ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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お ま た せ


記される物語、埋もれる物語

 世の中には恐ろしいものが数多く潜んでいると、ベル・クラネルは思う。

 例えば夜。祖父を亡くし、一年近くを経てアスカも失踪した最初の夜は、不安と恐怖しかなかった。寒々しく、嫌に広く感じる家が、ベッドで眠れず震えるベルを追い立てるようであった。

 例えば怪物。ベルは小さい頃、ゴブリンに襲われた事がある。あの時は祖父が助けてくれたが、助けられるまで恐ろしい思いで胸が一杯だった。無力と絶望、それが体を支配する感覚は二度と経験したくない。

 例えばエイナ・チュール。普段は優しいハーフエルフのお姉さんだが、いざアドバイザーとして接されると泣き言を上げたくなるスパルタっぷりだ。ベルはきっとエイナに頭が上がらないだろうと、二週間程度の付き合いでも分かってしまう。

 そんな中でも一、二を争う恐ろしい事が、ベルにはある。たとえばそう――瞬きもせず無表情で、じいっと視線で攻め立ててくるアスカが、ベルにはとても恐ろしい。

 

 時刻は朝の六時。既に朝日が昇っており、鳥が朝を知らせる歌を奏でる時間帯だ。廃教会の地下室、一つっきりのベッドの前で正座するベルは、ここに在らぬ(ヘスティア)に懺悔と救援を必死に求めている。

 

(ごめんなさいごめんなさい、神様本当にごめんなさいっ! いくらヴァレンシュタインさんが綺麗だったからってアスカさんを置いて街中で逃げ出した僕が悪かったです! 本当に反省しています! 二度とあんな事はやりませんっ!

 だからお願いです神様、どうか僕を助けてください! アスカさんの怒りを鎮めてくださいっ! お願いします、お願いしますっ……!!)

「ベル。それ以上逃避を続けるなら、私にも考えがある」

「すみませんアスカさん許してくださいっ!?」

 

 どこか冷やかに落ちてくる声にベルは即行で土下座した。しおれた白い髪を振動させるベルの姿はなんとも情けない。ベッドの上で足を崩して横座りするアスカは、食べられる寸前の小動物のようなベルを銀の半眼で見下ろしている。

 

「顔を上げたまえ。その恰好は貴公も辛かろう」

「で、でも……!」

「顔を上げたまえ――私はそう言ったぞ」

「ひゃいっ!?」

 

 変わらぬ調子(トーン)のはずなのに低く押し潰すようなアスカの言葉が、ベルの上半身を強制的に跳ね上げさせる。震える子兎から一転、石像の如くガチガチに固まるベルの深紅(ルベライト)の瞳が、凍てつく太陽のような暗い銀色に縫い止められた。

 

「さて、ベル・クラネル。前々から思っていたが、貴公は少し軟弱に過ぎる。懸想の相手から逃げるような真似は特にそうだ」

「アスカさんっ!? 僕はヴァ、ヴァレンシュタインさんの事は何とも思ってないって言ったよね!?」

「御託はいい。貴公、祖父から何を教わってきた。男の心得をみっちり叩き込まれたのではなかったのか」

「そ、そうだけど……」

 

 じくじくと突き刺さる視線にベルはしおらしくなる。しゅんと肩を落とす頼りなさは覇気や精気とまるで無縁だ。これでよくダンジョンに出会いを求めて来たと言えたものだと、アスカは呆れの色を瞳に混じらせる。

 

「私は色恋を知らない。故に貴公へ根本的な助言を与える事はできない。その役目は祖父のものだった。もはや貴公の記憶にしか、男の答えはないだろう。

 だが、そのような性根では叶うべくも叶わないとは私にも分かる。貴公はもっと肝を鍛えるべきだ」

「返す言葉もありません……」

 

 背筋を丸めて小さくなるベルに透明な息をついて、アスカはベッドから立ち上がった。まだこの拷問のような時間が続くと思っていたベルは、上目づかいでアスカの動向をうかがう。

 

「ア、アスカさん……?」

「話は終わりだ。私から言う事はもう何もない。朝食にでもしよう」

「も、もう怒らないの?」

「まだ言葉で責められたいのか?」

「滅相もないです!」

 

 じろりと見下す銀の半眼にベルは反射的に土下座しそうになる。それを押し留め、身振りで立つように促したアスカは、水場に向かいながらぼそりと呟いた。

 

「体に直接教え込んだ方が骨身に沁みるだろうからな」

「えっ」

「さあ、食事は私が用意しよう。貴公はダンジョンへ行く準備でもしているといい」

「ちょ、アスカさん!? 今なんて言ったの!?」

「何でもない。ダンジョンに行けばすぐに分かる」

「それってどういう事!? ねえアスカさん、アスカさぁーんっ!?」

 

 ひどく真っ青な顔で灰髪の小人族(パルゥム)に詰め寄るベル。それを無表情で流して、アスカは粛々と食事の準備を進めるのだった。

 

 

 

 

「あなたが話に聞いたベル・クラネル氏の親族の方ですね。お名前を伺ってもいいですか?」

「名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

「は、“灰”? えーっと……ベル君?」

「あの、エイナさん。これはアスカさんの口癖みたいなもので……」

 

 ギルドの受付でベルは何度か繰り返したアスカの紹介をする。アスカは村でもこの調子だったので、横から説明を入れるのはいつもベルの役目だった。

 

「それでは、こちらが登録用紙になります。共通語は書けますか?」

「問題ない。…………これでいいか?」

「……まあ、一応問題はありませんが……本当に冒険者になるんですか?」

 

 エイナは受付台の向こう、ベルの横にいる小人族(パルゥム)へ視線を向ける。宝石のような緑の瞳に含まれるのは疑問と不安の感情だ。

 長い灰髪が特徴的なアスカはどこか威圧感のある銀の半眼を持ち合わせているものの、それ以外で強さを感じる要素はない。黒い装束のローブとスカートにしろ、赤い腕帯にしろ、どこかの祈祷者のようでとてもダンジョンに潜る恰好ではない。

 まして武器さえも持っていないとなれば、エイナが疑問を呈するのも無理からぬ事だ。まあ、ベルも似たようなものだったし、予備知識や準備なしに冒険者になる者も皆無ではない。

 けれどここまでとなると、流石に不安が打ち勝つのだが……アスカは乏しい表情とは裏腹に、確固たる意志でゆっくり頷く。

 

「ああ。ベルのいる(ところ)が、私の居場所だ。そこがダンジョンだというのなら、冒険者にもなるさ」

「……って、言ってるけど。ベル君はいいの? 家族なんでしょ? 私は正直冒険者に向いてるとは思わないんだけど……」

「大丈夫ですよ、エイナさん。こう見えてアスカさんは僕よりずっと強い人ですから」

「本当かなぁ……」

 

 アスカへの信頼に満ちたベルの笑顔をエイナは当然信じていない。強いと言っても、所詮はオラリオの外の話だ。ダンジョン内は外とは比べ物にならないくらい危険に満ち溢れている。だから外での強さは当てにならないと、エイナはよく知っていた。

 しかしエイナは真面目なギルド職員。誰であろうと最低限問題がないのであれば、冒険者として登録する義務がある。願わくは無事でいてほしいと思いつつ、手早く登録の処理を済ませてアスカに向き直った。

 

「それでは、ただ今をもちましてあなたを冒険者と認めます。改めまして迷宮都市オラリオへようこそ、アスカ氏。私達はあなたを歓迎します」

「感謝する。エイナ・チュール」

「いえいえ、これも仕事ですので。それでは引き続き冒険者として活動する上での契約内容、諸注意に移らせていただきます」

「いや、その必要はない」

 

 不安を隠しながら仕事を全うしようとするエイナの笑顔をアスカは一刀両断した。横でベルが真っ青になる中、エイナは笑顔のままひくりと口端を引きつらせる。

 

「……アスカ氏? 私の勘違いなら良いのですが、ひょっとしてダンジョンを侮ってはいませんか?」

「そうではない。一通りの知識は既に頭に入れてある。その上で私は今回、ベルの供回りをするだけだ」

 

 低く抑えられたエイナの声にアスカは無表情で対応する。答えによっては爆発する事も辞さないエイナだったが、アスカの返しに気勢を削がれる。

 

「クラネル氏の供回り、ですか? それは……」

「端的に言えば、サポーターだな。武器を持たないのもそれが理由だ」

 

 両手を広げて徒手空拳を殊更にアピールするアスカは、ベルへ視線を向けて言葉を続ける。

 

「先も言ったが、私の居場所はベルの処にある。ベルが冒険者を目指したからこそ私はオラリオにあり、ベルがダンジョンに行くなら同伴する。そう決めているのだ」

「だからサポーターとして同行するという事ですか?」

「ああ。傍で見守れればそれでいい。私が居ればベルもそう無茶をしないだろう」

「それは……私としてもありがたいですが。クラネル氏は最近調子に乗っているところもありますので」

「そ、そんな事ないですよ、エイナさん!」

「へぇ~~~?」

「えぅ……」

 

 ベルの小さな抵抗はじっとりと重いエイナの笑顔にあえなく撃沈した。朝から見せられ続ける腹の据わらないベルの様にアスカはもう何の反応も示さない。構わずエイナへ言葉を投げる。

 

「心配ならば、冒険者の心得はベルに聞いておく。冒険者になって半月ならば、初歩の初歩くらい他者に教えられるくらいにはなっている筈だ。それを確かめるためにも、貴公の親切は今回見送らせてもらおう」

「うーん……一理なくもありませんが……正直お勧めはしません。でも、クラネル氏がいつまでも単独(ソロ)というのも……本当に無茶はされないんですね?」

「勿論だ」

 

 凍える太陽のような銀の瞳をエイナは覗き見る。会ったばかりだが、嘘は言っていないようだ。家族のようだし、ベルを死なせるような真似はしないと信じられる。

 それなりに考えた末、エイナはできる限りの忠告をしてアスカの主張を許可した。最低限しかギルドの言う事を聞かない冒険者も珍しくない。エイナはアスカがベルの家族である、その一点を信じる事にした。

 こうしてベルとアスカの二人は無事にダンジョンへ潜る事になったのだが……

 

「ベル。貴公の到達階層はどこだ?」

「えーっと……五階層だよ、アスカさん」

「そうか。では六階層へ行こう」

「えっ!?」

 

 アスカは嘘は言っていなかった。ただ単純に、誰を基準にして無茶をするかしないか、言葉にしていなかっただけだ。

 ベルの性根を叩き直す気満々のアスカは、期待半分、不安半分のベルと共にダンジョンの奥へ潜っていった。

 

 

 

 

 人間の影絵のようなモンスター、『ウォーシャドウ』の鉤爪が走り抜けようとするベルを襲う。黒閃と白髪、髪の毛数本を置いてギリギリで回避された凶悪な一撃は、ダンジョンの壁をたやすく削り三本の爪痕を残す。

 『ウォーシャドウ』の動きはそれで終わった。回避と同時に振り抜かれた《ダガー》が黒い胸部を真一文字に引き裂いていたのだ。魔石を斬られた『ウォーシャドウ』はぶるりと体を液状に崩れさせ、灰となる。

 

「次だ、ベル」

「はい!」

 

