Chapter Ex:情愛天獄
この星のシステムは矛盾だらけだ。
生を続けるには―――死が必要。
己を生かすために他を犠牲にする。犠牲を作らずしてシステムは機能しない。
人間。植物。動物。果てには―――神すらも犠牲を必要とした。
アブラハムは己の息子が死ぬことで神を信仰し、奇蹟はあることを知った。
信の裏に擬がある。真の裏に偽があり、神の裏に犠があった。
平和は戦争の有無で意味を変える。
生まれたからには――犠牲が不可欠。
ならば、生まれ落ちたことが罪なのだ。悪性を果たし続けなければ生き続けられないと言う罪。自らを悪としないための、善性を証明するための
始まりの聖人はそれをこう呼んだ。
―――――――原罪。
その罪は、既に何処かへ攫われたものではある。
しかし――それが罪である限り。いずれ決着をつけねばならぬものだ。たとえ、その罪への意識こそが人間の持つ大悪だったとしてもだ。
いずれ相対する君たちにはこの言葉こそ相応しいだろう。
―――――――――
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メルトリリスをなんとか倒した。
ほどけるように彼女の壁は消え去った。
目の前には先の見えない、未知の領域が続いている………。
生徒会との通信は途絶えたままだ。
侵食を受けた桜は無事だろうか。
「案ずることはない。メルトリリスは破れたのだ、サクラも無事であろう。それよりも――――」
セイバーの目が、中枢へと続く階段を捉える。
――――そうだ。戦いはまだ終わっていない。
いつもなら旧校舎に戻るところだが、今は一刻を争う。
このまま階段の下に向おう。
BBが防壁を突破するより先に、中枢に入らなくては―――!
下に続く階段を下っていくと。
一瞬、ぐわん、と視界が揺れ―――気がつけば。
一面の黒。
かなり暗く、辛うじて見えるのは地面――と言うよりは道か。
白く、淡く発光する道のおかげでそこが森の中という事実に気がつけたのだ。
黒い森とおそらくは長く続いているであろう白い道が、神秘的だ。
――だが同時に、どうしようもない得体の知れなさが、底冷えのするような静謐さによる不安感。
お前達は、出られない――迷いこんだ羽虫そのものと教え込まされるような。
「む? ここは、一体?」
セイバーがあたりを軽く見渡してそう呟く。
迷宮の中……ということぐらいしか分からない。セイバーの視力をもってですら分からないのだろう。
肌を這う生暖かさ。鼻腔をゆらす花の蜜のような、優しく甘い匂い。絵面と中身が合っていない。矛盾と不安で満ちた――原初の人間が抱いてきた自然に対する畏敬の形。
突然、電子音が響いた。
『……き―――る? きし――!』
酷くノイズまみれの音声。声は――凜だろう。
しかし、ノイズが強すぎてまともに聞き取れない。
「奏者よ。恐らく、ノイズ元はこの森だ。むしろそれしか考えつくまい。ここは一旦戻って、連絡を―――」
そう、セイバーが続けようとした時。
自分達の前に、夥しい数のナニカが飛んできた。まるで、鉄砲水。
それに抵抗が出来ずにセイバーと一緒に流された。
がさがさがさと、耳障りな羽音。顔やらなんやらに張付くそのナニカをはぎ取ってみれば――これは紙?
「奏者! 手を――!!」
セイバーから手が伸ばされる。このまま何処かへ流されても別れないようにするためだろう。
自分は、その手を掴み、強く握る。
洗濯機の中に入れられて回されているような。激流に流される木々のような。
ぐるぐる、ゴロゴロ。
どうにかして流されまいと何か掴めないかとセイバーと握った手とは逆の手で、折り鶴をかき分けるようにするが―――それは何も意味は成さない。
圧倒的な数が確かな暴力となって自分達の体を押し流す――!
永遠に続くとさえ思ったその折り鶴の流れは―――突然止まった。
当然押し流されていた体は、慣性力で思いっきり飛び――セイバーが自分の体を抱えて着地してくれたことで、難無きを得た。
ここは――どこだろう?
