Fate/EXTRA-Lilith-   作:キクイチ

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ついに四章が配信されてしまった。


魂の臓:魔境

 

 海の内側。

 

 女はそれに押し入った時、最高の鑑定眼を持つが故に瞬間的に理解した。

 ここは異界にして、星の海。星の内海。

 人間の心象ではたどり着けぬ、最果ての景色に他ならないのだと。

 

 空は水面。

 透明なそれに内側が光を氾濫させ、幻想的な光景を作っている。

 しかして重力は下へ。

 女の体をずるりと底へ引き込もうとする。

 

 底は視ることはかなわず、真っ黒な暗闇。奈落の底に落ちているような、上っているような不思議な感覚を女は得た。

 

 深層落下。心象つまりは心の底へ到達する試み。霊体的上位者と下位者が魂を近づけたあったさい起こりうるもの。()()の中に引きずり込まれたのだ。

 

 躯は際限なく男の魂の中核に向い沈んでいく。男の心に女は落ちていく。

 

 

 ──しばらくとも、刹那ともしたその時。

 

 一際輝く閃光に目を奪われ──

 

 

 ──暗闇の中を一条の螺旋が下っていた。

 

 まるで夜の遊園地を下るコースター。心の中心へ降りる感覚は、ついぞそれに近い。

 

 無限の航路は終りすら見えない。

 不安をかき立てる金属の音、それを押さえるように幾多の音が響き──聞く者を惑わせる不協和音へ変わっていく。耳朶を冒し、脳から知性を搾取する音だ。

 

 しかして、女に効きめのあるそれではない。大多数は聞くに堪えられず踵を返す、しかし彼女は。だからこそ、彼女は間違えたとも言えた。

 

 不快である場所には本来誰も寄せ付けないもの、寄りつかない場所。それが心の底から垂れ流しになっているという時点で気づくべきだった。

 男が、誰も寄せ付けたくない場所として規定していることを。拒絶が、意志をもって行われていることを。

 

 ──いや。

 

 気づいている。女は気づいていたが、それ以上に好奇心がまさった。

 一体どの程度の悪性がそれを起こしているのか。どんな葛藤で満ちているのか。女にとって男の心象は新しい未知なのだ。

 

 だが、やはり結果を見れば彼女は間違えていた。勘違いしていた。

 

 一つ、呪いを見くびっている。二つ、何故彼がそこまでして寄せ付けたくなかったのか、という理由に思い当たらなかったこと。

 

 何も男にとって、恥ずかしいから見せたくないというソレではない。それに()()()()()()()がいないから見せたくないのだ。

 何もかも受け入れる『受容』と、何もかも飲み込み“自分”へ書き換える『侵食』。

 どちらも同じ意味合いだ。

 『器』という起源である以上、どんな悪性を飲み込もうとも彼の本質には何ら関係はない。だが、他人にとっては。それは恐ろしいものへ変化する。

 器は汚れないが、内容物はさて。

 悪臭は火を噴くように広がり、燃やし尽くすまで止まらない。それを押しとどめるために善性の雨が押し返す。

 まるで原初の天と地の交わりを再現した心。

 その果てに出来たものが、硝子の大地だった。

 

 

 無数の赤い花弁が彼女の下から空に上るように飛んで行く。

 

 

 ──永遠とも、刹那とも言える旅路の果てに。

 

 

 幻の大地(終着点)が、見えてきた。

 

 

 天上は夜の帳で包まれ、月が一つ浮かんでいる。

 

 月光の下には無数の赤が咲き誇っていた。

 

 降り立った女──スカサハは、地に降り立ちその花を手に取る。

 幾多の花弁で出来た特徴的な花。彼岸花と呼称される花であると彼女にも分かる。天上の花、親しい人との別れを指し示す花は、赤く色づき硝子で出来た第一を覆い尽くしている。

 しかし、赤い花弁が完全に散ってしまった花も散見され、透明な、あるいは虹色に変色する大地が表に出てきてしまっていた。

 

 それが一体何を示しているかなど女には、現時点の彼女には分からないことだった。

 

“ここが中核ならば”と女は自分がここに来た目的を思い出す。ここから魔術回路に干渉することも可能。魔術回路は肉体に根付くものと思われがちだが、それは違う。実際には魔術回路は魂にくっついているものだ。質量のない情報を物質界に作用させるための燃料として加工するプラントと考えれば分かりやすいだろうか。

 とかく、中核こそ干渉するにはもってこいの場所であるのは事実だ。

 

 ──女は魔術を行使しようと、

 

 

「……なに?」

 

