人通りの少ない裏路地。
7時にもなるとすっかり空は暗くなるが、街頭のない裏路地ともなると3メートル先すら見通せない闇が広がっている。当然そのような通りに進んで入る一般人の姿は無く、たまに見かけるのは息をひそめている浮浪者か表で堂々と活動できない裏世界の住人のどちらか。
その例に漏れず俺はいつもの髑髏仮面とローブを纏い半透明な状態のサイレント・マジシャンを伴ってそこを堂々と闊歩する。
目指すのは雜賀と待ち合わせをしているシティにあるビルの地下のバー。
妙な連中に絡まれる事無くバーの扉の前まで来れたのはよかったのだが、そこでおかしな事に気がつく。
《CLOSED》
扉の前に掛かった看板はその面が表になっていた。
『閉まってますね』
「おかしいな。メールには確かにこの店と書かれていたんだが……」
雑賀にメールでもう一度場所の確認をする前に駄目元でドアノブに手を掛けると、予想に反し扉は開いていた。
扉を開けると中には当然客の姿は無い。この時間帯なら少なくとも2、3人は客が居て、マスターと話をしていたり、スローテンポなジャズの生演奏があるものだが、店内はシンと静まり返っている。扉に掛けられたドア鈴の音だけが虚しく店内に響いた。
この音が聞こえたようで店の厨房に繋がるドアから若い男のウェイターが小走りでやってきた。だがいざ俺の前まで来ると、ようやくこの姿に気付いたのか一歩後退る。
「さ、雜賀様のお連れの方でいらっしゃいますか?」
「あぁ」
「さ、さようでございますか。どうぞ、こちらです」
ウェイターの挙動はぎこちなく営業スマイルも固い。頻繁に顔を出すわけではないが、雑賀と顔を合わせる時は決まってこの店のためか、これでもこの姿を見た時の彼のリアクションは大分マシになってきたように感じられた。
そんなことを考えているおとウェイターに個室の並ぶ廊下まで案内される。
「雑賀様はこの廊下の突き当たりの16番の部屋にいらっしゃいます。ドリンクのご注文はもうお決まりでしょうか?」
「プッシー・キャットを頼む」
「畏まりました」
今回頼んだプッシー・キャットもノンアルコールカクテルの一種である。オレンジ、パイン、グレープフルーツジュースを混ぜたものにザクロ果汁と砂糖から成るノンアルコールのグレナデン・シロップを数滴加えたカクテルで飲みやすい。
16番の部屋のドアを開けると、雜賀が既にドアと向かい合う位置にある一人掛けのソファーに腰掛けていた。
この部屋の内装が変わった様子はない。部屋の中心にあるガラステーブル。一人掛けのソファーがガラステーブルの奥のドアと向かい合う位置とその左に一つずつ、右には二人掛けのソファーが置かれ丁度テーブルをコの字に囲む様に配置されている。ソファーと壁の距離は人二人が問題なく通れる程開いているため開放的だ。
俺はもう一つの一人掛けのソファーに腰を下ろした。
「相変わらず時間はピッタリだな」
「あぁ。例の依頼人は?」
「それなら30分程待ち合わせの時間はずらしてる。依頼主が来る前にお前に聞きたい事があってな。お前も聞きたい事があるんじゃないか?」
「そうだな。正直半信半疑でここまで来た。今回の依頼人は、俺でも知っている……あの人物で間違いないのか?」
「その様子なら俺のメールを読んで気が付いたようだな。あぁ、お前の思い描く人物で正解だろうよ」
「なるほどな。じゃあ店が今日貸し切りなのもそう言う事情なのか」
「そう言う事だ」
まずは半信半疑だった依頼主の確認。
メールを見た時は信じられなかったが、どうやら本当にあの“彼女”のようだ。
「はぁ……しかしまた、何でなんだ?」
「まぁ、その反応が当然だろうな。最初は俺も思ったよ。何でこんなところから依頼が来るんだってな」
「その様子じゃここまで行き着いた経緯までは把握していないのか?」
「まさか。当然もう調査済みだ」
「愚問だったな。流石に仕事が早い」
「お前の聞きたい事はそれだけか?」
「あぁ。依頼人の事情にまで踏み入るつもりはない。依頼内容ついては依頼人を交えて話した方が事がスムーズに進むだろう」
「……分かった」
ドアをノックする音が響いたのは丁度話が切れたタイミングだった。
入るのを促すと「し、失礼します」と腰の引けた様子で先程のウェイターの男がドアを開ける。左手のトレイの上にはスライスされたオレンジがグラスの縁に飾られたオレンジ色のドリンクが乗せられていた。
「ご注文のプッシー・キャットです」
「どうも」
「ごゆっくりどうぞ」
そう言ってウェイターは部屋を出て行った。
ストローで飲めるよう仮面の歯を一本一本外していく。
「それで、俺に聞きたい事があるんだっけか?」
「聞きたい事と言うか、話したい事と言うか」
「珍しいな、何だ?」
「“世紀末トライデント”を覚えているか?」
「……何の名前だ?」
「丁度去年の今頃お前が戦ったデュエル屋だ。スキンヘッドとリーゼントとモヒカン頭が特徴的な三人組の」
「あぁ、あいつらか」
「思い出したか」
「特徴的だったからな。そんな名前だとは知らなかったが。あいつらがどうかしたのか?」
「一ヶ月程前に襲撃された。二人は意識不明。一人は恐怖でおかしくなったそうだ」
襲撃。
その単語に俺は違和感を感じ取った。
その三人組は確か三ヶ月くらい前に俺とデュエルして違法の衝撃増幅装置を使った事で逮捕されていたはず。留置所が襲撃を受けたなんて言うニュースは無かった事を鑑みると連中は僅か二ヶ月で釈放された事になる。何やら色々とキナ臭い話になってきた。
「……それで?」
「やったのは“暴虐の竜王”だそうだ」
「…………」
「“暴虐の竜王”が猛威を振るっていたのはもう3年も前の事。当時腕利きだったデュエル屋達が挑むも次々とやられていった。恐らく当時最強のデュエリストだっただろう。だがそんな奴はある日を境に忽然と姿を消した」
「……らしいな。だが、話の意図が見えない。それが俺と何か関係あるのか?」
「分かっているだろう? そしてその後直ぐお前は現れた。そのお前はもう3年間も裏の世界で無敗のデュエル屋だ。その二つの事実を結びつける事は自然な事だろう。噂にもなってる。極めつけは唯一の目撃情報だ」
「“白き魔術師が黒き邪竜を討った”……か」
『……』
「そうだ。……あぁ、勘違いするなよ。別に俺はあの日の事をお前に問い質す気は無い。ただ俺が言いたいのはお前があの日“暴虐の竜王”を倒していようがいまいが、とにかく奴は再び現れた。狙いは分からないがデュエル屋が襲われている。だから」
「気をつけろ、と?」
「……そう言う事だ」
「忠告には感謝しておく」
「ふっ、その様子じゃ気にも掛けてなさそうだな」
「当然だ。相手が誰であれ俺の前に立ちはだかるのならそいつを倒すだけだ。俺に敗北は許されない」
「頼もしい事だ。いや、それでこそ3年間無敗のデュエル屋“ニケ”か」
雜賀はグラスを傾ける。その表情は俺が予想通りの返事をしたからか満足げだ。
プー、プー、と一定間隔でくぐもった携帯のバイブレーションの音が響いたのは突然だった。その音は俺では無く雜賀かの方から聞こえてくる。
「ん?」
雜賀は携帯をジャケットのポケットから取り出すとその連絡内容を確認し始めた。通話を始めると気配は見えないのでどうやら電話ではなかったようだ。二、三秒で確認を終えた雜賀は立ち上がり部屋のドアに向かっていく。
「悪い、少し席を外す」
「何かあったのか?」
「依頼主が店が閉まってるのを見て場所の確認の連絡をしてきた。今店の前に居るらしいから本人かの確認がてら迎えにいってくる」
「そうか」
「直ぐ戻る」
そう言うと雜賀は部屋を小走りで出て行った。
この部屋は一人で居るには少し寂しく感じる。だが今はこうして誰も居なくなった状況はありがたい。なぜなら……
「今のうちに話しておこうか」
『そうですね。まさか“暴虐の竜王”が動いているなんて話を聞く事になるとは……一体どういうことなんでしょう?』
「わからない。そういえば前にゴドウィンも探しているようだったな。あの時はシラを切らせてもらったが、全く随分と懐かしい名前だ」
今のうちにサイレント・マジシャンと情報の整理ができる。
“暴虐の竜王”
依然その名前が挙がったのは初めてゴドウィンにあった時。あの時は探したとしても、もう二度と世の中に現れる事の無いものだと思って完全にスルーしていたが、ここにきてまさかの目撃情報とは。一体何が起きているというのだ。
