魔理沙の家は、魔法の森に入って二十分ほど歩いたところにある。
『霧雨魔法店』という看板のかかったその建物は、壁のあちこちに蔓が巻き付いているため廃墟にしか見えない。なんでこんなド辺境に家を建てようと思ったのか。相変わらずあの親友の考えはよく分からん。
「って、よく見ると扉の金具も錆びてるし……ちゃんと手入れしなさいよ魔理沙……」
面倒くさがりもここまで行くと逆に凄い。あのお転婆娘はどこまで窮地に陥れば手入れを始めるのだろうか。いつも箒持ってるくせして掃除だけは嫌がるんだから。どこまで我儘なのよあの馬鹿。
やれやれと溜息をつきつつも、ドアをノック。
「……いない、か」
まだ時刻は昼ごろ。霖之助さんと同じくらい蒐集癖のある魔理沙なら、この時間は紅魔館あたりで魔法書を物色しているかもしれない。またパチュリーに愚痴を言われるわけだ、あそこの瀟洒なメイドさんは。可哀想とは思わないけど、一応手だけは合わせといてあげるわ、咲夜。
魔理沙がいつ帰ってくるのかは分からない。だけど、今日は他に行く宛もないので大人しく待ってることにする。幸いなことに今は夏だ。凍える心配がないので、待つのも苦にはならない。
扉の前に、膝を抱えて座り込む。なんとなく落ち着かなかったので、膝とお腹の間に顔を埋めてみた。
「威……」
無意識にアイツの名を呟いてしまい、思わず口を閉じる。
……さっきから、ずっとこんな感じだ。少しでも気が緩むと威の名を呼んでしまう。我慢しようとしているのに、どうしても止まらない。
なぜだろうか。アイツが来るまでは、ずっと一人だったのに。なんでこんなにも、アイツのことが気になるんだろうか。友人の一人にすぎない、あの外来人のことが。
明らかに初対面の男性に対する感情じゃない。まるで、昔どこかで会ったような……、
……コト、
「……ん?」
膝を立てていたせいなのか、スカートのポケットから何やら小さな石のようなものが落ちた。……赤い、勾玉だ。
しかしそれはただの勾玉ではなく、反対側に同じ形状のものがはめ込めるようになっている。二つ揃えば、珠になるような形のソレは――
「……陰陽、玉?」
博麗に伝わる秘宝。妖怪を封じる宝具の一つで、私が弾幕を放つときにも補助代わりに使っている便利アイテムだ。本来の用途はイマイチ分からない。投げつけるのかもしれない。
そんな感じのアイテムであるコレ。でも、ちょっとばかし小さすぎる。根付ほどの大きさしかない。どう見ても、戦闘用ではない。……というか、
「なんで半分しかないのよ」
問題はそこだ。ポケットに入れたまま洗濯してしまい、粉砕したというのなら理解はできる。でも、こんな綺麗に壊れるとは思えない。この外れ方はまるで、わざと解体して誰かに渡したかのよう。
『ぜったい、また会おうね!』
「っ!?」
不意に、妙な映像が脳裏に浮かんだ。幼い私が誰かに手を振っている、そんな光景が。
慌てて周囲を見渡す。……誰もいない。ということは幻術と言うわけでもなさそうだ。純粋に、私の記憶。
五歳ほどの私が手を振っていた。誰かに向かって、健気にも全力で。夕方まで一緒に遊んで、帰宅する友人に別れを告げるときのように。『また会おう』と、約束していた。
……でも、それ以上のことはまったく思い出せない。
「なんだったんだろ、今の……」
威のことで思い悩みすぎているのだろうか。少し休まないと。疲れているのかもしれない。
どうせまだあの魔法使いは帰ってこない。せっかくだから、この場所を借りてひと眠りするとしよう。どうせ私を襲うような妖怪はこの森にはいない。心配事は無い。
