「人里で一番情報が集まっているところと言えば、やっぱり阿求ん家だろう」
という魔理沙の提案に従って、私達は現在稗田家にお邪魔しています。
「いやいや、情報がたくさんあるのは事実だけど、だからって阿求の家に勝手に上がり込まないでしょ普通」
「そういう小鈴もいきなり押しかけてきたんだけどね……」
「うっ、そ、それは~?」
阿求に痛いところを突かれ、あからさまに視線を逸らすツーアップヘアーの少女、本居小鈴。ちんまい身体に不釣り合いな大きめの和服とスカートという、これまたアンバランスな格好をしている。だけどなぁんか似合っちゃうのが小鈴ちゃんの変な所だ。童顔なこともあって、とっても愛くるしい魅力を放っている。チクショウ……人間じゃなかったら持って帰って愛玩動物にしているところよ。
だが、小動物系の外見に騙されるなかれ。この子は見た目に反して結構な腹黒さを持ち合わせている。自分の目的のためならば平気で妖怪を召喚したり、私達を利用したりすることも厭わない何気に恐ろしい子なのだ。ある意味で、紫よりも厄介な女の子である。
「よぉ小鈴。今日は店の方はいいのか?」
「今日は気分が乗らないからお店閉めちゃいました。だから問題ないんです!」
それは予定に問題がないというより、アンタの経営方針に問題があるんじゃないの?
……と、口には出さないが心の中でツッコミを入れる。どうせ言っても聞かないし。こういう頑固で向こう見ずなところがどことなく霖之助さんと重なってしまう。どうしてこう、読書好きの奴らは変な意味で馬鹿者が多いのかしら。
何やら話題がネクロノミコンにシフトしている本好き二人は置いておいて、私は早速阿求に本題を切り出すことにした。
「ねぇ阿求。いきなりで悪いんだけど、アンタの先代が書いた幻想郷縁起を見せてくれない?」
「え? 別に構いませんけど……急にどうしたんですか?」
「ちょっと調べたいことがあってね」
可愛らしく首を傾げる阿求。普段勧められても幻想郷縁起に目を通そうとはしない私が突然読みたいとか言ったから驚いているのだろう。まぁ私自身お世辞にも読書好きとは言えないし、彼女の反応も仕方ないと言えば仕方ない。だけど地味に傷ついちゃうのはなんでだろう。
「先代……阿弥が書いた幻想郷縁起ですよね? 地下の倉庫に保管してあります。案内しますから、着いて来てください」
早速立ち上がると、襖を開けながら私を呼ぶ。地下室かぁ……縁起の保管場所に行くのは、そういえば初めてだったわね。
私の過去についての情報を調べに行くだけなのに、ちょっとだけわくわくしてしまう。未知に対して楽しみを覚えてしまうのは、人間が共通して所有する感情らしい。そういえば魔理沙も新しいものを見つけた時はいつも目を輝かせていたっけ。
なんか懐かしい記憶に思いを馳せてしまう。……ダメダメ。ちょっと年寄り臭いわよ私。
「魔理沙、小鈴ちゃん。私と阿求はちょっと地下に用があるから、ここでしばらく待っていてくれる?」
『私も行くに決まってるじゃない』
「即答って……」
好奇心の塊を抑えることは、どうやら私には不可能らしかった。
☆
稗田家の地下室は、おそらく紅魔館の図書館にも引けを取らない程の蔵書数を誇っている。
咲夜の能力を応用して空間をインチキしている紅魔館ほど広いわけではないが、本ではなく巻物として保管してあるのでスペースを取らないという利点によるものだ。円筒の書物が大量に保管されているのを見ると、基本的に活字好きではない私は若干の頭痛を覚えてしまう。
「おぉー、凄ぇーっ! 知識の宝物庫じゃねぇか!」
「歴代阿礼乙女が編纂した幻想郷縁起がこんなに……くぅ~! これは本屋の血が騒ぎますね!」
……まぁ若干二名ほど興奮気味な奴らもいるが、自称探求者である彼らにとってこの空間は楽園にも等しいのだろう。博麗の巫女や阿礼乙女の許可がなければ絶対に立ち入りできない場所である。今回の機会は願ってもいなかったものに違いない。私達が何か言う前に、彼女達は手当たり次第に巻物を広げ始めていた。
でも、貴重な幻想郷縁起を勝手に読んじゃってもいいの?
