にデュエルを挑み続ける理由。

 蓋を開けてみればなんて事はない、あったのはただ純粋にデュエルが強くなりたいと言う向上心だった。そんなものも見抜けないとは、やはり俺はどうもこういった心の機微を感じ取るのが苦手なようだ。

 頬がわずかに緩む。

 だが、これは自嘲からくるものだけではない。

 まだ発展途上だが、こうしてデュエルを重ねるごとに成長を感じさせる一人のデュエリストとデュエルをしているのが楽しくなってきたからだ。

 

「……そうか、ありがとう。納得した」

「へへっ、どういたしましてって言うのはなんか変だね。寧ろこっちがお礼を言わなきゃ! ありがとう、俺とのデュエルを受け続けてくれて」

「礼には及ばない。言っただろう? 挑まれたデュエルは全て受けるのが信条だって。それにその言葉はデュエルが終わってからだろ?」

「そうだね。よぉーし! 今度こそ勝つぞぉ! 俺はジャックも八代兄ちゃんも超えて世界のキングになるんだ!」

「悪いが勝ちは譲れないな。それにジャックはともかく俺を超えさせる気は毛頭無い」

「くぅ、絶対一泡吹かせてやる……俺のターン! ドロー!」

「相手がカードをドローした事で『サイレント・マジシャンLV4』に魔力カウンターが一つ乗る」

 

 魔力カウンターが3つも乗ると『サイレント・マジシャンLV4』の姿はいよいよ普段のそれと変わらない。ただ尖り帽を外してコスチュームを制服に変えるだけで印象は大きく異なる。今日の学園デビューでも恐らくそっくりさん程度と思われている事だろう。今も龍亞、龍可共に大きなリアクションを見せていない。

 

 

サイレント・マジシャンLV4

魔力カウンター2→3

ATK2000→2500

 

 

 龍亞の手札は未だに5枚。これまでの龍亞の費やした3ターンの間は振り返ってみればただモンスターを召喚しただけ。今まで繰り返したデュエルを考えると恐らくこの『魔法族の里』の魔法封じのロックを割るキーカードを引いた途端、一気に動き出す事が予想される。果たしてここでそのキーカードを引けたかが勝負の分かれ目だ。

 そして龍亞から感じる徐々に高まる闘志にデッキが応えるのを俺は目の当たりにするのだった。

 

「よしっ! 来たぞ! 『D・パッチン』を召喚!」

「っ!」

 

 “パッチン”と言う名を与えられたのは紫色のスリングショット。黄色いゴムの取り付けられた部分は腕に、持ち手は二つに分かれ脚に、Y字の腕の分かれ目の部分からは頭が飛び出し見事な変形を果たす。

 

 

D・パッチン

ATK1200  DEF800

 

 

 俺にとって不運、龍亞にとっては幸運なことに『D・パッチン』に対する妨害の札を俺は持ち合わせていなかった。

 そしてこれが龍亞の反撃の始まりとなる。

 

「『D・パッチン』は攻撃表示の時、場の”D”モンスターをリリースして、場のカード1枚を破壊できる。この効果で場の裏側守備表示の『D・ボードン』をリリースして『魔法族の里』を破壊する」

 

 龍亞の場の裏側守備表示の『D・ボードン』のカードがサッカーボール程の光球に変化すると同時に『D・パッチン』が上空に飛び上がる。光球は追いかけるように『D・パッチン』のゴムへと勢い良く飛び出す。ゴムはギリギリと音をたてながら引き絞られ、5メートル程伸びきった頃だろうか。光球の飛び出した勢いは完全に0になった。そして当然、ゴムはその性質に従い引き延ばされた分だけ勢いをつけて元の長さに戻ろうとする。

 結果、光球は弾けるように地面目掛けて放たれた。丁度俺と龍亞の間ぐらいに光球は着弾すると、まるでガラスが砕けるようにそこから周りの穏やかな里の風景は罅が入り砕け散る。

 

「へへっ! これで魔法カードが使えるぞ! 装備魔法『D・リペアユニット』を発動! 手札の”D”モンスターを墓地に送り、墓地の”D”モンスターを選択し発動。選択したモンスターを特殊召喚してこのカードを装備する。俺は手札の『D・リモコン』を墓地に送って、今墓地に送った『D・リモコン』を攻撃表示で特殊召喚する」

 

 『D・パッチン』の横の地面に底の見えない黒い穴が空くと、そこから白のテレビリモコンが浮かび上がる。両サイドの真中くらいから銀色の金属の腕が伸び、下の両角部分がはずれ腕同様の細い銀色の金属に繋がれ脚となり人型に変形を終えた。上部の液晶部分に二つの円が表示されそれが目になっているようだ。

 

 

D・リモコン

ATK300  DEF1200

 

 

 『魔法族の里』は破られたが、まだ『マジシャンズ・ヴァルキリア』2体によるロックは未だに健在だ。それなのになぜ『D・パッチン』の効果のコストを『D・ラジカッセン』では無く『D・ボードン』にしたのかが疑問だった。『D・ボードン』を残せばダイレクトアタック効果も使え、『D・リペアユニット』で『D・ラジオン』を蘇生すれば場のモンスターの攻撃力の合計は俺のライフを削りきれたはずなのだが。またこれはプレイミスなのか。今回は人の事を言えないが。

 俺の疑問を他所に龍亞はターンを進めていく。

 

「『D・リモコン』の効果発動。1ターンに1度、自分の墓地の”D”モンスター1体を除外し、そのモンスターと同じレベルの”D”モンスターをデッキから手札に加える。除外するのは『D・ボードン』。ボードンのレベルは3だからデッキからレベル3の『D・マグネンU』を手札に加えるよ」

 

 ここでも龍亞のプレイに疑問を覚える。同じレベル3のモンスターを加えるなら後続の展開に繋がるチューナーモンスターの『D・スコープン』の方が良かったのではないかと。少なくとも『D・マグネンU』は攻撃表示の効果はデメリット効果のため活躍の場はないだろうし、守備表示の効果は『マジシャンズ・ヴァルキリア』の効果のそれと同じだが、ロックを成立させるには2体の『D・マグネンU』が必要となるためこの状況で加えるカードではないはずだ。

 残り手札3枚にこの選択をした答えがあるのだろうか。

 

「レベル4の『D・パッチン』にレベル3の『D・リモコン』をチューニング」

 

 『D・リモコン』の体が解け内から三つの緑光を放つ光輪を展開すると、その輪の中心目掛けて『D・パッチン』が飛び上がる。その最中『D・パッチン』の体もまた透けていき、体の内から四つの光球を解き放つ。

 レベルの合計は7。それが龍亞の唯一持つシンクロモンスターのレベルだ。

 

「世界の平和を守るため、勇気と力をドッキング!」

 

 連なる光輪の内側に四つの光球が直列に並んだ時、光の柱がそれを貫く。

 龍亞の高まる闘志に当てられてなのか、その光は今日一番の輝きを放っているように見えた。

 

「シンクロ召喚! 愛と正義の使者、『パワー・ツール・ドラゴン』!!」

 

