ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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この話を書くのが二次創作してる目的の一つだったかもしれません。
短めですがどうぞ。


二度と我が名を、呼ばれずとも

 ヘルメスにとって世界は巨大な盤上だ。

 愛しい子供達をポーンに進められる駒遊び。対戦相手は食えぬ神々、誰も彼もが仮面を被り、腹の底で笑っている。

 下界は最高の娯楽。最高の見世物。最高の暇潰し。

 それは清濁併せ持つヘルメスの紛れもない本心であり、多くの神々に共通する人々(こども)には到底理解出来ない神理(じんり)だろう。

 

 「世界は『英雄』を欲している」と、(うそぶ)くようにヘルメスは言う。

 平和と破滅は紙一重だ。人々が平和を謳歌する世界の陰では、今も彼方の地で黒竜が眠り、迷宮都市(オラリオ)を滅ぼそうとする勢力があり、全ての元凶たるダンジョンがある。

 世界は『英雄』を切望している。『約束の時代』を(もたら)す最後の英雄を、今か今かと待ち侘びている。

 世界が望む悲願のために、ヘルメスは全てを使い潰す事を厭わない。たとえそこに大切な眷族(ファミリア)が居たとしても、それが己自身であっても、旅の神は喜んで身を捧げるだろう。

 『英雄』を求める子供達のために、全てを賭ける。あまりにも身勝手な、だが厳然と揺るがぬ神の覚悟がそこにはあった。

 

 だからヘルメスは器を探している。

 最後の英雄に足る未完の器。闇を斬り裂く雷光のような、数千年の停滞を覆す『光』。

 ともすれば神の傀儡、道化とも呼べる人物をヘルメスは求めており、()()も見極めの一端に過ぎなかった。

 

 眼下に広がる一方的な戦い。一本水晶の前を囲う冒険者(ならずもの)達の熱狂を焚き付ける洗礼にして制裁。

 濃密な悪意をぶつけられ、一人間抜けに転がり回っているような無様な姿を晒す少年、ベル・クラネル。『透明状態(インビジビリティ)』の男に嬲られるベルを、人の良い笑みを湛えたままヘルメスは見ていた。

 それはヘルメスが火を付けた悪意(ショー)世界最速兎(レコードホルダー)、【リトル・ルーキー】に対する鬱憤と反感を溜め込んでいた冒険者達に漆黒の兜(どうぐ)を貸し与え、彼らが行っている洗礼の下地を作った。

 遅かれ早かれこうなっただろう。ヘルメスはただ、いずれ訪れる未来を早めただけに過ぎない。思い通りに事を運ぼうなんて端から思っていない男神は、小細工を弄し己の求める器を探し続ける。

 折れてしまえば、それまでだった。器じゃなかったと、ヘルメスは見切りをつけただろう。しかし存外、ベルは粘る。その半生で欠片も受けなかった悪意に曝されながら、歯を食い縛り心折れぬように立ち向かっている。

 そして、そんな彼を助けようとする仲間達。数の不利を物ともせず果敢に立ち向かう姿は、ヘルメスをして胸を打たれる光景だった。

 

 これはひょっとしたら、ひょっとするかも知れない。悪意に抗う輝きを前に、ヘルメスは思う。もっと試練を課し、その本質を見極めれば――ベル・クラネルは最後の英雄に足る器であると、証明するかも知れない。

 

 ヘルメスは『英雄』を欲している。

 世界も、人々も、名も知れぬ小さな幼女さえ求める最後の英雄を、ヘルメスは探し求めている。

 だから。ヘルメスがベルに手を出すのは、半ば必然だった。

 大神(ゼウス)の置土産。彼の【ファミリア】が遺した系譜の末裔。素質は十分にあると(かね)てから思っていた。

 今ここでなくとも、ヘルメスはいずれ試しただろう。ベル・クラネルという少年の器を、最後の英雄(ラスト・ヒーロー)に足るか否かを。

 それが運命であるかのように、ヘルメスはそうしただろう。

 

 ――たとえ、少年(ベル)を育てた大神(ろうじん)に『決して目覚めさせてはならぬ』と言い含められていたとしても。

 神の視座ゆえに、神の傲慢ゆえに、ヘルメスもまたそれを御せる駒だとしか思っていなかった。

 

 音もなく忍び寄る、泥濘の如き暗い闇。

 木々の上に佇む旅の神とその従者を森の底から見つめる、凍てついた太陽のような銀の瞳は。

 その暗い輝きに悍ましい程の憎悪を宿し、ただただ神を睨んでいた。

 

 

 

 

「あー……『ハデス・ヘッド』が壊されちゃったか」

「……」

 

 ベルの回し蹴りを側頭部に受けて漆黒の兜を破砕された男に「あちゃー」とヘルメスは旅行帽に手を乗せる。ここまで来たら逆転の目もないだろう。一先ずベルは、ヘルメスの目に(かな)う成果を残して見せたわけだ。

 

「しかしあれが壊されるなんて……貸しただけのつもりだったんだけどなあ。ごめんよアスフィ、壊れちゃったみたいだ」

「……」

「おいおい、怒ってるのか? 無視はひどいぜ」

 

 とぼけるように笑ってヘルメスは振り返る。背後で不機嫌な顔をしているだろう眷族の機嫌を取るために。

 しかし――そこには誰もおらず。

 嫌に乾いた風だけが、誰もいない枝先の上を吹き抜けていった。

 

「アスフィ……?」

 

 ぞっっ、と、得体の知れない悪寒に襲われたヘルメスは首を回してアスフィを探す。右も左にも誰もいない。まさかと思い、下を見る。

 そこには、地面に倒れるアスフィが――歩脚を千切り取られた虫のように転がる、無惨にも手足を斬り落とされた従者の姿が、あった。

 

「ぅ……ぁ……」

「――アスフィ!?」

 

 普段耳にする清廉な美声とは程遠い、潰れた呻き声。明らかに尋常ではない従者の姿に、ヘルメスは橙黄色の目を剥いて枝から飛び降りる。

 その瞬間、嫌に時間が遅くなった。自分の影に、闇に落ちるような感覚に手先が冷え、「逃げてください、ヘルメス様」と口を動かすアスフィの様子がはっきりと見て取れた。

 しかし、既に空中に身を投げ出したヘルメスには何も出来ない。何も出来ないまま、男神は落下し――突如として広がった灰色の残影に、一瞬にして絡め取られる。

 

「!?」

 

 声を上げる間もなく、ヘルメスは地面に叩きつけられた。自分の体重に乗せられた軽い感触。顔から地面にぶつかったヘルメスは、しかし神の眉目を何一つ損なう事なく、己を拘束する者を肩越しに見上げる。

 そこには、生まれより伸びる灰髪の影に潜む、右眼に暗い輪の浮かんだ不死があった。

 

「……貴様は後だ、アスフィ・アル・アンドロメダ。私の問い掛けの答えによっては生かしてやる」

 

 ゴトリと、『女神の祝福』をアスフィの前に放り投げた“灰”は拘束したヘルメスに眼を向ける。腕を念入りに縛り上げた上で仰向けに転がし、男神の腹の上に乗った。

 白く端正な幼女の相貌は、憎悪によって歪んでいる。

 

「まずは貴様だ、薄汚い神め。よくも、よくもベルに神の試練など差し向けたな。貴様の下らぬ願望のために。その報い、貴様の命をもって――」

「ああ、悪いが口上を聞いている暇はないんだ」

 

 右半身より闇を垂れ流す“灰”の台詞をヘルメスは遮る。拘束されているにも関わらず余裕を含む笑みを見せるヘルメスは、次の瞬間、表情を消して神威(しんい)を解放した。

 

「アスフィを助けなきゃいけないんでね――どいて貰おうか」

 

 仰向けに倒れる男神を中心に、神の波動が拡散する。

 神威(しんい)。それは超越存在(デウスデア)である神々が神々であると悟らせる威光。地上に降り、全知零能の身となってなお人類(こどもたち)を畏怖させる神の波動は、人類の(こうべ)を垂れさせ従わせる力がある。

