番外編最終話です。次回から本編に戻ります。結構長い期間でしたが、本編をお待ちしている方はマジでお待たせしました。
それでは第一位の彼女の取材。マイペースにお楽しみください♪
「――――というわけで、幻想郷内人気投票におきまして堂々の第一位を獲得いたしました。幻想郷の誇る楽園の素敵な巫女、博麗霊夢さんでーす!」
「まぁ、言うまでもなく当然の結果よね!」
私の掛け声に霊夢さんは胸を張ると、ふふんと鼻高々に腰に手を当てていました。サラシで締め付けているため胸の膨らみ具合はそんなに大きくは見えませんが、サラシを外すととんでもない爆弾が露わになるという事実を以前雪走さんから聞いている私は決して騙されたりはしません。隠れ巨乳とか私に対して宣戦布告しているとしか思えないのですがそこら辺はどうなのでしょうか。……おっぱいネタがしつこい? 阿求にも譲れないものがあるのですよ。
霊夢さんが自慢げにドヤ顔を浮かべていると、彼女の隣でお酒を飲んでいた白黒の魔法使い、霧雨魔理沙さんが永遠亭名物月兎の団子を片手に「でもさぁ」と口を開きました。
「コイツが一位ってのはちょっと納得いかないよな。だってあの博麗霊夢だぜ? いつも素直になれずにツンツンしてばっかりいる不器用野郎のどこがそんなに人気なのやら」
「圏外女は黙ってそこの人形遣いと自棄酒でもしていなさい」
「嫌だよ辛気臭い。一日中家に引き籠って人形作るしか能がないニートと一緒にすんなっての」
「ちょっとそこの主人公二人! 顔色一つ変えずに私を馬鹿にするのはやめてもらえるかしら!?」
二人して嫌悪の表情を浮かべながら七色の魔法使いから距離を取っていると、いい加減に耐えられなかったのか顔を真っ赤にして反論を開始するアリスさん。淡い色調の服装や綺麗な金髪、異常なほど整った顔立ちから人形のような印象を受ける彼女ですが、この二人にかかってしまうとそんなアリスさんでも一瞬にして弄られキャラに早変わりしてしまうようです。普段の冷静さからは想像できないほど取り乱しているアリスさんはなんだかとっても可愛いですね。一気にファンが増えちゃいそうです。……しかし、彼女の顔の付近でふよふよ浮いているあの人形はいったい何なのでしょうかね。
アリスさんは胸の前で腕を組むと、一旦落ち着くように咳込んでから、
「そもそも、女性としての魅力なら誰にも劣らないはずの私が一票も入れられていないっておかしくない? 投票者達はいったい何を考えているのかしら。ヘタレ白黒魔法使いやら堅物閻魔に票を入れる暇があるのなら、完璧超人アリスちゃんに全票ぶち込みなさいよ!」
「そういうところがファンを離れさせているってことにいい加減気が付きなさいバカアリス」
「霊夢貴女! 今私の事馬鹿って言ったわね! 馬鹿って言った方が馬鹿なのよバーカ!」
「……アリスさんは賢いのに、たまぁにとってもどうしようもない時がありますよね」
「言ってやるな阿求。アイツは天然だが、あれで結構強いんだからさ」
「えぇー……強くてもあのちょろさは致命的では。これは幻想郷縁起の評価を改める必要があるかもです」
「貴女達も陰で悪口並べ立てない!」
霊夢さんに詰め寄っていた三下系魔法使いアリス=マーガトロイドさんはそのままの勢いで私達を責めたてます。どうしても譲れないものがあるのか必死の形相で自分がいかに素晴らしいのかを騙り始めていましたが、これは流石に長くなりそうだと判断した魔理沙さんが呼び寄せた河童のにとりさんによって永遠亭メンバーの元へと引きずられていきました。あそこには年がら年中ハイテンションな月兎やある意味完璧なお姫様がいるので問題ないでしょう。いい門前払いが出来ました。
「それにしても、霊夢が一位ねぇ……世の中不思議なことがあるものですわ」
いきなりさらりと何気に失礼な発言を漏らしたのは、魔理沙さんと同じく霊夢さんの近くでお酒を楽しんでいた妖怪の賢者様でした。いつもの紫のドレスではなく陰陽風な衣装に身を包んでいる賢者様は、今の発言が少し癇に障った様子の霊夢さんを見ると、その人間離れした美貌に胡散臭い笑みを浮かべます。
「確かに霊夢は綺麗だけれど、性格的には壊滅的もいいところでしょうに」
「爬虫類でもないくせに冬眠するような妖怪に言われたくないわね」
「ほら、そういうところが壊滅的だと言っていますのよ。何か言われるとすぐに毒舌で返す。貴女一度でも素直な言葉で返事したことがありまして?」
「う、それは……」
「なははっ! こりゃ一本取られたな霊夢!」
図星すぎて言い返せない様子の霊夢さんに腹を抱えて爆笑する魔理沙さん。地面に寝転がるように全身をバタバタさせている彼女はすっかりスカートが捲れ上がっていましたが、まったく気にする様子はありません。中にドロワーズを穿いているから大丈夫とでもいうのでしょうか。先ほどから複雑な視線を送ってきている香霖堂店主さんの気持ちを考えると阿求は地味に悲しくなります。魔理沙さんの恋が実らないのはどう考えても魔理沙さん本人にも非があると思いますよ!
