楽しんでいただけたら幸いです。
※この作品での沖田さんは結核などの重病を患っていない代わりに呼吸器官系が非常に弱いとお考えください。
つまりサーヴァントの沖田さんに近い?
「戦場に事の善悪なし。唯只管に斬るのみ」
稽古の前、あるいは最中に、重く腹の底に響くような声音でよくそう言ったのは、私のおじいちゃんだ。
そもそも刀で人を斬るような時代はとうに過ぎている現代で、おじいちゃんがなぜそう説くのか、私にはわからない。
物心ついた頃には三門市の外れにあるおじいちゃんの家に、姉2人とおじいちゃんと住んでいた。
このおじいちゃんは私にとって、もはや父のようなものだ。
そんなおじいちゃんに物騒な訓戒と、物騒な剣術の稽古を受ける私は沖田桜、今をときめくピッチピチの小学6年生である。
気づけばおじいちゃんを師として剣を握っていた私にとって、もはやこの言葉は耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。
あとは、この剣は殺人剣である。ゆめゆめ忘れるなー、でしたっけ
おじいちゃんが私に教えてくれるのは剣道ではなく剣術だそうで、この言葉もうん千うん万と聞かされた言葉なのだ。
もちろんこの言葉を私も理解するところであるし、それを学ぶことには納得している。
そしてそれが、現代では全く役に立たないことも。
それでも、鍛錬は好きだし、何より剣が、刀が好きだ。
好きなものへの理解はやはり深まるもので、それが人を傷つけるものであり、その恐ろしさも、真剣を振るうようになった昨今より思い知った。
姉2人には私が真剣を振るうのに猛反対されましたけども
季節は冬。
もうすぐ小学校卒業を控えるこの頃、道場には慣れ親しんだ冷たさが満ちている。
そんな中で、おじいちゃん監督のもと稽古に励む。
毎朝、道場の雑巾掛けから始まるそれは、特別なことがない限り私が4歳のことから休むことなく続いている。
「やめっ!」
おじいちゃんの言葉に型の素振りを止める。
どうにも息が上がる。
昔から、鍛錬しているにもかかわらず体力がないことは自覚していたところだけれど、こうも体が意識に追いつかない感覚を味わうのは滅多になかった。
年を重ねるごとに体力が衰えていると感じたことはない。
ただ、こうして調子が悪い日の頻度が少し、本当に少しずつ増えているような気がした。
毎朝の登校前の稽古で、こんなにも疲れるだなんて
かぶりを振って顔をおじいちゃんに向ければ、肩で息をする私をおじいちゃんは厳しい顔で見つめていた。
シワが刻まれつつも、その顔、体には精力と気力で満ち満ちている。
そんなおじいちゃんの厳しい顔は、鋭い目つきや体の大柄さも相まって正直怖い。
何年もそんなおじいちゃんに稽古をつけてもらっている私でも、まだ竦み上がってしまいそうになる。
「
「いや、今日はここまでとする」
伺うように発した私の言葉は厳しい声に遮られた。
その有無を言わせない風韻に、少しびっくりしてしまった。
思わず、顔を逸らして道場の床を見つめてしまう、
でも、同時に納得する私もいる。
呼吸は浅く、荒い。
胸の内を、熱さが暴れまわる。
調子が良ければ、もう少し先まで進めていたんですけど…それでも満ち足りるまで剣を振ったことは、ないのだけれど
顔を上げて、もう一度おじいちゃんを見れば、相も変わらず厳しい顔。
こうなったら頑固なおじいちゃんはテコでも動かないのはこれまでの人生経験で知っているのだ。
「…ありがとうございました」
一礼をして、その場を辞する。
朝のひんやりした道場の床が、やけに冷たく感じる。
もう慣れてしまったと思っていたその冷たさは、胸の中で暴れる熱い苦しさを際立たせた。
まだ、息が荒い。
「桜」
「はい?」
おじいちゃんに呼び止められる。
振り返ればどこか難しい顔をしているおじいいちゃん。
「中学に入ったら、何の部活に入る気だ」
普段、私の学校生活を気にしないおじいちゃんにしては珍しい言葉だ。
まさかついに子煩悩ならぬ孫煩悩に目覚めた、とかー
それはないか、とくだらない考えを振り払う。
いや、そもそもおじいちゃんは私たち三姉妹にしっかりと愛を注いでくれている。
「えーと、一応剣道部に入ろうかと…」
それ以外にできそうな運動部もないし、文化部に入るのは今の自分の状態を認めてしまうことになりそうで嫌なのだ。
目をそらしているとも言えるのだけど。
おじいちゃんは難しい顔のままじっと私を見つめてくる。
その目尻に深いシワが刻まれたおじいちゃんの双眸から、まだまだ子供の私がどんなことを考えているのか読み取ることはできない。
「……そうか」
たっぷり数十秒経ってから、おじいちゃんはやっとそう言っただけだった。
それ以外部活動について何も言われず、朝餉に行きなさい、と促された。
何だったんでしょう…
はっきりとした物言いが特徴のおじいちゃんにしては、珍しいことだった。
離れにある道場を出て、母屋に向かう。
今時珍しい純和風の立派な木造建築は、密かに私の中で自慢だ。
