「お箸でちゃんと刺さるし、崩れてもないわね」
コンロの火を止め、おたまを使って鍋の中身をお皿に盛りつける。
あとはコンロのグリルから魚を出し、ご飯とレタスを準備すれば完成ね。
「……いえ、あまり早くに準備すると冷めてしまうわね」
開いた炊飯器を閉じて用意したおかずを鍋に戻すか考える。
料理は温かい方がいいと思うけれど、鍋に戻すのはどうかと思う……。
「……あ、帰って来たわ」
私がちょうど鍋に戻そうと思った時、今日も調子のいい耳が外の足音をとらえる。
私は急いで炊飯器に入っている米を慣れない手つきで茶碗によそい、テーブルの上にお皿と箸を並べる。
そしてエプロン姿のまま玄関の前で待機し、ドアが開かれると真っ先に言った。
「お帰りなさい」
「……おぉ、ただいま。何だその恰好、どこかの若妻かと思ったわ」
「そっ、そういう冗談はやめなさい。料理をしていたのよ」
比企谷君が変な事を言うから声が裏返ってしまった。
「料理?」
彼はそう言って、靴を脱いでから一直線に食卓へ向かう。
そして並べられたおかずを見て驚いた。
「これ食べていいのか?」
「あなたの為に作ったのよ。むしろ食べてくれないと困るわ。でも味は、……味見が出来ないから保証出来ないわ。レシピ通りには作ったのだけれど」
私と人間は舌のつくりが違う。
だから比企谷君が食べるものを一緒に味わう事は出来ないし、正直言えば匂いを嗅いだだけで気分が悪くなる。
だから料理を作るなんて無謀なことかもしれない…。
「おっ、この肉じゃがいいな。結構俺好みの味だ」
それでも彼に料理を作ったのは、彼の食生活が良くないからだ。
「……別に無理して褒めなくてもいいのよ」
いつの間にか椅子に座り、おかずを口に入れる彼にボソッと言う。
自分では本当に味が分からないから自信が持てない。
「無理してまで褒めねえよ。本当においしいし、仕事帰りで疲れていたから食事を作ってくれるのは助かる」
「……そう、気に入ってもらえたのなら良かったわ。
あなたはいつもちゃんとしたものを食べていないから、よければ今度からは私が作るわ」
「いいのか?本屋のバイト始めたんだろ?他の家事も任せっきりだし」
「構わないわ。その代わり、今度からはこそこそせずに堂々と私の前でも食事をしなさい」
「……何のことですかな?」
思わず彼のくだらないおとぼけにため息が出る。
今までの生活の中で比企谷君が食事をとっている姿をあまり見たことがない。
その事が気になって少し様子をうかがってみると、どうやら比企谷君は私がお風呂に入っている時や寝ている時に食事をとっているらしい。
朝は私が安眠布団で寝ている時に食事を済ませ、昼は仕事場で、夜は私がお風呂に入っている時が多い。
「あなた、……また私に気を使っているでしょう?別にそんな事をしなくてもいいのに」
彼は私が人しか喰べられないから、私の前で食事をするのを避ける。
彼はこんなところでも私に優しくする。
でも私なんて気にしなくていい。
スーパーで売っているものが食べられるのだから、普通に食べていてほしい。
……私と違って、あなたの食事はおぞましいものではないのだから。
「……」
黙り込む彼は珍しく返事に困っているのだろう。
本当は彼を悩ませたかったのではなく、一緒に過ごしているのだから気を使ってほしくなかっただけだ。
「……あぁ、忘れるところだったわ」
「…?」
悩む彼の返事を待たずして、私は自室に行って昨日買ったものを取りに行く。
私のせいで彼を困らせて嫌な空気を作るなんて馬鹿げている。
そんな悩んだ顔じゃなくて、いつも向けてくれる優しい顔や少し笑った顔が見たい。
「これ、……大したものではないけれど、…よかったら」
「……小説か?」
本の入った袋を渡すと彼は中身を取り出し、ブックカバーのついた小説をペラペラとめくる。
「あなたは読書家だけど高槻作品を読んでいなさそうだったから…」
「そうだな、今まで読むタイミングがなかったから未読だ」
彼はブックカバーを外し、表紙や帯を見て少し表情が明るくなった。
どうやら喜んでくれたようだ。
「……比企谷君、いつもありがとう。
私と一緒にいてくれることも、私に色々気を使ってくれることも全部嬉しいわ。
私はこんなものとレシピ通りの料理くらいしかあげられない」
「……そんな感謝される事なんてしてないぞ。むしろ俺の方が感謝しているくらいだ」