 

 振り返る。

 女の背後には二メートルは優に超えるずっしりとのびた黒い影。

 

 それから感じる得たいの知れなさに思わず後ろに飛び退くスカサハであったが、

 

 飛び退いた先の足下には黒い液体が広がっていてそこに彼女は着地してしまう。

 

「なっ────ガ」

 

 瞬間、影は幾多の線を空に向って放ち、ねじれ彼女の躯を絡め取る。いや絡め取るだけではない。手足に影を突き刺し、張付けに。喉すら突き穿たれた。

 抜け出す隙もなく、反撃の隙も与えないほど素速く、それは地中の中に彼女の躯を引き摺り込んだ。

 

 

 

 

 

 死ね、死ね死ね、死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね──

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 

 シネシネシネシネシネシネシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね──!!

 

 

 純粋な呪い(純悪な願い)が女の中に流し込まれた。

 気が狂うほどの怨嗟の声が徹底的に女の中に注ぎ込まれる。苦悩、苦痛、飢餓。まともに向き合えば精神を端から端まで跡形もなく食い尽くされる予感が女にはあった。

 

 ───だが、遅い。あまりにも遅い。

 

 精神防壁など、今更だ。そんな薄っぺらいものは一瞬ではぎ取られる。

 体の節々を影の鉄杭が貫く。両腕、両足、腹と三本ずつ。抵抗は許さないと、関節は粉砕され体を動かす自由を奪われた。もはや標本化されピンで留められた虫の如く。

 既に女は怪物の口の中に放り込まれたのだ。

 

 無数の目が女を見下ろす。

 無数の牙が女の肌をなぞる。

 無数の舌が女の体を愛撫した。

 

「───────!!」

 

 生きたまま食べられる。痛覚が死ぬことなく肉体を解体される。

 苦痛は深く、心を無秩序にえぐり出す。

 絶叫を上げることを許される。悲鳴を挙げることを許される。嬌声を上げることを許される。

 

 鉄杭が何度も女の体に突き立てられ、そのたびに女は体を弓なりに反らし獣のような声を挙げさせられた。おとがいから震えが消えるコトはなく、ただただイヌのように吠えさせられた。

 苦痛は余り在るが、それ以上に快楽が女を責め立てる。想像を絶する痛みは際限なく、同時に快楽を注ぎ込まれる。内側から侵す毒そのもの。

 そう毒だ。毒が注ぎ込まれている。精神を、魂を、肉体を腐敗させる毒。

 痛い。熱い。痛い。熱い。

 腕をかみ砕かれる度に激痛と、熱に溶かされる感覚を、それを引っ繰り返すほどの快楽を女はふんだんに味合わされる。

 

 目玉を舐め取られた。舌を牙で引きちぎられた。

 乳房を噛みちぎられた。喉を咥えられて──そのまま潰された。

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 赤熱した鉄杭が女の腹を刺す。肌という肌を爪が裂いて、肉を舌でねぶられ、最後に溶かされる。

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 裂かれたハズの肌は、目玉は、舌は、腹は。

 気がつけば元に戻っていて、始めから責め苦を繰りかえされる。

 

 胸を砕かれ、心臓が飛び出す。

 

 無数の目がそれをみて嗤い、女の胸へ舌を這わせた。牙が内臓をすすり上げ、女に悦楽の嬌声を上げさせる。

 遂には、心臓までの肉をこじ開け、──舌を這わせることはあっても、ついぞ壊すことはなかった。

 

 いたぶられている。嬲られいる。貶められている。辱められている。

 忌諱する物であると理解しているのに、奪われる背徳感から逃げられない。何故、徹底して心臓を奪わないのかなど単純な理屈だ。

 この女を屈服させる、最後の鍵だからだ。

 

 怪物は、女に自分から差し出させようとしているのだ。“どうぞ、心臓をうばってください”と懇願するまで責め立てるつもりなのだ。そのための快楽。悦楽。享楽。

 しかし、所詮注ぎ込まれる快楽は、英雄の尊厳を、辱め、奪う機構として性能を発揮している破格の泥、神域の汚泥にして劇薬というだけにすぎない。

 

 捕食だった。

 女は怪物()の餌であり、楽しみであり、屈服させる対象なのだ。餌に抵抗など許されるはずがない。捕食者が被食者の思考をインストールするはずもない。人間が焼いた魚の感覚を思い起こすことがないように。

 破壊し、飲み込む。怪物は咀嚼しているだけ。舐めしゃぶって味を確かめ、噛み応えを堪能し、粉々に粉砕し、己のうちに取り込む。儀式的でありながら、酷い官能さを孕んだ工程。