 ヘルメスは知っている。“灰”は、紛れもなく()であると。如何に不遜な態度を取り、神々を敬わぬ姿勢を見せようと、その腹の底では確かに恐怖しているのだ。

 恐怖がないのではない。畏怖を感じぬ訳ではない。“灰”はその表し方を忘れているだけで、感情がある。当然、神威(しんい)を発動すれば“灰”は間違いなく怯む。

 それは大神(ゼウス)も間違いない()()()()と太鼓判を押した事実だ。そして現実に“灰”は硬直し、明らかに動きを止めている。

 

 ――仮にヘルメスが平素の状況に置かれていたなら、そのような愚は犯さなかっただろう。旅の神にして伝令神たるヘルメスは、受け渡される言葉の重みをどの神よりも知っている。

 だがヘルメスは、神威(しんい)を解放した。他ならぬアスフィを、愛する眷族を助けるために男神は迷わず選択した。

 

 その選択が、大神(ゼウス)の忠告を裏切るものだったとしても。

 アスフィの命には代えられない。ヘルメスはともすれば己の命よりも、それを優先したのである。

 

 だから――“それ”が()()()()のは、必然であった。

 神威(しんい)に怯んだ“灰”の意識が消失し――裏返る。

 

 瞬間、世界は闇に包まれた。

 

 

 

 

『決して目覚めさせてはならぬ』

 

 “灰”についてヘルメスに話す折、大神(ゼウス)は何度もその忠告を呟いた。優男を気取るヘルメスが思わず頬を歪める程に繰り返された言葉は、他ならぬ世界を守るための枷である。

 誰よりも長く“灰”の側に在り続けた大神は気付いていた。喪失者となった不死の本質、心に淀む暗い深海、『ダークソウル』の奥深くに消え去った彼の存在に。

 “灰”は、()()()()()()。幼女の姿を(かたど)る不死は『火の時代』の蚕食者、かつての神々に恐れられた人間の()()()()()()()()()()

 その本質は誰よりも卑小で、弱く、狂った人間()()()。今はもはや、(うずたか)く積もった灰であり、風に吹き荒び揺らいでいるだけだ。

 

 “灰”と呼ばれた不死のほとんどは、深海に達した『ダークソウル』の影響で霧散し、二度と浮かび上がらぬ底へと墜ちた。暗い深海、人間性の海の底で、ただ眠り続ける事だけが“それ”に許された全てだった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。生きとし生ける人の全てを平服させる、()()()()に照らされたのなら。

 

 “それ”は目覚め、深海より顔を(もた)げ、水面を覗き込む者を見返すだろう。

 深淵を覗く時、深淵もこちらを覗くように。

 “それ”は嗤い、深海の底に立ち――再び世界に顕現した。

 

 

 

 

「――ヒッヒッ」

 

 闇が、溢れ返る。ヘルメスの発した神威(しんい)を覆い隠す程に、局地的に、濃密に、深淵の濁流が席巻する。

 ヘルメスは呑まれた。アスフィもまた。右も左も前も後ろも、上も下も分からぬ闇の中。なまあたたかな人間性に抱かれる彼らが目にしたのは――どうしようもなく浅ましく()()、不死の顔貌。

 卑小、卑劣、あるいは卑屈。目を細め、口角を歪ませ、唇を下品に変形させるその幼女は、紛れもなく“灰”と呼ばれていた者の()()

 

 繰り返される『火の時代』に現れ、放浪し、世を啜り尽くした蚕食者。もはや誰も知らぬ、知ってはならぬ、深海に溶け落ちた最後の薪の王の姿。

 

 ――かつての神々が忌み嫌い、封じ込めようとしたその者の名は、“小人の狂王”という。

 

「ああ、ひどいじゃあないか、君」

 

 “狂王”が声を発する。(うた)うように、嘆くように擦り鳴らされた古鐘の響きは、だがおどろおどろしくヘルメスの耳朶を揺らした。

 

「海にまどろむばかりの私を、神の威光(ひかり)で照らすなんて」

 

 瞬間、ぞわりと()()()()()。比喩ではなく物理的に、ヘルメスの耳の中でぞぶぞぶと揺蕩(たゆた)い、脳へ向けて揺れ動く。

 

「眠れる者は起こされざると、母に教わらなかったのかね?」

 

 這いずる言葉は重ねられる。男神の腹の上に乗った“狂王”は三下の悪党が下劣にひん曲げるような笑みを浮かべ、ヘルメスの胸に、肩に手を置いてそっと顔を近づける。

 

「ああ――神に母など、居よう筈もないか」

 

 闇に浸る灰髪を垂らし、男女の逢瀬のようにヘルメスの耳元で囁く“狂王”。その度に耳朶を這いずる言葉は重みを増し、脳液の奥深くへと浸透していく。

 

「ハ、ハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」

 

 “狂王”は、嗤った。ヘルメスの無様を、何も出来ぬ全知零能の神の醜態を、心の底から嘲笑った。

 それは“灰”では在り得ない、醜悪な嗤い。神を前にして微塵も動じない泰然さなど、老木のような存在感など溶け落ちた、ただただ下劣な嗤いを“狂王”は闇の中で響かせる。

 知らぬだろう、斯様に嗤う下等な不死など。知らぬだろう、蔑まれ生まれるを望まれなかった“小人の狂王”など。

 ヘルメスは知らなかった。大神(ゼウス)でさえ見抜くに留めた“灰”の本質。それは決して世に現れてはならぬ、憎悪と、敵意と、空腹を引き摺る、時代を啜る底なしの闇。

 嗤い、哂い、笑い続ける“小人の狂王”は、ぴたりとその古鐘を止め、呟いた。

 

「……呪われろ」

 

 ヘルメスの耳に顔を寄せ、忌々しく疎まれた声で“狂王”は囁く。

 

「呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ」

 

 言葉は物理的な重みを伴い、ヘルメスを侵食する。肌を食い破り、肉の下を這いずり回る呪いの言葉。見た目には何の変化もなくとも、凄まじい痛苦がヘルメスに襲いかかり、言葉も出ぬ程の惨憺な幻痛にびくりと胸を跳ね上げた。

 それでもまだ、足りぬと言わんばかりに。“狂王”は離れ、周囲を呑み込み広がりつつある闇の中に手を伸ばし――半ばより折れた刃の一振りを掴む。

 

「神どもに、深淵の呪いあれ」

 

 柄を両手で掴み、ゆっくりと“狂王”は頭上へ掲げた。刃を下に、無感動に見下す闇色の瞳の下、“狂王”はヘルメスの胸にそれを突き立てんと振り下ろし。

 

 新たなる神威(しんい)が彼方に光り、“狂王”の発した闇を吹き飛ばし、掻き消した。

 

「――ああ、ベル」

 

 折れた刃を取り落とす。土の上に転がる半身に見向きもせず、“狂王”は彼方を見遣っている。

 

「ベル」

 

 全ての闇がソウルとなり、“灰”の深海に還っていく。折れた刃もまた同じように消えて、立ち上がった幼女はふらふらと頭を揺らしながらゆっくりと彼方へ歩き去っていった。

 

 静寂だけが、その場に取り残された。仰向けのままのヘルメスも、手足を切り取られ喉を潰されたアスフィも動かない。だがやがて、ごふりと吐血したヘルメスは、うつ伏せになって自由になった腕で這いずった。

 

「アス、フィ……!」

 

 ここに到るまでヘルメスの神意は一つだった。己の眷族たる、アスフィを助ける事。今は何を置いてもそれを果たすべく、かろうじて這いずるヘルメスは――アスフィの側に残された黄金の瓶、『女神の祝福』をその手に掴んだ。

 

 

 

 

「ベル」

 

 擦り鳴らされる古鐘の声に、少年は振り向いた。

 

「アスカ!」

 

