「ずいぶんと、手強いですわね……」
弾幕の応酬で穴だらけになった愛用の日傘に視線を向けながら私は荒い息をつく。隣では鏡華が同じように大きく肩を上下させていたが、その表情は私同様に優れない。
霊夢が雪走君……いえ、もう威でいいわね。威の心の中に入ってから約一時間。彼女が表の威に支配権を握らせるまでの時間稼ぎを全員総出で行っているけれども、そろそろ体力的にも限界を迎えつつある。早苗と魔理沙は疲労のあまり膝をついているし、妖夢と鈴仙に至っては既に体力が底を尽いて倒れている始末だ。私や鏡華でさえ疲れ切っているのだから彼女達が倒れるのも仕方ないことなのだけど……魔理沙と早苗は人間なのに、気合と根性で頑張っている。それぞれに負けられない理由があるのだろう。特に早苗に関して言えば、霊夢への対抗心で踏ん張っている節がある。
唯一余力が残っているのが鬼である萃香だが、彼女は意識のない霊夢を守るという使命がある為攻撃メンバーには加えられない。ただでさえ霊夢を抱えている現状で動きが制限されている彼女にそれ以上の行動を期待するのは少々現実味に欠ける。いくら最強の鬼と言えど、誰かを守りながら戦うことは難しい。
しかしながら、希望が見えないというわけでもない。
『っ!? なん、だ……何かが、頭に……っ!』
視線の遥か先で滅茶苦茶に妖力弾を撃ち続けていた威はいつの間にか攻撃の手を止め、何やら苦しそうに頭を抑えてしゃがみ込んでいた。まるで内側から何者かによって意識を乗っ取られているかのような苦悶の表情。内部からの刺激にどうすることもできず、痛みに呻くしかないようだ。
彼の豹変を見て、私はようやく安堵の溜息をついた。おそらく……いや、ほぼ確実に、あの不良巫女が目的を達成したのだろう。意識の奥深くに沈められていた表の威を説得し、意識の支配を始めさせた。元々表の方が身体を支配していた時間は長いのだから、一度支配権を奪ってしまえば後押しするのはそう難しいことではない。
隣の巫女様にちらりと視線を向けると、彼女も威の様子に気が付いていたようだ。懐からありったけの封印符を取り出し、詠唱を始めている。相変わらずの洞察力と行動力に私としても舌を巻くしかない。忌々しいが、彼女の実力は折り紙つきだ。
こうなったら、私も本気を見せつけてやるか。
もはや邪魔でしかない日傘を投げ捨てると、印を切って呪文を唱える。
だが威の方もただで術を受けるつもりはないらしく、苦痛に顔を歪めながらもなけなしの妖力で弾幕を展開しようと霊力砲の銃口を私達へと向ける。
『畜生、やらせるか――――』
「おっと、紫の邪魔はさせねぇぜ?」
『なっ!? いつの、間に……!?』
「足止めと時間稼ぎくらいしかできませんが、それに全力を注ぎます!」
だが、彼は失念していた。いくら弱っているとはいえ、私達には強力な仲間がまだ残っていることを。
いつの間にか威を挟むように左右に回り込んでいた魔理沙と早苗。片や八卦炉、片や霊力符を構えた彼女達は同時に口元を綻ばせると、残った力のすべてを使って威の妨害を始める。
八卦炉が輝き、霊力符が唸る。
「魔砲【ファイナルスパーク】!」
「大奇跡【八坂の神風】!」
『ぐ、ぅ……!』
魔理沙の砲撃と早苗の烈風が威を襲う。攻撃に回すはずだった妖力を仕方なく防御に回してなんとか耐えているようだが、さすがの威でもそろそろ限界を迎えつつあるらしい。地面が陥没するくらい力を込めて踏ん張っているけれども、それ以上の身動きはできないようだ。
我武者羅だが、いい仕事をしてくれた。あの二人には感謝しないと。
そろそろ詠唱も終わる。スキマを威の付近に展開すると、鏡華に合図を送った。
「鏡華!」
「任せなさい! 博麗流封印術【夢想封印・極】!」
鏡華の力を受けて輝きを放つ霊力符がスキマを通って威に接近、彼の周りを取り囲むように六芒星を形作る。札が放つ光は彼の額――――精神侵入の際に霊夢が貼り付けた赤い勾玉を核にして威の意識とパイプを繋いだ。これで後は、表の彼が表層意識の主導権を握れば全てが終わる。
――――頑張って、威……!