最初の場所から随分と押し流されて、かなり開けた所まで出てきた。
広場の上には、白い欠けた貌。大きな三日月が浮かんでいる。
――それより目を引いたのは、目の前に建った建物。
白い石塔。細く天を穿つように尖った石造りの屋根――尖塔。それを支える過剰な本数の石柱がそれを支えている。これは―――ゴシック式と呼ばれる建築様式だろうか。
まるで、西洋の大聖堂の真ん中だけをくりぬいたような建築物であった。聖堂のような厳かな感じもする。
無機質な電子音が鳴る。
『ちょっと聞こえる、岸波!?』
携帯端末を通して聞こえる通信。
『よかった、無事なのね。あなたの様子はずっとモニター出来ていたけど全然通信が届かなくて……。映像も、ノイズで荒くなるし。それに、連絡を入れる直前にはなんかとんでもない質量とエネルギーが―――』
「まあ、見ての通り。岸波達に向ってきたのはオレの
凜からの通信を遮るように――前から声がした。
いつかぶりの、久しい声。ジナコと決戦するころには、その背すら見ることはなくなっていた。
レオからは“彼にだけは気をつけて”と忠告されていた。曰く、
そんな彼の声につられるようにして声の出所をさがす。
「奏者。あそこだ」
セイバーが見つける。セイバーは、眉をひそめ――何かおかしなものを見るような目をしていた。
それは――前方の建物の中。さっき見た時は暗くて見えなかったが。
厚い鉄格子。そして―――その奥に、赤い瞳を持った男がいる。
外套は黒と白の織物でできた着物。
退屈そうに、男は様式のイスの腰掛けを前にするようにして座っていた。
「や。久しぶり。………ずっと見ていたよ。君たちの健闘ぶりをずっとここからね。――オレからで悪いんだが、どうかオレの拍手で満足して欲しい」
なぜ、和服の男――ヒビノはここにいるんだろうか。
――というか、今まで一体何をしていたのか。
「む? 何やら怒っているような気配………オレ、なんか怒らせることした? ま、そんなことより、君の疑問―――何をしていたかに応えなくては」
そういうと、彼は一息つく。そして再び口を開いた。
「オレは――あの時。まあ、ジナコが解放されるその一日前まではそっちで調べ物をしていた。で、そのあとはここからお前の旅路を見せて貰った。あくまで、何があったかぐらいしか見ていないがな」
そういう彼は、何処か落ち着いていた。一回瞼を閉じて、再び開けた時にはいなくなっているような――なんとも言えない不安感に晒される。
『で? そこは迷宮の中……でいいのよね?』
「お? 遠坂か……ああ、オレとしたことが。肝心な説明を忘れていた」
―――そうだ。アレが、あの夥しい数の折り鶴が彼の
「ここは―――キャスターの作った迷宮の中だ。中でもここ、監獄聖堂の前にはちょっと開けた広場があってね。ここは一種のセーフティーゾーンになってる。エネミーは、この広場に限っては生まれないし。そして――ちょうど、岸波の後ろには回復用の泉? がある。ちなみに、監獄聖堂とはオレが付けた名前なのであしからず」
振り向いて後ろを確認すると――命の泉。是に触れるだけでサーヴァントの魔力体力、マスターの魔力を回復してくれる。
確かに、
嘘はついていないようだ。
うん? 今、彼はキャスターが作った迷宮と言わなかっただろうか。
「おう、言ったぞ。いやー、オレも必死で抵抗したんだけどね~。BBすげーわ。キャスターは抵抗すら許されずに泥に飲まれて―――よよよ」
そう説明し出すが。
―――なんだろう。ものすごく胡散臭い。
「というわけで。オレが君たちを呼び出したのは他でもない。―――助けてくれ」
助けてくれ。
その言葉だけやけに力を込めて言った。
「気づいたらキャスターにこの監獄聖堂に放り込まれた。―――だいたいさ。オレは生徒会から離れるとき結構格好付けて出ていったわけですよ。言うなれば――ラスボス的な雰囲気を出していたわけですよ。それが―――このザマだ」
『………だっさ』
「おィィィ! 誰だ、今ダッセェとか抜かしたヤツ!!」
静かな様子はどこへやら。いつもの調子に戻ったらしい。“さては、ジナコか! ジナコだな! テメーだろ! 覚えとけよ! テメーのセーブデータファイルが崩壊する呪いをかけてやるからな!”とか呪詛を吐きながら、頭に火のついたろうそくを何本かを紐で巻き付け白装束に着替えて、檻の奥で叩きつけ始めた。ソレ見られたら叶わないヤツでは?