 ヘスティア、リリルカ、ヴェルフ、リュー、(ミコト)千草(チグサ)桜花(オウカ)に囲まれる少年は、森に佇む幼女に歓声を上げる。何処にいたのかは分からないけど、きっと自分を探してくれていたのだろう。笑顔で手を振るベルにアスカは薄く微笑んで、小さな歩みを進める。

 

「――止まりなさい」

 

 アスカが茂みから出た所で、その声を発したのはリュー・リオンだった。「えっ、リューさん?」と疑問の声を上げるベルに構わず、鋭い眼差しを保つ覆面のエルフは強い口調で詰問する。

 

「“灰”、貴方に一つ質問します。何処で何を、やっていたのですか」

「……?」

 

 リューの鋭い空色の瞳に、アスカは小首を傾げるばかりだ。何を言っているのか分からないと言う風な幼女は一歩踏み出そうとしたが、リューが武器を構えてまで阻止する。

 過剰な反応に驚くヘスティアは「おいおい、覆面君……」と窘めようとしたが、言葉を失った。アスカから漂ってくる微かな香り、その鉄臭い匂いに気付いたからだ。

 他の面々もそれに気付き、幼女を見遣り、驚愕を刻む。

 アスカの身を包む闇色の長衣。よく見ればそれは、斑模様に汚れている。黒の目立つ、赤。まるで大量の血飛沫を浴びたかのような汚れに、一同は息を飲んだ。

 

「もう一度質問します。何処で、何を、やっていたのですか」

 

 鋭利な眼差しを崩さないリューは、更に強く問い掛けた。リューがここまで警戒するのは何もアスカが血に汚れているからだけではない。

 幼女から放たれる、圧倒的な()()()。かつて路地裏でベルの得物(ヘスティア・ナイフ)を拾った時にも感じた匂いが、本質的に正義に立つリューの心を沸き立たせた。

 

「……」

 

 アスカは何も答えない。真実何も言えないのか、それとも後ろ暗い何かをしていたのか。常日頃と違う、茫洋とした表情で佇む幼女は、凍てついた太陽のような瞳で見返すだけだった。

 双方動かず、緊迫した時間が流れる。一本水晶を背に光に塗れるベル達と、森の影の中にいるアスカ。僅かな、しかし永遠にも思える対峙は、18階層の異変によって断絶した。

 

 太陽の役割を果たす天井の白水晶に影が生まれる。バキリッ、と音を立てて亀裂が走り、現れたのは――階層主。

 漆黒の硬肌に覆われた黒い『ゴライアス』。通常では在り得ない安全階層(セーフティポイント)でのモンスター出現に加え、『迷宮の孤王(モンスターレックス)』が既定階層を超えて産まれる特大の異常事態(イレギュラー)

 信じられぬ現実を前に(おのの)く一同の中で、アスカだけは心ここにあらずといった瞳で『ゴライアス』を眺めていた。

 

 

 

 

 冒険者を襲うモンスターを狩る。

 扱うのは《傭兵の双刀》。魔石(きゅうしょ)を狙い、斬り裂き、砕く。灰髪ともども【回転斬り】によって回る“灰”は、竜巻の如く曲がりくねった軌跡を描いてモンスターを斬滅し続けた。

 

 意識が霞む。記憶が遠い。私が何故こうしているのか分からない。

 

 「助かった!」と礼を言う獣人を無視して“灰”はベルを襲った無法者達を助ける。普段ならば、そんな事はしない。何故なら彼らは明確な『敵』だ。“灰”の唯一であるベルを襲撃したのならば、それだけでもう生かす価値のない『敵』と断定する。

 

 いつからだ。いつから私は、私を見失っていた。眼を閉じても、そこには深淵の海しかない。

 

 それなのに、生かしているのは――

 

 ああ、それでも私が為すべきは――

 

 ――ベルが、助けようと言ったから。だから、その意志を全うする助けとなる。

 

 焦点の合っていなかった銀の瞳に怜悧さが戻る。惰性で動いていた幼女の体は瞬間、加速し凄まじい速さでモンスターの群れを屠る。

 時間が必要だ。折れた刀身が、目覚めるまでの時間。ベルを襲った冒険者達――モルド・ラトローを筆頭とした一派――を助けた“灰”は、その力に驚愕する周りの者を置いて、一人黒いゴライアスを見遣る。

 通常種とは色の違う巨人。普段ならば時間をかけ、その『未知』を解明するところだが――その暇も意味も今はない。

 ゴライアスは巨人。それだけ分かっていれば十分だ。アスカは青白いソウルを掌に集め、一本の大剣、《ストームルーラー》を握り締める。

 

 《ストームルーラー》。またの名を「巨人殺し」の大剣。折れた刀身は今でも嵐の力を宿し、巨人を地に打ち倒す。

 刀身の折れた大剣を構える“灰”は、嵐の力が目覚めるのを待つ。静かなる黒色の大剣は、持ち手が狙いを定める獲物が巨人であると悟ったのか、その刀身から嵐を放出し、凄まじい風を轟かせながら楔のように固定する。

 嵐を纏う《ストームルーラー》。それを両手で大上段に振り上げた“灰”は、その力を解放した。

 

『――ォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 黒いゴライアスが嵐の斬撃に見舞われる。ダンジョンの憎悪により産出せし死の体現、絶殺を掲げる神への尖兵は、しかしたったの一撃で深い斬傷を刻まれ、片膝をつく。

 通常のゴライオスとは違い、黒いゴライアスの潜在能力(ポテンシャル)Lv.(レベル)5にも達するだろう。18階層を拠点として『下層』に挑戦する程度の冒険者では、全員で束になってかかっても勝率は悪い。

 だがここには、“灰”がいる。【鷹の目】の二つ名を持つ巨人をただ神に連なるからと殺し、『火の時代』の特異点、ドラングレイグに戦争を仕掛けた巨人達を王ごと滅ぼし、薪の王「巨人ヨーム」を真っ向から討ち果たした不死がいる。

 “灰”の小さな体に蓄積された対巨人戦の経験。それは永き時を経ても色褪せず、今再び蘇る。黒いゴライアスを相手に《ストームルーラー》を構える“灰”は、7(メドル)程の巨人が赤い光の粒子を発散し再生するのを目撃した。

 

「流石に、一撃では倒し切れんか」

 

 ――ならば、数で押し通すまで。

 ()()()《ストームルーラー》を広範囲に突き刺す“灰”は、ソウルの補強により全ての剣へソウルを注ぎ戦技を()()()()にする。嵐を纏う無数の大剣が乱立する戦場で、“灰”は嵐の如く疾走した。

 生まれより伸びる髪が風に揉まれ暴れ回る。襲いかかるモンスターを鎧袖一触に打払い、ゴライアスの放つ魔力を込めた叫び、『咆哮(ハウル)』を避けて戦技【嵐の王】を叩き込む。

 苦痛の叫喚を上げて膝を突くゴライアスを尻目に“灰”は手持ちの《ストームルーラー》を突き立てて新たな《ストームルーラー》を掴む。畳み掛けるように【嵐の王】を解放、粒子を振り撒きながら再生するゴライアスに嵐の斬撃を連続で見舞う。

 可能ならば脚を断ち斬りたい所だが、流石に再生が追いついている。しかしこのままなら黒いゴライアスは完封されたまま倒されるだろう。

 

 そう上手く行かない事など、“灰”はよく知っている。重なる嵐の斬撃を強靭で振り払ったゴライアスが両腕を掲げた時点で“灰”は退避を選択した。

 直後振り下ろされる、巨人の豪腕。周囲のモンスター諸共、ゴライアスの一撃は突き刺さる大剣群を地盤ごと吹き飛ばす。

 それをソウルに還し回収しながら、“灰”は風圧を利用して滑空し距離を取った。着地した“灰”が顔を上げれば、全ての傷を再生し立ち上がった巨人が雄叫びを上げている。ぎょろりと蠢く巨大な眼球は憤怒を煮え立たせ、“灰”一人を睥睨していた。