 時にはカニバリズムが究極の愛だと揶揄されるときもあるが、ここには愛などない。理性が無い。秩序がない。

 『死』への憧れを見透かして、餌としてぶら下げ、請わせる。惨めに懇願させ、英雄としての意義を剥奪する残酷な機能にして、救済だ。

 なにせ、思わず呟かずにはいられないほど、気持ちが良い。

 口にしてしまえばよりキモチよくシテ貰える。

 

 ──逃げ道が、用意されている。

 

 ようこそ、快楽原理の底の底へ。

 弾丸のように凝縮された興奮が。耳元から頭に、脳髄にたたき込まれる衝撃。

 『快楽』はヘドロのごとく。女の心にへばりついていった。

 

 

***

 

 

 ──夢を、見ている。

 

 

 

 そこに陽が差すことはない。

 常に空には暗い鉛色の曇天に覆われ、地上からは生命の名残はあれど、生命種はことごとく消え去っている。

 至る所が影に覆い尽くされた魔境の地。

 つまり、そこは──『影の国』。

 

 死の溢れた場所、冥界、死者の国。

 

 ケルト神話においては戦いの神として名を残し、アルスター物語においては英雄クー・フーリンの師匠として名を残した女傑。

 人でありながら死を踏破してしまった魔女。諦観をにじませた魔性の女。

 

 七つの城壁の最奥で、誰かを待つように彼女は立っていた。

 

 曰く“魔境の主”。

 彼女の正体は影の国の女王──スカサハだ。

 

 その誇り高さ。何者にも靡かぬ壮麗さ。生まれながらの貴族のような在り方だった。女王であることを当然として、民に幸福を与えることを良しとする。

 華やかなようで、その実、強い芯が通っている。

 

 死の道理を守護する門番でありながら、亡霊を窘める門番。神霊まがいまでをも人の身で冥府に叩き返す馬鹿げた槍裁きをもった、とんでも人間。その女が弟子を取って戦技の教練を行うときた。これで強さを求める男が奮い立たないわけがない。

 

 そのふざけた強さはアルスター全土に響き渡る名声となって知られた。その名を知らぬ戦士は居らず、むしろ音に聞こえし戦士は、スカサハに鍛えられた戦士であるという事実があった。

 

 日夜門を叩く若者を、己が導く戦士に相応しいか試すために、厳しい弟子入りの試練を課した。

 

 月面のような荒野。強靱な生命活動を要求される魔境。肺はより高性能なものを求められ、心臓もまた言わずもがな。

 死霊にすら這い出る広大な領土を走り抜けなくてはならず。草原を駆け抜け。森を駆けぬける。陽の差さぬ森など闇と変わらず、幾多の怨霊がすみかにしていて戦士にちょっかいをだして死に至らしめる。

 

 ……ちょっと、どうかと思う始まり。

 

 荒野を走り抜ければ、次に広がるのは海原だ。無論、舟など用意できるはずもなく、する意味も無い。何故なら、常に海原が荒れ狂っているからだ。波は逆巻き、強大な嵐の中を思わせるそこを舟で行こうと思うバカはいない。

 結果として、若者はこの海原を泳いで渡るはめになった。

 

 渡りきったら、次は──谷を越えることになる。

 渓谷は深く、奈落を思わせる。

 高度があるせいか、風は強い。そこを彼らは飛び越えるしかない。全身をバネにして飛べば、何とかたどり着けるそれでは在ろうが、ほんの少しでも戸惑えば──真っ逆さま。

 巨人ですら落ちれば見えなくなるそこへ、人でしかない彼らが落ちればどうなるか想像に難くない。

 

 そして最後に現れるのは、七つの城門。それを守護する魔物。それも幻想種まで混じっていて本当に始末が悪い。

 見込みのないものは、全てここで振り落とされる。

 ……詐欺めいているのは、一度でも参加したものには二つの選択肢しか与えられていないという点。

 つまりはSword or Death。戦うか、死ぬか。戦士という生き様の全ての基礎をここに集約している。一度でも剣を手放せば、最後の関門で詰みになる──海や谷で重いからと武器を捨てる若者もいた。

 ……本当に遊びのない試練。この程度で音をあげるような、試練を越えられない戦士であれば、そこらで野垂れ死にするのは道理ではあろうが──。

 

 しかして。この厳しいにも程がある影の国の試験を易々と突破するものが現れた。

 

 幼名をセタンタ。

 アルスター全土に名を轟かせた大英雄、クー・フーリンである。

 