紫さんと魔理沙さんにからかわれた霊夢さんは手持ち無沙汰にぶーたれています。口を尖らせてむすっとした表情のまま、何の気なしに視線をある方向へと向けていました。
視線を追いかけると、
『ほらほら飲め飲め雪走ぃー。たーんと飲んで酔っ払っちゃえー』
『もがもがもがもがっ! もごごぉーっ!』
『す、諏訪子様! そんなに一気に流し込んだら急性アルコール中毒で雪走君死んじゃいますよ!』
『なぁに死にはせん。適度に酔い潰して守矢神社に持って帰るだけさね。そんでもってお前の寝室に縛り付けておくのさ』
『わ、私の寝室に!? それはそれで、魅力的な……で、でもでも駄目ですそんなこと! 雪走君しっかりしてくださぁ~い!』
「何やってんのよアイツらは……」
雪走さんを拘束した状態で日本酒を浴びるように飲ませている守矢の二柱。仲間がピンチに陥っているのをなんとか救出しようと風祝さんが奮闘していますが、どうせ手に負えないのは分かっているのでしょう。どうしようもないというような面持ちで二柱の周囲をあたふた走り回っていました。
そんな守矢一家を嘆息しながら眺める霊夢さん。雪走さんが危機に陥っているのに、彼女が動く気配はありません。どうしたのでしょうか。
「助けに行かないんですか?」
「別にいいわよ。アイツ打たれ強いからあれくらいじゃ死なないし。それに、偶には痛い目見といた方が後々大人しくなるでしょ」
「そうは言いながらも内心助けに行こうか迷ってるんだろ? もう、霊夢は素直じゃない――――」
「博麗の巫女秘伝・アルティメット究極昇竜脚!」
「意味被って……ぎゃぁああああああ!!」
「ったく……」
霊夢さんは調子に乗り過ぎた魔理沙さんが天の彼方へと吹っ飛んでいくのを呆れた様子で見送ると、再び座り込んでお酒を注ぎ始めました。魔理沙さんに八つ当たりしたことで多少は気が晴れたようで、先程に比べると幾分か憑き物が取れたような明るい表情で枡を傾けています。
大変ですね、霊夢さん。
「まったくよ。なんで私の周囲にはあんな馬鹿共しかいないのか……」
「その中でもバカ筆頭は貴女の旦那さんなわけだけれど」
「いいのよ威は。バカだけど優しいし、極稀にカッコイイんだから」
「あらあら、そんなさらっと惚気るなんて……霊夢も結構雪走君にゾッコンねぇ」
「んなっ……! い、今のは言葉の綾よ! ふふふ、深い意味なんてにゃいわ!」
「可愛い可愛い。乙女よねー」
「う、うるさぁぁああああああい!!」
立ち上がって必死に弁論する霊夢さんでしたが、真っ赤になった彼女の顔はどこか緩んでいるようにも見えました。心の底から嫌がっているわけではない、そんな感じに。
……そろそろ、取材の本題に入るとしますかね。
私は取り乱している霊夢さんに一口お酒を勧めて落ち着かせると、メモ帳を取り出します。
「それでは質問です。貴女にとって、雪走威とはどういう存在ですか?」
「いきなり複雑で小難しい質問ぶつけてくるんじゃないわよ……」
そうは言いながらも霊夢さんは首を捻り始めます。俯かせた視線を時折雪走さんの方に泳がせつつ、じっくりと実行しています。
そしてようやく顔を上げると、
「自分でもよく分かんないんだけど……とにかく、『大切な人』かな」
そんな答えを提示しました。
「大切な人、ですか……?」
「うん。魅力とか駄目な所とか、そういうのを一切合財一緒くたにしたうえでの大切な人だと思うの」
そこで一度言葉を止めると、喉が渇いたのかお酒を煽りました。
「……っはぁ。まぁアイツは女の子に対しては誰にでも分け隔てなくどうしようもないくらいスケベだし、本当に十七歳なのか不思議になるくらい馬鹿だし、感情の一部がぶっ壊れてんじゃないかって思うくらい単純なマイペース野郎だけどさ」