同じくポケットに入っていた紐に勾玉を通してペンダントにすると、首にかけた。なんとなく、捨てるのが憚られたのだ。
身体を丸め、目を閉じる。
「……おやすみなさい、威」
そこに彼はいないのに。またしても呼びかけてしまう。
――あぁ、これは相当重症だ。今度永琳に診察してもらおう。こんなにも胸が締め付けられるように痛いんだから、相当な病気かもしれない。
そんな見当違いな思考をしていたら、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
☆
「――だからって、私の家の前で寝落ちするのはさすがに少女としてどうかと思うんだが」
「うっさいわね……」
魔理沙に思い切り拳骨を落とされて悲鳴と共に私が目を覚ましたのは、既に空がオレンジ色に染まり始めた時刻だった。カラスの鳴き声が遠くから聞こえてくる。ずいぶんと寝ていたようだ。
痛む頭を撫でながら私は目の前で呆れたように腕を組んでいる親友を見上げる。
「おはよ、魔理沙」
「もう日暮れだぜ。時差ボケも大概だな」
「何時間も居眠りしていたらそりゃ時間も狂うわよ……」
パンパンと埃をはたくと、立ち上がる。その勢いで、首にかけている勾玉がふわりと跳ね上がった。
目ざとく魔理沙が反応する。
「なんか洒落たモンつけてるな。雪走にでも貰ったのか?」
「違うわよ。偶然見つけたの。捨てるのももったいないから、こうしてペンダントにしているだけ」
「ほぅ、珍しいな。基本的に実用的なもの以外は使い捨てるくせに」
「たまにはいいでしょ。気が向いたのよ」
あの記憶のことは、言わない。どうせ言っても首を傾げられるだけだろうし、私としても人に言うようなことじゃないと思っているから。思い出すときに思い出すだろう。
身体がすっかり凝ってしまっている。コキコキと肩を鳴らしていると、扉を開けた魔理沙が私を呼んでいた。
「雪走は幽々子が拉致したし、今日は泊まるだろ? 飯の用意するから手伝えよ」
「料理以外なら任せなさい」
「できないわけじゃないんだから面倒くさがるなよな……」
そうは言いながらも最低限の仕事しか人に任せない魔理沙はやっぱり良い奴だと思う。霖之助さんはいい加減この子の魅力に気づくべきじゃないかしら。生活が一気に楽になると思うのだけれど。
まぁ何もしないのも悪いし、食器の用意でもしておこう。
「そういえばさぁ、霊夢ぅー」
「なぁにぃー?」
箸を丁寧に二膳並べながら呼びかけに応じる。む、箸置きがないわ。あれがないと箸が汚れちゃうんだけど……。……仕方がないか。
さて、お次はコップでも並べますかね……、
「お前、よくもまぁあんな大勢の前で雪走にキスできたよな」
「はぇっ!?」
突然の衝撃発言に素っ頓狂な声を上げてしまい、両手からコップが零れ落ちる。〈パリィーンッ!〉という甲高い音が家だけではなく森中に木霊したように聞こえた。
コップの破砕音を聞きつけ、慌てて居間へと舞い戻ってくる魔理沙。
「あーあー、こりゃまた盛大にやってくれたな霊夢……」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、そこで珍しく殊勝に謝られるとこっちも調子が狂うんだが……なんだ、そんなに恥ずかしかったのか?」
「ちょ、ちょっと待って。え? 私が威にキスしたって?」
「あぁ、そうだぜ?」
破片を集め、雑巾がけをしながら魔理沙はしれっと答えた。対して、私は全力で混乱の真っ最中である。頭の中がぐちゃぐちゃで、うまく思考を纏められない。
えぇっ、私がキスした? 威に? いつ!?