というか話が脱線し過ぎである。
『リンさんッス! ジナコさんじゃなくてリンさんにその呪いはかけるッス!』
「いーやテメェだ! 遠坂に切り替えの早さはあっても恥知らずではない! 優雅(笑)なだけだ! お前のような厚顔無恥さがその―――」
『よーし、わかったわ。どっちも死にたいって事でいいのよね――!』
そろそろ止めるべきだろう。
おーいと声を欠ければ、おふざけをしてる場合ではないと思ったのか、頭のろうそくを取って鉄格子の前まできた。
「ふ。そんな―――ちょっとかわいそうなヤツを見るような目をするな。泣いちゃうだろ。
…………とかく。お前がやることは変わらない。何処かにいるだろう――キャスターを倒せ。今までやってきた事と変わらない」
「しかし、わからん。ヒビノよ。貴様、何故ここに囚われている。キャスターのマスターであろう?」
セイバーがそう質問した。
確かに何故彼はここに囚われているのだろうか。主従仲も取り立てて悪かったというわけではない。
「それは―――」
『それは、
ヒビノが何か応えようとしたが、誰かがそう割り込んで来た。
声色は優しくとも冷徹さを感じる女性の声。
彼のサーヴァント―――キャスターが登場したのだ。
サーヴァント特有の強力な気配が現れる。
迷宮を転移してきたのだろう。
黒い森から、少しずつ月光に照らされる様にして現れた。
「――ハッ。よく言う、オレの正規のサーヴァントですらないくせに。のこのこ歩いて近寄ったのが運の尽き。おかげで監獄暮らしだ。オレは満喫してるよキャスター」
「それは、それは。サーヴァントとして良い気分です。その建物には不壊の呪いが掛けてありますので―――サーヴァントを裏切って見方のいない貴方にはお似合いの場所だと思いますが?」
「―――ち。不快の呪いの間違いだろうが」
誰が上手いこと言えと。
ヒビノの皮肉にキャスターはさらに皮肉で返した。
と、とんでもないくらいに仲が悪くなっている……!!
というか何故ここまで仲が悪くなったのか。そも裏切ったとか何の話なのか。
『あー、岸波は生徒会室にいなかったから分からないんだっけ? アイツ、火々乃晃平は記憶を取り戻した時――どうやら自分のサーヴァントがセイバーという事実に思い出したらしいの。たぶん、それが関係してるみたいね』
「その通りだ、遠坂。オレのサーヴァントはキャスターじゃない。アイツはオレを利用しようとした。都合よく裏側に沈んだオレを、な」
凜の説明にヒビノが補完するように話した。
「まあ、貴方がどう言おうがもはや意味を成すことはありません。
ずん、と周りが軋むように重くなった気がした。
これは、衛士としての、力………!