 アスカの平坦な言葉に答え、休む間もなく接近するもう一体の『ウォーシャドウ』にベルは向き合う。【ステイタス】の成長により攻撃を見切る反応速度と敏捷性を得たベルは、それを存分に生かして上段と右下から交差(クロス)する黒爪を避ける。

 攻撃の隙間、『ウォーシャドウ』の左脇に滑走(スライド)したベルは、折り畳んだ脚をバネのように伸ばし刺突する。勢いの乗った《ダガー》は黒い胴体に吸い込まれ、脇腹を貫通し、ベルの腕をめり込ませながら頭部まで達した。

 そのまま液状に崩れる『ウォーシャドウ』を眺め、ベルは確かな手ごたえを感じる。強くなっている、確実に。敵を倒す達成感と力を振るう高揚感に酔いそうになる。

 けれどそれは、すぐそばで繰り広げられる一方的な戦い(ワンサイドゲーム)に呆気なく霧散した。怪物の宴(モンスター・パーティ)の如く壁から現れる数十体の『ウォーシャドウ』を、嵐のような灰色の影は難なく屠っていく。

 

 アスカの立ち回りは凡庸だ。敵の動きを読む、一対一の状況をつくる、敵を誘導する、弱点を突く。どこまでも基本に忠実な戦い方は、けれど最短最速の動きにより圧倒的な暴力を生む。

 群れる『ウォーシャドウ』の端から順に、不用意に攻撃を振った奴から急所を貫かれ倒れていく。平時とは違うアスカの赤い眼光は容赦なく黒い影たちの敵意を奪い、多対一の戦況は完全に制御(コントロール)されていた。

 

「次だ」

 

 全く動きを止めないアスカが呟くと、『ウォーシャドウ』の群れから一匹ベルへ襲い掛かる。操り人形のように敵の動きを誘導する手腕に舌を巻きながら、ベルは果敢にモンスターへ立ち向かった。

 

 どれくらい戦い続けていただろうか。『ウォーシャドウ』に加え、『コボルト』、『ゴブリン』、『フロッグ・シューター』に『ダンジョン・リザード』など、アスカとベルが応戦するルームには引っ切り無しに大量のモンスターが群がっていた。

 アスカが時折投げる青白い燐光を灯す頭蓋のような物のせいだろうか。確かめる間もなくやってくるモンスターに辟易しながら、ベルの体はきっちり《ダガー》を振るい、敵を倒していく。

 やがて「そろそろ終わりにしよう」とアスカが言い、《ダガー》を背負っていた大曲剣に持ち替える。重量と切れ味を兼ね備えた極東の一品、《ムラクモ》は神速で振るわれ、壁ごと有象無象を裂き、竜巻のような回転斬りでモンスターを一掃した。

 

「うわぁー……アスカさん、やっぱり強いや」

「この程度は当然だ。ベル、魔石を集めよう」

「う、うん」

 

 ベルの感嘆の声を適当に肯定して、アスカは倒れたモンスターの死骸から魔石を抜き取っていく。ナイフも使わず腕を突っ込んで引き抜く姿にやや引きながら、ベルもせっせと《ダガー》で肉を掘りながら魔石を回収した。

 そして大量の死骸が灰となりやっと一息ついたベルは、へとへとになりながらも膨れ上がったポーチについ頬を緩める。大半がアスカの戦果とはいえ、ここまで魔石を集められたのは初めてだ。嬉しくないはずがない。

 

「終わったか、ベル」

「うん! こんなにたくさん獲れたの初めてだよ!」

「そうか。良かったな」

 

 ベルは満面の笑顔でアスカに近づく。既に魔石を回収し、ドロップアイテムも集め終わっていたアスカはルームの中央で座っていた。指で座るよう示唆されたベルは浮かれた気分で従う。

 

「ベル。やはり貴公は冒険者に向いていない」

 

 だがベルのうわずった気持ちは、アスカの一言にあえなくしぼんでしまった。

 

「……僕、結構頑張ったと思うんだけどな……そりゃあ、アスカさんから見ればまだまだかもしれないけどさ……」

「いや、戦闘は及第点だ。初心者であるにしろ、基本をおさえ自身の特性を活かしている。最低限の知識も有し、速攻を旨とする流儀(スタイル)も付け焼き刃だが物にしている。

 力量に見合った相手と戦うのなら、何の問題もないだろう」

「ほ、本当!?」

「ああ。それは私が保証する」

 

 若干いじけた口調のベルは、アスカの偽りのない賛辞に顔を輝かせる。予想外に褒められて少し照れ臭いくらいだ。ベルは赤らむ頬をぽりぽりと掻く。

 しかしながら、当然これで終わりではない。コロコロと表情を変えるベルにアスカはずいっと顔を寄せる。鼻と鼻が触れ合う距離、驚くベルの深紅(ルベライト)の瞳に、銀の光が反射する。

 

「だからこそ、貴公の惰弱は深刻だ。力量に見合った敵は充分相手取れる。格下なら油断なくば負けはしまい。

 だが、己より格上と相対した時、貴公の惰弱は必ず敗北をもたらすだろう。必ずだ」

 

 凍てつく太陽の瞳に絡め取られ、ベルはごくりと喉を鳴らす。ダンジョンの仄暗い明かりに照らされるアスカはぞっとする程美しい。それ故に今は、その無表情が何より恐ろしい。

 

「遥か絶望とまみえる時、誰しもが恐怖を抱く。それに対し我らができるのは二つに一つ。

 超克するか、打ち砕かれるか。

 貴公は後者だ、ベル・クラネル。今のままでは貴公は恐怖に呑まれてしまう。足が竦み、剣が鈍り、致命的な隙を生む。そうなれば後には、屍を晒すのみだ。

 それをもって、私は貴公が冒険者に向かないと断言する。冒険ができないのだからな。死を前にして逃げる事しかできないのなら、端から冒険者であるべきではない」

 

 ベルは何も言い返せなかった。心の底からその通りだと、そう思えてしまったからだ。

 エイナ・チュールは『冒険者は冒険してはいけない』と言う。その意味をベルは重々承知しているし、それなりに守っている。

 一方で、アスカの言う『冒険できない者は冒険者になるべきではない』というのも真理だ。自分を超える敵に、死の危険に満ちた未知に、栄光と破滅が混在するダンジョンに挑むならば、冒険できなければ話にならない。

 ベル・クラネルは冒険者に向かない。そんな事は分かっている。『ミノタウロス』を前にして無様に逃げ惑う事しかできなかったあの日のように、強敵を前に逃亡を選ぶ自分が容易に想像できる。

 それでもベルは――諦める事ができなかった。瞳の奥、まぶたの裏に焼きついたあの憧憬が、ベルの心に止まる事を許さなかった。

 ベルはアスカを強く見返す。怯えの灯る瞳には、けれど決して諦念はない。弱弱しくとも意志を宿す深紅(ルベライト)の輝きに、アスカは眩しそうに眼を細め、立ち上がった。

 

「立て。稽古をつけてやる」

「え?」

「どうせ、諦めなどしないのだろう? 貴公は軟弱だが、意志を曲げない頑固さもある。言って聞くような男ではないと私は知っている。

 だから鍛錬を施そう。せめて貴公が、最後までその意志を通せるようにな」

「アスカさん……! はい、お願いします!」

 

 アスカの好意にやる気を奮い立たせたベルは、急いで場所の準備をする。回収した魔石とドロップアイテムを端に寄せ、活力がみなぎった表情で《ダガー》を取り出す。

 そこでふと、疑問に思った。アスカはどんな稽古をつけてくれるのだろうか。そう思って目を向けると、アスカは丁度ルームの壁を一面破壊し終わったところだった。

 ベルはその意味が分からなかったが、モンスターが湧かないようにするためだと教えられる。納得した表情を浮かべるベルに――アスカは抜身の《ムラクモ》を向けた。

 

「……えっ」

「ベル。恐怖を克服する手段は本人の意志に起因する部分が多い。だが、外部から強制的に克服させる方法がないわけでもない。

 例えばそう――死の危険にさらされ続ければ、否が応でも恐怖は薄れる。生き残ろうと必死になる。その感覚を忘れなければ、恐怖を乗り越える引鉄(トリガー)を得られる。

 貴公もきっと、そうだろう? なあ、ベル・クラネル」

「ま、まさか……!?」

「それでは、始めるとしよう。死力を尽くして生を掴め」

「ちょっ、待っ、待って!? 待ってよアスカさぁああああんっ!?」

「待ったは無しだ」

 

 日頃と変わらない平坦な言葉に、ベルは血の気が引くほど明確に察した。先程見たモンスターを蹴散らした暴虐の嵐――それが自分に向けられるのだと、否が応にも理解せざるを得なかった。

 その日、ダンジョンの上層に、非常に情けない子兎の悲鳴が響き渡ったという。

 

 

 

 

 次の日もベルとアスカはダンジョンに潜っていた。

 場所は変わらず六階層。『誘い頭蓋』でモンスターを集め、《赤眼の指輪》と《頭蓋の指輪》を装備したアスカが敵を引きつける。そこから敵の動きを調整し、ベルへ一体ずつ送り出して戦わせるという手順だ。

 数時間ほどそれを繰り返し、終わればドロップアイテムを回収、そしてアスカの猛攻からベルが必死に逃げ回る稽古に移る。

 今日もそのつもりだったが、ドロップアイテムを回収している途中、ダンジョンの奥が妙に騒がしくなる。アスカとベルが目を向けると、巨大なカーゴを()く装備の良い冒険者の姿が通路に見えた。

 

「ふむ、【ガネーシャ・ファミリア】か」

「アスカさん、知ってるの?」

「いや、あの冒険者たちは知らん。だがあの像の顔のエンブレムには見覚えがある。そして牽いているカーゴの中身はモンスターだろう。だから【ガネーシャ・ファミリア】と判断した」

「えっ、モンスター!?」

「そうだ。おおかた怪物祭(モンスターフィリア)の準備と言ったところか。貴公も知っているだろう?」

「怪物祭……あーうん、その……」

「……知らないのだな。オラリオにありながら無知に過ぎるぞ、貴公」

「……ごめんなさい……」

 

 しょんぼりと肩を落とすベルに嘆息して、アスカは軽く説明する。

 怪物祭とは【ガネーシャ・ファミリア】が主催するオラリオの大きな催しの一つ。ダンジョンから連れてきたモンスターを民衆の前で調教(テイム)する、一種の見世物だ。

 これにベルはひどく驚いていたが、モンスターが調教できること自体知らなかった故だろう。予想以上に世間を知らないベルに、一度教育を施すべきかとアスカは頭のどこかで思案する。

 しかしそれもすぐに打ち切って、真横にして背負っていた《グレートソード》をソウルに溶かした。

 

「【ガネーシャ・ファミリア】がいるとなると稽古をつけるのも難しい。連中の邪魔をするのは気が引ける。今日はここまでにしよう」

「そうだね……アスカさんのやり方だと階層中を走り回らないと僕死んじゃうし……というか、昨日結構な冒険者の人に見られてたけど大丈夫かな……?」

「問題ないだろう。ダンジョンは誰のものでもない」

 

 昨日追いかけ回された恐怖を思い出してぶるりと震えるベルに、不都合はないとアスカは言い切る。「本当かなぁ」と不安顔のベルを連れて、二人は【ガネーシャ・ファミリア】の邪魔をしないようダンジョンの外を目指した。