ありったけの妖力を術に注ぎ込みながら、私は愛する息子に最後の激励を飛ばした。
☆
温かい光が見える。視線の先に浮かぶのは、テレビの画面のように映る『俺』が見ている景色。長方形が映し出す向こう側には、今まで俺が知り合ってきた仲間達の姿が見えた。彼女達は全身をボロボロにしながらも、俺を助ける為に全力で奮闘してくれている。こんなどうしようもない俺なんかの為に身体を張って、全身全霊を込めて戦ってくれている。
俺は軽く息を吐くと、虚空に向かって声を飛ばした。
「……なぁ、俺。そろそろ世界を憎むのも、やめにしないか?」
『何言ってやがる! 愛情は裏切りに変わるってことを教えてやるのがオレ達の目標だったじゃねぇか! 復讐と制裁、その為にオレ達は生まれたんだ! あの時の悔しさを忘れたとは言わせねぇぞ!』
「確かに、父さん達から殺された時は悔しかったさ。愛情が裏切られて、世界中を憎んでしまうくらいに」
『だったら……!』
「でもさ、いつまでも馬鹿みたいに憎んでばかりじゃ、いつまで経っても前には進めないよ」
俺だけじゃ分からなかった。大切なことを教えてくれたのは、他でもない俺が愛する少女だった。本来なら俺を裏切るはずだった彼女は愚直なまでの愛情を向けてくれ、俺自身を受け入れてくれた。実の母親の命を奪った仇である雪走威を、それでも恨むことなく愛してくれた。
彼女の存在は、俺の価値観をぶち壊すほどに大きなものになっていた。憎悪を爆発させるためだけの幼虫に過ぎなかった俺にも、幸せを掴む権利がある事を教えてくれた。
だから、俺ははっきりと言える。
誰かを愛することは、絶対に悪いことじゃない。
『お前は騙されているんだ! 口ではいくら正論を述べていても、人間は自分の欲の為にきっとオレ達を裏切る! また憎悪と悲哀に塗れることになってもいいのか!?』
「そうなったら、またその時に考えればいい。不確定な未来に恐怖して足を止めるのは、もううんざりなんだ」
『何っ……!?』
「東風谷が好きだ。さとりちゃんが好きだ。こいしちゃんも幽香さんも、にとりさんも紫さんもゆゆちゃんも妖夢さんも霧雨さんも、皆の事が好きだ。そして……その誰よりも、俺の事を愛し続けると言ってくれた霊夢の事が大好きだ。アイツとの未来を掴むために、俺は憎しみの連鎖から踏み出してやる! いつまでも負の感情に囚われる人生なんて、まっぴら御免だ!」
『テメェ、まさか……!』
「あぁ、俺は雪走威になる。お前から、雪走威を取り戻す!」
『やめ……やめろぉおおお!!』
俺を取り囲む暗闇から無数の腕が現れ、俺に襲いかかる。黒塗りの腕はまるで俺自身の憎悪を具現化しているようで、どこか虚しさを感じさせた。あまりにも薄っぺらい感情の塊に溜息をつく。こんな感情に、負ける気はしない。他人を信じることをやめた独りよがりな力なんかに、俺の愛情が負けるわけがない!
イメージで霊力変換機を取り出すと、恋力を練る。
【他人への愛を力にする程度の能力】の真価を発揮する時が来た。想いを込めろ。アイツに抱く俺自身の愛情のすべてを、この一撃に注ぎ込め!