『……おかしいですよ。ありえないことです』
「あの封印は?」
『破られた形跡はありません』
「そうか……」
そのデュエルは荒々しく、漆黒の竜を従え、デュエルをした後は辺りに破壊の限りが尽くされている事から付けられた通り名。それが“暴虐の竜王”。そのためそいつのデュエルが始まると近くに居る人間は一目散に避難していったと言う。また挑んだデュエリスト達は悉く破られ無事では済まなかったため、はっきりとした目撃情報は残っていなかったと言う。最後はダイモンエリアの一角を廃墟にする程の激しい戦いの末、それはサイレント・マジシャンに封じられたはず。
それが、今更になってどうして……
思考を巡らせた末、俺はある可能性に行き着いた。
「まぁ、あり得ない話でも無いのか」
『えっ……?』
「簡単な事さ。封印が破られてなくても……」
俺の言葉は最後まで続かなかった。
ガチャっというドアノブが回る音の後にドアが開き、今回の依頼主が姿を見せたのだから。
「こんばんは」
雜賀の前に立つ依頼主と思しき人物は黒のフード付きのローブをすっぽり被り体のシルエットを隠していた。分かるのは身長は180cmくらいだと言う事と、その落ち着いた色気のある声から性別が女性であると言う事ぐらいか。
「あなたが“死神の魔導師”と噂されてるニケさんでよろしいのかしら?」
「あぁ、その通りだ。あんたが俺に依頼を持ちかけた、あの今をときめく世界のスーパーモデルのミスティ・ローラで間違いないか?」
「えぇ、そうよ」
そう答えながらフードを脱いでその顔が露わになる。手入れの行き届いた艶やかな腰まで伸びた黒髪、通った鼻筋を中心に左右のバランスのとれた顔のパーツ。少しつり上がった目尻はモデルのクールなイメージを引き立てる。まさにテレビや雑誌で見た事のあるそのままのミスティ・ローラだった。メールの文章の斜め読みに隠されていたメッセージを読み取って、先程雜賀に確認をとっていたが、それでもこうして俺の目の前にミスティ・ローラがいるのはどうも現実感が無い。
そんな俺を他所に雜賀がミスティを席に促し全員が腰かけたところでようやく今日のメインイベントか始まっていくのだった。
「それで? 依頼の内容を聞こう」
「えぇ。あなたにはある組織の調査に協力をして欲しいの」
「…………すまん、もう一度良いか?」
「だから、ある組織が裏をやっているかを調べるために協力して欲しいの。具体的にはあなたにその組織に潜入してもらいたい」
「…………」
たっぷりと十秒の間、俺は言葉を失っていた。まるで言葉を遠くに置き去りにしてしまったかのように。
頭の中で言われた事を何度反芻しようとも理解が追いつかなかった。
組織に侵入?
俺が?
例えるのなら喫茶店の看板を出しているのに最新の洗濯機を注文されるような、一般車両以外立ち入り禁止の道路に面した家の電話に突然ジャンボジェット機の着陸要請がきたような、そんな状況。
ようやく言葉を思い出した俺は混乱する頭を整理しながらゆっくりと聞くべき事を順序立てて問い始める。
「雜賀」
「なんだ?」
「これは……ドッキリか何かか?」
「いや」
「これは……間違いなく俺への依頼なのか?」
「あぁ」
「そうか……」
それだけ聞くと俺は急ぎドリンクを空にしてから、髑髏面の歯を元に戻しながら荷物をまとめ始める。
「待て! どこへ行く」
「どこへ? 決まってるだろう、帰るんだよ。こんな茶番付き合ってられるか」
「待って! この調査にはあなたの力が必要なの!」
「他を当たるんだな! 俺はデュエル屋だ。スパイじゃない。こんな依頼は管轄外だ」
『っ!?』
「ニケ、落ち着け!」
「雜賀、お前にはがっかりしたよ。緊急の依頼だから来てみれば、まさかこんな手の込んだ冗談に付き合わされるなんてな」
「ニケ! これは冗談なんかじゃない」
「冗談じゃないとしたら尚の事質が悪い! 良いか? デュエル屋ってのは依頼された日時、依頼された場所で、依頼された相手とデュエルをするのが仕事で、それが全てだ。そこに潜入調査なんてオプションは付いてないんだよ!」
「お願い! 最後まで話を聞いて!」
「お断りだ! 依頼人の事情に興味はないし、聞く気もない。それが俺の主義だ。いらない情報を知っただけで何か面倒事に巻き込まれるのはご免だからな」
自然と語気が強くなる。
これも折角オフにしていた日にこんな質の悪い冗談に付き合わされ時間を潰されたせいか。雜賀はビジネスパートナーとして信頼していたのだが裏切られた気分だ。
このまま直帰しよう。
そう思い俺はドアに手を掛け部屋を出ようとした時、ミスティが俺の袖を掴んで引き止める。
「……手を離してくれ」
「嫌よ。もう頼れるのはあなたしかいないの……」
「頼る相手を間違えているな。俺はデュエル以外に取り柄の無い人間だ。潜入なんてのはそもそも畑が違う」
「お願い……」
『あっ!!』
そう言いながらミスティは俺の袖から手を掴み直し指を絡めてくる。柔らかい指の感触は手袋越しに伝わり、俺の手をまるで繊細なガラス細工を扱うかの様に両手で優しく包み込む。ほとんどの男の決心を揺らすには十分すぎる破壊力だろう。だけど俺の決心は変わらない。
「断る」
「待ちなさい」
手を振りほどいて出ようとする俺を再び捕まえて強引に引き止める。
そして空いている手でローブの中に引っ込めると、徐に一つの分厚い茶封筒を取り出した。
「ここに百万あるわ」
「あのな。これは金の問題じゃなくて」
「話を聞いてくれればこの百万を直ぐに支払う。あなたが依頼を受ける受けないに問わずよ」
「…………何?」
「この百万はあなたの主義を曲げて私の事情を聞いてもらうための代金。依頼を受けてくれるなら前金でこの場でさらに四百万円あなたに支払うわ。そして依頼を達成してくれたら報酬として五百万円支払う」
「……いや、だが話を聞いただけで」
「いいえ、誓うわ! ここであなたに事情を話したとしてもそれだけであなたに不利益を被る事は一切ない。誓約書を作ってサインしても構わないわ」
「…………」
「…………」
「…………」
『…………』
彼女の目に嘘は無い。余程込み入った事情があるのが伺える。
沈黙の間、話だけを聞くリスクを考えた。
誓約書を交わしたとしても所詮は紙切れ。立場上公的機関に訴える事のできないため拘束力は低い。相手が初めからこちらを巻き込むつもりなら否が応でも巻き込まれる危険はある。しかし最終手段としてこちらもこの誓約書をマスコミにでも垂れ込めばスキャンダルは免れないはず。そう考えると相手が誓約を破るとは考え辛いか。
数秒の思考の末、考えをまとめ結論を告げた。
「分かった。まずは誓約書を書いてくれ。それで話だけは聞こう。依頼を受けるかは聞いてから決める」
「ありがとう。助かるわ」
こうしてミスティに誓約書を書かせた後、彼女の口から今回の依頼までの経緯、そして俺への依頼の詳細な内容が語られていくのだった。
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アルカディア・ムーブメント
それはデュエル教育業界においてここ数年で発展が目覚ましい企業である。元はサイコデュエリストと呼ばれるデュエル中に使用したカードの効果を現実に及ぼす力を持つデュエリストの能力を抑える研究をしている組織であった。だが組織の規模が大きくなってからは今後その力が発現する可能性のある人間を見つけてそれを未然に防ぐと言う名目の元、デュエル塾としてデュエル教育界に殴り込みをかけたのが5年前。当時の事を俺は知らないが、世間では直ぐにデュエル教育界から撤退すると思われていたらしい。
しかし実際は今年ネオ童実野シティ内で最多受講生を抱える塾となる程の成長を見せている。そこまでの人気を博したのは独自のレベル別クラス分けシステムと充実した施設にある。
今までのデュエル塾のクラス分けでは学年毎に分かれて講義が実施されるのが一般的だったのだが、アルカディア・ムーブメントでは年齢に関係なく完全な実力によってクラス分けがなされ、そのレベルに合わせたカリキュラムが組まれている。
クラスは全部で6段階。デュエルをした事のない人のために基本的なルールやカードの扱い方を教えることを目的としたクラス"レベル1"、基本のルールは理解しているがデュエルの経験が少ない人のために実戦でカードの知識を増やしていくことを目的としたクラス"レベル2"、この二つが初心者向けのクラスで申請すれば直ぐに入ることができる。