霊夢さんは笑顔で言っていますが、これはまた随分と酷い言い草です。この場に彼がいなくてよかったと心底思います。こんなこと聞いたらたぶん立ち直れませんよ、雪走さん。
柔和な笑みで彼の短所を並べ立てていた彼女は一瞬口元を綻ばせたかと思うと、恥ずかしそうに頬を染めながら言葉を続けます。
「たまぁに頼もしくて、時にとんでもなく優しくて、私が落ち込んでいると全力で慰めてくれるの。馬鹿の癖に、自分の事のように一生懸命私のことを考えてくれる。……自分でも浅はかで単純だとは思うけど、威のそういうところに私は惚れたのかもしれないわね」
「まぁ、普通じゃあり得ないほど、それこそ変な能力使ったんじゃないかってくらい早く惚れたのは恥ずかしい話だけどさ」と気まずそうに頬を掻き、苦笑を浮かべながら再びお酒を飲み干す霊夢さん。……そんな彼女の言葉を聞いて、私は虚を突かれたような気持ちでした。
彼らの間にはもっと複雑な何かがあると勘ぐっていた自分が、どうしようもなく嫌な人間に思えてきたのです。
二人の間にあるのは嘘でも欺瞞でもなく、純粋な愛情。相手のことを想い、お互いに支え合っているだけの単純なものでした。私が考えていたような裏側事情は、欠片も存在しませんでした。
誰に対しても胸を張れるピュアな愛情を抱えている彼らに対して、私はどれだけ擦れた人間だったのでしょうか。幻想郷縁起編纂者でありながら、なんと愚かな考えを持っていたのでしょうか。
賢者様がいつの間にかこちらに連れてきていた雪走さんに憎まれ口を叩いている霊夢さんを見ながら、私は自分の浅はかさを反省します。少し頭を冷やそう。もっと真っすぐな目で物事を見られるように、一旦落ち着こう。
……一度大きく深呼吸をして、改めて二人を見ます。
「酒飲んで頬赤らめている霊夢はめっちゃエロ可愛いなぁ!」
「大声で恥ずかしいこと叫ぶな馬鹿!」
「だって事実だろ? 霊夢は世界で一番、誰よりも魅力的でかわいいんだから! 異論反論意見質問一切合財認めない! この俺が言うからにはこれが世界の常識だ!」
「い、意味の分からないことをほざくんじゃないの! もうっ、恥かくのは私なんだからね!?」
「ごめんごめん。……でも、恥かいてモジモジ照れる恥じらい霊夢も可愛いはず!」
「うっさい! いっぺん死ねこのマイペース馬鹿ぁああああああああああ!!」
「霊夢の拳はご褒美……じゃないですごめんなさい! お祓い棒はらめぇえええええ!!」
お尻から大幣を生やしてビクンビクンと妖しげな痙攣を始める雪走さんと、そんな彼をやれやれといった表情で、それでいてどこか楽しそうに見下ろす霊夢さん。一見すると喧嘩しているようにも見える二人は、少し目を凝らすと誰にも切れないほど強い絆で繋がっているようです。
……これは、阿求の完敗ですね。
「取材に協力して頂き、ありがとうございました。霊夢さん」
「ん? あー、いいっていいって。こういうのも博麗の巫女の仕事だしさ。良い記事書いてよね?」
「はい。期待してください」
「で、できれば俺と霊夢のイチャイチャ春画も掲載してもらえれば……」
「い、い、か、ら! アンタはいっぺん黙れ!」
「はうぅんっ!」
「……ふふっ」
もうホント、どうしようもなく仲のいい方々ですね。
メモ帳とボールペンを仕舞いこむと、私はしばらくの間彼らの様子を見守ることに決めました。今度は阿礼乙女という立場ではなく、一人の幻想郷住民として、彼らを応援しようと思いました。この、見ているだけで幸せになれるお二人を。
……すると、そんな二人にいきなり声をかける人物が現れました。
「……ちょっと霊夢、これ飲んでみてよ」
不意に現れた闖入者に、その場にいた全員が声の主を見やります。かくいう私も、そちらに視線を向けました。
