「好きよ、威。世界で一番、貴方の事を愛してる」
そう言って、彼と唇を重ねる。このキスで、三度目になるだろうか。最初は私が酔った勢いで、二回目は威が寝ている時に。よくよく考えてみると、彼の方から私にキスをしたことは今まで一度もない。日頃セクハラばっかりしてくるせに、そういうところはヘタレなんだから。まぁ、私の事を大切に思ってくれていると喜んでおこう。
唾液の湿り気が唇を濡らす。舌を通して感じるキスの味は甘酸っぱいなんてよく言われるが、緊張とテンパりで精神的にアッパーな私に味覚を楽しむ余裕なんて存在しない。ただ我武者羅に、ヘタクソなりに一生懸命彼への愛を確かめていく。できるだけ長く繋がっていたいと舌を入れながら深い接吻を続ける。
そうして、どれくらい経っただろうか。体感的には十数分、実際には一分ほどの時間が過ぎると、私はようやく威から離れた。私自身の名残惜しさを表すように互いの口に橋を架けた唾液がツゥと地面に垂れるのを惚けた顔で見ていると、急に恥ずかしさが戻ってきてふいと威から視線を逸らしてしまう。今更ながらに思うが、なんて恥ずかしいことをしたんだ私は。
我が人生で最大級の鼓動が胸の中で鳴り響くのを感じる。頭の中は幸福感と混乱のカクテル状態でマトモな思考すら覚束ない。全身が茹でられたように沸騰していた。あぁぁ……恥ずかしいぃぃ……。
顔を真っ赤に染めながらも、ちらと威の表情を窺う。
彼は私以上に顔を朱に染め、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉していた。何やら言いたいことがあるようだが、どうにも言葉にできないらしい。目を白黒させて赤面する彼の姿に、ちょっとだけ可愛いなと思ってしまうのは惚れた弱みだろうか。普段とのギャップに不覚にも心臓が跳ねる。
威が心底戸惑った視線を送ってくるので、私は鳴り続ける鼓動をなんとか最低限に留めつつ恥ずかしさの中で口を開いた。
「今まではアンタの好意を拒絶するような言動をしてきたけど、その……短いながらに一緒に過ごしていく中で、いつの間にか好きになっていたというか……。自分でもはっきりと言葉には出来ないけど……とにかく、私はアンタのことが……好き、なので……」
あまりにも歯切れの悪い台詞に自分で恥ずかしくなってきた。うわぁぁ、なんでこんなに緊張してんの私は! 今更でしょう! ハグして、キスした後なのよ!? テンパる順番逆でしょう!
再び顔に血液が集まってくる。なんか頭に血が昇りすぎてぼーっとしてきた。だ、ダメだ。しっかりしなさい博麗霊夢。ここで気絶でもしようものなら、一生笑いものにされる。特に魔理沙とか紫辺りに一生弄られるのが目に見えている!
盛大に深呼吸を繰り返し、昂った感情を鎮める。一応だが、言いたいことは言った。伝えるべきことは伝えた。後は、威の返事を聞くだけだ。
妙に緊張しながら威の言葉を待つ。私が待機態勢に入ったのを見て「うえぇ!?」と拍子抜けた声を漏らしていたが、すぐに思い立ったように表情を暗くすると顔を俯かせた。はて、どうしたのか。
顔を俯かせたまま、威は申し訳なさそうに息をつく。
「……霊夢が俺に抱いているその感情は、本物じゃないよ」
「……どういう意味よ」
「俺の本当の能力は【他人に愛される程度の能力】。裏の俺が力を溜める為に他人の感情を操作して愛情を集めるだけの能力だ。俺は無意識にそれを使って、霊夢達から愛情を集めた」
「それで?」
「お前も不自然だとは思っただろ? たかが数日一緒に過ごしただけの相手に好意を抱くなんて、普通じゃ有り得ない。ましてや俺みたいなどうしようもない男にだなんて尚更だ。霊夢のその感情は、俺の能力に影響されているだけなんだよ」
「……だから?」
「だから、その……嘘の愛情に支配されないで、本当に好きになれる相手にそういうことは言ってやるべきだと――――」
「あーもう五月蝿いこの鈍感馬鹿が!」
「むぐぅっ!?」
気が付いた時には身体が先に動いていた。うだうだと何やらくだらないことを並べ立てていた馬鹿の首根っこを掴むと、思いっきり引き寄せて唇を奪う。今度は恥ずかしさよりも怒りが勝った。何か勘違いしているらしいマイペース野郎の口に舌を入れ込むと、さっきより愛情を込めた大人のキスで蹂躙してやる。唾液を送り、啜り、舐るように渾身の接吻をお見舞いする。