しかしそれ以降のクラスに入るには実技試験を受けなければならない。そのデュエルの内容に応じて、一般的には"レベル3"、"レベル4"、"レベル5"のクラスに配属される。パンフレットの説明を要約すると"レベル3"は初心者からまだ毛が生えた程度の実力の人が所属するクラス、"レベル4"は地区大会参加者の平均的な実力に相当する人が所属するクラス、"レベル5"は地区大会の上位入賞者の実力に届いており将来プロとしての活躍が見込まれる人が所属するクラスといったところのようだ。
そしてアルカディア・ムーブメントの頂点となるのが特進クラス。"レベル5"とは一線を画す実力者のみで構成されたクラスでアルカディア・ムーブメントで提供されるサービスを全て無料で受けることができる特権がある。但し具体的な配属の条件の説明は無く、現状このクラスに所属している人間は僅か二人だとか。
また施設の方では遠方からの受講生や家庭での事情を抱えた生徒などが利用できる寮も存在し、会員ならば申請することで会員割引の価格で宿泊することもできる。シティの高層ビルが丸ごとアルカディア・ムーブメントの施設になっており、何と言ってもデュエル場の数が圧倒的に充実しているのが売りだ。
しかし組織の規模が大きくなればそれだけ悪い噂も立つようで、裏で違法な研究を行っているやら、洗脳教育をしているやら、ヤクザから金を貰っているやら、果ては世界征服を目論んでいるといったものまで存在する。
荒唐無稽な噂もあるが火のないところに煙は立たないという言葉もあるように、こう言った噂が立つのは裏で何か良からぬことをしているのではないかと勘ぐってしまうのが人の性であろう。ましてそれが身内が関わっているなら尚更だ。
そして今回のミスティから依頼があった理由もそこにある。なんでもミスティの唯一の肉親であるトビーという弟がアルカディア・ムーブメントに通っているのだとか。彼には僅かにサイコデュエリストとしての力が見られたようで、当時黒い噂など露知らずそのためにサイコデュエリストの研究機関であるアルカディア・ムーブメントに行くことを決めたらしい。
それからその噂を聞いたミスティは念の為にと雑賀に依頼する前には私立探偵に企業の調査を依頼したらしい。ところがその探偵事務所の担当者は数週間後には連絡が取れなくなり消息不明に。セキュリティに事務所が捜索願いを出すもその探偵の足取りは掴めなかったそうだ。そこで事務所総出でその探偵の行方を探ろうとしていたらしいのだが、それから一週間後には事務所そのものが無くなっていたらしい。
流石におかしいと思ったミスティはそれから様々な裏の事情に詳しい情報屋を探し、そうして雑賀にぶつかったのだとか。セキュリティに依頼しなかったのは事を大きくしてマスコミにスキャンダルとして取り上げられるわけにはいかないという彼女ならでは立場の問題があるからだ。
それから雑賀の調査の結果、アルカディア・ムーブメントに融資をしている企業の裏にはすべて俺に依頼を出す裏組織の”遊々会”が関わっている事が判明。しかも調べれば怪しい金のやりとりがいくつも見つかったのだが、セキュリティはそれを黙認してる節があるそうだ。
その資金が何に使われてるかまではアルカディア・ムーブメントの中枢のセキュリティが堅くて分からなかったそうだが、それでもアルカディア・ムーブメントが裏で何かをやっている事を明白。ミスティは弟にアルカディア・ムーブメントを辞めた方が良いと説得をしたのだが、しかし弟は首を縦に振らなかった。弟曰くアルカディア・ムーブメントでの生活の中で不信な事は何ひとつないとの事らしく、頑なにアルカディア・ムーブメントを辞めることを拒んだそうだ。
――――何も、何もあそこの事を知りもしないくせに、噂だけで決めつける姉さんなんて嫌いだっ!
確かに不信な金の動きはあるが、それを使って何をしているかまでは掴んでいないのは事実だったため、その一言は痛いところをついていた。普段は聞き分けの良い弟が珍しく意地になってまで反対してきた事もあってその時は強引にやめさせる事が出来なかったらしい。
しかしミスティはアルカディア・ムーブメントが裏で何をしているのかを確かめるないで、このまま弟をアルカディア・ムーブメントに通わせることはできないと思い、こうして再び雑賀に調査の依頼が出されたのだ。ただ最初の依頼の時に手を尽くした通り外部からのハッキングではアルカディア・ムーブメントの中枢にアクセスする事は困難であった。下手に侵入しようとすれば雑賀でさえも足がつく可能性が高い。より深い情報を得るには内部からの協力が不可欠と言うのが、雑賀の結論だった。
そこで白羽の矢がたったのが俺と言うわけだ。今回の俺への依頼はアルカディア・ムーブメントの最上位クラスの特進クラスに入り、アルカディア・ムーブメントの中枢に近づく事。そして隙を見計らって雑賀が外部からのハッキングを出来るように内部からアシストをする事だ。俺の実力と素性を知る雑賀だからこそ思いついた方法だ。
結論から言えば俺はこの依頼は受けることにした。
決め手となったのはやはり報酬が魅力的だったことだ。今回の依頼でかかる費用はすべて別途で支払われる上、サイレント・マジシャンをデュエルアカデミアに入学させるのに掛かった費用の元を前金だけで余裕で取り戻せ、目標の2億に近づけるのは大きい。
だが危険があるのも事実だ。相手に嗅ぎ回っている事がバレれば先の探偵の二の舞になりかねない。
だからそうならないためにも今回の準備は徹底している。雑賀からは変装のための人工スキンにマイクロボイスチェンジャーなどを受け取った。それらを全て装着すると冴えない容姿の俺でも白髪の青目のイケメンに早変わりするのだから最近の技術進歩の恐ろしさを感じる。でもサイレント・マジシャンは変装した俺の姿があまりお気に召さないらしい。唯一彼女が気に入ったのは髪だけ。初めて完全変装した時も俺の髪だけは嬉しそうに見ながら「お揃いですね」と微笑んでいた。
そんなこんなで準備を整え一週間。
俺はアルカディア・ムーブメントの体験入学に来ていた。
体験入学では受けるクラスを自由に選べるという事だったので、選択出来る一番レベルの高いクラスのレベル5の講義に参加している。
前半の講義は座学。講師は教室の前の大モニターに映し出されるスライドの資料を使いながら講義を進めていく。教室はデュエルアカデミアと同じぐらいの広さだが、教室に座っている人数は二十人に届かないくらいである。流石にレベル5にもなるとそれなりの実力者の集まる少人数クラスになるようだ。
静まり返った教室の中で講師の説明と板書を取る音だけが淡々と聞こえてくる。今回の講義のメインテーマは魔法使い族というのもあって講義内容で目新しいものは無い。故にこうして講義を聞くふりをしながら別の事を考える余裕があるのだ。
ちらりとサイレント・マジシャンの方を見る。
俺とは違って真面目な表情で講義を聴く様子を見ると一体どちらが入学しにきたか分からないな。
「……」
『……』
俺の視線に気付いたサイレント・マジシャンは一瞬だけこちらを見たが、直ぐに視線を逸らしてしまう。いつもなら微笑み返してきたり、話しかけてきたりと何らかの反応をするのだが、今回は完全な無反応だ。一つの出来事としては些細なことでいちいち気にかける程の事では無いかもしれない。
だが三年も一緒に過ごしてきた俺には分かる。サイレント・マジシャンが珍しく機嫌が悪いと。別に話しかければ一応返事は普通にある。ただ普段の彼女の反応と比べるとなんだか冷たいように感じるのだ。
彼女の態度が変化したのは何時頃だっただろうか。少なくともこの依頼を受けて帰った後は特に変わった様子は無かったはず。俺が違和感に気が付いたのは寝不足で登校した日だ。前日に夜更けまでアルカディア・ムーブメントで使用するデッキの構築を練っていたせいで、その日はいつよりも深く授業中に寝てしまっていたのだが、普段だったら俺が指名されたら後ろの席からサイレント・マジシャンが小声でサポートしてくれたりするのにそれが無かった。別に彼女のサポートが無かろうと教師から小言を言われるだけで済むので大した事では無いと言えばそれまでなのだが、どうにもその頃から彼女の様子は何かおかしかったような気がする。いったい何が彼女の機嫌を損ねているのか心当たりが無いだけに対処のしようがない。