 多くの戦士がきつい、厳しいと訴えるその試練を、最短でクリアしやがったのである。それも年若くして。

 これを彼女が気に入らないはずがない。もはや冗談とすら思えるポテンシャルと才能の塊が現れて──己の全ての成果を預けられる最高の逸材を見つけてしまったのだから。

 影の国に訪れた光の御子によって彼女の運命は大きくうねることになる。皮肉にも程がある運命だが、彼女にとってはとても大切な──。

 

 輝いていた日々、というと語弊があるだろう。

 

 ──だが。

 諦観という泥にのまれ、いつしか咲いていたことすら忘れそうになっていた花に。小さく、か細く、それでいて確かに力強い光が差し込んだのは事実だ。

 愛しさを感じる日々であったのは間違いない。

 

 ──彼らと関わった日々にいた彼女は、本当に楽しそうに、笑っていた。

 人として生きていて、羨ましいとすら、思ってしまうほど。心地よい時間を彼女は過ごしていた。

 

 どんなものにも、終りが訪れるように。皮肉なことに、彼女の弟子は優秀過ぎて僅か一年と一日でその修練は終わった。

 

 影の国の女王は、愛弟子たちの旅立ちに顔を見せることはなかった。全て伝授したのだから教えることはなにもない、なんていう理由からだ。

 

『───私は、お前に殺して貰いたかったのかもな───』

 

 穏やかな声で、影の国の魔女は、祈るように微笑んだ。

 

 人間でなくなってしまった魔女。武芸に秀で、魔導に精通し、人と神を斬り過ぎて──祝福(呪い)を受けてしまった女。かのクー・フーリンが唯一師と仰いだ女。

 自分で死ぬことすらできぬ運命に放りこまれた。

 魔女の領地はいずれ現世から切り離されて、死者の国に成り果てる。

 人の身で神に近づきすぎた人間への報酬は、現世でも幽世でもない場所への栄転(追放)だった。

 

『まいったのう。こうなる前に死んでおけばよかったか』

 

 陰鬱とした庭で魔女は笑った。

 光の御子が見ぼれた豪快な笑いだった。

 

 まだ少年でしかなかった彼は最短で試練を突破した。

 

 それでも────

 

『おぬしはもう少し早く生まれて居ればな、いや、若い若い』

 

 そんな言葉を戦士となった少年に投げかけて、くつくつと笑う。それは、ある種の呪いのよう。自由奔放、豪快に生きた大英雄に、悔いを残させるそれだったのだから。

 

 

 ……ここで一つの区切。

 

 

 ある意味では黄金期とすら呼べる日々はここで終わってしまった。

 

 そう。まだ、彼女には。

 

 

 ──夢は、続く。

 

 

 永い。長い。ながい。あまりにも膨大な時間が流れる。

 その時間のなかで、彼女の領地は、世界の外側へ墜とされた。

 

 栄転。栄光。なるほど、聞こえは良い。

 実情は、ヘドロを無理矢理胃に流し込まれるような……苦悶の日々。見ているだけで、心が、欠けそうになる。

 

 多くの国が栄え、滅びていく。

 

 何百という月日が流れていく。

 

 彼女は、そんな日々で己の役目をこなし続けていた。

 

 ──それは、機械的な人生だ。

 

 ループ。ループだ。

 ついぞ、生きた人間が訪れなくなったその国で、代わり映えのしない日常を。生きていた頃を思い返すように、ロボットのように繰り返す。

 繰り返す。

 繰り返す。

 繰り返す。

 繰り返す。

 繰り返す。

 繰り返す、繰り返す、繰り返す──

 

 呆れるほど、長い年月を魔女は生きていた。

 誰もいないのなら、誰もそこを尋ねないのなら。彼女が笑いかける相手などいるはずもない。

 

 ──彼の英雄が好いた笑みは、消え去っていた。

 

 残ったのは、孤独(役目)だけ。

 

 かつてに比べれば、あまりにも寒々しい日々。

 

 ──いっそのこと、足を止めてしまえばいいくせに。

 

 ──いっそのこと、鼓動を止めてしまえば良い。

 

 魂が、本当に死に絶えてしまったならば、動くのをやめて──融けてしまえば良い。

 

 腹が立つ。

 理由は、分からないが無性に腹がたったが──同時に納得もあった。いや、納得というよりは───

 

 この女は、ロボットだ。年代品のロボット。

 手慰みに買われたはいいが、倉庫の中に二度と思い起こされることのない思い出とともにしまわれる。

 ……残酷なことに、それは電源が点きっぱなしだった。

 同じ行動を何度も繰り返すけれど、誰も見ることはない。

 しまわれる前にスクラップになってさえいれば、まだ価値があったのに。

 