 

「それにしても、アスカさんはすごいね」

「何がだ?」

「強いところだよ。アスカさんは僕なんかよりずっと強い。強くて、綺麗で、かっこよくて……僕もそうなれるかなぁ」

 

 帰路を辿る道中、ふいにベルがそんな事を言う。反応を示したアスカは、独り言のようなベルの言葉にしばし黙考して、銀の半眼を虚空に向ける。

 

「その評価が私に当て嵌まるとは思えない。少なくともベル、貴公の目指す先に私がありはしないだろう」

「え? そんな事ないよ。アスカさんはそう……たとえるなら物語の英雄みたいにすごいじゃない」

「……英雄、か」

 

 そう呟いて、アスカは黙りこくる。声の途切れた灰髪を揺らす小人族(パルゥム)に疑問を持ったのか、「アスカさん?」と確認するようなベルの言葉が降ってくる。

 虚空を眺めていたアスカは、在りし日の記憶を思考の海に閉じ込めて、少し眉根を下げてからゆらりと光る暗い銀色をベルに向けた。

 

「私をそう呼んでくれるな、ベル。その称号こそ、私から最も遠い。そう呼ばれるのは、少し困る」

「困る? アスカさんがそういうなら、僕ももう言わないけど……なんで困るの?」

「不相応な肩書きほど、扱いに(きゅう)するものはない。貴公とて、脈絡なく身の丈に合わない境遇に置かれては辛かろう。

 仮に私やヘスティアが貴公を『ご主人様』と呼び、奴隷の如く振る舞い始めたらどう思う?」

「それは……すっごく困るね。アスカさんにも神様にも、そんな真似はとてもさせられないよ」

「そういう事だ」

 

 奉仕される場面を想像したのか微妙に顔を赤くしてベルは困った顔をする。「何か煙に巻かれた気がする……」と首を傾げる家族を一瞥して、アスカは地上へ続く螺旋階段を登る。ベルは少し慌てて続いた。

 二人は他愛ない話をしながらバベルを出て、戦利品の換金のためにギルドへ向かった。昨日は数万ヴァリスにも及ぶ稼ぎを叩き出したため、何気に換金が楽しみなベルである。九割方アスカのおかげなので、貯蓄に回しているけれど。

 ギルドに到着した二人は、早速換金所へ足を運ぼうとした。けれど朗らかに会話する二人の前に、一人のハーフエルフが立ち塞がる。ベルはその姿を目にした瞬間硬直し、アスカは平素の表情で疑問符を浮かべた。

 そしてギルドのロビーに設けられた一室で、怒髪天を衝くエイナの前に二人は仲良く正座していた。

 

「……昨日ね、六階層でやたらモンスターを集める二人組がいたんだって。あんまりにも数が多くて他の冒険者は近づけなかったって苦情が殺到したんだよ、びっくりだよね。

 それにね、こっちも二人組なんだけど六階層を暴れながら走り回った冒険者がいたんだって。それがなんと、白髪で赤目の少年と、長い灰色の髪をした小人族(パルゥム)らしいんだー。

 …………アスカさん? これは一体どういう事かなぁ~~~?」

 

 笑顔の裏に抑えきれない激情を蠢かせるエイナに、アスカは能面のような顔で思考する。どうやら大丈夫ではなかったようだ。失敗したな、と適当な反省をして、アスカはこめかみをぴくぴくと脈打たせるエイナに暗い銀の瞳を向ける。

 

「どうもこうもない。ベルを教育するのに最善と判断した手段を行使しただけだ。私に疚しい処はない」

「~~~っ! きぃみぃはぁっ! よくもそんな罪悪感のない顔で潔白を主張できるねぇっ!? あなたを信じた私が馬鹿だったよっ!」

 

 一貫したアスカの無表情に言葉遣いの崩れたエイナの雷が落ちる。蒼白を通り越して真っ白になりかけているベルは、ぶるぶると体を震わせるばかりだ。しかし落とされた当の本人は堪えた様子もなく、平然と言葉を返す。

 

「信じてもらう必要を感じなかったからな。適当にはぐらかさせてもらった」

「ふざけないでっ! ダンジョンでは命が懸かってるんだよっ!? こんな真似して、あなたもベル君も死んだらどうするのっ!」

「懸念は理解できる。だが、そこまで私の行動を知っているのなら逆もまた然りだ。

 私は多数のモンスターを相手取って生き残る程度の事はできる。当然、ベルを守りながらだ。貴公は私が極めて危険な行為をしたと思っているようだが、今回ほどベルの安全が確立された状況もない。

 少なくとも、ベルが単独(ソロ)で潜っていた頃よりはずっと命の保証がされていたと自負している」

「だからって危険を冒していいわけないでしょ!? 冒険して命を落とした冒険者がどれだけいると思ってるの!!

 とにかく、あなたの勝手な行動はこれ以上許しません! また今回のような事があれば最悪、ペナルティとして冒険者資格の停止も検討します! いいですね!?」

「そうか。どうやら貴公とは見解が異なるようだ。ならば話は終わりだな、エイナ・チュール」

 

 立ち上がってテーブルを叩くエイナの激昂もどこ吹く風と、アスカは立ち去る素振りを見せる。その前にエイナとアスカの間でおろおろと視線をさまよわせるベルに言葉を向けた。

 

「ベル。また私の訓導を受けたければ言うがいい。私はいつでも引き受けよう」

「アスカさん、話を聞いてたのっ!? 勝手な真似は許さないとっ……」

「――話は終わりだと言った筈だ。エイナ・チュール」

 

 暗い銀の眼光が、一瞬でエイナを貫いた。冒険者思いで有名なハーフエルフは、何の感情もなくひたすらに重いアスカの眼に硬直し、言葉を詰まらせる。

 

「不毛な問答は好まない。簡潔に、貴公に対する私の認識を言おう。

 エイナ・チュール。貴公はベル・クラネルに必要ない」

「なっ……!?」

 

 アスカの容赦のない言葉にエイナは絶句する。不満や憤りが全身に駆け巡り、表情に如実に表れる。

 けれど開きかかった口から反論が飛び出る事はなかった。凍てついた太陽のような、虚偽のない暗い瞳が、それを許さなかった。

 

「貴公はただのギルド職員でしかない。できる事はせいぜい担当官(アドバイザー)くらいだろう。それは私でも担える役目だ。貴公の務めは、わざわざ貴公に全うして貰うまでもない。

 私はダンジョンでベルを守れる。必要なら教育も施してやれる。ギルドに蓄積された知識程度なら、既に頭に入っている。

 故にエイナ・チュール。貴公はベルに必要ない。もはや毒にも薬にもならず、まして私の邪魔をするのなら、薬ではなく毒に傾く。

 そして邪魔立てする者に、私は決して容赦しない」

 

 エイナの緑玉色(エメラルド)の瞳が、“灰”の暗い銀に汚染される。光を吸い、ただただ暗く、底無しの(うろ)を見せつける双眸が、エイナの意識を闇に引きずり込んでいく。

 ()()()()()()――大量に発汗し風鳴りのような呼吸を繰り返すエイナは、僅かに残った理性でそう思うしかなかった。喉から出てくれない言葉も、狂瀾(きょうらん)し荒れた心も、全てが闇に溶けていく。

 

「――アスカさんっ!!」

 

 それを(すんで)の所で押し留めたのは、悲鳴にも似たベルの声だった。アスカとエイナが同時に顔をベルに合わせると、臆病な彼はびくりと体を硬直させる。

 けれどそこで止まりはせず、半ば涙目になりながらも、懸命にアスカへ訴えた。

 

「あ、あのっ……エイナさんは、僕のアドバイザーでっ……その、一か月も経ってないけど、初心者の僕にすごく優しくしてくれてっ……厳しい所もあるけど、それで生き残れた事もあってっ……とっても、とっても助かったんです……!

 エイナさんに会えて、僕、嬉しかった……! 最初にギルドで会えた職員の人がエイナさんで良かったって、心から思ってます……!

 だから……だから、その……け、喧嘩はっ、しないでっ、くださいっ……!」

 

 凍てついた銀を湛えるアスカの瞳に、ベルは真っ向から向き合った。臆病で、惰弱で、けれど心に折れない芯を持つベル・クラネル。人間らしい弱い心と真っ新な思いを抱くその表情に、アスカは静かに、瞳に渦巻かせていた暗い何かを奥底へと沈ませる。

 

「……そうだな。私が浅慮だった。エイナ・チュールを必要とするかどうかは、貴公が決めるべきだ。口を出すのも、本来なら(はばか)られる」

 

 発していた威圧感を霧散させたアスカは、エイナに深々と頭を下げる。動悸を抑えようとするエイナは困惑するが構わず、アスカは静かな鐘のように言葉を紡ぐ。

 

「非礼を詫びよう、エイナ・チュール。すまなかった。私には過ぎた物言いだった」

「えっ……あの、えっと……」

「とはいえ、すぐには受け入れられまい。私は貴公を否定したのだからな。

 日を改めて、もう一度謝罪する。故にこの場は引き下がらせてもらおう」

 

 無表情のアスカは呆然とするエイナにそれだけ言ってギルドの入口へ足を向ける。その前に一言だけ声を零した。

 

「選びたまえよ、ベル。せめて、悔いのないように」

 

 言うだけ言って、アスカは遠ざかっていく。髪飾りの光る灰髪を揺らして外へ消えていく小人族(パルゥム)を見送って、ハッとしたベルは慌ててエイナへ頭を下げた。

 

「す、すいませんすいません、エイナさんっ!? アスカさんは悪い人じゃないんですけど、時々ちょっと過激になる所があるって言うかっ!? 家族想いなんですけど、度が過ぎる時があるだけなんですっ!!」

「……あ~、うん。分かった、分かったからベル君、そんな申し訳なさそうにしないで」

 

 テーブルに額を擦りつけんばかりに上半身を落とすベルに、心に溜まった鬱憤をとりあえずしまってエイナは苦笑する。あの失礼な小人族(パルゥム)はともかく、ベルが悪くないのは明白なのだから。

 謝罪を重ねようとするベルを宥めたエイナは、立場が逆じゃないかと思いつつアスカが去っていったギルドの入り口を眺めた。もう姿の見えない灰髪の後ろ姿を幻視して、疲れたようにため息をつく。

 

「それにしても……あんな子だったなんて思わなかった。昨日会った時は多少変だとは感じたけど、まともそうに見えたのに」

「アスカさんは……すいません、僕も正直分からない所が多くて。人にあんな態度取った所も初めて見ましたし……」

「そうなの? でも、ベル君の家族なんでしょ?」

「血は繋がってないですけどね。僕が小さい頃、お祖父ちゃんが連れてきたのがアスカさんで……村で暮らしていた頃は、あまりしゃべらない人でした。代わりに魔物とか動物とかにはほんとに容赦がなくて、行動で示す人って感じでしたね。

 ……あんな風なアスカさんを見たのは、オラリオに来てからです。きっと僕の事をお祖父ちゃんに頼まれたから、そうなったと思います……」

 

 ベルはその辺りで急に静かになる。疑問に思ったエイナが顔を向ければ、郷愁の念を漂わせる悲しげなベルの顔が瞳に映った。さみしそうにするベルに、エイナは何も言えなかった。

