山奥にぽっかりと広がる吹き抜けの空間。
周囲に比べて幾分か背丈の低い草が地面を覆うように茂ったその場所で、二人の小さな子供達が鞠を蹴って遊んでいる。
『ひっさつ! むそーふーいーん!』
『そしてりたーん』
『ひぎゅっ!』
紅白の衣装を身に纏った黒髪の少女が顔を押さえて痛そうに蹲る。見栄たっぷりに必殺シュートを決めたのに、マイペースに打ち返されたのが結構ショックだったらしい。蹴り返す動作が一瞬遅れて顔面に鞠が直撃していた。
『大丈夫? なんか変な声出してたけど』
『だ、大丈夫だもん! 別に痛くなんかないんだから!』
何気に心配して様子を伺う少年に、目の端に涙を浮かべながらも少女は強がって舌を出して見せた。傍から見ているだけでも、彼女が素直ではない性格だということがわかる。
まるで、私のように。
(……夢、か)
現状を把握して、溜息をつく。空から見下ろす形になっていたから何事かと思えば、ただ夢を見ているだけだったようだ。最初は驚いたが、気付いてしまえば何のことはない。
なんかやけにはっきりとした夢だなとか変なところで感心しつつ、私はもう一度子供達の方を見る。
少女が着ている紅白の衣装。しっかりと袖の部分が繋がっている露出少なめなソレは、昔幼い頃に私が着ていた巫女服に酷似していた。短く切り揃えられた黒髪も、後頭部にちょこんと付けられている赤いリボンも。何もかもが、昔の私そのものだ。
――――これは、私の記憶。今はもうほとんど覚えてさえいないはずの、かつての思い出。
(なんでこんな急に思い出すのかしらねぇ)
『もーなんだよ素直じゃないなぁ』
『素直だもん! れいむはホントに痛くないんだから!』
頭の後ろで手を組んで嘆息する少年に、少女――――『私』はあまりにも子供らしく幼い虚勢を張り続けていた。そんな光景を見ながら、ちょっとだけ自分の恥ずかしい部分を突きつけられた気持ちになってしまう。私ってこんなに子供っぽいガキんちょだったのか。なんか落胆。
それにしても、『私』は誰と遊んでいるのだろう。あまり昔の記憶が残っていないからよく分からないけど、五歳くらいの頃に神社の外で遊ぶような仲のいい友人なんていなかった気がするんだけど。
結構大きい好奇心にかられ、私は『私』を慰めるかのように隣に立っている少年の顔を覗き込もうとして――――
――――ぐにゃりと、視界が歪んだ。
(……え?)
慌てて焦点を合わせようとするが、上手くいかない。それどころか、歪み始めた視界は膜がかったようにぼやけ始める。まるで、少年の正体を知ることを許さないかのように、私の意識に逆らって景色は遠のいていく。意識が、薄れていく。
(ま、待って! ちょっとだけ……後ちょっとだけだから!)
『れいむは泣き虫だなぁ』
『そんなことないもん! 〇〇程じゃないし!』
『俺は泣き虫なんじゃない。涙腺が弱いだけなんだよ』
懸命に叫ぶが、身体は言うことを聞いてくれない。後少しで何か重要なことを知ることが出来そうなのに、私の身体は動いてくれない。
そんな私の状態なんてまったく知らない様子で、二人は会話を続けていく。
『でもでもっ、〇〇はいっつも素直に泣いてるじゃん! 泣いたり怒ったり笑ったり! 思うが儘すぎて幼いよねー!』
『分かってないなぁ、霊夢は。いいか、よく聞けよ? 俺は幼いんじゃない――――』
意識が遠のく。視界が完全にブラックアウトする寸前に、少年は自信満々にこう言い放った。
『マイペースなのさ』
☆
「待って!」
「のわぁっ!」
ガバッと勢いよく布団を吹き飛ばし、そのまま状態を激しく起こす私。突然大袈裟な起床を見せた私に驚いて、隣で欠伸と背伸びを両立していたらしい魔理沙が目を白黒させて飛び上がっていた。
「あ……ごめん」
「い、いや、謝るほどじゃないけどさ。それにしても驚いたぜ。光る勾玉を見ていたら突然大声出して起き上がりやがるんだから」
「だから悪かったって……え? 光る勾玉?」
苦笑交じりに謝る私だったが、魔理沙がふと漏らしたそんな台詞に思わず食いついてしまう。
勾玉が二つくっついたような形状の陰陽玉なら、この博麗神社には大量に保管されている。しかし、彼女が明確に『勾玉』と表現していることから、私が妖怪退治や異変解決時に愛用しているあれらじゃないことは察せる。そもそも、寝室にあんな大きいものを置くような趣味はない。邪魔だし。
とすれば、思い当たるのは普段私が好んで首から提げている陰陽玉の片割れだけである。以前魔理沙の家の前で居眠りしていた際にポケットから落ちてきたアレ。妙に愛着を覚えてアクセサリーとして身に着けているのだが……それが光ったって?