そこにいたのは、桃色のナイトキャップを被った蝙蝠の翼を持った少女。水色と銀が混ざったような神秘的な色調の髪を肩の辺りまで伸ばしたその少女は、紅魔館の主であるレミリア=スカーレットさんです。
幻想郷でも珍しい吸血鬼であるレミリアさんは右手に持った湯飲みを掲げると、霊夢さんに向かって差し出します。
「この前パチェが醸造した新しい『日本酒』なの。結構自信作らしいんだけど……霊夢に飲んでもらおうと思って」
「なんでそこで私が出てくるのよ。自分で飲みなさいよ自分で」
「私はもう飲んだわ。すっごくまろやかで舌触りがいいお酒だったわぁ」
「ふぅん……」
うっとりした顔で両手で頬を抑えるレミリアさんを訝しげに見る霊夢さんですが、これ以上勘ぐっても仕方がないと思ったのでしょう。一度軽く嘆息すると、レミリアさんが差し出している湯飲みを受けとります。
「……そういえば、なんで湯飲み?」
「近くに入れ物が無かったからだけど」
「あ、そう……」
そんなことを質問しながら、湯飲みを傾けます。お酒の味を楽しむようにゆっくりと、じっくり喉の奥へと流し込んでいきます。
――――そして、湯飲みの中身がすっかり空っぽになった時、
「…………はぁ、ん」
霊夢さんの口から、今まで聞いたことがないような艶っぽい声が漏れ出しました。
彼女の顔を窺うと心なしか目が潤んでいるようにも見えます。頬は異常なほどに上気していて、息も荒いようです。まるで、発情した猫のような。
「おい……嘘だろ、これって……!」
霊夢さんの様子に何か勘付いたのか、一歩ずつ後ずさりながら冷や汗を流す雪走さん。周囲を見ると、アリスさんや香霖堂の店主さん、紫さんなんかが額に手をやって何やら嘆息していました。い、いったいどうしたというのでしょうか。
いきなり全身から違和感を醸し出し始めた霊夢さんは覚束ない足取りでゆっくりと雪走さんへと近づいていき……、
「(ガシィッ!)」
「ひ、ひぃっ!」
がっしりと、傍から見ても凄まじい力を込めて雪走さんに抱きつきました。
え、えぇっ!? あのツンデ霊夢さんがあんなストレートに愛情表現するなんて……本当に何があったのですか!? あのお酒には自白作用か何かが含まれていたとでも言うのでしょうか。
一人意味が分からず目を白黒させている私を他所に、霊夢さんは彼に抱きついたまま全身をモジモジとさせながら、雪走さんの顔を見上げると甘ったるい声で囁き始めました。
「……ひゃけるぅ、だぁいすき」
「レミリアさんアンタが飲ませた酒の正体絶対日本酒じゃねぇだろぉおおおおおおおおおお!!」
「えぇ、その通り。今私が飲ませたのはパチェが催淫作用のある薬草をを織り交ぜて作った、新世代のワインよ!」
「タチの悪い媚薬作ってんじゃねぇ! ワインと媚薬の相乗効果でもう取り返しのつかないことになってるから!」
「んやぁ……れみりあじゃなくて、わらひとしゃべるのぉ……!」
「あぁもう! だからこんな公衆の面前で巫女服脱ぐなって!」
ぎゃーぎゃー騒ぎながら、ついにはサラシを取ろうとする霊夢さんの両手をホールドする雪走さん。性欲の権化とまで噂される彼が全力で脱衣を阻止するなんて……そんなにエグイものなのでしょうか。阿求には分かりかねます。
「きすぅ……ひゃける、きすするぅ……」
「しねぇよ! あぁくそ、こんな時に限って霧雨さんはいないし! 助けて紫さん!」
「……ごめんなさい雪走君。今の霊夢は……ちょっと近づきたくないわ」
「距離置くんじゃねぇええええええええええええええ!!」