 少し居た堪れなくなったエイナは、ふとギルドの受付に視線を投げる。昨日登録したばかりのアスカの登録書は、まだエイナの机に残っている。

 ベルと同じ身元と出身地、ファミリア、そして“灰”と記された名前以外空欄の羊皮紙。年齢すらも書かれていない一枚の登録書が、先程のアスカの態度も相まって嫌にエイナの猜疑心を刺激する。

 

(あの子の事……少し、探ってみようかな)

 

 ベルの家族という事以外、何者なのか分からない人物。あまりいい成果は出せないだろうが、エイナはアスカについて調べようと心に決めた。

 

 

 

 

 ギルドを出たアスカはすぐさま裏路地へ身を隠した。小奇麗な身なりと容姿の都合、アスカはそれなりに目立つ。だから人気のない場所へ行き、人目の途切れた瞬間、《静かに眠る竜印の指輪》と《佇む竜印の指輪》を装備し、【見えない体】を発動させる。

 そして誰にも悟られる事なく悠々とギルドに戻り、受付の奥へと歩を進めた。並べられた職員の仕事机や厳重な警備の置かれた金庫室、重要書類の眠る書庫を通り過ぎ、神聖さを徐々に滲ませる暗がりへと突き進む。

 やがて最奥に辿り着き、地下へと続く階段を降りるアスカは、指輪と魔法を解除し――凍てついた太陽のような瞳を睫毛に隠す“灰”となって、『祈禱(きとう)の間』へと足を踏み入れた。

 

「――来たか、“灰”」

 

 重く鳴り渡る声に四(きょ)の松明の一つがバチリと火の粉を跳ね上げる。不死たる“灰”にはありふれた、その小さな身の裡に今も爆ぜる、火に()べられた薪の割れる音だ。

 それ故か、ここは何処か記憶に重なる。不死の旅路に常にあった『篝火』と似ているからか――それとも、『大神』と称されるギルドの『真の主』、ウラノスが眼前に孤坐するせいか。

 脳を駆ける既視感への薄い興味を捨てた“灰”は、臆せずウラノスを銀の半眼に映す。

 

「例の“新種のモンスター”について、何か情報は掴めたか?」

「ああ。フェルズがやってくれた。仔細に興味があればあやつから聞くがよい」

「いや、いい。迷宮都市(オラリオ)の底で何が蠢こうと、私には興味がない。

 必要なのは、使命だけだ」

「そうか……では、新たな使命を命じる」

 

 見上げる“灰”を見下ろして、ウラノスは厳かに天命を告げる。

 

「オラリオの地下水路を調査せよ。フェルズの予想が正しければ、そこに痕跡が残っている筈だ」

「その使命、承った。他に用はあるか?」

「フェルズが会いたがっていた。戻るまで待っていてくれ」

「了解した」

 

 会話を終えた“灰”はウラノスの前で《螺旋の大剣》を取り出す。黒い燃え殻の痕が残る螺旋状の大剣を地面に刺し、左の掌から火を注ぐ。骨灰が何処からともなく吹き溜まり、『篝火』に火を灯した“灰”は、その場に腰を降ろした。

 四炬の松明と『篝火』が炎の猛る音を散らす。ダンジョンへ祈禱を捧げるウラノスは、静謐な瞳で『篝火』に座る“灰”を見下ろす。

 不死にとって『篝火』とはある種『祈禱』にも似ているという。先も見えず敵を屠り、殺され続ける不死にとって、それは故郷に似て、また束の間の休息なのだ。故にこそ、祈る神の在る不死はそこに祈禱を見出す。

 あいにく“灰”に祈る神はいないようだが、この『祈禱の間』において『篝火』を灯す以上に“灰”が示せる祈りはない。これが“灰”のできる唯一の祈りの形なのだと、ウラノスは感じ取っていた。

 

「……“灰”、待たせたか」

 

 しばらくして、階段とは別の隠し扉から黒衣の人物が『祈禱の間』に現れる。深く被ったフードの奥に白骨の体を隠す、愚者(フェルズ)を名乗る『賢者』の成れ果てだ。

 

「用は何だ、フェルズ」

「前回の報告で【ロキ・ファミリア】と接触したと聞いた。その後、彼らのホームに招かれたとも。どこまで話したか、教えてほしい」

 

 どこか固い口調で尋ねるフェルズに、“灰”はすぐには答えなかった。やってきたフェルズに目もくれず、炎の揺れる篝火をただ見つめている。火に(あぶ)られた薪が少し崩れ、バチリと火花を散らしてから、“灰”はようやく口を開く。

 

「私の素性、私の目的、その二つを彼らに話した。証明のために当時受けていなかった恩恵のない背を見せ、“ソウルの業”を実演した。示したのはそれだけだ」

「そうか……依頼については話していないのか」

「ああ。【ロキ・ファミリア】は私自身に気を取られてなぜ『深層』にいたのかを失念しているようだ。いずれそこに疑念を覚えるだろうが、すぐにではない。

 【ロキ・ファミリア】に関しては、私が今しばらくの餌になるだろう」

「分かった、頭に入れておこう」

 

 フェルズが頷くようにフードを揺らし、沈黙が場を支配する。篝火に白い顔を照らされる“灰”は、変わらず銀の半眼に揺れる炎を反射させ、そのまま静かに言葉を落とす。

 

「用はそれで終わりか、フェルズ」

「いや…………“灰”、今日はまだ時間はあるか?」

「ああ。夜にはホームに戻るが、それまでなら此処に居てもいい」

「それじゃあ、少し付き合ってくれ。……そろそろ私も、君について知っておきたい」

 

 纏う空気を崩さずに、フェルズは“灰”へ言葉を落とす。幼い少女の成りをした“灰”は、感情の抜け落ちた表情で篝火を眺めながら唇を動かす。

 

「貴公は私を嫌っているものと思っていたが」

「嫌ってはいないさ。得体が知れなかったから警戒していただけだ。私が言えた義理ではないがね。だが今は、それ以上に君という『未知』に興味がある。

 ウラノスから聞いた話だけでは物足りないんだ。特に君の扱う【魔術】には強く惹かれる。一魔術師(メイジ)として、君に教えを乞いたい。どうだ?」

 

 フェルズの要望に“灰”は少し口を閉ざした。篝火を眺め、記憶を反芻し、身じろぎをする。

 

「今は私も主神を崇める身だ。語れる事は多くない。まして【魔術】に関しては私の安全のため口止めもされている。現状では一端すら教えられない。

 故に私がヘスティアから、信用できる者に情報を開示する許可を得るまで待ちたまえ。我が主神は寛容だ、そう遠くない内に貴公の望みは叶えられるだろう」

「そうか……! それは楽しみだ! 君が魅せてくれた“ソウルの業”も充分に私の好奇心を刺激してくれたが、君の【魔術】はそれ以上だ!

 ふふふっ――竜の二相、黄金の魔術、結晶の秘法……! ああ、耳に挟んだ僅かな単語でさえ私の心を捉えて離さない……! 【魔術】はきっと、私が想像もし得なかった新たな世界を見せてくれるだろう!

 ふふっ、ふははっ、ふははははははっ!! ――――ハッ!?」

 

 いつの間にか両手を広げて高笑いを繰り広げていたフェルズは、突き刺さる一柱と一人の視線に骨の体を硬直させる。

 ウラノスは何も言わなかった。相変わらず厳然と神座に坐し、全くもって真面目な顔でフェルズを見下ろしている。“灰”は半分降りたまぶたの下で銀の瞳を冷たく光らせ、篝火から眼を離し無感動にフェルズを見上げている。

 失笑も苦笑もなく、至って真剣に眺めてくる両者にフェルズはゆっくりと両手で顔を覆い、深々と崩れ落ちた。

 

「…………いっそ笑ってくれ。あるいは道化のように扱ってくれ。こんな空気に私は耐えられない…………」

「何か笑う要素があったか? 私には分からない」

「フェルズよ、お前の性格は重々承知している。未知の魔法を持つ者が目の前に居るのだ、少しばかり感情的になるのも致し方あるまい」

「……君たちが人を笑うような神や人でない事は分かっていたが……今ばかりはそれが恨めしい……」

 

 団子のように丸まったフェルズは、巷で通り名となっている《幽霊(ゴースト)》のように力なく(ささや)いた。

 

 

 

 

 あれからフェルズが立ち直れなかったため、“灰”はウラノスとの会合を早々に切り上げた。元々は大神(ゼウス)に与えられた最後の使命の一つだ。優先度は三番目といったところである。

 ギルドの奥からロビーに戻った“灰”はベルがまだエイナと共に居るのを確認すると、一旦ギルドから出て適当な裏路地で《見えない体》を解除し、ギルド入口付近の壁に背中を預ける。

 その内ベルが出てくるだろうと、入り口で待ちの姿勢を見せる“灰”は当然と言うべきか出入りする人間によく目立つ。特にベルと同じ新人冒険者(ルーキー)や下級冒険者は露骨に白い目を向けてきた。

 昨日今日と六階層のモンスターを一ヶ所に集め独占したのだ。その上昨日は六層中を暴れながら駆け回った。冒険者(どうぎょうしゃ)にすればいい迷惑だろう。ギルドにも報告が多数いっているようだ。以降も同じ事を繰り返せば動き辛くなるのは容易に想像できる。

 予想はできた事だ。しかし“灰”が【経験値】稼ぎ(パワーレベリング)を敢行しない理由にはならなかった。世間体など“灰”が気にした事はなく、まして不死たる“灰”が稼ぎに効率を求めない筈がないのだ。

 欲するならば奪い尽くす。不死とは得てしてそういうものである。

 

(とはいえ、これ以上続けるのも無理があるか。必要以上に害意を集めるのも面倒だ。ベルが上層深部に至るまでは、適切な方法に切り替えよう)

 

 数の暴力や不利な状況を体感できないデメリットもあるしな、と“灰”が考えていると、白い髪がギルド入口からひょっこりと顔を覗かせる。深紅(ルベライト)の瞳をきょろきょろと動かして“灰”を発見したベルは、嬉しいような気まずいような複雑な表情を見せた。

 

「アスカさん……」

「エイナ・チュールとの話は終わったか? ベル」

「う、うん、一応はね……アスカさんが入口で待ってるって聞いたから、エイナさんが気を利かせてくれたんだ」

「そうか」

 

 一つ返事をして黙するアスカに、ベルは会話が続けられず狼狽し、心苦しくなる。エイナの名を出しても無反応という事は、数時間前のアスカの台詞は紛れもない本心という事だ。それがベルには心苦しく、とても悲しい。

 吹雪の山の銀月のようなアスカの冷淡さと苛烈さを肌で感じたのはオラリオに来てからだ。村ではあまり喋らず、行動によって心を示していたアスカには、けれど暖かな人間味があった。

 しかし今は、どうだろう。アスカの知らなかった一面を見て、距離が空いてしまったようだ。すぐそばに居るのにアスカが遠くにいるようで、ベルにはとても切なかった。

 

「どうかしたのか?」

「……何でもないよ、アスカさん」

「それならばいい。帰るか、ベル」

「うん……」

 