「――――ですが、今日は気が変わりました。ふふふ。ええ、今日は見逃してあげましょう。そこの下僕に免じて。それに面白くありません。簡単にいじめ殺すのはつまらなくていけません。蜘蛛の足は一本ずつ引っこ抜くように―――でも、ニンゲンには四本しかちぎれるものがありません。かわいそうですから―――逃げることを許してあげましょう。ふふ、ふふふ、フフフフフ!! しかし、どうしても戦いたいなら応じてあげないこともないですよ? まあ、勝てないでしょうけど」
「くっ、何おう――!」
キャスターの瞳には色濃い狂気の色がにじんでいる。あれは―――エリザベートと同じ、同質の狂気。人を人として見ていない怪物の目。
キャスターの度重なる煽りにセイバーが今にも飛びかかりそうだが――セイバーとて分かっているのだ。今、飛びかかっても勝ち目がないことに。それだけの戦力差を一瞬のうちに突きつけたのだ。
「奏者よ、どうする……!?」
―――ここは、ありがたくキャスターの提案に従おう。
戦力差――何より、相手が何者か分からない。真名が分からないのだ。なのに、ここでむやみに戦いを仕掛けるわけにはいかない。
しかし、気のせいだろうか。
―――キャスターが少し愉しそうに見えたのは。
「それが賢明ですね。ええ、いいですよ。賢い人は好きですよ? あそこにいるバカ下僕と違って」
「だまれ、バキャスター。下僕下僕五月蠅いんだよ。前からこっちに来る度聞かされて―――こっちの気分にもなれバキャスター!」
「誰がバキャスターですか。バカとキャスターは分けて言って下さい。合わせ技は腹が立ちます」
「わかった、以後気をつけるバキャスター」
「………直す気がないようですね」
くるりとキャスターは翻し、暗い森に去って行こうとして――ふと足を止めた。
「…………本当にバカな人」
そう呟いて、今度こそ歩き去って言った。
「―――ち。やっと帰ったか。まあ、久しぶりに会話したせいだろうがな」
久しぶりに会話? ということは―――今まで、いや少なくとも囚われてからずっと話さなかったと言うことだろうか?
「あ? そうだよ。暇だったけど話す必要がなかったしな。――――オレの命を狙っているかもしれないヤツとどうして会話なんかする? まあ、アイツは無駄にオレの面を見に来たがな。ふはは、ご苦労な事だ」
「―――貴様、それは」
セイバーが怒りに声震わせる。
彼は、キャスターを今の今まで無視し続けていたのだ。セイバーが怒るのも分かるが、今は抑えて貰う。
彼が、そんな人だったとは思えないが……いや
意外と?
「――――何はともあれ。お前達は、今のうちに迷宮を踏破するがいい。恐らく、キャスターのことだ。妙な自信ありげな様子から――森の中に魔術トラップが山ほど仕掛けられているやもしれん。解き方や分からないものがあればいつでもオレの方に尋ねに来るが良い」
ふむ。確かに。
彼女は、今日は見逃すと言った以上、今日探索したほうがいいだろう。
そうだ。彼が協力してくれると言うなら――彼女の真名なんかは明かしてくれないだろうか。聞いてないと言うはずはないと思うのだが。
「あー、すまん。キャスターの真名は分からない。なにせこっちは利用されてた身。その上、記憶が無いことにつけいられて、真名の確認すらしていない。だから分からないから教えられない。すまないが――そっちで調べてくれ。オレは、彼女の宝具すら知らないんだから」
とのことだ。
――――当面の目標は、キャスターの真名とこの迷宮の踏破だ。
***
岸波が去って言ったのを見届けた後。
ヒビノコウヘイはため息をついた。
頭が軋む。頭痛が止まらない。彼はそういった面持ちだ。額からは脂汗をにじませている。
「――――話せなかったんだ。話せない、理由があったんだ」
息は荒く。ぜぇ、はぁ、と絶え絶え。
虫の息とは、今の男の状態を指すのだろう。
「壊れるまで、あと僅か……。あの日からずっと、頭痛が酷い。原因は、おおよそだが、予測はついている。単純に―――期限が近づいているんだ」
何食わぬ貌を覗かせる白い月が男には恨めしく思える。
「頼んだぞ、岸波。お前なしじゃ、アレは曝けない。オレに利用されてくれ」
―――自我崩壊まで、僅か。
***
その女の涙は――矛盾から染み出した。
清廉に生きてきたのに―――無残に死んでしまいたい。
楽して生きて欲しいのに―――苦しませて殺したい。
こんなにも愛したいのに―――こんなにも殺されたい。
女の清純は狂気に狂う。
砂時計が逆しまに。川をさかのぼる木の葉のように。
繁栄を愛し/破綻を愛し
誠実を好み/堕落を好み
安穏を望む/危難を望む
秩序を壊せ。混沌を潰せ。
――――手遅れになる前に、邪悪をコロセ。
自我崩壊の予兆として、頭痛、そして――一人称の変化などがあります。