敷地の広さも、学校の他の子たちの家に比べてはるかに広い。
家に学校の友達を招けば、皆が皆、顔を輝かせるほどに我が家は大きかった。
そんな我が家から、朝餉の香りが漂ってくる。
味噌汁のものであろうそれは、怠さを残した私の体の、そのお腹を刺激するに充分な破壊力を持っていた。
お腹から鳴る音に急かされて、早足で歩き縁側から草履を脱いで中に入る。
そのまま台所に向かえば、どうやらまだすべての準備は整っていないらしかった。
いつもより早く稽古が終わったんだから、当たり前ですよねぇ
少し、暗い気持ちになりながら台所を覗くと、高校の制服を来た長姉である沖田みつが忙しなく動き回っている。
「みつ姉さん」
私の呼びかけに、みつ姉さんはパッと振り向いた。
「桜?稽古は?」
おたまを握ったまま、きょとんとした表情のみつ姉さんに、もう終わったと返して台所に近づく。
みつ姉さんはうちの家事のほとんどを引き受ける、私にとっては母に近い人。
稽古が早く終わったのだから、たまには任せっきりの家事を手伝おう。
「何かお手伝いしますよ、みつ姉さん」
「いや、早く終わったって、あんた」
「あはは、何だかいつもより早く疲れちゃって…もともと体力ないのは自覚していたんですけどねー」
私の言葉に、みつ姉さんは眉をキュッと寄せた。
如実に、その顔は心配と、悲哀と、哀れみが現れていた。
おじいちゃんと違って、みつ姉さんはわかりやすくて助かります
思わず口の端がつり上がってしまう。
みつ姉さんを安心させるために、私は笑みをそのままに巷で流行りのドヤ顔を浮かべる。
「もう、そんな顔しないでください!この通り、もう元気ですから!何せ天才ですし、私っ」
袖をまくり力瘤を作るように腕を掲げ、胸を張る。
実際はまだ、胸に息苦しさを感じてはいるのだけど。
それでも、いつもお世話になっているみつ姉さんには笑顔でいて欲しいものである。
「そう……じゃあ、手伝ってもらおうかな。もうおかずもできるから、みんなの分のご飯を盛ってちょうだい」
「しょうち!」
まだ少し、その顔には心配が見え隠れしていたけれど、みつ姉さんはフッと笑ってそう言った。
ビッと敬礼をして応え、お釜へ向かう。
そうして私がご飯を盛り付け、姉さんが焼き魚と納豆、お味噌汁を並べた頃に、おじいちゃんと次姉のキン姉さんも茶の間にやってきた。
それからあとは、それまでの12年間と同じ食卓だった。
黙々と箸を進めるおじいちゃんと、ワイワイ騒ぎながらご飯を食べる私たち3姉妹。
その後、体の調子の起伏は以前にもまして大きくなり、ひどい時はその日のように稽古を早々切り上げなければならないほどだった。
そして、その頻度もまた、次第に増えていた。
そうして時は過ぎ、私は中学生になる。
足が床を踏み鳴らす音、気合い一声が中学校の剣道場に響いていた。
幾人かの同級生、そして先輩が地稽古を行っているのを、私は剣道場の隅でぼーっと眺めていた。
脇に防具の面を置く私をみれば、誰もが今にも死にそうな人間に間違いそうなほどには、私の体は疲労していた。
今日は、そんなに調子悪くなかったんですけど……
今日の部活動が始まって1時間半ほどで、私の体力は限界にきた。
中学校に入学して早2ヶ月、こういったことは日常茶飯事だった。
自然と、膝の上で握った拳に、力が込もる。
ここにいる誰よりも、私は強いのに
そんな情けない考えが、練習に励む他の生徒たちを眺める中浮かんでは消える。
思わず落としそうになる視線を、努めて上げていた。
それをするのは、なんだか酷く情けないことに思えたのだ。
この2ヶ月でわかったのは、おじいちゃんがいかに私の体力に合わせて的確な分量、質の稽古を課していたかということだった。
どんなに調子が良くても、この剣道部の練習に最後まで付き合いきれる体力を私は持ち合わせていないことを思い知ったのだ。
未だ私は、1日の練習の中で終盤で行われる目の前の地稽古に参加したことはない。
最後まで1日の部活を全うし切る体力があればいいのに、と思う。
それが無い物ねだりであることは重々承知でもある。
定期的に行くお医者様の話だと、おじいちゃんの稽古がなければもっと体が弱い可能性もあるとか。
この体力のなさを、そして練習に最後までついていけないことを初めて自覚した時の、悔しさというか、おじいちゃんへの申し訳なさというか、それらはとてつもないものだった。
『お前には才能がある。それもとびっきりの』
昔、稽古を始めたばかりの頃、滅多に褒めないおじいちゃんから言われたその一言が、私はとても嬉しかった。
だから、だからこそ、剣道部に入っておじいちゃんから認められた私の力を、正しく発揮できないことが、私にはたまらなく悔しくて仕方なかった。
私の不出来は、おじいちゃんの能力さえ貶めるものだと思えた。
裏切りだとさえ思った。
「はぁ……」
乾いた私のため息は、熱気に包まれた剣道場の空気の中に溶けて消えた。
それから1年。
それはやってきた。