 光の柱から姿を見せたのは体中が金属の装甲に覆われた機械竜。頭部、肩部、胸部、上腕部、翼部、臀部に脚部は堅固な黄色い金属の装甲が覆い、それらを繋ぐ部分は柔軟に動く螺旋状の銀の装甲で包まれている。そして目を引くのは『パワー・ツール・ドラゴン』が身に付けている装備だ。右腕には青いショベルカーのアームが接続され、左腕には巨大な緑色のマイナスドライバーが装着され、尻尾の先端にはシャベルが取り付けられている。まさに子どもがカッコいいと思うような工具が詰め込まれたような姿だが、それが凶器として向けられる立場になると少々恐ろしく見えるものだ。

 

 

パワー・ツール・ドラゴン

ATK2300  DEF2500

 

 

 『パワー・ツール・ドラゴン』。

 自身のステータスは然程高くないが、装備魔法をサーチする汎用性の高い効果を持つ。“D”でビートダウン用の装備魔法や専用の装備魔法をサーチするのは勿論、デュアル軸の植物族デッキなどでは展開の補助のための装備魔法をサーチするために使われる事もある。

 この世界で初めて見たが、その所持者が龍亞とはな。

 

「『パワー・ツール・ドラゴン』の効果発動! 1ターンに1度、デッキから装備魔法を3枚選んで相手に見せ、相手はその中からランダムに1枚を選ぶ。相手が選んだカードを手札に加え、残りをデッキに戻す。俺が選ぶのはこの3枚だ。行くぞー! パワー・サーチ!」

 

 龍亞の目の前に裏側で3枚のカードのソリッドビジョンが現れる。

 龍亞が選んで俺に見せたのは『団結の力』、『ロケット・パイルダー』、『ダブルツールD&C』の3枚。

 『団結の力』か『ダブルツールD&C』を使えば『パワー・ツール・ドラゴン』の攻撃力は『サイレント・マジシャンLV4』の攻撃力を上回る事が出来るし、『ロケット・パイルダー』を使えば『サイレント・マジシャンLV4』の攻撃力を大幅に削る事が出来る。どのカードを加えても『サイレント・マジシャンLV4』を戦闘で突破する事を目的にしているのが伺える。となると既に『マジシャンズ・ヴァルキリア』のロックを壊す札は握っていると考えるべきか。

 

「俺が選ぶのは真ん中のカードだ」

 

 真中を選んだ理由は当然直感。ランダムに配置されたカードを選ぶだけなので読み合いなどは介在せず気は楽だ。

 果たしてどのカードを手札に加えたのだろうか。

 

「マジックカード『D・スピードユニット』を発動。手札の”D”モンスターをデッキに戻してシャッフルする。戻すのは『D・マグネンU』」

 

 なるほど。

 『D・リモコン』の効果で『D・マグネン』をサーチしたのはこのためか。ここでようやく俺の中の疑問の一つが氷解する。結局の所、『D・リモコン』のサーチは『D・スピードユニット』発動のためのものだったようで、何をサーチしても良かったと言う訳だ。

 

「そしてフィールド上のカード1枚を破壊して、カード1枚をドローする。これで破壊するのは『マジシャンズ・ヴァルキリア』だ!」

 

 まさに龍亞が対象を宣言した瞬間だった。

 短い悲鳴と共に『サイレント・マジシャンLV4』の右に立つ『マジシャンズ・ヴァルキリア』が破壊された。一瞬視界を掠めた物体が恐らく『マジシャンズ・ヴァルキリア』に直撃したのだろうが、それの形を捉える事は出来なかった。流石は“スピードユニット”と言った所か。

 

「よしっ! これで『マジシャンズ・ヴァルキリア』のロックを突破したぞ!」

「相手がドローした事で『サイレント・マジシャンLV4』に魔力カウンターが増える」

 

 『サイレント・マジシャンLV4』の容姿が更に成長を見せる。背は少しだけ伸び顔つきも一段と大人びたものとなる。3年後ぐらいにはこんな姿になるのだろうか。ふと、そんなことを思った。

 

 

サイレント・マジシャンLV4

魔力カウンター3→4

ATK2500→3000

 

 

 しかしこの程度の攻撃力アップでは『パワー・ツール・ドラゴン』の効果で先程手札に加えられた装備魔法1枚でひっくり返されてしまう。

 

「装備魔法『ダブルツールD&C』を『パワー・ツール・ドラゴン』に装備。このカードを装備したモンスターは自分のターン、攻撃力が1000ポイントアップし、さらにバトルフェイズの間だけ攻撃対象にしたモンスターの効果を無効にするぞ!」

 

 『ダブルツールD&C』を装備した事で『パワー・ツール・ドラゴン』の姿も変化する。右腕に接続された青いショベルカーのアームは円刃の赤い回転ノコギリに、左腕に装着された緑色のマイナスドラーバーは巨大なドリルへと変化した。より殺傷能力の高い武器に変わったからだろう、攻撃力の上昇も頷ける。

 

 

パワー・ツール・ドラゴン

ATK2300→3300

 

 

 先程手札に加えられたのは『ダブルツールD&C』だったか。

 これで『パワー・ツール・ドラゴン』の攻撃力は『サイレント・マジシャンLV4』の攻撃力を上回った。だが俺の場の『マジシャンズ・ヴァルキリア』はまだ残っているため、最初の攻撃は『マジシャンズ・ヴァルキリア』に誘導される。『マジシャンズ・ヴァルキリア』を超える攻撃力のモンスターが『パワー・ツール・ドラゴン』しかいないこの状況では『サイレント・マジシャンLV4』を突破できない。

 残り手札2枚の内に『マジシャンズ・ヴァルキリア』を突破するカードがあるのだろうか。

 

「マジックカード『ジャンクBOX』を発動! 墓地のレベル4以下の”D”モンスター1体を特殊召喚する。『D・ラジオン』を攻撃表示で特殊召喚! 『D・ラジオン』が攻撃表示の時、場の“D”モンスターの攻撃力は800ポイントアップする」

 

 再び地面に真っ黒な穴が空くと既に人型の状態で『D・ラジオン』が場に復活する。

 

 

D・ラジオン

ATK1000→1800 DEF900

 

 

D・ラジカッセン

ATK1200→2000

 

 

 これで見事に『マジシャンズ・ヴァルキリア』を突破する布陣が整った訳だ。

 

「『D・ラジカッセン』を攻撃表示に変更! これでバトルだ! 『D・ラジカッセン』で『マジシャンズ・ヴァルキリア』を攻撃!」

 

 ラジカセ形態だった『D・ラジカッセン』は瞬時に人型に変形すると、両腕に電気を集め始める。それぞれの腕に集められた電気は手に圧縮され球が精製される。そしてその右手に集まった電気玉が『マジシャンズ・ヴァルキリア』目掛けて放たれる。

 それを真っ向から迎え撃つように『マジシャンズ・ヴァルキリア』も緑色の魔力を集めた玉を放つが、二つが衝突すると一瞬の拮抗の後に『D・ラジカッセン』の一撃が競り勝つ。そして勢いを殺さず飛来した電気玉が『マジシャンズ・ヴァルキリア』に直撃し爆散する。さらに『マジシャンズ・ヴァルキリア』が防ぎきれなかった超過分のダメージが衝撃となり俺に迫る。