そんな至極当たり前な疑問が頭に浮かぶが、私の表情を読み取った阿求は苦笑交じりにこう言うのであった。
「本当は推奨すべきではないんですけどね……でも、小鈴達のあんな表情見ちゃったら止められませんよ」
「いや、確かに子供みたいな顔してるけどさぁ……」
「いいんです。書物というのは本来読まれることが仕事なんですから。ここで埃を被ってしまうよりも、誰かの記憶に焼き付いてしまった方が
「まぁ、破られない程度に、ね」まるで母親のような温かい視線を魔理沙達に向ける阿求。基本他人に対しては毒舌と皮肉で接する彼女にしては珍しい態度に思わず狼狽してしまう。……いや、もしかしたらこっちが本当の阿求の姿なのかもしれない。一歩引いて、友人達の姿を見守る健気な少女。普段の態度は、身体が丈夫でない彼女なりの強がりであったのだろうか。
――――いつもこんな性格なら、可愛いのにねぇ。
「先代が書いた幻想郷縁起でしたよね? 案内しますから、こちらへ」
「うぇ? あ……お、オッケー」
不意に声をかけられ上ずった声を上げてしまうが、どうやら阿求が私の思考に気付いた様子は無かった。蝋燭を持ったまま、周囲の書物の説明をしながら足を進めていく。
……危なかった。何気に失礼なことを言っていたことがバレてしまえば、縁起にあることないこと書かれてしまうところだった。後世に残る書物に恥ずかしいことを延々と綴られるのだけはなんとしても避けねばなるまい。
わずかな戦慄を覚えながらも何の気なしに辺りに視線を向ける。
(阿礼に阿一、阿爾、阿未……いつも思うんだけど、凄まじく規則的な名前よねぇ)
転生一家という形式上分かりやすい名前にしなければならないという事情は理解できるのだが、それにしてもシンプルすぎやしないだろうか。阿プラス数字の同音漢字とか、よくもまぁ稗田家はそんな名前を承認したものだ。……私としても単純なのは楽なんだけどさ。
本棚に貼られている名前をぼんやりと見ながら歩いていると、壁に面した一角で阿求が脚を止めたのが見えた。本棚には『稗田阿弥』の文字が。他の書棚とは違い、巻物ではなく本としての形で保管されているのが印象的だった。どうやらこの頃から形式を変えてみたらしい。
「じゃあ私は小鈴達の方にいますから、御用があったら呼んでくださいね」
そう言うと阿求は小走りで魔理沙達がいる方向へと消えていく。調べ物に集中できるようにという彼女なりの心遣いだろう。蝋燭を置いて行ってくれたので、明かりの心配もないようだ。非常にありがたい。
年齢不相応な編纂者に内心お礼を言うと、私は目の前の書物を手に取る。
『幻想郷英雄伝』と書かれてあるソレは、他の物と比べるとやや薄い内容となっているようだ。おそらく人間の紹介を集めたものだからであろう。種類豊富な妖怪達に比べると注意書きも補足も少ないだろうから、当然と言えば当然だ。
パラ、と一枚頁を捲ると、先代阿礼乙女による前書きが現れる。どうやら、書物の構成自体は阿求が書いた求聞史紀と変わらないらしい。阿弥の無駄に長い独白が終わると、秀麗な姿絵と細かな解説文がお披露目された。
最初に紹介されていたのは、私が最もよく知る人物。
色自体は白黒で判別がつかないが、おそらく紅白を表現しようとしたのであろう濃淡の服。下半身はスカートのようになっていて、普通の形式とは違うものであるらしい。……『外』の神社で着用される、普通の『巫女服』とは。胸の辺りで隆起する巨大なカタマリが、巫女の清純さを一層踏みにじっているような気がする。
墨をベタ塗りしたような漆黒の髪は腰の辺りまで伸ばされている。ただ特徴的なのは、私が髪の一部をリボンでポニーテールもどきにしているのに対して、目の前の人物はあくまで髪飾りとして後頭部にリボンを接着していることだろう。
墨で書かれてあるのに、どこか豪快な雰囲気を感じさせる彼女の絵。切れ長の瞳に、鋭いながらも整った顔立ち。比較対象がないので分からないが、おそらく長身。全体的に単純な『意志の強さ』を醸し出すような人間に見えた。どんなことがあっても絶対に意志を曲げないような、そんな強い人間に。
心臓が不意に高鳴り、鼓動が早まるのを無意識に感じた。手は次第にじんわりと汗ばんでおり、もしかしたら目は血走っているかもしれない。……そんな気持ちになってしまう程、彼女は私にとって特別な存在であり……そして、かけがえのない人間であった。
名前を見る。そこに書かれてある四文字――――『
久しぶりに見た彼女の姿に、思わず私は呟いてしまう。