 憎悪(ヘイト)は取った。後は物量で押されぬよう立ち回りつつ、《ストームルーラー》の戦技で仕留めればいい。それで終わると“灰”は推測するが――()から(ほとばし)るソウルの気配に銀の半眼を細める。

 

「まずいな……」

 

 “灰”は後方を見遣り戦力を確認する。明確な味方は同じ【ファミリア】であるベルとリリルカ、パーティを組んでいるヴェルフ、捜索隊であるリューと【タケミカヅチ・ファミリア】の一名。救出したモルド一派もいるが奴らは『敵』だ、協力は出来ない。

 ヘスティアとヒタチ・千草(チグサ)の姿がない。裏方に回ったか、自主的に避難したか。どちらでも良いが足を引っ張られないのは有り難い。

 しかし状況は悪い。あの黒いゴライアスにまともに対抗できるのはギルドの記録からLv.(レベル)4と知っているリュー・リオンのみ。他の者に《ストームルーラー》を配るにしても人数が足りない。

 せめて『リヴィラの街』から増援を引っ張ってこなければ――一時的撤退も視野に入れる“灰”は、完全再生したゴライアスに視線を戻したところで、駆け付ける大量の足音に気付く。

 

「よぉ! お前がアスカかぁ!? お前んとこの主神サマから頼まれて援軍に来たぜ!」

「貴公……確か宿場街(リヴィラ)の大頭、ボールス・エルダーか」

「おうよ! リヴィラの首領(ドン)、ボールス様たぁ俺の事だ! それよか見せてもらったぜ、すげえ魔剣を持ってやがんな!? あれがありゃあ、あの黒い階層主(デカブツ)も一発だろうよ!」

「そう上手くはいかなかったがな。しかし、援軍か。であれば有り難い。貴公にこれを貸してやる」

 

 言いながら、“灰”は三十振りの《ストームルーラー》をボールスの前に顕現させる。

 

「うおっ!? どっから出しやがった!?」

「どうでも良かろう。それよりも、適当な者を見繕ってそれを貸与しろ。嵐を纏った状態で振るえば貴公が見たのと同じ斬撃を誰でも繰り出せる。

 それでゴライアスの相手は貴公らがやれ。私は――魔性の相手をする」

「何だか知らんが、引き受けたぜ! ……それとあんた、金になりそうな《スキル》を持ってそうだな。どうだ、事が終わったら俺と組まねえか?」

「断る」

 

 気持ちの良い笑みで金勘定を弾くボールスの提案を斬り捨てて、“灰”はボールスが大声で指示を出す冒険者達に目を向ける。統一感のない装備の冒険者達は皆、ボールスが掲げる《ストームルーラー》に目を奪われていた。

 欲望を隠しもしないギラついた視線。それほど力の渇望があるのなら、存分に奮ってくれるだろう。その中で若干浮いているベル達も確認して、“灰”はゴライアスに潰された中央樹(ちゅうおうじゅ)を遠く眺めた。

 

 半ばより地面に埋まり、太い幹もひしゃげ見る影もない巨大樹。その根にあった洞窟も完全に塞がれた19階層への入り口は――突如膨大な爆炎を噴き上げて炎上する。

 

「なっ、なんだぁっ!?」

 

 こちらまで届く熱波にボールスが叫び、冒険者が、モンスターが、階層主(ゴライアス)さえも燃え盛る中央樹に視線を集める。

 ゴウゴウと音を立てて炎上する巨大樹に、バキリッ、と音を立てて亀裂が走り――次の瞬間、真っ二つに割れ崩れながら大爆発が巻き起こった。

 

『――ゥウウヴウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』

 

 大炎上する巨大樹の残骸より、それは現れる。

 灼熱に燃える頑強な実体。削り出した巌のようなその体は眩い炎を纏い、崩れ落ちた中央樹の残骸の火を更に猛らせる。

 大地を踏み締める剛脚は太く、高温に熱された剣のような爪は殺意に満ち溢れている。4(メドル)はあろうかという体を前屈みに構えるそれには、側頭部より生える巨大な二本角があった。

 それは、この世に在らざりしもの。

 可能性などではない、下界の例外。

 何処(いずこ)より流れ着き、彷徨い()づる魔性。

 

 ――ソウルを喰らう、禁忌の怪物。

 

 その名を――「炎に潜むもの」と云う。

 

「現れたか……」

 

 彼方で咆哮と爆炎を発する魔性に、“灰”は静かに呟いた。

 冷静であるのは幼女だけだ。冒険者達はこれまで見た事もない怪物に硬直している。

 当然だろう。あれは、思考を持つ高位の生命こそを喰らうソウルの天敵。

 怪物(モンスター)と人類の戦いが数千年の時を経て不可逆となった宿命ならば、魔性とは在り得べからざる魂の殺戮者。

 天と地を回る輪廻の理、それを噛み砕く神の摂理をも超越した真なる怪物。

 如何に『偉業』を果たした冒険者とはいえ、それを肌身で感じれば思考が停止してしまうのも無理はない。

 あんなものと遭遇し、無事であった人類は誰もいないのだから。

 ただ一人――神の枷に囚われた、“灰”を除いて。

 

「――」

 

 中央樹だった物の破片が落ち、燃え広がる草原を“灰”は瞳に映す。そして眼を閉じ、薄く研いだ銀の半眼を露出し、一息に疾走した。

 「炎に潜むもの」が現れた理由は分かっている。どうやって感知したかは知らないが、あれは“灰”の尋常ならざるソウル――『ダークソウル』の匂いを嗅ぎつけてやってきた。

 ならばあれは、“灰”の獲物だ。元より魔性は、“灰”の定めた使命の一つ。

 下界を放浪し、色のない濃霧に覆われた地域を探し、ソウルを喰らいし魔性を狩る。

 それこそが、“灰”の使命であるならば。迷いはない、“灰”は燃える草原に立ち、「炎に潜むもの」と対峙する。

 

 ――さあ、魔性(デーモン)狩りを始めよう。

 

 暗いソウルの領域より、《アルトリウスの大剣》と《アルトリウスの大盾》を抜き放った“灰”に――「炎に潜むもの」は火を撒き散らし、咆哮した。

 

 

 

 

 「初見」の敵に対して“灰”が行う行動は大きく分けて二つある。

 一つは『経験』から判断した推測を基に弱点を突く戦い方。不確かで勝率も低いが、嵌まれば時間がかからないという利点がある。

 もう一つは相手の『未知』を出し尽くすまで防御に徹するという方法。必要ならば己の死すらも許容し、徹底的に分析する。時間はかかるが『未知』を見極めれば最小の労力で敵を倒せる。

 

 “灰”が今回選択したのは後者だ。18階層中のモンスターは黒い『ゴライアス』の元に集まっており、そのゴライアスも《ストームルーラー》によって著しい劣勢を強いられている。

 つまりは一対一の状況が持続する環境であり、「炎に潜むもの」があのゴライアスを()()危険性を考えれば、むしろここで時間を稼ぐ方が都合が良い。

 完全にこちらのソウルを狙う「炎に潜むもの」に対し、“灰”は《アルトリウスの大剣》と《アルトリウスの大盾》を構えた。

 

 後者を選んだ“灰”は極めて正統派(オーソドックス)な戦法を取る。

 並の相手であれば直剣と中盾、小さき敵なら短剣と小盾。

 そして眼前で燃え盛る炎の魔性に対しては、大剣と大盾を使うようにしている。

 理由はそれらが基本的な武装だからだ。変な尖りや使い難さがなく、誰にでも扱えるよう設計されている。大抵の状況は剣と盾で斬り抜けられる。

 それを『経験』によって知っている“灰”は、まず相手の出方を待つ。迂闊に斬り掛かって勝った(ためし)がないので当然の判断だ。

 不釣り合いな大剣と大盾を構えたまま動かない幼女に焦れたのか、先に飛び出したのは「炎に潜むもの」だった。雄叫びを上げ屈強な脚と腕で地面を叩いて舞い上がった魔性は、火に燃える拳を組み大上段から叩きつけた。