 

「トラップカード『ガード・ブロック』を発動。その戦闘で発生するダメージを0にし、カード1枚をドローする」

 

 俺を覆うように透明の膜が出現し、戦闘の余波を見事に遮断する。

 たかが400のダメージなのでこのカードを発動するか一瞬迷ったが、今回はドローを優先した。それに里ロックが解除された今攻撃反応型の罠を抱えていても発動する前に破壊される可能性が高い。そしてここでのドローの判断は正しかったらしい。良いカードを引いた。

 

「へへっ! ついに八代兄ちゃんもミスしたね。今の『パワー・ツール・ドラゴン』と『サイレント・マジシャンLV4』の攻撃力の差は300だけど、『パワー・ツール・ドラゴン』が攻撃する時『ダブルツールD&C』の効果で『サイレント・マジシャンLV4』の効果は無効になる! つまり『サイレント・マジシャンLV4』の攻撃力は元に戻って2300の大ダメージだ! 『ガード・ブロック』を発動するならここだったね」

「いや、悪いがそうさせるつもりはない。トラップカード『立ちはだかる強敵』を発動。このターン、相手は俺の選択したモンスター以外を攻撃できなくなる。俺が選ぶのは『見習い魔術師』」

「くうぅ……じゃあ『パワー・ツール・ドラゴン』で『見習い魔術師』に攻撃! クラフティ・ブレイク!」

 

 『パワー・ツール・ドラゴン』の左腕に装着されたドリルが高速回転を始める。その先端を『見習い魔術師』に向けると、『パワー・ツール・ドラゴン』が飛来してきた。二体の距離は瞬く間に詰まる。

 『見習い魔術師』は緑光を放つ薄い膜のような結界を張るが『パワー・ツール・ドラゴン』のドリルの前にあえなく突破され破壊された。

 

「『サイレント・マジシャンLV4』は倒せなかったけど、これで『見習い魔術師』の効果は無効にできる!」

「残念だったな。『ダブルツールD&C』は墓地で発動するモンスター効果までは無効に出来ない。よって『見習い魔術師』が戦闘によって破壊され墓地に送られた時の効果は発動可能だ」

「えっ?!」

「この効果でデッキからレベル2以下の魔法使い族モンスター1体を場にセットする。俺がセットするのは『フルエルフ』だ。そして『立ちはだかる強敵』の効果で指定したモンスターが場を離れた事で、相手はこのターン攻撃を行う事は出来ない」

「くっそー!! 今度こそいけると思ったのに! カードを1枚セットしターンエンド! この時、『ジャンクBOX』で特殊召喚したモンスターは破壊される」

 

 どうやら限界を迎えたようで『D・ラジオン』は体から電気をピリピリ出して爆散する。それにより『D・ラジカッセン』に供給されていたエネルギーもなくなり攻撃力は元に戻った。

 

 

D・ラジカッセン

ATK2000→1200

 

 

 先の『ガード・ブロック』のドローで既にこのターンやる事は見えている。

 こんな状態だとドロー前にもかかわらずまだ余裕が感じられた。

 

「俺のターン、ドロー」

 

 流石にここでもう一度『魔法族の里』を張り直せないか。

 まぁ別に悪いカードではない。次のターンに以降の防御札が確保できたので安心してターンを進める事が出来る。

 

「『フルエルフ』を反転召喚」

「『フルエルフ』……?」

 

 表になったカードから現れたのは口元まで隠れる紫黒のマントに身を包んだ金髪のエルフ。マントの下には緑色のビロードの礼服を羽織り、甲冑を身に付けサーベルを持っている様は騎士のようだ。

 

 

フルエルフ

ATK800  DEF1300

 

 

 このデッキで戦い続けて意図的に場に出したのは初めてか。

 1枚しか採用してない事もあるが、思えば今日手札に来たとしても壁モンスターとして場に出す事しか無かったな。龍亞が怪訝な顔をするのも無理はない。

 

「『フルエルフ』は1ターンに1度、手札のモンスター1体を相手に見せて発動できる。見せたモンスターのレベル分だけこのターンのエンドフェイズまでこのカードのレベルを上昇させる。俺が見せるのはこいつだ」

「げっ、『カオス・ソーサラー』……」

「『カオス・ソーサラー』のレベルは6。よって『フルエルフ』のレベルは8まで上がる」

 

 『フルエルフ』の能力はレベル調整能力のみ。シンクロ召喚のレベル合わせには使えそうだが、今まで依頼用のデッキに採用する事は無かったせいで家で埃を被っていたカードだ。

 このデッキでも役割を果たしていなかったが、ここに来て活躍の機会がやってくるとは、このデッキも龍亞の闘志に当てられたか。

 

 

フルエルフ

レベル2→8

 

 

 『フルエルフ』のレベルが上がった事よりも龍亞は俺の手札に控える『カオス・ソーサラー』を見て顔を青くしていた。

 最初は『カオス・ソーサラー』の能力も知らなかったようだが、デュエルを重ねる内にその能力を実際に目の当たりにした事で龍亞の記憶に刻み込まれたようだ。

 

「墓地の光属性モンスター『マジシャンズ・ヴァルキリア』と闇属性モンスター『見習い魔術師』を除外し、手札から『カオス・ソーサラー』を特殊召喚する」

 

 紫炎と光焔が交わる一柱の光の柱の中から漆黒の魔法装をはためかせながら一人の魔術師が姿を現す。上半身を大きく露出させるように衣装は切れ切れになっており、その体を縛めるように十字のベルトが締められている。

 

 

カオス・ソーサラー

ATK2300  DEF2000

 

 

 万が一の召喚反応などの妨害のトラップを警戒したが、それは杞憂だったようだ。だが警戒を緩める気は無い。デュエルを繰り返したが龍亞の40枚のカードを全て確認した訳ではないのだ。事実俺もまだ出して無いカードがある。

 

「『カオス・ソーサラー』の効果発動。1ターンに1度、場の表側表示のモンスター1体を除外する。俺が選ぶのは『パワー・ツール・ドラゴン』」

 

 『パワー・ツール・ドラゴン』の背後の空間に罅が入る。その罅が広がり大きく空間が砕けると『パワー・ツール・ドラゴン』がそこに引き込まれていく。そこから離脱しようとしているようだがもう間に合わない。抵抗も虚しく『パワー・ツール・ドラゴン』は『カオス・ソーサラー』の作った異次元へ続く穴に引きずり込まれ消えていった。

 

「『パワー・ツール・ドラゴン』……くっ! けど、この効果を使った『カオス・ソーサラー』はこのターン攻撃出来ないんだよね!」

「その通りだが、だからと言って安心するのはまだ早いぞ? このカードを特殊召喚するにはレベル6以上の魔法使い族モンスター2体をリリースする必要がある。俺はレベル8となった『フルエルフ』とレベル6の『カオス・ソーサラー』をリリース!」