「どういうことよ魔理沙!」
「こっちが聞きてぇよ。なんであんな大胆な真似したんだか――――え、もしかして覚えてないのか?」
「…………(コクン)」
「そっか……まぁワインであんだけ酔ってたしな……」
納得したようにしきりに頷く魔理沙。なるほど、レミリアに勧められたワインの影響で、そんなトチ狂った暴挙に出てしまったのか。なるほどなるほど。酔っていたのなら、仕方がない――――
「――訳ないでしょ私のバカァアアアアアアアアアアア!!」
「うるせぇよ」
なにやっちゃってんのよ私! なんでキスなんかしちゃってんの!? しかも公衆の面前で! ファーストキスなのよ!? もうちょっとシチュエーションとか考えて計画的にやっておくべきだった――って、そうじゃないそうじゃない! なんで威とキスする方向で考えてるのよ! よく考え直しなさい霊夢。あんなマイペース馬鹿のどこがいいのよ。性格悪くて馬鹿で理解の悪い居候じゃない。ちょっと使い勝手が良くて、たまに優しくて、雑用とかやってくれて……うぅ、早く戻ってきなさいよ威ぅ。
「なんだかんだでやっぱり好きなんじゃないか雪走のこと」
「そ、そんなわけないでしょ何言ってるのよ魔理沙はやっぱり馬鹿ねオホホホー!」
「うん。非常に分かりやすいリアクションありがとう。逆に尊敬するわ。そこまで動揺しておいてまだ自分の気持ちを否定するのか」
「当然よ。私がアイツのことを好きだなんてあり得ないわ」
「面倒くさい女だぜ……」
なんで魔理沙も紫も同じこと言うかな。いいじゃないの、私は別にアイツのことなんともおもってないんだから。本心にケチ付けないでよね!
ふん、と鼻を鳴らすが、魔理沙は突然不服そうな顔をした。私を責めるように、ジト目で睨んでくる。
「な、なによ……」
「……いや。雪走のことを『好きじゃない』って言う度に苦しそうな顔してるお前が可哀想だなって思ったんだよ」
「っ。……なによそれ。新しい冗談? 面白くないわよ」
「本気だよ。お前と雪走、どう見ても好き合ってるじゃんか」
今までのふざけた態度を一変させ、真面目なトーンで言葉を続けてくる。まるで私を責めたてているかのように。威に対する私の態度を咎めるかのように。
「お前さ、どうしてそんなに否定するんだ? チャチなプライドのせいで、アイツがどれだけ苦労してんのか分かっているのか?」
「……苦労してるって、なによ。告白されまくって困っているのは私の方だってのに」
「本当に困っている奴は、寝言でソイツの名前を言ったりしないんだよ」
「っっっ!? まさか、聞いて――」
「そろそろ気付いてあげてもいいんじゃないか? 別に雪走のことが嫌いって訳じゃないんだろう」
「…………」
私だって、薄々分かっていた。威のことをどう思っているのかなんて、気付いていたのだ。この思いがどういう感情からくるものなのか。十五歳にもなれば嫌でも悟る。
……でも、これをそう簡単に認めるわけにはいかない。私は幻想郷を守る博麗の巫女なのだから。恋愛ごとに気を取られている余裕はないのだ。まだ、今は早い。
「年頃の女が言う台詞じゃないよなー」
「うっさい魔理沙。アンタも根性なしのくせして。霖之助さんにチクるわよ?」
「ばっ! 香林は関係ないだろ!?」
「仕返しよバカ魔理沙」
暗くなってしまった空気を察したのか、おちゃらけた口調で場を和ませてくれた。こういうところは助かる。なんだかんだで、私のことを考えてくれる彼女はやっぱり良き親友だ。
親友だけど、こういう大事なところも似ているってのは複雑よねぇ。
「ま、とにかく今日は飲もうぜ。紅魔館で咲夜から日本酒貰ったんだ」
「ワインじゃないのなら、喜んでいただくわ」
台所に調理の続きへと向かいながら、魔理沙は笑った。彼女も分かっているんだろう、私の難儀なプライドを。分かっているからこそ、余計なお節介をするし、フォローもしてくれる。実は幻想郷一真面目な魔理沙は、他人の事を思いやる人間なのだ。だから、頼りになる。
「……ありがと、魔理沙」
返事は聞こえなかったが、それでよかった。私達の間に言葉なんていらない。お互いを分かりあう気持ちさえあれば。
――――そろそろ気付いてもいいんじゃないか?
「……そろそろ、か」
この気持ちを受け入れられる日は、いつになるのだろうか。私がこのくだらないプライドを捨て去る日は、いつ来るのだろうか。
あまりにも愚かしい私自身に、無意識にも溜息を漏らしてしまうのだった。今頃、彼は何をしているのだろうと物思いに耽りながら。
次回もお楽しみに♪