 ベルの胸中を知ってか知らずか、アスカはトコトコと歩き出す。その後ろ姿をベルは黙って追いかける。

 ひとしきり、喧騒だけが二人を包む。すれ違う亜人たちの笑い声、活きの良い店番の呼びかけ、オラリオの過ぎ去る今が遠い黄昏に消えていく。

 落ちる夕日に焼かれながら、アスカとベルはメインストリートを外れて廃屋の目立つ方面へと歩を進めた。人気がまばらになるこの辺りで、ベルは意を決してアスカに話しかける。

 

「あの、アスカさん……エイナさんの事なんだけど……」

 

 消え入りそうな呟きにアスカはぴたりと立ち止まった。赤く照らされる灰髪が揺らめき、銀の半眼がベルを捉える。灰の睫毛に隠された瞳の暗さに竦みながら、ベルは決して視線を切らない。

 

「ベル。貴公はどうしたい?」

「……僕?」

「ああ。貴公が何を望むのか、それが最も大切な事だ」

 

 どこか観察するような目つきのアスカは狭い歩幅でベルに近づく。ギルドの支給品の部分鎧を纏っただけのベルの、腹のあたりまでしかない身長のアスカは自然とベルを見上げる形になる。

 

「エイナ・チュールを優先するのか、私を優先するのか。あるいは貴公の意志を優先するのか。何でもいいが、選ぶのは貴公の意志でなければならない。

 ベル。私は今も貴公にエイナ・チュールは必要ないと考えている。アドバイザーの務めなら私でも果たせる、貴公を心配し待つ者ならヘスティアがいれば事足りる。

 だからエイナ・チュールは必要ない。心無い意見であるとは自覚しているがな」

「……僕も、アスカさんのそういうところは、その……」

「嫌いなのだろう? 分かっている。貴公は優しい男だ。無意味に他人を貶め、敵を作ろうとする私を受け入れられないのも仕方ない。

 だからこそ、貴公が選ばねばならないのだ。私か、エイナ・チュールか。関係が円滑でないのなら、切り捨てるのも一つの選択たりうる」

「……僕には、できないよ……」

 

 アスカを見下ろすように俯くベルの、肉刺(まめ)の目立つ拳が強く握られる。悲痛に歪むベルの顔から、嘆きのように言葉が吐き出される。

 

「どっちかを選ぶなんて、僕にはできない……! アスカさんも、エイナさんも、大事な人なんだ! だから切り捨てるなんて、そんな悲しい事言わないでよ!」

「どちらも選ぶ、という事か。強欲だな、貴公」

 

 感情を高ぶらせているせいか、涙を溜めるベルにアスカは深く瞬きをし、柔らかに相貌を崩した。

 

「分かった。貴公がそれを望むなら、私もエイナ・チュールとの関係の改善を目指そう。

 必要ないなどとはもう言うまい。貴公の大事な人というのなら、私にとってもそれと同義だ」

「……ごめん、アスカさん……」

「謝るな。我らは、家族だろう。本音を語り明かさずしてどうする」

「……うん……ありがとう……」

 

 押し寄せる感情に耐えきれなくなったのか、頭を落とすベルの瞳から涙があふれた。頬を通じ地面に引かれる涙の糸に、アスカは「しょうがない子だ」と嘆息と笑みを零して、ベルの頭に精一杯両手を伸ばし、抱き寄せる。

 

「全く……私が悪いとはいえ、泣いてしまうとはな。貴公は本当に涙脆い」

「だって……だってっ……アスカさんが知らない人みたいで、遠くに行っちゃうんじゃないかってっ……またいなくなっちゃうんじゃないかって、そんな気がしたからっ……!」

「……そうだったな。家族に置いていかれる痛みは、人一倍分かっていたな。すまない、ベル。

 私はどこにも行かないよ。貴公と私は、家族だ。貴公の知る私も、知らない私も、いつかきちんと話そう。ずっと最後、死が我らを分かつまで、貴公と共にいられるように。

 私とベルの、約束だ」

「うんっ……うんっ……」

 

 膝を崩して寄りかかるベルを受け止めて、アスカは首元を抱いて背中を撫でる。日が落ちて魔石灯が明るく光る中、ベルが泣き止むまでアスカはそうしていた。

 やがて泣き止んだベルは、みっともなく泣いてしまった羞恥心で赤くなりながら、アスカが差し出したハンカチを受け取る。

 

「ご、ごめん、アスカさん……服汚しちゃって……」

「気にするな。この程度の汚れならすぐにソウルへ溶けてなくなる」

 

 ベルの涙やら何やらで汚れたアスカの服は、話している間にも汚れが徐々に消えていく。ベルが確認した時にはもうほとんど残ってなかった汚れに、ベルは何度目かも分からない感嘆の息をついた。

 

「ほんとすごいよね……アスカさんの“ソウルの業”って」

 

 ベルがそう呟いた瞬間、柔らかかったアスカの雰囲気が一気に冷たくなる。じろりと空を切る銀の瞳がベルの肩を跳ね上げさせた。アスカは爪先立ちをして、軽い手刀をベルの頭に落とす。

 

「あぅ……」

「ベル。みだりにその呼称を口にするなと教えなかったか?」

「ごめんなさい……」

 

 痛くないが心に重くのしかかる一撃にベルは消沈する。アスカは軽く息をつき、念を押すように説明する。

 

「私の力が知れ渡ればよからぬ連中の興味を惹く。私は頓着しないが、ヘスティアは危険と判断した。だから広まらぬよう私に強く言い含めたのだ。

 共にダンジョンに潜る手前、貴公に話さないわけにはいかなかったがな。貴公は嘘をつけん。故にせめても、自分から口にしてはならない。我らの安寧のために、それがヘスティアの神意なのだから」

「うん……気を付けるよ。神様が僕達を心配して言ってくれたんだよね」

「そうだ。……それにしても、ヘスティアは何をしているのだろうな」

「昨日も帰ってこなかったし……でも、今日はもうホームに戻ってるかも」

「なら、少し急ぐか」

 

 話しながら、二人は帰路を消化する。地平線を照らす朱色の輝きはもう完全に消えて、星の輝く夜空に月が昇る。時折星を眺めながら歩いていると、不意にベルが挙動不審になった。キョロキョロと周りを見渡すベルに、不審に思ったアスカが尋ねる。

 

「どうかしたのか?」

「……嫌な視線を感じたんだけど……」

「視線? 私は特に感じなかったが」

「……気のせいかな。最近、誰かに見られてる気がするんだ……」

 

 ベルの言葉にアスカは周囲を見渡す。が、廃墟に潜む幾ばかの生命の気配しか感じ取れなかった。アスカはわざとらしく肩をすくめて、ベルの背中を叩く。

 

「周囲にそれらしい者はいない。ならば、気にしても仕方ない。ホームへ帰ろう」

「……そうだね」

 

 メインストリートを外れたやや暗い夜道を二人は歩く。そんな彼らを見下ろすように、バベルは高々と突き立っていた。

 

 

 

 

 翌日。オラリオは非常に大きな活気に満ちていた。

 怪物祭(モンスターフィリア)。【ガネーシャ・ファミリア】が主催する、冒険者がモンスターを調教する姿を公の場で見られる数少ない機会の一つ。

 普段見る事のないモンスターとそれに立ち向かう冒険者の姿を一目見ようと、都市内外から多くの人間、亜人が参加する怪物祭は、オラリオの空気を普段以上に熱くしていた。

 そんな喧騒と熱気に包まれた祭り一色の東のメインストリートを、フレイヤは大通りに面する喫茶店の二階から眺めていた。

 全身をゆったりとした紺色のローブで隠しているにも関わらず、隠しきれない『美』によって店内の視線を一身に集める女神は、通りを埋め尽くす下界の子供たちを一つ一つ丹念に観察している。

 そうしていると、不意に、がたりと。窓際の四人席に座っていたフレイヤの正面に、誰かが現れた気配があった。

 

「……ロキ? 挨拶もなしに座るなんて、貴方らしく……」

 

 通りから目を離したフレイヤの言葉は、途中で途切れてしまう。目の前に座った存在がどうしてここにいるのか、一瞬分からなかったからだ。

 全身を黒金糸の衣装で包んだ小人族(パルゥム)。炎によれ、見るからに古ぼけたそれは、どこか火の揺らめきに近い神聖さを有している。フレイヤをして少し目を瞠るくらい、その衣装は奇妙であり貴重であった。

 

「――私の家族に、無遠慮な視線を投げかける者がいる」

 

 だがそれは、その衣装に包まれた小人族(パルゥム)の『魂の色』によって完全に掻き消されている。黒金糸のフードの奥、深く被った薄闇の中から、暗い銀の眼光はいっそ禍々しいまでにフレイヤを貫いていた。

 その凍てついた太陽のような瞳に当てられて、けれどフレイヤは抱擁する女神のように極上の笑みを浮かべる。

 

「そう。それが私と何か関係があるのかしら?」

「とぼけるな。貴公だろう、フレイヤ」

「ふふふっ。子供たちに呼び捨てにされるなんて久しぶりね」

 

 バチリと、何かが爆ぜる音が聞こえる。魔窟の底の闇のようなフードの奥から放たれる暗い声色に、フレイヤの唇は楽しげに弧を描く。

 同性でさえ見惚れてしまう女神の微笑みは、だが不死たる“灰”には通用しない。

 

「目的は何だ。なぜ私の家族を観察するような真似をする」

「あら、分からない? 女が男を目で追いかけるなんて、とてもありふれた事だと思うのだけど」

「……そうか。貴公は『美の女神』だったな」

 

 擦り鳴らされる古い鐘のような声に、フレイヤは正解とばかりに目元を緩ませる。同時に、“灰”からごく密やかに滲み出ていた熱が消える。

 それに気付いたのはフレイヤだけだ。店内にいた他の客たちは少しばかり冷えた空気に肌を無意識に擦る程度だった。

 

「それならばいい。邪魔をしたな」

「あら、もう帰るの?」

「ああ。もう用はない」

 

 言い捨てて、“灰”は無表情に立ち上がる素振りを見せた。きょとんと小首を傾げるフレイヤが尋ねると、素っ気ない返事が返ってくる。

 そのまま立ち上がろうとする“灰”をフレイヤは優しい笑顔で制した。

 

「そう? 私にはまだ用があるのだけれど」

「初対面の私にか?」

「ええ、そう。だって貴方、一方的なんですもの。急に来てしたいだけして帰るなんて、つまらない子供の典型よ?