「えっ、何?」

 

 『フルエルフ』、『カオス・ソーサラー』の魂が魔力に昇華され生まれた膨大な魔力が立ち上り緑色の光の柱と青い光の柱となる。天に昇る二本の光の柱の光量が増していくにつれ空に暗雲が立ち籠め辺りが暗くなっていく。そして二人の魔術師の魂がすべて魔力に変化されると二本の柱が一本に統合され黒い光を帯び始める。

 

「手札から『黒の魔法神官』を特殊召喚」

 

 黒い光の柱が弾けた。

 その中から現れたのは黒を基調とした魔法衣を身に纏った魔術師。魔法衣の縁には金色の装飾がなされ、浅黒い肌が垣間見える服の隙間からは鍛え上げられた筋肉が見てとれる。肩の高さまである先端に水色の宝玉が埋め込まれた深緑色の杖を片手で振り回すと、空から青白い雷が辺りに降り注ぐ。これが『サイレント・マジシャンLV8』に次ぐ攻撃力を持つ最高位の魔術師だ。

 

 

黒の魔法神官

ATK3200  DEF2800

 

 

 暗雲はゆっくりと霧散していった。

 今は力を抑えているが、場に現れるだけで天候さえも変えてしまう程の膨大な魔力は圧巻だ。

 

「こ、攻撃力3200……」

 

 只ならぬ雰囲気の『黒の魔法神官』を見て龍亞は一歩たじろぐ。味方だと心強いが、敵側からしたら受けるプレッシャーは並大抵のものでは無いだろう。

 これが今までのデュエルでまだ一度も出していなかった切り札。今まではこのカードを出す前にライフを削り切っていたため出す機会がなかったが、今回ようやく出番が回ってきたと言う訳だ。

 龍亞の場には攻撃表示の『D・ラジカッセン』とセットカードが1枚のみ。『サイレント・マジシャンLV4』と『黒の魔法神官』の攻撃が全て通れば俺の勝ちだ。

 

「行くぞ、龍亞。バトルだ。『黒の魔法神官』で『D・ラジカッセン』を攻撃」

 

 『黒の魔法神官』が杖を『D・ラジカッセン』に向けると先端の宝玉が一瞬輝く。そしてそれが攻撃の合図だった。

 杖のから吹き出した炎が地面を滑りなら『D・ラジカッセン』に迫る。炎の出力は見る見る上がっていき、あっという間に『D・ラジカッセン』を飲み込まんばかりに膨れ上がった。

 業火の猛る音が場を埋め尽くそうとした時、龍亞の声が矢のように返ってきた。

 

「かかったね! 相手モンスターの攻撃宣言時、トラップカード『聖なるバリア-ミラーフォース-』を発動!」

 

 『D・ラジカッセン』の前に展開されたシャボン玉の膜のようなバリア。それが『黒の魔法神官』の放った業火を遮る。濁流のように溢れる炎を受けても尚それは破れる様子を見せない。それどころか徐々にバリアが光輝き始め、まるでそのエネルギーを吸収するかのようだ。

 

「これで八代兄ちゃんの場の攻撃表示モンスターは全滅だぁ!」

 

 『黒の魔法神官』の放った炎の一撃が収まると、バリアに今まで蓄積していたエネルギーが光の矢のように『黒の魔法神官』、『サイレント・マジシャンLV4』に殺到する。

 これこそが幾万の耐性を持たないモンスターを屠ってきた凶悪なトラップだった。

 

「ふっ……」

 

 ここに来て龍亞も初めて見せるトラップを発動させた。

 

 だが、それも想定の範囲内の事。

 

 まるで『サイレント・マジシャンLV4』を守るかのように『黒の魔法神官』が前に出る。

 そこに二条の光が『黒の魔法神官』ごと『サイレント・マジシャンLV4』を射抜こうと迫るが、『黒の魔法神官』はたった一振り杖を振るうだけでそれを打ち消してみせた。

 さらに空いている左手を『D・ラジカッセン』の前に展開されているバリアに向け握りつぶす動作をしただけで、バリアは音をたてて砕け散る。

 

「えっ?」

「『黒の魔法神官』はトラップカードが発動した時、その発動を無効にし破壊できる」

「そんな……」

「よってバトルは続行される」

 

 俺の言葉にあわせるように『黒の魔法神官』が再び『D・ラジカッセン』目掛けて炎を放つ。

 龍亞の場にセットカードはもう無い。

 故になす術無く『D・ラジカッセン』の姿は業火に飲み込まれた。

 

「うぐぐっ!!」

 

 

龍亞LP4000→2000

 

 

 その余波を受け懸命に耐性を保ちきった龍亞だが、既に龍亞を守る壁モンスターは消えた。

 それはつまり……

 

「『サイレント・マジシャンLV4』でダイレクトアタック」

 

デュエルの最後となる攻撃を迎えた。

 『サイレント・マジシャンLV4』が放った膨大な量の光の波に龍亜が消えていく。

 

“やっぱ八代兄ちゃんは強いなぁ”

 

 最後にそんな呟きが聞こえたような気がする。

 

 

龍亞LP2000→0

 

 

 

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————

 

 夕日がゆっくりと沈んでいく。

 そんな景色を龍亞は窓からぼんやりと眺めていた。いや、そうじゃない。きっと二人が帰ったシティの方を見ているのだろう。

 

「行っちゃったね」

「うん……」

「……しょげなくても良いんじゃない? またデュエルしてくれるって八代さんも言ってたし」

「…………」

 

 八代さんと静音さんが帰ってから龍亞はずっとこんな感じだ。難しい表情で考え事をしている。何を考えているかは察しがつく。八代さんが帰り際に龍亞に言った事についてだろう。

 別れる間際、八代さんは龍亞に言った事は私も覚えている。

 

 

————デュエルを重ねていくうちに良い動きをするようになったな、龍亞

 

————今日の最後の方みたいにデュエルの状況を見てプレイする観察眼を養うと良い

 

————あとお前に足りないのはカードの知識だ。だがそれを急いで座学で学べとは俺は言わない

 

————色んな相手とデュエルすると良い。そうしていくうちに自然とカードの知識はつく

 

————デュエルの経験と共にプレイングも研磨されるだろう。一回一回のデュエルを大切にな

 

 

 その時の八代さんの表情が少し優しかったのが印象に残っている。

 正直に言えば意外だった。その表情の事もあるけど、ただデュエルをするだけじゃなくて龍亞の事を見てアドバイスを送るなんて。最初に会った時の愛想が良くない印象を改めた。

 ただ“色んな相手とデュエルをすると良い”と八代さんは言ったが、それは今難しい。理由は簡単だ。

 

私がいるから。(・・・・・・・) 

 

 デュエルアカデミアに通う事も外に出る事も私のせいで制限されている今のままでは、龍亞の成長の機会を奪ってしまう。

 そんな事を思っている時、ふと静音さんが私に言ってくれた事が脳裏に浮かんだ。

 

 

————ね? 違ったでしょ、龍可ちゃん? 龍亞君は真っすぐデュエルと向き合ってるだけ

 

 

————だから龍可ちゃんの事を重荷だなんてこれっぽっちも思ってないんじゃないかな?