そんな事を考えていると講義の終了を告げる鐘が鳴る。80分の講義だったのだが、拍子抜けする程あっという間に終わってしまった。
「はい、と言う事で本日の講義はここまで」
講師が講義の終了を告げると、受講生は飲み物を飲んだり席を立って友人と話したりとそれぞれが思い思いの休憩を取り始める。
講義を終えた講師は講義資料を纏めを終えると、一番後ろに座っている俺の元までやってきた。
「どうですか今日の講義は? 流石に難しかったでしょうか?」
「いえ、問題ありませんでした」
「それは何よりです。次は休憩を挟んで実技に移ります。デッキの準備はできていますか?」
「はい。よろしく御願いします」
普段と違う声が自分の口から出ている事に未だに違和感が拭えない。これからは当分この姿で過ごすことになるのだから早いうち慣れなければ。
「ご存知だとは思いますが当アルカディア・ムーブメントではレベル3以上のクラスを希望される方には実技試験を受けて頂いております。なのでご希望のクラスに配属されるない場合がございますのでご了承下さい」
「えぇ、大丈夫です」
「まぁ先程の講義に問題なくついて来れるようであればレベル4以上のクラスには入れると思いますよ。ちなみに現時点では何処のクラスをご希望ですか?」
「それは勿論、“特進クラス”です」
“特進クラス”と言う言葉を聞いて教室の空気が変わる。こちらの様子など気にもしていなかった受講生達がこの会話に一斉に耳を傾けて始めたのが分かる。やはりレベル5のクラスの人間は最上位クラスである“特進クラス”に並々ならぬ思いがあるらしい。
「っ! それはまた……随分と自信があるようですね」
「当然です。相手がたとえ誰であれ負けませんから。特進クラスに配属されるには実技試験の相手に勝てば良いのでしょうか?」
「そ、そうですね。一概にそうとは言いきれないのですが、少なくとも実技試験で勝つぐらいでないと特進クラスへの配属は難しいでしょう。あとそのデュエルの内容も重要ですね」
「なるほど。ちなみに試験の相手はどうなっているんでしょうか? あまり弱過ぎると特進クラスにふさわしい実力があるかを計りきれないと思いますが?」
「それは……」
「ねぇ、君」
講師と俺の会話に見覚えのある顔が割って入ってきた。
やってきたのは姉と同じ黒髪を肩まで伸ばした少年、今回の依頼主の弟のトビーだった。その顔つきを見ただけで不快そうな様子が伝わってくる。ちなみに彼がミスティの弟であると言うのは世間では知られていない。これもプライベートを守るためのことらしい。
「何でしょう?」
「さっきから聞いていれば随分とデュエルに自信があるみたいだね」
「あぁ。ごまんとデュエルをしてきたけど、ここ三年で負けた事は一回しかありませんから」
「へぇ、なるほどね。それは凄い。でも今まで君がどんな相手とデュエルしてきたかは知らないけど、格下相手に重ねた勝利なんてここでは全く役に立たないよ」
「わざわざ忠告どうもありがとう。けどデュエルにおいての格下や格上といった考えは分かりかねます。一度デュエルで向き合ったら相手と自分は対等。その後の結果でどちらが強かったが示される訳で、デュエルをする前から格下だとか格上だとかを考えた事はありませんが」
「ふっ、そうだったね。確かに外のランキング付けされてない人達とデュエルをした所で格下か格上かなんて分かりはしないか。だったら教えておくけど、ここではデュエルの戦績に応じてランキングが存在するんだ。ランキング上位になるには自分よりも順位が高い相手を倒さなければならないし、逆にランキングが下の相手に負ければ順位は下がる。このランキングによってここでは格上や格下が明確に示されるんだ」
「ほう、それは知りませんでした。要するにまだランキングに入れてない私は万が一実技試験で特進クラスに配属されなくても上位ランカーを倒していけば自ずと特進クラスに入れるということですね」
「はぁ……どうやら僕の言ってる意味が正しく伝わらなかったみたいだね。じゃあハッキリ言うよ。特進クラスは君みたいなポッと出が簡単に入れるような場所じゃない。身の程を弁えた方が良いよ」
「あぁ、なんだそう言う事。だけど私が特進クラスに入るかを決めるのは実技試験であって君ではありませんよね? だとすれば私が特進クラスに入れないと決めつける事は出来ないのではないでしょうか?」
「……君には口で言ってもわからないか。次の実技の自由対戦の時間、僕が君の相手をしよう。その時ここの厳しさを教えて上げるよ」
「それは光栄ですね。対戦を楽しみにしていますよ。え〜っと……」
「僕はトビー。アルカディア・ムーブメント序列十三位のデュエリストだよ」
「八城です。よろしく」
それだけ言い残すとトビーは自分の机に戻っていった。
教室中からは“身の程知らず”とか“あの自信を粉々にしてやれ”と言った声がちらほらと聞こえてくる。
そんな空気に居心地が悪くなったようでまったく親切なことに講師も「では」と言ってこの場を早々に立ち去っていった。
当然こんな状況の俺に近づいてくる人間はいない。
一人次の実技の講義の準備をしながらこう思った。
計画通り。
思わず口元が緩みそうになるのをなんとか堪える。
敢えて自信家を装い特進クラスに入る意志を示した事でレベル5の受講生の注目を集めることができた。最低でもクラスの敵愾心は煽るつもりだったが、特定の人間が俺に挑んでくるという状況は最上だ。これで相手は全力で俺を叩き潰しにくる。そう、言い逃れができないくらいに力を振り絞って。
こんな状況を作り上げた理由は特進クラス配属のための保険だ。実技試験で負けるつもりは毛頭無いが、それでも特進クラスに配属されない可能性もある。その可能性の芽を摘むためにこの体験入学での実技講義の間に実力を示す必要があった。
“全力を振り絞ったレベル5の人間を圧倒的な力をもってねじ伏せる”
そんな場面を見れば否が応でも俺がレベル5とは一線を画した実力者である事が分かるはずだ。そうすれば特進クラスへの潜入任務の第一段階はクリアだろう。唯一の誤算は突っかかってきたのが依頼人の弟のトビーだった事ぐらいか。尤もその事は今回の任務の障害にはなり得ない。
後は派手にトビーを倒すだけ。そのためのデッキは準備してきた。事故が怖かったため演出用のカードは1枚しか仕込めなかったが、それをタイミング良く無事引く事ができるか。それが勝負の鍵だろう。
デュエル場へ移動を始めた受講生の最後尾について行きながら俺は今回のデュエルへ思いを馳せていく。
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「ここが本日のデュエル場となります」
案内されたのはデュエルアカデミアにも引け劣らない程立派なデュエル場だった。このフロアだけでも八ヶ所ものデュエル場が存在するらしい。
「それでは実技の講義に移っていきます。今日は早速自由対戦の時間に入っていきます。対戦相手が見つかった人から教えてください。また興味のあるデュエルがある人はその見学でも構いませんよ」
「「「…………」」」
講師がそう告げると視線が一斉に俺に集中する。
どうやらレベル5の受講生全員が俺のデュエルをご所望らしい。
「じゃあ僕と八城君でお願いします」
トビーが空気を読んで講師にデュエルを申請する。
その申請を受け講師が俺たちをデュエルリングに案内すると、そのリングを囲む様にレベル5の生徒が集まってくる。今回の目的は俺の実力を示す事のため証人が多いに越した事はないのだが、やはりどうにもギャラリーが居る中でのデュエルは苦手だ。
互いにリングの端と端に立つと審判がリングの外から声をかけてきた。
「八城君にトビー君。準備は良いですか」
「はい、大丈夫です」
「いつでもいけます」
「それでは……デュエル開始!」
「「デュエル!」」
先攻は俺。
まずまずの初手か。派手な演出をするためだけにいれたカードやこのデッキ故に起こりうる手札に来て欲しくないカードも初手に見えるが、それ以外の3枚は良い。あとキーカードが1枚来れば完璧と言った所か。このデッキの初陣となるこのデュエル、任務のためにもここは最高の動きを見せたいところだ。
「私のターン、ドロー」
来た!