 私は貴方の質問に答えた。なら、今度は貴方が私の質問に答えて頂戴? それで初めて釣り合いが取れる。そうでしょう?」

「……一つだけ、答えよう。私の聞きたい事も一つだった」

 

 立ち上がりつつあった体を椅子に戻す“灰”にフレイヤは色香が飛んで見えるような蠱惑的な笑みを浮かべた。それを変わらぬ無表情で眺める“灰”に、フレイヤは艶めかしい舌を動かして話す。

 

「貴方の家族――今日は何処にいるのかしら」

「…………ヘスティアは知らない。ベルならば、怪物祭を見に行くよう勧めた。私の知る範囲ではそれだけだ」

「ありがとう。とっても参考になったわ」

 

 満面の笑みを浮かべるフレイヤに重い息を吐いて、“灰”はその場から立ち去った。名も知らぬ黒装束の小人族(パルゥム)を見送って、フレイヤは窓の外へ視線を戻す。

 

「……駄目ね。あの子の魂、大き過ぎるわ。あれだけ近くにいて片鱗しか見えないなんて、自信が無くなっちゃいそう」

 

 心にもない事を口にして、フレイヤは喫茶店から出て人の波に紛れる “灰”をじっと眺めていた。その表情にはほんの僅かにだが、困惑が混じっている。

 神は『魂』の在り様から下界の子供たちの虚言を判別するが、フレイヤは更に『魂の色』を見通す。心の在り方や才能、潜在能力まで見透かす女神の慧眼は、つい先日も新たな、見た事もない魂の輝きを発見したばかりだ。

 しかしそれが、あの小人族(パルゥム)には通じない。見えないわけではなく、見え過ぎる。おそらく子供たちからも見える程に『魂』を剥き出しにしているあれは、元から見える神にすれば『魂』にゼロ距離で眼球を突き合わせているようなものだ。

 人の表情から感情を見抜くのは容易い。だが顔の表面の産毛一本から読み解けと言われれば、神であっても「馬鹿じゃねーの?」と中指を立てる事間違いない。

 ましてあの小人族(パルゥム)の『魂』はあまりに巨大で、その『色』も万象の嵐のように変化する奇妙な代物だった。人ごみに消えて見えなくなった“灰”を幻視して、フレイヤはふう、と透明な息をつく。

 

「知らなかったわ。()()()()って、思ったよりもつまらないのね。もう少し興味を惹くものだと考えていたけれど……こんなに味気ないなんて。

 あの子の言っていた事も本当かどうか分からないし、どうしようかしら」

 

 細く滑らかな手を頬に当てて、フレイヤは一人呟く。少しばかり考えて、やはり興味が無いせいか思考が纏まらず、何と無しにメインストリートを埋め尽くす子供たちを眺めていたフレイヤ。

 そんな美の女神に、金の少女を引き連れた朱色の髪の悪戯者が気安く声をかけるのだった。

 

 

 

 

 昨晩、ヘスティアは結局帰ってこなかった。二人だけの夕食を取ったベルとアスカは、翌日の予定について話し合った。

 アスカにはウラノスから託された使命がある。そのためベルと行動できない。単独でダンジョンに潜らせるのも手だが、ベルの見識の狭さを危惧したアスカは怪物祭の見物を勧めた。

 

「ベル、貴公はあまりに世界を知らない。明日はダンジョンに行かず、怪物祭を見に行くと良い」

「アスカさんはどうするの?」

「私には所用がある。貴公には付き合えない」

 

 こんな会話を交わして、アスカは寂しそうにするベルに怪物祭の簡略な概要を伝えた。これから出会う事になるモンスターの情報を得る良い機会であるとも。

 最終的にはベルの自主性に任せるが、するべき提案を終えたアスカは、ホームでベルを別れたのち、フレイヤとの邂逅を経て地下水路の入口に姿を見せていた。

 出で立ちはこれまでと打って変わって重装を纏っている。膝まで届く暗色に近い真鍮色のブーツに黒いズボン、腰の辺りで二股に裂けた青い外套の上に重厚な鎧を着込んでいる。肩を覆う灰色の毛皮が特徴的な防具だ。

 戦神を信奉した獅子騎士団の装束を装備したアスカは、兜だけは身に着けない。頭部の守りなど、不死には不要である故に。

 代わりに長い灰髪を留める、半分に欠けた冠に似た髪飾りを後頭部につけている。長い不死の旅路の中、常にアスカと共にあった数少ない装飾を光らせ、アスカは地下水路へと侵入した。

 

「……成程。()()が濃いな。フェルズの予測は当たりか」

 

 薄暗い地下水路を進むアスカは一人呟く。

 足取りに迷いはない。複雑に絡んだ水路の端を規則正しい足音で歩いていく。事前に地図を頭に入れているが、それ以上にソウルを求める嗅覚がアスカを目的地へと導いていた。

 

「この先か」

 

 古びた両開きの門には巨大な錠前が掛かっている。自身の器に渦巻くソウルの中から『万能鍵』を取り出したアスカは、容易く開錠して門を開く。

 短い階段を降り、浸水した足場を進むアスカは、一層色濃くなるソウルの匂いに銀光漏れる暗い瞳を鋭く研ぐ。やがて大きく崩れた壁面に辿り着き、その奥にある貯水槽へとアスカは足を踏み入れた。

 

「…………」

 

 周囲を見渡すアスカの喉から声帯機能が削がれていく。言葉は不要、ずるりずるりと這いずる音が、明確な敵意と共に貯水槽を満たす。

 古い既視感が、アスカの脳裏に過ぎった。冷たい谷、法王の獣が守る大主教の座す貯水槽。守り手の契約者の姿をまぶたの裏に切って捨て、アスカは――“灰”は静かに、武装をその手に錬成した。

 

 

 

 

 極論を言ってしまえば、神とは()()()()()ものである。

 それは不死たる“灰”のみならず、下水のネズミから栄えある太陽の主神までもが知る厳然たる事実だ。命を肉体の外に持つ存在でない限り、拳によって殺し切れないものは存在しない。

 それは“ソウルの業”によるものか、全ての生が“魂喰らい”たる所以(ゆえん)か。あるいは『最初の火』が生と死を生み、世界が分かたれる事によって真なる不死が存在しえなくなったと、原罪を探究した賢者は(うそぶ)いた。

 まあ、原理など“灰”にはどうでもいい。重要なのは、如何なる相手であろうとも攻撃とは通じるものであるという一点のみ。

 どれ程固い外皮であろうとも、完全にダメージを防ぐ事はできない――突っ込んでくる巨大蛇のような食人花を《セスタス》で受け流(パリィ)した“灰”は、外皮の隙間に《物干し竿》で致命の一撃を叩き込む。

 《スズメバチの指輪》によって強化された一撃は容易く黄緑色の胴体を貫通し、異様に長い刀の尖端が露出する。瞬間、それは振り抜かれ胴体の半分を切り裂き、返す刀は閃光となって食人花を両断した。

 鈍重な音を立てて落ちる首と、体液をまき散らしのたうつ胴体。それらを無視し、突撃してくる他二匹へと対応する。

 

 《セスタス》をソウルに溶かし、取り出したのは岩のような大盾。“灰”の幼い肉体にあまりに不釣り合いな《ハベルの大盾》は、その巨岩を彫って形作られた威容で食人花二匹の突撃を防いだ。

 “灰”の体が僅かに浮き、数(メドル)後退する。そのまま更なる追撃を加えようとする食人花より早く、“灰”は《レドの大槌》を高々と振り上げていた。

 尋常ではない膂力と持久力(スタミナ)を誇る“灰”ならば、微塵も動かずに食人花を受け止める事はできた。そうしなかったのは、既に持ち替えていた巨大な大槌に岩を呼び込むためだ。

 岩塊が寄り集まった《レドの大槌》が食人花が避ける間もなく振り下ろされる。巨大な極彩色の花弁と醜悪な口腔をたやすくひき潰し、貯水槽の床に絶大な地割れを引き起こす一撃は、凄まじい勢いで散乱する岩塊によって周囲の石柱ともう一匹の食人花に多大な損傷を与えた。

 そして“灰”は振り下ろした勢いのまま飛び上がる。空中で武装を《流刑人の大刀》に変え、両手に持ち三度回転、岩塊の影響で蠕動(ぜんどう)する食人花の首を断頭台のように断ち切った。

 

 十秒に満たない攻防は、無傷の“灰”と三匹の食人花のモンスターの死骸という決着を生んだ。《レドの大槌》によって頭をひき潰された一体は、今になってびくりと長躯の胴体を跳ねさせ、灰となる。

 完全に死亡したのを確認した“灰”は、手にする大曲剣を器に戻す。そのまま魔石を抉り出す作業に移った。

 頭を叩き潰したモンスターが灰になったという事は、その辺りに魔石があるという事だ。残り二匹の落ちた首に近づき、唾液と体液の垂れる口腔に手をかけ、上下に引き裂く。食人花の頭の上半分を引き千切った“灰”は、丁度露出した魔石を引き抜き、死体を灰に変えた。

 もう一つの首も同じように魔石を引き抜いた“灰”は――次の瞬間、地面から弾けるように飛び出てきた無数の触手に貫かれる。

 

「――――」

 

 右眼窩、首、右肩、左前腕、胴体に五か所、右脚に二、左足に一。合計十二本もの触手に貫かれ、穴を開けられた“灰”は――()()()()()()()()

 無事な左目を動かし、腱の断たれた左腕に《薄暮のタリスマン》を握り、【生命狩りの鎌】を発動させる。

 断固たる祈りによって発現した幻の鎌は、“灰”を貫く触手の群れを斬り裂き、生命力を奪い取る。僅かに回復した“灰”は着地と同時に距離を取り、触手の主を警戒する。

 その間にも体に穴は開いたままだが、“灰”は頓着しない。たかが脳や内臓に無数の穴を開けられた程度では、不死は死なないのだ。

 

 不死の肉体は常人より脆い。それは死して灰となり、灰から復活するためか、巨大な武器を軽々と振り回す膂力に耐える事はできても、簡単にネズミ程度に齧り取られてしまう。命の外、攻撃を完全に断つ盾でもなければ、どんなに重厚な鎧を纏ってもネズミの歯とて不死を殺す。

 複数の敵に囲まれれば殺し尽くす前に殺し切られる。そんな死に様は日常茶飯事だ。不死が最も恐れるべきは強大な敵や初見殺しの罠ではなく、徒党を組む雑兵と落ちれば死ぬ高所。“灰”を筆頭とした不死にとってそれは常識である。

 だが逆に、()()()()()()()()()()()肉体の損傷など大した障害にはならない。たとえ竜狩りの大矢に頭を打たれようと、踊り子の炎剣に貫かれ臓腑を焼き尽くされようと、古老の結晶魔術に血肉を抉られようと――()()()()()()()()、不死は何の問題も無く活動できる。

 出血を強いる特殊な武器でなければ、失血死すらしない。八割がた失った脳髄で物を考え、弾け飛んだ心臓は脈々と血液を全身へ流し、背後から背骨と臓器を抉り飛ばされながら走り回り、千切れかかった手足が全力で得物を振るう。

 不死の戦いとは、おぞましいものだ。まして不死同士の戦いを見れば、誰もが思うだろう――呪われた不死は世界の終わりまで、牢に繋がなければならないと。

 

 かつてそうやって牢に繋がれた不死の一人である“灰”は《エスト瓶》を取り出し、一度口に含んだ。途端、残っていた触手の先端が体からずり落ち、優しい黄金色の輝きが“灰”を瞬時に修復する。

 篝火と共に不死の旅路にある《エスト瓶》は不死の秘宝の一つだ。一説にそれは篝火の灰と熱をエストに変え蓄えるとされ、飲めば僅かな一瞬、篝火の熱に当たるのと同等の効果を得られる。肉体を一時に灰と化し、傷付いた箇所を回復するのだ。

 篝火に集う灰は復活を諦めた不死の成れ果てという。ほとんどの篝火にはそれを守った火防女の灰も混じっており、故に不死を助けるとも。《エスト瓶》はその遺志を汲む、貴重な品だ。