 

 

 龍亞が八代さんにデュエルを挑み続ける理由を話した後、静音さんは私にそう言ってくれた。あの時の龍亞の姿を見た今なら分かる。龍亞は私の事を重荷とは思ってないのだろう。

 

 けど……

 

 私が龍亞の重荷になっているって事は事実だ。

 

 だから言わなくちゃいけない。

 龍亞の目指す夢を邪魔しないために。

 デュエルアカデミアに通うようにと。

 

「よしっ、決めた!」

「っ!? どうしたの?」

「俺、八代兄ちゃんを師匠にする」

「……え?」

「だから! 八代兄ちゃんの弟子になるの! だってほら、弟子は師匠の教えに従うものだろ? 八代兄ちゃんのアドバイス通りにいっぱいデュエルして、うんとデュエル強くなって、いつか八代兄ちゃんを超えてキングになるんだ!」

「あっ……うん、そうだね……」

 

 私が言うまでもなかった。

 “いっぱいデュエルをする”と言う事は、つまり龍亞は決めたようだ。一人でデュエルアカデミアに通うと。

 その方が良い。私も龍亞のお荷物なんて嫌だ。これが一番龍亞にとって良い事なのだ。私はその決意が揺らがぬように笑顔で送り出さなきゃいけない。

 そのはずなのに……

 

 

 

 

 

 どうしてだろう? 胸の奥が痛い。

 

 

 

 

 

「……ぇ、……か。ね……龍可」

「……あっ、え?」

「ねぇ聞いてる龍可? GDSってどうやって設定するんだっけ?」

「えっ? 何?」

「だから、GDSの設定だよ。あれ、どうやんだっけなぁ……」

 

 GDSとはGlobalDuelingSystemの略でデュエルディスクをネットに繋いで世界中のデュエリストとデュエルが出来るシステムの事だ。デュエルディスクをネットに繋いでモニターを接続すれば、デュエルフィールドの様子がモニターに表示される。デュエルディスクとモニターをネットに繋げればいつでもデュエルが楽しめると言うキャッチフレーズで世界中に広まったものだ。

 だけど利用者は意外と少ない。主な理由はソリッドビジョンでは無いので迫力に欠ける事や、相手が見えない事を良い事に改造デュエルディスクなどによる不正が多発した事にある。龍亞も昔少しだけやっていたが、相手も見えないただの映像だけじゃ物足りなかったようで直ぐに飽きてしまったものだ。

 

「……どうして?」

「どうしてって……龍可、聞いてなかったの? 八代兄ちゃんが俺にくれたアドバイスの事。色んな相手とデュエルした方が良いって言ってただろ?」

「違う。そうじゃない。なんでGDSなの? あれ龍亞好きじゃなかったでしょ?」

「え? だって毎日デュエルするにはそれしか無いじゃん」

「っ! だったら、私の事なんか気にしないでデュエルアカデミアに通えば良いじゃない!」

 

 つい、言ってしまった。

 龍亞は全く悪くないのに、当たってしまった。

 叫んだ後直ぐに冷静になって後悔した。堪らず龍亞から目を逸らす。

 こんな形で伝えるはずじゃなかったのに……

 きっとこんな言われ方をしたら怒るだろうな。

 

「……あのさぁ、前も言ったじゃん。龍可と一緒じゃないと楽しくないって。一人でデュエルアカデミアに通うなんて俺はやだよ」

「……っ!」

 

 しかし龍亞からの返事はいつもの調子だった。

 顔を見れば少し呆れたような、それでいて私を安心させるように優しい表情を浮かべていた。

 予想外の反応に驚いていると、龍亞は言葉を続ける。

 

「それに俺、龍可に近くで見てて欲しいんだ。俺が強くなるとこ。強くなって八代兄ちゃんを超えてキングになるところをさ」

 

 真剣な表情で真っすぐに私を見ながら龍亞はそう言った。

 

 

 

 トクンッ

 

 

 

 心臓が僅かに跳ねた。

 

 

「……私、龍亞の重荷じゃないの?」

 

 思わずそんな言葉が溢れた。

 どうしてそんなことを聞いたのかは分からない。そんなこと分かりきっているはずなのに。

 龍亞は一体どんな表情で返事をしてくるだろうか。胸に不安を抱きながら私は龍亞の返事を待った。すると……

 

「おも、に……? えっ、何っ?! 龍可って重いの? あっ、もしかして太った?!」

「……なっ! もうっ! バカっ!!」

「あれれ〜? ムキになって怒るって事はやっぱり太ったんだぁ!」

「違う! あぁもう色々と考えてたのがバカみたい! こら龍亞! 待ちなさい!! 今日という今日は許さないんだからー!」

「へへっ! やぁーだよっ!!」

 

 調子に乗って囃し立てる龍亞にお仕置きをすべく私は逃げる龍亞を追いかける。

 果たしてわざとやっているのか、それとも素でやっているのかは分からない。

 だからこの"ありがとう"という言葉はまだ胸にしまっておこう。

 

 

 

————————

——————

————

 

 同刻。

 奇しくもそれが行われていたのはトップスに軒を連ねる超高層ビルの地下の一室だった。

 そこを見た何も知らない人間はまず眉をひそめる事だろう。

 何せ入り口の障子には似つかわしくない金属のドアノブがつけられているのだ。

 違和感を覚えながらドアノブを捻り戸を引くと更に異様な空間が広がっている。畳が20枚敷き詰められた大部屋、そこで真っ先に目につくのはこの部屋を左右に割るように鎮座する脚の長い西欧のアンティークテーブルだ。テーブルの脚には金箔の張られた装飾がなされ、台は白い大理石で出来ている。テーブルの両脇には黒皮のソファーがずらりと並び、一番奥の左右のソファーには二人の男が腰掛けていた。入り口と向かい合う位置にあるテーブルの奥には紫の座布団がソファーと同じ高さまでを積み上げられており、その上には老人がちょこんと座っている。

 それだけでも異様な光景だがそれ以外にも奇妙なものが多く見受けられる。

 例えばこの部屋の壁。入り口は障子戸で床には畳が敷き詰められ和室の要素を持っているにも関わらず囲む壁は赤煉瓦である。例えば老人の背にある壁に掘られた暖炉。薪が積まれるべきそこには古ぼけた龍地紋の香炉が鎮座している。例えば暖炉の上の"夢幻泡影"と書かれ額縁に入れられた掛け軸。一見すると達筆な書家が書いたように見えるそれだが、その実紙から文字まで全て精巧描かれた油絵である。例えば天井にぶら下がっているシャンデリア。蝋燭の形をしたランプがあるべき場所からは小さな提灯がぶら下がっている。他にも細かい所を上げていけばキリが無い。

 そんな世界の文化をあべこべにしたような空間には重苦しい空気が漂っていた。座布団に座っている老人は貼付けられたような不気味な笑みを浮かべており、左右に腰掛ける男二人はどちらも真剣な面持ちだ。その誰もが口を開かない状況がますます何か言葉を発することは勿論、不用意に音をたてる事すら憚られるような空気を作り上げていた。