思わず笑みがこぼれそうになる。幸先のいい事に完全に求めていた1枚が手札にやってきた。作って間もないデッキだが、どうやら俺に全面的に力を貸してくれるようだ。
「私は『マンジュ・ゴッド』を召喚」
最初に俺が繰り出したのはこのドローで引き当てたこのモンスター。人型をしたそれだが、体を構成する顔の皺すらも手によって成り立っている。鈍く光る深緑の金属質な体は光の当たる角度によって色合いが変化して見える。
マンジュ・ゴッド
ATK1400 DEF1000
「このカードの召喚成功時、デッキから儀式モンスター1体か儀式魔法カード1枚を手札に加える事が出来る。私が手札に加えるのは『イリュージョンの儀式』」
「『イリュージョンの儀式』?! ……と言う事はっ!」
俺の手札に加えた『イリュージョンの儀式』に対戦相手のトビーや周りのレベル5の受講生は驚き、そして恐らくカメラ越しでこのデュエルを見ている人間の注意も大きく引けた事だろう。
何せこのカードはこの世界のデュエルモンスターズの創始者であるペガサス・J・クロフォード氏が使用していた儀式モンスター『サクリファイス』を呼び出すためのカードなのだから。ネームバリューとしては最適な部類のカードだろう。
そしてそれを使いこなせる人間なのか否か、見ている人間はこのデュエルに関心を持つはず。周りの受講生達は“使いこなせる訳ない”だの“どうせハッタリだ”だの、まだ俺の実力を疑う声が多いようだ。だがこれで派手に俺の実力を示す事が出来れば、目的通り“アルカディア・ムーブメント”の研究の深奥に近づける。
デュエルの内容としてはこの初ターンでサーチした儀式魔法によってデッキのネタが割れてしまうのは少々痛手ではあったが、寧ろこのデッキのメインがそれだけだと勘違いしてくれたら僥倖だ。
「カードを2枚伏せ、ターンエンド」
我ながらよくもここまで理想な組み合わせの手札を揃える事が出来たものだ。ほくそ笑む内心が表情に溢れていないか少し心配である。
このデッキの万全な布陣を前に、さてどう打って出てくる?
「僕のターン、ドロー。僕は『エーリアン・ウォリアー』を召喚」
巨大な爪で地面を踏みしめながら二足歩行のエーリアンが『マンジュ・ゴッド』と相対する。体の七割は白い滑らかな外甲で覆われ残りの部分からは紺色の発達した筋繊維が見える。鋭く尖った歯列を振るわせ唸る様子を見ていると、直ぐに巨大な両腕の鉤爪で襲われそうだと思わされる。
エーリアン・ウォリアー
ATK1800 DEF1000
「さらに自分が“エーリアン”モンスターの召喚に成功した時、『エーリアン・ドッグ』は手札から特殊召喚する事が出来る。来い!」
『エーリアン・ウォリアー』の横に駆けつけたのは犬型のエーリアン。チワワのような姿だが、犬のようにふさふさの毛など一本も生えておらず、体表の半分は白く滑らかな外甲に覆われ残りの半分は青い筋繊維が剥き出しとなっている。
エーリアン・ドッグ
ATK1500 DEF1000
「この効果で特殊召喚に成功した時、相手の場の表側表示のモンスターにAカウンターを2つ置く。僕は『マンジュ・ゴッド』にAカウンターを2つ置くよ」
『エーリアン・ドッグ』が吐き出した紫色の蠢く肉塊のようなものが二つ『マンジュ・ゴッド』にかけられる。その肉塊を引きはがそうと何本もの腕で擦るが、一向に剥がれる気配はない。
マンジュ・ゴッド
Aカウンター0→2
この一連の流れで俺は確信した。
トビーのデッキは“純エーリアン”デッキ。
爬虫類族テーマであり、強力なコントロール奪取の専用カードを複数持つのが特徴。爬虫類族と言う事で種族専用サポートであるトラップカード『毒蛇の供物』にも警戒が必要だ。自分の場の爬虫類族モンスター1体を破壊する事で場のカードを2枚破壊するというそれは下手な受け方をすれば一瞬で戦況をひっくり返されかねない。
さらにエーリアンデッキの要とも言えるあのシンクロモンスターが序盤に出された場合、戦況はすこぶる悪くなる。あのカードはこのデッキの天敵となりえるモンスターだ。用心せねば。
ただ……
「これでバトルだ! 『エーリアン・ウォリアー』で『マンジュ・ゴッド』に攻撃」
この状況。俺のセットカード2枚を無視してモンスターを展開し仕掛けてくるとは余りにも愚直すぎる事だ。
「攻撃宣言時トラップカード『ゴブリンのやりくり上手』を発動」
「……?」
攻撃に干渉する効果を持つ訳でもないトラップカードの発動にトビーが疑問の表情を浮かべる。どうやらこのカードの発動に対して何もないようだ。
『エーリアン・ウォリアー』が『マンジュ・ゴッド』に向けて駆け出す中、俺はさらにカードの発動を続ける。
「さらに永続トラップ『強制終了』も発動」
俺の場に2枚のセットカードが露となる。
トビーは何かを発動するでも無くこの様子を呆けたように眺めているようだ。
『エーリアン・ウォリアー』が巨大な鉤爪を大きく振りかぶる中、俺はこの2枚の効果を起動する。
「まずは『強制終了』の効果。自分の場のこのカード以外のカード1枚を墓地に送る事で、このターンのバトルフェイズを終了する。俺が墓地に送るのは発動している『ゴブリンのやりくり上手』」
ピタリ。
『マンジュ・ゴッド』の眼前で『エーリアン・ウォリアー』の鉤爪が停止する。
バトルが終了した事でその鉤爪が『マンジュ・ゴッド』に触れる事はない。
俺の場で露わになっていた『ゴブリンのやりくり上手』のカードは墓地へと消えていった。
「そして『ゴブリンのやりくり上手』の効果。自分の墓地に存在する『ゴブリンのやりくり上手』の枚数+1枚を自分のデッキからドローし、自分の手札を1枚選択してデッキの一番下に戻す。『強制終了』によって発動した『ゴブリンのやりくり上手』は既に墓地にいっているため俺は2枚ドローし、1枚をデッキの一番下に戻す」
本来『ゴブリンのやりくり上手』を発動した場合、1枚目では墓地に『ゴブリンのやりくり上手』が存在しないため1枚ドローし手札を1枚デッキのボトムに戻すだけになり手札アドバンテージに繋がらないどころか、全体を考えれば自分に1枚のディスアドバンテージをもたらすカードとなる。
しかし『強制終了』と合わさればそれは覆る。バトルフェイズを終了させるためのコストを補いつつディスアドバンテージ無しでのドローを可能とするこの組み合わせはまさにコンボと呼ぶにふさわしい。
「そう簡単に攻撃が通るとは思わない方が良いですよ」
「くっ……僕は永続魔法『古代遺跡コードA』と『補給部隊』を発動し、カードを1枚伏せる。これでターンエンド」
なるほど。モンスターを並べてきたのは『サクリファイス』を意識しての事だったか。『古代遺跡コードA』も『補給部隊』も、自分の場のモンスターが破壊される事がトリガーになって発動する効果を持つ。しかし『サクリファイス』の能力の前ではモンスター効果に耐性の無いモンスターなど破壊を介す事も無くあっさり処理されてしまう。しかしそうやって処理ができるのは1体だけ。そこでモンスターを並べる事で『サクリファイス』1枚では『古代遺跡コードA』と『補給部隊』のどちらのカードの効果も発動させるような盤面を作り上げたと言う事だ。そこの辺りの思考ができる辺りレベル5の序列十三位は伊達ではないらしい。
「私のターン、ドロー」
『ゴブリンのやりくり上手』のドローから確実に良い流れは俺にきている。特に『マンジュ・ゴッド』を無事このターンまで残らせたのは大きい。色々考えたが後はあの1枚のセットカードで『サクリファイス』の召喚を妨害されないかが問題だ。
「儀式魔法『イリュージョンの儀式』を発動」
『イリュージョンの儀式』の発動によりフィールド全体が薄暗くなった。
三つの魔方陣が並ぶと、両脇の魔方陣からは腰程の高さまである銀のゴブレットが、真中の魔方陣からは緑色の絨毯の上に乗せられた黄金の壺が召喚される。黄金の壺の胴は太く、そこに刻まれたウジャト眼はまるで見つめるこちらのすべてを見透かしているような不気味さを感じる。
トビーは雰囲気が変わった周りの景色を見渡すばかりでこのカードに対する妨害を仕掛ける様子はない。このままいけるか?