 穴の開いた鎧もソウルによって編み直されている。体勢を整えた“灰”は奇襲に対応するため《双蛇のカイトシールド》を構え、空いた右手に《輪の騎士の槍》を持つ。

 触手を警戒した迎撃の姿勢だが、敵の居場所は既に感知していた。地に蠢き“灰”を貫いた触手の群れが、その宿主の場所を教えてくれる。“灰”は体を大きく後ろへ引き絞り――往時の姿、火の封を施された燃え盛る黒槍を投擲(とうてき)した。

 静寂の後、地中から爆炎が吹き上がる。違わず地下の食人花に命中した《輪の騎士の槍》が残り火を燃え上がらせ、モンスターの胴体を残らず焼き尽くしたのだ。

 轟音が席巻し、貯水槽が振動する。多少地上にも伝わったかもしれないが、この程度は問題ないだろう。《輪の騎士の槍》を使い捨てた“灰”は食人花と壊れた槍のソウルを吸収して、残敵がいないか確認する。

 

(……いくつかソウルの気配が上に行った。地上に向かったか)

 

 【敵意の感知】によって現れた巨大な赤眼の幻影が上に飛んでいくのを見送って、“灰”はその場を後にしようとする。が、立ち止まり、細く白い指を耳に添えて、水晶の耳飾りを取り付けた。

 

「何の用だ、フェルズ」

『“灰”か。今どこに居る?』

「地下水路の奥、貯水槽に居る。ウラノスからの使命を果たす途中だ」

『そうか……すまないが、そちらは一旦中止してくれ』

 

 フェルズの要請に“灰”は僅かに眼を細める。

 

「何かあったのか」

『ああ、緊急事態だ。怪物祭のために捕獲されていたモンスターが逃亡した。数は九、市民に被害は出ていないが時間の問題だろう。

 急ぎ『祈禱の間』に“転送”して、対処に当たってくれ』

「……了解した。それと悪い知らせだ。地下水路に例のモンスターに近しいものがいたが、地上に向かった」

『何だとっ!? くそ、厄介事が重なったか……! “灰”、急いでくれ!』

「ああ」

 

 眼晶(オクルス)が聞こえる焦りの見えるフェルズの声に答えて、“灰”は今度こそ貯水槽を後にした。

 

 

 

 

 “灰”には盗賊として振る舞える程度の技量と敏捷性はある。オラリオの建築物や外壁程度なら乗り越えられるし、バベルの外壁を辿って頂上に辿り着く事もできるだろう。

 だが“灰”は、というより不死は往々にしてそういった派手な動きを好まない。純粋に危険だからだ。

 道なき道を進む、というのは不死の常道ではあるが、実際にはなるべく整備された道を通ろうとする。足場の悪い場所で戦うリスクを冒す必要はないし、安全な昇降機(エレベーター)やはしごがあるならそちらを選ぶのは当然だ。

 空中を飛び跳ねて進むにしても弓や翼を持つ敵の恰好の的になる。“灰”とて【魔術】などの遠距離攻撃を主体にしている場合でない限り、迂闊に中空へ身を投げたりしない。段差を無理に登ろうとした不死が敵に襲われ、落下したところを嬲り殺しにされたなどよく聞く話だ。

 だから【帰路】で『祈禱の間』に転送した“灰”が歩いて移動しようとするのは当然の帰結だった。しかしフェルズの急かす声が眼晶から響くため、やむなく盗賊の真似事をしていた。

 

 重装を解き、東の間者の黒装束、影の姿となった“灰”は、『円形闘技場(アンフィテアトルム)』の高所に陣取り、《鬼討ちの大弓》を構えていた。《霧の指輪》の効果で“灰”の姿は地上からはほとんど見えない。

 片足を前に突き出し、深く曲げたもう片方で体を支える。狙撃の姿勢をとる“灰”の体格では大弓は本来扱えない代物だが、腕の長さをソウルで補強し、縦ではなく横に構える事で使いこなしている。

 矢を番える指に《鷹の指輪》を嵌め、《ドルゴーの帽子》の一部、黒布の垂れる片眼鏡(モノクル)を左目にかけた“灰”は、銀の瞳で狙いを定め引き絞った弦を手放した。

 撃ち出された《鬼討ちの大矢》は空気を裂いて飛翔し、遠い路地で暴れるモンスターの胸部を貫く。魔石を破壊されたモンスターは断末魔を上げる事もできず倒れ、灰となる。

 “灰”は続けざまに二射、三射と弓を引く。その度に空気を裂く音が轟き、モンスターが魔石を砕かれ崩れ去る。

 

「……む、あれは……」

 

 都合五射を放ったところで、“灰”は動きを止めた。片眼鏡によって強化された視界に映るのは、『風』を纏いモンスターを斬り裂きながら疾走する金の少女。

 

「アイズか。【ガネーシャ・ファミリア】、もしくはギルド職員に協力を要請されたか、あるいは自主的な殲滅か。どちらでもいいが、この状況では有り難い」

 

 凄まじい速度で駆け回る少女は瞬く間にモンスターを屠っていく。逃げたモンスターは九、“灰”が倒したのが五、残りはアイズに任せていいだろう。

 大弓を青白い光に変えて立ち上がった“灰”は、小さな破砕音を耳にした。遠くを見遣れば、地下水路で相手をしていたモンスターとよく似た黄緑色の長躯が暴れ回っている。

 

「……丁度良い。使命の完遂に戻らせてもらおう」

 

 一つ瞬きをして、“灰”は左手に《嵐の曲剣》を顕現させる。神を追われた長子の友、『嵐の王』を冠する古竜のソウルより錬成された曲剣は、片刃の刀身に風の力、古竜の嵐を宿している。

 “灰”が一度刀身を振れば、局地的な嵐が“灰”の体を包み、浮かび上がらせた。アイズが『風』でそうするように、今まさに花を咲かせた蛇のようなモンスターに狙いを定め――空を駆ける一条の雷のように、“灰”は嵐の矢となって『円形闘技場』から放たれた。

 

 

 

 

 食人花のモンスターが触手によってレフィーヤを傷付けた直後、アイズは花開こうとしていた黄緑色の頭部を斬り捨てた。

 上空には既に敵を穿つ“眼”が居たため、その眼の死角になり得る場所を走り回っていたアイズは、三匹のモンスターを討ったところでレフィーヤが攻撃を受ける瞬間を目撃、すぐさま急行しこれを討ち倒したのだ。

 レイピアを構え周囲を警戒し、ほんの一瞬だけ『円形闘技場』へ意識を向ける。ここからでは小さく見える闘技場の外周部、街を俯瞰(ふかん)できる天頂部分の一角に、おそらく今も“灰”の姿があるだろう。

 “灰”を発見したのはギルド職員から事情を聞かされ、ロキの一計を実行しようとした時だ。高所に登ろうと上を向いたアイズに、不鮮明ながら“灰”の姿がちらついた。アイズは驚き、ロキにそれを伝えると訝しげに目を薄く開いていた。

 なぜ“灰”が上にいるのかと疑問を覚えている内に、“灰”は矢を放ちモンスターを撃ち抜く。行動の理由を察したアイズは、ロキに促されて高所から見えない死角を探索したのだ。

 

(……後で、話ができるかな……)

 

 そんな思考を僅かな時間浮かび上がらせて、アイズはレフィーヤへ駆け寄ろうとする。しかし微細に地面が揺れ、三体のモンスターが隆起した石畳から出現する。

 現れる毒々しい極彩色の花。醜悪な口腔を三つ並べるモンスターに、アイズは応戦しようとして、次の瞬間レイピアが砕けた。

 アイズと、その場にいたティオナ、ティオネが声を失う中――竜の嵐が、不死と共にやってくる。

 

「――! 【吹き荒れろ(テンペスト)】!」

 

 大気を巻き込んで噛み砕く嵐の音に、アイズはいち早く気付いた。迫り来る破壊の権化に金の双眸を見開き、『風』を強く纏って三匹のモンスターの包囲網からレフィーヤへ向けて離脱する。

 直後落ちてくる嵐の一撃。轟音一閃、荒れ狂う嵐は周囲の空気を大いに揺るがし、石畳を根こそぎ剥がし、怪物祭のために増えていた出店の屋台を吹き飛ばす。

 

「うわっ、なにこれっ!?」

「風!? でもこれ、アイズの魔法じゃないっ……!?」

 

 ティオナとティオネが吹き荒れる嵐に耐えながら叫ぶ。アイズもレフィーヤが飛んで行かないよう押さえながら、肌を舐る嵐の力に瞠目していた。

 やがて大気に平穏が戻り、ぼたぼたと黄緑色の何かが降ってくる。それがバラバラになったモンスターの残骸だと知るとアマゾネスの二人は嫌悪の声を上げた。

 

「うへぇー、ばっちぃ」

「気持ち悪いわね……それにしても、あの硬いモンスターがこんなになるなんて、一体何が……」

 

 灰と化していく破片から目を離して、二人は嵐の落下してきた中心地へ顔を向けた。レフィーヤを労わりながら、アイズもクレーター状に陥没した場所を金の瞳に映す。

 すると静まった空気に、規則正しい足音が伝わる。近づいてくる跫音に彼女らは身構え――灰髪をなびかせて現れた“灰”に、一様に目を見開いた。

 

「えぇーっ!? “灰”ちゃん!? “灰”ちゃんなんで!?」

「何であんたが出てくんのよ!」

「おや。ティオナ・ヒリュテにティオネ・ヒリュテか。それにレフィーヤ・ウィリディスと――アイズ。無事だったか?」

「アスカ……!」

 

 高所に居た不鮮明な姿ではなく、無手の黒装束の“灰”はレフィーヤを見るなり彼女に近づく。無視されて若干イラつくティオネをティオナが宥めるかたわら、“灰”は鈍い緑色の硝子(ガラス)瓶を取り出し、黄金の液体をレフィーヤの腹部に振りかけた。

 途端に塞がっていくレフィーヤの傷に、アイズは頭に過ぎったアイテムの名を無意識に呟く。

 

万能薬(エリクサー)……?」

「似たようなものだ」

 

 傷が治った事を確認して瓶をしまった“灰”は、壊れた屋台の一つに向かって歩いていく。少し瓦礫をどけて、“灰”より小さな獣人の女の子を抱えて戻ってきた。

 

「その子……」

「逃げ遅れだろうな。あとでギルド職員にでも引き渡そう」

 

 “灰”は泣きじゃくる獣人の少女をレフィーヤの側に座らせる。安心させるように頭を撫でながら少女に傷がないか確認する“灰”に、アイズもレフィーヤに心配そうな顔を向けた。

 

「レフィーヤ、大丈夫……?」

「ッ……はい、大丈夫、です……!」

 

 レフィーヤは悔しげに、何かに耐えるような表情で喉が張り裂けそうな声を出す。瞳に涙を溜める妖精の少女に、アイズは何か声をかけようとして――その眼前に、一振りの剣が地面に刺し置かれた。

 

「アスカ?」

「剣を取れ、アイズ。ティオナ・ヒリュテ、ティオネ・ヒリュテ。貴公らもだ」

「うわっととと!」

「ちょっと、武器を投げないでよ!」

 

 “灰”はアマゾネスの二人に向けて《グレートソード》と複数の《絵画守りの曲刀》、《ククリ》を投げつけた。飛んでくる巨大な鉄塊剣をティオナは危なげに受け取り、ティオネは苛立ち混じりの声を張り上げながら《ククリ》を腰に差し曲刀を素早く装備する。