 

「あぁ……蝦蟇君、そして鼠君も、今日はわざわざ来てもらってすいませんね。蝦蟇君とこうして顔を合わせるのは……何時ぶりでしたかね?」

 

 最初に口を開いたのは座布団の上に乗った老人だった。パッと見の印象は数百年生き続けたかのような妖怪を思わせる。顔には乾涸びたミイラの様に数えきれない程の皺が入り、微笑んでいるのか、ただ目を閉じているのかさえ区別がつかない。毛髪が無いせいなのか浅黒い肌の卵型の頭が大きく見える。いや、実際猫背に曲がった小柄な体躯の割に頭は大きい。そんな老人が黒のスーツに赤い蝶ネクタイという格好をして座布団の上にちょこんと座っているのだから何かのマスコットキャラクターのようだ。

 

「去年の6月の総会以来ですから10ヶ月ぶりぐらいですかね。ご無沙汰してます、梟の旦那」

 

 答えたのは恰幅の良い中年の男だった。体型のせいで一人掛けのソファーが窮屈に見える。だがその姿からはだらしなさを感じさせない。それは何処となく漂う長年修羅場をくぐり抜けてきた雰囲気からくるものなのか。襟元に小さく刺繍のされた背広を着こなす姿からは威厳を感じさせる。

 

「おや、もうそんなに経ちますか。時が過ぎるのは随分と早いものですね、ふっふっふっ。っと、それとこの前は迷惑をかけました。局の方からのどうしてもと言うお願いがありましてね。蝦蟇君のお気に入りの島にガサ入れなんてことになってしまいすいませんでした」

「いえ、局からの要請ならこちらも無碍にはできませんから。それに局の方も世間様に仕事熱心な様をアピールとは大変なようで」

「ふむ、確か“密着セキュリティ24時”でしたかな。元プロでそこそこビックネームの氷室さんが出た事で番組も良い数字が出たそうですね。おかげで目的の大凡は達成できたとか」

 

 梟と呼ばれた老人の言葉の後、一拍の間が空く。

 会話をする中で生まれる自然な間。その間の沈黙など日常生活で気にする人間はほとんど居ないだろう。

 だが、この蝦蟇と呼ばれた男は違った。梟が言葉を終えてからのこの一拍の間に自分が試されている事を悟り、脳を振る回転させ彼の言い含めた事を瞬時に理解し、彼の求めている答えを口にする。

 

「大凡と言うと……残りはニケですかい」

「…………」

 

 蝦蟇の言葉への返答は沈黙。

 梟に張り付いていた笑みは固まったまま、されど言葉を続ける事はない。

 蝦蟇も表情こそ変える事はなかったが、じんわりとその手には湿り気が帯び始めていた。この部屋の静寂がより一層己の心臓の鼓動を嫌なくらいに伝えてくる。

 まるで会話が始まる前まで時が遡ったかのように重苦しい空気が部屋を支配していた。端から見ているだけでも胃が痛くなるような沈黙が蝦蟇の身に重く伸し掛っているようだ。

 そんな中、蝦蟇は先程の自分の答えを必死に考え直していた。だがいくら思考を巡らせても先程の答えの他の解を導き出せずにいた。思考の迷宮に意識が捕われそうになった時、ようやく梟が口を開いた。

 

「……ふっふっふっ、流石は蝦蟇君ですね」

「はぁ……からかうのはやめてくだせぇ旦那。旦那程じゃないですがワシも結構歳なんですわ。こんな試され方を続けたら何時心臓が止まるかも分かりません」

「ふふっ、60などまだまだですよ。蝦蟇君にはまだまだ頑張って頂かないと。まぁ蝦蟇君の予想の通り、おそらく本当の目的はニケ君を挙げたかったというところでしょうか。ふっふ、結果は上手くいかなかったようですが」

「えぇ、そのようで。それからもウチの関係の依頼をこなしています……ただ当のニケは最近治安維持局の犬の真似事もしているとか」

 

 蝦蟇の声のトーンが低くなる。それだけで部屋の空気に緊張が奔る。

 蝦蟇は言外に伝えていた、“ニケにケジメをつけさせるのか”と。

 しかし梟は蝦蟇から発せられる圧力に動じる事無く、微笑んだ表情を崩さずに変わらぬ調子で答えた。

 

「放っておきなさい。彼の行動原理は所詮金。実に分かりやすい。必要以上に向こうに肩入れをするような事は無いでしょう。それに彼は我々にとって不利益を被るような依頼は受けませんよ、絶対に」

「……まぁ旦那がそう言うのならワシから言う事はありません。これでもあいつの事は買ってるんで」

「ふっふっふっ、そうですか。蝦蟇君に買われるほどになるとは……全く良い駒に育ってくれましたね(・・・・・・・・・・・・・・・)

「…………?」

 

 梟の最期の言葉はまるで謎の多いニケの過去を知っているともとれる。蝦蟇はその真意を量りかねていた。一方の梟は不気味な笑みを一層深くするだけで、それ以上言葉を続ける事はない。

 その意味を問うべきか否か。

 生まれた沈黙の中で蝦蟇は少し考える。結局この話題に触れていい所なのかは梟の様子を見ながら考えるべきと判断。そう決め口を開こうとした時、それを遮るようなタイミングで「ごほんっ」と咳払いが入る。その主はこの場でまだ一言も言葉を発していない鼠と呼ばれた男だった。

 蝦蟇とは対称的にひょろっとした細身の体つき。そのせいで黒いスーツはダボついて見える。きっちり七三分けにされた黒髪をワックスで固め、メガネを掛けていると言う風貌からか知的な印象を受ける。金の指輪に金の腕時計、金のネクタイピンなど所々に金の装飾品が確認出来る。

 この咳払いは自分の存在感を示す行為。話題に取り残されていた鼠だが、その表情から感情を読む事は出来ない。梟もまた表情を変化させる事無くようやく蝦蟇に向けていた顔を鼠に向ける。

 

「これは失礼しました、鼠君。すっかり我々だけで話し込んでしまって。今日は“轟組”と我々“遊々会”の手打ち式だと言うのに」

「……いえ、お気になさらず。それで仲介人の方は?」

「御心配なさらず。もう着いたそうですよ」

 

 コンコンと言うノックの音が部屋に響いたのは梟がそう言った直後だった。

 まるで戸の向こうを見透かしているかのような梟の言葉に少々鼠は驚く。

 梟が「どうぞ」と告げると、襖戸が開けられる。そこにいたのは前髪を大きく右に流したヘアスタイルが特徴的な褐色の髪の男だった。無難なグレーのスーツを着たその男は戸を開くと梟たちへ一礼する。

 

「梟殿。ご無沙汰です」

「えぇえぇ、ご無沙汰ですね、ディヴァイン君。どうですか、最近の景気は?」

「おかげさまで、上々ですよ。この前はウチの者をご利用頂きありがとうございました。これからも御贔屓下さい」

「ふっふっふっ、それは結構。彼も紛い物(・・・)ながら見事な腕ですね。また機会があれば声をかけさせてもらいますよ。それでは……」

 