 もはや、この女の生涯は無価値だった。

 

 ──最後に何を残したかが人間の価値だ。

 

 故に、何も残すことのできないソレは──無価値だった。

 

 どれだけ彼女が死霊を処理しようが、目を見張るほどの成果を打ち立てようが。もう彼女の報酬は支払われているが故に、誰の価値にもならない。

 

 彼女の国が崩壊しようと、現世には何ら影響がない。死んでいようが、生きていようがたいした差は無い。

 ならば、彼女の意義とは。

 

 

 ──不死者は、『退屈』に殺されるものだ。

 

 

 死を踏破するということは、どういうコトか。不老不死とは聞こえが良い。だが結末を見ろ。

 死ななくて良いということは、生きる必要がなくなると言うことだ。

 人間の欲求が必要なくなるということだ。

 もっとも人間の欲求など限りが無いものではあるが、分かりやすくカテゴリー分けすれば、だいたい三つに収まる。

 

 生存欲求、関係欲求、成長欲求である。

 生存欲求は、生命維持のための本能から来る欲求、つまり生存するための欲求である。

 関係欲求は、衝動的な感情から来る欲求、つまり自分にとって大切な人物との関係を良好に保ちたいという欲求である。

 成長欲求は、論理的で未来的な思考から発生する欲求、つまり自分自身が成長を実感したいという欲求である。

 

 生存欲求は言うまでもない。不死になれば、あらゆる生存本能は意義をなくす。

 関係欲求は──他人がいなくては成り立たない。

 成長欲求は、辛うじて残ったものだが……誰からも観測されなければ、貢献は意味のないものとなる。

 

 民に幸福をと謳いながら、幸福へ至る手段を失っている──という、憐れな顛末。コレが女の末路だ。

 

 世界が、人がその役目を終えるまで彼女は在り続けなくてはならなくなった。

 

 

 だが、別に。

 

 

 栄転は、女に戦士であれと謳ったわけではない。

 

 

 意義が、ないのならば、何故、あいつは──まだ、止まっていないのだろう?

 

 

 どうして、呼吸を、止めていないのだろう?

 

 

 ──『死』への憧れは、関係欲求の先であり、成長欲求を満たしうるモノとは理解した。

 

 

 女は、女王である必要が無い。

 彼女は既に用済みで/違う。そんなことが──

 彼女に生きる価値は/違う。それだけではない──

 彼女に───/五月蠅い、そんなのはどうでもいい──

 

 

 ──もっと。根幹的な、ものを、俺は、見落、として、いる気がする。

 

 

 視界が揺れる。動悸は激しく。頭痛は酷く。/ああ、苦しい。

 精神が悲鳴を挙げる。それ以上は覗くなと訴える。/でも、どうでもいい。

 ダメだ、駄目だ、だめ、だめ、だめ/そんなのはどうでもいいから。

 

 

 ──気づくな。壊れるぞ。/──五月蠅い。とっくに壊れてる。

 

 ──知るな。地獄だぞ。/──たわけ。地獄などとうに見た。

 

 ──戻れなくなる。後悔するぞ。/──くどい。俺は、アイツを───

 

 

 

 黒い女が、前を歩いている。

 

 たった一人、暗闇のそこで、凜とした姿勢で歩いている。

 

 その背に、悲嘆はない。

 その背に、憐れみも感じない。

 

 

 その歩いていた、女が。

 

 

 突然。

 

 

 くるりと、

 

 

 振り向いて、───目があった。

 

 

 強い、眼差しが、──

 

 

 ──思考が、歪んだ。世界が変貌する。

 

 体は、奈落の底に、

 落ちてしまうような、漂っているような。浮遊感。

 

 ―─空が、落ちてきた。

 




fateシリーズの醍醐味、英霊の記録にござる。


ヒビノ君の心象について。キャスターさんのお言葉。

「マスターの心象...これは月で『デウス・エクス・マキナ』を使用したことで、よりいっそう酷いモノになってますね。と言っても誤差のようなものですが。...というか、官能的過ぎません? だってコレ殆ど実質セッ――(ここから先は検閲されている) 一回鍋イッときます?
 他人の幸福を願うという特性の側面ですが、同時にマスター自身の願望の表れでもあるようです。ようは究極の支配欲にしてドS。サディズムの塊ですね。
 反転衝動の起因、とも言えるかもしれません。起因というより、結果?のような気もしますが。」






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