 アイズもまた突き立てられた細く流麗な直剣、《銀騎士の剣》を手に取り、感触を確かめるように数度振る。壊れてしまったレイピアよりは頑丈な手応えにアイズが“灰”へ視線を向けると――“灰”は見るからに重い《巨象の斧槍》を構え、広場の先を静観していた。

 

「まだ終わっていない」

 

 落とされる呟きにアイズ達は戦闘態勢に入る。それと同時に地面が揺れ、彼女らの視線の先で石畳の剥げた土が次々と隆起し、黄緑色の巨体が伸び極彩色の花が咲く。その数は十匹にも及んでいた。

 

「――レフィーヤ・ウィリディス」

 

 まるで天を喰らわんと伸びるモンスターの群れに“灰”は僅かに暗い銀の輝きを鋭くし、背後へ掠れた声を投げる。忸怩(じくじ)たる思いに支配されていたレフィーヤが反応を示すと、“灰”はモンスターから眼を逸らさないまま平坦に言った。

 

「我ら四人の誰かが、貴公とその少女を守らなければならない。そこで一つ問おう。

 貴公は、冒険者か?」

「――――ッッッ!!」

 

 レフィーヤの変化は劇的だった。その言葉の意味が分からない程、彼女は愚鈍ではない。今は届かずとも、追いすがる事しかできずとも――レフィーヤは迷宮都市最強の、偉大で誇り高いファミリアの一員である。

 妖精の少女は涙を振り払って前に出る。弱い自分に力を入れて、無力を何度も噛み締めてきた口から詠唱を歌って、遥か先を行く彼女たちに並び立てるようになるために。

 強い意志を漲らせて立ち向かうレフィーヤに、ティオナが快活に笑い、ティオネが口角を曲げてモンスターを見据える。そしてアイズは『風』を剣に纏わせ――レフィーヤに淡く微笑んだ。

 

「一緒に戦おう、レフィーヤ」

「――はいっ!!」

 

 妖精の猛りを皮切りに――【ロキ・ファミリア】の精鋭たちが、オラリオの空に鋼の音を打ち上げた。

 

 

 

 

(……私の出番は、もうなさそうだな)

 

 眼前で繰り広げられる戦闘を眺めながら、“灰”はしゃがんで地面に片手をついていた。

 ダンジョンで鍛え上げられた人間(ヒューマン)とアマゾネス二人の連携は凄まじい。十体ものモンスターを相手取りながら常にフォローを怠らず、手数でも引けを取らず真っ向から戦い抜いている。

 その後ろで朗々と詠唱を歌っているのはレフィーヤだ。触媒を持たないにしろ、徐々に満ちていく魔力の高さが放たれるだろう魔法の威力を物語る。

 それの邪魔をされないよう、“灰”は地中に【炎の嵐】を放出している。吹き上がらず際限なく大地を焼き焦がす炎で触手の奇襲を防いでいた。そして充分焼き尽くしたと判断して、赤熱した地面から手を放し立ち上がる。

 ついで飛んできた石の破片を《巨象の斧槍》で弾いて、“灰”は怯える獣人の少女に目を向けた。

 

 少女はまだしゃくりを上げ、しきりに母親を呼んでいる。モンスターから離れているとはいえ、ここは安全ではない。守られてはいても“灰”の見た目は幼子で、少女より背が高いという程度だ。とても安心はできないだろう。

 この場は彼女らに任せ、ギルド職員に引き渡すべきか――“灰”がそんな風に考えていると、一柱の女神がのんきな足取りで近づいてきた。

 

「おーおー、やっとるなあ」

「ロキ。貴公、逃げないのか」

「ウチの子供たちが頑張っとるんやで? 逃げる必要なんかあらへん」

 

 後頭部に手を組んでニヤリと笑うロキは“灰”の横に立って戦いを見物する。獣人の少女はロキを大人、あるいは神と直感したのか、その足元に駆け寄った。ロキはそれを快く受け入れて、いやらしい笑みを“灰”に向ける。

 

「自分よりウチの方がええみたいやなぁ。なぁなぁ、こんな可愛い子供に避けられるとか、どんな気持ち? せっかく助けた子に選ばれないとか、今ドンナ気持ち?」

「私を忌避するなど当然だろう。貴公、私が何者か知っているだろうに」

 

 再び飛んでくる破片を弾いて、“灰”は暗い半眼でロキを流し見る。「あ~、せやったなぁ」と“灰”の話を思い出して、だがほとんど信じず軽んじるロキは真っ向から視線を合わせた。

 

「にしても、上手くサボったなぁ自分。こんな子供がおるんなら誰かが守っとくのが当然、そんでウチのレフィーヤを焚き付けてアイズたん達も乗せよった。自然と部外者の自分は余るって寸法や。

 涼しい顔して、案外腹黒いんとちゃう?」

「その場にあるものを利用しただけだ」

「よくもウチの前でそんな口が叩けるなぁ、“灰”。潰したろか?」

 

 スッと目を薄く開いて髪を掻き上げるロキに“灰”は嘆息を返すのみだ。時折飛んでくる戦いの余波を防ぎながら、戦況を見守り続ける。

 無意味と悟ったロキは元の糸目に戻り、戦いを見物しながら静かに問いかけた。

 

「で、誰の命令で動いとるんや」

「…………」

「だんまりは無しやで。自分の動きは早すぎる。

 この騒動が起こってからウチらが事情を把握したのは割とすぐやった。そしてそん時にはもう自分は戦っとった。アイズたんが自分を見つけたんや、見間違いって事はないで。

 ウチらより先に事情に通じてたんはギルドと【ガネーシャ・ファミリア】、そして騒動を起こした張本人しかおらん。自分はそのどれかから命令を受けてモンスターを討伐したんや。

 まさか子供たちが危険に晒されないよう自主的に助けた、なんて殊勝な事はあらへんやろ? ボケっとしとらんでキリキリ吐けや」

 

 断定的な口調に“灰”は無音で瞳を閉ざす。しばし佇み、破片を払い、暗い銀色を光の元に露呈して、古びた鐘のような声を奏でた。

 

「ロキ。一つ言っておこう」

「あん?」

「私はフィン・ディムナから何かあれば頼ってほしいと言われている。

 だから私を、あまり困らせないでくれ」

「あ~……さよか。フィンがなぁ、そう言ったんかぁ~……」

 

 あちゃー、と額に手をついて天を仰ぐロキは、二人の会話に怖がる獣人の少女の頭を撫でた。利害で成り立っているロキとフィンの関係上、フィンが“灰”にそう言ったのならこれ以上の追及はできない。

 そうして神と人の会話が終わってすぐ、レフィーヤの魔法が解放され決着がついた。厳冬の切り絵、エルフの王女の魔法は十体に及んだ食人花の全てを氷に閉ざしている。

 凍てつく大地と冷たい空気、凍った花の色合いに“灰”は僅かに、白王の地と絵画世界を思い出す。それもすぐに忘れて、喜びを分かち合う【ロキ・ファミリア】の元へロキと共に向かった。

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】と別れた“灰”が『ダイダロス通り』に到着した時、全ては終わった後だった。

 “灰”の家族、ベル・クラネルが逃亡したモンスターの最後の一体、『シルバーバック』を倒したのだ。

 『ダイダロス通り』の住人の歓声に混じり耳にする断片的な情報からそれを悟った“灰”は、アスカとなって人ごみを掻き分けベルの元に辿り着いた。

 なぜか倒れている女神、ヘスティアを抱き起こして、けれどポーションの類を持っていなかったベルは動けずにいた。そんな彼にエストを飲ませ、気を失っているヘスティアをベルに抱えさせて人垣から脱出した。

 そしてホームに戻る途中でシル・フローヴァに出会い、彼女の好意で今は『豊饒の女主人』の離れの二階でヘスティアを休ませていた。

 ベッドでヘスティアが何かを感知したように呻くかたわら、魅惑的に意味深な発言をベルに向けて立ち去ったシルを見送り、アスカはベルから事情を聞き終える。

 

「――そうか。貴公が『シルバーバック』を倒したのだな」

 

 アスカは、《ヘスティアナイフ》の腹を指でなぞる。シルバーバックの硬い体毛を貫いたというナイフは、光沢のない腐った暗い色をしている。

 わざとそうしているアスカは、丁寧にベルへ手渡した。戻ったナイフを大事そうに抱えるベルは、息を吹き返したように光沢を取り戻すナイフの様子に気付かない。

 そんなベルに優しく目を細めて、アスカは懸命に手を伸ばして彼の白い髪を撫でた。

 

「よくやったな、ベル。過程はどうあれ、貴公はヘスティアを守り抜いた。神の眷族として、これ程誇らしい事もあるまい。私からも、貴公に感謝と、尊敬を送ろう」

「アスカさんッ……!」

「ああ、ベル、この泣き虫め。貴公の涙はまだ早い。心極まるのなら、ヘスティアの前で流したまえ。

 互いを信じ生き延びたのだろう? なればこそ、想いは二人で分かつべきだ」

 

 目一杯に涙を溜めるベルに微笑んで、アスカは扉を開けて退室する。閉じられる扉の先でベルは引き留めようとしていたが、ヘスティアの目覚めを感じ取って彼は女神と向き合う。

 それを見届けて扉を閉めたアスカは、微笑みを消して廊下を歩く。階段を降り、ベル達に声の聞かれないところまで離れて、常より低く暗い声を放った。

 

「――フレイヤに伝えろ。()()()()

 

 小人の威圧感を伴う声に、死角の影で誰かが蠢く気配がする。それを確認して、アスカは『豊饒の女主人』を後にし、日の落ちるオラリオの闇へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘスティアナイフ

刀身に神聖文字の刻まれたナイフ

腐った暗い黒色で、光沢のないただの鈍ら

 

おそらくは持つ者を選ぶ生きた武器の一種

素手よりはましだろうが、使い続ける意味はない

 

 

 

 

ヘスティアナイフ

刀身に神聖文字の刻まれたナイフ

刻まれた文字は青く輝き、紫紺の光沢は残像を描く

 

神の血と毛髪との交わりにより、生を帯びた武器

使い手と共に成長し、経験によって力を増す

 

それはただ一人のために造られた武器だという

そっとしておくべきものだろう

 




納得はしてないけど悩むのも馬鹿らしいんで投稿。最後のはただの趣味。

書いてて一番楽しいのはやっぱダクソの不死の戦い方の解釈だよね。ゲームシステム上の仕様とか不自然さを強引に噛み砕いて文章にするってのはすごく気持ちいい。

あとは設定の考察とか。今回《嵐の曲剣》を出したけど、日本語版じゃ確か嵐の竜って言われてるだけで『嵐の王』とは書いてない。
でも英語版だと無名の王の前哨戦は『King of the Storm』って名前になってて、倒したら『Nameless King』に移行する。こんな感じの設定の量の違いとかすごく好き。王たちの化身の英語版は『Soul of Cinder』(薪の魂)だったりね。
没設定も出していきたいなー。

あと関係ないけど『The Legend, Father of Giants』って検索すると無印対人プレイヤーはクスッとくるかも。

ダクソ無印とかのテキスト全部乗ってるサイトとか欲しい……欲しくない?

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