「手札、または場からレベルの合計が1以上になるモンスターをリリースし、手札から『サクリファイス』を儀式召喚する。私は場の『マンジュ・ゴッド』をリリース」
『マンジュ・ゴッド』の魂が緩やかに炎に変換されていくと、その炎は鮮やかな赤ワインのように右のゴブレットに注がれていく。
右のゴブレットを『マンジュ・ゴッド』魂が満たすと、一瞬の静寂の後、火山の噴火を思わせる勢いで紫の炎がゴブレットから吹き上がり、それは壺へと吸い込まれていく。
ゴクリッ。
会場のどこからかそんな生唾を飲み込む音が聞こえた気がする。
会場の視線がこの儀式に集中しているのが感じられる。
皆は待ちに待っているのだ。このデュエルモンスターズの創始者のペガサス・J・クロフォード氏が使用していたモンスターの登場を。
ゴブレットが空けられ壺に全てが収まると、壺がカタカタと揺れる音だけがホール全体に響き渡る。
会場の期待が最高潮に達した時、俺は高らかに召喚を宣言した。
「『サクリファイス』を特殊召喚!」
俺の宣言と同時に刻まれたウジャト眼を中心に壺が勢いよく膨れ上がる。色はウジャト眼が収まるくらいの円部分は深緑へ、その周り部分は金から薄鼠色に変わり、形状は球形へと変化し浮上する。しかしそれだけでは変化は収まらず、ウジャト眼を正面から捉えて見た時の両側面の上部からはラグビーボールのような形状の深緑色の肩が、真下の部分からは鋭利に尖ったスズメバチの尻のような黄色と黒の縞模様の円錐が飛び出す。突き出た肩からはだらりと腕がぶら下がり、手には五本の漆黒の鋭い爪が伸びて不気味に光を反射していた。
やがてウジャト眼を囲む薄鼠色の表皮には深い皺が刻まれ縦に真っ二つに割るように大きな亀裂が奔る。それはまるでミカンの皮が捲られていくように、下から薄鼠色の表皮がめくれ上がり『サクリファイス』の胴体が露となった。
真っ先に目を引くのは腹の部分に開けられた胴体と同じ幅の直径の穴だ。その奥は光すらも逃さぬブラックホールの如く底の見えない暗闇。それとは対比的に穴の周りは白い体組織で縁取られ、その穴で呼吸をしているかのように収縮と膨張を繰り返す。
ウジャト眼の刻まれた眼球はそのまま細長い首と繋がっており、その首が直接胴体に接続されている。
とてもじゃないがサイレント・マジシャンと同じ種族であるとは考えられない異形の怪物、これこそが『サクリファイス』だ。
サクリファイス
ATK0 DEF0
「これが……あの『サクリファイス』……」
儀式によって薄暗くなった会場は元に戻り『サクリファイス』の姿がはっきりすると、その悍ましい姿に対戦相手のトビーは戦慄していた。カードのイラストでその姿を知っていたとしても、こうしてソリッドビジョンで召喚して実際に動いている姿は別物だろう。
だがこの姿だけで驚いているようでは今後の絵面に耐えられないのではないかと俺は危惧の念を抱いた。
「『サクリファイス』のモンスター効果発動。1ターンに1度、相手の場のモンスター1体を選択し、装備カード扱いとしてこのカードに1体のみ装備する。私が選択するのは『エーリアン・ウォリアー』」
呼吸をするかのように収縮と膨張を繰り返す穴の周りの体組織が一気に広がり、穴が大きく開かれる。そう、これが『サクリファイス』の補食の合図だ。
大きく開かれた底の見えない穴はまさにブラックホールの如く周りのものを強力な引力で吸い込み始める。ウジャト眼が怪しく紫に光ると、穴が全てを吸い込もうとする向きとは反対に紫色の光を帯びた魔力が放出されていく。その紫の魔力は『エーリアン・ウォリアー』の体に絡み付くと、穴蔵に引きずり込もうとする蛸の触手のように『エーリアン・ウォリアー』を穴に引き寄せていく。
『エーリアン・ウォリアー』は抵抗しようと懸命に藻掻くが、それも虚しく『サクリファイス』の穴に引き込まれその姿を消す。
「『エーリアン・ウォリアー』が……吸収された?」
「君の『エーリアン・ウォリアー』ならここですよ」
『サクリファイス』の捲れ上がった外皮が再び胴体を覆うように閉じられる。すると薄鼠色の外皮は内側からボコボコと盛り上がっていく。生々しく膨れ上がる勢いに負け薄鼠色の外皮は突き破られ表面に『エーリアン・ウォリアー』の体が浮き出る。
「うっ……」
「『サクリファイス』の攻撃力・守備力はこのカードの効果で装備したモンスターのそれぞれの数値になる」
予想通りと言うべきか、トビーの顔色は悪くなっていた。
審判の顔も引きつって見えるのは気のせいではないだろう。
ATK0→1800 DEF0→1000
これでフィールドはこちらが優勢に傾いた訳だが、ここは畳み掛けるべきか。
だがここで召喚権を使ってフィールドのモンスターを一掃する召喚反応型のトラップ『激流葬』を踏み抜いたら目も当てられない。しかしこのまま攻撃を仕掛けて攻撃反応型の妨害を喰らうとそれはそれでよろしくない。まぁその場合はメインフェイズ2で召喚権を行使すれば良いだけだが。
このまま攻撃に移って一番最悪なパターンは妨害も何も無く攻撃が通って、永続魔法『補給部隊』と永続魔法『古代遺跡コードA』の効果を使われる事だ。
永続魔法『補給部隊』は1ターンに1度、自分の場のモンスターが破壊された時にカードを1枚ドローする効果を持ち、永続魔法『古代遺跡コードA』は自分の場のエーリアンモンスターカードが破壊される度にエーリアンカウンターが乗る。そうなれば相手にアドバンテージを取らせるだけでなく、メインフェイズ2でこいつを召喚する意義も失われる。
よし、やはりここは仕掛けよう。これで何も妨害を受けなければ、俺はこのデュエルの流れを完全にモノに出来るし、見栄えとしても十分なはずだ。
少しリスクについて考えた後、俺はさらに手札のカードに手を掛ける。
「さらに俺は『魅惑の女王LV3』を召喚」
『サクリファイス』の隣に小さな魔方陣が描かれる。溢れる黒い光の粒子と共に美少女が姿を現す。鳶色のベリーショート髪、陶器のような白い肌。幼さがまだ残る顔立ちながらも、顔のパーツはつり上がった目、高い鼻、薄い唇と整っており、薄らと笑みを浮かべるその表情からは色気を感じさせる。衣装は肩を露出させたツーピースで、上半身部分はワインレッドをベースにゴールドやシルバーの装飾がなされ、スカート部分はシックな黒で纏められている。上の衣装はボディラインがピッチリわかる作りになっており、控えめな胸ながらも腰はしっかり引き締まっているスレンダーな体つきが見てとれる。右手に持っている尖端に赤い宝玉が付けられた金の長杖を軽々とバトンのように回すだけで、男の視線は惹き付けられるだろう。
魅惑の女王LV3
ATK500 DEF500
最も警戒していた『激流葬』は発動されなかった。
『サクリファイス』の効果が通っている事から、モンスター効果に対する妨害の可能性は低いはず。
「1ターンに1度だけ相手の場のレベル3以下のモンスター1体を選択し、装備カード扱いとしてこのカードに装備する事が出来る。これにより『エーリアン・ドッグ』をこのカードに装備する」
『魅惑の女王LV3』はおもむろに『エーリアン・ドッグ』に歩み寄る。カツッ、カツッとヒールを踏みならす音だけが会場に響く。ただ歩くその様を一つとっても色っぽく見えるのは“魅惑”の名を冠する女王だからなのか。
『魅惑の女王LV3』は『エーリアン・ドッグ』の目の前で立ち止まると、顔を近づけていく。そして顔と顔が迫り『魅惑の女王LV3』の唇がゆっくりと開かれる。『エーリアン・ドッグ』は眼前に敵が居ると言うのに動かない。エーリアンの表情は読み取り辛いが、それでも何かを期待しているように見えるのは気のせいだろうか。