 眼を焼く程の光と、耳を(ろう)する大爆音が“灰”の隣で炸裂した。真っ当なステップで回避した“灰”は大盾より伝わる熱と衝撃で威力を逆算する。

 

(まともに食らえば八割は削られるか。即死でないだけマシだが、楽観は出来んな)

 

 所感を記憶に書き留め、“灰”は次の行動を待つ。ジリジリと脚を滑らせ間合いを測る幼女に「炎に潜むもの」は両手の炎を更に燃え上がらせ殴りつけた。

 途端、轟く大爆炎。ゴライアスと戦う冒険者の何名かが思わず顔を回す程に大炸裂した爆炎は、剛拳が放たれる度に追随し巨大な円形の炎を散らす。

 それを大盾で防ぎ、あるいは躱し、“灰”は検証を重ねていく。

 

(爆炎の範囲が尋常ではない。その上連続で振るわれる。厄介な攻撃だ)

 

 追い立てられるように後退する“灰”を魔性は猛追し、剛拳と大爆炎の連打を見舞う。その内の一発が“灰”の大盾に直撃し、幼女は弾き飛ばされた。

 空中を平行に直進し、数十(メドル)離れた場所に着地する“灰”。その瞬間、幼女の体が影に覆われ――上を見上げれば、莫大な炎を纏う魔性が、“灰”目掛けて落下していた。

 

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

「――」

 

 生半可な実力者なら強制停止(リストレイト)を引き起こす咆哮が“灰”の全身にぶつかる。そのまま隕石のように落下した「炎に潜むもの」が着弾し――大爆発が巻き起こった。

 燃える草原を地盤ごと吹き飛ばす巨大な爆炎。まさに隕石が落下したかの如くクレーター状に焼き潰された中心で「炎に潜むもの」は咆哮し。

 

 その肩に。天より落ちてきた“灰”が両手持ちする《アルトリウスの大剣》が突き立てられた。

 

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 「炎に潜むもの」が悲鳴を上げる。その場で暴れ回り“灰”を引き剥がそうとするが、幼女は更に深々と大剣を刺し込み魔性の傷を広げた。

 そして掴まれそうになったところで離脱し、怒りの咆哮を上げる「炎に潜むもの」と再び対峙する。

 「炎に潜むもの」が落下した瞬間、“灰”は入れ替わるように飛び上がった。そして大盾に小さな体を隠し爆炎に押し出される形で上昇、空中で大剣を両手持ちにして肩口に攻撃したのである。

 『経験』済みの動きだ。何も難しい事はない。落下致命など幾度も繰り返してきた“灰”は、「炎に潜むもの」に関する大凡の動きを見切ったと判断する。

 

「飛びかかりと爆炎を纏う連撃が主流。それ以外の行動は小手先に過ぎない。

 ならば良い。そこまで分かれば十分だ。――狩らせて貰うぞ」

 

 燃え盛る炎を反射する凍てついた太陽のような眼で呟いて、“灰”は大地を蹴った。

 それからは一方的な蹂躙だ。大盾を捨て、《アルトリウスの大剣》のみとなった“灰”は「炎に潜むもの」の攻撃を的確に見切り、反撃する。

 ただそれだけの繰り返し。爆炎の影響範囲を見極めて紙一重で躱し、飛びかかりは股を潜り抜けるか戦技によって対応し、残りの動作は隙を晒して攻撃を待つ。

 これがただの怪物であればこうはいかない。どんなに知性が欠けた相手でも学習はする。同じ事の繰り返しで勝てる相手など早々いない。

 だが、魔性(デーモン)は違う。由来の知れぬ魂喰らい共は、確かに思考する怪物であり、だがなにがしかの模倣に過ぎない。

 魔性には実体化するために根を下ろす何らかの伝承があり、それに(なぞら)えた行動しか出来ない。

 

 かつて“灰”が巡った世界各地の魔性が良い例だろう。英雄『竜殺しのジェルジオ』が倒した伝承の怪物、シレイナ湖畔に潜む竜を模倣した「白帯びの湖竜」は決して湖から出る事はなかった。

 『騎士ガラード』が王女アルティスを救おうと挑んだ『竜の谷』より降り立ちし「雪嶺の飛竜」、その似姿たる魔性は鎖された雪山にしか存在し得なかった。

 魔性(デーモン)は、所詮は魔性(デーモン)だ。如何に強大な力を蓄えていたとしても、伝承に定められた在り方から逃れる事は出来ない。模倣する事しか能がない、原生の怪物。それは“灰”にとって格好の獲物である。

 

 「炎に潜むもの」もそうだ。何れの伝承より現れたか定かではないが、この魔性は猛る炎のままに暴れ狂うだけの似姿。炎の模倣とも言える原始的な暴力の化身は、逆に言えばそれだけの猛威でしかない。

 分かりやすく強いだけの魔性(デーモン)は、“灰”の敵ではなかった。「炎に潜むもの」のソウルを削り取るだけの作業を続ける“灰”は、何れ来たる戦いの終息を予見する。

 

 ――それが、いけなかったのだろう。何故ならばここは戦場で、異常事態(イレギュラー)が進行している。

 ましてや「炎に潜むもの」は「初見」の敵だ。それをただの不死如きが、一切の瑕疵なく倒せると考えたのが間違いだった。

 

 爆炎の剛拳を回避し、斬り裂く。あまりに当たらず、一方的に攻撃されるのに激怒したのか、「炎に潜むもの」の攻撃が激しくなる。

 それすらも軽やかに躱し、作業に没頭する“灰”の背後に――突然現れた『ゴライアス』は、死物狂いの『咆哮(ハウル)』を解き放った。

 今まさに「炎に潜むもの」の攻撃を避けた、“灰”に向かって。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』

「――!」

 

 間一髪、《アルトリウスの大剣》による防御が間に合ったが、それで防ぎ切れるものではない。『咆哮(ハウル)』が直撃した“灰”はいとも容易く吹き飛ばされ、小さな体が宙を舞う。

 銀の半眼で回る視界を冷静に観察すれば、こちらに殺到する冒険者達。おそらくは致命傷を負うまで追い詰めたゴライアスが、「炎に潜むもの」を()()()()と猛進したのだろう。

 

(まずいな――)

 

 ああ、まずい。あの黒い『ゴライアス』も「炎に潜むもの」も、常識では在り得ない力を持った怪物だ。

 片や神すらも喰らいその力を我が物とする『隻眼の竜』と同じ『黒色』であり、片やソウルを無限に喰らい際限なく強化されるソウルの怪物。それが()()()()()()()()光景を眼にしながら、何も出来ない“灰”は。

 せめても、空中で奇跡を発動し――“灰”は呆気なく墜落し、落下死した。

 

 

 

 

 冒険者達は怒号を上げて『ゴライアス』を追いかけていた。

 “灰”より貸与された《ストームルーラー》のおかげで難なく『ゴライアス』を追い詰めていた冒険者達は、最後の止めを刺す前に逃亡した階層主を全員で追った。

 だが歩幅が違う。通常の『ゴライアス』より速い黒い『ゴライアス』は、冒険者達を置き去りにして一直線に炎上する中央樹の残骸に突進した。

 あらん限りの罵倒を叫びながら走っていた冒険者達は、誰ともなく足を止め、その光景に目を皿にする。

 

「……な、なんだありゃあ? なにしてやがんだ……?」

 

 一同を代表してボールスが困惑の声を上げた。彼らの見たものは、突然現れた新種と思しき炎の怪物と喰らい合う階層主(ゴライアス)。モンスターがモンスターを襲うだけでも異常なのに、捕食行動をしない筈のゴライアスが焼かれるのも構わず食い千切っている。

 呆然と足を止める冒険者達。それがいけなかった。せめて彼らが《ストームルーラー》の戦技を放っていれば、この後の悪夢が顕現する事はなかっただろう。

 7(メドル)の巨人と4(メドル)の魔人が互いを喰う。貪り、噛みつき、組み合って転がる怪物達は――やがて()()()()()()()

 

「…………は?」

 