驚いて枕元に置いている勾玉に視線を向けるが、そこには普段通りの紅がくすんだ古臭いソレがあるだけだった。
「なによ、全然輝いていないじゃない」
「お前が起きるまでは光ってたんだって! なんか、こう、ポワァッって感じの光を放ちながらさ!」
「ふぅん……」
身振りを加えてまで正確に詳細を伝えようとする魔理沙のおかげで、少しだけ信憑性が増してきた気がする。まぁ魔理沙はそもそもそんなに悪気があるような嘘はつかないから、信じてみても良いだろう。こんなに必死に嘘をつく利点も見当たらないし。
それにしても、今までこの陰陽玉モドキが光るなんてことはなかったのに。どれだけ綺麗に磨きぬいても錆びれた色を突き通す古ぼけたコイツが、なぜ今になって光を放ち始めたというのか。
――――そういえば、コレを見つけた時に変な映像が頭に浮かんでいたような気がする。
五歳ほどの私が、誰かに向かって手を振っている光景。『また会おうね』と、子供ながらの純粋な笑顔で相手を見送る映像を、確かに私はその時見た。
……そしてその記憶が、先程見た夢の内容と妙に重なる。
(無関係、ってことはなさそうね)
薄れている昔の記憶、半分になった陰陽玉。
夢の中では正体を明らかにすることができなかった少年の正体も含めて、何か繋がりを持った秘密が隠されているような気がする。
……もしくは、ただのロマンチックな恋愛物語か。
(幼い頃の淡い恋心ってかぁ? らしくないっての)
あまりにも博麗霊夢らしくない考えに行き着いてしまった自分に辟易しながらも、魔理沙とは反対側で未だにすやすやと鼻提灯を膨らませている緑巨乳風祝を起こすべくダイビングの準備を始めた。
☆
「なにもいきなりお腹の上に飛び乗ってくることはないじゃないですかぁ!」
「胸を潰されなかっただけ感謝しなさい」
「理不尽ですよぉ!」
早苗が涙目で詰め寄ってくるが、私はできるだけスルーの方針を固めて黙々と味噌汁を啜る。
お泊り会二日目。今日の朝ごはん担当は鈴仙と妖夢だ。テーマは和食らしい。
流石に二人とも実家の調理を担当しているだけあって腕前は中々のものだ。魚の焼き加減や米の炊き加減も丁度いい。味噌汁は少しばかり濃い気がしないでもないが、他の皆は美味しそうに食べ進めているので私が薄味派なだけだろう。……別に、貧乏舌とかではない。たぶん。
「そういや今日は何する? 人里で買い物でもいいけど」
一足先に食事を終えて食器を流し場に持って行っていた鈴仙が、タイミングを窺って口を開いた。気を遣える程度にはイイ奴なのに、やっぱり変態だからどうしようもない。ていうか、買い物ってあんた女子力フルパワーか。
とはいえ他に具体的な案が出ないのも私達の特徴でもある。魔理沙は他人を率先するタイプだし、咲夜と妖夢は意見自体あまり言わない。私は基本面倒くさがり屋だしね。
この六人の中で積極性を持っているのは、鈴仙と早苗くらいのモノだろう。現役女子高生ときゃぴきゃぴ月兎は、幻想郷内ではトップレベルのヤングパワーを持ち合わせている。
というわけで、鈴仙の意見に追従する形で早苗が会話を続けた。
「ショッピングですか……でも人里って、食品店と食事処くらいしかありませんよね」
「和服はそんなに種類ないから服屋も少ないし、私達が着ているようなのは香霖堂さんで用意できちゃうしねぇ」
「あ。じゃあウチの裏の湖で泳ぐとかはどうですか!?」
「早苗ちゃん忘れているかもだけど、妖怪の山に入ること自体結構難易度高いからね? 霊夢とか魔理沙がイレギュラーなだけで、私達が難なく入れるようなガードの弱い場所じゃないっしょ」
「うーん……じゃあ、どうします?」
なんか会話の応酬の結果目的は雲散霧消してしまったらしい。あまりの計画性のなさに私としては驚きを隠せない。つーか私達全員弾幕ごっこ以外の遊びをあんまり知らないし。バリバリの十代乙女としては致命的な気がしないでもない。
うーんと額を合わせて考え込む早苗と鈴仙を見て、ずーっと黙っていた咲夜が溜息を漏らした。
「まったく……貴女達それでも年頃の女の子なの?」
「じゃあさっさと意見出せよ精神年齢里のババ様」
「誰が齢九十よふざけんじゃんねぇぞこの白黒魔法使い!」
「咲夜、キャラが、キャラが崩れてるから」
しれっととんでもない地雷を投下した魔理沙が咲夜にナイフを突きつけられているが、そんなに重要視することでもないのでひとまず流しておく。日頃紅魔館から本を盗み続けているのだから、こういう時くらい素直に痛い目を見ておいても良いだろう。