彼はそう言うが、私は何度でも気持ちを伝えた。
これまでも何度か伝えた言葉を私はもう一度言った。
「ありがとう、比企谷君」
だっていつまでこの言葉を彼に伝えられるのか、
いつまで彼のそばに居られるのか、
誰にも分からないのだから。
「それじゃあ、残りのご飯も食べてちょうだい。私は先にお風呂へ入らせてもらうわ」
「…あぁ、了解だ」
こうして私達は、喰種と人間が共同生活をするという異常な日常を続けた。
*
CCGラボラトリー
地行博士にクインケを渡し、メンテナンスを頼んだ私はまだラボから出ず廊下を歩き続けた。
廊下の蛍光灯がなぜか薄暗く、陰気で無機質な感じがするこの場所はあまり好きではない。
気晴らしに煙草でも吸ってやろうかと思って内ポケットに手を伸ばしそうとしたが、当然喫煙してはいけない場所なので手が止まった。
そして代わりに頭をガシガシと掻いて、教え子のいる部屋にたどり着いた。
「全く、本当にここは陰気臭いな。お前には合わないよ、陽乃」
「……なんだ、静ちゃんか」
入った部屋は廊下と同様に薄暗く、こちらに背を向けて一人静かに何かを書いている陽乃がいた。
「最近はずっとこっちにいるそうだな。そろそろクインケ作りも飽きてきただろう?」
「どうだろうね。まぁどちらにしても、このクインケを直すまでは続けるつもりだけど」
会話を続けてもこちらを振り向かない。
だから私は彼女の隣まで行って彼女の顔を見に行った。
「元々数発しか打てない設計だったけど、前回使ったら一発でダメになっちゃった。たぶん熱を持ちすぎたんだね。
威力重視だけどさすがにこれじゃあ使い物にならないや」
「……なぁ陽乃」
横から見た彼女の顔は相変わらず完璧だった。
綺麗で負の感情が一切顔に出ていない、いつも通りの顔だった。
「なぜ私がここに来たと思う?」
「……」
質問をすると彼女の手は止まったが、やはり表情は変わらなかった。
雪ノ下陽乃は賢い子だ。もうこの一言だけで察しがついているかもしれない。
だけどもう一つだけ、確認の意味も込めて言おう。
「やっぱり君の顔は、“そんな顔”だったよな」
「………見つけたんだね」
彼女はゆっくりとこちらを向き、困ったのを隠すように小さく微笑んだ。
「……君がクインケをいじっている間、私達は何もしていなかったわけじゃないからな。と言っても、陽乃の後輩頼りだったけどな」
「そう、……後輩ちゃんは実戦が得意じゃないけど雑用は得意だからね。そういう時にはいつも力を発揮する」
「そうだな、だが今回に限ってはあまり高く評価できない。なんせ最後の最後まで捜査対象の特徴を私達に伝えなかったのだから」
「……気を使ってくれたんだね。…たぶん私のせいでどうしたらいいか分からなかったんだよ」
「ああ、そのようだな」
彼女の後輩は捜査対象の顔を見たという割には、あまり私達に特徴を伝えなかった。
それがずっと疑問でいたが、やっとその答えが分かった。
「上のお偉いさんには私の方から言っておいたから安心しろ。たまたま似ているだけだとな」
「……」
彼女は黙り込み、手前の机をスッと撫でる。
この子がなぜ今回の捜査に参加したがらないのか、それはもう聞くまでもない。
「まだ相手の居所までは掴んでいないが、……もう時間の問題だ」
「……そっか、もう終わりなんだね。思っていたよりもずっと早かったなぁ」
だが本当に陽乃と奴が関係しているのかは聞かないと分からない。
「”私は君で、君は私なんだ”。……だから私は、ちゃんと選んだ」
「………」
脈絡のないその言葉に、いったいどんな気持ちが込められているのか。
いったい誰なら彼女の気持ちを理解してやれるのか。
……なぁ教えてくれよ比企谷。
君なら彼女の言う事が理解できるのか?
「………もう決着をつけようか」
……なぁ教えてくれよ比企谷。
この時、私が君や陽乃の事をちゃんと理解していれば、
教え子の君達が傷つくのを見ずに済んだのか?
時間に余裕ができるなんて、そんなに人生甘くなかった。
むしろ忙しくなってしまいました。
これからもゆったり投稿すると思います。
あと大したことではありませんが、ひょんなことから数か月前のTwitterで私の作品を褒めて下さるような言葉を見つけました。
普通に嬉しかったです。ありがとうございます。
11月14日 追記
次回は一週飛んで11月24日に投稿予定です。