 そう言って梟は積み上げられた座布団から飛び降りる。蝦蟇は座っていたソファーの一つ隣にずれ、蝦蟇が今まで座っていたすファーに梟が座る。そしてディヴァインが梟の乗っていた座布団のタワーを横にずらすと、これでディヴァインを中心に梟と鼠が向かい合う位置関係になった。

 

「では、早速。この度“遊々会”と“轟組”の手打ち式にて仲介人を務めさせて頂くディヴァインです。若輩者ですがよろしくお願いします。それで、形式の方は?」

「細かいしきたりは省略して良いでしょう。鼠君もそれで良いですか?」

「はい、構いませんよ」

 

 ディヴァインは日本酒を開けると白い盃を二つ取り出して、それぞれに酒を注いでいく。二つに注ぎ終えるとその盃を梟と鼠の丁度間に置いた。

 

「それではこの度の手打ち式は盃交換の儀のみを執り行ないたいと思います。双方には今までの事はさらりと水に流されまして、今日只今より末永く仲良くして共に協同に邁進されますよう。ではその盃、五分手打ちの盃でございます」

「…………」

「…………」

 

 梟、鼠の二人は黙って盃を取るとそれを一気に呷る。

 お互いに盃を飲み干したタイミングは同時。

 盃をゆっくり戻すと梟と鼠は固い握手を交わした。

 仲介人であるディヴァインがそれを見届け、この式はお開きとなる。

 

「鼠殿の所の……あぁ……なんと言いましたか……あのデュエル屋は……」

「“世紀末トライデント”ですよ、旦那」

「そう。その“世紀末とらいでんと”君にはケジメを取ってもらったことですし、この式をもって蝦蟇君の島を荒らした件についてはこれで手打ちと言う事でよろしくお願いします」

「えぇ、こちらこそ。これから“遊々会”とは良い関係を築いていきたいです。では、本日はこの辺りで」

「では梟の旦那。わしが外まで送ってきます」

「頼みましたよ、蝦蟇君。それでは鼠君、またお会いしましょう」

 

 鼠と蝦蟇は一礼をしこの部屋を去っていった。

 残されたのはディヴァインと梟のみ。

 ディヴァインが真中の席を離れると梟はソファーから飛び降りて再び座布団タワーを元の位置に戻しその上に乗っかる。その様子を鑑みるに梟はその座布団の上を気に入っているようだ。

 

「いやぁ、仲介人などと言う役目で君を呼び出してしまって申し訳ない」

「いえ、お気になさらず。私も梟殿にはこの辺りでお会いしたかったので寧ろ好都合でしたよ」

「ほう? 本日はどのような御用で?」

「はい。先日、ようやくデータを取り終えまして、いよいよ計画を実装フェーズに移っていく目処が立ちました」

「ふふっ、それは何よりですね。しかしここまで予定より随分と遅れが生じているようですが」

「えぇ。計画立案当初、実用可能な力の発現者は私を含め2人だったのですが、計画の途中で逸材を見つけましてね。急遽3人目としてその者を計画に組み込んで試験データを取っていたら、予定以上に時間がかかってしまいました。ですが、おかげで力の発現のメカニズムがより確実に解明されましたよ」

「ふっふっふっ、結構結構。ディヴァイン君の計画が上手くいけば間違いなく世界は変わるでしょう。私はこれからも君を応援させてもらいますよ」

「心強いお言葉です。今後もよろしくお願いします。では、私もそろそろ」

 

 短い報告を済ませるとディヴァインも出口に向かう。

 だが途中でふと何かを思い出したかのように立ち止まり梟へと向き直る。

 

「あぁ、それと」

「……?」

「ようやく私の求める物へ繋がる鍵を見つけました」

「……ほほう。それは……確認をされたのですかな?」

「いえ、それはまだです。ただ、あの“白”は恐らく間違いないかと。まぁその確認は足がつかない者にさせるつもりですが」

「……それはそれは」

「最後にそれだけは伝えようと思いましてね。では、また」

「えぇ、それでは気をつけて」

 

 そんなやり取りを終えると今度こそディヴァインはこの部屋を出た。

 ディヴァインが去ったのを見届けるとこの奇妙な部屋には梟一人が残される。

 

「……そろそろ頃合いですかね。この身を以て静寂の水面に一石を投じるのもまた一興。果たして彼はどんな反応をするのやら。ふっふっふっ」

 

 不気味な笑みを浮かべる妖怪の呟きは静寂へと飲み込まれていった。

 

 

 

————————

——————

————

 

 日はすっかり暮れていた。

 何を考えるのではなく俺は家の近くのベンチに腰掛けて空を眺めていた。

 そうしているとなんだか時間がゆったり流れているような気がする。思えばつい最近まで色々とバタバタしてたな。あの時期は大変だったが過ぎてしまうと随分と前のようなことに感じる。

 なぜ俺がこんな所で黄昏てるか。いやこれは黄昏てるのではなく単に手持ち無沙汰なだけだ。サイレント・マジシャンが戻ってくるのをここで彼此十分ぐらい待っている。

 俺がこうしている間に彼女は今山背静音として一度帰宅しているところだ。一応山背静音は一人暮らししているということにしているので、そのための格安物件も購入してある。おかげで大分金は飛んでいってしまったが。

 

「はぁ」

 

 吐く息が白い。

 昼間暖かかったのが嘘のように日が暮れると大分肌寒い。

 コンビニで買った缶コーヒーのホットもすっかり温くなってしまった。残りを一気に飲み干すと缶を隣のゴミ箱に放る。やはりサイレント・マジシャンが入れてくれたコーヒーの方が美味いと思う。

 

『お待たせしました!』

「……おう」

 

 噂をすればというやつなのか、サイレント・マジシャンが丁度精霊状態で戻ってきた。頬が僅かに上気しているのは寒さのせいか、急いで飛んできたせいか。後者だとしたら少し申し訳ないことをした。

 精霊状態の彼女はいつもの見慣れた白を基調とした衣装を着た姿。なんだかようやくいつも通りに戻ったように感じる。こんな事も感じなくなった時はきっとサイレント・マジシャンがアカデミアに通う事が俺の中の日常として受け入れられた時なのだろう。まだ始まったばかりの新生活だが、慣れるのは案外そう遠くない日な気がした。

 腰を上げ自宅へ歩を進めていくと、サイレント・マジシャンはフワフワと浮かびながら俺と同じスピードで横に並ぶ。たとえ彼女がアカデミアに通うようになっても、こうして二人並んで過ごす事は無くならないのだろうな。

 そんな柄でもない事を考えているとサイレント・マジシャンが話しかけてきた。

 

『今日は色々な事があった日でしたけど楽しかったです』

「そうか。そいつは何よりだ」

『マスターはどうでしたか?』

「そうだな。あんなにデュエルをするとは思わなかったが、まぁ悪くない日だったと思うよ」

『良かったです。でも龍亞君にアドバイスを残したのはビックリしたというか、意外でした』

「……少し昔を思い出してな」

『昔……ですか?』

「あぁ。俺もあのくらいの頃は純粋に強くなりたくて、あんな感じにひたすらデュエルしてた。だから少し期待してるのかもしれないな。また俺に挑んでくる時にはもっと強くなってやってくるんじゃないかってな」