 呆然と声を上げたのは誰だったか。口を開けて成り行きを見守っていた冒険者達の前で、それは立ち上がった。

 ――10(メドル)はあろうかという、()()()()。黒色の外皮の上で燃え盛る火炎は、最初からそうであったかのように馴染んでいる。

 だが、そんな筈はない。敵は手負いの怪物二体だった筈だ。間違っても一体だけの筈がない。

 けれど、目の前の現実がそれを否定している。それの意味する所は――

 

「……合体、した……?」

 

 呟いたのは、ベル・クラネル。《ストームルーラー》ではなくただの大剣を持つ少年は、有り得ない妄想を口にした。

 しかし、誰もそれを否定できない。現実にただの一体となった燃える巨人は、巨大な顎を開き、その奥から眩い輝きを溢れ出させる。

 瞬間、粟立つ冒険者達の肌。彼らの危機察知能力が、あれは()()()と警鐘を鳴らす。

 

 だが――全ては遅く。

 退避し始めた冒険者の視界も、18階層の岩壁も、崩れ落ちた天井の水晶も。

 ――全てが、眩い灼熱の光に飲み込まれ。

 大地を揺るがす大爆発が、巨人を中心に巻き起こった。

 

 

 

 

 呻き声だけが、立ち上っていた。

 中央樹の残骸があった場所に立ち尽くす巨人、炭化した草原に佇むゴライアスが放ったのは――『咆哮(ハウル)』。

 しかし、ただの『咆哮(ハウル)』ではない。「炎に潜むもの」との捕食競争に打ち勝ち、その力を我が物としたゴライアスの『咆哮(ハウル)』は、炎を蓄え、全方位に極限の灼熱を放出する広範囲攻撃へと変貌していた。

 それに巻き込まれた冒険者達は、皆が瀕死だ。尋常ではない衝撃に加え、上級冒険者の『耐久』を物ともしない灼熱の炎。吹き飛ばされ倒れ伏す彼らの誰もが体の半分以上を焼かれ、行動不能に陥っていた。

 

 ――その中にはベル・クラネルと、少年が行動を共にした者達も含まれている。

 

「ベル様!? ベル様ぁっ!?」

 

 倒れる少年に縋り付いて懇願するようにリリルカが泣き叫ぶ。ベルは目を覚まさない。装甲の破壊されたインナーは肌と同化し、焼け爛れている。明らかな重症だ。もしかしたら致命傷かも知れない。そんな予測を否定するように、リリルカは必死で呼びかける。

 側で泣いている千草(チグサ)も同じだ。(ミコト)桜花(オウカ)もあの『咆哮(ハウル)』をまともに食らい、意識を喪失していた。

 特に桜花(オウカ)の火傷がひどい。『咆哮(ハウル)』が炸裂する瞬間、咄嗟に(ミコト)とベルを庇った彼の背は火傷を通り越して炭化している。

 ヒュー、ヒュー、と喉を通り抜ける呼吸音も弱々しい。この場で最も死に近いのは桜花(オウカ)だった。

 その光景を見つめるヘスティアは、どうする事も出来ない。補給拠点から持ってきた手持ちの回復薬(ポーション)ではまるで足りない。誰から助けて良いかも判断がつかなかった。

 唯一Lv.(レベル)のおかげで動ける程度の火傷しか負っていないリューの表情も暗い。ここまでか、という諦念と絶望が場を支配しつつあった、その時。

 

 チリンチリンと静かな鈴の音が、重い空気に転がった。

 

 ついで眼下に広がったのは、光り輝く魔法円(マジックサークル)。倒れる冒険者達に留まらず、立ち尽くすゴライアスまで射程圏に収める複雑な文様の円は、光を溢れさせ癒やしの力を解放する。

 

「【太陽の光の癒し】」

 

 (おびただ)しい光の粒子が、太陽のような暖かな光が倒れる冒険者達を包み込み、その傷の全てを治していく。莫大な精神力(マインド)を消費する、規格外の治癒魔法。それが出来る者の心当たりなんてヘスティアは一人しか知らなかった。

 

「……ああ。間に合ったようだな」

「――アスカ君!」

 

 弾かれるようにヘスティアが振り向くと、森から灰髪の幼女が現れた。何事もなく歩くアスカはヘスティアの側に立ち、足元のベルを見つめる。

 

「生きていたか、ベル。それで良い、貴公は『運』が良かった」

 

 火傷が痕も残さず治り、苦しげだった顔が安らかになった少年に一度眼を閉じて、アスカは彼方で佇む炎の巨人(ゴライアス)を眺める。

 

「どうやら歩く力はないらしいな。如何に魔性を取り込んだとは言え、それで消費した生命力が戻る事はない。あれは必死の抵抗、手負いの獣の足掻きというわけだ」

 

 呟いて、《ストームルーラー》を顕現させる。炎を取り込んだところで、巨人には変わりない。まして手負いであるならば、アスカ一人でも仕留められる。

 ならば問題は一つだな、と――幼女が考えていたその時。

 

桜花(オウカ)っ!? 桜花(オウカ)ッ!!」

 

 涙を止めない少女の叫びが、“灰”の鼓膜を煩わしく震わせた。

 

「どうしたんだい!?」

桜花(オウカ)のっ、桜花(オウカ)の傷が……治ってない……!」

「何だって!?」

 

 慌てて駆け寄ったヘスティアに千草(チグサ)は嗚咽を零しながら言う。驚愕したヘスティアが見れば、呼吸のか細い青年の火傷は手酷いままだった。

 

「アスカ君! この子の傷が治ってない! 早く治癒魔法をかけてくれ!」

「……」

 

 焦るヘスティアに呼ばれても、“灰”は黙ったままだった。黙ったまま、炎の巨人を眺めている。

 

「何をしているんだ、アスカ君!? 早くしないと手遅れになる!」

「構わんだろう」

「……え?」

「構わんと言っている。そのまま死なせてやれ」

「…………何を、言っているんだい……?」

 

 信じられない“灰”の言葉に呆然となったヘスティアは、しかしすぐに(まなじり)を吊り上げて佇む幼女に食って掛かる。

 

「何を言っているんだ、アスカ君……! この子はボク達を助けてくれた仲間だろう!?」

「仲間ではない。『敵対者』だ」

 

 首だけを動かす不死は、銀の半眼を冷たく光らせる。

 

「その男は、ベルを窮地に陥れた『敵対者』。私が助ける義理などない」

「……まさか『怪物進呈(パス・パレード)』の事を言っているのかい!? けれどこの子達はベル君を助けに来た! 誰の強要でもなく、自分の意志でここまで来たんだ! それを見捨てるなんて、それこそ義理に反するだろ!?」

「たとえそうだとしても、私の答えは変わらない。その男は、『敵対者』だ。私は助けない」

「――でも! (ミコト)君は助けてるじゃないか! なのにどうして桜花(オウカ)君だけっ!?」

「だって、謝らなかっただろう?」

「え?」

 

 首を元に戻し、背中だけを見せて“灰”は呟く。

 

「謝らなかったじゃあないか。ヤマト・(ミコト)も、ヒタチ・千草(チグサ)も謝ったというのに、その男だけが謝らなかった。

 ならば私の、『敵対者』のままだ。そも、己の判断が間違っているとは思わないとその男は言ったのだ。ならばそのまま死なせてやれ。それが本望というものだろう」

「……謝らなかった……? そんな理由で、君は見捨てるっていうのか!?」

「私の眼を見ろ、ヘスティア」

 

 振り返って、“灰”は凍てついた太陽のような眼を晒す。そこにあるのは、世界を二分するだけの眼。『協力者』か、『敵対者』か、それでしか測れない不死の狂った瞳のみ。

 

「私は謝罪なき者を許せない。贖罪を果たさぬ者は、何処まで行こうと『敵対者』だ。その男は謝らなかった。だから、カシマ・桜花(オウカ)は私の『敵』だ。何をやろうと、何を思おうと、贖罪せぬ限りそれはずっと変わらない」