意見が止まったことで変な静寂が場を支配する。魔理沙の潰れた蛙のような呻き声は放っておくとして、皆がうんうんと考え込む。
皆が黙り込んで数分が経過した時、突如としてバンと卓袱台を叩いて勢いよく立ち上がった勇者がいた。
「私にいい考えがあります!」
短く切り揃えた銀髪を輝かせて、傍らに半霊を従えた天真爛漫な少女。飯時にも拘らず傍に大小二振りの日本刀を置いている物騒な脳筋系純粋少女、魂魄妖夢だ。
妖夢は皆の視線を一手に引き受けている自覚が無いのか、右手を天に突きあげるというたいそう恥ずかしい動作を行うと、私達に向けて思いっきり宣言した。
「幻想郷観光旅行をしましょう!」
『え?』
思わず、全員が言葉を失った。咲夜は普段からは考えられない呆けた顔をしていて、鈴仙も無駄に気の抜けた表情を見せている。早苗は笑顔を崩していないがどこかぎこちなく、魔理沙に至っては右肩が下がってしまっていた。かくいう私も、思わず箸を落としてしまいそうになった程である。
「むふー!」と興奮気味に鼻息を荒げる妖夢に気圧されながらも、イマイチ復活できていない全員を代表して私は妖夢に質問を行う。
「えーと……一応、そう考えた理由を聞いてもいいかしら?」
「はい! 楽しいからです!」
「うん、ごめん。質問が悪かったわね。……妖夢は、なんで今更幻想郷を観光しようとかいう意見に行き着いたの?」
「だって観光楽しいじゃないですか!」
「ダメだ。まったく通じてないぜ霊夢」
思いのほか話が噛み合わない半幽霊少女に魔理沙が若干慄く。私もまさか、理由を聞いて感情が返ってくるとは思いもしなかった。純粋少女は理屈さえもたたっ斬ってしまうのかと戦慄を覚える。
しかし妖夢は止まることなく言葉を続けていく。
「皆さん確かに幻想郷に住んではいますけど、この場所全体をよく知っているわけではないでしょう?」
「まぁ、それもそうね。神社の外に出るときは大概異変絡みだし」
「そう、異変解決とかであちこちに行ったりはしますけど、そこの魅力とか美しさとかを知る機会はあまり無かったはずです! ちなみに冥界の魅力は物静かな雰囲気ですね!」
「おどろおどろしいだけじゃない」
まぁでも、妖夢の言っていることもあながち的外れなものではない。
確かに、私達はこの幻想郷の事を隅から隅まで知っているというワケではない。天界のことなんて天子から聞いたことくらいしか知らないし、地底のことも萃香や勇儀から教えられたくらいの情報しか持っていない。そういえば迷いの竹林の詳細も分からない上に、紅魔館の全貌さえ謎のままだ。
そう考えると、これを機に幻想郷についてもっと知るのもいいのではないだろうか。
「まぁ、いいんじゃない? 面白そうだしさ。探検みたいで盛り上がるしねぇーっ!」
「私も賛成ですわ。紅魔館以外のことも、もっと知っておきたいし」
「冒険と探検と危険はファンタジーの醍醐味ですよ!」
「新しい魔法の研究に役立つかもしれないしな。いいと思うぜ?」
「……とまぁ皆さん賛成のご様子なんで、採用よ」
「やったぁーっ!」
両手を上げてぴょんぴょんと可愛らしく跳ね回る妖夢。時折異常に無邪気さを見せる彼女に癒されないでもないが、そういう愛情表現は鈴仙に任せて私は一人思考に耽る。
私が幻想郷旅行に賛成した理由は二つ。一つは普通に楽しそうだからであるが……もう一つは、私の記憶についてだ。
以前魔理沙の家に泊まった時に見たお母さんの夢。そして、今日の夢。私自身記憶力はそこそこいい方なのに、昔のことをここまで覚えていないというのは甚だ疑問が残る。そして、その過去のことを夢でしか思い出せないことに私は違和感を覚えていた。
きっと、何かある。私の知らない何かが。
「あれ? 霊夢が提げているあの勾玉って、雪走さんの色違いですよね?」
「ですね。私もついこの前気が付いたんですよ。雪走君と霊夢さんはお互いに気が付いていないみたいですけど……」
視界の端の方で早苗と妖夢が私を見て何か話していたが、私の脳内は謎の究明のことでいっぱいになっていたためうまく聞き取れなかった。まぁ、そこまで重要な事でもないのだろう。
さて、ここまで私を悩ませる記憶の謎を、さっさと解明してやりますかね!
皆が朝食の片づけをしている中、私はこっそりと密かなやる気に燃えていた。
というか、今回やけに物語が進んだ気がします。幻想郷観光旅行なんて……べ、別にキャラをいっぱい出したいって訳じゃないんだからねっ! 幽香とかチルノとか騒霊達を書きたいとか、