「お母さん……っっ」
目元に生暖かい何かを感じ、慌てて指で拭う。どうやら、お母さんの姿を見た途端に不覚にも悲しさが込み上げてきてしまったらしい。……情けないわよ、博麗霊夢。威が幻想入りしてきたあの日、もう泣かないって決めたはずでしょ。今更泣いても、お母さんが戻ってくるわけでもないんだから。
涙を止めるように深く呼吸を行うと、再び本に視線を戻す。
「……やっぱり、お母さんって凄いんだ」
そこに書かれている補足を読んでいくと、そう呟かずにはいられなかった。
スペルカードルールがまだ普及していない時代。暴力こそが絶対の殺伐とした完全実力主義の世界で、お母さんは凶暴な妖怪達を何匹も退治していた。傷だらけながらも魅力的な細腕から繰り出される拳は妖怪の肉を貫き、博麗の巫女秘伝の昇竜脚で巨大な妖怪の顔を吹っ飛ばす。歴代巫女の中で封印術の才に最も秀でたお母さんだったが、あまり術を使うことはなくいつも身体一つで人間達を守っていたお母さん。
今でも思い出す、お母さんの雄姿。私の永遠の目標であり、到達点。里の人達に怖れられながらも尊敬されていたお母さんは、今でも私の誇りだ。
――――いつかまた、お母さんに褒めて欲しいな。
あり得ない未来だというのに、そんなことを願ってしまう。自分の諦めの悪さに苦笑いをする私だった。どうやら、居候のしつこさがわずかに感染ってしまったようだ。やれやれ。あの馬鹿はこんなところにまで私に影響を与えるのか。相当面倒くさい男だ。
今頃地霊殿で馬鹿騒ぎをしているであろう正真正銘の馬鹿を思い浮かべながらも頁を捲ると、私は一つの違和感にふと気が付いた。
それは普通ならばあり得ない、起こりえない事態だった。阿求の手によって完全に施錠されている保管庫の中では、絶対に発生しない異常事態であった。
阿弥による『幻想郷英雄伝』。博麗の巫女が書かれている次の人物欄が……
綺麗さっぱり、なくなっている。
異変に気が付いたのは、書物の端に書いてある頁数が視界に入ったから。『五』と書かれてある次の頁は……『十』。
明らかに、五頁程が取り払われている。
「阿求が添削した? でも、そうするために頁ごと破り取る必要がある?」
確認の為に他の幻想郷縁起を手に取ってみるが、頁が破られているものは存在しない。添削されているのは数冊あったが、それはどれも訂正線を引いたうえで上書きされているだけであった。紙ごと取り払って書き直されたりはしていない。……明らかに、イレギュラーな事態だ。
一応阿求を呼んで確認してみるが、彼女は目を丸くするばかりだ。「幻想郷縁起が破られるなんて、前代未聞です」とあわあわ混乱している。どうやら、彼女にとっても予想外の展開らしい。
「うわぁ……こりゃあ酷いな」
「本を破っちゃうなんて……この人最低ですよ!」
本好き二人が憤慨しているのを視界の端で眺めつつ、私は一人考える。
博麗の巫女の次に書かれていた人物。おそらくそれなりに主要なのであろう人間の欄を破ったのは、いったい何故か。
衝動的な乱心? 単純な好奇心? ……どれも可能性としては否定できないが、どうにもしっくりこない。そもそも、その程度の意志でここに侵入しようとする馬鹿はいないだろう。いたとしても、紫にすぐさま駆逐されているはずだ。
だとすると、一番可能性として高いのは――――
(誰かが、この人物の存在を歴史から消そうとした?)
幻想郷縁起に残らないということは、後世に存在自体が認知されないことに等しい。書物が唯一の情報源である以上、そこから存在が消されれば他に彼/彼女の存在を確認する方法は無い。歴史を蘇らせる方法はないでもないが……慧音の能力は、残念ながらそこまで細かい応用性は持ち合わせていないだろう。
(でも、だとしたらいったい誰が……?)
当時ならともかく、今この時代で過去の人物の存在を抹消しようとする意味が分からない。そして、私の記憶にはそんなことをする阿呆の心当たりなんてない。ともすれば、名もなき小妖怪くらいだろうが……無力にも等しい彼らにこんな大それたことができるほど程、稗田家の守りは甘いものではないはずだ。
正体不明の犯人。理由不明の事件。
自分の過去を調べに来ただけなのに、ここでまたさらに謎が深まってしまった。
――――まぁ、放っておくわけにもいかないし、ね。
観光ついでに犯人探しを行う意志を固めると、私は阿求達を引き連れて地下室を後にする。
……なんだか知らないけど、嫌な予感が無性に頭から離れなかった。
次回もお楽しみに♪