「……そんなの理由にならない! 少なくともベル君もボクも、桜花(オウカ)君に助けられた! それには報いなきゃいけないだろう!?」

「それは無理だ、ヘスティア。私はな、()()()()()()()()()()()()()()。それでもなお、許さなければ、人の世は回らないと教えられた。

 だから私は、贖罪を是とした。それは何者も許せない私が、それでも人を許すために己に刺し穿った(くびき)。それが謝罪であり、贖罪である。

 謝らなければ、私は『敵対者』を許せない。その男は『敵対者』だ。贖罪を果たさぬ限り――私は私を、変えられんのだ」

「……!!」

 

 人ならぬ神の身で、ヘスティアは“灰”の言葉が真実だと悟った。それは神算鬼謀に長けぬ、純粋で大らかな慈愛の女神であるからこそ、信じられた言葉だ。

 しかし、そうであるからこそヘスティアは桜花(オウカ)を見捨てられない。やりたくはないと思いつつ、背に腹は代えられないとヘスティアは“灰”の急所を突く。

 

「――ベル君が怒るぞ」

「そうだな」

「君の事を一生許さないかもしれない。二度と会いたくないって、そう言うかも」

「――それでもいいさ」

「え――?」

 

 だが、返ってきたのは肯定だった。女神から少年に視線を移す“灰”は、ほんの少しだけ優しげに眼を細める。

 

「それがベルとの、永遠の訣別(けつべつ)を招くとしても。私は構わない。

 とうの昔に決めている。私はベルを守りたい。この世のどんな悪意からも、ベル・クラネルを守り続ける。

 

 その果てに――二度と我が名を、呼ばれずとも。後悔はない。何一つ」

 

 当たり前のように、そんな事を言って。当たり前のように、別れを受け入れて。

 “灰”は――アスカは、微笑んだのだ。家族(ファミリア)の皆で笑い合った、あの時のように。

 

「ベルを頼むぞ。ヘスティア、リリルカ。私はあの怪物を、倒しに行く」

 

 笑みを消した“灰”は、折れた大剣を垂れ下げてその場から消えた。生まれより伸びる灰髪は既に彼方に舞い、炎の巨人へと直進している。

 呆然と話を聞いていた千草(チグサ)は、希望が消え去ったと知って、滂沱の涙を流した。段々と呼吸が細くなっていく青年の手を取り、桜花(オウカ)桜花(オウカ)と力なく囁く。

 ヘスティアには、どうしようもない。幼女神は“灰”の言葉に込められた覚悟を悟ってしまったのだから。

 しかし――リリルカだけは違った。ベルに縋り付いていた小人族(パルゥム)の少女は、自分の涙を拭って千草(チグサ)の元に駆け寄る。

 

千草(チグサ)様、これを使って下さい」

「……これ、は……?」

「『女神の祝福』と言います。アスカ様の持つ、最も強力な回復薬。これを飲ませれば、桜花(オウカ)様も絶対に助かります」

「……! 本当!?」

「ただし! 渡すのには条件があります」

 

 『女神の祝福』を両手で掴んだ千草(チグサ)は涙を止めて聞き入った。どんな過酷な運命でも背負ってみせる覚悟を秘めた少女に、リリルカは言う。

 

「――桜花(オウカ)様に、アスカ様へ謝らせてください。あの方は言葉通りのお人です。謝れば、本当に許してくれるでしょう。

 ……元々は、貴方がたの蒔いた種です。必ず刈り取ってくださいね!」

 

 同業者を私的な理由で助けないという醜聞がアスカやベルのためにならないという本音を隠して、リリルカは『女神の祝福』を押し付けた。受け取った千草(チグサ)は、慎重に桜花(オウカ)の口に運び――青年の傷は優しい光に包まれて快癒し、呼吸も安らかなものに変わる。

 人目も憚らず青年に抱きつく少女を尻目に、体の具合を確かめていたリューは立ち上がった。そして既に交戦を始めた“灰”を睨み、木刀に手を掛ける。

 

「私も行きます。神ヘスティア、この場をお任せします」

「あ、うん……」

 

 疾風のように駆け走るエルフを見送って、ヘスティアはベルの側で膝を折った。少年の手を取って、悔しいような、悲しいような表情で唇を噛む。

 

「ベル君……ボクは、何も出来なかったよ……アスカ君の意志を、変えられなかった……

 ボクは、あの子の主神(おや)なのにね……アスカ君の事、何も分かってあげられてなかったんだ……」

 

 女神の涙が、零れ落ちる。それは少年の白髪に落ち、弾けた。

 すると、両手で優しく持っていた手が握り返される。驚くヘスティアの青みがかった瞳には、悔恨に満ちた表情のベルが目を覚ましてた。

 

「ベル君、いつから……?」

「ずっと、ずっと聞いてました。アスカの話……僕は、自分が情けないです。アスカには、いつも守られてばっかりで……僕がアスカを守った事なんて、一度だってないのに……」

「ベル君……」

「だから、僕は逃げません。アスカが何をしていたとしても、絶対に逃げたりしません。あの日、逃げないって、そう決めたから……

 だから、神様――行ってきます」

「……うん。行ってらっしゃい、ベル君」

 

 立ち上がった少年は、側に転がっていた《ストームルーラー》を手にする。

 【英雄願望(アルゴノゥト)】が発動する。リンリンと響く蓄力(チャージ)音。限界を知らず、限界を超える前に守られてきた少年は、限界解除(リミット・オフ)する事はない。

 しかしベルには、逃げないという意志がある。何からも逃げないと決めた、誓いがある。深紅(ルベライト)の瞳に暗い(リング)が浮かび上がり――【不転心誓(ダークサイン)】が、【英雄願望(アルゴノゥト)】と接続(リンク)する。

 リンリンという鐘の音が、ガラァン、ガラァンと崖際の祭祀場で鳴り響く古びた鐘のように変質する。嵐の支配者の名を冠する大剣に光が収束し、暗い粒子が取り巻いた。

 【英雄願望(スキル)】の引鉄(トリガー)、思い浮かべる憧憬(しょうけい)の存在は『カタリナの騎士ジークバルト』。

 志し半ばに倒れ、だが古い友のため、火の無き灰となってなお約束を果たしたカタリナの勇士。

 その最期が寂寥に満ちたものだと知っていても、偉大なる英雄の物語がベルの心から消える事はない。

 アスカの辿った灰の道。そこで出会ったという友の物語を胸に――ベル・クラネルは炎の巨人へ駆け出した。

 

 その後は、特筆すべき事もない。

 アスカとリューが炎の巨人(ゴライアス)の動きを止め、ベルの放った『英雄の一撃』が巨人を真っ二つに両断した。言葉にすればそれだけだ。

 それを目撃した冒険者達は沸き立っていた。熱狂し、ベルの(もたら)した勝利を祝っていた。少年を目の敵にしていた者達も、これで認めた事だろう。

 だが、そんな事はアスカには、“灰”には関係ない。

 仲間に囲まれる少年を、眩しいものでも見るかのように目を細めた幼女は。

 静かに、誰に知らせる事もなく、闇の中へと帰っていった。

 

 

 

 

 ……まあ。恥ずかしげもなく言ってしまえば、合わせる顔がなかったのだ。

 そんな感情がまだ残っていた事に、他ならぬ“灰”自身が驚いていた。こう言っては変だが、まるで若返ったような気持ちさえ感じる幼女は、何かあったかと記憶を探る。

 しかし思い出せる事はなにもない。どうしたのだろうと考えながら、まあ良いだろうと思考を切り捨てた“灰”は、その場から立ち去ろうとしたが。

 幼女の小さな足に縋り付いて離さない眼帯の大男が、それを許さなかった。

 

「頼む、頼む! この通りだ! あんたの持ってるあのスゲー魔剣を譲ってくれぇっ!」

 

 大の大人が駄々をこねる子供のようにそう叫ぶ。二度も断ったというのにまるで引き下がらない大男――ボールス・エルダーに“灰”は辟易していた。

 