唇が『エーリアン・ドッグ』の顔に触れるか触れないかの距離まで両者の距離は縮まる。この距離になるともう彼女の息づかいは間違いなく届いているだろう。『エーリアン・ドッグ』は興奮しているのか、その尻尾を大きく振っている。そんな『エーリアン・ドッグ』の様子を見て『魅惑の女王LV3』は小悪魔めいた笑みを浮かべると、一瞬唇をその顔に当てる。っと見せかけて口を耳元まで運ぶと。
ぽそっ
何かを呟いた。当然耳元で囁いたような声が聞こえる距離じゃないため何を言ったのかは分からない。辛うじて口が動いたのが見えたため何かを呟いたと言う事だけが分かっただけだ。
それが何かの呪文だったのか、『エーリアン・ドッグ』はそれだけで頬を赤らめ目をハートマークにし、まるで『魅惑の女王LV3』に乗ってくれと言うかのように背中を差し出す。『魅惑の女王LV3』が躊躇い無くその背の上に腰を下ろすと、『エーリアン・ドッグ』はそのまま俺のフィールドまで脚を運び主人だったトビーへと向き直る。
相手のモンスターをその色香で魅惑し狂わせる。これこそが魅惑の女王の力だ。
『…………』
そんな『魅惑の女王LV3』をサイレント・マジシャンはまるで仇敵の如く睨みつけていた。普段おとなしいサイレント・マジシャンがここまで感情を表に出すと言うのも珍しい。デュエル中だったが一瞬その様子が気になった。
だが直ぐに意識をデュエルに切り替える。
『魅惑の女王LV3』の効果も通った今、あの伏せが『聖なるバリア-ミラーフォース-』だったとしても、このターンの損害はイーブン。いや、寧ろ相手の狙いであっただろう『補給部隊』と『古代遺跡コードA』でのリカバリーを阻止したと考えればどんな罠を踏み抜こうとも流れはこちらのままだろう。
「これでバトルに入る。『魅惑の女王LV3』でダイレクトアタック」
比較的気持ちに余裕を持って攻撃宣言に移ると、『魅惑の女王LV3』は『エーリアン・ドッグ』の上に腰掛けたまま金の杖をトビーに向ける。その先端の赤い宝玉から放たれた拳大の火球は真っすぐと狙い目掛けて突き進んだ。
それに対する相手のアクションは無い。結果その火球は遮られる事無く一直線にトビーの胸に直撃した。
トビーLP4000→3500
攻撃モンスター全体に影響を与えるトラップは無いようだ。
あとここで受けたくないのは単体攻撃反応を残すのみ。ただ不思議とこの攻撃は通るだろうと言う確信がこの時あった。
「『サクリファイス』でダイレクトアタック」
『サクリファイス』のウジャト眼が紫に光る。するとその光もまた真っすぐとトビーに向かっていく。
俺が確信した通りトビーはここでも特に何かをする様子を見せず、『サクリファイス』の攻撃が直撃しライフを削るのを確認する。
トビーLP3500→1700
「カードを2枚セットしターンエンド」
これで俺の魔法・トラップゾーンはセットカード2枚と『強制終了』、そして装備状態となった『エーリアン・ウォリアー』と『エーリアン・ドッグ』で全て埋まってしまった。だがそれは相手がバトルに入ろうとした時に『強制終了』の効果で装備状態のモンスターを墓地に送る事でスペースを確保する事が出来るから問題ない。
何よりもこのターン相手のモンスターを破壊しなかった事で『補給部隊』によるアドバンテージを稼がせなかったのは大きい。
次のドローで手札は2枚。その2枚でこの状況を完全にひっくり返すことは難しい。それこそモンスターを全体除去する魔法カード『ブラックホール』ぐらいか。いや、まだあのシンクロモンスターに繋ぐためのあのチューナー、そして魔法・トラップを処理する札でも解決出来る盤面だ。やはり油断は禁物である。
だがこの3ターンでゲームの流れは確実にこちらに傾いている。
「くっ! 僕のターン、ドロー!」
流石に苦しいようで、トビーの表情に余裕はない。
この様子だと起死回生のカードでは無かったようだ。
「モンスターをセットし、もう1枚『補給部隊』を発動してターンエンド」
既存の手札からモンスターをセットした事を見ると、このターン引いたのは2枚目の『補給部隊』。なるほど、ドローした時のあの表情の理由はそう言う訳か。確かにこの劣勢状況では役に立たないカードだ。
これでトビーの手札は全て尽きた。対するこちらの手札はこのターンのドローで2枚になる。
この状況に周りのレベル5の人間も同じレベル5の人間であるとビーが追いつめられている事、そして俺が口先だけの実力者では無い事に気が付き始めた様子だ。
「私のターン、ドロー。『魅惑の女王LV3』が自身の効果で装備カードを装備した状態で自分のスタンバイフェイズを迎えた時、このカードを墓地に送る事で、手札またはデッキから『魅惑の女王LV5』を特殊召喚する」
『魅惑の女王LV3』が乗る『エーリアン・ドッグ』の足下に魔方陣が展開される。『魅惑の女王LV3』は『エーリアン・ドッグ』に優しい笑みを向けると、直後二体を包む様に魔方陣から黒い炎の柱が上り立つ。それから十数秒上がった火柱は根元から勢いよく爆散し、中からは先程よりも成長した姿となった『魅惑の女王LV5』が現れる。
髪はベリーショートから伸びてショートくらいの長さに、身長は俺の目線の高さまで伸び、衣装は太ももの付け根の部分を露出させた少し大胆な衣装へと変貌を遂げていた。
魅惑の女王LV5
ATK1000 DEF1000
相手の場で判明していないカードはセットモンスターが1体と、先程のターンに発動しなかったセットカードが1枚。あのセットカードはこちらの召喚、攻撃に反応する様子はなかった事から、恐らく俺の仕掛ける攻撃は通るはず。このターンのドローでモンスターを握れればもうほぼ勝利は見えたと言っても過言ではなかったのだが、生憎引いたのはモンスターではなかった。
もしあのカードの守備力が1000未満だった場合、『魅惑の女王LV5』で攻撃して『サクリファイス』のダイレクトアタックでゲームエンドに持ち込める。ここでトビーが初手に握っておきながら出さなかったモンスターをどう読むか。可能性としては2パターン。リバースモンスターかリバースモンスターではないが『魅惑の女王LV5』が出てくる手前、裏側守備表示で出さざるを得なかったモンスターが考えられる。
リバースモンスターならば『魅惑の女王LV5』の低い攻撃力でも突破出来るはず。問題なのは本来裏守備表示で出すカードでないモンスターを伏せられていた場合だ。それを『魅惑の女王LV5』で突いて反射ダメージを貰った上に、『サクリファイス』で突破出来る程度のステータスだった時なんて……いや、『サクリファイス』で突破出来る出来ないに関わらず、『魅惑の女王LV5』の攻撃で突破出来ない場合はそのままバトルフェイズを終了して、『魅惑の女王LV5』の効果で装備した方が良いか。下手に『魅惑の女王LV5』で突破出来ないモンスターを『サクリファイス』で戦闘破壊して、2枚の『補給部隊』と『古代遺跡コードA』でアドバンテージを稼がれるのは悪手だ。
少しの思考時間の末、攻撃の順序を頭の中で纏める。
「このままバトルに移る。『魅惑の女王LV5』でセットモンスターに攻撃」