『そうですね。多分龍亞君は強くなりますよ、ふふっ』

「ん? 何かおかしかったか?」

『いえ、そう言う訳じゃないんです。ただ、今凄く優しい表情をしてたから、なんだか私まで嬉しくなって。マスター最近表情が柔らかくなりましたよね?』

「そう……なのか? あんまり自覚はないが」

『ふふふっ、良い変化だと思いますよ』

 

 そんな会話をしていると、もう家のドアの前についてしまった。

 鍵を開けて入ろうとした時に今日買った雑誌の事を思い出した。あの雑誌をネタに今日は狭霧と普通に話せるだろうか。

 一瞬そんな不安が頭をよぎるが、そんなことはやってみなければ分からないと割り切りドアを開ける。

 

「……ただいま」

「あら? お帰りなさーい。ちょっと遅かったけど何かあったの? 山背さんとデート?」

『……っ!!』

「っ! 違いますよ。前に知り合った双子の子達とバッタリ会ってデュエルしてただけです」

「ふーん。まぁ良いわ。そういう事にしておいてあげる」

「そういう事も何も本当にそれだけですよ」

 

 リビングのドアから顔を覗かせた狭霧の様子は拍子抜けする程いつも通りだった。

 そんな様子に少し安心しつつ、リビングに行く前に自室に向かい鞄を置く。

 玄関に入った時から俺好みの香ばしいスパイスの香りが漂っていたおかげで空腹感が増していた。

 洗面所で手早く手洗いうがいを済ませるとリビングに向かう。

 

「今日はカレーですか。良い匂いがしますねって、えっ?!」

「ふふふっ、凄いでしょ? 結構頑張ったのよ」

 

 テーブルの上に並べられていた料理は俺の予想よりも遥かに豪華だった。

 中央には鍋が二つ置かれ、片方には濃厚な赤黒い色をしたカレーが、もう片方には黄色が強いカレーの二種類が入っている。さらに席の前にあるランチョンマットの上には人の顔程の大きさのふっくらしたナンがのった皿に、大きな鶏もも肉のローストチキンとレタスやトマトなどの野菜が盛りつけられた皿が置かれている。

 さながら何かのパーティのような豪勢さだった。

 

「えっとね、こっちのカレーが赤ワイン煮込みのビーフカレーで、こっちはチキンインドカレー。ナンも頑張って手作りしてみたの。流石にこのローストチキンは買ってきたヤツだけど」

「凄いですけど……今日はなんでこんなに豪華なんですか?」

「はぁ……やっぱり忘れてたのね」

「……?」

 

 はて、今日は四月七日だが何か特別なイベントのある日だっただろうか?

 いくら思考を巡らせど世間一般に知られているような特別な記念日は何一つ頭に思い浮かばなかった。

 考えあぐねる俺を見かねた狭霧は小さく息を吐くと穏やかな表情でこう告げた。

 

「四月七日。今日はあなたの誕生日でしょ?」

「あっ」

 

 自分の誕生日。

 それは俺の頭の中からすっかり抜け落ちていた事だった。この世界に来てから自分の誕生日を祝う余裕などなかったのだから、忘れていても無理はないのだろう。精々誕生日はふとした拍子に過ぎている事に気付いて、年を重ねた事を認識すると言う程度の日でしかなくなっていた。

 故にこうして誰かに祝われるという事に新鮮さすら覚えた。

 

「去年はまだここに一緒に暮らし始めたばかりで、私もうっかりしてて誕生日を祝い損ねちゃったの。けど今年は覚えてたわ。ということで今日はサプライズパーティよ! はいっ! これは誕生日プレゼント」

「あ、ありがとうございます。なんか大きいですね。開けてもいいですか?」

「えぇ、どうぞ」

 

 狭霧から渡されたのは大きなオレンジ色の紙袋。口が金色の丸いシールで止めてあり、それを空けると紐で口を締めるタイプのビニール袋が入っていた。その中には夏物のTシャツが3枚に白の短パンとデニムが1本ずつ、そして黒の革のベルトが1本。どれも若者向けのブランド物なのだろうが、生憎服装に興味を持った事がなかったせいで、これがどれ程良い物なのかまでは分からなかった。

 

「八代君、何が欲しいとか普段言わないでしょ。それとなく聞こうにも“特にないです”って返されちゃうし。それで最初はカードにしようかなとも思ったんだけど、何が欲しいかわからなかったから無難に服にさせてもらったわ」

「こんなにたくさん……ありがとうございます。大事に着させてもらいますね」

「ふふっ、どういたしまして。ほとんど夏物だから夏にどんどん着ていいからね」

「分かりました。じゃあちょっと部屋に置いてきます」

 

 折角の作り立てのご馳走が冷めないよう俺は足早に部屋に戻った。

 狭霧から受け取った服を畳んでクローゼットに入れると、収納された服の量が増えようやくクローゼットらしくなったように感じる。

 こうして見ると価値までは分からなくともなんとなく良いものだと思えた。

 

『マスター』

「ん?」

『お誕生日おめでとうございます』

「……ありがとう」

 

 サイレント・マジシャンからそう言われると同時に自分の誕生日を祝われたと言う実感が得られ、胸の奥が温かくなるような感覚を覚える。

 思えばサイレント・マジシャンから誕生日を祝われたのも初めてのことだ。こうして正面から言われると慣れない感じがするのは当然か。この世界に来てから狭霧に拾われるまではそんな事はおろか会話もほとんどなかったくらいだし。

 少し感傷に浸っていると仕事用の端末に新規のメッセージが一件。これからご馳走にありつける時だと言うのに空気を読んで欲しいものだ。

 手早く確認を済ませようとメッセージを開くと送り主は雑賀だった。あいつにはこの一週間は休暇にすると言う旨の連絡をしていたはずなのだが。

 

 

 

From 雑賀

いきなりな連絡ですまん。

信頼出来るお前だからこそ頼みたい事がある。

まぁ主な要件は会ってから伝えたい。察してくれ。

本来休みなのは承知しているが、今週の土曜日を空けて欲しい。

出来ればすぐこの件は済ませるつもりだが、万が一無理なら連絡してくれ。

返事は遅くても今日中に頼む。もう店の予約をしたいからな。

ひとまずシティのいつもの店に来てくれれば構わない。また連絡する。

 

 

 

 連絡から見る限り急な依頼がやってきた事は推測出来る。だが依頼主は分からない。

 一見するとそうなのだが、“察してくれ”の一言で俺はこのメッセージに隠された依頼主の名前を把握した。そしてそれと同時に思わず本音が漏れた。

 

「……マジか」

『どうしたんですか?』

「まさかこんな有名人から依頼が来るとはな」

 

 この時の俺は気付かなかった。

 この依頼が己の運命を狂わせていく始まりであると言う事を。

 


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