 事の発端は貸し出した《ストームルーラー》の回収に“灰”が赴いた事だ。戦いも終わり、黒い『ゴライアス』の出現によって崩壊した正規ルートも開通してる。後は帰るだけなので、その前に回収してしまいたかったのだ。

 それに否を突き付けたのがボールスだ。これはあの時ヘスティアの願いによって加勢に来た俺達への正当な報酬だと言って返さなかったので、溜息をついた“灰”はソウルに変えて強制回収したのである。

 ボールス達が“ソウルの業”を会得していたのなら別だったが、そうでないなら所有権はずっと“灰”にある。急に掻き消えた《ストームルーラー》に慌てふためく無法者共に勝手に分け合えと十億ヴァリスほど現金でくれてやって、さあ帰ろうとした時にボールスに縋りつかれたのだ。

 

「頼む、頼む、頼むー! 必ず武器(もの)にしてみせる! 何だったらこの街(リヴィラ)で俺に出来る最大限の便宜を図ってやる! だから頼む、譲ってくれぇっ!」

「……はぁ。分かった。そこまで言うなら譲ってやろう」

「ほ、本当か!?」

 

 武器狂(ウェポンマニア)()もあるボールスにいい加減面倒になったのか、渋々“灰”は頷いた。即座に立ち上がったボールスは《ストームルーラー》を受け取り危ない顔でさする。

 

「では、便宜とやらは任せたぞ。いずれまたここに来るだろうからな」

「ん? おお、分かってる分かってる。さっさと行きな」

「……」

 

 けろりとした表情でしっしっと手を振るボールスに“灰”は常日頃の半眼を更に細めた。だが何も言わず、踵を返す。

 ――仮に言葉を反故にするようであれば、力で分からせてやればいい。幼女はそう判断したのだ。

 それを虫の知らせで感じ取ったのか、ぞぞぞと背筋が凍りついたボールスは平身低頭で先の態度を謝ったのであるが。

 

「すまねえ、【リトル・ルーキー】!」

 

 ボールスとの商談のようなものから少し経った別の場所では、モルド・ラトローを筆頭とした一派がベル達に頭を下げていた。

 襲いかかったにも関わらず、逆に助けられ改心した――などと言う事はなく、単純に桜花(オウカ)を見捨てようとした“灰”の話が冒険者達の間で広がった結果だ。

 “灰”(あいつ)はヤバい。強さもヤバいが価値観がヤバい。一度敵認定されたら謝るまでずっと付け狙われてボコボコにされる――尾ひれがついているがあながち間違っていない噂話を聞いたモルドは、自主的にあの時募った仲間を掻き集めて謝罪したのだ。

 無法者達なりの誠意なのか、やけに息のあった膝に手をついて頭を下げる光景に慌てるベル。その様子を遠く眺めていた“灰”は、近付いてくる三人の足音にずっと前から気付いていた。

 

「何か用か。【タケミカヅチ・ファミリア】」

 

 振り向いた“灰”は硬い表情の三人と対峙する。ヤマト・(ミコト)、ヒタチ、千草(チグサ)を背に、カシマ・桜花(オウカ)は一歩進み出て――膝をつき、両拳で地面をついて、深々と頭を下げる。

 

「――済まなかった」

 

 極東に伝わる土下座。言葉少なく、最大級の謝罪を支払った桜花(オウカ)に、“灰”はどうでも良さそうに答えた。

 

「分かった。許す」

「……いいのか?」

「良いも悪いもない。謝れば許すと言ったのは私だ。貴公も、あの者らも、もはや私の『敵』ではない」

 

 そう言って、“灰”は立ち去ろうとする。それを止めたのは、「待ってくれ」と呼び止めた桜花(オウカ)だった。

 

「何だ? カシマ・桜花(オウカ)

「……俺には、覚悟が足りなかった。あんたの【ファミリア】を切り捨てた癖に、いざ切り捨てられる側に回ったら、死にたくねえって思っちまった」

「それで?」

「あんたが、家族との別離も覚悟の上で俺を見捨てたってのは聞いている。俺も……それだけの覚悟を持つつもりだ。それをあんたに伝えたかった」

「……」

 

 桜花(オウカ)は覚悟を決めた男の目をしていた。それを眺め、面倒そうに溜息をついた“灰”は、桜花(オウカ)の後ろを顎で指し示す。

 

「貴公の覚悟は勝手だがな。それは貴公の、家族(ファミリア)が望むものなのか?」

「え……?」

桜花(オウカ)殿……」

桜花(オウカ)……」

 

 桜花(オウカ)が振り向けば、そこには悲しげな表情の(ミコト)と泣きそうな千草(チグサ)がいた。うっ、と気圧された桜花(オウカ)に、“灰”は呟く。

 

「私は私の決めた摂理で動いている。それは私のわがまま、勝手であり、他者の介在する余地がない。ただ一人、ベルを除いてはな。

 貴公はどうだ。勝手に覚悟を決められる程、人との繋がりを安く見ているとは思えないが、それでも構わないのか?」

「……すまん。俺が軽率だった」

「いえ……けれど桜花(オウカ)殿の責任は、私の責任でもあります」

「一人で、背負わないでよ……桜花(オウカ)……!」

「……本当に、すまん」

 

 暖かな家族のやり取りを“灰”は冷めた眼で眺める。手に入らぬものは、ないのと同じだ。あの場に入る事はないと不死はとうに悟っていた。

 

「……改めて、謝らせてくれ。済まなかった。そして、ありがとう。俺一人じゃ何も気付けなかった」

「礼はいらん。所詮、打算だ。ヘスティアとタケミカヅチは仲が良いからな、これからは共に探索する事もあるだろう」

「……優しいんだな、あんたは」

「? よく分からんが、貴公がそう思うなら、勝手に思えばいい」

 

 苦笑を描く桜花(オウカ)達に首を傾げて、“灰”は指先を遠くに向ける。そこにはモルド達に囲まれるベル達の姿があった。

 

「では、行くがいい。共に地上へ帰るのだろう?」

「あんたはどうするんだ」

「私は野暮用がある。先に戻らなければならない」

「……話さなくていいのか?」

地上(うえ)でたっぷり話すさ。なに、時間はある」

 

 それだけ言って“灰”は立ち去っていった。森の奥に消えていく灰髪に、残された三人は深々と頭を下げるのだった。

 

 

 

 

「神命を賜り参上した。何か用か、ウラノス」

「――ダンジョンに、私の祈祷が届かぬ存在が現れた」

「ああ、魔性(デーモン)か」

「お前が大神(ゼウス)より与えられた使命……進捗はどうなっている」

「何も変わらん。何処からか彷徨い()で、(ソウル)を喰らい色のない濃霧を発生させる。飲み込まれれば全てが消える――その存在も、記憶すらも」

「……」

「だが、今回の件で一つ分かった事がある」

「……何だ」

「やはり魔性(デーモン)は、ダンジョンに近づく程に強力になっている。此度、私が戦った「炎に潜むもの」程の魔性(デーモン)は、迷宮都市(オラリオ)の外では見なかったな」

「……そうか。ならば私より、神託を与える。

 デーモンはダンジョンではなく、だがダンジョンよりほど近い場所に()()がある。それは今も眠っているが、いずれ目を覚ますのであれば――世界は濃霧に包まれるだろう」

「そうか。であれば少し、急がねばならんな」

「……見込みはあるのか」

「何もない。だがいずれ、辿り着くだろう」

 

「望む望まざるに関わらず、その資格があるならば呑み込まれる。それが私の、使命なのだから」

 




はい、という訳で“小人の狂王”が登場しました。
出番は少ないですが、ある意味一番ダクソらしく喋るキャラだったと思います。

次回からはまた外伝の方に足を伸ばします。メレン編ですね。楽しく書けたらなーと思っています。

後はまあ、活動報告でちょっと愚痴ってると思いますので良ければ反応してやって下さい。
感想も待ってます。励みになりますので。

……巻末はいつも感想乞食しようかな(承認欲求)。

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