十分に堪能した上で威を突き飛ばすと、彼は尻餅をついたままポカンとした顔で戸惑うように私を見上げていた。突然のキスに思考回路がショートしたのか、頭上に疑問符を浮かべたような間抜け面をしている。
今だに何もわかっていない馬鹿野郎に指を突きつけ、私は心の底から叫ぶ。
「ごちゃごちゃつまんないこと言ってんじゃないわよ!」
「れ、れいむさん……?」
「能力がどうとか本当の愛情がどうとか、そんなことはどうでもいいっての! アンタが私のことをどんな人間と思っているか知らないけど、そんなみみっちい能力程度で揺らぐような馬鹿女じゃないわ! 博麗霊夢を甘く見るなよこのヘタレ!」
急に怒鳴られたことで衝撃をうけているらしい威が頬をヒクッと引き攣らせるが、私の怒りはもう止まらない。一世一代の告白に対してどう返して来るかと思えば、この馬鹿は何を言い出しやがるのか! 乙女の純情を踏み躙るだけでは飽き足らず、最初からなかったことにしようとするその腐った根性がそもそも気に喰わない! 私に対して罪悪感を感じているのか知らないが、普段と比べてあまりにも優柔不断な威にはらわたが煮えくり返りそうだ。
いい機会ね。こうなったら、とことん説教してやる!
「大体、最初に好きとか言ってきたのはアンタの方でしょうが! 幻想入りした当日から風呂覗こうとしてくるし、紫には余計な事言うし! アンタのせいで私がどれだけ困っていたか、一つずつ念入りに話してあげましょうか!?」
「それは、その……表の俺は、能力の自覚とかないわけで……単純に一目惚れだと思ってたし……」
「『思ってた』ぁ? アンタもしかして、私に四六時中向けていた愛の言葉は全部形だけの偽物だったとか言う気じゃないでしょうね!」
「そ、そんなわけないだろ! あれは俺の本心で、俺は本気で霊夢の事が好きなんだ!」
「だったら、それでいいじゃない!」
「っ!?」
私の言葉によってようやく自分の発言の意味に気付いたのか、威ははっと我に返ったように私の方を見る。あまりにも彼らしくない不安と悲哀が入り混じった表情に胸が締め付けられるのを感じながらも、私はあくまで彼の前に仁王立ちのまま言葉を続ける。
「もし本当に私の気持ちがアンタの能力によるものだとしても、私がアンタを好きだっていう気持ちに違いはないわ。程度に差はあれど、アンタへの好意は変わらない。つーか、変わってたまるか!」
「霊夢……」
「ぐだぐだ無駄な事考えている暇があるなら、さっさと自分の気持ちに向き合って返事をちょうだい。馬鹿みたいに直球で馬鹿みたいに直感的なのが恋愛ってもんでしょう? アンタが私を好きっていう気持ちが本当なら、それまでの過程なんてどうでもいいの。結局重要なのは、自分が相手をどうおもっているかっていうことなんだから!」
「……俺は、誰かを好きになってもいいのか……?」
「アンタが愛した人を今まで傷つけてきたことを気にしているのなら、今ここで懺悔しなさい。死ぬほど謝って頭を下げて、少しでも気が済んだのならひとまずそれで罪悪感は終わり。綺麗さっぱり忘れればいいの!」
「でも、その程度じゃ俺が背負った罪なんて……」
「もしそれでも気が晴れないのなら、私が一緒に背負ってあげる。死ぬまでアンタの傍にいて、一緒に罪滅ぼしをしてあげるわ。こんなに器量の良い女がここまで言ってんだから、嫌とは言わせないわよ」
威が生まれたのは、愛する人から裏切られたことがきっかけだった。抱いていた愛情は憎悪に変わり、復讐心となって人々の命を奪った。それは悪いことだ。そう簡単に許されるものではないし、彼自身許されるとも思っていないだろう。だから威は恐れた。私の愛情を受け入れても、結局殺してしまうことになったら絶対に後悔するだろうと思って。肉親から裏切られた彼だからこそ、誰かを愛し、愛されることに心のどこかで恐怖を覚えていたのだ。
だから、私が救ってみせる。彼を受け入れ、許してみせる。