もはや文章で表現できるレベルを超える脱衣を披露し始めている霊夢さんから、私も目を逸らすことにします。視線を泳がせた先で配達屋さんがブン屋さん達に折檻を受けていましたが、どうせ裸をガン見したとかそういうしょうもない理由でしょうから華麗にスルー。阿求は世渡り上手なので、余計な事には口出ししないのです。
さて、これでようやく取材はすべて完了しましたね。後は家にも戻って生地の編集を始めるとでもしましょう。
「ちょっ、誰か助けてマジで!」
「んあぁっ、そんなに動いちゃ、らめぇっ……」
「誤解を招く嬌声あげんな!」
心底焦った風に助けを求める雪走さんでしたが、周囲の妖怪達はそんな彼を見て苦笑を浮かべるばかりです。さすがの彼らも博麗の巫女を止めることは不可能と判断したのでしょう、観客に徹することにしたようですね。まぁ、妥当な判断かと。
「こんなシチュエーションは、お呼びじゃねぇえええええええええ!!」
腹の底から放たれた本気の雄叫びは、ようやく星の見え始めた夜空に吸い込まれていったのでした。
「……これでよし、っと」
筆を硯の上に置くと、私は着物の袖で額の汗を拭いました。汗と墨が混ざって全身真っ黒けになっていますが、編纂を終えた達成感に比べるとそんなものは些細な嫌悪でしかありません。
五人の取材記録を纏めた巻物を並べて満足気に息をつきます。ふぅ……結構時間がかかってしまいましたが、これでようやく一息つけますよ。
両手を一気に頭上へ伸ばすと、背骨がポキポキと軽快な音をたてました。長時間の作業で相当凝り固まっていたようです。うーん、やはり根を詰め過ぎると身体によくないですね。以後気をつけましょう。
襖の方に目をやると、外にはすっかりお月様が浮かんでしまっていました。編集を始めたのが日の出だから……丸一日作業していたようです。おぉ、どんだけ集中していたんですか私。
ごろんと畳の上に全身を転がし、何の気なしに天井を見つめます。
「……雪走威、か」
……何故だかわかりませんが、その名前にとても聞き覚えがありました。幻想郷に来たばかりで私ともそんなに接点がないはずなのに、【雪走威】という名前……いや、彼の存在自体が何か既視感を覚えさせるのです。阿求としてではなく、阿礼乙女としての何かが、違和感を覚えています。一度聞いたことは絶対に忘れない阿礼乙女の能力が、彼に対して何か継承のようなものを鳴らしているのです。
「……そういえば、
何代にも続いて編纂し続けている幻想郷縁起。この幻想郷で起こったすべての出来事を記しているその歴史書はこの屋敷の書庫に厳重に保管してあるはずでした。それなのに、八代目の書いたものの一部だけが押入れの奥から見つかった。これは、奇妙どころの騒ぎではありません。
見つけた時は喜びでいっぱいで、中身を確かめることはしなかったのですが……何故だか、それを読んでみたいという思いに駆られ始めました。理由は分かりませんが、無性に。
黒ずんだ重い着物を着直すと、部屋を出て地下の書庫へと向かいます。護衛の方々は何故か周囲にいませんでしたが、もう夜も遅いですし寝てしまっているのでしょう。わざわざ起こすのも悪い気がしたので、提灯を持つと一人で階段を下りていきます。
十分ほど歩くと、固く閉ざされた扉が見えてきました。――――幻想郷縁起の、保管庫です。
阿礼乙女だけに渡されている鍵を使って南京錠を開き、中へと入っていきます。
「……相変わらず、墨の臭いが凄いですねぇ」
そんな感想を抱きながらも、何十冊もの幻想郷縁起が積み重ねられてある部屋の一角に向けて足を進めます。【稗田阿弥】と書かれた札が貼られてある本棚です。
すでに何十年も保管されてあるためか埃を被っている書物達。しかしその中で唯一題名がはっきりと見える縁起を手に取ると、ペラペラと項を捲っていきます。
――――そして、衝撃的なものを目にしました。
「やっぱり……あの人は、雪走威は――――!」