銃口を目の前の画面へと向ける。こいつを砕けば元に戻れる。根拠はまったくないが、何故だか俺はそう確信した。
帰ろう。大好きな人達が待つ、幻想郷へ。
ニィ、と精一杯口の端を吊り上げ、全力でスペル名を叫ぶ!
「恋符、【プラトニック……ラァァァアアアブッ】!!」
『あぁぁぁぁあああああああああ!!』
桃白色の極大レーザーが闇を祓い、長方形の画面を貫く。
軽快な音と共に画面が割れると、徐々に意識が浮上する感覚に襲われた。最後の抵抗とばかりに漆黒の腕があちらこちらから伸びてくるが、俺のスペルが放つ光に触れた瞬間に跡形もなく消滅していく。圧倒的な力の奔流は、俺の憎悪を片っ端から洗い流していた。
裏の俺が断末魔の叫びを上げながら意識の奥へと堕ちていく。外部の封印術によって力の大部分を失ったアイツに抵抗するような力は残っていない。底なし沼に嵌ったかのように、ずぶずぶと闇の中に呑み込まれていく。
『まだだ……こんなところで、オレはぁぁああああ!!』
「もう、いいんだ。お前の出番は終わった。後は、ゆっくり休んでくれ」
『くそっ、クソッ……畜生ぉおおおおおおお!!』
俺を道連れにしようと必死に手を伸ばして来るが、俺は既に意識を取り戻す寸前の所にいた。アイツの手は、届かない。
俺自身が闇に呑み込まれていく姿に思うことがないわけではない。だが、別に感情自体を捨て去るわけではないのだ。アイツは俺で、俺はアイツ。永遠に付き合っていかなければならない関係なのである。だから、せめてアイツには静かに眠っていてもらおう。感情の抑制は、人間なら誰しも試みることだ。
裏の俺が沈んでいくにつれて、段々と身体の感覚が戻ってくる。手、足、頭……数分もしない内に、俺は自身の全身を取り戻していた。もう、裏の俺が暴れ出す気配もない。……全部、終わったんだ。
長かった戦いに終止符が打たれたことを確認すると、不意に強烈な疲労感が俺を襲った。ガク、と膝から崩れ落ちそうになる。
前のめりに倒れそうになったところで、誰かが俺を抱き締める様にして前から身体を支えた。ふわりと鼻孔をくすぐる甘い香りで正体を察し、思わず笑みを浮かべてしまう。結局なんだかんだ言って、コイツはいつも俺の事を支えてくれるんだ。
ゆっくりと、目を開ける。
「威! 大丈夫なの? 身体で痛いところとかはない!?」
「……しいて言うなら、お前への愛で胸が痛い」
「なっ……!? ば、バカ言ってんじゃないわよ! いいい、いきなりそんな……皆もいるんだから、少しは自重して……」
「……ははっ」
「な、なに笑ってんのよぉおおお!!」
俺を抱きすくめたまま顔を真っ赤にして叫びまくる霊夢に、無意識に笑みが零れた。ようやく取り戻せた温もりを全身に感じながら、俺は湧き上がる怒涛の眠気に抗うことなく身を任せる。もうそろそろ、休んでもいいだろう。次に目を覚ました時は、一人じゃない。隣にコイツがいてくれる。
そう思うと、幸せで胸がいっぱいになる。
至高の幸福感に包まれながらも、俺は霊夢の肩に顔を乗せると彼女の耳元で口を開いた。
「ただいま、霊夢」
「……帰りが遅い旦那様ね、ホント」
顔は見えないが、どうせそっぽを向いて口を尖らせているのだろう。何気に単純なコイツの事だ。恥ずかしいことを言う時は決まって照れ隠しをする。本心を気取られるのが苦手なのか、すぐに強がりを言うんだ。
……それでも、最後にはちゃんと素直になってくれる。
霊夢は俺を抱きしめている手に少し力を込めると、おそらく泣いているのか嗚咽の混じった声で言葉を返してくれるのだった。
「お帰りなさい……威」
次回、最終回です。