『魅惑の女王LV5』は横目で攻撃命令をした俺をチラッと見た後、正面に向き直り手に魔力を集め始める。サイレントマジシャンやノースウェムコの魔力は白だったが、彼女の魔力は赤い。触れれば壊れてしまいそうな繊細な五本の指でまるでブランデーグラスを持つかのように上に向けられた手から赤い魔力が沸き上がってくる。手に集まる魔力の純度が増すにつれて、淡い赤の光だった魔力は熟成されたワインのように赤黒い光を放ち始める。そして掌に溜められた赤黒い魔力は突如発火した。燃え上がる魔力はバスケットボール台の火球となりデュエル場を照らす。
裏側にセットされたモンスターを蔑むように見ながら、『魅惑の女王LV5』は一切の躊躇いも感じさせずにその火球を放つ。
裏守備のモンスターはその火球に包まれながらもその姿を露わにする。体長は俺の腰くらいまでの高さ。姿は滑らかな白の人骨。手足の五本の指は触手の様に長く、『エーリアン・グレイ』はそれを小刻みにくねらせながら絶叫をあげて消し炭へと変わっていく。
エーリアン・グレイ
ATK300 DEF800
「『エーリアン・グレイ』のリバース効果発動。相手の場の表側表示で存在するモンスター1体を選択し、Aカウンターを1つ置く。この効果で『サクリファイス』にAカウンターを置く」
『エーリアン・グレイ』は最期の抵抗とばかりに燃え尽きる直前に『サクリファイス』目掛けて紫色の肉塊を放つ。『サクリファイス』はそんな肉塊がこびり付いたところで気にした素振りを見せる事はない。
サクリファイス
Aカウンター0→1
「さらにリバースしたこのモンスターが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、デッキからカードを1枚ドローする。そしてフィールドの“エーリアン”モンスターが破壊された事で『古代遺跡コードA』にAカウンターが1つ乗り、同時に2枚の『補給部隊』の効果が発動!」
古代遺跡コードA
Aカウンター0→1
「『補給部隊』の効果は1ターンに1度、自分の場のモンスターが戦闘・効果で破壊された場合にデッキからカードを1枚ドローする。場の2枚の『補給部隊』があるため2枚ドローする!」
これでトビーの手札は3枚まで一気に回復した。
だがここで手札からの攻撃阻害カードを引けなければ結果は変わらない。しかし“エーリアン”デッキに果たしてそのようなカードが入るかは疑問が残るところだ。
ここで決着、そう思うと少々物足りないと感じる。“レベル5”と聞いていたので少しは期待していただけにこれでは不完全燃焼だ。わざわざ今日の演出のために入れたカードすら使わずに終わってしまうなんて。そんな不満が思わず溢れてしまう。
「この程度ですか? 『サクリファイス』でダイレクトアタック」
『サクリファイス』のウジャト眼に魔力が集められ紫色に輝き始める。
俺の脳内にはこの一撃が遮られず再びトビーに直撃するビジョンが再生される。だが、
「まだだよっ! 永続トラップ『洗脳光線』を発動! 相手の場のAカウンターの乗ったモンスター1体のコントロールを得る。これで『サクリファイス』のコントロールは奪わせてもらうよ」
俺の予想を裏切り表になったセットカード。
そこから放たれた白い閃光が『サクリファイス』に直撃すると、こびり付いていた紫色の肉塊が伸び『サクリファイス』の体を縛める触手の様に広がり始める。攻撃のモーションに入っていた『サクリファイス』だったが、体中に触手が回るとウジャト眼に集められていた魔力が拡散していく。そして『サクリファイス』は浮遊したままトビーの場に移り俺と対峙する。
「ふっ、そうでなくては面白くありません。ならばバトルは終了。そして『魅惑の女王LV5』の効果を発動します。1ターンに1度だけ相手の場のレベル5以下のモンスター1体を選択し、装備カード扱いとしてこのカードに装備する事が出来る。これにより奪われた『サクリファイス』をこのカードに装備します」
『魅惑の女王LV5』は相手に奪われた『サクリファイス』の元に歩を進めていく。悍ましい姿で威圧感を放つ『サクリファイス』に物怖じすることもなく凛として近づくその姿からは王族の威厳を感じさせる。
『サクリファイス』は『魅惑の女王LV5』が近づくにつれ威嚇する様に胴体に空いた穴を大きく動かす。収縮と膨張を繰り返すその穴からは漏れる空気の音はまるで荒くなった人の息づかいのようだ。
そして両者の距離は『魅惑の女王LV5』が手を伸ばせば『サクリファイス』のウジャト眼に触れてしまう程に縮まる。『魅惑の女王LV5』は立ち止まり『サクリファイス』に向けて右手を翳すと、『サクリファイス』の体中に張り巡らされた紫色の肉塊が唐突に燃え上がった。炎は『サクリファイス』の体全体に広がり文字通りの火だるまと化し、『サクリファイス』の体内に取り込まれていた『エーリアン・ウォリアー』は砕け散った。当然抵抗を見せると思われた『サクリファイス』だが、意外にも暴れる様子は無い。
そう、その炎は『サクリファイス』の体を一切傷つける事無く、触手のみを焼きつくし『サクリファイス』をその戒めから解き放ったのだ。炎が消えると『サクリファイス』は頭を垂れて女王に忠誠を誓う騎士の如く、ウジャト眼を下げその巨体を地に着ける。
『魅惑の女王LV5』は『サクリファイス』の肩の部分に腰を下ろし、こちらを見ると一瞬妖艶な笑みを浮かべたような気がした。
『むぅ……』
そんな『魅惑の女王LV5』が気に食わないのか、サイレントマジシャンが唇を噛み締めて睨みつけている。彼女らの間に昔何があったのだろうか。
少しサイレントマジシャンに気を取られている内に、『魅惑の女王LV5』は『サクリファイス』の上に乗って戻ってきていた。
「くぅっ……」
なかなか思い通りの展開でデュエルを進める事が出来ず、トビーの表情は優れない。
確かにフィールドの状況は依然として俺の方が優勢である。
ただセットカードに対して油断があったのは反省が必要だ。今回は対応出来るカードがなかったが、それがある状況で一度発動する気配を見せなかっただけで妨害の可能性を切り捨ててかかるなんて事はない様にしなければ。
いや、これはリスクの高いプレイングだが、決定的なタイミングで敢えて妨害のカードを発動せずに相手の油断を誘うというのも手なのか。上手くいけば相手の虚をついて相手の戦略を崩壊させる事が出来る可能性がある。ただ伏せていた妨害カードを発動出来るタイミングがあるのに、それを意図的に逃すプレイングと言うのは、それだけそのカードを『サイクロン』等の魔法・トラップを破壊する類いのカードによって除去される可能性を上げる事になるため、今までは考えもしなかった手だ。確かに使いどころを選ばなければならない戦術だが、俺のプレイングの幅が広がるかもしれない。
「カードを1枚伏せターン終了」
そんな事を考えながら俺はターンを終えた。
これで再び俺の魔法・トラップゾーンが全て埋まった。
フィールドは依然優勢だが、手札を稼がれたのは正直痛い。想定よりも『エーリアン・グレイ』のせいで1枚多く手札を稼がれたせいで、このターンで4枚まで増える。
これで勝負の行方はまだ分からなくなった。
あのままあっさり決着がつくのも物足りなかったが、圧倒的な実力を見せる事が目的な立場上ここまでの巻き返しを受けると少し苦しくもある。だがそれは相手のトビーとて同じようでこちらを見ながら苦虫を噛み締めたような表情をしている。
「認めるよ。正直最初は油断してたけど、確かに君は強い……」
「……それはどうも」
「だけどね、僕にも“レベル5”に所属している意地があるんだ。悪いけど君には負けないよっ! 僕のターン、ドロー!」
この気合いの入ったドローを皮切りにこのデュエルは後半戦へと突入していく。