「……そこまでです、稗田阿求」
「っ、誰ですか!」
突然発せられた謎の声の方に提灯の光を浴びせながら私は振り向きます。
……そこには、三人の女性たちがいました。
まずは一番先頭にいる緑髪の少女。紺色を基調とした堅苦しい服を着た少女は頭に大きな四角い帽子を被っており、右手には杓のようなものを持っています。金色の縁取りがされたその杓は、地獄の審判役が仕事で使う悔悟の棒に酷似していました。……いえ、酷似していたという表現は間違いです。
それは間違いなく、閻魔が愛用する棒なのですから。
なぜ彼女がここにいるのか。そんな疑問が頭の中を駆け巡りますが、思考よりも先に言葉が口をついて出ていました。
「四季映姫様……!」
「こんな時間に暗いところをうろついてはいけませんよ。黒です」
「いや、それは素直に申し訳ありませんが……どうして、四季様がこんなところに……?」
「映姫ちゃんだけじゃないわよぉ~」
「っ!」
四季様の後ろで佇んでいた影の一つがゆったりとした声を放ちます。提灯を掲げると、浮き出てきたのは水色の着物。
桃色の髪に、白い三角巾。大人な雰囲気を放っている彼女は、確か冥界にそびえる屋敷の主ではなかったか。
「……ダメじゃない、幽々子。わざわざ正体を現すこともないでしょう?」
「あらぁ、ごめんなさいねぇ。ちょっとうっかりしちゃってたわ♪」
「まったく……」
呆れたように溜息をつく、三つ目の人影。――――彼女の服装が目に入ると、私は思わず呼吸を失っていました。
赤と白の二色で構成された、縁起のよさそうな服。腋の辺りは露わになっていて、とても寒そうな印象を抱かせる不思議な格好。
……その衣装は、【博麗の巫女】が愛用する巫女服に異常なほど瓜二つでした。
「まさか、霊夢さん……?」
そう言いかけて、違うことに気が付きます。声の質と身長、そして彼女の纏う雰囲気が霊夢さんのモノと一致しなかったのです。
どことなく大人びた、妖しい淫靡さをたたえた声。提灯の光を浴びて浮き出ているシルエットは妙齢の女性特有の丸みを帯びていて、霊夢の外見年齢と一致しません。
一言でいうと、霊夢を成長させたような……、
「ま、さか……その人は、まさか――――――――っ!」
「無駄な詮索は命取りになりますよ、稗田阿求。……こんな風に、ね!」
「うぐぅっ!」
諭すように語りかけてきた四季様は何を思ったのか、急に私の鳩尾を悔悟の棒で突き刺すように殴打しました。鈍い痛みが腹から全身へと広がり、痛みに慣れていない私の身体はドサリと地面に倒れ伏します。
「なに、を……」
「答える必要はありません。……『――――』、記憶の封印を」
「えぇ」
なんと呼ばれたのか、意識が遠のく中でイマイチ名前が聞き取れません。ぼんやりと霞んでいく視界には、巫女服の女性が私の額に触れている光景が映っていました。
女性は私の額に当てている指先にポゥと緑白色の光を灯すと、
「……【封】!」
☆
―――――その後私が再び目を覚ましたのは、元いた自室の布団の上でした。
「あれ……私、確か取材資料の編集を……」
襖の方を見ると、お日様がすっかりと昇っていました。じわじわとうだるような暑さが部屋中を熱していきます。残暑の厳しさに思わず顔を歪めてしまいました。
「寝ちゃったのかな……?」
昨夜の行動を思い出そうとしますが、イマイチはっきりとしません。昨晩自分が何をやっていたのか、全くと言っていいほど思い出せないのです。
自分の行動を忘れるなんて、阿礼乙女らしくありません。能力があるのに思い出せないとは……相当疲れていたようです。
やはり徹夜はするものではない。墨で黒ずんだ着物に嫌悪感を浮かべながらも、私は寝汗を流すためにお風呂場へと向かったのでした。