これは私の勝手な決意だ。今まで威に殺された人達の事なんて少しも考えていない、自分勝手な我儘だ。犠牲者の人達は威に対して同じように憎しみを抱いているだろうし、今すぐでも殺してやりたいと思っているだろう。人間の憎悪はそう簡単に消えるものではない。憎しみは憎しみを呼び、半永久的に循環し続ける。世界から悲しみがなくならないのと同じで、憎しみが消えることはない。それは私達が生き続ける限り、絶対に避けられない事実だ。
でも、それでも。
私が彼の事を好きだというこの気持ちだけは、誰にも邪魔させやしない。
この愛情を阻もうというのなら、どこからでもかかってくるといい。丁寧に、真正面からお相手してやろう。私の全身全霊を以て、威への愛を貫いてみせる。
だから、私は胸を張って言ってやる。
「ずっと私の傍にいて。死んでもアンタを愛し続けるから」
「……いいのか、俺で」
「アンタじゃないと駄目。馬鹿でマイペースだけど底抜けに優しいアンタだから、傍にいてほしい」
「俺は妖怪だ。いつか絶対に別れが来るぞ」
「そんなの関係ない。たとえ先に私が死んだって、映姫を脅して亡霊になってでも戻ってくるわ」
「また裏の俺が現れるかもしれない」
「死ぬ気でぶっ飛ばすわ。アンタ程度なら余裕よ」
「……ありがとう、霊夢」
「お礼よりも聞きたい言葉があるのよねぇ」
「……そうだな。じゃあ、俺もそろそろ正直になるか」
ようやく笑顔を浮かべた威はゆっくり立ち上がると、改まった様子で私の目を見つめる。先程までの胡乱気なものとは違う、いつも通りの純粋かつ真っ直ぐな瞳が私をしっかりと射抜いている。そこには少しの迷いも見えない。馬鹿みたいに直情的で一直線なマイペース男が、私の目の前に佇んでいる。
威は一歩こちらに近づくと、右手で私の顎を押し上げた。左手は頬の辺りに添えられている。彼に触れられた途端に緊張でビクッと肩が跳ね上がってしまったが、そんな私の姿を見ても威は嬉しそうに微笑み返してくる。その笑顔が妙にカッコ良く見えて、不意にときめいてしまったのはここだけの秘密だ。
「俺の精神世界なんだから全部筒抜けだよ」
「いちいち余計なこと言うなこのマイペース馬鹿!」
ニヒヒと悪戯っぽく笑う威になんだか無性に負けた気がして、言葉だけでも反撃しておく。どうせ今からこれ以上に恥ずかしい思いをするんだ。全部威に筒抜けなら、思う存分照れ隠ししておく方が良い。伊達に何年もツンデ霊夢と言われていないわよ私は。ここまで来たら最後までツンツンしてやるんだから!
そうは言いながらも何気に近い威の顔に心臓が早鐘を打つあたり、私も結構乙女である。
「告白した後に俺が身体の支配権を乗っ取れば、全部終わりってわけだな」
「そうね。アンタが確固たる自我を持てば自ずと意識は取り返せるだろうし。裏を自覚したまま身体を支配すれば、裏のアンタは不安定な存在としてアンタの中で弱体化する。それをお母さんと紫がアンタの意識の奥底に封じ込めれば、終了かな。今のアンタなら、たとえ裏が復活しかけても押し留められるでしょうし」
「じゃあもう少しの辛抱か。いやぁ、結婚式は盛大に行こうぜ」
「……アンタ、告白すんの恥ずかしがってるでしょう」
「……ちょっとだけ」
「はぁ……なんでそういうところは初心なのかしらねぇ」
頭の後ろを掻きながら照れ笑いする威に思わず肩を竦める。普段はすぐにセクハラしてくるくせに、どうしてこういう真面目なところだと無駄にヘタレなんだろうか。もしも狙っているとしたら、一発顔面をぶん殴ってやりたい。
しばらく躊躇する威だったが、ようやく覚悟を決めたのか再度私の頬に手を添える。
――――そして、唾を一度呑み込むと、
「どうしようもなく好きだ。ずっと一緒にいよう」
「……当たり前じゃない。絶対離さないわよ」
今日何度目かになるキスを、私達はようやくお互いの意思で交わした。
溢れんばかりの愛情を互いに確かめ合い、唇を貪る様にして接吻を続ける。そうしている間に、いつの間にか周囲の風景が段々と薄れていくのが見えた。徐々に周りを眩い光が支配していく。表の彼が『雪走威』の支配権を奪い取り始めたのだろう。時間が来たのだ。
はぁ、と二人して艶っぽい息を吐くと、どちらともなく笑う。
「帰ろう、霊夢。俺達の幻想郷へ」
「えぇ。今度は、二人一緒に」
再び笑い合ったのを最後に、私の意識は唐突に暗転した。